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幻想現実世界の勇者  作者: ペサ
幻想現実世界の勇者
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第20話 遠足と異変

「ただいま」


 家の外壁を覆っていた蔦を魔法で動かし、黒髪の少女が隠されたドアを開ける。シオンの留守中、魔物が家に入らないための対策だ。


「おかえり。あ、一応気をつけて」


 出迎えるのは、床に座った黒髪の少年だ。足元に武器が散乱しているのを見るに、武器の手入れの最中だったのだろう。教え始めた頃は色々と危うかったが、最近になってようやく安心して任せられるようになった。


「あ、痛!?こら、俺君は一々おかえりくらいで動揺しないでよ!だから君は……」


「前言撤回。まだまだ不安ね」


 指に軽く刃を突き刺した仁を見て、シオンはやれやれと頭を下げ首を振る。


 仁がゴブリンに襲われてから半月後。3人はゴブリンの襲撃前のような、平和な毎日を送っていた。




「今は僕?」


「ご名答。俺君の人格って、なぜかこういう細かい作業が苦手なんだよねぇ。僕こういうの好きだし、得意だし」


 とはいえ、こういう作業を任せられるのは僕の人格のみである。俺の人格も試したことはあるのだが、手をぱっくり切って大変だった。元は同じ人間だというのに、なぜここまで差が出るのだろうか。


「適材適所だ。身体の動かし方とかは、俺のが得意だから」


「君が得意なのは戦闘と突拍子もないこと、変態なことを考えることだけだろ?その点、僕は料理洗濯掃除、剣のお手入れまでなんでもござれさ」


 反論、もとい、わざわざ言い訳をしに出て来た俺を、僕が更に煽っていく。


「む、無駄に女子力高いやつめ……」


「女子力ない男はモテないよ?」


「改めて思うけど、すごい光景よね」


 同じ口で互いに罵り合うという、事情を知らない者には頭を心配されかねない光景。しかし、事情を知る者から見れば、じゃれ合っているだけの微笑ましい絵面である。


「えーと……おかえりシオン。今日の戦果は?」


「た、ただいま。大漁って言いたいところだけどさっぱりね。今日はなんにも見つけられなかったわ」


 武器へと目を向けながらも彼女のことを時折盗み見する俺と、服の汚れを落としながら彼のことを気にするシオン。会話もどこか緊張していて、非常にもどかしい。


「ねぇ、もっと自然にできない?いくらあんなことやこんなことがあったからって、ねぇ?」


 僕はその様子を実に楽しそうに眺めながら、やれやれと肩をすくめる。看病生活で起こったたくさんのハプニングが、おかしな距離を作り出していた。


 真っ先に思い出されるのは、お姫様抱っこと身体拭きだろうか。異性への耐性が皆無の二人があたふたする様はとても愉快だった。


「自然だよ!ネイチャーだ」


「な、何もおかしく無いわ!ねいちゃーよ!」


 からかわれた彼らが必死に言い返す様は、見ていて面白い。僕がからかうことをやめられない理由だ。


「……おかしいと言えば、最近森の動物がいなくなってるんだけど、何か知らない?魔物はたまにいるけど」


「シオンシオン。もうちょい話題逸らしは勉強した方がいいよ。どこぞの女子力無い人にも言えることだけど」


「俺は男だ」


「いたたたた!誰も俺君とは言ってない……ああ、シオンごめんごめん。僕らあの事件以来、ほぼニートしてて分からないや」


 俺に剣で突かれながら、シオンに少しふざけた声を返す。だが、言葉の意味はほぼ事実通りだ。


 大怪我を負って以来、仁は訓練で家の周りに出る時の他に外へは出ていない。これはシオンが決めたことで、もう少し強くなるまで単独行動は禁止された。


 家の扉にシオンでないと解錠できない特殊な魔法がかけられており、ゴブリンやオークごときには入ることができない。過保護なまでの警戒だが、先の出来事を考えればある意味当然だろうか。


