第25話 楽しい楽しい一日目
モンクスフードに通い始めてから、サルビア・カランコエは大いに成長した。時間にルーズだった以前は、明け方近くまで剣を振って昼前まで寝ていたりなんてしていたのだ。しかし、それは昔の話で今は違う。
同じ時間に寝てしっかり睡眠をとって、同じ時間にぱっちり起きる。剣が絡まない限り、極めて規則正しい生活を送ることができるようになったのだ。
「ぼっちゃま!ぼっちゃま!朝ですよ!」
だが、今日はどうやら違うようで。いつもの時間に顔を見せなかった主人を起こしにきたベロニカが、何度も何度もノックと呼びかけを繰り返す。
「今日はザクロ様達と一緒に、武芸祭を回るのでしょう!」
今日は武芸祭初日だが、予選は明日から。つまり、今日は特に剣が絡むような予定はない。なのに寝坊とは、使用人達も遠目に眺めにくるほど珍しいことであった。
「一体、どうしたというのですか!いつもならもう起きている時間……もしや、病気……!」
「……違う。遅れた。すまん」
はっ、と。ある可能性に思い至ったベロニカが口を押さえたその瞬間、ゆっくりと扉が開き、中から寝巻きのサルビアが顔を出した。目をこすり、謝りながらである。
「いやしかし、顔色も眼の色も悪いというか」
「寝不足だ。あんまり寝れなかった」
顔は白く、眼は赤く。おまけに目の下のクマは酷くてだるそうで。心配するのも当然といった風貌だが、少年は欠伸を噛み殺しつつ、病気の類ではないと述べる。
「何かありましたか?まさか、暗殺者」
「いや、楽しみで眠れんかった」
眠れなかった原因はネガティブなものではなく、むしろその逆。まるで遠足前夜の子供のように、彼の胸が高鳴っていたからだと。
「……さ、左様ですか。ちなみに、それは明後日の本戦ですか?」
ベロニカにとってその返答は、大いに予想外だった。なにせ、サルビアが楽しみにしているのは明後日の本戦。二日前から眠れないほど興奮しているなど、驚きに値する。
「それとも、今日ですか?」
だが、それ以上に驚く可能性はある。それは剣など一切関係なく、ただ単に彼が友人と共に祭を回ることを、夜も眠れないほど楽しみにしているというのなら。
「さぁな。俺にも分からん」
でも、サルビアはどっちが原因か分からないと言った。
「ただ、どっちも楽しみだ」
だって両方とも楽しみだと、彼は理解していたからだ。
「……それは、良いことです。さぁ!そうと決まれば支度をしましょう!」
最近見せるようになったサルビアの微笑みに、ベロニカの胸中に感情が湧き上がる。それを声に僅かに滲ませつつ、彼は主人の身支度の手伝いをし始めた。最近はサルビア一人で支度していたが、今日は時間がない。
「はいはい。動かないで。サルビア様は忘れがちですが、貴方は貴族ですからね。今日くらいはちゃんと髪も身なりも整えますよ」
「むぅ……なぁ、ベロニカ」
「分かっております。安眠できると評判のお香など、今夜までに用意しておきます」
寝癖を直し、髪を整える際、サルビアはベロニカの名を呼んだ。要望する為である。しかし、長年の従者は最後まで聞かずに、彼の心中を当ててみせた。著しい成長にはついていけないが、それでもこれくらいは分かるものだ。
それに、ある程度はその成長にも対応でき始めている。次の言葉だって、ここ最近のサルビアならこう言うだろうと、ベロニカは既に知っている。
「いつも助かる。ありがとう」
「……やっぱり、慣れませんねぇ。いえ、良いことなんですが」
だからといって、それに驚かないわけでも、違和感を抱かないわけでもないのだ。頭を下げることはないが、感謝はしっかり込められたその礼を、受け取りながら従者は笑う。
ベロニカの手伝いによってなんとか身支度を間に合わせて家を出て、やってきたのは学園ではなく、集合場所のいつもの酒場。
