第23話 現在五歩
「あー、聞こえますか?えーと、ザクロ・ガルバドルです。勝手にこの場をお借りします」
邸内に、高くもなければ低くもない少年の声が響く。それは、グラジオラス家に仕える者がここ数日で知った名前の彼の拡声魔法であり、予期せぬ事態でもあった。使用人も騎士も皆、一度停止してしまうくらいに。
「一体何を」
「同じく、サルビア・カランコエだ」
続いて彼らの耳に入ったのは、当主の焦り声と被せられたカランコエの名乗り。聞き終えるより早く騎士達は殺気立ち、剣の柄に手をかけて声の場所へと駆ける。
「始めに、これは単なる宣言というか言葉であり、敵意や戦闘をしにきた旨の拡声魔法じゃありません」
敵意はない、と声は言った。だが、その宣言だけで騎士の動きは止まらない。当たり前だ。名乗りはした。害さないと約束した。しかし、その保証はどこにある。この程度で動きを止める者は、騎士失格もいいところだ。
「警戒したままでいいし、なんなら直接目の前に来てもらっても構わない」
「それでも、聞いてほしいことがあるんです。どうか」
でも、そんなことは彼らも分かりきっているのだ。故にサルビアとザクロは頼み込む。例え拘束されても、剣を突きつけられても構わない。話をさせてくれるなら、と。
『伝令』の者を中継し、騎士の意思が統一される。即座に現場に駆け付け、当主の保護及び声の主の確保。話に関しては、その時の状況にて決定。とにもかくにも、グラジオラス家の安全を最優先に、彼らは動いた。
「早いな。流石だ」
「……お仕事増やしてしまって、本当にごめんなさい」
現場に騎士が辿り着いた。それは、現場を直接見ていない者でも、二人の声から察することができた。放送の内容は一度中断され、拘束されるようなやりとりが垂れ流される。
「続けさせていただくこと、感謝する」
「こんなことをしてまでお話しさせていただきたいのは、アイリス様のことです」
そして、騎士達が下した決定は続行。正確に言うなら、被害者を装っていたロワンのウィンクによって、下された決定だ。
「知っている方も多いと思いますが、彼女は約一年後の剣術大会の優勝者と婚約することになっています」
「現状、大本命は我が祖父ハイドランジア。そうなれば、グラジオラス家はカランコエ家と縁を結ぶことになる」
まず始めに。アイリスを取り巻く状況の説明に、悔恨と怒りの二種の無言、そして驚愕のざわめきが屋敷を駆け巡る。悔恨は力及ばぬ忠誠の騎士の。怒りは裏切られたと感じる騎士の。驚愕は今知った者達の。
「そして数日前、それを嫌がった者達によって、アイリス様は暗殺されかけました。グラジオラス騎士団内部にも、犯行に及んだ者がいます」
そして、それらを抑え込むような強き怒りの声は、一人の橙髪の少年の。
再度、更なるざわめきが屋敷に響く。アイリスが家出をしただけとしか知らなかった者達による、動揺だ。暗殺されかかっていたことだけでも驚きであるのに、ましてや内部の犯行となれば。
「そこでです。どうか、聞いてください。忠義に厚き、グラジオラス家の人々よ」
ザクロの声は続き、アイリスを守ろうとする者達へと丁寧に呼びかける。
「そしてどうか、お願いだ。アイリス様を殺して、グラジオラス家とカランコエ家の結婚を防ぎたい方々」
次に彼が呼びかけるのは、暗殺者とその雇い主。震える声の裏には凄まじい、燃えるような怒りがある。誰の耳にもはっきりとそれは分かる。だがそれでも、彼はアイリスを救いたいという一心で抑え付け、表面を取り繕ってみせた。
「この俺、ザクロ・ガルバドルが大会に出る。ハイドランジア・カランコエを倒し、彼の優勝を阻止してみせる」
だが、次の言葉は。抑え付けていたはずの一心と怒りが、同じ方向を向いていた。一切の剥き身となった彼の心は鋭き剣のような宣誓となり、大気を震わせる。