 ちなみにこの魔法。この家が持つ系統外らしい。家でさえ魔法が使える世界とはこれやいかに。


「にーとって、なに?」


「気にしないほうがいい。また僕のどうでもいい戯言だ」


「引きこもるってことさ。うん。今までに森から動物がいなくなったことはあったのかい?」


 過保護な少女へと誤った日本語を教えつつ、仁は磨き終わった武器を渡す。


「ゴブリンが集落作った時とか、オークの群れが通過した時とか。最近だと……数ヶ月前の黒い変な塔が遠くに見えるようになった時かしら?」


 武器を虚空庫へ放り込みながら、シオンは森の異変を振り返る。そういう時は大抵、魔物が絡んでいることが多いのだ。


「あの日にもそんなことがあったのか」


「あの日?」


 平和が崩れた忌まわしい日のことを思い出し、仁の顔が浮かない表情へと変わる。変化に気づいたシオンが気遣うような声で尋ねるが、


「いや、なんでもない。というか、それは大丈夫なのか?シオンがその辺の魔物に負けるとは思っていないんだが」


「僕はもれなく一般人だからね」


 本心を交えた言葉で話題を逸らす。できるなら、あの日のことは話したくはない。あれは仁が体験した、生涯最悪の時間だ。


「多分、大丈夫かな」


 言いたくない雰囲気を察したのか、シオンもそれ以上は追求してこなかった。


「今までの魔物の群れって、大したことなかったから。精々オークくらいだもの。それに、例えオーガの群れでも仁一人くらいなら守れるわよ。あ、二人かな」


 仁の弱気な発言を、彼女は自分がいるからと一蹴した。実際強がりでもなんでもなく、目の前の少女はやり遂げるだろう。


「全くもって頼もしい限りだよ!」


「……その時は、頼む」


 きっと、その時は仁は動けない。あの日の恐怖が深く刻まれ過ぎた。


 仁は日本人が死んだ理由の九割以上を、恐怖で身体が動かなかった、または現実を認識できなかったからだと推測している。理解の範疇を超えた死の恐怖を前にして、まともな思考ができる日本人が何人いるか。


「……無理しなくていいのよ。あんなの、誰だって戦いが怖くなるわ」


 仁の強がりと内心は、シオンに筒抜けだったらしい。


「もし次会った時に、動けなかったら?」


「だったら私がまた助けに」


「間に合わない時もあるもしれない」


「うう……」


 優しく気遣ってくれたシオンに申し訳なさを感じるが、仁は自分の意見を曲げなかった。いつまでも彼女の家に居候できるとは限らない。恐怖は、いつか克服しなければならない。


「足手まといにもなりたくない。だからシオン……その、遠足行きませんか?」


「え?」


 だから仁は、行き損ねた遠足に行こうと提案した。







 深い深い山の中。道などあるわけもなく、凹凸の激しい地面と落葉の床が続く。


「置いてくわよー!」


 しかし少女は平坦な道だとばかりに、颯爽と駆け抜けていく。特に急いでいるという訳でもなく、なにかに追われている訳でもなく。


 ただ嬉しくて楽しくて仕方がなくて、はしゃぎまわっているだけなのだ。


「……ふふっ。いつもの気遣いがない」


「僕今、ヒロインが主人公の歩幅に追いつけない時の気持ちわかりそうだよ。これは辛いわ」


 ぴょんぴょんと跳ね回る彼女の体力を羨ましく思いながら、息を切らして追いかける。まさか置いてかれはしないとは思うが、あのテンション&天然娘だ。確証がある訳ではない。


「シオン!休憩、してもいいだろうか?」


「そろそろお昼ね。分かったわ!」


 苦しそうに捻り出した声が聞こえたのか、遥か先で石に腰掛けて待ってくれている少女の元へと急ぐ。


「まさか10km近くも、あのペースで走るとは思ってなかった」


「はやすぎぃ……体力ありすぎぃ……」


 いくら一般人より体力に自信のある仁とはいえ、全力疾走に近い速度で10km走ることは不可能である。そもそも1kmでも難しい。


「もうちょい体力戻ってからにすればよかった……」


 まだ家を出てすぐだが、すでに後悔していたのが本音であった。








「お待ちかねのランチタイムだ!」


「私もお昼ご飯……らんちたいむが楽しみだったわ」


 適当な切り株に座り、膝の上にシオンお手製の弁当を広げる。虚空庫に放り込まれていたため、出来たての状態を保っており、実に美味しそうだ。


「本当にこれ便利だよな。俺も使いたい」


 シオンが虚空庫からティーポットを取り出すのを見て、仁は虚空庫を物欲しそうに羨む。こんなもの、創作物の中でしか知らない魔法だった。


「私がいれば問題ないでしょ?仁の分だって入るわよ」


「それはそうなんだが……」


(男女一緒に入れたくないものもあるんだよねぇ)


