第20話 奇妙な食卓
どこの世界にだって、犯罪を働く者はいる。むしろ日本なんかよりもずっと、この世界の方がそれは多い。虚空庫という凶器や死体を隠すのに最適な魔法があり、また、魔物という罪をなすりつけるには最高の存在もあるのだから、当然のことだろう。
その為、街道や夜道を行く時は出来るだけ大人数で一緒にというのが、この世界の常識だった。
スミラにとって不幸だったのは、五人を大人数と勘違いしたことと、人間の醜さを侮ったことだろう。五人もいたのなら、その内の三人が男性なら襲われないと。もしもの時でも、全員が力を合わせて戦えばと。彼女達はそう思って、街道を歩いていたのだ。
「今日は何買っちゃう?」
「着いたらまずはさ!スライム飲もうよ!」
田舎の村から、そこそこ栄える街へ。もう八度目となる同じ道でも、期待を胸に弾ませ、足取りは軽やかに。慣れと安心に溺れた若者達に、悪意は白昼堂々襲いかかった。
「そうだよなぁ。折角の街だし、村では食えな」
「え?」
まずはスミラの幼馴染の男子と、その兄の頭が弾け飛んだ。土の槍の投擲だった。でも、何があったかなどすぐに理解できる訳もなく。逃げ出すよりも迎え撃つ準備を整えるよりも早く、男は現れた。笑顔の仮面で顔を隠した、中年と思しき男性だ。
「ちょっと、なんだよお前!やめろおおおおおおおお!おっ……」
慌てて逃げようとした友人の少年の脚が、土によって挟まれ、壊される。痛みに悶え、止まった一瞬。仮面の男が振り下ろした金槌が、彼の頭を陥没させた。
「ひっ!」
男は用無し、女性は後回し。つまり、そういうことだろう。末路を察したスミラと友人は、絶望に覆われる。
「え?」
そして、ここで運命が別れた。あろうことか友人は、スミラを突き飛ばした。彼女が助かる為だけの、生贄にされたのだ。
「なんで……?」
スミラが口にしたのは問い。最初は現実を受け入れなかった意味で、数秒後には全く別の意味の疑問。男は捨てられたスミラを無視して、自分だけ助かろうとした女を追いかけた。
「やめ」
制止の言葉は間に合わなかった。言い終えるよりも早く、少女の胸に剣が突き刺さった。まだ生きている。もがいている。叫んでいる。でもきっと、あれはもう助からない。
「っ……!ごめん、なさい!」
本能が下した、冷静な判断。スミラは立ち上がって、友達に背を向けて、走り出した。ざまぁみろなんてとてもじゃないが、思えなかった。逃げる自分を責めもした。ただ現実として、冷静な自分が助けに行っても無意味だと告げていた。
友に見捨てられ、心が折れたとでも思っていたのだろうか。スミラが逃げようとしていることに、男は驚いたようだった。遅れた初動。その数秒が、大きかった。
「あっ……!」
スミラの右脇腹に灼熱が走り、眼前の土に氷槍が突き刺さる。露出した肌は寒く、傷口は焼けるように熱く、痛い。でも、止まらない。
「うっ……!ううぅ!」
夢中で走った。がむしゃらに走って、こけて転んでその度に立ち上がって。右脚、右腕、首。何度も何度も魔法が身体を掠めて、痛みも忘れて進み続けて、ようやく止まった。
どこかの森の中だ。ぺたりと着いた膝から、くすぐったい草と柔らかい土の感触がある。
「はっ……はっ……」
どれだけ走っただの、ここはどこだだの、そんなものは頭になかった。悲しみだけが、頭の中にあった。
「……とりあえず、どこか、身を隠して、休みたい……」
そして、寒かった。彼女は血を流し過ぎていた。体温が下がり始めていたのだ。休めるところをと、傷を押さえて彷徨い歩き、見つけたのは薄暗い洞窟。獣の匂いはしないと立ち入り、横になって数分。彼らはやってきた。
「えっ?」
「ギッ!」
「ギッ……」
