第36話 覚悟の重量
そもそも『義枠・三重式』とはどのような魔法なのか。なぜプラタナスは三枠目を手に入れたのか。それを語るにはまず、一年前まで遡らねばならない。
負けた直後、魔法を意識して使うことと並行して、プラタナスは狂ったようにある事に執着した。それは三枠目の獲得。純粋な技術だけなら劣ってはいないと、証明したかったが故の行動だった。
最初に、ありとあらゆる文献を読み漁った。七十二もの枠を持つ大悪魔のように、後天的に得たとされる例がないわけではなかったのだから。それに枠の増加は人類の夢でもある。研究者がそれなりにいる分野だ。期待はあった。
しかし、この調査は失敗に終わる。大悪魔以外の保持者や文献の情報は極めてあやふやなもので、信用できるものではなく。唯一確実に存在したとされる大悪魔に関しても、資料が少な過ぎた。まるで何者かが葬り去ったかのように。
研究者が少ないわけではない。だが、今までに発表は大悪魔以外なかった。これが何を意味するか。プラタナスには理解できる。これだけの者が探求しておきながら、未だ方法を確立できぬ無理難題であると。
難しさは分かった。ならば、彼はどうしたか。諦めるわけもなく、プラタナスは自ら見つけることに決めた。
どのようにして枠を増やすか。彼はまず、この問題に注目した。単に自らの枠を増やす魔法を見つけるのは、今までの研究者の敗北から不可能に近いと推測できる。だから彼は、違う切り口で物を見た。
既に枠を外付けする、魔法陣という存在はある。ただし、一つまでという制限がある。それ以上を使おうとすれば、たちまち意識を失ってしまうのだ。
研究者の多くはここまできて、そして止まり、帰っていった。何度実験を繰り返しても、三枠目を発動しようとした瞬間に意識を失ってしまうからだ。もはや、そういうものだと。そこが単なる限界なんだと思うには充分だった。
だが、プラタナスは違った。狂っていた。試行回数の桁が違った。三重発動を試みては気絶し、起きては試みて気絶。これを永遠と繰り返し続けた。自分の身体で何度も何度も、実験し続けた。なぜ気絶するのかを知ろうとしたのだ。
「単にそういうものである」が答えならば、プラタナスの負けだ。だが、もしもそれ以外なら。そう思って挑み続け、狂った生活を続けて二ヶ月ほど。痩せこけ始めた頃、ある変化が訪れた。
痛みだ。気絶の瞬間、凄まじい激痛があった。それは、ここまで来た研究者のほぼ全てが引き返したライン。常人には耐えられない激痛だ。三重発動の実験が人体に負荷を与え過ぎたのではないか。倫理を重んじた彼らは、ここで実験を中止した。
続けたのはプラタナスのような、少数の狂人のみ。しかし残念ながら、彼らはプラタナスほど天才ではなかった。魔法理論だけの話ではない。魔法の操作についてもだ。
人は慣れるものである。激痛に激痛を重ね、友達の少ない彼にとってもはや一番の友とも呼べるほど付き合いを重ねて、糸が繋がった。その時使っていた魔法は『操風』。一つの石片につき一つの枠を用いて、三つ浮かせようとしていた。その操作の為の感覚が三つ、繋がったのだ。
一秒が果てしなく長く感じるような、短い時間であり、興奮するより早く即座に気を失った。だが、確かに感じた。あれは魔法の感覚だった。この時プラタナスは、三重発動に成功したのだ。目が覚めた瞬間、彼は歓喜に踊り狂った。
だって理解したのだ。発見したのだ。原因は痛みだ。どこかは分からないが、三重発動は激痛を伴う。それにより気を失うのであり、別に三重発動自体は可能なのだ。それが分かった。プラタナスは辿り着いた。
なぜ今まで繋がらず、その時初めて成功したか。答えは慣れだった。狂った試行回数がプラタナスの身体に、激痛への耐性をもたせた。気絶するまでの時間が、ほんの僅かに。これまた一秒なんかよりずっと短い時間分伸びたのだ。
今までの研究者がここまで辿り着けなかった理由は、慣れるまでの試行回数の他にもう一つ。先も述べた通り、魔法の腕の差だ。歴史でも有数の技術を持つ彼だからこそ、激痛が走ってから気絶までの僅かな時間で発動できたのだ。