 例えば下着類などと、心の中でしか言えない辺りが仁らしい。そして、それに気づかないのがまたシオンらしい。


 もう一つ付け足すならば、仁とシオンがずっと一緒にいるという保証はないということだろう。どちらかが死ぬか、それとも円満に分かれるか、または仁の真意がバレて見限られるか。


 どうなっても、彼女との別離は仁の生存率が下がることを意味するのだけは間違いない。だから仁としては、出来る限り末永くお世話になりたいのだ。


「それにしても、遠足に誘われた時には驚いたわ。目的を聞いてなるほどって思ったけど」


 ハムリ、と大きな肉と野菜が入ったサンドイッチを頬張りながらシオンが話し始める。無理矢理押し込んだのか、膨らんでいる頰がハムスターだ。


「魔物への恐怖克服を兼ねた遠出ね」


 そう、これはただの遠足ではない。魔物を狩りに行くことを目的とした遠出だ。


「シオンの力を借りながらだけど、早く恐怖を克服したくて。それに遠足がパァになってたから、ちょうどいい機会かなと」


「パァっへはに?」


「なしになったって感じの意味だよ」


 頰を突きたい欲望をいい香りのするお茶、日本で言えば紅茶のような飲み物とともに喉へ流し込む。押すな押すなの声が脳内で反響していたが、その声の主の口を押すことで沈黙させた。


「仁、本当に戦える?」


「……戦うしか、ない」


 戦うしかないのと、戦えるの意味は大きく違う。それが分かっていても、戦える自信のない仁はそう答えるしかなかった。


「あんな目にあって怖くないわけがない……」


 僅かに残ったお茶に写る、傷だらけの痩せた男の顔。治癒魔法で傷自体は塞がったものの、全身に傷跡は残ってしまったのだ。


「何せ全身に矢を撃ち込まれて、四肢折られて、腕を剣でぶち抜かれて、脚はガリガリ齧られたんだからね」


 腹や脚には、矢でできた白い線や大きな痣が。両腕には剣の貫通した跡が。骨が折れた箇所は、前と比べて僅かに歪んでいる。齧られた脚は古い皮と新しい皮との色の境界線ができ、嫌悪感を煽る色合いとなった。


「なんとか生き残れたけど、それは俺の力じゃない。そして、このままでいいわけがない」


 これだけの傷を受けてなお、仁が生きていたのはシオンの全力の治癒のおかげだ。普通なら死んでいてもおかしくない。魔法は凄い。使えるシオンも凄い。でも、仁は何も凄くない。


「トラウマ抱えてたんじゃ、この世界で生きていけないでしょ?」


 その凄い治癒魔法でも、治せない傷だってある。例えば心の傷とか。


 元からオーガでトラウマになっていたところに、さらに深い傷が刻まれたのだ。日常生活にも支障をきたしかねないほどに、残ってしまっている。


「不眠症になりそうだしね」


 夜の始めは決まって悪夢を見る。ある時を境に夢は消えるのだが、それまでが彼にとって地獄だ。悪夢を見ると分かっていて、すぐに寝れる仁ではなかった。


 いや、起きた直後もだ。夢の光景が頭にこびりついて離れてくれない。夜の半ばから起きるまでだけが、安らかな眠りなのだ。


 原因は分かっている。心に刻まれた魔物や死への恐怖がきっとあの夢を見せているのだ。ならば、


「やり返せば、あいつらを倒せば、克服できるんじゃないかって。その、シオンもいるから安心だし」


「技術的に見ても一対一なら、オーク相手でもなんとかなるとは思うわ。けど数は純粋な力だから」


「……分かってる。わらわらきたら、悪いけどシオンに任せる」


 いくら技術を身につけようと、シオンほど強くなったなんて欠片も思っていない。今の仁がどれだけ頑張っても、オーク二匹に勝てれば大健闘だろう。


「真面目な話も結構だけどさ、今はこっちに集中しない?せっかくのアツアツできたてが冷めちゃうよ」


「……それも、そうだな」


 嫌なことは後回しにして、肉と野菜のサンドイッチを味わう。本当に美味しい料理だ。


「美味しい」


 こんな美味しい物、いつまで食べれるのだろうか。いずれ、あの不味いゴムのような肉の生活に戻りはしないか。そんな思いが脳裏を掠めたのを、俺は知らないふりをして一思いに呑み込んだ。


