第19話 ワガママ
村人達が避難して約半日後。夜の闇の中、アイリスの保護の為に、入れ違いで駆けつけた騎士団が見たものは破壊された防壁と、村の中に侵入した数匹の魔物であった。
村が魔物の群れに襲われたのだと勘違いした騎士は、すぐさま掃討を開始。僅か15分の後、村内にいたコボルト17匹、オーク8頭、鎧種のオーク2頭を討ち取る。
だが、この掃討戦には不思議なことがいくつかあった。まず、巨大な白い骨がいくつか家屋や地面に突き刺さっており、魔物ではなく、おそらくこれらが防壁を破壊したと思われること。またその硬度が、グラジオラス騎士団の精鋭ですら、傷一つつけられない程だったこと。
二つ目は白い骨の側に僅かな血痕があるだけで、人が死んだような大きさのものや死体が一切残されていなかったこと。
そして三つ目。このような略奪の場において、必ずといってよいほど見かけられるはずのゴブリンが、一匹も見当たらなかったということ。
最後の四つ目。巨大な何かが暴れまわったであろう、抉れた地面に倒れた木々という痕跡が、村のすぐ側から森に続いていたこと。オーガでもこうはならず、それ以上の何かだとして、騎士達は身構えた。
様々な謎を抱えながらも彼らは、村人やアイリス達が避難をした、もしくは連れ去られたと判断。どちらにしろ、生存している可能性は十分にあった。
騎士団はすぐに近隣の村や町を回る部隊と、森の中を行く部隊に分け、捜索を開始。強化を用いて夜の森を駆け、破壊の痕跡を辿る捜索部隊。10分と経たない内に、それは見つかった。そう、動龍骨の死骸の発見である。
異常な硬度の骨を全身に隙間なく纏った巨躯。中心部の骨の球体からは、おびただしい血がこぼれ出ている。そしてその周囲に散らばる骨と破壊、刃こぼれした剣の数々は、戦いの激しさを示していた。
しかし、それは騎士にとって信じ難いことだった。一体どうやって、隙間などない骨の鎧を打ち破り、中の核を潰したというのか。異様な硬さの骨を、どのようにして貫通したのか。彼らには分からなかったのだ。
だが、目の前の現実は紛れもない事実。覆すことなどできず、信号魔法を打ち上げた騎士は仲間を集め、答えを探す。
調査し始めてすぐ、その答えは見つかった。信じられないとしか思えない、答えだ。あの骨を、あの硬さを、何者かの剣が少しずつ削り取った跡があった。それも、三層。
間違いなく、この場にいる誰よりも強い剣士によるもの。剣によって刻まれた傷口を見た騎士は、そのあまりの綺麗さにため息すらこぼすほどであった。
事前にアイリスの護衛の正体を聞いていた騎士は、かのハイドランジアの孫のサルビア・カランコエによるものではないかと推測するが、答えは出なかった。
なぜなら、どれだけ捜索を続けようと、肝心の剣士は見つからなかったからである。血痕はいくつか残っていたものの、それは途中で途絶えており、追うことができなかったのだ。
この後、森林の部隊は捜索を続けるも特に大した成果をあげることはなく、動龍骨の血の匂いに寄せられた数頭の魔物の討伐に終わった。
一方、近隣の町村を回る部隊は、時間こそかかったものの見事当たりを引き当てた。日の出前、三つ目の小さな町で、彼らはアイリスとの合流を果たしたのだ。
「アイリス様!よくぞご無事で!」
「約束の村がもぬけの殻だった時は、どうしようかと……!」
空き地で彼女を見つけた騎士達は、一斉に顔を綻ばせる。彼らはグラジオラス家の中でも最古参の騎士であり、アイリスを幼い頃から知っている者も多かった。
「村に立ち寄ったのですか!あ、いえ。礼が先ですね。貴方達こそ、よく来てくれましたわ」
村の状況を知っていると聞いたアイリスは思わず身を乗り出すも、騎士の顔に浮かぶ疲労に順序を思い出し、感謝を込めて頭を下げる。彼らは不眠不休でアイリスを探していたのだ。それを労わない者など、主人失格もいいところである。
「やはり、村で何かあったのですね?」
「魔物ですか?それとも暗殺者の手が?」
逆に言えば、普段から完璧に近かった主人が思わず礼を失くしそうになるほどの事態が村であったのだと推測できる。一度は緩んだ表情を再度厳しいものへ変え、騎士達は自らの主人へと問い尋ねる。
