第27話 どうしようもなくて、仕方ない
避けて、逃げようとする。前者は物理判定の鋼球からで、紙一重で成功。左腕の数cm横を、重い風が吹き抜けた。
後者は白い髪をなびかせる姉と自分の過去からで、失敗。そういうものだ。過去からは、逃げることはできない。いや、逃げようとすればするほど、重く絡みつくものだ。
「しぶといわね。とっとと諦めなさいよ」
不機嫌そうな声を、ルピナスは自らの荒い息の中で聞いた。意味はあまり入ってこない。戦闘中だったこともあるし、思い出したくもない過去をたくさん思い出しているからでもある。
「それが本望なんでしょ?負けて惨めで可哀想って、思われたいんでしょう?」
言葉の切れ目ごとに、攻撃が飛ぶ。撃ち出された氷の杭。飛び回る刃の潰された短剣。樹木を穿ち進む風の槍。上空から降り注ぐ鉄の棒。上の木を切り落とす、隣の大木を切り倒すなど、その場で武器を作ることもあった。
「あーあ。手に負えないわ。負けても気持ちいいなんて、ずるくない?」
かろうじて、かろうじてルピナスの防御は間に合った。虚空庫から引っ張り出した新たな左手第二指間腔の土壁が、短剣を。服の暴風が発動者自身を吹き飛ばし、制御の効かない高速移動を。半秒前までいた場所に鉄棒が突き刺さり、飛んだ身体は地に転がった。彼女は受け身すら、取れなかった。
「うぅ……」
擦り切れた掌を見て、彼女は思う。予選開始直後なら、もっと綺麗に防げただろう。受け身も取れただろうし、そもそも受け身を取る必要すらなかったかもしれない。それほどまでにルピナスの魔法陣は今、精彩を欠いていた。
頭の中を、ぐるぐるぐるぐる、様々な思いが回っているのだ。言い訳でしかない言い訳。時間が経って、真実か捏造かあやふやにした記憶。否定したい熱情と、否定できない冷たい自分。
「あ……」
ある存在によって、思考が現実へと引き戻される。這いつくばったルピナスの視界でもぞもぞと動く、芋虫だ。ああ、彼女の動悸が激しくなる。
「……食べれない。食べれないよ」
森の中だ。芋虫くらい、いて当然だろう。何も驚くことはない。ここに彼らはいないし、強いられることもない。だから大丈夫だと、ルピナスは青い顔で己に言い聞かせて、立ち上がる。
「ねぇ、まだやるの?」
「……」
「なんか言いなさいよっ!」
「あうっ!」
予選開始から、一体どれだけの時間が経ったことか。かつての記憶をプリムラにほじくられて、何分経ったことか。分からないが、変わらない。ルピナスの強さの源である精密性を欠いて、よくもまぁプリムラ相手に耐えれていることは。
大量の魔法陣を消費した。使わなければ負けるから、高品質な魔法陣も湯水のごとく使った。
「どうせこのまま続けても、負けは見えてるのに。ほら。早く諦めなさいよ」
でも、これだけしてルピナスにできたのは、耐えることだけ。大怪我はないにしろ、それでも彼女の身体はボロボロで、服は破けて泥だらけ。先述の通り、仕込んだ魔法陣もほぼ使い果たしている。
そして何より、これだけの努力と消費をしてなお、現在のルピナスに得点は無かった。出会う小鬼は全て姉に横取りされ、彼女の得点と銅貨になった。
「これ、で……!」
「煙幕?意味ないっての」
発動した煙の陣も、プリムラが発動させた暴風を前には一秒ともたない。白に染まったはずの視界は瞬く間に晴れ渡り、すぐに捕捉されてしまう。このように、彼女から離れて新しい狩場に行こうにも、それは許されず。
ただただ、時間だけが過ぎていく。ぐちゃぐちゃになった心の中に、焦りが混じる。正確さを求める気持ちが、逆に正確さを失わせる。どう足掻いても頑張っても、状況が好転することはなく。
「……やっぱり、ダメなのかな」
どうしてもなくて、悲しくて、涙を流して、また昔に戻ってしまう。精一杯の努力をした。自信をつける訓練もした。でも、上手くいかない。頑張ったってこの程度。挑むだけ無駄だった。そう思うルピナスが、確かに彼女の中にいるのだ。
「白馬の王子様は遅刻かしら?それとも浮気かしら?まぁ、当然よね。こんな根暗で面倒臭いお姫様なんて、捨てるわよねぇ?」