 俺のその小さな心と身体の動きを、僕は見逃さなかった。ただ何も言わずに笑うだけだったが。


「さて、リベンジだ!シオンが仇は取っちゃったけどね」


「こらこら。先に挨拶」


「おっと。忘れてた」


 もう一つサンドイッチをぱくりと食べ終えて手を合わせ、「ごちそうさま」を。


「面白いのはこの世界でもごちそうさまがあるってことだよね」


「感謝は全世界共通なんだろうよ」


 この世界にも「ごちそうさま」という言葉はあるらしい。少なくともシオンは知っている。なんでも『記録者』という歴史家が書いた本に書いてあったとか。


 異世界でも感謝の作法は共通なのかと、驚かされたのをよく覚えている。








 食事を終えた彼らは、魔物を探しに森の奥へと進む。シオン曰く、身体強化を使えばすぐに見つけれられるとのことだったのだが、


「おかしいわね……ここまで魔物が見つからないなんて」


 耳を澄ませ、警戒を続けるシオンが首を振る。森の中で暮らしてきた彼女でさえ、おかしいと感じるほど魔物と出会わない。いや、いないのだ。


「見つけられないというより、いないって言った方が正しいのかしら」


 シオンの強さを魔物が知っていて、察知した瞬間に逃げている。だから出会えないというのは分かる。しかし、彼女はそれさえないと言うのだ。


「動物だけじゃなく、魔物まで消えたってことは今までにあるのか?」


「八年くらいあの家に住んでるけど、私も知らないわ。……なに?この音」


 話の途中で何かに気づいたのか、彼女は耳をピクリと動かす。シオンが虚空庫から銀の剣を取り出したのを見て、仁も腰に差してある剣を抜刀。


「魔物か?」


「うん。けどすごく遠いと思う。一応静かについてきて」


 手招きするシオンを追いかけ、静かに森の奥へと踏み入っていく。草木を踏んで音を鳴らさないように極力注意し、ゆっくりと前へ前へ進み続け。


「魔物、いや違うな」


 仁の耳にもはっきりと聴こえた。といっても魔物の足音ではなく、水が流れる音だ。


「いい思い出ないんだけどなぁ」


 水音に関連して呼び起こされた敗北と恐怖の記憶に、顔を顰める。しかし運命とは因果なもので、記憶だけでは済まなかった。


「見覚えがあるね」


「ここは」


 急に開けた視界の中、静かに流れ、陽の光で光る川。穏やかな流れから一転し、下へと音を立てて落ち続ける滝。眼下に広がるは、見惚れるほど綺麗な緑と茶と青の景色。ただ一点、前見た時と違う箇所があるのだが。


「全くもって嫌な場所だ」


 奇しくも二人が辿り着いたのは、その記憶の舞台、仁がオーガに襲われ、トラウマを植え付けられた滝だった。


「ああここは」


 シオンは滝を見て、位置関係を把握したのか手をポンと打つと、


「仁を拾った滝壺の上ね」


 確かに見方を変えれば、仁とシオンが出会った場所でもある。が、まるで捨て犬を拾ったかのような言い方は、さすがに酷くないだろうか。


「俺が捨てられてたみたいな……もう喋っていいのか?」


 周囲へ注意を払いつつ、シオンの横へと並ぶ。彼女が喋ったということは一応安全ということだろう。


「いいわよ。あの距離なら聴かれる心配もないから」


 シオンの指差す先、仁が前見た時と違う箇所。崖の下に広がる森の先で、飛び出ている角のついた顔。木を追い越すほどの身長を持つ魔物といえば、自ずと候補は絞られる。


「オーガ」


「それも大きいのが五匹。あの大きさなんてなかなかいないわよ」


「えっ?僕ら毎回あれくらいのサイズとしか会ってない」


 シオンの言葉が確かなら、仁が今までに遭遇した二匹のオーガは相当大きい部類だったらしい。


 一匹でさえ勝つのに苦労し、二度目は殺されかけた。五匹同時など、すぐにミンチになることだろう。崖の端に立つ隣の少女なら、余裕で倒せるかもしれないが。


「ん?顔に何かついてる?」


「いや、別に」


「ねえ、お二方。なんか変な雰囲気に入りそうなところ悪いんだけど、あ!待って待って!殴ろうとしないで!今大事なこと言うから!オーガだけなのあれ?なんか動いてない?」


