表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
幻想現実世界の勇者  作者: ペサ
外伝 現実幻想世界の剣士
236/266

第31話 手放さないのは





「で、だから?」


 無造作にばらまかれた数多の魔法陣を見て、未だ諦めぬ妹の言葉を聞いたプリムラは首を傾げ、威圧するように問う。


「まぁ、褒めてはあげるわ。一応、戦えるようになりはしたからね」


 驚きはした。昨日と今日で大量の魔法陣を消費させたにも関わらず、まだこれだけの数が残っていたものだと。確かにこれなら壊れた手で紙が握れなくても、服に仕込んでいなくても、魔法が使えるわねと。


「でも、戦えるからなに?昨日のこともさっきのことも、もう忘れたの?」


 そして同時に、彼女は思ったのだ。だからどうしたというのかと。いつもより少し早く魔法が使えるだけ。枠の数が変わったわけでもなく、傷が癒えたわけでもない。大敗を喫した昨日よりも、状況は悪い。


「……忘れてないです。姉さん。今日のことも昨日のことも、今までのことも全て、覚えています」


「じゃあなんで」


「姉さんこそ、忘れてる。私それ、さっき言いましたから」


 それでも何故挑むのか。分からない姉へそれはもう伝えたと返し、ルピナスは身を屈め、足に力を込めて、地を蹴った。


 身体強化の陣は下着に縫いこんである。服を破かれようが手を壊されようが、失われることはなく。ルピナスの身体を加速させる。前へと進ませる。


「私に勝ちたいからって?それが分からないって、言ってんのよ!」


 来る妹を迎撃すべく、プリムラは氷の杭を八本と炎の槍を六本、無数の石片を空中に用意。盾はいらない。陣二枠しかない出来損ないの攻撃など、全て撃ち落とせる自信があったから。むしろ自らの攻撃を届かせてやると、思っていたから。


「なっ……」


 一定範囲に踏み込んだ瞬間に、全射出。しかし、それら全ての制御が強制的に途切れた。プリムラから切ったのではない。魔法が消滅したが故に、途切れたのだ。その光景をプリムラは眼で見ていたはずなのに、頭では追いきれなかった。


 ルピナスの二歩目が発動させた爆発火球が、石片を粉々に砕いた。三歩目による土壁が、氷の杭を下から突き上げて破壊した。四歩目はそよ風を起こす程度の魔法。しかし、そのそよ風が移動させた魔法陣を六歩目が踏み抜き、水の壁を創造。炎の槍を受け止め包み込み、消化。プリムラの三枠を、ルピナスは一瞬で無効化したのだ。


 凄まじい。確かにこれほど早く自由に魔法陣を移し替えての芸当は、今までのように両手に複数枚の魔法陣を固定する戦い方ではできない。


 これが、ルピナス・コルチカム。彼女が今の技術のまま、もしも他人と同じように枠を持っていたらという仮定が実現した時より、少し劣った場合の力。


「あなた、どんな頭してんのよっ!?」


 その異常なまでの強さに、プリムラは理解できないと内心で頭を抱える。魔法陣が仕込まれていた靴は既に、プリムラ自身の手によって破壊されていた。そして魔法陣は床にある。裸足のルピナスは歩くだけ、走るだけで魔法陣に触れられる。ここまではいい。


 だが、あくまで触れられるだけなのだ。身体強化を施した速度での足裏と陣の接触時間は、コンマ数秒を下回る。たったそれだけの時間で魔法陣を状況に応じた方法で発動させ、二歩後までには制御を打ち切り、あとは魔法の慣性に任せる。それも、プリムラの出力を受け流す精密さともなれば、どれだけ特異なことか。