「おーい!サルビア!ベロニカさん!おっはよー!」
「おはよう。先輩」
「貴方は今日も元気ですね。おはようございます」
酒場の入り口の、邪魔にならないよう少し右。そこで手を振るのは、いつもより服も髪もお洒落に決めたザクロ。そして、
「おはようございます!サルビア様!本日は、よろしくお願いします」
「おはよう。今日はよろしくね」
「こちらこそ。大丈夫だ。俺もザクロ先輩もいる」
武芸祭の間、外出許可を勝ち取ったアイリスと、その護衛のマリーである。貴族であると悟られぬよう、アイリスは市井に紛れるような質素な服装。マリーは動きやすさも考えてか、すらっとしたパンツスタイルだ。
「サルビア様、本日は私も同行させていただきます」
「ああ、頼む。そして、すまない」
更にもう一人。アイリスの護衛として、不満そうな女騎士も学祭に参加する。とはいえ彼女も騎士と分からぬよう、変装をしてだが。
「……学祭などという人混み、私は反対したのですが」
不満そうな理由は、彼女が口にした通り。減ったとはいえ、アイリスは今も命を狙われる立場。それが受付をすれば誰でも入っていい大規模な学祭に三日間も参加するなど、反対して当然で、普通はあり得ないこと。
まぁ一日くらいならば、ザクロとサルビア、マリーにベロニカががっちり固めれば、ありえるかもしれない。しかし、二日目三日目は予選と本戦でザクロとサルビアの姿はなく、残る二人だけでは少し心許ない。
「どういう風の吹き回しなんだろうなぁ。サルビアとかベロニカさんはなんか聞いてる?」
「いや、俺もベロニカも聞いてない」
しかし、ある男の申し出によって、あり得ないことはあり得ることに変わった。ロワンも悩みこそしたものの、最終的には三日間の参加を認めたのだ。
「ベルオーネさんも、手がかかって大変ですねぇ。まぁ、もしもの時は当家が全ての責任を負いますし、そもそもこの布陣でもしもなんてないでしょうし」
「そういう油断が命取りなのです!貴方、それでもカランコエ家の筆頭騎士ですか!?」
上が決めたことに、下が快く従うとは限らない。不満で苛立ち、不安で胃をキリキリさせている女騎士に、同じ後継の護衛としてはベロニカが声をかけるが、反応は冷たく。だが、これに関してはベルオーネの方が正論ではある。
「あー!騒がしくなったと思ったら、サルビア様達も来たのね!」
「あらら。早速ベロニカさん怒られてるの?」
と、ここで酒場から顔を出したのは、サザンカとダチュラの給仕二人組。最初は貴族との身分差でぎくしゃくしていたが、今となってはすっかり馴染み、気軽に話せるようになっていた。
「私達、明日と明後日お休みもらったの!」
「だから二人の勇姿、賭け事で盛り上がってる馬鹿達と一緒に観に行くわよ。ちなみにザクロが大穴ね」
「あんにゃろども!人を賭け事にしやがって!俺に賭けなかった奴ら、大損こいても知らねえからな!」
三日連続は無理だったようだが、それでも残り二日は彼女らも来るようで。おまけに依頼を受けなければ基本暇人の酒場者達も、お金と夢を握り締めて来るようで。
「な、なんと野蛮な……」
「……」
賭博のことを聞いた女騎士は顔をしかめ、見下したかのような視線を向ける。無論、人が何を思うかはその人の勝手ではある。だが、彼女は気付かなかった。自分が守るべきお嬢様が、とてもとてもバツが悪そうに目を逸らしていたことに。
「さぁて!そろそろ行きますか!」
「いってらっしゃーい!」
「楽しんできてねー!」
女騎士より早くそれに気づいたザクロが、さっと助け舟を出発させる。給仕二人に見送られ、一同は学園へと向かった。
「わぁ……!人がいっぱいですわ!」
「お嬢様、だから危ないのです……」
