第21話 圧倒と運命
「ふざけないでよ!仁は関係ないでしょ!」
最も効果的な手を打たれ、シオンは感情を露わにする。仁が村人に見つかれば、面倒なことをなるとは予想していた。でも、まさか自分を戦わせるための人質にされるとは思っていなかった。
「いつも泣くのをこらえてばかりのおまえが、怒ったのは今日が初めてだな。関係ない?忌み子の時点で関係あるだろう。安心しろ。逃げ切ったら解放してやる」
どれだけ感情的に叫ぼうとも、ラガムは仁の解放をよしとしなかった。ここでも忌み子という単語が、シオンと仁を苦しめる。忌み子など彼らにとっては虫けらのような、いや、それ以下のものだろう。
「……絶対?」
「ああ、もちろん。忌み子との約束なんて反吐が出そうだが、こっちも命がかかってる」
強い意志を持ってのシオンの確認に、彼は心底嫌そうな顔で返す。
「嘘、じゃないのよね?」
それでも、シオンは嘘ではないかと疑ってしまう。今まで受けてきた扱いは、彼女から人の信頼を奪うのに充分すぎた。
「嘘をついて何になるんだ?忌み子と仲良くおっ死ぬくらいなら、忌み子と手を組んでても助かりたいね」
であれど、もしラガム達を信じるならば。シオンにとっても仁にとっても利がある提案ではある。シオンが戦う間、仁を安全な所まで運んでくれるのだから。
「私が、時間を稼げば」
魔物の軍勢を足止めし、村人達が安全な場所まで逃げる時間をシオンが作れば、両方を守りきることができる。
葛藤する余裕はない。すぐそこまで魔物が迫ってきている。選ぶなら今だ。仁を強奪して村人を見捨てるか、彼らを信じて仁を預けるか。
「分かった。でも、一つだけ言っておくわ。約束を破ったら、魔物の代わりに私があなた達を滅ぼすわよ」
お人好しの少女が選ぶのは、当然後者だ。ただ選ぶわけでなく、大きな置き土産を残しておくのを忘れない。世界から怖れられる魔女の現し身が言ったなら、脅しとしてはこの上ないことだろう。
「約束を守れば問題ねえだろう。ただ、どうしようもない場合は除けよ?」
シオンの脅しに震え上がる村長は頷き、ラガムは平静を装って保険を用意しておく。精一杯隠そうとしたのだろうが、シオンの鋭敏な感覚の前では無意味だ。
「どこに逃げるの?隣の村?」
「いや、近くの村に連絡をしながらもっと遠くに逃げる。最終的には城塞都市まで行って助けを求めるつもりだ。最近、地図の通りに進んでも辿り着かないことがあるので、上手くいくかはわからぬが」
しかし村長も脅しに怯えたのはほんの数秒で、質問にすぐ我を取り戻した。多少の気がかりはあるが、城塞都市までの道が分からないシオンは口出しはできない。
「近くの村を回りながらね。食糧とかは大丈夫?」
「虚空庫に一ヶ月ほどの食糧を備蓄しておくように常々言ってある。その間はもつだろう。私は村の者を今すぐ集める」
最後に村長は複雑な表情でシオンを見ると、周りに集まった者と一緒に村人を集めに行った。何かを決めた後の判断の速さはさすが、人を率いる者といったところか。
「……頼んだぞラガム。忌み子」
その場に残されたのは、シオンと意識のない仁とラガムの三人。
「ほら忌み子、早く行け。お前が早く行けば、その分こっちに時間ができるんだ」
棍棒を虚空庫へと放り込んだラガムが、しっしと手で追い払うような仕草でシオンを送る。そこに一切の好意的な感情はなく、心の底から一緒にいることを嫌がっているのがわかる。
「もう行くわ。仁のことを頼んだわよ。約束を破ったら、今回ばかりは許さないから」
村人の完全な拒絶にシオンは悲しみを感じながらも、脅しの態度を貫いた。
「私がまた、守るから」
最後に地面に倒れている仁を名残惜しげに見て、強化を発動させ。
「頑張ってくるね」
そして少女は戦場へと向かう。
「はぁ……約束破るわけねえだろ。この森で最強の化け物への最高の対抗手段だぞ。あーあ、本当に演技疲れる。死ぬかと思った」