二匹の小鬼だった。顔と腕に深い傷のある一匹に、もう片方が肩を貸していた。他の魔物との生存競争に負けたのか。はたまたスミラを追う男の八つ当たりに巻き込まれたのか。どちらかは分からないし、死の淵に立つ少女にとってそれは、もうどうでもいいことだった。
「なんで、こんな時に、出会っちゃうかなぁ……」
死ぬのが少し早まったとしか、最初は思わなかったのだ。負ければもちろん死ぬし、勝ったとしても、身体はもう戦闘には耐えられない。だからもう、だらんと手足から力を抜いて、せめてこれ以上痛くないことを祈った。
「ギギッ!」
そんなスミラを見ても、小鬼は戦うつもりのようだった。手負いの仲間を守るように、血走った目で短剣を向けている。
「貴方達は、守ろうとするんだ、ね……」
息も絶え絶え。言葉を紡ぐのすら苦しく、消えそうになる意識。でも、でも、視界に映る誰かを守ろうとする光景に、心が動いた。
「いい、なぁ」
羨ましいと思った。そして、助けたいと思った。だから、最後の灯火が燃え始めたのだ。
「ギィ!……ギッ!?」
「もう少しだけ、待っててね」
傷つくのも構わず、振り下ろされた短剣を手で握って受け止める。思わぬ受け方に驚いている小鬼を通り過ぎ、負傷している方へと駆け寄って、治癒魔法をかけ始めた。
「治してあげるから」
スミラの傷の面積は広く、逃げる時に消費し過ぎた魔力では全てを治癒しきれない。しかし、小さい鬼の大きな傷くらいならば、塞ぐことはできる。
「ギ……?」
小鬼も最初こそは抵抗したものの、暖かい治癒の光に気付いてからは大人しくなった。治してくれていると分かったからだろうし、なぜ治すのかが分からなかったから、でもあるだろう。
短剣を握っていた小鬼も同じこと。予備の短剣を引き抜き、襲いかかろうとはした。しかしスミラに敵意がなく、むしろ仲間を治してくれていると知れば、大人しく傍らで見守り始めた。
「なにをしていル?」
その時だった。いつの間にか背後に立っていた人影が、スミラに声をかけてきたのは。
「ごめん、なさい……私を殺すのは、もう少し、待ってもらえる?」
仮面の男が追いついたのだろう。だが、振り返らず、汗を垂らしながら言葉を紡ぎ、治療を続ける。憎しみが一瞬だけ鎌首をもたげたが、行動に出るまでには至らなかったのだ。
「治しているのカ?人間のくせニ?自分の傷も治さズ?」
「ええ、そうよ……あら?大きい人も、いるのね」
なぜかは分からない。続く問いに、スミラは少しだけ苛立った。文句を言う為に振り向いて、緑の肌に驚いた。そして見上げて、人影の正体を知った。
大きい小鬼だった。鍛え上げられた鋼のような肉体を、更に金属の鎧が覆っている。顔の形は小鬼よりは人間に近いが、黄色い眼と牙だけが違う。全身には、古い傷痕がいくつも刻まれていた。
「人ではなイ。小鬼ダ」
「この子を助けにきたの?」
緑の巨体の衝撃によって、文句なんてどこかへ飛んで行ってしまった。代わりに、むすっとしつつもどこか困惑しているような小鬼へ、スミラは疑問を投げかける。
「そうダ。お前ら人間との戦いで傷つけられた奴がいると聞いテ、探していタ」
「そう……よかったぁ……!」
これまた不機嫌そうな顔で返された答えに、スミラは血の混じった安堵の息を吐いた。嬉しかったのだ。例え魔物であれ、誰かの命が助かることが。小鬼達に治療を待ってもらえたことが。見捨てる人間もいるが、見捨てることのない小鬼もいると知れたことが。
「お前、その血の量ハ」
「簡単な、止血だけだから……診てあげてね?」
魔力が尽きるまでの治癒で、なんとか小鬼の傷は塞ぐことはできた。スミラは霞む視界に映る伸ばされた緑の手に、治療の引き継ぎを述べる。
「私の分も、生きてね……?」
最後に、伸ばされた大きな小鬼の手を掴もうとしたところで、彼女の意識が途絶えた。闇に落ちるその刹那には、悔しさがあり、悲しみがあり、無念があった。だが少しだけ、そこに満足が混じっていた。
「ギッ!」