そして、何列もの受付待ちが並ぶ正門前にて。もちろん、学校側も複数の受付を用意しており、見かけほど長く待たされることはない。10分程度の待ち時間後、簡単な受付を済ませ、校内へ。
「しかしまぁ、楽しそうなのは認めます」
「うひゃー。こりゃすごいですねぇ」
「さぁさ!皆さんようこそ!これが武芸祭ですっ!」
入ってすぐ、立ち並ぶ屋台。案内の看板。売り子の声かけにビラ配り。路上で行われる手品などのパフォーマンス。目がチカチカし、耳がざわざわするような光景に、ザクロが大仰にアイリス達を歓迎する。
「食い物も買い物も見世物も可愛いものもたくっさんある!今日は思いっきり楽しもう!」
「はいっ!」
いい匂いのする屋台を指差し、学生達が作った魔道具などの模擬店を指差し、劇場となっている体育館を指差し、他の街から出張してきた「もふり屋」を指差し、更にザクロは呼びかける。それは簡単な紹介でもあったし、主にアイリスへと向けられた、気兼ねせず楽しんでねというメッセージでもあった。
「まずはどこからがいいのかしら?教えてくれない?」
「うーん。そうだなぁ。売り切れ怖いし、昼前には行列できるし、食べ物関連がお勧めかな?」
「じゃ、そうと決まれば行きましょうか!」
マリーに尋ねられたザクロは、少し悩んだ末に前年度を思い出し、美味しそうな匂い漂う方角を指差す。反対する者はおらず、一同はベロニカとザクロに先導されて、模擬店が密集する方へ。
楽しい楽しい、一日目の始まりだった。
武芸祭はその規模から、モンクスフードの広大な敷地を活かしていくつかな区域に分けられる。
「いい匂いだ」
「昼にはまだ遠いですが、もうお腹が空いてきますねぇ」
「匂いだけじゃねえ。味だってびっくりするくらい美味い」
最初にして最大なのは、日本でも定番。中庭などを利用した模擬店区域である。そのほとんどが学生によるものだが、侮ることなかれ。プライドの高いエリート達が長い年月をかけて競い合ったせいで、クオリティは一級品である。
「あそこが去年売り上げ一位のマロカ店。数十年前から毎年出してる屋台で、あれの美味しさは胸張って保証できる!」
「マロカ……?なにそれ」
「肉と野菜と麺を、秘伝のだし汁で煮込む郷土料理です。この前、お屋敷で食べたでしょう?」
「ああ……ありがとうベルオーネさん。ラーメンみたいなやつね」
去年一番の売り上げを叩き出したとあって、朝とも昼とも呼べない微妙な時間にも関わらず、既にその店の前には行列ができていた。
「わ、私あの料理好きで、食べてみたいです!ちょっと並ぶことになりそうですけど……」
「俺は構わねえぜ?みんなは?」
「異論ない」
「お嬢様がそういうのでしたら、別に」
とはいえ今の内に行かねば、更に列が長くなるか、売り切れるのは確実。あまりにも長すぎる列は躊躇うが、少し並ぶくらいなら、それもまた一つの祭の醍醐味ともいえる。一同はアイリスの希望に従って列に並び、店員から渡されたメニューを眺めて時を待ち、注文し、
「んっ、んっ……!?美味しいですわ!ほら、二人も食べてください!」
「そんなにですか?……これは、ぐう……!本当に学生が?」
毒が入っていないか軽く調べてから、ついに実食。塩系から赤い色の辛い系と様々な種類から、各々好きな味を選び、木魔法の椅子の上で仲良く食す。
「美味しいじゃない!あ、アイリス様、私の食べる?こっちの野菜盛りは女子力高い上に美味しいわよ!」
「あ、ぜ、ぜひ!なら私のと交換しましょう!」
「わ、私も……」
自分と違う種類を他人が絶賛したのなら、どんな味か気になるもの。その興味は強力で、祭に来ることを反対していた堅物な女騎士をも蕩かす誘惑で。互いに分け合い、様々な種類を味わう。
「ベロニカ。少しくれ。海鮮系に興味がある」
「あ!俺もくれよベロニカさん!その代わりに俺の激辛を分けるから!」