常人でもそこそこの天才でも、理論上ここまでは来れる。だが、刹那の発動に至る慣れまでは、プラタナスの数十倍、数百倍の試行回数が必要になるだろう。果たしてそれだけの数の激痛に、精神が耐えられるのだろうか。
そんなこと、プラタナスには知ったことではなかった。原因を理解した彼は、それに対処しようとした。回数により慣れていく方法は、その歩みの遅さから現実的ではないと判断。ならばいっそ、痛覚を魔法で無効化すればどうかと考えた。
枠の増加の為に枠を使う。矛盾しているようだが、これは成立する。戦闘で複数使用する属性魔法ではなく、戦闘では強化と治癒の二つまでしか使用しない身体魔法の系統に任せればいいのだ。
目指すは未発見の身体強化の反転、身体退化の魔法陣。これにより痛覚を退化させ、激痛の先に至る。
そして彼の魔法陣開発と鍛錬の日々が始まり、ルピナスと出会い、出来上がったのが失敗作『義枠・三重式』。失敗の理由はそう。全身の痛覚だけではなく、首から下の感覚までをも遮断してしまうからである。
いくら三枠使用可能になるとはいえ、プラタナス自身の枠は一つ。残り二枠は魔法陣を用いる必要がある。しかし感覚まで遮断されてしまえば、魔法陣の交換ができない。
だが、この魔法陣しかなかった。故にプラタナスは服に仕込んだ三十二種類及び両手の十六枚のみ補充なし、拘束玉座にて身体を固定して戦う短期決戦を実行。元より三重の代償で五分以上は危険だと理解していたから、この他に選択肢はなく。今に至る。
そう、五分を過ぎ去り、八分の今に。
覚悟を問われた。賭けるものを問われた。プラタナスは世界を敵に回し、滅ぼすことも厭わぬ覚悟だと言った。その上で、問われたのだ。
「私の、覚悟」
「そう、とも。貴様の……覚悟だ」
血混じりの声に、すぐには返せなかった。だってプリムラは、世界を敵に回すつもりも滅ぼすつもりもなかったのだ。ただ勝ちたいだけだった。ただ負けたくないだけだった。努力だってしていなかった。
なのに問われた。問われてしまった。彼の覚悟と自らの覚悟を、積み上げてきたものを真面目に比べてしまった。
「別に、ないのなら……それでも、いいがねぇ……」
この問答、答えようが答えまいが、勝敗に関係はない。答えないのが不自然なら、適当な答えを返せばいい。彼女はそれを分かっている。そんなこと、分かっているのだ。今のこの考えが戦闘の邪魔で、ない方がいいことくらい。
でも。でもだ。彼女のプライドがそれを許さない。この問いには心からの言葉で、そして本気で返すべきだと主張している。
なぜ自分は勝ちたいのか。なぜ自分は負けたくないか。なぜ自分は、戦うのか。
「いいえ。あるわよ。そんなの、物心ついた時から決まってる」
ああ、それはずっと心の中にあった。口に出したことなんて一度もなかったけれど、知っていた。
「ほう……?それは、何かね?」
「賭けるものは変わらない。私の全てよ。そしてこっちは、重要じゃない」
血の雫が混じる美しき白の髪を風になびかせ、彼女は灰色の眼で相手を睨みつけ、口を動かす。
「全てを賭けるのは、私がプリムラ・カッシニアヌムだからよ」
きっと数時間前の自分なら規模の差に圧倒され、恥じらい、返さなかったであろう答えの形に。
「……こうまでごほっ!胸を張って、返されるとは、またもや……想定外だねぇ」
「だから言ってるでしょう?貴方ごときに予測される私じゃないって」
自分が自分であるから。自己肯定こそ戦う理由だと述べた彼女に、プラタナスは驚かされた。そうだ。先述の通り、これは今までの彼女からは考えられない言動だ。
「……貴方の覚悟は立派だわ」
そしてそれは、いきなり続いた。今までの二人を考えれば、ありえないことだ。プリムラがプラタナスを認めるなど。
「その為に傷だらけになって戦う貴方にも、嫌々だけど敬意を表します」
「……は?気持ち、悪いから、やめたまえ」
気持ちの悪いことだ。だが、現実だ。真実だ。
愛する者に願われて、助けられた者達に報いようとして、己の想いも合わせて勝ちたいと戦い続ける。その為なら世界の命運だって賭ける。ボロボロになっても、戦い続ける。プリムラ・カッシニアヌムは煽りではなく心から、そんなプラタナスをすごいと思う。言葉遣いだって改めるくらいには、認めてしまう。