 ひょっこり出てきてさらっとからかう僕の人格が、殴られる前にオーガのいる辺りを指で示す。ただの時間稼ぎかと思い、心理世界で俺は軽く頭を叩いておく。


「ひどい!?嘘じゃないよ!シオン。魔力で視える?魔物って魔力あるんでしょ?」


 殴られた箇所を抑えつつ、僕は必死に抗議の声を上げる。自己の弁解が二割、事態の深刻さに怯えるが八割だろう。


「あるにはあるけど、ちょっと待って……嘘でしょ?」


 目を凝らし、シオンは魔力を視る目へと切り替える。仁には魔力など視えないが、少女の恐れと驚きは本物で、僕の言うことが本当だったと悟る。


「おいおいおいおい……どんだけいるんだ……?」


 一人遅く、僕の見ている場所を俺も注視する。背の高いオーガばかりに目がいっていた。遠く、木々の隙間という普通なら見えないであろう場所。しかし、景色そのものが動いているなら話は別だ。


 視線の先で、数え切れないほどの緑と土煙が蠢いていた。遠くから見れば、森が動いているように見えるほど。


「魔力の感じからして、ゴブリン?」


「はぁ!?100匹どころじゃないぞ!」


 それだけ屠れば、間違いなく恐怖は克服できるだろう数。その前に仁が死ぬことも間違いないが。


「とりあえず、こっちに来てないようで助かる。あれで克服訓練はごめんこうむりたい」


 今いる場所やシオンの家とは違う方向に魔物達は進んでいる。急な方向転換でもしない限り、このまま通り過ぎてくれることだろう。


「このまま引き返してやり過ご」


「ダメ」


 胸を撫で下ろした俺の言葉を、少女の否定の二文字が遮った。


「家とここには向かってない。けど、あの方角には村があるわ」


 確かに仁とシオンは安全だが、他の人間となれば話は別だった。


「俺達が襲われた時にシオンが行ってた村か?香辛料を取りに行ったのに、忘れた(・・・)


 目的のものを忘れてくるなど多少の不自然さはあったが、世間知らずで天然なシオンだから、で俺と僕で話はついた例の村だ。


 食卓でドジっ子だなぁと笑い話になった仁の知らない村で、シオンを迫害した村に危機が迫っている。


「……うん。その村よ」


「どうする?」


 力なく頷いたシオンが気になるも、仁は見知った人の命の危機だからと勝手に納得して、本題を問う。


 重要なのは、あの魔物の軍団の対処だ。仁とシオンだけが生き残るなら、仁のことをシオンが守りつつ無視が得策で賢い選択であろう。少女の心に後悔が残るかもしれないが、死ぬよりはマシだ。


「村に伝えに行く。あれだけの距離があれば、まだ着くのに時間はかかるから。持ち出すものを最低限にすれば避難できるはず。こっちのが近いわ」


 もっとも、シオンがその選択を選ばないことを仁はわかっていた。


「シオンらしい」


 見知らぬ人の命を救い、小さな対価で技術を託し、居候させるほどのお人好し。そんな彼女が助けないという選択肢を選ばないなど、あり得ない。彼女は仁とは違って、そういう人間なのだから。


「分かった。そうと決まればすぐ動こう」


「……ごめんなさい。仁にも危険が及ぶかも」


 仁個人としてはあまりお勧めしたくない選択肢ではあったが、言って聞く少女でもないことも、また知っている。


「いいけどシオン。僕から一つ条件だ。万が一魔物の軍勢の方が早かったら、無理はしないこと。いいね?」


 だが言って聞かなくとも、歯止めをかけることはできるはず。「俺と僕のことを優先してほしい」という言葉を、上手く濁した僕の忠告だ。本来の意味が伝わらなくとも無理をせず、必ず撤退させる約束ができればそれでいい。


(いざって時は、この約束を盾にして撤退できるからねぇ)


「そうじゃないなら、俺は諦めて巻き込まれるよ」


 村に避難しろ、と伝えに行くだけなら危機は少ないはず。魔物との遭遇も、群れから逸れたごくわずかだけだろう。不安な要素はあるが、いつかの学校での戦いよりはマシだ。


「ありがとう。じゃ、行くわね」


 腹をくくり、シオンがこれから村へ向かおうとしたその時だった。


「ねえ、どうするの?僕と俺、身体強化使えないんだけど。村への行き方も知らないよ。正直シオンの家への帰り道も怪しいんだけど」


「…………」


「…………」


「…………」


 僕がふと気付いた事実に、三者同様の沈黙。時は一刻を争うこの事態。正直、この沈黙さえ惜しい。だがしかし、考えなくてはならない重要な事態だ。


 シオンは必然的に身体強化を使うことになるだろう。そしたら、仁はどうなる?