「もしも優勝した暁には、できる限り長引かせた上で婚約を破棄する。いちゃもんつけられてもう一回剣術大会をするってんなら、もう一度優勝してやる」
剣術大会に出て、あのハイドランジアを止めると、彼は言った。だが、無理に決まっている。そもそもザクロとは何者か。多くのざわめきが走りかけた。しかし、ザクロはそれら全てを許さず、畳み掛ける。
「暗殺の動機は、グラジオラス家がハイドランジアに取り込まれることが嫌だからだろ……?だから、頼む。必ず俺が止めるから、どうか待ってくれ」
理由の確認と彼が大会に出る動機。ザクロが止められるかという疑問を除けば、どれも筋が通っている。グラジオラス家がハイドランジアに屈しないなら、確かに暗殺をする理由は消える。
「ザクロ先輩について、付け足しておこう」
だからその疑問を埋める為に、もう一人の少年の声が拡声魔法を奪い取った。
「先輩はこの俺に並ぶ剣士だ。ハイドランジアに並ぶとされるこの俺に並ぶ、強者だ。カランコエの名にかけて、彼の実力は保証する」
貴族の中で最も重い保証を、彼はザクロの強さに使う。彼ならば可能性があると、世界に向けて知らしめる為に。
「以上です。時間をいただき、警戒させて申し訳ありませんでした」
「サルビア・カランコエからも謝罪を。迷惑をおかけした。正式な謝罪は後ほど」
事態についていけない者が続出する中、ザクロとサルビアは謝罪を最後に話を打ち切った。声が僅かに遠ざかったのは、魔法陣越しで本当に頭を下げたからだろう。
「……」
反応は様々だった。時間も場所もいきなりで無遠慮で、内容は突飛に過ぎる。だというのに、その発言を支持するのはかのカランコエの後継。驚きのあまり無言になる者。一体どういうことかと、周囲と話し合う者。真の主人に伝えるべきか、腹の中で考える密偵。
ただ一つ確かなのは、誰もこの宣誓を無視できないということだった。
「下がりなさい。迷惑をかけましたね」
拡声魔法が切られると同時、ロワンが二人を拘束している騎士に手をかざす。主人の命令である以上、戸惑ったとしても従う他にはなく。ザクロとサルビアの首元に突き付けられていた剣が、鞘へと収められる。
「い、いえ!しかし、これは一体……」
「全て、彼らの言葉通りです。各自、持ち場へ戻りなさい」
今この瞬間にも、好機と見た輩がアイリスを襲うかもしれない。故に時間はないと、ロワンは最小限の返答と共に再度命令を下す。
「迷惑をおかけしました」
「申し訳ない」
数人を残して戻っていく騎士達に、ザクロとサルビアはもう一度頭を下げ。そして、彼らがいなくなってから顔を上げ、
「……これで、止まりますかね」
「ええ。アイリス様の心臓が止まったと思うわ」
問いかけたザクロに、マリーは冗談とも本気ともとれる言葉で返す。この場にアイリスはいないが、崩れ落ちたことは間違いないだろう。
「やたら見送りを拒否すると思ったら、そういうことだったの」
「まぁ、さすがに目の前にいたら、俺もやりづらいし……」
ジト目を向けるマリーに対し、ザクロは困ったように頰をかく。彼女の言う通り、防犯上の理由という建前で、アイリスとは玄関で別れを告げた。彼女は門まで見送ると主張し続けたが、断固譲らぬザクロとロワンを前に泣く泣く撤退したのだ。
「実の父親の前じゃない。それはやりづらくないの?」
「……で、どうでしょうか。その、色々と」
少年は指摘には答えず、本人の方をおそるおそる仰ぎ見る。いくら事前に伝えていたとはいえ、愛娘と一時的な婚約および、その破棄を大声で宣言されたのだ。心境は如何なるものか。
「非常に良い策でした。あなたには策謀の才能があるかもしれません」
「あ、ありがとうございます……」
「個人の感情に関しては複雑ですが」