「でも、私には縁遠いものだわ」
だが、共感はしなかった。
なぜそこまで倒れないのか。それが分からずに、プリムラは問うた。そして答えを聞いた今、言葉として理解はした。そういう人間もいるのだろうと思った。でも自分は違うとも思った。
「私は世界の命運なんて知らない。誰かの想いなんて託されてない。でも、重みで負けているつもりはない」
じゃあ、なんの為に彼女は戦うのか。彼女もまた諦めず、戦い続けるのか。勝とうとするのか。負けたくないと思うのか。
「さっきも言った通り、私は私の為に戦うの。だって私は、プリムラ・カッシニアヌムよ?」
自分の為だ。プラタナスとは違う。どこまでもどこまでも自分の為。決して他者の為ではない。
「『二重発動』の系統外を持ち、最高の適性を持ち、少し見るだけで魔法を覚えられるほどの才能を持っているの。天才なんて超えてるのよ。分かる?」
生まれた時から人より上の存在だった。勝ち続けていた。負けなど知らなかった。みんな下だった。見下していた。そして、嫉妬され続けた。遠ざけられた。
「負けられるわけ、ないじゃないの」
魔法を発動させながら、寂しい笑みだった。いつもの不敵にして傲岸不遜な笑みではなく、僅かに覗かせた弱さ。しかし、それこそ彼女の根幹。
「みんなが見上げてる。みんなが嫉妬を向けてくる」
歪だ。極めて歪だ。優れているから、勝ち続けているから嫉妬されているではなく、嫉妬されているのだから勝ち続けなければならない。彼女はそうやって、辻褄を合わせようとしている。
「私が上なの。だから、勝つの」
きっと、ほぼ全ての人間には理解できまい。嫉妬されて遠ざけられて人知れず傷ついて、その傷を勝利と優越感で慰めようとする者の心など。
「勝ってこそ私なの」
普通には入れず、勝つことと優れていることだけを自らの価値と思う者の気持ちなど。そしてその覚悟の重さなど、容易には。
「世界なんて勝手に滅ぼしてなさいよ。それでも私が勝つから」
少なくともプリムラの中でその覚悟は、世界を滅ぼすことよりも上だった。
「ははっ!答えは、想定内だった……げほ。だが、重さは少し、違ったようだ、ねぇ」
だが、プラタナスは理解した。それどころか内容まで予測していた。唯一読み切れなかったのは、その重さ。彼もまた己の覚悟を上と思っているが、それでもプリムラも中々の重量を背負っていると。
「だが、それも……今日限りだ。解放して、あげるとも」
そして読み切れなかった唯一を理解した今、嬉々として踏み躙ることに決めた。勝ってこそ私など、どうでもいい。むしろ負けを与え、プリムラをプリムラではないものにしてやると。
「いいえ。勝つのは私よ」
だが同様に、プリムラもまた戦意を滾らせる。愛する者に願われている、周りに報いたいと思っている。そんなこと、自分には関係ない。手加減などするわけもない。いつもと変わらず、勝つだけだと。
互いに互い、相手の覚悟を認めつつも、己の覚悟の方が上だと思っている。自分の方が重いと思っている。
その覚悟の重量は、戦闘に影響を与える。代償で血を吐きながらも、未だ戦い続けるプラタナスのように。勝つ為に戦いの中で努力を始め、成長し始めたプリムラのように。
だが、それは当たり前のことだろう。彼らは己の覚悟を証明する為に、勝とうとしているのだから。
プリムラは大魔法を連発している上に、ルピナス戦で大きく魔力を消耗している。
プラタナスもまた、魔法陣を入れ替えられないことと三重発動の代償を考えれば、長期戦は不可能。
故に、互いが望むは短期戦。出し惜しむことなく、全てをぶつけ合う。
ルピナスが祈り、見守り、サルビア達が応援するプラタナス。誰の応援を受けずとも、戦い続けるプリムラ。協力して得た強さと、孤独であるが故の強さ。
譲らない。譲るわけもない。そんな気持ち、一片たりともありはしない。だからこそ、戦いは熾烈になる。
飛んできた複数本の氷の槍を、プリムラが爆発魔法の威力で強引にまとめて砕き割る。だが、防ぐだけが意味ではない。爆風によって小さな瓦礫や砂利が吹き飛ばされ、多少凹凸は残るものの地面は綺麗になった。走り回る彼女にとって、足の踏み場は重要な問題だ。