「シオン。強化を使って走ったら、どれくらいの速度出せる?」


「軽く仁の数倍?ううん。もっとかも」


 答えは仁が置いてけぼり。なら、シオンを後で追いかければ済む話、ではある。


「ちょっと厳しいな」


 道を知っていれば、だが。ゴブリンに襲われて以来引きこもりとなり、その前も外に出ていない仁に土地勘などない。そもそも村なんて行ったことがなく、追いかけたところで迷うのがオチだ。


「けど、シオンが俺のペースに合わせてたら間に合わない」


 かと言って、シオンが身体強化を使わないというのもあり得ない選択肢だ。先も述べた通り、緊迫した事態である。ゆっくりのこのこ村まで歩いて行くわけにもいかない。


「でも、仁がここに留まるのも危険だし」


 ならば、ここに止まるか?それも仁にとっては辛い策だ。ほとんどの魔物があの軍団に加わるか、逃げ出したかしたとしても、仁が魔物に襲われない可能性が0ではない。しかし、これが一番現実的な策であろう。


「ここで待ってるよ。また迎えに来ておくれ」


 できることならシオンの側が一番安全であるが故、一緒についていきたかった。でも、彼女の意思を曲げるわけにはいかない。


「担いで行くわ。乗って」


「え?」


 仁が妥協して出した二番目に危険の少ない提案は、シオンの強い口調にて塗り替えられた。


「早く!」


 驚く仁を心情的に置いてけぼりにし、ここには置いてけぼりにしないと、彼女はしゃがんでおぶさる体勢を取る。


「時間ないじゃないのか?俺担いで行っても遅くなったりは」


「強化使えば仁なんて小鳥だから。時間ないから、お願い」


「いや、だけど」


「早く!もうあの時みたいな思いはしたくないの!時間もないんでしょう!?」


 なんとか残ろうと俺は食い下がるも、シオンの意思は決して変わらなかった。理と情で責められ、あの時のことまで引き合いに出されては、仁も強くは出れず。


「わかった」


 渋々といった体で諦め、少女の背中へと身体を預ける。膝裏を腕で支えられ、振り落とされないように首の前で手を結ぶ。この時、危ないところに当たらないよう、すごく注意したのは言うまでもない。


 これで村へ向かう準備は万端である。だが、


(これすごい絵面だね。なんか、うん)


(言うんじゃない。けど、こんな時に言うことじゃないだろうが、すっげえ恥ずかしい)


 強化を発動したシオンが、大の男を背負ったまま軽々と立ち上がる。仁はまだ幼さの残る少女にしっかりとしがみつく。普通、逆だろう。


「行くわよ」


「うおっ!?」


 シオンが言葉とともに踏み出した一歩で、身体に多大なGがかかり始める。首があかべこのようにがっくり揺れて、揺れる。凄まじい速度だ。


「早すぎる」


 風が吹いたように錯覚するほど、早い。少女は少年を背負い、山の中を縦横無尽に走る。木を避け、草を踏み荒らし、時には無茶とも言える段差を無いように飛んで。しかし、振動は思ったよりも小さい。