「二人とも分けてあげますから!ただし、ザクロさんのはいりません!自分、辛いのもそこに入っている野菜も苦手なんです!」
個人によって優劣はあれど、そのどれもが香り良く、美味しく。流石は何十年に渡って秘伝のレシピを受け継ぎ、改良を重ねてきた店である。
しかし、秘蔵のレシピを受け継いできた古参店ばかりが、勝者ではない。そこに割って入って売り上げ一位や人気投票一位をかっさらおうと、毎年工夫を凝らした新屋台が登場し、味や見た目で殴りかかるのだ。
「なんだこれは」
食べ終え、移動したサルビア達が目にした新たな行列の大元。どういう原理か魔法か。青や緑やオレンジの色で塗られ、ぷるぷると震える外装の店も、その一つ。こんな店、去年にはなかった。
「『スライム愛好家によるスライム愛好家の為のスライム専門店』……?うひゃー、やばいのが来たな。あれか?スライムが大好きすぎる一年坊主が入学したって聞いたが、そいつか?」
「なんだこれは」
いや本当に、なかったのだ。でかでかと掲げられた看板に記されたメニューを見た一同は、それはもう驚いた。
「スライム、ばかりですわ……」
「お嬢様。この店はやめましょう。頭がおかしい店です」
炭酸スライム、スライム氷菓子、スライム巻き。この辺りはまだ分かる。育て方によっては炭酸ゼリーや果実ゼリーのようになるのだから、それを凍らせたり、クレープのようにするのは、まだ。
「『スライム揚げ』……?揚げ!?私も初耳ですよ!」
「『スライムマロカ』……?甘口から激辛……?馬鹿じゃないの?」
「『当店オススメ!生後一ヶ月の子スライム焼き』……狂ってんな。いや、子スライムとか初めて聞いたわ俺」
だが、専用の飼育をして甘味から味を変え、小麦粉パン粉まぶして卵つけて揚げたり、スライムを麺状にしてスパイスと共に煮込んだスライム汁に入れたり、実演販売とばかりに鉄板の上でじゅうじゅうぷるぷる焼いていたりするのは、理解できるものではない。全ての調理法を試そうしているかのごときその精神、ぶっちゃけドン引きである。
「見た目とか色々やばかったけど、美味しかったよなスライム」
「びっくりしたわぁ。飼育方法で味が変わるなんて……なんか、すごく柔らかい肉みたいで……」
「…………」
しかし、信じられないことに。食べている者から聞こえてくる声のほとんどは、好意的なものなのだ。サクラか、何かやばい薬でも入っているのではないかと一同は疑うが、どうやらそういうわけでもないらしく。
「怖いもの見たさだけ、じゃないんですねぇこれ……」
ならばこの大行列は、物珍しさだけではなく、単純に美味しさを求めた者も含まれるということで。
「勇気ある人ぉ!」
「興味はある」
「私もスライム氷菓子くらいは、食べてみようかしら」
「私も食べてみます!明日の話題作りに使えそうですからね!」
決意の表情のザクロが掲げた指に、清純不純問わず、サルビア、マリー、ベロニカが続く。
「馬鹿ですか!?こんな怪しいもの、誰が食べるものですか!ね?お嬢様?」
「わ、私も!」
「お嬢様!?」
「よぉし!じゃ、並ぶぞ!挑戦したい料理、今の内に決めとけよ!あ、ベルオーネさん、すいません。少しだけお待ちを」
「私も食べないとは言ってません!」
そしてもちろん、アイリスだって。ビシッと手を挙げた彼女にベルオーネは目を見開き、ザクロは掲げた指を人差し指から親指へと変更して。女騎士も一人取り残されるのは寂しかったのか、みんなで列へ。
「いやほんとなんでこれ美味しいの?」
「…………もう訳が分かりません」
マリーとベルオーネはスライム氷菓子を。
「……お、美味しい、です」
アイリスはちょっと勇気を出してスライム巻きを。
「美味い」
「いろんな意味で、びっくりするくらい美味しいですね。いろんな意味で」