ずっと目を瞑ったままのロワンの声に、ザクロは恐縮ですと頭を下げる。その上から付け加えられた言葉には冷ややかな熱があり、その場にいる全員がびくりと震えるには十分だった。
「で、これはそんなに上手くいくのかし……でしょうか?」
雇い主も言葉の範囲であることを思い出すようにして、マリーが尋ねたのはこの策の効果。
ハイドランジアとの婚姻を防ぐと公言することで、アイリスへの暗殺を減らそうとする目的は理解できる。ちょっと有名なくらいの少年の演説とはいえ、サルビアが強さを保証しもした。しかし、演説は所詮演説。関係ないと、暗殺を続ける輩もいるのではないか。
「断言はできません。しかし、良い影響は必ずあるでしょう」
それに対し、ロワンは好意的に首を振る。未来が見えない彼には、分からない。だが、この策を実行しないよりは良いものになるだろうと。
「そんなにいい策なんですか?」
「ええ。実に」
疑うマリーに、彼は深く頷く。その通り。この策は見事なまでにハマっているのだ。
「全員ではありませんが、間違いなく敵の数は減ります」
「どうしてですか?」
「雇い主の多くが、保身に長けた腰抜けだからです」
暗殺を依頼する者は大きく分けて二種類。カランコエに権力を握らせたくない者と、ハイドランジアを憎む者。
前者は狡猾にして卑劣、そして何より臆病である。より暗殺し易いアイリスを、自らの手ではなくハイドランジアに恨みを持つ者達に狙わせる。この時点で、利益は得たいがリスクは背負いたくないという魂胆が透けて見える。
「彼らにとって重要なのは目的にして結果。暗殺やアイリスの死は、あくまでカランコエの権力を削ぐ為の手段に過ぎません」
「あー、なるほど!」
暗殺自体のリスクは高いが、しなければハイドランジアは止まらない。故に仕方なく、彼らはアイリスの暗殺を行なっている。
「つまり、ザクロが代わりにアイリス様と婚約するっていう、彼らにとって最もリスクの少ない手段を提示したのですね!」
「リスク……?まぁ、そのリスクという単語が、危険などという意味なら、そうです」
今日行ったのは、新たな手段の提示。何もせず、ただ見ているだけで目的が叶うかもしれない。となれば、保身に長けた彼らは無理に暗殺を行おうとはしないだろう。
「無論、問題もあります」
「分かってます。俺の強さの信頼ですよね」
保身に長けた彼らは少なくとも、しばしは様子見に徹するはず。そこで今後を左右するのは、ザクロの強さと名声なのだ。
いくら実力があり、サルビアが名前の下に保証したからと言って、「はい、そうですか」と信頼するほど彼らは純真ではない。ザクロの評判がハイドランジアを下回るなら、暗殺を再開させるだろう。
「本当にハイドランジアに勝てるかもってくらい、俺の名前が広がれば」
その為にザクロは、今まで以上に名を上げねばならない。剣術大会を荒らし、危険な魔物を狩り、強者と競い、そして武芸祭にて。それだけの強さを、見せつけなければならない。
「疑問なんですけど、その、アイリス様を差し出さないといけないほど、状況は悪いんですよね?」
「ええ。申し訳ありませんが、マリーさんの言う通りです」
「アイリス様を無視して、カランコエ家が直接グラジオラスを掌握しようとすることもありえるんじゃ……」
暗殺の軽減及び、アイリスをハイドランジアから守ることについては、マリーも理解した。しかし、アイリスはカランコエにとって口実に過ぎない。彼女を放置し、もっと別の方法でグラジオラスを潰そうとするのではないか。
「あっ……」
マリーの見つけた心配に、気が付いていなかったザクロは口を抑える。その通りなのだ。ハイドランジアは、別にアイリスを手に入れなくても良いのだ。少女を守ることに囚われすぎて、彼は大局を見失っていた。
「そう考えると、カランコエ家の騎士を護衛にするってのもダメなんじゃ」