「乗り心地は?」


 空気を切る音がびゅうっと響く中、シオンの声だけははっきりと聴こえた。これもなんらかの魔法なのだろうか。


「シオンの気遣いのお陰で上々」


「ありがとねー!お礼に俺君の恥ずか……ふがっ!?」


 俺と僕それぞれの返答に、シオンの身体が笑いに揺れる。ほぼ笑う事でしか仁を揺らさない、驚くべきバランス感覚だった。


「オリンピック代表も形無しだね」


 土地勘がない仁にはどれほど進んだのか分からないが、一般的な自動車の速度は出ているのではないだろうか。改めて身体強化の重要性を思い知らされる。


「本当に、すごい」


 すごいのは魔法だけではない。後ろの人間に気を使いながら、木と木の僅かな隙間をかいくぐり、最短距離を進むシオンもだ。


「遠いな……」


「ううん。村までもう少しよ」


 勘違いした彼女に、苦笑で返す。そうじゃない。遠いのはシオンの背中だ。


 身のこなしや見えている範囲の格が違う。仁なら足をくじいて、木にぶつかって、すっ転んで終わりだろう。こんな些細な場面でさえ、彼女との差を思い知らされる。


 いつか追いつきたいと願う、その強さの背中との距離はまだ分からない。


「……ちょっと嬉し……あ」


「……」


 が、ここは安定のシオンだ。うっかり漏れた感情が仁の尊敬という念を一瞬にして打ち壊した。


「なんでこの切羽詰まった局面で、そんな明るい単語が出てくるんだ……」


 さっきまでのかっこよさはどこへ置いてきたのだろうか。これが強者の余裕なのだろうか。


「うう……気にしないで。けど、その……わかってもらえないのかしら?態度で伝えればいいって本に書いてあったのに、この朴念仁?」


「いや、理由は分か……違う!時と場所とかその他、諸々色々考えてからってことで!」


「朴念仁って上手いこと言ったね。でも僕もそう思うよこの朴念仁仁」


 ゴブリンに襲われて以降、色々と分かりやすくなったシオンに焦ってしまう。仁だって思春期真っ只中、女子の動きにちょっと期待を持ったりはする、鈍感系ならぬ鋭敏系男子だ。


「ねぇ、君たち状況分かってる?」


 所も時間も場合も構わず、変な空気を作り出した二人を、呆れ果てる僕の言葉が黙らせた。







「見えた」


 数分間走って森を抜けた先。広がる平坦な地に、木造の家が不規則に並んでいた。おばちゃん達の井戸端会議、若い男の薪割りなど、人々の動きもとても長閑で、魔物の襲撃など欠片も知らない様子が伺える。


「ここで待ってて。もし何かあったらすぐに呼んで」


「俺は行かない方がいいか?」


 木の陰に仁を降ろし、シオンは単身で村の方へと向かおうとする。一緒に行こうと仁も立ち上がるが、


「ごめん。仁がいたら余計話がこんがらがると思うから、大丈夫。避難するよう言うだけだから、すぐに終わるわ」


「わかった」


 よくよく考えれば、面識のあるシオンでさえ迫害を受けていたのだ。見知らぬ忌み子である仁が見つかれば、きっと良くないことになる。


「私はきっと、セーフだから!」


「今更だが、大丈夫って意味で使うと変だな」


 明るく振る舞うためか、それとも仁を安心させるためか、あるいは両方か。いや、天然の方かもしれない。慣れない言葉を笑顔で間違って使う、そんな彼女の気遣いをありがたく受け取り、仁も小さく笑いをこぼす。


「仁が教えんたんでしょ?」


「いや、間違ってないんだけど、微妙な違いがね?」


 間違って使っていたのはただの天然だったようで、シオンは不満そうに顔を膨らませる。先ほどの逞しさはどこへやら。だが、そんないつもの彼女に安心させられたのも、確かだ。


「いってらっしゃい」


「いってきます」


 小さいのにとても頼り甲斐のある、さっきまで自分がしがみついた背中を見送り、仁は木の陰へと身を潜める。


「できる限り早く終わってくれ」


「俺君俺君。自分の身の安全を心配するフリしてシオンのコミュ力心配するのやめよう。きっと大丈夫さ」


 とは言っても当然、ただここにいるだけではなく、シオンの説得を見届けるつもりではある。声は聞こえないが、様子は分かるだろうから。


「……まぁ、歓迎はされてない雰囲気だな」


 近づいてきたシオンに何人かの村人が気づき、一斉に同様の反応を示した。露骨に顔をしかめ、敵意と怯えを露わにしたのだ。さっきまで楽しそうに談笑していた人の良さげなおばちゃん達までもが、黒髪の少女を睨みつけている。


「忌み子ってのは、ここまで恨まれてるもんなのか?」


「世界を滅ぼしかけた悪党と姿が似てるってだけでねぇ……ちょっと釈然としないよ」


 シオンが昔、この辺りで暴れたりしたのだろうか。いや、それはないだろう。彼女の過去は知らないが、仁の知るシオンはそのようなことをする人ではない。


「それにしても、本当にシオンの過去を知らないのな」


「僕らの過去も教えてはないけどね。それにシオンも僕らもワケアリだし」


 1ヶ月半ほど共に過ごしているが、仁もシオンも互いの過去に踏み込んだ話はしていない。シオンの全身の傷から想像するに、彼女の過去は壮絶なものであっただろう。また、仁の過去も笑い話でできるようなものではなく、話せるきっかけがないのだ。


