第17話 負けられない理由と死にたくない理由
「私達が最後よ。そろそろ行きましょう」
「ええ。分かりました」
倒壊した家屋から人を助け、村中に避難を呼びかけ始めて15分ほど。既にほとんどの村人が退去し、残るは最後まで逃げ遅れた人がいないか確認していたマリーやアイリス、他数名のみ。
「ザクロ様とサルビア様は……」
「あそこね。さっきすごい魔法使ってたけど、魔力もつのかしら?」
逃げる前の心残りは、村人や自分達の為に残った彼らのこと。幸か不幸か、動龍骨が再度村を襲おうとしたせいで、戦場は村の一部を巻き込むほど近付いている。屋根に登って強化した視界で見渡せば、彼らをすぐに見つけることができた。
「……魔力が残り少ないわね。それにしても、あの二人の剣でも斬れない骨って一体どんな硬度よ。タングステンかダイヤモンドでも入ってるの?」
「たんぐすてん……?あれ?あ、あの、マリーさん」
「なにかしら?」
動龍骨の強さに慄くマリーの横で、アイリスが気づいたある違和感。それは戦いをほぼ知らぬ貴族のご令嬢でさえ、異常と感じること。
「サルビア様もザクロ様も、障壁を展開していないような気がするのですが……」
「嘘でしょ?あんな攻撃の中で障壁なしって」
彼女より戦いに詳しいマリーは、信じなかった。しかし、疑い、視て、高速で動き回る二人の周囲に魔力の壁がないことが確認できたなら、信じるしかなかった。呆然とするしかなかった。
「やはり、無理をなさっているのではないでしょうか」
「……例えそうだとしても、私達に出来ることはないわ。行っても足手まといになるだけ」
そして、自分達の無力さに打ちのめされるしかなかった。彼らが無理をしていることも、なぜ無理をしているのかも分かるから。遠目からの素人目でも、あの戦いに干渉できるほど強くはない自覚が、彼女らはあったから。
「逃げて、村のみんなを逃して、祈りましょう」
「……はい」
残って巻き込まれたら、それこそ何の為にサルビアとザクロが無理をしているのか分からなくなる。だからこそ、自分達に今できるのは村人を逃がす手伝いだと、マリーとアイリスは彼らに背を向ける。
「……ごめんなさいね」
「どうか、ご無事で」
罪悪感に苛まれ、祈りを捧げながら、彼女達は村を後にした。
屈辱と意地の剣だった。
腕による頭突きを、右手の魔法剣で叩き落とす。振り下ろされた大木のような一本は、左手の魔法剣でかちあげる。後輩に向かう骨腕を視認し、即座に右手と魔法剣との接続を解除。筋肉が壊れる寸前まで強化を引き上げ、解除した剣を投擲。弾いて作った一瞬の隙を、サルビアが駆けていく。
戦い始めてから、どれだけの時間が経ったことだろう。常に命がけの状況に、正常な感覚が失われていた。ただ、決して短くはない時間だということだけは、分かっていた。
敵の攻撃は、極めて単調ではある。基本的に叩きつけるか、薙ぎ払うのどちらか。たまに骨針などの変化球が混ざる程度で、それら一つ一つの対応はできなくはない。
だが、手脚の数は十二。攻撃は休む間も無く。障壁のない現状、掠っただけでも死に直結。当たらなくとも、飛んできた土の破片で傷は増えていく一方だった。
「くそがっ!」
今度は三本同時に別方向から。左の剣に一本を任せ、右の剣で残りを同時に処理。角度と速度、力加減を細かく調整し、一本の剣で二本の骨腕の相殺を試みる。
「ぐううううううううううう!」
ガリガリと魔法の剣が削れる音がする。振動が骨と身体を揺さぶる。足が地面にめり込む。筋肉が悲鳴をあげる。だが、乗り切った。凄まじい重量は、通り過ぎた。
「まだだっ……!」