「分かっていル。先に運んでおク」
しかし、彼女の人生はここでは終わらなかった。仲間と彼自身の意思にてクロッカスはスミラを優しく担ぎ上げ、治癒魔法の使える術師が揃う、王国へと走り出したのだ。
あくまで結果論に過ぎないが、スミラが治療しなくても、クロッカス達は間に合い、小鬼の命は助かっていた。しかし、この治療という行為そのものに意味がなかったかと言われたならば、それは決して否なのだ。
人が小鬼を、何の見返りも求めない完全なる善意で治療した。これがどれだけ特異なことだったか。この行為が、どれだけ小鬼の王の心を揺さぶったことか。
人に裏切られた娘はこうして、小鬼の王と出会った。
その後、スミラは小鬼の術師達の治療により一命を取り留めた。以来、小鬼の国に住み続け、今こうして二人に話すに至る。
「と、まぁこんな訳でして。人間界帰ろうにも、あんなの見たら嫌だなーって。それからずっとここにいます!」
歩きながら過去を話し終えた彼女は、笑顔で手を振って傷を見せびらかす。小鬼の短剣を受け止めた時に、残った傷だ。それだけではない。服に隠れていたが、よく見れば首筋にも傷跡がある。
「……」
「あー、ごめん。暗くしちゃったね」
傷の位置や小鬼との関係から考えて、全て真実。ザクロやサルビアにとってその話は心の中で処理し辛く、また反応に困るものであった。
「いや、その、なんて声をかけたらいいか」
「好きに言えばいいし、別に何もいらないわ!私は今、幸せだから」
「幸せ……」
言葉が見当たらないと正直に述べたザクロに、スミラは微笑む。殺人鬼に襲われ、仲間を殺され、見捨てられたというのに、影のない心からの笑みだった。
「最初はそりゃ裏切られたの悲しくて、人間私だけで寂しくてだったけど、少し経ったら気付いちゃったんだよね」
「何にですか?」
「人間も小鬼もあんまし変わんないってこと!」
その主な理由は今隣に立つクロッカスだろうと、サルビアとザクロは推測する。人語を解する、人とほぼ同じ背丈の優しき小鬼。確かに彼は、極めて人間に近い存在だ。
「小鬼と触れ合うのは楽しいしね!そりゃ、疎まれることもあるけど、大体の子は優しいし」
「……」
しかし、その推測は外れていた。クロッカスが大きな支えであるのは間違いないが、彼女は他の小鬼達にも支えられているのだ。
「小鬼って、人間が思っているよりもずっとすごいのよ!唾もそうだし、数の数え方も独自のもの。それに仲間思いだったり、求愛の際には贈り物を渡したり!」
「は、はぁ」
スミラは目を輝かせ、小さき魔物の文化を朗々と語る。ピンとこないサルビアは曖昧な返事で濁し、ザクロは黙り込んで何かを考えていた。
「オスは自ら仕留めた獲物の骨を削って首飾りにシ、メスに求愛の証として渡すのダ」
「その獲物の種類や強さで、メスは求愛を受けるかどうか決めるの!」
より強い子孫を残す為の風習なのだろう。弱く多くで繁栄してきた種族とはいえ、強さを求めていないわけではない。
「人間はしないのだナ」
「……一応、恋愛において贈り物はあるとは思う。ただ、骨の首飾りで強さを示すというのは、あまり聞いたことがない」
恋愛などしたことも、しようとも思ったことがないサルビアは、あくまで想像でしかないがと前置きして返答。その通りだ。この世界の人間も、大多数は骨の首飾りを好きな人に贈ることはない。でも、想いを込めた贈り物を渡すことは、小鬼も人間も変わらない。
「……あの、どこに向かってるんですか?」
その時だ。ずっと黙り込んでいたザクロがいきなり、何かに耐えられなくなったように声を発したのは。質問の内容は至極真っ当だし、本当に気になってはいるのだろう。だが、どこか虚ろだった。
「応接間ダ。そこで飯にしようと思うのだガ」
「もうずっと寝てたんだから、お腹空いてるんじゃないかなーって!」
「そういえば……」