 無論、予め魔法陣を選んで踏んでいるのは間違いない。その証明として、ルピナスの走りは一直線ではなく、ジグザグだ。しかし、これもまた解せない。


「なにが?」


 次々と繰り出されるプリムラの攻撃を、目当ての魔法陣を渡り歩くステップでことごとく潰しながら、ルピナスは純粋に疑問符を浮かべる。そうだ。ここだ。彼女は、プリムラの攻撃を見てから魔法陣を選んでいる。多少の予測や賭けはあるだろうが、それでも異常だ。


 まず、プリムラの魔法が出現してから着弾するまでの時間。短くて一秒未満、わざと遅らせない限り、長くても二秒はかからない。その間にこの魔法陣の海の中から使えそうなものを見繕い、発動できるものなのだろうか。


 そしてそもそも、足元にある魔法陣をそんな僅かな時間で判別できるのか。それだけの数を覚えているものか。プリムラも何度か目を走らせはしたものの、分かったのは授業で習った単純な氷槍の一つだけ。じっくり見ればもう何枚かは判別できるのだろうが、今は戦闘中。見る時間なんてほとんどないはず。


「一体、どれだけの魔法陣を覚えてるのよ!」


「持ってるのは、全部」


「……」


 まさか、足元全ての魔法陣を覚えているわけがないだろう。そう思ってプリムラは叫んで、返ってきたまさかの答えに唖然とさせられた。


「ぐっ……!全部?全部ですって?」


 ルピナスの氷腕によって投げられた舞台の残骸を、すんでのところで我に返り、土盾で弾くプリムラ。冷や汗が背筋を伝うのを感じながら、妹の言葉を繰り返す。


「うん。一万二千三百二十四種の形は全部」


 そしてまた、具体的な数字に我を失いそうになった。しかし、今回は近くに物理攻撃に転じられそうな魔法陣がなかったのか、一旦ルピナスは後退し、その隙を狙われることはなく。


「……一万二千……?」


 呆然と、数字を呟く。それは、ありえないと言いたくなる数字。まず、一般人が覚えている魔法の数が、おおよそ500〜1000。騎士や戦いで生きていく者で1500〜2000。魔法をすぐに覚えられるプリムラですら、4200前後でしかない。これ以上ともなれば、プラタナスなどの魔法を研究する者達が大多数を占める。そんな彼らでも、一万を超える者はそう多くはないだろう。


 つまりルピナスは、魔法研究者のトップ層とほぼ同じ、ということではないのだ。彼女が覚えているのは魔法ではなく、複雑怪奇で一つ一つ微妙に異なる魔法陣の形。それも、コンマ数秒でどれか見分けられるほど正確に。おそらく魔法陣専門の研究者ですら、ここまでの者はいない。仮にいたとしても、歴史に数えられる程度だろう。例としてあげるなら、モンクスフードで教鞭をとるパエデリアで4500ほどだ。


 そして同時に、プリムラは悟った。昨日と今日で、ルピナスに大量の陣を消費させたと思っていた。別にそれは間違いではない。合わせて千枚近くの魔法陣は、大量に違いない。


 ただ、ルピナスの所持する陣全てを覚えているという発言が真実ならば、千枚は打撃にならない。一種一枚ずつなんてことはないだろう。よく使う魔法陣なんて、数十枚単位でストックしていてもおかしくはないはずだ。


「狂ってる……」


 狂気と呼ぶ他にない。戦闘力云々以前に、恐れ慄くしかない。二枠で三枠を潰し得る気持ち悪いまでの精密操作も合わせて、一体どれだけの時間を魔法陣に費やしたのか。


「私にとっては当たり前だった」


 それはルピナスにとっては普通のこと。冷遇する親から、嫌う姉から、いじめてくる同級生から逃れるように図書館にこもり、魔法陣を覚え続け、書き続けた結果。彼女の生活の大部分を占めたことで、もはや呼吸のようなもの。


「それくらいしなきゃ、みんなに追いつけなかったから」


 そこまで至った理由は単純だ。みんなと同じように、自由に魔法を使いたかったからだ。感覚を覚えるだけでいい彼らと同じ魔法を、同じ数の魔法を使えるようになりたかったからだ。普通を夢見たが故の、普通ではない努力。常人になろうとしたが故の、常人から見れば狂気とも思える時間。