剣は終わらない。止まらない。振り切った右の魔法剣を延長。刀身を伸ばし、骨を躱し、向かうはサルビアの側。
「助かる」
魔法剣にサルビアが飛び乗った次の瞬間、強烈な薙ぎ払いが、彼がいた場所を蹂躙していった。
そしてすぐに、サルビアの姿が消えた。剣から骨に飛び移り、駆け上がって骨鎧を斬りにいったのだ。目指すは、一枚目を貫通させた骨鎧の上層部。そう長居はできず、数回斬れば彼は降りてくる。
後輩への着地狩りの妨害と足場の用意を考えながら、ザクロは剣を振るう。サルビアを行かせてしまったことへの八つ当たりのような、自分狙いの叩きつけに対処する為に。
「ザクロ先輩!」
骨の打撃が雨あられと降る中、要求が聞こえた。躱し、駆け抜け、少しでも声に近づいて、魔力の節約を試みる。伸ばした右の魔法剣はまるで龍のように複雑に曲がって舞い上り、先端で骨腕を弾き、中腹でサルビアを受け止め、地上へ中継する。
同時、左の魔法剣を振るう。サルビアの降下補助に意識を割き過ぎたせいか、制御が少し甘かった。1度ほど、角度がずれていた。
「うっ……」
歯と紙の隙間から、吐息が漏れる。受け流し切れなかった衝撃に、軋んだ肺が吐き出した空気だ。だが、集中だけは切らさない。
「っ……!」
再度、地面から衝撃。たった今、ザクロの魔法剣によって軌道を変えられ、地面に叩きつけられた骨の影響だ。大地を揺るがす程の威力なんて、馬鹿げている。もしも直撃だったらどうなるかなど、考えたくもない。
「はっ!」
というより、考える暇もない。一つを対処したところで、次が用意されているからだ。木々も草の根も土も蹂躙する、大質量の横薙ぎがザクロに迫る。
(サルビアはあそこ。来るのは横薙ぎ。次は)
思考は全て、刹那より短い。骨に隠れて見えないサルビアの現在地と行動を、経験と彼の剣から予測。結果、この横薙ぎは彼に影響を与えないと判断。むしろこの次に控える斜めの軌道の振り下ろしの方が、彼の邪魔になる。
(着地先はさっき受け流した骨。右手人差指と中指間の氷剣を発動)
そこまで考えて、ようやく自分の番だ。この横薙ぎは跳躍し、骨を足場にすることで回避。同時、右手の魔法剣の内一枚で、次の斜め振り下ろしを空中にて受け流し、サルビアの剣の道を開通させる。
(頭骨の腕は……)
意識の隅で常に気に留めるのは、龍の頭骨が先端に組み込まれた五本の腕。一際大きいそれらの破壊力は他の腕の比ではなく、完全に受け流すことは難しい。故にその腕だけは注意を払い続け、迎撃より回避を選択できるように。もしも迎撃を選ぶなら、先端の頭骨ではなく中腹を狙うように心がける。
(右手の三枚はまだもつ。左手は中指と薬指間の土剣が限界。他二つも少なめで替え時……次に使用すべき魔法陣は……)
思考はまだ止まらない。脳内にリストアップされるのは、右手と左手と口の魔法陣。更に虚空庫で待つ、買い溜めた魔法陣の種類とその枚数。
(ああ、くそ。魔法陣だけで戦うのって、こんなに大変なのかよ)
両手に一枚ずつなんて非効率だと、彼女は言っていた。複数枚ずつならば、入れ替えの時間も一斉にすれば短縮できるし、様々なケースに対応できるとも。
(ルピナスは、こんな枷がついた状態で)
そう。彼女とはルピナスで、これは彼女が開発した戦い方。ザクロは魔法陣を複数使う戦い方を、この一ヶ月の間に彼女から教わっていた。そして、実際に命がかかった状況での使用は、今日が初めて。
(すごいとは思ってたけど、やっぱりすご過ぎる)
焼き切れそうな脳の熱に、改めてルピナスの怪物ぶりを再認識する。通常の戦闘よりずっと、考えなければならないことが多い。