「魔物ですわ。龍の骨を纏った巨大な動骨が、サシュルの村を襲ったのです」
「男の子を二人、足止めとして残してきたわ。途中で会ったりしなかった?」
極めて簡潔に説明された状況に、騎士の顔が更に曇る。龍の骨の硬さを知る者からすれば、それはとてつもない化け物だと容易に理解できる。足止めの二人の安否が分からないことの意味もまた、同じ。
「失礼ですが、貴女は?」
「マリー・ベルモット。アイリス様の護衛を請け負った者です。残った二人も護衛で、名前はザクロ・ガルバドルとサルビア・カランコエ」
「カランコエ家のご子息が!?あ……いえ、申し訳ありません。村の周辺に、お二人の姿はありませんでした。一応、部隊の半分ほどが現在も捜索を続けているますが……」
しかも、その内の一人がカランコエの家の者だと知るや否や、彼らの顔色は蒼を通り越して白の域まで染まる。しかし、悲しいかな。彼らを襲う衝撃は、まだ終わりではなかった。
「私はすぐにここを発ち、もう一度村へと向かいますわ。貴方達は疲れたでしょう?この町で少し休んでいなさい」
「お、お嬢様!?」
唇を噛み締め、街の出口へと歩き出したアイリスとその言葉に、騎士達は度肝を抜かれた。いつもの彼女ならば、町に留まり、守られながら吉報を待つはずだった。
「しかし、私達には貴方の護衛という任務が!」
「村人のフリをして行動していますし、この町に来たのは完全なる予定外です。暗殺者が私の居場所を嗅ぎつけるまでに、まだ余裕はあると思います。貴方達が一日くらい休んでも問題はないでしょう」
だというのに、彼女は今にも強化を使って駈け出さんばかり。任務があると訴えても、極めて論理的に休みを言い渡されてしまう。
「そういうわけではなく、危険ですお嬢様!どうか一刻も早くお屋敷にお戻りくださいませ!」
「私と民を守る為に、残った者達ですわ!一刻も早くなさねばならぬのは、彼らの捜索でしょう!」
食い下がった騎士はまた、驚きに晒された。アイリスがここまで言う事を聞かないなんてことは、初めてだったのだ。一度諌められたのならばすぐにそれに従う大人しいお嬢様というのが、今までの彼女だったのだ。
「ですがっ!」
「アイリスちゃん。悪いけど、騎士様達の言う通り、貴女はここに残るべきよ」
「マリーさん?」
平行線に思えた言い争いに、割って入ったのはマリーだった。彼女は騎士の正しさを主張し、優しくアイリスを諭し始める。
「ではザクロ様とサルビア様を放って」
「そうは言ってないわ。貴女の言う事も正しいし、騎士様の言う事も正しいの。だから、その正しさが重なる選択をしましょう?」
ザクロとサルビアの働きは、報いられるべきものである。彼らの捜索を最優先にというアイリスの希望は、実に正しい。
その一方でアイリスの安全の為、一刻も早く彼女を屋敷へと護送するという騎士の言葉もまた、正しいのだ。
「騎士様達が今も探してくれてるらしいじゃない?彼らの方が適任だわ」
「正しくないのは、たいして捜索の役に立たない私が危険な場所に向かうことですか……」
「そうね。貴女にはまず、しっかり助かるという役割があるわ。それをきちんと果たすべき」
アイリスが死ねば、護衛の騎士の首が飛ぶ。それを分かっていながら、能力のない身でわざわざ保護を拒絶するなど、不義以外の何物でもない。餅は餅屋。様々な経験をもつ精鋭達に、任せておけばいいのだ。
そもそも例え理由があったにしても、アイリスが家出などしたから、騎士達は出動を強いられたのだ。ここは大人しく保護されるべきであろう。
「それにね。あの能天気なザクロと天然のサルビアのことよ?ひょっこり帰ってくるだろうし、もしもその時貴女がこの世にいなかったら、彼らは必ず悲しむわ」
何の為に騎士が来てくれたのか。何の為に二人が残ったのか。その意味を考えれば、自ずと正しさの重なる部分は理解できる。
「家出をした挙句、ここでもわがままを言って皆様を困らせてしまい、大変申し訳ありませんでした」