最初の三十分は、他の参加者と遭遇することもあった。しかし皆、プリムラを見ると逃げてしまった。いや、例えプリムラがここまでの強さを持っていなくても、彼らはルピナスを助けることはなかっただろう。
「あの仲良し剣士二人組も来ないじゃない。やっぱり、あなたって一人なの?」
助けてくれそうなのは、ザクロ、サルビア、プラタナスの三人だけ。だが、彼らとは一度も出会うことはなかった。弱い自分が、足を引っ張ってでもこの内の誰かとと共にいた方が良かったと叫んでいた。
「私、やっぱり……」
嫌になる。何もかも忘れ、布団の中でうずくまりたくなる。辛いのは嫌で、負けるのも嫌。見下されるのも馬鹿にされるのも、いじめられるのも本当に嫌で。そして、失望されるのも。
もう、切り札を使ってしまおうか。このまま何もせずに負けるくらいなら、いっそ。そうすれば、もしかしたら、姉の袋の陣を破壊することができるかもしれない。それは、姉への勝ちと呼べるかもしれない。いや、それしか道はない。
ここで、決める。ここで、成す。
「……おねが」
「信号弾!?」
ルピナスがある魔法陣を取り出した瞬間だった。空から音がして、黄色の光が弾け飛んだ。運営側からなんらかの連絡がある場合の色だ。
「な、に?」
だまし討ちをするほど、ルピナスは落ちていないし賢くはない。姉に釣られて空を見て、続いて上がった信号弾の色から内容を読み取る。
「あはははははははははは!あははははは!終わり、終わりだって!あなたの得点、無し!お・し・ま・い!」
「う、そ……だって、まだ、時間は」」
それは、合図にして連絡。現時刻をもって予算を終了するという、ただの魔法の光。
「お願い!あと、少しだけ……待って……」
そういうものだ。例え誰かが得点0でも、誰かが今から本気を出そうとした瞬間だったとしても、ルールには関係ない。感情も私情もなく、ただ公平に機械的に振るわれるものである。
「私。私、何も返せて……」
「知らないわよ。で、あなたの負けね。得点なしのあなたはここで敗退!ほんと、残念!」
誰の事情も知ったことがない、無慈悲なものなのだ。
そしてまた、その直後。
「まさか、もう戦いになっているとは」
「あらぁ?遅かったじゃない。白馬の王子様」
勝ち誇った笑みを浮かべるプリムラに、泣き崩れているルピナス。その周囲に残る、無数の破壊の跡。壮絶な姉妹喧嘩の現場に、プラタナスが到着した。
「……私の予想が間違っていたようだねぇ。いや、予想というよりは、希望的観測だったか」
「そうよ?残念だけど、予選はもう終わったわ。この出来損ないの生き損ないは、失格になったの」
「……君は少し黙っていたまえ」
「あらら!お怒り?でも、いいわよ?私今、気分いいから、邪魔しないであげる。後は二人でごゆっくり、傷を舐め合って慰め合いなさい」
そうして、死体を蹴るプリムラに煮え滾る溶岩のような視線を向けた後、声を聞いてびくりと震えたルピナスの方へ、ゆっくりと歩いていく。その間に、プリムラは鼻歌を歌いながら悠々と、勝者の凱旋とばかりに去っていった。
「ルピナス」
「……」
膝を抱え、決してこちらを見ようとせず、泣き続ける少女。優しく呼びかけるも効果はなく、心を閉ざす体勢は変わらず。
「すまなかった。遅くなってしまった」
「……いえ、先生は、悪くありません。私が、もっと、強ければ……」
それでも、プラタナスが謝れば。それは違うと、悪いのは自分だと、顔は上げずに彼女は返し。
「昔のことを言われて、違うけど、事実でもあって、辛くて、集中、できなくなって」
俯いたまま、震えて濡れた声で、報告と謝罪は続く。一切の偽りなく、ただあるがままに、全てを。それをプラタナスは、黙って聞いて。
「切り札、温存して、私、何もできなくて……一匹も
小鬼、倒せなくて……!ごめんなさい。期待してくださったのに、応えられなくて……!」
そして、その果て。ついに上げられたルピナスの顔は、涙と悔しさと悲しさと、不甲斐なさと申し訳なさでぐしゃぐしゃだった。
「私、負け、ました……!ごめんなさい……!ごめん、なさい……!」