普通なら、気にする魔力残量は己の身一つのみ。しかし、魔法陣のみでの戦闘は違う。仮に常人と同じように戦いたいなら、一枚ごとに把握しなければならない。
魔法陣の入れ替えのタイミング、選択も重要だ。どれくらい魔力が減ってきたら交換するか。噛んでいて視ることのできない、強化の魔力残量はどの程度か。交換できる隙間はいつか。交換するならどれか。一つでも判断を誤れば、死に直結する。
(この先を目指すとなると、どうしても精度が落ちちまう)
右手左手それぞれ第ニから第四指間腔に属性魔法六、口に強化一の計七枚。それが、ザクロが同時に管理できる現状の限界。たった一ヶ月間にしては充分過ぎる成長ではある。だが、これより先は容易に進めるものではない。
(これの倍以上とか、想像もつかねぇって)
その先で果てが、彼女だ。この戦い方を生み出した彼女は、更に多くの魔法陣を管理して戦える。ザクロがいくら練習したって、そこに辿り着けるとは思えない。
「ははっ」
やはり、ルピナスにも才能はあるのだ。そしてそれを一目で見抜いたプラタナスもサルビアも、まさしく天才。姉であるプリムラも、間違いなく天才だ。
「悔しいなぁ」
一目で見抜なかった自分はやはり、真の天才ではない。剣と思考の隙間に浮かぶ、どこまでも純粋な感情が口から漏れ出た。
客観的に見て一般人より遥かに才能があることを、ザクロは自覚している。それなりの努力を積んできたことを、自負している。
だが、違うのだ。足りないのだ。どの才能もしてきた努力も中途半端で、決して一番にはなれない。どの分野でも必ず、上がいる。絶対に勝てないような、いずれ追い抜かされるような上がいる。
当たり前のことではある。一番なんて、世界で一人ずつしかいないのだ。それはザクロだって分かっている。でも、それでも、上を見てしまう。下から追い上げてくる者達に、恐怖してしまう。
プラタナスほどの魔法の才能はない。プリムラやマリーのような系統外はない。サルビアに剣で勝つことはできない。努力だって、息をするようにこなしてきたルピナスには敵わない。
「……」
プラタナスなら、もっと上手く魔法を発動できる。プリムラなら、もっと多くの骨腕に対抗できる。ルピナスなら、もっと魔法陣を使いこなせる。そしてサルビアなら、龍骨を斬ることができる。
「……っ!」
斬れない一太刀に、思い知らされるのだ。陣の処理に苦しむ度、心が凹むのだ。骨の強度に魔法剣が負ける時に、胸に痛みが走るのだ。あと一つ魔法の枠があれば繋げたチャンスに、唇を噛みしめるのだ。
「負けられないなぁ!」
そしてその度に、ザクロはこう思うのだ。だって、
「負けを認めちまったら、そこで終わりだろっ!」
認め、諦めた時こそ、本当の負けだと信じているから。
ザクロは諦め切れない。例え一番にはなれなくとも、例え腐りかけようとも、それでも、勝ちを諦め切れない。
だから彼はサルビアより鈍な剣で、プラタナスより拙い魔法で、プリムラより少ない枠で、ルピナスより下手くそな陣で、戦い続ける。抗い、足掻き続ける。
(それに、今回ばかりは負けられないんだよ)
退かない理由はまだ他にも。後ろには村がある。その後ろには、避難中の村人達がいる。仲のいい村人もいるし、子供もいるし、老人もいるし、護衛を請け負ったアイリスもいる。その更に後ろには、ザクロの住まう街がある。
(こいつはここで仕留めないとやばい)
対処できるのは、ザクロの知る限りサルビアか、彼に並ぶ剣術を誇るハイドランジアのみ。プラタナス、プリムラあたりも可能性はあるかもしれないが、確信はもてない。並の騎士どころか名高い強者でも、龍骨を貫くことは不可能に近いだろう。