カランコエ家の騎士をアイリスの護衛にすることも、裏目に出るかもしれない。グラジオラスの懐に、カランコエの刃を迎え入れるも同じなのだから。
「いえ、そのことについては安心してください。彼は自らの剣に誇りを持っています。その誇りが、彼の枷になる」
「俺も同じ意見だ。それが祖父の強さの根源で、彼だ」
しかし問題はないと、ロワンとサルビアは断言する。最強の剣士という条件を付けてしまった以上、ハイドランジアはそれに拘る。例えもっと直線的な手段があったとしても、愚かであっても、彼はそれを選ばず、剣で勝ちに来ると。
「それに、私も全力で抗います。くれてやるも同然の約定を結んでいるのです。それを盾にすれば、彼らは動けない」
仮に剣の誇りを捨て強引に迫ってきたとしても、跳ね除けてみせると少女の父親は言った。それくらいのことは、できるとも。
「ちょうどキリのいいところですね」
話も一段落したところで、彼らは門に辿り着いた。先導していたロワンは身体を翻し、ザクロ達に向き直り、
「改めて、謝罪と感謝を。当家のいざこざに巻き込んでしまい、申し訳ありません。アイリスを守ってくださり、そしてこれからも守ろうとしてくださり、誠にありがとうございます」
心からの丁寧なお辞儀を。彼らがいなければ、アイリスは死んでいただろうから。彼らがいなければ、ロワンは完全に諦めていたかもしれないから。
「いえ。別に……俺の祖父がめちゃくちゃをして、こちらこそ申し訳ない」
「そうですよ。人として当然のことをしただけです。知ってる人が悲しそうにしてるのって、俺も悲しいんですよ」
こちらも改めて先と変わらず。サルビアはむしろこっちが元凶だと謝罪し、ザクロは当たり前のことだと手を振って遠慮する。
「それでは。またいつでも、遊びに来てください。娘も喜びますから」
「き、気まずいかもだけど……分かりました」
笑顔のロワンの笑っていない目に射抜かれ、ザクロは「あはは」と乾いた声と共に後ずさる。しかし最後には、神妙な面持ちで頷いて。
「休みの日は街に顔を出すわ。その時はよろしくね」
「ああ」
マリーは小さく手を振って、二人を送り出す。護衛として残る彼女の再会の希望に、サルビアは短く、だが確かに承諾した。
「……」
最後にもう一度、少女がいるであろう遥か遠くの屋敷に目線を向けてから、ザクロ・ガルバドルとサルビア・カランコエはグラジオラス邸を去った。
強化を使って道無き道を征き、日付が変わる頃に街へと戻った二人。走りっぱなしで疲れた身体を寝て癒し、翌日。
「いやぁ。無事で何よりだねぇ。よかったよかった」
「本当です……!動骨の変異種、それも龍骨を身に纏う怪物と出くわすなんて!」
「災難だったねぇ。うんうん」
久しぶりの登校の朝礼前、プラタナスの研究室にて。全く心配していなかったであろう部屋の主人と、心配しまくっていたと思われるその弟子に、ザクロとサルビアは元気な顔を見せていた。
「ねぇ先生。ルピナス見習ってもうちょい心込められません?まぁ、大丈夫でしたけど?」
「はっはっはっ。魔力切れして大丈夫とは、流石だねぇ」
「なんでそれを知って!?」
「私の耳は、君の思ってる以上に広いのだよ。心は狭いがね」
見栄を張るザクロだが、一体どこから仕入れたのやら。限界ギリギリの戦いだったと知っていたプラタナスにチクリと刺され、見栄という名の風船はしぼんでしまう。
「自分で言うのかよ……そういや結局、全部先生の思い通りになったぜ」
「それは重畳。いやぁ、ガラにもないことをした甲斐があったとも」
「ここまで読んでたってんなら完敗だ。むしろ感謝の気持ちすら湧いてくる」
目を細めた少年が告げるのは、この事態の結末と己の指針。動龍骨というアクシデントはあれど、それ以外全てはプラタナスの想定通りに事が進んでいたことに、ザクロは肩をすくめた。