「私はずっと……!」


 だから書き続けた。だから覚え続けた。ずっとずっと。きっと、遊ぶ時間よりも食事の時間よりも多く、無我夢中に。


 その結果がこれだ。その結果が今だ。今までに書き溜めた全てをぶつけ、ようやく戦いになっている。恨み、嫌い、憎み、妬み、そして憧れでもあった姉と、ギリギリで渡り合えている。


「だから、ありがとう姉さん」


「……なに?」


 そして、この結果の元となった姉に感謝を。


「だって姉さん、努力をしたことがないんでしょう?」


「ええ。あなたと違って、私には必要がなかったもの」


「だから、だよ?」


 妹の確認に、プリムラは気を良くして尊大に見下して答える。だが、続く言葉でその態度は身体ごと凍り付くことになる。


「もしも姉さんが努力をしていたのなら、私は絶対に追いつけなかったってことだから」


「……」


 上げた後で、馬鹿にするような笑みで落とされた。それも出来損ないの妹にという事実が、プリムラの怒りを沸点まで押し上げる。


「はっ。今も追いついていない癖に」


「そうだね。努力していたら、もっと遠かったのにね」


 反撃は痛烈な皮肉によって、負け惜しみへと成り下がる。そうだ。これは、プリムラにも否定できない事実だった。だからこそ、指摘されて悔しかったのだ。だからこそ、歯を音が鳴るまで噛み締めたのだ。


 だってそうだろう。覚えるのに努力が必要なく、適性も最高だからすぐに強い威力で発動できた。故にプリムラの魔法の発動は荒い。無論、ずば抜けたセンスによって一般人を遥かに上回るものの、ルピナスほどではない。


 覚えると使いこなすでは雲泥の差がある。その差が、無枠と二枠を埋めかけている差なのだ。もしもプリムラがもっと努力をしていたのなら、ありえなかった差なのだ。それ故にルピナスは、本心から姉へと感謝を、風で操った短剣と共に贈ったのだ。


「なら、私もあなたに感謝するわ。これだけ努力しても追いつかない程度の出来損ないでありがとうって」


 怒りに震えながら、プリムラはルピナスを直接的に貶める。そうだ。哀れなことこの上ない。狂気のような努力を積んでも、完全には追いつけない程度の才能しか持たなかった妹が、哀れで仕方がない。


 一切の努力なく最初から高みにいた姉と、壮絶な努力の果てに高みに登ろうとする妹が。暴力的な力技と鍛え上げた技術がぶつかり合っては火花を散らし、時には打ち消し合う。


「本当に、しぶとい!」


 その場からは動かず、ただひたすらに高威力の魔法を生み出し続けるプリムラ。ルピナスがいくら卓越した技術を払おうとも、その全てを才能だけで踏み潰す。


「ぐっ…………!本当に、強い!」


 姉が使う魔法を見た瞬間、即座に周囲の魔法陣からこの場に適したものを選択。普通に剣は剣として、盾は盾として用いるのではなく、時に剣を盾として。時に盾を武器として扱い、広範囲高威力の攻撃を潜り抜ける。


 どちらも劣らぬ、一進一退の攻防。観客が歓声すらあげなくなるほど夢中になるような、高度な魔法の応酬。互いに物理攻撃を直撃させようと、魔法にて道を開き、また妨害する。


 拮抗が六分も続いた頃、爆風に舞い上げられた魔法陣を見て、プリムラは思い付いた。気付いた。ルピナスの想いを挫けるそれに、にたりと顔を愉悦に染めて、実行に移す。


「っ!?」


 ルピナスが踏もうとした周辺の魔法陣を、強風にて吹き飛ばしたのだ。彼女の脚は紙には触れず地に着き、魔法は不発。慌てて他の陣を探しても、もう遅い。彼女が動くよりも早く、プリムラは土魔法で堅牢な壁の牢獄を創成したのだから。