例え感情を殺す判断だとしても、今までと同じように、それを選ばなくてはならない。丁寧に、まるで人形のような仕草で、アイリスは再び頭を下げる。ただ、今までと違うことがあるとするならそれは、彼女がスカートの裾を固く握り締めていたことだろうか。
「ごめんなさいね。望まぬ選択を強いてしまって」
布に隠れた拳を震えから察したマリーは、罪悪感を抱く。齢十四の少女にまた、感情を押し殺すことを強制してしまった。
「いえ、これが最善でしょうし、慣れっこですわ」
日本でいえばまだ中学二年生ほどの年齢だというのに、彼女は感情を押し殺すことに慣れてしまった。同年代の子に比べて、ずっとずっと聡くて大人だった。否、大人にならざるをえなかったのだ。
「ではお嬢様、すぐに屋敷へ向かいましょう。捜索は残してきた部隊が請け負います」
「……分かりました。振り回した上に捜索までお願いして、申し訳ありませんでした」
アイリスのワガママも収まり、騎士達はほっと息を吐く。しかし休んでいる暇はなく、彼らは疲れた身体に鞭を打って早速準備に取り掛かり始める。
「お嬢様の説得とここまでの護衛、誠にありがとうございました」
「いえ、人として当然のことをしただけです。これからも、どうかよろしくお願いします」
「……これからも?」
慌ただしくなった騎士達をよそに、前に進み出た代表が、説得してくれたマリーへと感謝を述べる。しかし、一見完璧に思えた彼女の返答に違和感を覚え、彼は動きを止めた。
「ええ、これからもです。護衛の仕事はまだ終わっていないわ」
違和感は悪い予感へと変わり、その予感は的中した。迎えが来たというのに、マリーはまだ護衛を続行すると言ったのだ。
「それは、私達が信用できないと?」
そのことが意味するのは、アイリスの父自ら選んだ精鋭にして古参の騎士を、マリーが信頼していないということ。
「敵はアイリス様の護衛から現れたわ」
「なら、いつまで護衛を続けるおつもりですか?まさか永遠にですか?」
「行方不明になってるザクロって男の子がね。なんか秘策があるらしくて。それが終わるまでかしら?」
むすっとした態度の騎士の質問に対し、アイリスが暗殺に怯えなくてもよくなるまで護衛を続けると、マリーは答えた。
「秘策……?」
「そう、秘策」
アイリスを暗殺の手から守るだけではなく、ハイドランジアをも退ける、まさに一石二鳥のその瞬間まで。
「だから、生きてなさいよ。女の子、笑顔にしたいんでしょ」
故に、マリーは祈る。そんな秘策を口にしたまま、行方不明となった少年達の無事を。どうか、サルビアもザクロもアイリスも、みんなが幸せな結末が訪れますようにと。
「ん……」
意識が浮上する。久し振りに開いた目は上手く機能しておらず、景色はもやがかっている。それでも、目が開いたのだ。つまり、生きている。
「ザクロ、先輩?」
開口一番、気になるのは自分と共に戦った先輩の安否。核を破壊したところまでは覚えているのだ。気になるのはその後、どうなったのか。
「よかったわ!目が覚めたのね!」
「っ……!?」
突如聞こえた明るい声に驚き、飛び起きようとするも身体は動かず。悲鳴をあげた筋肉と神経に顔を歪め、つい数秒前の記憶を探る。
「女……?誰だ?」
間違いなく女性の声。しかし、聞き覚えのない声だ。顔を確かめたくとも、視界は未だぼやけたまま。精々見えるのは、茶色の天井に自分の鼻の輪郭程度である。
「私はスミラ!警戒しないでも大丈夫!貴方達に対して敵意はないわ!」
「そうか……助けていただき、感謝する。サルビア・カランコエだ。貴方達ということは、もしや」
記憶の中に該当者はなし。それより重要なのは、彼女が口にした複数形の方だ。
「さっき一回目覚めたんだけど、すぐ寝ちゃった!今は貴方の隣でぐっすり!」
「よかった……」
集中して耳を澄ませば、確かに隣から寝息のようなものが聞こえる。安定した呑気なそれで彼の無事を確信し、サルビアは自然と顔を綻ばせる。
「ねぇ、もしかしてだけど、目、見えてない?」
「ああ、その通りだ。ぼやけて何も見えん。他にも戦闘に使った部位が大体おかしくなっている」