卓越した身のこなしで、遥か遠くへと駆ける少女の背中を見送る。彼の弱気の呟きは誰にも聞こえないからこそ出た、心からのものだった。
「あんな化け物が人質取り返す為に本気で暴れりゃ、魔物に食われる前に俺ら全滅できるくれぇだしな……しかもそうなって真っ先に死ぬの俺だし」
彼の持つ系統外『狩人』によって分かる、この近辺で最強の、それこそ今回襲撃してくるであろうどの魔物たちより強い存在。そんな存在の大切なものを傷つけ、人質にして喧嘩を売る。自分の演じた役割を思い直し、やってきた遅めの恐怖にラガムは身を震わせた。
「やっべ……汗ぐっしょりだ。気持ち悪い」
しかも周りの人間に何の断りもなく、独断でだ。事が良い方へと運んだから良いものの、忌み子の暴走で村が全滅などしていれば、全てラガムの責任だ。
「忌み子が思ったより人間だったてことか。さて、俺も早く逃げねえと。今回の襲撃は冗談抜きで危ないからな」
つくづく自分の持つ系統外の便利さを思い知る。ある一定の範囲の動物の気配を探り、強さを知る特殊な魔法、『狩人』。これがないから、他の村人にはわからない。この魔物の軍勢の脅威と、忌み子の強さが。
「何を利用してでも、この村守ってやらんとな」
瞼の裏に浮かぶのは、ボロボロになりつつも『狩人』を使ってたどり着いたこの村の灯り。
「あん時、助けられたのは俺だから」
身寄りもなく、泥と血で汚れ、やせ細った死んだ目をしたガキを、暖かく迎え入れてくれた村人たち。
「努力したもんなぁ。こういう時の為に」
今ではもう家庭さえ持ったあの時の少年は、村を守るためにひたすら己を磨き、系統外を活かして、本物の狩人となった。
「今度は俺がこの村を守ってやる。まぁ何の因果か、よりにもよって忌み子任せとはな」
二十数年前、ある戦争で自身の故郷を滅ぼされ、この村に拾われた孤児の眼には、密かな覚悟と熱が灯っていた。
「にしても、魔力のない忌み子か」
逃げる前に、気を失ったままの少年を見てため息をつく。放っていきたいのは山々だが、シオンが生還した時のことを考えれば後が怖い。
「仕方ねえ。担いで行くか」
仁を乱暴に担いだラガムは、妻子にこの事態を知らせるため家へと向かった。
「いた」
ほぼ同刻。木の枝の上を飛び回るシオンが声を上げる。少しでも速く動くために、急所だけを防御する形の革鎧を着た姿だ。
「ここまで来てたのは予想外」
村から直線距離にして約3kmほど。ついにシオンの視界に魔物が姿を見せる。今まで見たこともないほどの数のゴブリン、コボルトがうようよと木々の間を歩いていた。たまに飛び出て見えるのは、オークやホフゴブリン、レッドキャップに灰狼だろうか。
間近で見て、改めて恐ろしいと感じる数だ。シオンでさえ、全員の相手をするなら苦戦は必至だろう。
「……弱音を吐いてる暇はないわね」
まだ魔物に気付かれてはいない。その事実に少しでも負担が減らされ、少女は口元を力なく釣り上げる。
「好都合だわ。先手が打てる」
笑みの裏で、より効率的に敵を足止めするには何の魔法がよいかを考えていく。それは、かつて両親から教わった、圧倒的なまでの戦闘経験を元にした計算。
「燃やす?」
炎はダメだ。殲滅効率は一番であるが、森が死んでしまう。木々に引火したら、守ろうとした物が丸ごと灰の中だ。
「切る?」
なら風か。木々に邪魔され、思うように斬り裂けないだろう。それに、元から風魔法は魔力の効率が著しく悪く、長期戦には向かない。空だって飛べる魔法ではあるが、莫大なシオンの魔力量でさえ五分が限度だ。
「溺れさす?」
水はどうか?一匹一匹溺死させる?時間の効率が悪すぎる。
「やっぱりこれかしら」
他様々な魔法を思い浮かべ、行き着いた答えは少女の得意魔法。
木から飛び降り、衝撃を膝で和らげ着地。己を狙う魔物がいないことを確認してから、彼女両手を地につけ、今から使う魔法を思い浮かべる。
「……大丈夫。できる。勝てなきゃ死ぬだけ」