負けてしまってごめんなさい。期待に応えられなくてごめんなさい。強くしてくれたのにごめんなさい。弱くてごめんなさい。失望させてごめんなさい。
気を使い過ぎるようになってしまった少女は、多くの理由を見つけ、その都度謝るのだ。何度も何度も謝り続け、近づいてきた彼の反応に怯え、また悲しみを深くして、
「言いにくいことだが」
「いえ、大丈夫、です……先生を、失望させたの、ですから……もう二度と、目の前には……現れません……!もし、死ねというなら、すぐにでも……」
「いや、違う。君は負けていない」
「……え?」
どんな罰でも受けるに値する。そう思い、自らの命を差し出そうとしたルピナスは、プラタナスの言葉に固まった。
「むしろその逆。君は本戦に出場する」
「……先生?」
追加された情報に、崩れた顔で彼を見上げ、鼻をすすり確認を取る少女。
「やめて、ください……嘘でも、嬉しいですけど、辛い、です……」
でもそれは、とても信じられることではなくて、ルピナスは首を振って、優しい嘘はやめてほしいと懇願する。それならいっそ、残酷に真実を突き付けてくれた方が楽だと。
「嘘ではないとも。本当のことだからねぇ」
「……分かり、ました。これが私への、罰なんですね」
「いいや違う。私の名前と魔法への愛に誓って、真実だ」
否定するプラタナスに、ルピナスはまた顔を埋めて、彼女に染み付いた捻じ曲がった受け取り方を。だが、それをまた彼は否定して、命よりも大事なもので誓って、断言する。
「…………え?どう、いうことですか?」
そこまで言われたのなら、ルピナスは顔を上げ、信じ始める他になくて。でも、例えそれが真実だとしても、なぜ真実足り得るかは分からず、彼女は問う。
「君はもう一度、あの女に挑める機会があるというわけだ」
「だから、その」
「そうだねぇ。感謝するなら、あの二人に、かねぇ」
しかし、プラタナスの答えは答えになっていなくて。あの二人と言われても、ルピナスに思い浮かぶのはこの場にいないザクロとサルビアだけで。だが、なぜ二人が出てくるのかも分からなくて。
「拠点に戻りながら、ゆっくりと説明しよう……立てるかい?」
「……は、はい。立て、ます」
プラタナスに手を引かれて立ち上がり、とりあえずは拠点に戻ろうと。
そしてその道すがら、彼女は聞いた。この予選終了の、本当の意味を。
時は戻り開始直後。違うスタート地点の拠点、それぞれの箇所にて。
距離を取る為。参加者への攻撃は一分間禁じられている。妨害されない間に、出来る限り多くの得点を稼ごうと、彼らは合図と同時に一斉に森の奥へと走り行く。
ある者は小鬼の群れを見つけ、炎魔法で耳を残して焼き払う。ある者は斥候と思しき小鬼を追い回し、本丸を探す。そして片眼鏡の男は索敵などせずに、適当な範囲全てを凍らせ、乱獲していた。
これが、妨害なき一分の間の出来事。おそらく、既に小鬼は五十匹近く狩られたことだろう。四時間の時間があるのに、もう八分の一。早過ぎるペースだ。だが、教師陣の思惑を推測すれば、これは何ら不思議なことではない。
さて、話と視点を彼らへと戻そう。開始一分の間、一匹の小鬼も狩らなかった男達である。ただただ、人間の多い方へと進んで行った、二人の少年である。
そして、一分が過ぎた信号弾と同時、彼らは剣を引き抜いた。別々の拠点からのスタートで、遠く離れた位置にありながら、彼らの行動は完全に一致していた。
「はぁ……くそっ!あの一年、横取りしやがって!俺は二年だぞ!先輩だぞ!もっと敬……へ?」
「一人」
見つけた獲物を奪われた怒りで地団駄を踏み、草を荒らしていた男。彼の腰にぶら下げられた袋の魔法陣を、一筋の光が斬り裂いていった。
「ちょっ……!?はっ!?俺は今得点無しだぞ!ふざけんな!なんの得もねぇだろうが!」
男は斬られた直後、現実を受け止めきれず呆然と。なんとか理解した後は、去っていく銀のふわりとした髪を指差して抗議を。
「なんとか言えよ!おぼっちゃまが!」