「心配させたなら、すまなかった。ありがとう」
「おや。これはこれは予想外だ。なかなかどうして、面白いねぇ」
「サルビア様……?なにか、変わりました?」
火花を散らすようなやりとりを横目に、サルビアは二人へ謝罪と感謝を。数日前とは明らかに変わったその様子に、プラタナスもルピナスも目を見開く。
「別に」
「動龍骨にやられそうになってようやく、人との関わりの大切さに気付いちまったんだ」
「別にと言っているだろう」
驚かれた上にわざわざ指摘されるというのは、思春期の少年にとっては恥ずかしいもの。肩を組んでからかってくるザクロから、サルビアはぷいっと顔を背ける。
「それに、感謝しなければならないのは事実だ。そうだろう?ザクロ先輩」
「そりゃそうだな。ルピナス。君には本当に、心の底から感謝してる」
でも、言わなければならないことがあると、顔を背けていたサルビアも、からかっていたザクロも、少女の方へと向き直る。
「へっ!?わ、私ですか!?何もして」
「魔法陣の詰め合わせをくれただろう。あれのおかげで助かった」
「これはまじで。あと、俺に魔法陣だけの戦闘術、教えてくれてありがとな」
困惑するルピナスに、彼らはありがとうを。その理由はアイリスの時と同じく、魔法陣の提供、および教わった技術だ。お近づきの印にと渡された詰め合わせが、二人の命を繋いだのだ。
「わ、私なんかが、したことが?」
「ああ」
「私なんかなんて、卑下しないでいいと思うぜ?だって、本当のことなんだから」
過去に自信も自己肯定も奪われた彼女にとって、それらは馴染みない言葉。故に彼女は、込められた感情と肯定に、涙を流すほどの意味を見出す。
「ご、ごめんなさい……その、私、嬉しくて……今までそんなこと、あんまり言われたことなかったし、役に立ったことも、数えるくらいしか」
ほろりと、目尻から液体が零れ落ちる。感極まったルピナスの悲しみの涙と暴露を、サルビアとザクロはただ黙って見聞きすることしかできなくて。
「本当にごめんなさい……いきなり泣き出して、変ですよね……」
「普段日頃から私の身の回りのお世話とかをしているのは、数えてないのかい?」
常人なら返す言葉に悩むであろう状況の中、プラタナスはただ一人、まさかの拗ねるという選択肢をとった。血色の良い唇を尖らせ、むすっと頰を膨らませて、可愛くない。
「え、でもその、先生。今まで一度も、ありがとうとは言ってませんよ……?」
「言われてみれば、ふぅむ。そんな気もするねぇ」
「いえ、先生の心を読み取れなかった、私が悪いんです!」
しかもまぁ、散々世話させといて一度もお礼を言ったことがないなど。自己肯定感の低いルピナスにはダイレクトな言葉ですら、届きにくいというのに。
「いやいや。先生の方が悪いですって。言わなきゃ伝わんないすよ」
「五歳児でもお礼は言えるぞ」
結果的に慰めにはなったものの、勝手に自分が原因のことで拗ね出した、生徒にお世話されるヒモ教師。おまけにお礼も言えていないともなれば、なかなかのアレ具合である。
「ならば全部まとめて、今言おう。助かっている。ありがとう」
「あ、その、こちらこそというか!全然!先生が助かっているなら、光栄です」
今までの感謝を全部、たった数秒にまとめるプラタナス。具体性もなく、さすがにあっさりすぎないかとサルビアとザクロが疑う中、ルピナスは先ほど以上に感極まり、逆に頭を下げ始める。
「……俺は今、何を見させられている?」
「俺も分かんねぇ」
いささか理解の遠い光景に、後輩が先輩に尋ねるも、答えは得られず。分かるのは二人がしっかり述べた感謝は完全に、プラタナスのまとめ感謝に上書きされてしまったことだけ。
「さぁて、話を戻すとしようか」
「いや、どこに」
ルピナスに頭を上げるように促した後、プラタナスは深緑の目をサルビアとザクロに向ける。一体どこで脱線したのか分からない二人は眉を寄せ、困惑の表情を浮かべるも、