サルビアはスライム揚げ、ベロニカは子スライム焼きを。
「なんだろうな。先駆者ってすげえや」
そしてザクロは、スライムマロカを。
正直一個くらいは外れるだろうと思っていたのだが、全部が美味しくて困惑させられた。
このように、どの店も生半可な覚悟ではなく、二ヶ月前の準備からは当たり前。早い者は半年前からスライムを飼育するなどの戦いを始めている。さてさて、今年は新参店が勝つか。はたまた古参店が返り討ちにするか。熱戦に乞うご期待である。
「ここはあれだ。いろんな魔道具とか、便利なものとかが置いてある区域だな」
スライム後も様々な店を回ってお腹を満たした一同。彼らが次にやってきたのは、模擬店区域に次ぐ広さと人気を誇る展示品区域。『魔道具学』など、何かを作成する科目の作品が展示、販売されているエリアだ。
「全自動肩叩きの魔道具ですか……これはすごいですね」
「なにこれ。腰痛、肩こりにきく電流魔法陣内蔵棒?」
ベテラン教師陣の多くは、精巧にして堅実な質の良い魔道具を。彼らの多くがご高齢なせいか、やたらと健康グッズが多かったり。
「声が高くなる魔法薬?一体、なにに使うのでしょうか?」
「変装用かなぁ……いや、多分これあれだ。たまにいる、とりあえず目的もなく作る人じゃないかな」
一方、彼らに比べればひよっこの生徒達は、荒削りだが丁寧な作品を。或いは、多くを知らぬが故の柔軟過ぎる発想の作品を展示している。
「ベロニカ、耳が緑になる薬があるぞ。酒場で使えば人気者だ」
「む、それはちょっと揺れ……元に戻る保証はないって書いてあるんですが!?」
柔軟過ぎて訳も使い道も分からない物も多いが、時たま。本当にごく稀に、掘り出し物があったりするものだ。
「あ!プラタナス様とルピナス様!」
「あー、でもあれね。お邪魔しない方がいい雰囲気ね」
「は、本当ですね。また後で、挨拶に伺います」
使えそうなものや面白そうなものを探す最中、アイリスが遠目には発見したのは、かつてお世話になった二人。一瞬駆け出そうとするも、色々察したマリーに引き止められる。
「訳分かんねえ物も使いようだしな」
「ああ」
デート、かもしれない。しかし、ザクロとサルビアはそれだけではないのではと、推測する。理由はルピナスの体質だ。
魔法への適性がない彼女は、日常生活で大いに不便を強いられる。無論、魔法陣を使えば解決できるが、一々使うのは燃費が悪く、出来ることなら使わずに済む方がいい。
そしてこの区域は魔道具や魔法薬だけではなく、魔法や魔力を使わない発明品も展示、販売を行なっている。一般人にとって興味の薄い分野だが、ルピナスにとってそれは大いなる価値を持つ。
そういったものを、二人で探しているのではないのだろうかと。
「いや、あれ探しているのかもしれないけど、それよりも完全に楽しんでるわ」
「……だな」
と、ザクロとサルビアが抱いたしんみりとした感情は、満面の笑みを浮かべたルピナスと満更でもなさそうなプラタナスによって砕かれた。ただのデートだった。
お熱いものをみて、いきなり爆発した魔道具に暗殺かと警戒したりして、ただの事故だと分かって胸を撫で下ろしたりして、展示区域を抜け。
「んで、ここが見世物というか演し物というか、そういう区域だ!」
やってきたのは劇場区域。名前の通り、劇場は体育館や別館などにいくつか存在し、多くの作品を上演している。だが、それよりも路上パフォーマーや、自作の小さな店などの方が遥かに多いのが、この区域だ。
更にこの区域に関しては、学生や教師以外の演し物も認められており、話題の歌手の生歌や下積み中の芸人のお笑いなどを聞くこともできる。
「どうしますか?」
魔法を一切使わない魔法のような手品や、美しい音色の青空オーケストラ。観衆を巻き込んだ即興のお笑いライブなど、歩いているだけでも楽しめる。観て飽きるなんてことはなく、むしろ多すぎて回りきれない方が心配なのだ。
