第26話 良くも悪くも、血は水よりも濃し
良い朝だった。
使用人が用意してくれたお香は、実によく効いた。ぐっすり眠れて、時間通りにぱっちり目覚めて。いつもの天井が真正面にあって、燃えるような朝焼けが室内に反射していて、綺麗に思えた。
「……いい」
身体を起こして窓を見て、心のままに呟く。ああ、そうだ。目覚めも良ければ、気分も良かったのだ。
昨日の楽しさがまだ残っていて、胸の中がふわふわしている。今日の予選は楽しみで、明日の本戦はもっと楽しみで、今からでも心臓が高鳴る。なんと贅沢な三日間なのだろう。贅沢尽くしの貴族生活でも、今までにこれほど贅沢を認識したことはなかった。
家を出てからも、この気持ちは続いていた。待ち合わせの酒場でザクロと合流して、ベロニカと三人で、目を覚ましかけている街を行く。
アイリスとは何時に合流するだとか、去年の予選はごった混ぜの乱戦だったとか、プリムラやプラタナス先生とはどう戦うべきだとか。そういったことを話していたら、いつのまにか学園に着いていた。
予選出場者は早めに集まるようにと、数日前から連絡されていた。だから、今はまだ夜が明けてすぐ。だというのに、校門の前には既に入場者の列ができていた。
その列の横を、サルビア達予選出場者や、模擬店の準備の生徒が悠々と、時にぱたぱたと駆けて行く。受付で名前を告げて、中庭に行くように言われて、指示に従って、参加しないベロニカに手を振った。
「去年と変わらず、ここで発表か。こりゃ内容も同じかな?」
そして、見えた。緑の芝生の上に、高い木魔法の台が一つ。その周囲には、男女に生徒教師入り混じった出場者。ざっと九十〜百人といったところだろうか。皆、形は違えど野心に燃える者達である。
「多いように見えるが、去年よりは少ないのか?」
「お前にプリムラ、プラタナス先生そして俺が出るってんだから、そりゃ減るわな」
だが、その数は去年より減ってしまった。理由はザクロの言う通り、数人の怪物達による強さの牽制。むしろ、これだけ出る方が驚きだといえる。
「ま、大方本戦出場狙いだろうよ。それだけでも各界の目に止まる」
とはいえ優勝がいかに困難なことか、彼らはよく理解している。故に狙うは予選の突破、あわよくば表彰台といった者がほとんどだった。
その作戦は、別に悪いことではない。身の丈に合った目標を掲げているだけだ。客観的に見ても、サルビア達と大多数の生徒にはそれだけの差がある。
「……そうか」
だが、初めから試合を投げていることもまた事実。落ち込むサルビアだが、ため息は吐かず、三文字の言葉で後を飲み込む。半年前の彼なら、「根性なしめ」などと口にしていたことだろう。
「おい、あれ……」
「ああ。やっぱり出るよなぁちきしょう。これで席が二つ減ったよ」
その時だった。後方の生徒が、サルビアとザクロの到着に気が付いたのは。情報とざわめきは瞬く間に伝わり、ある者は指を示し、ある者は悪態を吐く。でも、サルビアもザクロも何も言い返さずに耐え、知っている顔を探す。
「あら、よかったわ。ちゃんと逃げずに来てくれたのね。心配してたのよぉ?」
「……プリムラ」
短い白髪、鋭い眼の少女はすぐに見つかった。なにせ、彼女の周りだけ不自然に空間が空いているのだから。こちらを見つけたプリムラは、勝手に道を開けてくれる人混みを悠々と歩いてきて、
「まだ私の本気を知らないサルビア様はともかく?去年ボコボコにされたザクロが、都合のいい風邪をひかないかどうか、もう心配で心配で」
ザクロとサルビアの目の前で立ち止まる。そして顎を上げ、二人よりも低い位置から見下し、いやらしい笑みで煽った。
「いやぁ、去年ボコボコにされたからこそ、今年は絶対勝つって思うんじゃん?」