「詰み、よ」


 三枠全てで石片を掌握し、檻の隙間を潜るように掃射する。ルピナスの近くに陣はない。肌に触れているのは六種類のみ。回避する自由すら奪われた今、それだけでは防げない。


「あああああああああああっ!」


 悲痛な叫びだった。痛みに耐えきれずに溢れ出た声だった。


「おね、がい!」


 壊れた手で魔法陣を握ったことによる、痛みだった。発動した爆発魔法が檻も石片も全てを粉にし、彼女を解き放つ。


「なっ!?」


 近くに魔法陣がないなら、虚空庫から新しく出せばいい。触ると激痛が走るというのなら、激痛に耐えて触ればいい。


「あなた、馬鹿じゃないの!?」


 心の底からの罵倒と驚愕。その乱れをついたルピナスの反撃とその方法に、再度プリムラの声は荒れる。いくら勝つ為とはいえ、それは愚かが過ぎる。砕けていた骨を自ら動かし、悪化させたのだ。後遺症だって残るかもしれない。


「ありがとう姉さん。気付かせて、くれて」


 痛みに荒い息を吐き、涙を滲ませながらもしかし、ルピナスは笑う。また、礼を述べる。おかげで、あることに気付けたと。


「よく使う魔法陣は、持てば良かったんだ」


 そのあることとは、魔法陣の固定。例えば、障壁を貫く為に必要な物理攻撃可能な魔法陣。或いは緊急回避に使用できる、暴風の魔法陣など。重要度の高いものを踏みにいくのではなく、いつでも手に持っておけば良いのだと。


「……イかれてる」


 変色した手とその手に握られた魔法陣に、プリムラは今日何度目か分からない、神経を這い上がるような感情に襲われる。


「……関係、ないよ」


 だがそれを、ルピナスは真剣な顔つきで否定し、戦闘が再開する。少女脚が動き、プリムラの魔法が出現し、衝突。相殺の結果はすなわち継続。ルピナスは次の陣を探し、それを妨害しようとプリムラは新たな魔法を生み出す。


「魔法陣は私にとって、大事なもの」


 いつでも発動できるよう、痛みで落とさぬよう、掌の中の魔法陣を握りしめる激痛の最中、彼女の口は勝手に動いていた。まるで熱病に冒されたかのような頭から、思わず湧き出た言葉を紡ぐ為に。


「魔法陣は、私の汗で」


 手持ちと脚元の魔法陣では防げなかった鉄棒を、サルビアとザクロに教わった動きで躱す。そしてまた新たな魔法陣を踏み、土壁を創造。自らを上へと押し上げて、石片の軌道から逸れる。


「魔法陣は、私の血、だから……!」


 床にばらまいてごめんなさい。踏み付けてごめんなさい。こんな乱暴な発動の仕方でごめんなさい。血で汚してごめんなさい。


 手伝ってくれてありがとう。こんな使い方をしているのに、助けてくれてありがとう。いつもいつも、出来損ない私を支えてくれて、ありがとう。


 発動する度に深く謝り、ありったけの感謝を思う。そうだ。そうなのだ。魔法陣とはルピナスにとって大事なものであり、汗と血の結晶なのだ。努力の証明にして、自分をここまで戦わせてくれる大切な存在なのだ。


「たかが骨が折れたくらいで」


 手はごきりごきりと悲鳴をあげている。動く度に全身の傷が主張する。血だって吐いた。傷口からの血が雫となって、陣の上に赤い点を落とした。紙の下で気付かなかったのか、舞台の破片を踏んで脚を痛めた。だが、発動はした。