「私がこの学園、いや、世界で一番美しいに決まっているでしょう?なのに!なんで!私の出場の!声かけが!なかったのよ!」
「あっちはやめよう。性格の悪い馬鹿がいる」
とりあえず、美少女コンテストの方角から聞こえてきた高慢な声に、サルビアとザクロ、ベロニカは顔を背ける。行けば確実に、面倒に巻き込まれるからだ。
「んー、そうね。私、劇を一つくらいは観たいわ」
「あ、私も劇を観たいですわ!」
「じゃ、軽く回りながら好みの劇を考えよっか」
一同はお目当を絞ることに決め、劇場の上演スケジュールを片手に、例の方角を避けて回り始めた。だが、予定通りにはいかなかった。軽く回ることも、劇を一つも観ることも、彼らはしなかった。できなかった。
「さぁ、本日お話いたしますのは障壁魔法が生まれる前、遥か昔のお話。それもある王と、その友のお話にございます」
回り始めてすぐ、ある語り部に出会ってしまったからだ。
「王が王でなかった頃、彼はなんと奴隷でした。ええ、そうです。奴隷です。私達の知る、権利の保障された奴隷ではなく、『首輪』ありし日の悲しき奴隷」
そう、彼は白い髪に黒き瞳のあどけない少年だった。見た目からしてまだ二十代に届かないと思われるが、その技術たるや老年を凌ぐほど凄まじく。
「しかしその首輪こそ、彼の頭に被せられた最初の王冠でした。物語が始まるのは、彼がある女性に引き取られたところから」
飛び入りなのか、何もない道端で語っているだけだというのに、忌み子の特徴を僅かに持っているというのに、道行く者が足を止める。思わず、耳を傾ける。聴き入る。
「彼はずっと、そこにいました。愛なき両親に売り飛ばされてから、ずっと。脱走しないよう、首輪で魔法は禁じられ、身体を洗えるのも週に一回と汚らしく、みすぼらしく。その眼はもう、絶望以外の色がありませんでした」
この世界の劇場とは、魔法を活用するもの。制御された炎は飛び交い、水に飛び込むシーンでは実際に水飛沫が上がり、風は観客席まで吹き抜ける。舞台の移り変わりも、魔法にて素早く丁寧に。このように、演出は派手に、よりリアルに作られているもの。
「そんな彼の眼だからこそ、彼女は腹が立ちました。彼女は彼を選びました。普段は冷たい監視者でさえ、もっといいのをお勧めするという汚さの彼を。でも、彼女は譲りませんでした」
だが、この語りは、声だけでそれらを上回る。周りの人が消え、足元の地面も草も消え、まるでその場にいるような。今はそう、汚い牢屋のような場所で、幼き日の王がうずくまっている。自分が臭いのか、部屋そのものが臭いのか分からないような環境の中で。そしてそんな少年を、彼女が檻の外から見て、男と言い争っている。
「彼女は売人から鍵をひったくり、檻の中に。それでも顔を上げない少年の汚いフケと汚れだらけの頭を掴み、無理矢理瞳に自分を映らせて、そして、運命が始まったのです」
『お前はもう、私のものだ』。そんな女の声がした。気付かぬ内に、思わず聞き入っていた。没入していた。物語の中にいた。
登場人物が笑えば、自分も笑っていた。彼が泣けば、自分も泣いていた。彼が痛みに苦しめば、同じ箇所が痛くなった。雨に打たれる場面では、晴れた空なのに雨粒が降り注いでいると思った。彼は自分だった。
「では、本日はこれにてしまい。続きはまた明日この場所、同じ時間にて。ご静聴、ありがとうございました」
物語から帰ってこれたのは、第一部が終わってからだった。白い短髪を深く下げたお辞儀でようやく、サルビア達は自分を再認識した。
「私は、いや俺は」
「ちょい待て。どんだけ時間経ってた」
「わわっ!?人すごっ!?」
「アイリス様!ご無事ですか!