「無論、報酬の話だとも」
「え?先生への対価?」
「違う違う。君達はルピナスにもらった陣に助けられたのだろう?だったら、彼女には報酬を要求する権利があるはずだ」
「それもそうだな」
「ルピナス、何が欲しい?」
内容を聞けば、確かにそういう話の流れもあり得たかと頷けるもので。間接的とはいえ命の恩人。サルビアもザクロも、自分達の出来る範囲ならと涙跡の少女に問う。
「え、いや、い今更対価とか別に!あれはあげたものであって!」
「せっかく彼らがくれると言っているんだよ?貰えるものは貰っておきなさい」
「先生がくれって要求したんじゃ。いや、別に全然いいんだけど」
しかし内気な少女は、別にいらないと両手をあわあわ振るばかり。臆病による無欲なその態度に、プラタナスは優しく強欲を諭す。
「ほら、飯の一回なんてケチくさいことは言わずに、龍骨なんか、ねぇ?」
「……あ」
そう。具体的な名前を出し、ルピナスを誘導する。すると少女は、思い出したかのように小さく吐息を漏らして瞬きを繰り返し、
「あ、あの、申し訳ないんですけど……龍骨を、分けてもらえませんか?」
サルビアとザクロに、あの余りにも硬すぎる骨が欲しいと告げた。
「ああ、確かあれ、全部俺らのものになってたんだっけ」
魔物を討伐した場合、基本的にその死骸の所有権は討伐者のものである。此度の動龍骨も例に漏れず、討伐した二人の共同所有になっていると、詳しい報告をしに行った時に通達された。
「いいけどあれ、なんに使うの?ぶっちゃけ硬すぎてろくな加工できないけど」
龍骨はその硬さ故に、素材そのままの形で使わざるを得ない。研いで剣にすることはできず、精々鎧に組み込むか盾にするかが関の山。彼らも持て余していたので、渡すことに抵抗はない。
「なんらかの魔法の触媒か?」
ならば気になるのは、その使い道。龍の身体の一部なら、触媒になってもおかしくはないが。
「まぁその、そんなところというか、なんというか……」
おかしいのは、ルピナスの様子だった。上を向いたり下を向いたりと挙動不審で、答えもあやふやなもの。それはまるで、何かを隠しているような。
「いやまぁ、別にただ興味本位で聞いただけだから、無理に答えなくてもいいけど」
とはいえ別に、無理に聞くことでもない。あげても構わないと、ザクロは話を打ち切ろうとするが、
「……いえ!答えさせてください!それと謝らせてください!ごめんなさい!」
「え?」
それをルピナス自身が許さず、彼女は怒涛の勢いでまくし立てて、腰をほぼ直角に近い角度で曲げた。
「いきなりどうした」
「その、私、ずっと隠してたことがあったんです!」
訳の分からぬサルビア達に、いつにない大声で彼女は、下を向いたまま告白する。
「実は––」
それはルピナスが二度目に振り絞った勇気。彼女の口から語られたのは、ザクロにとっては驚きで、サルビアにとってはある場面を思い起こさせる秘密。
一度目の勇気の教師は、誘導されたとはいえ、最後には自らの力で歩き出した少女を見て、嬉しそうに頷いていた。
龍骨の譲渡と、後日どの部分が適しているかを一緒に確認しに行く約束を取り決めた直後。朝礼の五分前を知らせる予鈴が鳴った。
ルピナスはもう少し先生と話がしたいと研究室に残り、今、芝生の上を走っているのはザクロとサルビアの二人だけ。強化も使っているのだ。間に合うどころか、一分二分くらいの時間は余る。
「サルビア!」
「なんだ」
だから、ザクロは少し前を走る後輩を呼び止めた。さすがの反応速度で、次の脚を蹴り出す前に止まったサルビアとの距離は約五歩。近くはある。だが、離れていることに違いはない距離だ。
まるで、二人を表しているような距離だ。
「俺、お前に勝てねぇって思ってた」