目標、ゴブリンとコボルトの群れの足下。あとは一声上げるだけで、世界の法則をねじ曲げる超常の力が働く。
「あ、忘れてた」
あることを思い出したシオンは、魔法の使用を中断。そうして、じゃらりと抜いた銀剣の鋒を頰に押し当てて。
「んっ……ふぅぅぅう」
自らの頰の傷跡を、深く抉り取った。だらりだらりと溢れ垂れる血が、彼女の顔を伝っていく。纏う空気が這い出た内臓のようにずるりと、鉛のように重く、常闇のように暗く、氷のように冷たい、濃厚な殺意めいたものへと変わっていく。
「すぅ……はぁ」
大きく息を吐き、最後の綺麗な空気を味わう。どうせすぐ、鉄に似た血の匂いへと変わるだろうから。
「発動」
たった一声。たったそれだけで、地面から突き出した土の槍がゴブリンの腹を、脚を、頭を、あるいは全身を貫き、血を辺りへと撒き散らした。
「もう一つ」
突然の不意打ちに戸惑う魔物たちへ、再び同じものをお見舞い。瞬時に二十の骸が地に転がり、ようやく襲撃を受けていると理解した魔物たちが殺気立つ。
「無理よね。ここで使わないとダメかな」
長くは隠れていられないと悟ったシオンは追撃を諦め、ここに来るまでに用意しておいた策を使う。
「書くの、大変だったのに」
虚空庫から取り出されたのは紙。もしもに備えてシオンが今までに書き溜めた、莫大な数の土の魔法陣。総計百枚余りを風魔法で地面へと並べて、全ての準備は終わりだ。
あとはもう一度両手を地面につけ、魔力を集中させるだけ。
「さ、最後に仕上げ」
そうしてシオンが発動させた世界の変わる様を見て、魔物たちは驚愕に、殺気さえ忘れて停止した。
魔物たちがが見たのは襲撃者の少女ではなく、木を根元から丸々一本呑み込み、地へと引きずり込んで行く一筋の巨大な沼。
一筋と言っても幅は10m以上、果ては見えず長さは分からず、深さは底なし。ゴブリンやオーク如きが渡るのは、到底不可能だろう。
「やっぱり土魔法がいいわね。地面に手をつければ魔力の消費は減るし」
とは言っても、この魔法でシオンの魔力も半分ほど持って行かれた。シオンの身体を、大量の魔力を失う独特の酩酊感がふらつかせる。だがそれも、戦いに支障が出るほどではない。
「できる限り、足止めさせてもらうわよ。命が惜しいなら帰って。って言葉は通じないわよね」
沼の前に立って魔物達の行く手を阻む、少女の冷たい声が周囲へ伝播し、先頭のオークの首が空にくるくると舞った。
「遅いわ」
いつのまに移動したのか、鈍い鉄色の剣を振り切った姿勢の少女が、首無き死体の前に立っていた。
自分を印象付けるためと、開戦の狼煙を兼ねた過剰なパーフォマンス。本来殺すことだけが目的ならば、あんな風に首を飛ばす必要などない。必要なのは急所への一撃、ただそれだけ。
「全員は無理でも、多くを引き付けられたら」
地面から突き出した土の槍が魔物たちを貫き、絶命か行動不能の二択へと追い込む。動けない魔物は捨て置き、無事だった魔物の首を剣で切り裂く。
魔物の軍勢達も飛び散った血に我に返ったのか、一拍おいて少女へと襲いかかる。
押し寄せる魔物の波に飲まれぬよう、両断し、土の槍で隙間を作り、その隙間を駆け抜け血を飛ばし、剣をパートナーに踊る。魔物たちは攻撃をする間もなく命を失い、膝を折られていく。
その技量と速度の凄まじさたるや、彼女の身に一撃たりとも入らないほど。
「でも、これは多すぎる……」
それでも、シオンの殲滅の圧倒的な速度より、魔物が押し寄せる速度の方が僅かに速かった。
「ちぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!」
前の三匹を技量と身体強化をもって、強引な横薙ぎで始末。後ろから近づいてきた魔物たちは、見ずに発動した土槍で物言わぬオブジェ兼盾に。これだけひしめいていれば、目を瞑ってても当たる。
「はぁっ……!」
この間、約八秒。恐るべき速さだろう。しかしこの速度で魔物を屠っても、死を超える増員がすぐなされるのだ。