「そんな大事な存在を、放すわけないっ!」


 全ての身体の痛みなど、知ったことか。回避によってプリムラの二枠を潰した。残る一枠の風刃の壁はたった今、風の槍で穿ち抜いた。そして今、強く握りしめた操風の陣が、石片を撃ち出した。


「いっ……!」


 今日初めてでもあり、プリムラの人生でも極めて稀な直撃だった。咄嗟に腕で顔と胸は守り、すぐさま暴風を纏うことで次弾を避けたものの、それでも身体に幾筋もの傷が刻まれた。


「それほど大事な存在をこんな風にたくさん使い捨てて!踏み付けて!なにがしたいのよっ!」


 風を延長し、腕を払う。魔法陣を舞い上げてルピナスのリズムを崩すと同時、残った石片を吹き払う一閃。ごうと吹き抜ける風の中、プリムラは怒りに身を任せ、尋ねる。


「私に勝ちたいって言うけど、それは何の為なの?」


 こうまでして、私に勝とうとする理由はなんだと。大事と述べた魔法陣なんかよりもずっと、大事なものとは何かと。


「私の負けた姿が見たいから?復讐したいから?それとも名誉?あの緑眼鏡の賞賛と愛情?馬鹿らしい!」


 プリムラは思いつく限りを並べていく。そしてその上で、どれもろくなものじゃないと鼻で笑うのだ。


「口では魔法陣を大事大事と言いながら、自らの欲望の犠牲にしてる。結局あなたは、自分さえ良ければ他はどうだっていいと思っているのよ。いじめられても無理ないわ」


 自分のことばかりじゃないかと。その為ならなんだって使う、冷たい自己中心的な女なんだぞと、彼女は嗤って突き付ける。


「昔から、なにも変わってない。助けようとした男が理想とかけ離れたブサイクなら突き放して、可哀想な悲劇のお姫様であり続けて」


 足元の地面を狙った爆発する炎の槍を、刺さる直前で風の刃で断ち切りながら、ルピナスの行いを大衆の前で晒す。まず一つ目は、拒絶された哀れな男の子の話。


「勘違いしたあの緑眼鏡を釣り上げて。ああ、本当に嫌になる。なんで世の中の男って、こんな可哀想な女の子が好きなのかしら。救ってあげてるっていう、優越感に浸りたいのかしら」


 土魔法を舞台の下に潜り込ませ、足場をグチャグチャとかき混ぜて尖らせる。裸足のルピナスに突き刺さるようにして、二つ目。自ら進んで奈落に落ちながら、それを哀れまれたい女と、彼女を助けようとした馬鹿な男の話。


「みんなもよく覚えておきなさい。彼女、被害妄想が激しいから、些細なことですぐにいじめられたって被害者ぶ」


「違う!違わないことも、あるけど、違う!」


 最後に虚空庫から取り出した五本の鉄棒を撃ち出しながら、これからするであろう行いを会場中に警告しようとして、ルピナスにどちらも止められた。鉄棒は落石魔法に押し潰され、警告は声にて打ち消され。


「なにが違うって言うのよ。なにも違わないじゃないの。あなたの言ういじめだって、どうせ勘違いか何かで……」


「虫を食べさせられたことも?炎魔法を、身体に押し付けられたことも?」


 魔法を撃ち落とし合いながら、物理攻撃を押し通そうとしながら、周囲の目も耳も忘れて、ルピナスは過去を打ち明ける。虫を見ることすら嫌になった出来事だった。今なお、腹部や背部に火傷が残ることだった。


「……そ、それは」


「知らなかったって顔、やめてよ!本当に知らなかったなら、勘違いなんて決めつけないでよ!」


 学年が違うとはいえ同じ学校。だからプリムラは、ルピナスを見てきたと言った。だが、生徒は子供ながらに知恵があり、悪質でもあった。プリムラが知っていたのは仲間外れや無視、あとは「魔法の枠がなくなる病」程度。本当に酷いそれ以外のものは、姉に知られないように行われていたのだ。