初めて剣を交えた時に、ザクロは直感した。この後輩は本物の天才、いや、それ以上の何か。今は互角であっても、近い将来必ず追い抜かれ、追いつけなくなると。
「ああ、知っている」
最初こそ張り合いもした。だが、ザクロは次第に仕方ないことだと、才能の差だと諦めていった。どうせ自分は、プラタナスにもプリムラにも劣るのだから。そしてそれは彼の剣にも表れ、サルビアにもプラタナスにも伝わっていた。
「バレてたのね。だっせぇなぁやっぱり」
「……おそらく、そっちの方が一般的だと思う」
諦め、二番手三番手でも構わない。そう思って現状に甘え、妥協することは悪いことばかりではない。一番とは基本的に一人だけであり、それを目指し続ける道は険しく、辛いものであるが故に。
「いやでもやっぱり、俺は俺自身をダサいし、情けないって思ったよ」
だが、それでは勝てない。一番にはなれない。本気で目指す者とそうでない者の間には、後々見過ごすことなど出来ないほどの差が生じる。この一ヶ月でも、恐らく差は広がってしまった。
「アイリス様に出会ったからか?」
「それもあるっちゃあるけど、あれだ。動龍骨との戦いで、情けねえ自分に腹が立った」
その差が、動龍骨戦だ。もちろん、ザクロなくして勝利はなかった。だがそれでも、サルビアが削れた動龍骨を、自分が削れなかった悔しさはあった。後輩に任せるしかなかった自分を、情けなく思った。怒りを抱いた。
「もっと強くならなきゃって、思った」
そして、恐れた。サルビアが仮にいなかった場合、どうなっていたかを。自分が二番手三番手に甘え、妥協したせいで、命を落とす人がいる可能性を。だから、ザクロは思った。彼は決めたのだ。
「だから俺、お前に勝つよ。その先の強さを手に入れる為に」
「……」
勝てないと思ったサルビアを超え、その先に至る為に。そして、アイリスやその他大勢の助けるのに強さが必要な人々の為に。何より、自分の為に。
「まぁ、勝てるかは分からないけどな。やらなきゃ始めから負けだろ」
彼が今しがた口にしたのは本音であり、弱音であり、希望でもあり、真理でもある言葉だった。
「ありがとう。先輩」
強き瞳に射抜かれ、宣言を受け、サルビアの顔が歓喜と感謝に歪む。そうだ。サルビアはずっと、待っていたのだ。
「俺に張り合ってくれる人間は非常に少ない。剣以外ではあの傲慢女くらいで、剣は祖父くらいだった」
彼は天才過ぎた。大人も騎士も剣士も教師も、サルビアの剣を見れば、諦めてしまった。皆、才能の差だと悟り、張り合うことをやめてしまうのだ。まともに剣の相手をしてくれるのは、祖父のみ。そして最近では、その祖父でさえ。
だが、サルビアは学校に入学して、ザクロに出会った。まだ学生だというのに自分と並ぶ強さを持ち、なおかつ張り合ってくれた先輩だ。だからサルビアは、彼に懐いたのだ。
「やっぱり先輩も同じなのかと、思い始めてた」
しかし、ザクロの剣に灯っていた熱は、徐々に冷めていった。諦めていった。あの手この手ではっぱをかけ、もう一度熱しようとはしたけれど、どうにもならなくて、そのことをサルビアは悲しく思っていた。
「でも、先輩は今日、宣言してくれた」
諦め、好敵手としてはなく、ただの仲の良い先輩として見始めた時、彼の剣が再び燃え始めた。命の危機と明確なる剣術の差。そしてある少女の運命によって、彼の心に火がついたのだ。
「それが、俺は嬉しい」
それがどれだけ、サルビアにとって喜ばしいことか。嬉しいことか。きっと、他の誰にも分かるまい。剣の高みの孤独にいる者しか、分かるまい。
「どうか、俺に勝とうとしてくれ。俺もその上を行くから」
歓喜と感謝の後、彼は宣言に宣言で返す。獰猛に歯を見せて笑い、灰色の眼で橙の意思を睨む。
今、彼らはもう一度出会ったのだ。真に競い合う、好敵手として。