貴族に対して強気な物言いだが、無理もない。今彼を斬ったところで、得点は入らないのだから。ならば、彼を得点無しと知らずに斬ったのか。いいや、それは違う。得点有りだろうが無しだろうが、彼らは構わずに斬ったとも。
「すまない。それと、今の魔法は見なかったことにする」
そう、後ろからの失格者の炎弾を、剣で振り向きながら斬り裂いたサルビアは。そして、今は別の場所にいるザクロは、そんなこと御構い無しに、斬ったとも。
「……一体、なにが目的だってんだよぉぉぉぉぉぉ!」
説明をそのまま受け取り、この戦いを単なる小鬼狩り競争としか捉えていなかった純粋な二年の先輩の慟哭が、森に木霊した。
「え?わわっ!?」
「二人」
それを背中で聞きながら、サルビアは二人目を捕捉。一気に距離を詰め、迎撃される前に袋を斬り裂き、終わらせる。中からポロリと零れ落ちた、価値にして銅貨十枚程度の耳を見て、
「……え?俺、もう失格?」
「目的、か」
もう負けた男の言葉は聞かず、ぽつりと。誰に聞かせるわけでもなく、無意識の内に。その溢れた呟きは一箇所に留まらず、すぐさま三人目目掛けて移動する。
「へっ?いやぁ!来ないで!」
「三人」
サルビアは強い。この大会の参加者で相手になるのは、ほんの数人程度。他は、斬ろうと思えばすぐに斬れるものである。ましてや、本気のサルビアの剣を前に、常人が数秒ももつことはない。
「さぁ!もっともっと狩って本戦へ……って、あれぇ!?サルビア君!?」
「四人」
男も女も先輩も同学年も、教師すら関係ない。彼の剣はただ斬るのみ。袋を斬って中身を溢させ、他の参加者を失格にさせるのみ。
「五人。六人」
実に合理的な方法だった。よくよく考えれば、分かるはずのことだった。首を傾げるのは、気付いていない者達だけ。
「六人!?まさか、人を狩ってるってのか!」
ああそうだ。サルビアとザクロは、小鬼ではなく人を狩っている。得点なんて関係なしに、本戦参加枠の十六人まで減らす為に。
「気付くとは、さすがだねサルビア君。僕は前から君に目を付けていたんだ。さぁ!真なる狙いに気付いた者同士、存分に」
「八人」
そもそもの話だ。いくら互いの妨害がないからといって、開始一分で小鬼が五十匹近く殲滅するような強さと人数に、四百匹で四時間の設定はあり得ない。いくら広くとも、余裕があり過ぎる。一時間でも充分と言っていい。
なのになぜ、四時間か。余った時間で、なにをさせるつもりだったのか。決まっている。そこからが本当の予選、乱戦だ。
得点はあくまで、四時間経った時に十七人以上残っていた時、もしくは一気に数人失格となり、人数が足りなくなった時の保険のふるいに過ぎない。
ザクロ曰く、前回の予選は一部の参加者が前代未聞急に強過ぎたせいで、数十人単位での失格が同時に発生。その結果、残り人数が本戦の枠に届かず、誰を選ぶかで多少揉めたらしい。
小鬼狩りは、その反省を活かした追加要素。だが、この予選の本質は変わらず、参加者対小鬼ではなく、参加者対参加者なのだ。
故に小鬼を殺さず、小鬼に夢中になっている参加者を失格にさせることは、極めて合理的なのである。
「人間は、どこだ」
だがしかし、サルビアは。合理性など、特に考えてなどいなかった。彼が考えるのは、そう。
「九人」
探して、見つけて、真正面から突っ込んで、飛んできた炎の槍をかわして、斬った袋のその中身。血に濡れた耳を見て、その耳があったはずの小鬼の死体を見て、サルビアは顔を歪める。
彼は小鬼を殺したくないから、人を狙っていた。いや、小鬼になるべく死んでほしくないから、枠の十六人まで失格させることによる、早期の予選終了を狙っていた。
だって、そうだろう。枠の十六人が決まれば、これ以上予選を続ける意味はない。小鬼が残っていようがいまいが、そこで予選は終わる。
これが、ルールを聞いたサルビアとザクロが思いつき、実行に移した作戦。小鬼の命を奪えない自分達の為、そして、遊びのように小鬼を狩るのは間違っていると思ったが故の、子供の駄々の如き作戦だった。
「……」
人を探すその最中、当然、匹とも出くわすこともある。貧相な布を纏い、木の棍棒を持ち、威嚇する、耳を塗られた小さな魔物。サルビアにとってそれは、いともたやすく斬れるもの。