茶色の世界に映り込んだ肌色と栗色に、肯定。おそらくだが、限界以上に魔力を使った代償だろう。耳と口はまだ大丈夫だが、それ以外は軒並み機能が低下している。
「魔力を使い過ぎたせいだ。しばらくすれば、元に戻る」
魔力さえ元に戻れば、全て元通りにはなる。とはいえ魔力切れの代償として、しばらくは魔力の回復速度と総量が低下するので、まぁまぁの時間はかかるだろうが。
「そう、なんだ。うん。なら、その間ゆっくり休んで!ここは安全だから!貴方が手を出さない限りだけど!」
「恩人に理由もなく、手を出したりは……しない」
一度目覚めたというのに、すぐにまた眠気が襲ってきた。まるで獣が寝て傷を癒すかのように、本能が睡眠を求めているのだろう。ザクロが二度寝した意味がようやく、サルビアにも理解できた。
「すまないが、また、眠くなってきた……」
「うん。休んでて。詳しい話はまた起きた時に!」
「ああ……本当に、恩に着る……ありがとう」
少しだけ、女の態度が引っかかった。だが、今はそれを考える思考能力も気力もなく。サルビアは再び、安らかな暗闇の誘いへと堕ちていった。
「なるほど。茶色は土の天井だったか」
次にサルビアが目を覚ました時、視界は元に戻っていた。眼前に広がる茶色の正体を知り、今いる場所まで推測。
「となるとここは、洞窟の中か?」
「正解!目が見えるようになったようで何より!」
そして異様なまでに明るい声に、彼女が側にいることを知る。二度も目覚めに立ち会ってくれるとは、もしや付きっきりで看病してくれていたのだろうか。
「どう?私の顔、見える?」
「ああ」
一度目には見れなかった彼女の顔も、今ははっきりと見ることができる。そばかすと愛嬌のある明るい笑顔が、栗色の髪の下にあった。
「よかった!でも、美人じゃなくてごめんね!」
「い、いや。そんなことは」
極めて明るい自虐に面食らったサルビアは、元より嘘が苦手な事もあり、適切なフォローができなかった。失礼な言い方になるだろうが、彼女は絶世の美女というより、極めて平凡だったのだ。
「気を遣っちゃってー!で、身体の方は?どう?」
「あんまり良くはないが、動けなくもない」
話は変わり、身体の調子を確認。それなりに魔力は回復している。本調子とはいえないものの、軽い動きならば大丈夫だろう。
「それにしても、少し獣臭くないか?」
「えっ?」
そしてもう一つ。一度目の目覚めの時には気付かなかったが、鼻もやられていたらしい。回復した今、サルビアの鼻腔は獣のような臭いを、しっかり捉えていた。
「気のせいか?」
「ギッ!」
ぐるりと室内を見回し、鼻ちょうちんを膨らませているザクロを通り越し、部屋の出口付近でゴブリンと目が合った。
「……」
「……」
驚きのあまり、殺意も敵意も遅れた。だが、それも無理はない。助けられ、安全を保障すると言われた直後の、魔物との遭遇。誰だって困惑して固まるというもの。
「ちっ!」
しかし、それは致命的な隙にはならない。サルビアほどの強さがあれば、小鬼の前での一秒未満の静止など、たいして勝敗を左右しない。いつも通り魔法で剣を創造し、力の入りにくい病み上がりの身体で斬りかかろうとして、
「待って!この子は敵じゃない!」
「は?」
割って、入られた。動揺と不調の隙を突いたのはゴブリンではなく、スミラだった。彼女の肌に触れる直前で剣は止まり、ゴブリンは小さな背中にしがみつく。それはまるで、怯えた子供が親に守ってもらおうとするような。
「どういう意味だ?」
「えーと、それは……」
「んんん?起きたのかサルビア……ふわぁ……」
「先輩!」
なぜ、人が魔物を庇うのか。問い尋ねようとしたその時、物音にてザクロが目を覚ました。眠そうに目をこすり、呑気に欠伸をしながら伸びをしている。
「なんの騒ぎ?」
「それがだな、その」
「っ!?ゴブリンじゃねえか!」
そしてようやく、彼も状況を認識。即座に戦闘態勢を取り、スミラの背後のゴブリンへと剣を向ける。彼もまた魔力切れの影響を受けているのか、いつもより大分その速度は遅かった。
「二人とも待って!この子は、この子達は敵じゃない!」
「はぁ?」
「何を言っている。そいつは魔物だろう」