「ああっ……もう……!」
ついに処理が間に合わなくなり、振り下ろされた棍棒や錆びた剣がシオンへと殺到する。すでに彼女は土の槍を作成していたため、魔法の法則により他の属性魔法が使えない。
「しぃっ!」
武器の雨の中、シオンは剣を円に振るい、辺りの空気がゴウ!と震える。同胞殺しを血の海に沈められると思った魔物たちは、突如吹いた風に切り裂かれ、逆に血の海に沈むことになった。
「できれば、使いたくなかった」
吹き荒れる風の中心に佇むは、切り札の魔法陣の描かれた剣をその手に握る、古傷だらけの無傷な少女。
「描き直すのも二重発動も、すっごい大変なんだから……!」
もう一度発動。鉄の剣に描かれた八つの魔法陣のうち一つが消え、辺りにカマイタチが吹き荒れる。もちろん、土の槍と斬撃と並行してだ。
魔法陣と通常の魔法を合わせて使い、二つの魔法を同時に行使する魔法使いの切り札。そこにシオンの剣術が加われば、殲滅の速度は比べ物にならない。
「数が限られてるから、あんまり長くは使えない」
たいして魔力も込めていない安物故に、使い捨てなのが玉に瑕だ。虚空庫にストックはまだあるが、敵の数は膨大過ぎる。無駄打ちは許されない。
そして、もう一つの欠点。
「やっぱり……頭にくる……!」
ズキズキと痛む瞼の裏が、限界を超えた魔法の行使に無茶をするなと訴えている。魔法陣を使用しての同系統の並行発動は、脳への負担が大きい。
「本当にキリがない!」
沼を諦めて回り込もうとする魔物たちの背後へと走り、肉体を魔法と剣でズタズタに裂き壊す。精彩さを欠いてきたのか、シオンも徐々に返り血で染まり始めた。
それでもまだ、魔物達に沼は超えさせてはいない。
「雑魚相手なら、なんとかなる。けど……」
味方を踏み潰すことお構いなしに、重い腰を上げてこちらへ歩んでくる巨大な鬼が二頭。少女は血に濡れた髪を触りながら上を見上げて、血の臭いにため息をこぼす。
「面倒、だわ……」
鉄でできた巨大な門を押し潰す怪力と、腕を斬り落としても一日で生えてくるほどの再生能力は厄介だ。優先的に排除すべきだろう。
ゴブリンやオークに超えられる沼ではない。だが、あのオーガだけは話は別だ。こんな沼、簡単に飛び越えてしまう。
「すぅ、ふぅ」
すっかり血生臭くなった空気を吸い込み、深呼吸。彼我の距離15m。
片方のオーガに狙いを定めて剣を構え、身をわずかに沈める。小さい身体の中を魔力が駆け巡り、荒れ狂う。自損限界ギリギリ魔力大安売りの身体強化だ。
「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
だんと踏み込み地を砕き、一直線に疾走する黒い影。進路上の魔物を剣技と力で真っ二つに引き裂きながら、少女はオーガの足元へと肉迫する。
遅れて飛び散った血が真っ赤な足跡を作り、撒き散らされた臓物が紅く覆い隠す。
放たれた矢のような速さにオーガの反応が遅れ、動けたのは剣が目の前に接近してやっと。それは戦場において、特に強者との命のやり取りでは、致命的なまでの隙だった。
オーガが腕を振りかぶる。シオンはもう、準備を終えているというのに。
「発動」
オーガの巨大な足の目の前で勢いそのまま、地面を手で突いて一声。瞬時に足元の地面が盛り上がり、シオンは空へと駆け上がる。そう、それはオーガの一撃を掻い潜り、無防備な喉元へとシオンを運ぶ、土でできた道だった。魔力の消費は大きいが、時間をかける暇はないのだ。
魔法陣が描かれていた鉄の剣は空へと放り投げ、空いた手を腰に居合の構え。リラックスに吐いた息は、戦の音で掻き消えた。
「ここで散れ」
次の一撃の隙など与えない。オーガを殺すには再生が追いつかないほどの深手か、継続的に再生を上回るほどのダメージを与え続けるか、
「一撃で殺すか、だよね。父さん」
虚空庫を鞘に見立て、白銀の剣をその手に。オーガの首へ超速の一閃を堕とす。