「やだー!それって敗北者の思考じゃない?私、ボコボコにされたこととか、一度も無いから分かんなーい!」
肩をすくめ、その裏で闘志を滾らせ返したザクロを、プリムラは更に煽る。高い声を間延びさせ、手で口を抑え、必死に笑いを堪えるように。
「いやぁ。案外今日、分かっちゃうかもよ?」
「……もう一回、叩き込んでやるわ」
だが、ザクロは怒ることもなく不敵に笑い。煽りが不発だった上に逆に煽られた白の魔女は、眼を憤怒に見開き、橙色の少年を睨みつける。
「そういえば、お前もよく来たな」
「は?あん……サルビア様、私が逃げるとでも思ってるの?」
「いや、それもあるがな?美女決定戦に呼ばれていなかったことで寝込んでないか。気が気じゃなかったぞ」
「……ちょっと待って。あんた、あの場に、いたの?」
しかし、サルビアの言葉に彼女は、その憤怒すら忘れてしまった。頰を引くつかせ、眼を瞬かせ。あれだけ大声で叫んでいたなら学園中に聞こえていただろうな、まさか知られていたなどと、本人は夢にも思わずに。
「顔と強さと傲慢さだけが取り柄なのに、参加賞も貰えないとは哀れで仕方がなかった」
「…………あんた絶対殺す。あの出来損ないと緑眼鏡の次に、殺す」
「やはり、いい。それくらいの気持ちで来てくれ」
可哀想にと、ふぅとため息を吐いたサルビアに、プリムラの怒りは殺意へと昇華された。噛み締められた歯の音が聞こえる程の激情に、周囲の人だかりが更に距離を取る。だが、剣に魅入られた彼は嬉しそうに手招きするだけで。
「必ず本戦に来なさいよ。裸にひん剥いて晒して、四肢を千切って殺すから」
「ああ、楽しみだ」
この煽り合い、どちらが勝者でどちらが敗者かなど、誰の目にも明らかだった。だがそんなもの、戦いによってすぐに覆る。故にプリムラはこの続きを本戦に預けたと捨て台詞を残し、去っていった。
「お前、よく言うなぁ」
「先に言ってきたのはあっちだ。それに、あれくらいの方が張り合いがある」
明らかに苛立っている彼女の背中を見送りつつ、ザクロはサルビアに尊敬と畏怖の眼を向ける。相手を殺意に至るまで怒らせ、戦いに集中させようなど戦闘狂の発想以外、何物でもあるまい。
「分っかんねぇなぁ……あ、始まるぽいぞ」
「あ、プラタナス先生とルピナスだ」
「まじ、どこ?」
一悶着終え、ザクロが前方の空気の変化を感じ取ったその時、サルビアが二人を発見した。プリムラとの遭遇を避ける為か、少し離れたところでこちらに手を振っている。
ああ、まだこの時までは、サルビアもザクロも良い気分だったのだ。自分が予選に苦戦するなどあり得ないと、心のどこかで思っていたのだ。本戦に行って当たり前だと、思っていたのだ。
内容の発表を、聞くまでは。
「予選出場者の皆さん、おはようございます!」
手を振り返した同時、ちょうど台の上に人影が姿を現した。実行委員を名乗る、二年生の女子生徒だ。放送慣れした拡声魔法が、全員の耳に行き渡る。
「さて、早速ですが本題、競技内容の発表です!」
どうやら、少し時間も押しているようで。挨拶もそこそこに、いきなり内容が明かされる。
「本年の予選は、『森の中で小鬼狩り競争』です!」
そうだ。それは、一般の参加者にとっては普通で簡単で、多少弱くとも運によってはチャンスのある、いい予選で。
「は?」
「……うそだろ?」
ザクロとサルビアにとっては、余りにも残酷な内容だった。
「では、説明します!今から皆さんには街の外の森に移動してもらい、小鬼を狩ってもらいます!ただの小鬼ではなく、学校側で一度捕獲し、耳に特殊な塗料を塗って解放した小鬼をです!」
驚愕。現実かどうか疑う二人を置いてきぼりに、実行委員の話は進む。それを聞いても間違いない。どう解釈しても考えても足掻いても、小鬼狩り、小鬼殺しだ。理解できた二人は、俯いた。