そう考えればやはり、動龍骨は紛うことなき怪物だ。生きていく為に仕方がないとはいえ、人を喰らう魔物だ。ここで負ければ、動龍骨は蹂躙し始める。人類の必死の抵抗などもろともせず、その巨体をもって街をすり潰し、犠牲を生み出し続ける。
(仕留め損なえば、こいつは学習するかもしれない)
追い返した場合も考えた。今と変わらぬ姿で、遠い街を喰らうならばまだ幸運。もしも巣のようなものがあって、更にそこに龍骨の予備があるならば、一度装甲を壊されかけた動龍骨は、対策してくるかもしれない。鎧を今まで以上に分厚くして、最早貫ける者は『魔女』か『魔神』しかいないような存在になるかもしれない。
(そうなったらもう、倒せる気がしねぇ)
自分達の住んでいる地域に来ないことを祈る他にない、災厄の完成だ。
故に、今しかないのだ。龍骨を断てる剣であるサルビアがいる今しかない。周囲が森と避難済みの村で、被害を気にせず戦える今しかない。補給できる骨のない、今しかない。
(負けたくないし、負けられない)
サルビアに。そして、守りたい人の為に。その二つの想いが、彼の集中を極限まで研ぎ澄まさせていた。
(でも、負ける時はくる)
だが、いくら集中したところで、致死の攻撃をさばき、サルビアを守ったところで、限界はある。脳裏をよぎる、自身の魔力量と陣の枚数だ。
(陣は起動するのに、少量とはいえ魔力が要る。その分の魔力さえなくなったら……)
魔力量に関しては障壁を打ち切り、強化を含む全ての魔法を陣に頼ることで、大幅に節約できてはいる。だがそれでも、陣の起動用や、両手の陣では対処できない場面での通常発動によって、確実に魔力量は削られているのだ。残り魔力は既に25%を切っている。
(ケチったつもりはなかったんだがなぁ……もっと普段から金を貯めときゃよかった)
陣の枚数も問題だった。相当痛い出費をして、かなりの数を揃えたはずだったのだ。だというのに、大魔法の連続使用、更にその細かい操作によって、恐ろしい勢いで在庫が減ってしまっている。大量の魔力が込められた高級な魔法陣ですら、十回使えばお役御免といった消費の速さだ。
(しょうがないけど、さっきより時間がかかってる)
障壁を打ち切ったことによるペースダウンも、二人の不安を煽る。一層目の龍骨の時のような斬り放題などもうできず、今は数撃離脱のヒットアンドアウェイ戦法を取るしかない。それも即死級の攻撃が降り注ぎ、後輩を守らなくてはならない、先輩に命を預けなければならないプレッシャーの中でだ。
(んでもって、こいつはバテる気配もない)
その上どれだけ時間が経とうとも、動龍骨の動きは元気なまま。攻撃の手は一瞬たりとも緩むことはなく、むしろ激しさを増しているようにすら感じるほど。
有限の体力に魔力と剣に対し、馬鹿げた硬度の何層もの鎧と無尽蔵のスタミナ。時間が経てば経つほど、か弱い人間が不利になっていく。
(だから、もっとだ)
故に、求めるのは更なる集中と効率化。受け流せる限界まで剣を細くし、接近することで必要な長さをより小さく。
(こんなんじゃ足りない。俺もサルビアもみんなも死んじまう)
受け流すよりも、出来る限り回避を優先。身体強化の深度も一秒未満ごとに変化させて、少しでも節約を。
(嫌なんだろ。死なせたくないんだろ)
ちょっとした傷は放置して、耐えれる痛みには耐えて、頭は限界まで働かせて、疲れた腕に鞭を打って、振るう剣全てを最高のものにしようと。
(強くなるって、騎士になるって、あの憧れの英雄を超えるって、決めたんだろ!)