話は一旦途切れ、食事へと移り変わる。言われて思い出したのだが、ここ数日何も食べていない。二人は揃って腹を押さえ、今更になって空腹感を自覚する。
「いや、しかし」
「不安そうな顔だナ。アア、なるほド。料理の内容が怖いのカ」
腹は鳴る。彼らは食べたいと思っている。だが、小鬼の食事を思い出せば、どうにも気は進まない。
小鬼は基本的に雑食だ。人間の食べ物だろうがその辺にあった死骸だろうが、それこそ人の生肉だって虫だってガツガツ食べる。それに対し、人間とはグルメなもの。生肉も死骸も人間も虫も、到底口に入れることなどできやしない。
「私の為に人間用の料理が用意されてるから!……でも、不安ならそうね。作ってるところ、見る?」
「え?」
一体、どんな料理が出てくるのか。そもそも小鬼に料理ができるのか。そんな彼らの不安を払拭する為に、スミラは行き先の変更を提案する。
「となると厨房カ。それでいいナ?」
「ああ、見てみたい」
「え、あ、うん。お願いします」
それはサルビアにとって、願ってもないことであった。遅れてザクロも頷き、彼らは厨房へと向かう。
「ここが厨房の入り口ダ。スミラ」
「はいはーい!じゃ、これ被って手袋して!」
「えっ!?」
「厨房だよ?清潔に!」
大きな木の扉の前に到着したところで、スミラが虚空庫から引っ張り出したのは、白い服と帽子と手袋と面布。面食らった二人は言われるがまま、シミひとつない綺麗さのそれに着替える。
「……まさかとは思ったけど」
「まさかだった」
そして開かれた扉の先、予想通りではあったとはいえ、想像の遥か彼方の光景に、二人は目を見開いた。
小鬼達が、白いのだ。大鍋をかき混ぜている小鬼も、肉を切っている小鬼も、野菜を洗っている小鬼も。今のサルビア達と同じように、しっかりと清潔な服に着替えて、料理をしているのだ。
「大っきいでしょ!」
「俺達小鬼には虚空庫がない上、数も多イ」
「ってなわけで、王宮内には第三厨房まであります!あ、ここは第一厨房ね!」
そして、大きい。広さは奥が見えず、大鍋も包丁も数えられないほど。これほどの大きさのものがまだ二つもあるなど、それこそ人間の王宮ですら負けかねない。
しかし理由を考えれば、なるほどと頷ける。人類とは違い、小鬼達には虚空庫がないのだ。保存食も作れるのかもしれないが、どうしても期限はある。それに小鬼だって、できたての方が良いのだろう。
小鬼の繁殖力を考えれば、この大きさの厨房になんの不自然もなかった。
「食料はどこから?」
ならば疑問なのは、大量の料理の為の食材の出所。これだけの量を作るのだ。狩りだけで賄おうものならば、近隣の動物を全て肉に変えたとしても、すぐに底をついてしまう。
「狩りも少量あるガ、主に家畜と畑だナ」
「薄々分かってはいたが……」
「牧場や畑の場所までは教えられなイ。上手く隠しているのでナ」
だから、消去法でその答えは出ていた。だが、とてもじゃないが信じられるものではなかった。
「農業だとか家畜飼ったりだとか、できるんだな」
ポツリと呟いたザクロの言う通り、小鬼にそこまでの知能があるとは思っていなかった。それが人間様の正直な感想だった。食べ物を見ればすぐに飛びつくような彼らが、種芋や子牛を我慢するなど、それこそ天地がひっくり返るようなものだ。
「確かニ、俺らは人間より頭が悪イ」
「でもね。作業を分担したら、とてもすごいの!人間と変わんないくらい!」
彼らはどうやって、天地をひっくり返したか。簡単だ。簡単にしたのだ。賢い者は数名でいい。賢者が考え、作業を単純化して分割し、小鬼達に割り振ればいい。
「なるほど……理解できた」
サルビアとザクロが今見ているこの厨房こそ、その証明。洗ったり切ったり運んだり煮込んだり焼いたりと、それぞれ役割を分担した小鬼達がぱたぱと忙しなく、真剣に働いている。