更にプリムラは爆発魔法をいじっていた。なんてことはない。彼女の才能だ。才能を努力に活かし始めただけだ。
いじったのは煙について。より多く、より黒く撒き散らすように改造した。自らの姿を隠す為に。
「ほぅ……」
成長している。一つの魔法に複数の意味を持たせようになってきている。更に、その意味すら考えられている。
プラタナスは動けない。舞台の端の玉座に座っている。だが、プリムラは自由に動き回れる。黒煙が撒き散らされればどちらが有利かなど、分かりきっている。
「本当に、怪物だねぇ……」
彼女の成長速度を見る度に、プラタナスは驚きに襲われる。一分前とはまるで別人。技術も思考も研ぎ澄まされていく。
「だから、こそ、倒し甲斐が、ある」
しかし、プラタナスも負けていない。彼女が才能と努力で成長するというのなら、頭脳と努力で上回るのみ。
「形成逆転かしら!」
場所が見えないのなら、攻撃のしようもないだろう。煙を払おうにも一枠が必要。そうなれば彼の二枠に対し、プリムラは三枠で有利が取れる。そこまで考えて、彼女は瓦礫の操風と土の傀儡魔法、土の槍を発動する。いずれも煙に紛れやすい色合いだ。
初となる、血の咳以外でのプリムラの反撃。三枠全ての攻撃が舞台の端に集中し、着弾。防がれたか、通ったか。黒煙故に、プリムラにも判断はできない。どちらにしろ晴れる前が押し切る機会だと、彼女は再度魔法を装填して、
「っ!?」
前方の煙が払われる。風刃だ。そしてその後ろの鉄剣も合わせて、プラタナスの健在を知る。いや、それだけではない。おかしい。防御したのなら、これほど早く攻撃に転じることはできないはず。
あり得るとしたら、一枠と障壁を完璧に使いこなして防いだ可能性。と、考えたがこれを否定。一枠で三枠は防げず、障壁では玉座を守れない。魔法陣との固定の役割もある玉座だ。壊れるのを許容するとは思えないし、仮に壊れてしまっても、即座に修復するのではないか。ならばその修復に、一枠用いるのではないか。だったら今、二枠の攻撃が押し寄せているのは。
風刃は魔法障壁で無効化している。残る鉄剣を一掃する爆発魔法を用意。このように高速で思考を回すプリムラの耳は今、風刃の音とどこかで瓦礫がからからと転がる音に支配されている。彼女自身は気付いていない。プラタナスが風刃を調整し、僅かに音を大きくしていることに。
だがそれでも、プリムラは気付いた。本能に身を任せた戦い方故か。彼の努力虚しく、彼女は背後から聞こえた「ボゴッ」という音に気付いたのだ。
咄嗟だった。何も考えずに本能のまま。プリムラは爆発魔法を載せていた掌を振り下ろして後ろへ向け、解放。同時、地下にてプラタナスの爆発火球も解放。二つはぶつかり合う。彼の分だけであれば少女に襲いかかるはずだった瓦礫も、粉々に変えて。
防いだ。しかし、プリムラに余裕はない。灰色の瞳は目の前の鉄剣を見ている。二枠を用いて、最速で足元を隆起させる。自らの身体を上に押し上げ、剣の軌道から逃れる。
瞬間、全ての煙が舞台に吹き荒れた暴風にて払われる。そしてようやく、プリムラは知った。
「動いて……!」
「元は、木魔法だ。動かせ、て、当然だろう?」
プラタナスは被弾したわけでも防いだわけでもない。木魔法の玉座に足を生やして移動させ、全ての攻撃をかわしたのだ。残る二枠で風刃と鉄剣。移動で遅れた一枠で、爆発火球をプリムラによこした。
見えないプリムラの場所をどう割り出したかについてだが、簡単だ。彼の聴覚はまだ機能している。黒煙の中、忌々しい声が聞こえたのなら、その方角に全魔法を集中させるだけだ。
「形成逆転、といったかな?」
上昇した少女へと、プラタナスが鉄剣、操風の瓦礫を向ける。巨大な土の槌は彼女へではなく、彼女の足場である隆起した地面へ崩す為に。
空中に放り出されれば、彼女は無防備となる。仮に浮遊魔法を使ったとしても、それは枠を一つ潰す行為だ。つまりこの攻防、プリムラは物理である鉄剣と瓦礫だけではなく、土の槌まで防がねばならない。