求めたのは、今求めるのは、強さ。憧れ、なろうとするものは、誰かを守る騎士。望むのは、誰も死なない笑顔の風景。超えたいのは、伝説となった女ったらしの英雄。
ザクロ・ガルバドルは手を伸ばす。強さに、夢に、願いに。
その剣がいつもより少しだけ優れていることに、彼自身は気付かなかった。
「すごいな」
飛んできた骨腕を、身をよじることで躱す。風圧に風がなびき、耳元をゴウと音が通り抜ける。彼の目に映るのは動龍骨の巨体とその次の動き、そして、ザクロの剣技。
「衰えてない」
感嘆しているのは、後者だ。慣れない複数陣の戦い方でサルビアを守り己を守り、斬る為降りる為の道を作り、戦況をコントロールし続けているザクロに対してだ。
綻びはある。ザクロ本人の防御の際に剣が甘くなったのを、サルビアは何度か目撃していた。だが、綻ぶのは必ずその時だけ。サルビアを守る時の剣は全て、最高の精度を維持し続けている。
戦い続ければ人はいずれ疲労し、パフォーマンスは劣化していくもの。しかし、ザクロは疲労しているにも関わらず、一定の水準を保っている。今の彼がもし万全の状態だったならば、一体どれほどの剣だったのだろうか。
「違う。それ以上だ」
いや、それすら訂正しよう。サルビアが見てきた以上の精度の剣が、疲労状態の今でさえ時折混じっていると。
「すごいな」
それは成長より、殻を破るという表現が正しかった。この戦いの中で成長したのではない。本来の力を振るっているに過ぎない。
彼は決めつけていたのだ。才能のあるサルビアやプラタナスと比べ、自分は勝てないと、弱いと思い込んだその結果、己に制限をかけてしまっていた。自分の強さはこのくらいであるという、強さのリミッターを。
それが今、初めて破られた。もっと強さを求めた結果、意識がリミッターを超えた。
かといって、龍骨が斬れるほどの剣ではない。あくまで違う強さだ。巨大な魔法剣を手脚よりも精密に扱い、戦況を読み、先を見据えた手を打つという強さだ。
「本当に、すごい」
それは決してサルビアには真似できない、強さだ。魔力量の多くない彼には、あれだけの魔法剣を連発できない。例え魔力量が同じだったとしても、二人をこの攻撃から守りきるほど、サルビアは器用ではない。
「俺の剣とは違う」
サルビアの剣は、斬る為の剣士の剣。どこまでも鋭く、触れたもの全てを斬り裂く為に鍛えられた剣。だからこそ、動龍骨を斬れる。だがしかし、斬ることに特化し過ぎたからこそ、守りに欠ける。
「全然違う」
ザクロの剣は、守る為の騎士の剣。どこまでも堅く、決めたもの全てを守る為に鍛えた剣。だからこそ、彼はこれだけの間サルビアを守れる。だがしかし、守ることに特化し過ぎたからこそ、鋭さに欠ける。
「すごい……すごいな!」
隣の芝生が青いとは、よくいったものだ。自分には無いその強さにサルビアは憧れ、深い敬意を抱く。
「俺にはできないことばかりだ」
強さだけではない。ザクロだったからこそ、村長は突き返さずに避難を考えてくれた。マネッチアは我が子とも呼べるような大事な剣を、渡せるだけくれた。アイリスのことだって、普通はここまで関与しない。
「俺なんかよりずっと」
分かっているのだ。理解しているのだ。この戦い、自分一人では決して勝てなかったことなど。二人だからこそ、可能性が見えているのだと。ザクロがいたからこそ、ここまで戦いやすい状況なのだと。
「なんだろうな。この気持ち」
悔しいと思う。もっと剣が鋭ければ、一太刀で龍骨を斬り裂けたなら、一人でも勝てた。
「本当に、なんだろうな」