「ゴブリンって、割と真面目なのよ?」
「個体差はあるがナ……ン?どうしタ?」
まるで自分のことのように自慢するスミラに、突っ込みを入れるクロッカス。その時、この厨房をまとめていると思わしきホフゴブリンが、彼へと耳打ちを。
「準備ができたようダ。そろそろ食事としようカ」
「味には期待していいよ!みんなが頑張って作ったんだから!」
頷いたクロッカスと胸を張るスミラに促され、湯気立つ厨房に別れを告げる。そしてサルビアとザクロは二つ隣の、応接間へと足を踏み入れた。
「うお……」
「これはまた、驚かされた」
入ってすぐ、二人が目を奪われたのは、机に広がる美味しそうな光景。腹を空かせる匂いの鳥の丸焼き。芋をすり潰して固めて焼き上げた団子。野菜と肉が顔を覗かせる白いスープに。まだ生きているかのような魚の刺身。はっきり言って、そこらの店よりもずっと豪華だった。
「この皿も小鬼達が?」
「アア、俺達が作った皿ダ。気に入ってくれたカ?」
更に驚くべきは料理の下にある皿や、手元に用意されたフォークやスプーンなどの食器。木を加工した皿はまだ分かる。しかし、陶磁器の皿や金属製のフォークやスプーンを小鬼が作成したという報告は、聞いたことがない。
「マダ、上品に食べるとはいかないがナ」
「確かにそうね。クロッカスの次に上手い子で……人間の八歳くらいじゃないかな!」
ましてや、小鬼が食器を使いこなすなど。小鬼とは素手で食らいつくものという、今まで抱いていた常識が、肩をすくめたクロッカスとスミラの言葉で崩れていく。
「いただきます」
「いただきまス」
「「……いただきます」」
小鬼の王とその妻にならい、ザクロとサルビアも手を合わせる。食事の前の感謝の挨拶の言葉も、その仕方も、全く人間と同じだった。
「……」
「先輩は食べないのか?」
「ん?ああ……」
久方ぶりの食事にも関わらず、ザクロは食器を手に取らない。それを見たサルビアも口の手前でスープを止めて、先輩の顔を心配そうに覗き込む。いつもの空腹な彼なら、がっつくようにかっくらうはずなのに。
「毒は入っていなイ。ホラ」
「あ、いや、そういうじゃなくて、その……」
もてなす王自らが料理を口に運び、毒が入っていないと証明する。しかし、ザクロが食べない理由はそこではなかった。
「俺達に友好の唾をつけてくれたのは、なんでですか?まだ依頼を受け始めて一ヶ月のサルビアはともかく、俺は……」
「さっきも言っていたナ。たくさんの小鬼を殺してきたト」
何度も言い淀んで飲み込んで、少年の口からようやく吐き出されたのは疑問と、
「その罪悪感デ、喉も通らないト?」
「……」
今更湧き上がってきた、小鬼を殺したことに対する罪悪感だった。だってそうだろう。今目の前にある料理を、座っている椅子を、机を、王宮を作ったのは、人間が殺してきた小鬼達だ。
「なんで、飯なんか振舞ってるんですか。俺が憎くないんですか」
同胞を殺した人間をもてなすのも、同胞を殺しまくった小鬼にもてなされるのも、どっちもおかしいとザクロは言った。
「なんで目覚める前に、殺さなかったんですか」
なぜ、寝ている間に首を断たなかったか。彼はそれが分からなくて、知りたがったのだ。
「優し過ぎるナ」
俯き、声と体を震わせる少年に、小鬼の王は微笑む。どこか悟っているような、寂しくも優しい微笑みだ。
「……俺は貴方達にとって、殺戮者もいいところです。そんな相手に優しいなどと」
「いえ、貴方は優しいわ。例え私達にとって敵であったとしても、それは変わらない」
ザクロが述べた反論は、スミラの凛とした声で否定された。敵だから優しくないという考えは間違っていると。敵味方以前に個人の性格として優しいと、彼女は言い切ったのだ。
「先輩……」