遅れてやってきた風がシオンの髪をなびかせ、頭に思い浮かんだ師の顔を掻き消した。今は思い出に浸る場合ではないと、風に教えられたようだった。
「大きいの、まず一頭」
いつの間にか触っていた頰の傷から手を離し、土でできた足場から地面へそのままダイブ。着地点にいた不幸なゴブリンは、ついでとばかりに踏み潰された。
「小さいのもたくさん」
オーガの周りにいた他のゴブリンも、遅れて崩れ落ちた首なしの巨体に押し潰されて、同じ末路を辿る。
「う……さて、次々」
足の裏に嫌な感触と地揺れを感じつつ、もう一頭のオーガへ目を向ける。こんな短時間で仲間の一匹がやられるとは思っていなかったと、間抜けに空いた口が物語っているのが滑稽だった。
「案外賢い?」
しかし、さすがは魔物の中でも上位種であるオーガだ。すぐさま我を取り戻し、家の高さほどもある巨体でシオンへと突っ込んできた。その威力、現代日本の戦車の砲撃にさえ引けを取らないものだろう。一人の人間に当たれば、欠片の形さえ残らないに違いない。
「来なさい」
だが、シオンは悠然と剣を構えたまま、その場を一歩も動かず。地を砕くどころか大地を揺るがし、魔物を轢き殺し、オーガはその巨体に似合わぬ速さで迫り来る。
少女は、その姿をただただ見つめ続ける。巨人と小人ほどの差がある両者の距離は、縮まり、赤く染まり、やがて0へと近づいて、轟音。大砲が着弾したかのような音が轟き、衝撃で地面に蜘蛛の巣状の亀裂が走り、立ち込める土煙で視界が遮られた。
視覚は通じなくても、触覚で感じた手応えにオーガの顔が喜色に染まる。勢いをつけすぎて硬い地面にぶつかった気がするが、これで邪魔者が死んだのは間違いないだろう。オーガは血の流れる、足りない頭でそう考えたのだが。
「?」
何かがおかしいと考え直す。そう、手応えを感じすぎている上に、体勢からして地面にぶつかったわけではない。
「なににぶつかったって、顔してるわね」
もくもくと立ち込める煙の奥から、自身の目と鼻の先から、生きている声がした。不自然な風が辺りに舞って魔物の首を切り落とし、オーガの顔に細い傷をつけ、煙が払われる。
光を跳ね返す、透明だが確かにそこにある絶対の防壁に守られた少女が、宙から落ちてきた魔法陣の剣を掴んだ姿勢で、
「なんで生きてるって顔ね。仁と同じくらいわかりやすいわ」
自分が守りたいものを思い出し、戦場にも関わらずくすりと笑う。シオンは笑みを保ったまま、両手に握った双剣で、眼球と鼻頭の上に二筋の深い線と暗闇を刻み込んだ。
「……ダメね」
直後、硬い皮膚と今までの疲労で使い物にならなくなった魔法陣の剣を瞬時に捨てる。
「最後の仕事よ。頑張って」
とは言ってもただで見捨てるわけがなく、眼球から脳へと直接剣を叩き込んで、中で魔法陣を発動させた。
「ばいばい」
脳の内側で発生したカマイタチが、オーガの脳をミキサーにかけたように裁断し、頭部を中から弾き飛ばした。さすがのオーガも頭部を吹き飛ばされれば、再生できやしない。
「あとオーガは五匹?もっと列の後ろにいるのかしら」
血と脳と骨の雨を受けながら、紅く染まった少女が遠くを見据えながら呟いた。動きを止めたのはその僅かな間だけ。彼女はまた、血に染まった白銀の剣と新たな鉄の剣を手に殲滅を再開。
オーガを瞬殺され、動揺の広がる魔物達に血の筋が吹き荒れる。骨の砕ける音が木霊し、穴の空いた魔物の身体が宙に舞い、血飛沫を乗せた風が死を運んだ。
木さえ飲み込む深さの沼を一匹たりとも渡らせず、ただ時間だけが過ぎていく。
ガタゴトガタゴト。
「……ん?っ!?」
微睡みの中で背中に突きつけられた振動に、仁は夢の世界から現実へと戻された。
「なんで俺……」
うっそうと日を隠す暗い木と、葉で作られた緑の天井を見て、なぜここに倒れているかを思い出し。
「シオン!」
叫び声とともに飛び上がった。辺りを見渡しても、ここは森の中で馬車の上。呼んだ名前の少女の姿は、今はどこにもない。