プラタナスは更に考えている。炎の壁で氷槍を溶かされたことから、溶かされにくい土魔法を選択していた。
「ええそうよ!言ったわよ!」
「なに?」
だが、彼は充血した目を剥いた。まさかそんな馬鹿なと。馬鹿の思考を天才は読むことができないというか、ああ、それに近い。
「そして、そうなるのよ!」
土の足場が高速で捻じ曲がり、倒れ込む。迎撃を完全に投げ捨てた、三枠を用いた変形。速い。プラタナスの三つの魔法よりも格段に速く、操作するも追い付かず。
「私は負けられない!勝たなきゃいけない!」
地面との距離が1mほどのところで、プリムラは斜めの足場から飛び降りた。背後より追随する魔法に爆発火球をお見舞いし、進む。
「私が、私である為に!」
今度は煙を撒き散らさず、プラタナスの動きを捉えて。舞台の上を駆ける。足を動かし続ける。
「私も、同じだっ!」
だが、否定する。拒絶する。彼は吠える。攻撃を次々と展開して、少女の足を止めようとする。
「だからこそ!私は勝つの!」
手を替え品を替え襲いくる魔法の中、プリムラはそれら全てを間一髪のところで防ぎ続け、避け続ける。進み続ける。今ここに、成長した全てがあった。今朝とのその差が、プラタナスとの距離を詰めていた。
「いいや、私だ!」
両者ともに限界が近く、決着が近いと分かっているからこその全力。血を撒き散らして叫んで、短い銀髪を風に揺らして叫んで、近づいていく。
「私だって言ってる!」
魔法は高速でぶつかり合い、避けられて不発となって舞台に爪痕を残し、あるいは防壁を振動させる。
「っ……!?」
誰もが息を呑んで見守る中、それは訪れた。まさか、この土壇場でと誰もが思った。
「……うっ!がはっ!げほっ!」
叫び過ぎたせいか。血の咳だ。三重発動の代償に身体があげた悲鳴。口から血が溢れ出る。プラタナスの意識が白熱する。
「悪いけど」
何というタイミングだろうか。だが、勝負とはこういうものだ。残酷にも無情にも決まるものだ。
「私の勝ちよ……!」
血の咳と共に、プラタナスの魔法は消える。分かっているからこそ、プリムラは三枠全てを攻撃に転じた。距離は近づいている。彼の意識が戻る頃にはもう、全てが終わっている。
「さぁ、どうかな?」
「え?」
はずだった。だが、男は笑っていた。まるで糸にかかった蝶を食らう蜘蛛のように。
「なん……!?」
プリムラの言葉は、最後まで言えなかった。だってプラタナスの魔法は、消えてなどいなかったから。血の咳を吐いても、消えなかったから。
ならば、防御を捨てて攻撃に全てを費やした少女に、瓦礫が脚と腹にぶつかり、倒れた彼女の首に鉄剣突きつけられるは必然のこと。そしてそれだけの傷は、勝負を決めるには充分なもの。
「私の、咳を狙っていたよう、だが……ごほっ!」
新たな痛みに今までの傷を思い出し、立ち上がれないプリムラ。彼女に木魔法で椅子を動かして近寄りつつ、男は蜘蛛の糸を語る。
「私はね、プリムラ・カッシニア、ヌム。仕込んで、げはっ……いたのだよ」
確かに最初の一回目や、何回かは魔法の制御ができなくなった。だが、それ以外の時については、わざと魔法の制御を切っていた。
「ふふっ……私の、勝ちだ」
「ああ……うう……!」
血の咳の瞬間、必ず魔法が消えると思い込ませる為に。防御を全て投げ捨てた少女に、消えなかった牙を突き刺す為に。プリムラが待っていたように、プラタナスも待っていたのだ。
「さぁ、尋ねよう」
少女は生まれたての子鹿のように、何度も何度も立ち上がろうとする。だが、首に突きつけられた剣がそれを許さない。勝負は決まっている。プラタナスは血をだらだらと口からこぼしながら、彼女に問う。
「敗北の味はどうかねぇ?」
「っ……!!!」
満面の笑みで。最高の笑顔で。この一年間の想いと、この数ヶ月の想いが報われた彼は。愛する者の願いを叶え、復讐を遂げた男は。
「ああ。勝利の美酒は、実に美味しいとも」
「うっ……!あああ……!あああああああああ!」
最後に鉄以外の唇の中の味を告げて、気を失った。意識のある敗者はその言葉に、自分に訪れた現実に、慟哭した。
武芸祭準決勝第一戦、勝者、プラタナス・コルチカム。