「私は魔法の枠がない!陣がなかったら抵抗できないの!」


 両腕を抑え付けられ、虚空庫を封じられれば、使えるのは障壁のみ。しかし、障壁は物理か魔法のどちらかしか防げない。故に、虫を口に、腹に炎魔法を同時に押し付けられたのなら、どちらかを食らうしかないのだ。


「水魔法を飲まされ続けて、窒息しかけたこともあった!覚えてない?私がずぶ濡れで帰ってきた日のこと!」


 それ以上のことだって、抵抗できないのだ。例え死にかけたとしても。死ぬより酷い目に遭わされそうになったとしても。


「じゃあなんで、それを言わなかったの?言ったら誰か助けてくれたかもしれないのに!」


 知らなかった。だが、人間とは万能ではなく、言葉なくして通じ合えるものではない。知らなかったのはルピナスが言わなかったからだと、プリムラは自分を守ろうとして。


「誰かって誰!私にとっては、あの日々にいた全てが敵だった!憎かった!怖かった!誰も、信じられなかった!」


 ルピナスの叫び声に殴られ、その声に込められた感情の量と色に気圧された。果てしない憎しみと怒り、悲しみだった。全てを拒絶し、受け入れないような黒だった。


「いたじゃない!助けようとしたあのブサイクが!その手を取らなかったのは、あなたじゃないの!」


「そう!取らなかった!だって、信じられなかったから!」


 助けようとした人はいたと、当時の妹の心を知らぬ姉が言う。当時のことも全て覚えている妹は、何も知らぬ姉に言い返す。


「ねぇ、助けを選ぶのって悪いことのなの?救いの手は誰彼構わず取らなきゃいけないの?善意は断っちゃいけないの?断ったら排斥するものが、善意なの?」


 救われる側に選ぶ権利はないのか。善意を拒絶することは悪なのか。手を取らなかったルピナスに陰口を叩いた彼を思い出しながら、訴える。


「じゃああなたは、誰に助けを求めてたの!」


「私にも……分からない。ただ、救われたかったのは、嘘じゃない!」


 手を取らなかった理由は、彼がいじめられたのは性格が原因だったこと。そしてなにより、彼の手を取ったところで助けにはならないと、ルピナスが思っていたこと。


「仲間ができることが、そのまま助けじゃない!終わることが助けなの!あいつらみんなが、私と同じ目にあって不幸になることが救いなの!」


 嘘偽りなく、醜くぶちまけよう。仲間ができたからとて、いじめは終わらなかっただろう。ならば意味はない。そうではない。ルピナスが望んだのは終わりと破滅だ。


 なぜ、自分をいじめた人間に罰はないのか。今もなおのうのうと息をして、けらけらと笑っているのか。ルピナスは今も苦しみ、人を信じられなくなったというのに、なぜ彼らは普通に生きているのか。