だからこそ、サルビアの時と同じようにスミラが割り込めた。震えながらも剣の前に両手を広げ、小鬼を庇うその姿に、理解できないと首を振る二人。
「その通リ。俺らは魔物ダ。だが、敵じゃないのもまた確カ」
「誰だっ!」
緊迫した空気の中へと、新しい声が乱入する。荒々しさの見え隠れする、少し耳障りな男の声だ。そして、人間ではない者が発した人語だ。
「俺の名はウル・クロッカス。見ての通り、ゴブリンダ」
「ホフ……いや、もっと上か」
部屋へと足を踏み入れたのは、体長1m80近い、緑の人だった。正確に言うならば、人型の形をした魔物。人語を解するほどの知性を持つゴブリンの上位種が、そこに立っていた。
「サルビア」
「分かってる」
歩き方、鋭い黄色の目、姿勢で分かる。クロッカスという名の小鬼は、間違いなく強者であると。さすがにサルビアやザクロほどではないにしろ、それでも今の病み上がりで戦えば、面倒な相手であると。
「一応、ここの『王』をやっていル。そしてその俺ガ、敵意はないと言ウ。意味、分かるナ?」
しかし、それもそのはず。なんとクロッカスは、自ら『王』と名乗ったのだから。
「……信じられねぇ。訳が分からない」
「だから、説明を求める」
敵意はないと述べる彼に、ザクロとサルビアの理解が追いつかない。『王』とはどういう意味なのか。魔物なのに、なぜ、敵意がないのか。なぜ、人間である二人を助けたのか。なぜ、人間のスミラがここにいるのか。分からないことが、あまりにも多過ぎた。
「そうだナ。話せば長イ。だから先に、『王』から客人へト、この言葉を贈ろウ」
「客人?」
ザクロとサルビアはそれらの説明を求めたというのに、クロッカスは諸手を挙げて、
「ああそうダ。ようこソ。小鬼の国、『ライソニア』ヘ。俺達はお前らを歓迎すル」
更なる謎を増やす口上で、二人の人間を歓迎した。
「小鬼の国……!?」
「『ライソニア』だと?聞いたことがない」
しかし歓迎されたところで、素直に受け取れるわけもなかった。『記録者』の記録の中でしか聞いたことのない存在にザクロは腰を抜かしているし、サルビアはそんな国名は地図にないと首を振っている。
「天井を見れば分かるだろウ?ここは地下ダ。何百年と掘り進めて築き上げタ、人の地図にはない小鬼の国ダ」
「……」
明かされた情報に、彼らは絶句する他にない。国と呼ぶ規模だ。数は数十や百では済まないだろう。それほど巨大な小鬼の巣が、ずっと地下で拡大し続けていたのだから。
「身体は動くカ?ナラ、直接見た方が早イ」
「少し待ってほしい。俺たちは人間で、お前たちは小鬼だぞ」
「だから?」
「戦わないのか?殺さないのか?」
部屋の外へと案内しようとするクロッカスに、待ったをかけたザクロが確認を取る。人間にとって小鬼とは、決して分かり合えない存在のはずだった。見かけ次第、追い追われるか、殺すか殺されるかの関係のはずなのだ。
「安心しロ。殺すつもりはなイ」
「お前はそうでも、他の小鬼は違うかもしれない」
「イイヤ、違わなイ。お前たちは襲われなイ」
なのにクロッカスは、殺すことはないと断言した。それも彼だけではなく、この王国の小鬼全てが襲わないことを保障したのだ。
「お前たちが起きる前ニ、俺の唾をつけておいタ」
「唾?」
「クク。知らないのだろウ。人間ヨ。小鬼の唾には意味があル」
その根拠は、二人の腕に付着した友好の証。鼻を近づければ、確かに普段とは違う臭いが感じられる。
「友好の意味の唾の匂いダ。洗い流さない限リ、いきなり襲われることはなイ」
「……すげえな小鬼」
唾液の臭いに意味があり、ある程度は自由に込められることに、サルビアとザクロは驚きを隠せない。小鬼の研究はそれなりに進んでいるはずだが、この生態は聞いたことがなかった。
「すごいでしょ?私もここに来る前は知らなかった!」
「お前達が驚くようなことガ、他にもたくさんあるゾ。だから、来イ」
うんうんと頷くスミラは綺麗な肌色の手を、意外に白い歯を見せて笑うクロッカスは鍛えられた緑色の手を差し出す。
「……分かった。見せてくれ」