でもその一方で、思う。なぜか少しだけ、嬉しいと。ザクロが自分にはできない役割で、自分がザクロにはできない役割で戦えていることが。二人で共に、剣を振るえていることが。
サルビアにできるのは、斬ることだけ。だから守りは全てザクロに任せ、斬るだけ。
それを阻むものは全て敵だ。敵は斬らねばならない。例え金剛石のように硬い骨でも、己の恥でも全て。
「すまない」
緑を抉られた大地の上を駆け回り、一度は捨て置いたはずの剣を拾う。刃こぼれし、謝罪と感謝の後に投げ捨てた剣だ。
「もう一度、力を貸してくれ」
一度捨てた癖に、恥を忍んで頼み込む。予備数に余裕がなくなり始めたサルビアは、刃こぼれした剣を再利用し始めたのだ。
使い方は何も変わらない。剣は斬る為にあるのだから。例え刃こぼれしていようとも、それは変わらない。
振り下ろされる骨腕の下を駆け抜け、薙ぎ払いを四つん這いに近い前傾姿勢で潜り抜ける。ただでさえ魔力も剣も少ないのだ。無理に受け流すことはせず、回避、もしくはザクロに頼ることを徹底。それが互いの役割だから。
「本当に、ありがたい」
そしてサルビアが骨鎧に登る中継もまた、ザクロの役割だった。彼が伸ばした剣の腹を足場にし、骨腕に手をかけてよじ登り、目指すは更に上。
「ああ」
辿り着いたのは、骨だらけの丘の上。白一色の景色を見て、サルビアは笑う。そこにあるのは、サルビアの剣が刻んだ数十センチだ。同じ箇所に剣を幾重にも重ねた、骨の傷だ。
「まだまだだな」
ザクロと共に掘り進めたそれが、どこか誇らしくて嬉しくて。でも、まだ削り切れていない己の力不足が、恥ずかしくて悔しくて。
「まだまだ、斬る」
だから、次だ。剣を走らせ、傷を深め、龍骨をほんの少しだけ削り取る。必ず斬る。必ず穿つ。必ず断ってみせる。それこそが、サルビアの役割なのだから。
「ちっ」
しかし、もう一撃と振りかぶったところで、時間切れだった。押し寄せてきた白い巨腕に舌を打ち、骨の脚を駆け下りる。ザクロに助けられて降りた大地にて巨体を見上げ、感じるは明確なる焦り。
「なぜ、今日はこんなにも心が揺れる」
最初は小さくて、嬉しさや悔しさの陰に隠れていた。だというのに、少しずつ成長した焦りは今や、胸の内を圧迫し始めている。
「……」
分からない。分からなくとも、剣を振らねばならない。脚の隙間を見出し、攻撃の隙を縫い、倒れた木を足場に飛び跳ねて、再度アタックを試みる。
「サルビア!乗れっ!」
浮かぶ一瞬。即座に迎撃が来る。だがそれよりも早く、ザクロの助けが来てくれる。延長された魔法剣がサルビアの新たな足場となり、彼を更なる高みへと送り出して。
「なぜだ」
おかしかった。尊敬に嬉しさに悔しさに誇らしさに恥ずかしさ。そして、焦り。色んな感情がごちゃまぜになっている。いるのに、剣は鈍っていない。むしろ、いつもより調子がいい。
「なぜ、思う」
斬りながら、己への問い。なぜこれらの感情を抱くのか、考える。
尊敬は、ザクロの強さと人望から。嬉しさは、彼と一緒に戦えているから。悔しさは、未だ動龍骨を斬れていない自分の不甲斐なさから。誇らしさは、ザクロにできないことができるから。
「死にたくないのか?俺は」
なら、焦りは。焦りの源は一体なにか。なぜ、こんなにも自分の心は焦っている。早く決着をつけようと、身体が動いている。
「死ぬのは嫌だな。もう剣が振れない」
更に深く、自分を掘り進める。なぜ死にたくないのか考えて、まず思い浮かんだのは手の中にある剣のこと。
では、そこを潰そう。もしも死後も剣が存分に振れるというなら、この焦りは消えるのか。
「消えない?」