「……ここから逃げろ。もしできるなら、南に行け。そこにライソニアはある」
でも、彼は斬らず。人は何人も数えても、小鬼は一匹も数えることはなく。通じないであろう言葉を投げかけて見なかったことにし、次の人間を探しに駆ける。
目を逸らすように、袋の魔法陣だけを狙って。彼は苦しい剣を振るっていた。
同じ行動を取るザクロだったが、ただ一つ、サルビアと違う点があった。それは、
「先生、協力してほしいんだけど、いい?」
「何かね?ザクロ君」
人狩りを中断し、プラタナスとの交渉を試みたことだった。既にザクロが到着した時点でもう、彼の袋ははずっしりと重く。当然だろう。だってザクロがプラタナスを発見できた理由は、彼の魔法による血と破壊塗れの道を辿ってきたからだ。
「私は手早く安全圏まで稼いだ後、愛弟子の援護に回ろうとしているのだが」
「だと思った。だから、その、無理そうだったら、いいです。でも、先生にも利はある話といえば話だから、聞くだけでも」
「……ふぅむ。いいとも。話したまえ」
プラタナスの目的は単純明快。自分とルピナスの本戦出場である。その為に彼は急ぎ、得点を荒稼ぎしていた。だからこそ、そこに付け入る隙はある。
「俺は早く予選を終わらせたい。だから、小鬼より先に人を狩りたい」
「なるほど。そうすれば、我が弟子とあの忌まわしき女が鉢合わせになる可能性は少なくなるわけだねぇ」
彼は賢い。ザクロがほんの少し触りを話しただけで、話のほぼ全容を理解してくれる。互いに急ぐ今、手間が省けるのはありがたいことだった。
「理由は、小鬼を殺したくないからかねぇ?」
「っ!?」
少し訂正しよう。全容より多くを、プラタナスは掴んでしまうことがあると。それはなにも、ありがたいことだけではないのだと。
「図星のようだねぇ。まぁ動龍骨以来、君達二人が小鬼という単語の度に妙な反応をするもんだから」
「気付いて、いたんですね」
「何があったかまでは知らないがねぇ?何かがあったことは知っているとも」
満足そうに何度も頷くプラタナスに、ザクロは苦虫を噛み潰したような表情に変わる。確かに動龍骨戦からの帰還以降、この片眼鏡の男はやたらと小鬼の例えを使ってきたのだ。今思えばそれは、悪趣味な遊びだったのだろう。
「ま、私は何があっただとか、理由だとかは特にどうでもいい」
「なら」
「ああ、提案に乗ろう。ただし、ルピナスの危ない場面に出くわした時はそちらを優先させてもらう」
「……もちろんです」
だが、プラタナスの関心はルピナスとその姉のみ。その二つに利があると認めた彼は、ザクロの提案を条件付きで呑んだ。
より効率良く狩る為に、二人は別々の方角へ。こうして散らばった人狩り専門の三人と、この予選の意味に気付いた者によって、失格は増えていく。
サルビアと同様、ザクロとプラタナスの強さもまた一騎当千。僅かながら抵抗はできても、見つけ次第袋を破壊されてしまう。むしろ手間取ったのは、十キロ四方の戦場の広さ故の、参加者の発見の方だった。戦闘時間よりもずっと、探す方に時間がかかったのだ。
だがそれでも着実に進み、残り人数は十六人となり。袋の魔法陣の反応を監視していた運営側によって、信号魔法が打ち上げられた。本来の予定終了時間の半分以下、開始から約一時間半のことである。
それから少しが経って。
「はああああああああああああああ!?なんでっ、ルピナスが!得点無しのくせに、予選を通過してるのよ!」
拠点へと帰還し、結果を見たプリムラは、それはもう大層喚いていた。額を抱えたり、結果の張り出された木魔法の板を指差したりしながら、周りもはばからずに大声で。
「あの教師!どんな汚い手を使ったの!?いくら積んだの!ねぇ!答えなさい!」
最後は近くの教師に近寄り、首根っこを掴んで揺さぶり、訳を聞き出そうとする始末。その怒りたるや、彼女の魔力が大気を震わせるほど。
「お、落ち着きたまえプリムラ君!違う!違うんだ!残り人数が十六人になったから、予選が終了になったんだ」
「……なんですって?」