「何がどうなってる?魔物はどうなった?シオンが村人に負けた?で、俺は忌み子としてどっかに運ばれてる最中か?」
「シオンより強い村人がデフォの世界とかハードすぎるよ。僕も気を失ってて状況分からないけど、とりあえず落ち着こう」
精一杯に導き出した答えは支離滅裂で、自分でも間違っているとすぐに分かるものだった。あのシオンが負けるわけがないという、不思議な信頼が仁にはある。
「お目覚めか。っと。そんな敵意向けるなって。お前、虚空庫ないし武器もないだろ?素手でどうすんだよ」
「っ……!お前、シオンはどこだ!」
(熱くなるのは君に任せるよ)
自分を殴った男の顔が、まだはっきりとしない世界に入り込んできた。俺は感情を隠さず大声で食らいつき、僕の人格が冷静に周囲を細かく観察。
(変な状況だね。てっきり囮か何かに使われるかと思ったけど、僕ら拘束されてないし)
手も脚も縛られておらずに馬車の上。御者が一人に仁と目の前の男、他にお年寄りや子供たちなど。皆、一様に怯えや敵意の視線を仁へ向けている。
(なるほど。魔物から逃げてるのかな?シオンの交渉が通ったみたいだ)
馬車の外へと目を向ければ、いたるところに歩く人の群れ。馬車の数はざっと見るに、仁が乗っているのを含めて四台だけ。村の規模はわからないが、全員が入るわけがない。シオンが弾かれたのは分かる。ならばなぜ、仁を乗せた?
「今は魔物を食い止め中だろうさ。あいつなら負けんだろ。俺の系統外がそう言っている。変な気起こすんじゃねえぞ」
「シオンはどうして」
「お前が人質だからだ」
「っ!?」
告げられた理由に、全てが繋がった。自分が大切に扱われ、シオンが戦っているこの状況。仁を人質に取られれば、きっと彼女は戦ってしまう。
「てめえ……!」
「てめぇじゃない。ラガムだ。別にあいつらから完全に逃げ切れるなら、俺らもお前を人質に取って、あの化け物を敵に回したりしない」
(優しすぎたね)
会話の中から情報を抜き取る。やはり、シオンは他の異世界人と比べても強い。つまり、シオンが仁を取り返さなかったのは、村人達も見捨てない為。彼女は優しいから、救いを求める範囲全てを救おうとしたのだろう。
「俺の剣は?魔物が襲いかかってきた時に丸腰だと戦えない」
「建前はもう少し考えろ。魔物の軍勢が来たら渡してやる。魔法陣が彫られたお前の剣は俺の虚空庫の中だから、強引に奪うことは諦めた方がいいぞ」
心を落ち着けた俺は、この場から逃げる為の武器を密かに要求する。しかし、その思惑はラガムに見抜かれ、思いの外優しく断られた。
「とは言っても、剣を持ったからと妙な真似すんなよ。暴れても殺しはしねえが、多少の傷は付けさせてもらう。オーク二匹を同時に相手取れれば万々歳のやつなんか片手で捻れるわ」
「……」
もちろん、釘は刺された上にあんまりな評価をいただいたが、これは仕方ないことだろう。少なくとも成人男性で強化を使えれば、オークくらいとなら対等に戦える。
「俺だって障壁だとか強化使えれば……」
むしろ、強化なしでギリギリ二匹と戦えなくもない仁は、一般的な村人たちより技術があるということにはなる。
「使えねえなら意味ねえよ。安心しろ。傷だらけの割に弱いなんてやつ、戦力に数えてねえ」
シオンから自分の強さの立ち位置を聞かされ、散々フォローされていたのだが、改めて評価されると来るものがあった。
「けど、俺だって剣があれば。刻印で氷の刃と盾くらいなら出せる」
「はぁ……?何言ってんだか。魔法も魔法陣も魔力がねえと使えねえの。わかるか?」
「魔法陣じゃなくて刻印だ」
不貞腐れた俺の子供染みた反抗は、ラガムを呆れさせるばかりだ。そしてラガムの呆れの中の間違いは、ささくれ立っている俺を更に苛立たせる。
「なんだそりゃ?刻印なんて聞いたことがねぇ。新しい系統外か?」
しかし、ラガムは間違えていなかった。
「……は?」
(知らないの?)