「そして今から、専用の袋を配布します!これまた特殊な塗料を塗られた袋でもあり、狩った小鬼の耳を入れる袋でもあり、皆さんの弱点ともなる袋です!」
「弱点?」
「そうです!弱点です!この袋に描かれた魔法陣を破壊されたら、その人は失格です!更に更に、今まで稼いだ得点は全て、魔法陣を壊した方に移動します!」
顔が上がる。弱点というルールを聞いたその時、二人の脳にある考えが浮かんだからだ。
恐らくこのルール、本来は広範囲殲滅に長けた者の多い魔導師と、接近戦主体の剣士の差をある程度なくす為に設けられたものだ。設けずに予選を行えば、小鬼を狩る速度から考えて、突破者のほとんどは魔導師になってしまう。
そこで、魔法陣破壊による奪取という新たな得点方法を、全員に与えたのだ。小鬼を狩って得点を稼ぐか、あるいは人を狩って得点を奪うか。前者は魔導師向け、後者はどちらかといえば剣士向けの方法である。無論、別にどちらの方法をとるかは個人の自由。
そう、ルールを守る限り、どう戦うかは個人の自由なのだ。
「この袋ですが、必ず身体のどこか見えるところにぶら下げてください!虚空庫に隠しちゃダメですよ!特殊塗料、時間によって色が変わるんですけど、虚空庫入れたら色が変わらなくなりますからね!一発でバレますから!」
説明は続く。袋をぶら下げる場所の指定。頭や心臓など致命傷になりやすい場所付近への袋は避けた方がいい注意。選手同士の殺しは厳禁。できるなら、重傷も避けるように。例え万が一の事故が起きても、学園側は責任を取らない。
大怪我を負った場合、または負わしてしまったり、気絶させてしまった場合、赤の信号魔法を打ち上げ、近くの監視員を呼び寄せること。また、なんらかの緊急事態の場合は黒の信号魔法を打ち上げること。もしも運営側から連絡がある場合、黄色の信号魔法を打ち上げること。
舞台となる森の範囲と、違反行為がないかの監視役の配置。開始時間に終了時間。狩った小鬼は数に応じてしっかり報酬が出る。事前に狩っていた小鬼の耳を用いても、塗料の有無ですぐにバレる。違反行為は一発失格などなど。
「こんなものですかね!さて、では森に移動してから、開戦です!本戦の十六枠を競って、皆さん正々堂々頑張りましょー!」
締めの言葉の後、係員による誘導が始まった。まだ冷たい朝の空気の中、参加者と関係者が熱気を伴い、指定された森へと移動を開始する。
「……サルビア」
「ああ、先輩。分かってる」
その中で、ザクロとサルビアは顔を見合わせ、沈痛な面持ちで頷き合ったのだった。
会場となる森は縦横十kmと広大に。放たれた小鬼の総数はおよそ四百。どちらもこの日の為に、教員と騎士が合同で、身をすり減らして用意してくれたものだ。
武具の点検や最終準備などの後、開始は午前十時。終了は午後二時と約四時間。これでも余裕をとった方である。この人数ならこの広さでも、小鬼を狩り尽くせることだろう。
さぁそして、今が運命の開始時間の午前十時。四つの拠点に分けられた参加者達が、一斉に指定された区画内に足を踏み入れ、小鬼を探し始める。きっと、彼らの眼に小鬼は得点としか映っていない。
「できる限り戦闘を避けて、小鬼を狩らなきゃ……」
右腰に袋をぶら下げた、ルピナス・カッシニアヌムもその一人である。開始直後、彼女はプラタナスとも他の参加者とも離れるように移動し、息を潜めながら小鬼を探していた。
プラタナスと離れた理由は、彼の得点を食わないようにする為。彼の足を引っ張ることだけは、嫌だったのだ。
人目を避け、参加者との戦闘を避ける理由は、集中砲火を防ぐ為。得点を稼ぎやすい魔導師ながら枠の無いルピナスは、大勢の人間にとって格好の肥え太った餌だ。戦闘の光などで居場所が露見すれば、複数の参加者から狙われかねない。