襲われないというのなら、特に断る理由もない。好奇心に負けた二人は、目の前の手を取って立ち上がった。
「すっげぇ」
「これはすごいな」
木製の扉を抜け、久しぶりに歩いて数秒。部屋から出て真っ直ぐ進んだ二人の眼前に広がるのは、巨大な吹き抜けだった。煉瓦でできた柵を掴んで身を乗り出し、ザクロは下を、サルビアは上を見て、感嘆の息を吐く。
「ここは王宮だからナ。下は大広間ダ」
「どう?すごいでしょ!」
胸を張るスミラの言う通り、本当にすごい建造物である。ざっと数えて十層以上。その上、至る所に様々な紋様が刻まれている。一体どれだけの時間と労働力を要したのか。まるで検討もつかない。
「さすがにこれ全部、魔力で掘った訳じゃないよな?」
「アア。ウチの魔法使いは優秀だガ、そこまでではなイ。こっちダ」
魔力眼に切り替えて天井や壁を見れば、淡い光が溢れ出す。魔力で創造した物質の証拠だ。恐らくは人力、いや小鬼力で巨大な空間を掘り、天井や壁だけを崩れないように魔力で補強しているのだろう。
「それにしても……いっぱいだな」
「警備のことカ。まぁ城内だかラ、それなりにはいル」
そしてこの巨大な建物の中、至る所に配置されている武装した小鬼達。進む数分間にすれ違ったその数、既に30匹近く。ピシッと背中を伸ばし、周囲を警戒し続けるその姿は、人間の警備と変わらない。
「ギッ!」
「ゴクロウ」
「いつもありがとね!」
彼らは例外なく、横切るクロッカスとスミラに向かって手を胸の前に置く。それはまるで、敬礼のようだった。
「ギ……?ギ!」
一方、ザクロとサルビアに対しては、まず怪訝な表情を。次いで鼻をひくひくとさせ、唾液を確認。客だと理解した瞬間、二人にもまた敬礼のようなポーズを取る。
「ああ。どうも……」
その度にザクロとサルビアは、微妙な気持ちにさせられるのだ。曖昧な返事しか返せないまま、彼らはすれ違い続ける。
「あの、スミラさんって、人間ですよね?」
「そうよ?」
「えーと、なんで小鬼の王国に?」
居心地の悪さに耐えられず、前を行くスミラへとザクロが問う。人間にしか見えない彼女がなぜ、ここにいるのか。目を覚ました時から、ずっと疑問だったのだ。
「私、この国の女王なの!」
「今、なんて言いました?」
「私はこの国の女王なの!人間だけどね!」
明るい彼女の答えは余りにも衝撃的過ぎて、ザクロが思わず聞き返すほどだった。サルビアに至っては現実を疑うかのように、目をパチクリとさせている。
「えっと、王様がクロッカスで、え?」
「そうよ。私の名前はウル・スミラ。ウルは王族って意味なの!あ、小鬼語だともう少し発音が違うんだけど!」
小鬼の王族の名前の規則という情報も、耳を素通りしていった。確認するかのようにクロッカスに目を向けるだが、彼は迷うことなく頷き肯定。
「な、なんでですか!?人間と小鬼なんて!」
「脅されてるとかじゃなくて、普通に恋愛結婚よ!まぁその、多少は人間と小鬼の橋架けを期待されてるけど」
人間と小鬼。殺し合う関係でしかないはずの二種族が結ばれている。それも隷従でなく、王族との正式な恋愛による婚姻関係など、『記録者』の記録にも例がないことだ。
「偏見の目には慣れていル。そして、いつも通りこう言おウ。私は、スミラを愛していル」
「ありがとうクロッカス。私もよ?」
未だ疑い続けるザクロ達に見せつけるように、彼らは愛を囁き合う。そこに不自然さは欠片もなく、彼らが本当に愛し合っていることも、慣れていることも確かなのだろう。
「どう?信じてもらえた?」
「ええ、まぁ。でも、一体どういった経緯で?」
愛は信じた。だが、まだ分からないことが多すぎる。出会えば殺し合うはずの二人が、どのようなことがあれば、ここまで心を通わせられるのか。
「彼女は我が同胞の恩人デ」
「彼が私の恩人なの」
簡単なことだと、二人は言った。殺し合うのではなく、助け合う選択をしただけだと。
「恩人?」
「そう、恩人。まぁ、よくあるお話」
顎に指を当て天井を仰ぎ、思い出しながら彼女は経緯を語り始める。
人の娘と小鬼の王。歴史上類を見ない、運命を乗り越えた二人の馴れ初めを。