答えはすぐにでた。頭で考えるより先に、胸の内が口を動かしていた。
「なら、俺は、どうして」
剣は大事だ。死にたくない理由の一つなのは間違いない。だが、他がある。ここで負けれない理由がある。
「ああ……そうか」
そして、思い出した。ザクロが何の為に、ここに残ったのか。自分にも当てはめてみたら、これが異様なほどにしっくりときた。
「俺はどうやら、みんなと会いたいらしい」
死んだら会えない。サルビアが死んでも、みんなが死んでも、会えない。
「だから、守ろうと思うのか」
故に、ザクロはここに残った。故に、村長はみんなを逃す決意をした。故に、アイリスとマリーは避難を呼びかけ続けた。
「なるほど。俺はどうやら、みんなが好きらしい」
恐ろしいまでの発見だった。想像したことすらなかった。あのハイドランジアの孫であり、彼に剣の為に生きることを叩き込まれた自分が、まさかこんな事を思うなど。
「ははははははははははははっ!ははははははははっ!」
笑う。笑ってしまう。そんな馬鹿なとも思ったし、あり得ないとも思った。だがしかし、いくら考えても答えは変わらない。
「ど、どうふたサルヒア!?」
紙を噛みながらだからか。下から少し間抜けな、驚いた声がした。それもそうだろう。脈絡もなく、いきなり笑い始めたのだから、心配にもなるだろう。
「俺は先輩達が好きみたいだ!」
「はぁ!?」
「安心しろ!恋愛的な意味ではない!」
「訳分かんふぇ!?」
そんな心配をしてくれるような先輩を、サルビアは好ましいと思った。変な勘違いをされる前に先手を打って、まるで友人のような会話の仕方に嬉しくなって、剣を振るう。
「貴様にも感謝するぞ!」
骨鎧の上で、彼は舞う。既に二度、剣は骨を削った。いつもならこの辺りで撤退だが、此度は違う。
「貴様のおかげで、この感情に気付けた!」
振り払おうとした骨腕を、跳躍して躱す。空中で態勢を整え、剣を構え、
「だが、俺は貴様を斬りたい!」
振るう。骨が削れた。剣が折れた。心の中で感謝を述べ、折れた剣を虚空庫にしまう。
「単純に、斬れないものかどうかの確認でもある」
新しい剣をその手に。感触からして、あと一撃。あと一撃で、この骨は削り切れる。
「だがそれと同じくらい、貴様を放ってはおけないという想いがある」
斬撃の為に、振りかぶる。身体強化された筋肉が収縮し、眼は刻むべき場所を見据え、天を向いた剣は煌めく。
「だから、斬る」
心を自覚したからとて、剣が変わるわけでもない。ただいつもと同じ、龍骨をほんの少し削れるだけの剣だ。それ以上でもそれ以下でもない、それだけの剣だ。
でも、それだけの剣がみんなを守れるのだ。そのことを、サルビアは嬉しいと思った。
「っ……!」
削ったその先は、また白かった。二層目を削り切れなかったのではない。三層目だ。まだ次の層が、控えていた。
考えている暇はない。今度こそ、潮時だ。骨の丘を攫うような複数の腕から逃れる為、サルビアは一度下に降りる。そして、一目散にザクロの元へ。
「あったんだな?」
器用に歯の隙間から声を出す彼に、頷く。同時に魔力眼で彼の光の輪郭が一割を切った事を視認し、降り注いだ骨を回避。飛び散った石片が、サルビアの身体に血の線を幾筋が刻んだ。
「分かってんなサルビア?」
「もちろんだザクロ先輩」
走り抜けたその先、木々に身を隠して作った時間の内に、ザクロは使い終わった身体強化の陣を吐き捨てる。サルビアは治癒で全身を軽く癒し、血と汗を拭う。
「「もう一度だ」」
そしてザクロは新たな陣を噛み、サルビアは新たな剣を握り、動龍骨へと駆け出した。
斬る為に、守る為に。