無論、七ヶ月間の鍛錬によって、ルピナスの戦闘力は大幅に向上している。そこらの参加者に遅れを取るつもりはない。だが、大勢に囲まれればもしももありえるし、何より、
「姉さんとだけは、会わないようにしなきゃ」
予選での姉との遭遇だけは、避けたかったのだ。もちろん、姉との戦いに備えた手札は用意してある。しかしそれは本戦用。予選で見せることはできず、見せない以上、姉に勝てるかと問われたなら、それは怪しかった。
「誰と会わないようにしなきゃですって?」
「っ!?」
まぁそれは、叶わぬ願いだったのだが。
森の中を、風が通る。白い風だ。彼女が自身の出せる最高速で、ルピナスを探していた風だ。そして今、見つけて辿り着き、声を発した風だ。
「こんにちは出来損ない。あなた、目障りなの。ここで終わりなさいな」
風は、いや、魔女は、どす黒い笑みを浮かべていた。プリムラが発動させた土槍が、風によって浮かべられた鉄の短剣が、ルピナスに迫る。正確無比。木に当たるなんてミスはしない。むしろ軌道を分かり辛くする為に、合間を縫って利用する。
「……ごめんなさい。お断りします。姉さん。私は本戦に出ます」
右手第三指間腔の氷槍にて、土槍を。服に仕込んだ風膜の陣にて、短剣を撃墜。その間に魔法障壁を展開しつつ、無傷のルピナスは謝り、宣言を。
「それに、確かに私は出来損ないかもしれないけれど、生き損ないではないです」
そう、宣言だ。欠けて生まれたかもしれないが、生き方だけは、間違ってはいないと。強く強く、両手の魔法陣を握り締めて、強く声を。
「聞いてないし、残念。あなた、生き損ないでもあるのよ?ルピナス。それを今から、馬鹿な妹に教えてあげる」
それに対しプリムラは、虚空庫から陣を引っ張り出して、宣言を否定する断言を。そして、三つの魔法を惜しみなく発動させて、自らの妹に苛烈な攻撃を叩き込んだ。
良くも悪くも、血は水よりも濃い。
プリムラは遊んでいた。三つの魔法枠、数千にも及ぶ使用可能な魔法の数々。それら全てを駆使して、ルピナスを足止めし、妨害していた。
「あらあらあら!もう一時間も経つのに、あなた、まだ一匹も狩れてないじゃない!」
「うっ……!」
二枠にて、ルピナスが発動させた魔法を打ち消し、防ぎ、折を見て攻撃を。残り一枠にて、発見した小鬼をルピナスより先に殺害し、耳を剥ぎ取る。それだけの力の差が、二人にはあった。あってしまった。
「だから言ったでしょ?あなた、生き損なってるって」
生まれた時からの天才と、ここ七ヶ月間の努力。いくら血反吐を吐き、何度も床に転がる激しい鍛錬を重ねても、そうそう追いつけるものではない。ルピナスが物心ついた時から己を鍛え上げていれば、今よりはマシになったかもしれない。だからこそ、生き損ない。
「でも、戦えてる!」
だが、ルピナスは魔法と叫びで反論する。尋常じゃない努力をしたのは七ヶ月間のみ。でもそれ以前に、努力をしなかったわけではないと。少なかったかもしれないし、戦闘目的ではないことも多かったけど、それでも苦労して、磨いてきたと。
灼熱の剣が、木々を溶解させながら突き進む。ルピナスが後出しした土の戦鎚が上から叩き潰し、すり潰して消化。再度飛来した物理の短剣を、左手第二指間腔の土盾が遮る。当然、プリムラも軌道を変えて対応するが、ルピナスもそれに合わせて盾を動かし、防ぎきる。
「まだ私は、負けてない!」
叫ぶと同時、今度はルピナスが攻勢に出る。右手第三指間腔の氷槍を、虚空庫から取り出した短剣を引っ掛けて飛ばす。途中で服に仕込んだ操風によって短剣を分離。氷の槍にてプリムラの土盾を足止めし、本命の物理を向かわせる。しかし、もう一枚展開された盾にて弾かれた。
だが、これは拮抗だ。彼女の努力が示す今だ。普通の二枠と、魔法陣のみによる二枠が拮抗している今という結果だ。最高適性の姉と、一定適性の魔法陣を使用する自分とがなんとか戦えているという、この覆しようがない事実だ。