しかし訳を聞けば、その震えは収まった。もしも教師の言葉に嘘がなく、プラタナスもルピナスもなんの不正もしていないというのなら。単に十六人になって、予選が終わったというのなら。
「得点無しでも、生き残りは生き残り?出場権は、ある?」
失格よりも、得点無しが上だというのなら。
「……」
それは全て、仕留めずにいたぶり続けたプリムラの失態に他ならない。その気になれば、ルピナスを失格にできたのに、より絶望させようと遊び続けたプリムラ自身が。
「あのぉ、プリムラ君……ひぃ!?」
怒りは消えた。代わりに湧き上がるのは、理不尽な殺意。己の失敗であったのに、それを認められず。また、その結果によるルピナスの本戦出場と許せず。拳は震え、大気は悲鳴を上げ、声をかけようとした教師は、恐怖に慄いた。
「次は、ないわ。手加減もなしで、潰す」
どす黒い、全てを燃やし尽くすような激情が、そこにはあった。
そしてまた、別の拠点にて。
「……終わったなぁ。とりあえず、予選突破おめでと。サルビア」
「ああ。先輩こそ、おめでとう」
先にいたザクロがサルビアを迎え、拳と拳を合わせて労い、祝い合う。だがその表情は重く、暗く、罪悪感に満ち満ちていた。
「何匹、残ったんだろうな」
「さぁ、な」
サルビアのスコアは55、ザクロは72と、プラタナスの78に次ぐ高得点である。だが、二人の得点の中に、自身で得たものは一点たりとも存在しない。存在しないが、これだけの得点があるということは、それだけの小鬼が殺されたということ。プリムラの42やその他を合わせれば、300前後。そこから更に、上手く剥ぎ取ることができなかった耳も含めれば。
「残った小鬼は一体、どうなるんだろうな」
「あら?残った小鬼が心配なの?」
ザクロがふと、疑問を口にした時、並んで話していた二人の間に、見たことのない女騎士が割り込んできた。おそらく、不測の事態に備えて学園に雇われた騎士の一人だろう。
「あっ、ええ、まぁ」
「そこまで気が回るなんて優秀ね……でも大丈夫!確かに予定外だったけど、私達が責任をもってしっかり駆除するから!」
そうだ。不測の事態だ。例えば、小鬼が残ってしまうとか。そういう事態に備えて、騎士はここにいる。金属に覆われた胸を叩き、任せてと笑っている。
でもそれは、サルビアやザクロにとってはとても、受け入れがたいことで。
「浮かない顔してるけど、君達まだ若いんだから、いくらでも機会はあるわ!頑張ってね!」
その表情を、敗退したが故のものと勘違いしたのか。最後まで二人の真意に気付かぬまま、女騎士は 励ましを残し、小鬼を殺しに去って行った。
「……なぁ、サルビア。俺らさ、こんな遊びみたいに殺すのは間違ってるって、思ってたじゃん」
「ああ。そう思ったから、人を狙った」
鉄の背中が消えると同時、ザクロが問いかけ、サルビアはそれに頷く。その為に、小鬼を殺させない為に、二人は人を狙ったのだ。
「でも、結局……なにも……」
「……」
だが、なにも変わらなかった。これもまた、よくよく考えれば分かること。ライソニアが異常なだけで、それ以外の小鬼は人類の敵。ならば、例えサルビアとザクロが遊びで殺すのはおかしいと、頑張って生かしたとしても、変わらない。結局は、害獣として駆除される。
「なぁ。サルビア。得点として殺すのと、駆除で殺すの。戦場で殺すことって、なにが違うんだ?」
「……」
「正しい殺しって、なんだよ。結局、行き着く先は……」
分からない。なにも、分からない。言葉では違うくせに、行き着く先は皆同じ。ならば、そこに何の違いが。意味があろうというのか。
おかしいのは、サルビアとザクロなのだ。さっきの女騎士はなにも間違ってはいない。むしろ善人だ。ただ、危ない魔物を狩り、人を守ろうとしているだけだ。
騎士とは、そういうものなのだ。ならば、魔物である小鬼を生かそうとしたサルビアとザクロは、騎士ではないのだろうか。
二人は、分からなかった。なにも、分からなかった。
小鬼を救うことは、できなかった。どうしようもなくて、仕方のないことだった。
でも、だからといって割り切るには、あまりにも。