サルビアは今になってようやく、ザクロの態度の意味を知った。おかしかったのだ。普段の明るい、まるで子供のようなザクロとは違い、今日の彼は暗かった。いや、どんどん暗くなったというべきか。
「知らないということハ、幸せなことダ。知れば知るほド、理解すれば理解するほド、近しい存在に思えてくル」
王国に来て、彼は知ってしまった。小鬼の生活や文化を。協力して料理をし、警備をし、愛し、愛される姿を見てしまった。人間とさほど変わらないと、思ってしまった。
するとどうだろうか。今まで平然と斬り殺してきた小鬼に対して、罪悪感が湧き上がった。まるで、気付かぬうちに人を虐殺してしまったことを自覚するような、そんな感覚。ザクロは小鬼を人と同じように、扱い始めてしまったのだ。
「今までに人間を殺したことモ、ないのだろウ?」
「人間は、ないです」
ザクロという人間は優しく、砂糖菓子のように甘い男である。人を殺したことはなく、殺すつもりも殺す勇気もない。ただ、殺さずとも守ってみせるという強い決意があるだけだ。その甘ったれた決意でも、今まではやってこれた。
「でも、魔物は飽きるくらい殺してきました」
間違ってはいない。人間は一人も殺していない。しかし、人間のような魔物の死体は山のように積み重ねてきた。小鬼がそこまで人に近いとは知らなかったとはいえ、これは事実だ。
「まずはゆっくリ、一つずつ答えていク。それでいいカ?」
「ええ」
魂から苦しみを吐き出したザクロに、クロッカスは黄色い片目を瞑って確認を取り、一つずつ紐をほどき始める。
「同胞を殺された件についてたガ、腹立たしくは思ウ。俺の国の者じゃなくてもナ」
一つ目。身内を殺されたことに、憎しみを抱いているかどうか。答えは肯定。人間に置き換えたって同じだ。仲間を魔物に殺されたのなら、憎しみを抱いて当然。
「なら!」
「だがそれハ、生きる為だったのだろウ?」
しかし憎しみは抱けど、その殺害に正当な理由があるのならば剣を引くと、クロッカスは言った。
「今まで殺しあってきた相手ダ。戦う前にわざわざ意思疎通ができるカ、確認をするわけもなイ」
関係を考えれば、仕方のないことだと。武器を振り被った相手に話しかける馬鹿はいないと。
「それニ、俺達だって人間を殺していル。それこソ、数え切れないほどナ。知っているだろウ?」
「ええ。学校でも、小鬼に殺された人がいました」
そして人の小鬼殺しが罪だというのならば、小鬼の人殺しも同罪であるとも。要はお互い様。話し合うより先に殺し合う間柄であったと。
「だから、お互いに知らないフリをしましょうと?」
ザクロはその意見には肯定しつつも、立ち上がり吠える。例えお互い様であったとしても、仲間を殺された憎しみはなかったことにならない。殺された者は生き返らない。その言葉に、皿の美味しそうな水面が震える。
「貴方は、それでいいんですか?」
「イイ。それガ、これからを変えるならバ」
問われたクロッカスは、一瞬の間もなく頷いた。憎しみを抱いていても、仲間を殺されたとしても、お互い様なのだから呑み込む。他ならぬ人類の敵である小鬼の王が、そう頷いたのだ。
「これから?」
「そうダ。これからダ」
それらは全て、これからの為。座ったまままっすぐな眼を向ける王に、ザクロは聞き返す。
「俺が目指しているのハ、人と小鬼の共存ダ」
「っ!?」
そして告げられた未来の形に、人間は声を失った。
余りにも無謀。余りにも夢想。両種生まれて以来続いてきた関係に終止符を打つという、人間の誰もが考えたことのない目的。
「人間との共存を望むことガ、そんなにも意外か カ?」
「ああ。夢でも見てる気分だ」
ククッと、喉の奥を鳴らして笑うクロッカスに、サルビアは素直な心を述べる。ザクロはまだ声帯が元に戻っておらず、ただ眼を見開くのみだ。
「夢、カ。合ってル。現実はお前らの思う通りダ」