 全員が全員じゃないにしろ、いじめられる側にとっての救いは、そういうものだ。その程度のものなのだ。


「私のことをこんなにも知らないくせに、勝手に決めつけて……そんな姉さんが、私は大っ嫌いなの!」


 こういうものだ。経験のない者や洞察力のない者に分かってたまるかと、ルピナスはプリムラを突き放した。


「私だって、私のことを決めつけるあなたが嫌いよ!」


「私、が?」


 だが、プリムラも負けてはいなかった。怒りに呼応するかのような炎の壁で石片を焼き払い、改めてルピナスに嫌悪を告げる。


「そうよ!被害者ぶってるあなたよ!」


「でも、私は……」


「いじめのことじゃない!私とあなたのことを言っているの!」


 いじめは間違いではなかった。しかし、そこではない。プリムラがルピナスを嫌った理由は、彼女がいじめられていたからでは、断じてない。


「知ってる?あなたが私にどんな眼を向けてるか。それがいつからか、覚えてる?」


 同じ色の瞳を睨み付けて、ルピナスが気付いているかどうかを確かめる。だが、彼女の目に理解の色が浮かぶことはなく、分からないとばかりに瞬きが返ってきただけ。


「知らないんでしょうね。知らないなら、覚えていることもないんでしょうね」


「……どういう、ことなの?」


「教えてあげるわルピナス。私があなたを嫌ったんじゃない。あなたが私を嫌ったことが、始まりなのよ」


 やっぱり分かっていなかった。ルピナスには分からなかった。だから、プリムラは覚えている始まりを教えた。


 今でも彼女は、小さかった日々を覚えている。一歳下の妹が、毎日どんな眼で自分を見てきたか。そう、それは嫉妬と羨望の、責めるような眼。そんな眼にずっと、プリムラは物心ついた時から見られていた。


「ねぇ、私なにかした?ただ生まれただけよね?枠を二つ持って、ただ生きていただけよね?」


 ルピナスからも周囲からも、何もしていないのに、ただ生きているだけで妬まれた。持って生まれたしまったが故に、嫌われた。責められた。


「なのに周りはずるいと言って、あなたは私に奪われたかのような眼を向けてきた」


 姉は二枠、妹は無枠。確かにここだけならば、姉が妹の分まで持って生まれてきたように見えるかもしれない。だが、よくよく考えて欲しい。後で生まれる者の分の力を、先に生まれる者が奪えるのだろうか。


「偶然じゃない。たまたま私が二枠で、あなたが無枠だっただけじゃない。私、一度も奪おうなんて思ったことなかったのに、みんなは私が奪ったかのように……!」


 双子ならまだしも、ありえないことだ。しかし、ルピナスをはじめとする多くの者達は、その考えには至らなかった。ルピナスがいじめられたように、プリムラも散々な陰口を叩かれた。


「恵まれていることの何がいけないの?何がずるいの?悪いのは、恵まれなかったあなた達でしょう?」


 人は嫉妬する生き物だ。そういう生き物だから、仕方がないことではある。でも、仕方がないからといって、許せるかどうかはまた別の話なのだ。


「……恵まれなかったことを、悪いなんて言わないでよ。私だって、好きでこんな境遇になったんじゃない!」


 恵まれなかった者が悪いと言ったプリムラに、ルピナスは彼女の言葉を借りて反論する。そうだ。ルピナスだって、普通を望んでいた。こんな辛い人生、望んでいなかった。


「そうなの?可哀想が好きなあなたは、望んでいるものだと思っていたけれど」


「確かに、私は可哀想な自分に浸っていた。でも、それしか、喜びがなかったから!」


 プリムラの切り返しは、間違いではない。可哀想には、ぐじゅぐじゅとした退廃的な快楽がある。恵まれない人間に許された、数少ない浸れる悦。ルピナスも例に漏れず、そこに逃げ込んだ。


「でも、だからなの。私は自信が欲しい。私は私を、可哀想とは思いたくない!」


 ずっと前から分かっていた。でも、その快楽は強力で中毒性があって、やめることはできなかった。あの人に、会うまでは。あの人に誘われ、変わるまでは。


「姉さんを倒したいなによりの理由は、私が変わる為!あなたに勝って私は自信を手に入れて、これからは胸を張って生きたいから!」


 そうしなければ、あの人には並べない。そうしなければ、ルピナスは一生自分を可哀想に追い込み続ける。胸を張って、生きられない。だからルピナスは痛みに耐えて、魔法陣を握りしめる。もう限界が近い身体を、必死に意識で叱って動かして、勝利を、自信を求める。


 きっと彼女達の言葉は、正しさも間違いも孕んでいる。二人のどちらが正しいかを決めるのは、極めて難しいことなのだ。


 だが、勝敗は別だ。正しさも間違いも関係ない。簡潔に、綺麗に色が分かれる。白か黒か、はっきりとする。故に人は今まで、争いを続けてきたのだから。


 決着の時は、近い。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