「わ、私は大丈夫ですわ!」
「これは敵の攻撃、じゃないわよね」
気が付いたら、太陽の位置が変わっていた。動こうと振り向けば、人の群れに阻まれた。いつの間にか長い時間が過ぎていて、三、四百人近い人間が、彼の話を聞いていた。恐らくそれは、彼の声が届いた範囲。
「語り部は……!いない?」
物語から目覚めて、驚きから覚めて、あの異常な語り部を目で探す。しかしその時にもう、彼の姿はなかった。まるで煙のように、ふっと消えていた。
「なんだったんだ……あれ」
「でも、面白かった、です」
何かは分からない。分からないが、その時間は楽しかった。それだけは、確かだった。
語り部に時間を奪われたことで、サルビア達の計画は崩壊した。劇を見れなかったことを惜しむ気持ちはあるが、別に怒りを抱いた訳ではなく、奇妙な満足感があった。
残り時間を、サルビア達は目一杯楽しんだ。ゴムのように弾む白のアトラクションや、どれだけの重さを持ち上げられるか対決。男女逆転喫茶など、少ない時間で効率よく回って、よく笑って。
「では、サルビア様、ベロニカ様、お気をつけて」
「予選は見れないらしいけど、応援してるわ!」
「……お嬢様が楽しめたようでなによりです」
「ああ!また明日な!」
「頑張る」
「貴女も楽しそうであいだだだだだだ!」
そうして日も暮れて、一日目は終わりを迎えた。正門付近で宿を取っているアイリス達に別れを告げて、サルビア、ザクロ、ベロニカの三人となった帰り道。
「いやぁ、楽しかったぁ!去年も楽しかったけど、うん!今年はすげぇ楽しかった!」
「魔道具が爆発した時は、冷や汗かきましたけどね」
月と建物から漏れ出る光に照らされ、彼らは歩く。祭りの余韻に浸り、今日の感想を語りながら、今もなお楽しそうに。語彙力なんて必要なかった。「楽しかった」「良かった」、それだけで、通じ合っていた。
「良い日だった。とても」
星の空を見上げたサルビアも、笑顔で今日を振り返る。ああそれは、一年前の彼は浮かべなかったであろう笑み。知らなかったであろう感情。
「……そうか。なら、良かったぜ!」
「ええ、本当に」
そんな笑顔を彼が浮かべたことに、この感情を彼が知ったことに、ザクロもベロニカもまた、笑うのだ。子の成長を喜ぶ、保護者のように。
帰宅しても、寝る前も、彼らの祭りは、楽しさは、幸せは続いていた。
月が落ちて、一日目が終わる。そして陽が昇り、二日目が始まる。
「予選出場者の皆さん、おはようございます!」
一般の参加者とは別に、予選出場者は早朝、学内の中庭に集められていた。それは、混雑による近くを防ぐ為でもあり、会場への移動の時間や準備の為でもあった。
「さて、早速ですが本題、競技内容の発表です!」
そして彼らはそこで、予選の内容の発表を聞いた。
「本年の予選は、『森の中で小鬼狩り競争』です!」
苦しい苦しい、二日目が始まる。