彼は刻印と魔法陣を取り違えていたのではないと、仁は驚きながら認識を改めた。刻印そのものを知らなかったのだ。
「どういうことだ?禁術だから知らないのか?」
伝承することも禁じられていたのなら、ラガムが知らないことも分かる。それならなぜ、シオンは知っている?
「分からない」
いくら考えても答えなんて出ない問いだと、俺は思考を一旦区切る。
「こいつが例の忌み子か?ほうほう……弱そうだなこいつ。魔法使えねえのか」
「ひっ!?」
突然後ろからかけられた野太い声に、飛ぶように跳ね上がる。慌てて振り向いた仁の視界を埋め尽くすのは、溢れんばかりの筋肉の山。
(歩く筋肉だ。一気に狭くなったね。馬車の中)
「アラン。狭い」
「今はどこも狭いから仕方なし!それに大事な人質を見張って守るのに一人で足りるのか?足りそうじゃの」
仁を見た瞬間に失望した失礼な筋肉の塊が乗り込んできたことにより、車内は一気に暑苦しく、狭苦しくなった。
「伝説の『魔女』や『魔神』。あの女の忌み子並みに強いかと期待したが……はぁ」
「伝説や女の忌み子と同等なら、俺に殴られただけで気絶するかよ」
「そんなのと比べないでほしい」
残念ながら仁は一般人だ。そんな化け物達と一緒くたにされては困る。
「ラガムさん、アランさん。あんまり刺激しない方が。万が一がないとは限らないですし」
「筋肉が喋った!?」
「はははははははは!面白いやつではあるのう!そのうち喋るかもしれん!」
アランの後ろから聞こえてきた、怯えた口調の若い男の声。それを筋肉の声だと勘違いした僕に、アランは大口を開けて笑う。ラガムすら肩を震わせ、必死に笑いをこらえていた。
「例え『忌み子』だろうと、今のこいつじゃお前でも勝てるぞナーズル。剣の腕はお前より上だが、強化が使えない分圧勝できる」
「強化なかったら俺は忌み子以下っすか。そうですか。俺だってろくに剣振ってないですから……にしても、その系統外相変わらず便利ですね」
ラガムの系統外に、剣の腕をバッサリ斬り捨てられたナーズルと呼ばれた男は寂しい笑い顔だ。確かにひょろっとした身体つきであり、強化なしなら仁でも勝てそうではある。
「これがなきゃキツイ場面が何度も……ん?」
「おい、どうした?」
また、訪れる。
「……っ!?あのくそ忌み子!なにやってやがる!食い止められてねえじゃねえか!」
自分勝手で、唐突で、突然で、不平等で。
「よかったな忌み子!お望み通り、今すぐ武器渡してやるよ!」
平等に訪れる、運命とやらが。
ヤケクソ気味なラガムの声が、仁の耳には不思議と遠くに聴こえた。
魔物たちの姿は未だ見えないが、確かに迫る。
『ラガム・ジニア』
アンサムの村に住まう青年。子供の頃にとある戦争によって故郷の村を滅ぼされるも、系統外にて生き残る。人里を探し続けてたどり着き、暖かく迎えられたのが、今いるアンサムの村である。
『狩人』と呼ばれる系統外を保有する。能力は範囲内の生物の大まかな強さ、及び魔力や動きの把握である。最大数kmまで範囲を拡大できる。しかし、拡大すればするほど、大雑把にしか測れなくなる。裏を返せば、数mまで狭めた場合、筋肉の収縮まで感知できる。遠距離の索敵、近距離において死角なしと、とても有能である。
『狩人』と、恩を返す為に鍛え続けて手に入れた強さで、村の中でも一目置かれる存在に。既に結婚しており、妻子を溺愛している。
冷静さと大胆さ、強かさを併せ持つ。使えるものならなんでも使い、その手段を躊躇うことはない。その判断力と手腕は幾度となく村の危機を救っており、村人達からも慕われている。しかし、妻には頭が上がらない。