「手加減だって、分からないの?」
ああ、拮抗しているとも。プリムラが第三の枠を、小鬼に向けている今は。ルピナスを自分との戦場に縫い付け、出くわす小鬼全てを自らが狩ることで、忌まわしい妹の得点を0にしようとしている今は。
全て、全て。より多くの屈辱を味合わせる為。時間終了まで小鬼を一匹も殺させず、心をへし折る為。その為だけにプリムラは、こんな回りくどいことをしているのだ。
「ええ。ええ。確かに少しだけ、認めてあげるわ。思った以上に、面倒だってね」
火花散り、木々が削れ、土は抉れる戦場の中、プリムラは苦虫を噛み潰したように妹の成長を認める。彼女の予想では、二枠だけで完勝できていたのだ。ここまで食い下がられるとは、予想だにしていなかった。
大事に大事に発動することで磨かれた操作性。ルピナスが編み出した、魔法陣のみの効率的な戦闘術。よくもまぁ、手に持つ六枚と服に仕込んだ三十枚近くで、これだけ長時間粘れるものだと。
プラタナスとサルビアが見抜いた彼女の才能が、花開いた結果だった。
「私が三つ目の枠をあなたに向けたら、一瞬で終わるって分からないの?」
しかしそれは、勝敗を変えるほどではない成長。苛立ったプリムラは風刃を仕向け、短剣を飛ばし、その上で試しに三つ目の炎剣を発動させる。
「あっ……ぐっ!」
風刃が、ルピナスの土盾を断つ。すり抜けた短剣を撃ち落とそうと、服に仕込んだ氷壁の陣を展開。だが、短剣より先行した燃え盛る炎剣が氷壁を溶かして道を作る。咄嗟の陣の切り替えは間に合わず、二枠は三枠に勝てず、短剣がルピナスの肩を斬る。
「ほぉら。こんなもの……って言いたいところだけど、つくづく腹立たしい妹ね」
だが、浅い。斬れたのは肩の先2cmほど。触れる直前に服に仕込んだ身体強化を発動させ、身をよじったのだ。痛みを呻きながらも反撃をやめないルピナスに、プリムラは怒りを吐き捨てる。
「三つ目が、なければ」
先程、プリムラは遊んでいると述べた。ああ、間違いない。確かにプリムラは遊んでいる。しかし、その遊びは三つの枠を使わねばできない遊びなのだ。
「三つ目がなければ、勝てないくせに」
「……は?」
異常な精密性で、二枠同士ならなんとか多少不利な拮抗までは持ち込める。ルピナスが切り札を切れば、おそらく押し切れる。そこまでは、成長した。勝敗を分けるのは、プリムラに備わった系統外。三枠目。それさえなければと、ルピナスは同じ色の瞳を真っ直ぐ睨む。まるで、羨むように妬むように。
「あーあ。また、その眼」
突然、プリムラが魔法を止めた。炎剣も氷槍も土盾も操風も、全てぴたりと打ち切った。だらんと力を抜いて下を向いた姉に、困惑したルピナスも一旦魔法を打ち切り、最大限の警戒を。
「嫌になるのよ。それ、ずっとずっと、みんな向けてきて。一番最初に、私を見た眼」
うなだれたまま、言葉が続く。まだ遠くで戦闘の音がする森に、その熱は浸透していく。静かな言葉の、裏にある熱だ。どろどろとした、悪感情。
「そこに触れるなら、いいわ。言ってあげる。もう我慢しない。私、あなたのことがずっとずっと、大っ嫌いだったの」
がくんと首を上げ、白の眼を憎しみに染め、髪を逆立たせ、彼女は魔力を震わせる。今までの悪意が児戯に思えるほど濃密な、悪意。完全なる拒絶の意思。
「……私も、姉さんが嫌い。出来損ないだった私を疎んで、いじめた姉さんが、大っ嫌い」
だが、それはプリムラだけのものではない。ルピナスもまた、持ち合わせるものだ。サルビアやザクロ、プラタナスといる時にはずっと陰に隠してきた、熱だ。
「そこよ。そこ。私はね。そこが、一番嫌いなの」
「え?」