小鬼とは、狩りや略奪によって食料を奪い、他者と殺し合う中で生きる種族だ。少なくともそれが、小鬼としての普通だ。親愛を同胞に抱くことはあっても、他種族に抱くことはまずない。
「夢を見ているのハ、この王国の小鬼のミ。それも一部だけダ。他の集落の小鬼も指導者モ、そんなことは考えていなイ」
異端者は少なく、スミラという名前の奇跡によって変わり始めた者達のみ。大多数の小鬼は今までのまま、人間を敵として生きている。そのことをどこか残念そうに、クロッカスは語る。
「だけど、私達は共存を願ってる。ここ一年の間、この国の小鬼はこちらから手を出すことはしていない」
「そしテ、助けられる者は助けていル。お前達のようにナ」
だがその数少ない小鬼達は、必死で友好の手を結ぼうとしているのだ。人の村や街からの略奪をやめ、森に迷い込み、魔物に襲われた人間を助け、匿う。小さなことかもしれないが、それは大切な挑戦だった。
「それが、俺達を助けた理由」
その一例が、サルビアとザクロだった。今後の共存を願う相手なのだ。殺さずに助けたことは筋が通っており、ザクロはそのことに理解を示すが、
「イヤ、それだけではなイ」
「君達はね。私達にとって、命の恩人なんだよ!」
「「え?」」
それが全てではなく、違う理由があった。唇を綻ばせたクロッカスと、満面の笑みを浮かべたその妻に、二人は驚かされる。助けられた覚えはあれど、小鬼を助けた覚えはなかったのだ。
「あの巨大な骨の化け物ダ。アレを倒してくれただろウ?」
「ああ、動龍骨か」
「まぁ、倒したけど」
クロッカスが口にしたのは、二人が数日前に死闘を繰り広げた末、討伐した怪物のこと。
「まさか、ここに?」
「その通りダ」」
「なるほど……探しても見つからないわけだ」
今まであの巨体を発見できなかった理由が、ようやく分かった。動龍骨はずっと、地下に潜っていたのだ。
「ということは」
「あれの纏う骨ヲ、俺達は超えられなかっタ」
そしてこの国に来て、どうなったか。当然、戦いになるだろう。しかし、剣の神に愛されたサルビアでようやく削れる骨の硬さだ。小鬼ではあの守りを超えることはできず、戦闘は虐殺へと変わる。
「沢山の小鬼が食われたわ。本当に絶滅するんじゃないかってくらい、沢山」
女王の顔にさす影は深い。あれだけの巨体だ。数匹食べて満足ということはなく、地下に居座った間、毎日おびただしい数を捕食し続けたことだろう。
「だから俺らハ、手を打っタ」
小鬼達は考えて戦った。真っ向から戦って勝利を掴むのではなく、勝つことは諦め、動龍骨に帰ってもらうことを試みた。
「四割近い小鬼を犠牲にして、なんとか地上へと誘導することができたの」
「ダガ、またいつ襲われるか分からなイ。次こそ終わりだト、俺達は思っていタ」
作戦は成功。生きた餌に誘導された動龍骨は、地下の王国から姿を消した。しかし、死んだわけではない。なお恐怖は健在であり、来ないことを祈る他になかった。
「それヲ、お前達が倒してくれタ」
「もう怯えなくてよくなったの!」
しかし、それもサルビアとザクロの手によって終わりを迎える。動龍骨は、彼らの剣にて断たれた。
「いやでもあれは、村の人を守ろうとしたからで」
「小鬼を守るつもりはなかったト?しかし、結果を見ロ」
それは、村人を守る為。小鬼のことなど頭になかったと述べるザクロを、クロッカスの目が射抜く。
「貴方達に守る気がなかったとしても、私達は守られたの。本当に、ありがとう」
「いくら同胞を守る為とはいエ、地上に連れ出したのは小鬼ダ。その後始末を押し付けたことヲ、申し訳なく思ウ」
そして、スミラの言葉が追い討ちをかけるのだ。例え偶然であり、その気がなかったとしても、事実は変わらない。意図せぬ形の救済であれ、礼を言うのは当然だと、夫婦は頭を下げる。
「……その、どういたしまして」