「生き損なっていない?笑えるわ。ほんと、笑える。出来損ないなんかよりずっとタチが悪い生き損ないのくせに、何言ってんだか」
自分に向けられた色も感情も全く同じ瞳に、プリムラはため息を吐いて訂正する。嫌う一番の原因は、ルピナスが出来損ないだったことではなく、劣っているからでもないと。むしろ、生き方の方だと。
「まだ分からない?あなたの悲劇のお姫様ぶってるところが、心底気に入らないって言ってるのよ」
「なに、それ?」
分からないルピナスに、憎しみに顔を歪ませたプリムラが言葉を叩きつける。でも、それでもルピナスは困惑し続けて。いや、それは果たして本当に『分からない困惑』だったのか。
「とぼけないで。薄々気付いてるでしょ?」
「……」
「都合が悪くなるとだんまり。分かったわ。ぜーんぶ、姉の私が説明してあげる」
本当は、『見抜かれた困惑』だったのではないか。追求したプリムラは黙り込む妹に対し、更に追撃を重ねる。
「いじめられてたのは、知ってるわ。でもそれ、本当に全員だった?みんながみんな、あなたをいじめてた?」
「そう。誰も私を」
「嘘。みんながみんな嫌うなんて、被害妄想を甚だしい」
それは、ねじ曲げられた真実を正し、と隠された内心を暴く言葉。まず一つ目は、ルピナスが己にさえ吐いた嘘。彼女の過去を、姉であるプリムラが語る。
全員が一人の子をいじめるなんて、あり得るものの稀だ。大抵は見て見ぬ振りをする者、時には見ていられずに助けようとする者が現れる。故にルピナスは、その稀の中にはいない。
「私、知ってるもの。見てたもの。いじめられてて可哀想な可哀想なあなたに、手を差し伸べた男の子。あなた、彼をどうしたかしら」
「……そ、それは」
「拒絶したわよね。信じられないだとか嘘吐いて」
没落貴族のくせして、両親は貴族だからと金を使い続けて。貧乏極まった姉妹は、同じ公立の学校に通っていた。だから、同じ校舎の中だったから、学年が違ってもプリムラは知っていた。ルピナスのことも、周りのことも、見ていた。聞いていた。
「嫌だったんでしょう?同じいじめられっ子の不細工な男の子じゃ、王子様に相応しいとは思えなかったんでしょう?」
「そ、そんなこと!」
「他にもいたわね。頭お花畑の女の子に、転校してきたばかりでなにも知らなかった女の子。どうしたの?あなたはその手をとったの?」
そして、吐き気を催した。いじめを行う者にも、見過ごす者にも、いじめられるルピナスにも。唯一催さなかったのは、彼女に手を差し伸べた数人の勇気ある者たちのみ。
なぜ、ルピナスが助けを拒んだか。決まっている。分かりきっている。
「可哀想なままでいたかったんでしょう?可哀想から、引っ張り上げられたくなかったんでしょう?」
「違う!私は……!」
「可哀想な自分に、あなたは酔っていたのよ」
ルピナスが、自分を可哀想だと思いたかったからだ。可哀想な自分のままで、いたいと思ったからだ。可哀想は、気持ちいいからだ。
「だから私は、あなたのことが大嫌いなの。助けてと口はでは言いながら、内心では助けの手を選び、お眼鏡にかなわない手は振り払うあなたが」
「……私、そんな、そんなこと」
自ら傷を広げ、腐り落ち、その悦に浸る。せっかくの助けを吟味し、拒絶し、王子様の助けを待つ。不幸のセルフプロデュース。可哀想なお姫様。
「振り払ったくせに、誰にも助けられたことがないなんて勘違いしている、腐り切ったその性根がっ!」
これのどこが、生き損なっていないといえるのか。
「そしてその原因を、私に押し付けるあなたのことが!」
「もう、やめてっ!」
ただ恵まれて生まれただけで、ルピナスの枠を奪おうなどと思ったことのない、プリムラが一体なにをしたというのか。
「私は、大っ嫌いなのよ!」
だからずっと、プリムラはルピナスが嫌いだった。