小鬼に心からの感謝をされるという事態を、ザクロは受け止めきれなかった。戸惑い、迷った末に選んだ言葉は、当たり障りのない定型句。
「人間側に、犠牲はほとんど出なかった。それに、その選択は仕方ないと俺は思う。だから、えーと……気にしないでほしい」
「犠牲が出なかった……ああ、それは素晴らしいことだわ!ありがとう!」
一方、サルビアは礼を受け止めきった。その上、責任を感じている王と女王に対し、気遣いまで見せたのだ。それはまるで、人間を相手にした時のザクロのような対応で。
「これらのことガ、助けた理由で殺さない理由ダ」
共存を望む相手であり、命の恩人でもあるならば、助けぬわけにも殺すわけにもいかない。例え小鬼であれども、その辺りの意識は人と変わらないようだった。
「まぁ、分かったけど……」
「まぁあれよね!話がすごすぎて聞くだけでいっぱいいっぱいよね!」
小鬼の国。その国の人間の女王。彼女の経緯。知らなかった生態。王の願う共存の夢。そして、助けられた理由。衝撃的な内容で、ザクロとサルビアの心と頭の容量は既に限界を超えている。
「まとめるト、戦いたくなイ。感謝していル……だナ。そしてすまないガ」
「助けてもらった上で厚かましいかもしれないけど、お願いがあるんです」
「助けてもらった身だ。聞ける範囲で聞こう」
そこに更に追加されるのは、頭を下げた王族によるお願い事。いっぱいいっぱいではあるものの、命の恩人なのだからできる限りはと、サルビアとザクロは耳を傾ける。
「ここから帰るのは構わないんだけど、よっぽど信頼できる人以外には、この国のことを内緒にしてもらえないかしら?」
「本当なラ、今頃交渉に向かっていたのだガ。あの化け物のせいデ、しばらくは行けそうになイ」
頼まれたのは、小鬼の国に関する情報をできる限り明かさないこと。理由は分かりきっている。まだ人間と交渉をしていない状態で、この国の存在が露呈したならばどうなるか。
戦争だ。いくらザクロやサルビアが「実はいい小鬼なんです」と叫んでも、世間は聞き入れやしないだろう。怯え、恐れ、己の身を案ずるが故に、滅ぼそうとするだろう。
「分かった。できる限り、言わないようにする」
「俺も約束します。貴方達とは、戦いたくないですから」
「ありがとウ」
その事態を避けたいのは、小鬼の王もこの場にいる人間も同じ。サルビアとザクロは首を縦に振り、その頼みを受け入れた。
「サァ、早く食べないト、また料理長に小言を言われル」
「そうよね。冷めない内に早く食べましょう!」
話も終わったと、クロッカスは鳥の足を掴んで口に運び、スミラは満面の笑みで野菜を自らの皿へと装い、ドレッシングで和えている。
「では、いただく」
「いただきます」
主人側から許可を得たザクロとサルビアも、後に続く。サルビアは貴族らしく上品にスープを口へ。ザクロはまず、肉を切り分けて食べる前の準備をし、
「美味い」
「でしょでしょ!私の住んでた村のご馳走なんかより、全然美味いのよ!」
口の中で優しく広がる旨味と隠れた甘味に、サルビアは唸る。味は上々。さすがに今までにサルビアが食べた料理の中で一番とまではいかないにしろ、それでもかなりいい線をいっている。少なくとも、これだけ美味しい料理を小鬼が作ったなどと数日前の自分に言ったとしても、絶対に信じないくらいには。
「……美味しいな」
そしてザクロは、ただ塩を振って焼いただけではなく、しっかりと下味をつけてから焼かれた肉を頬張って。濃くもなく薄くもない絶妙なその味加減に、驚いて。
「本当に、美味しい」
「それはよかっタ」
人と小鬼が囲む食卓を、彼らは次々と消化していく。ある夫婦は、これが普通となる未来を夢を見ながら。ある貴族の後継は、特にいつもと変わらないように。ある少年は、後悔と罪悪感に一筋の涙を流しながら。
食器の音と談笑の音が、部屋に響いていた。