「なぁに?知りたいの〜〜?」


「別に知る必要も知らせる必要もないだろ黙っとけ。シオンが困った顔してるな。話してるのは誰だ?」


 僕の悪い癖が顔を出し、これ以上この話は危険だと判断した俺は、シオンへと意識を向ける。


「やっぱり一番偉い村長さんとかじゃない?」


「如何にも硬そうな頭してる。思考は柔軟だったりしないか……しないみたいだな」


 説得は難航しているらしく、シオンの顔はあまり良いものではない。仁はしばらく見守るが、一向に説得できる傾向はなく。


「聞き取れないのがもどかしい……なんだ?」


「石?」


 身を乗り出した仁の目に、小さな石がシオン目掛けて飛んで行ったのが見えた。いや、小さいのは距離が離れているせいで、そう見えているだけだろう。実際はもっと大きいはずだ。


「もう来たって、わけじゃないよな」


 ゴブリンが投石でもしたのかと思ったが、周りの剣呑な様子的にそれもない。


「投げたのは……へぇ……忌み子ってここまで嫌われてるんだね」


「クソ野郎が!」


 投げたのが人間で、しかもそれがいい歳をした大人だという事実に、仁は怒りを抑えるので必死だった。


「シオンはわざわざ助けに来たんだぞ」


 村の危機を感じ取って伝えに来た人間にする歓迎が、これなのか。嫌がって鼻をつまんで、石を投げるのか。


「ダメだよ俺君。分かっているよね?君が出て行っても混乱を招くだけだ」


「……分かってる」


 思わず茂みの陰から飛び出しそうになった俺から主導権を奪い取り、僕は強引に身体を引き止める。自分が行ってもできることはないと言い聞かせ、深呼吸。


「シオンの怒鳴り声が聞こえてきたよ。さすがに怒ったのかな?」


「……違う。大方、聞き分けの悪い大人に切れたんだろう。自分のことじゃない」


 ここはシオンのためにも、耐えるのがベストだろう。焦って、一時の感情に流されてはいけない。この世界はそういう世界だ。


「全く、本当に不愉快な」


 珍しく本気で怒っている様子の僕の言葉が終わる前に、


「仁!」


「……どうした!」


 シオンが仁を見て、叫んだ。その鬼気迫る表情にただならぬ何かを感じ取った仁は、木の陰から顔を出す。名前を呼ばれた以上、すでに村人にはバレてしまった。隠れていても意味がない。


「やばい事態ってことは」


 しかし、仁を村人達と接触させない決まりを破るこの声の意味はなんだろうか。余程切迫した事であるのには違いない。


「っ!もう魔物が来たのか!?」


「違う!」


 彼はまず、予想外の早さで魔物達が村に侵入したと考えた。口にしたその推測を、シオンは否定の叫びで却下。


「がっ……あ……?なんで?」


 ならば何かと疑問符を浮かべた仁の後頭部に、衝撃が走った。


 地面が近づき、世界は下へ下へと落ちていく。消えそうになる意識の中、思い浮かぶは暗く冷たい、いやそれさえわからない一切の無の光景。


 そこに行きたくないと願うが、彼の身体は言うことを聞かず、ただ痛みと衝撃で気絶へと向かい。


「……誰だ?」


 横になった視界に写る知らない誰かの姿を最後に、仁の意識はぷっつりと途切れた。





 時は、シオンが村長と話し合いを始めた頃へと遡る。


「何をしに来た。忌み子」


 その目にただ嫌悪と恐怖だけを浮かべる長身の老人を前に、いつものように足がすくんで、目を逸らしそうになってしまう。


「がんばらなきゃ」


 だが、ここで止まっていては、一体何のためにここに来たのか。そう思って、ありったけの勇気を振り絞って、恐怖と嫌悪を正面から見つめる。


「……魔物が来てる。だから、逃げて」


「魔物?」


 少女がやっとの事で絞り出した声は震えていて、身体も竦んでいた。でも、目だけは逸らさなかった。真摯な態度を貫けば、きっと思いが伝わると信じていた。


「貴様がいつものように狩ればいいだろう?怖くなったのか?好意で村に置いてやっているのを忘れたか?」


 しかし、帰ってきた答えはいつもと変わらぬ、忌み子へと向けられる純然たる悪意だった。怖れ、恨み、憎み、蔑み、利用しようとする意思を隠そうともしない、悪意だ。


 忌み子が受ける扱いとしては、当然のものだろう。しかしそれでも、今日はその扱いに立ち向かう。


「私一人で狩れる数じゃない。森中、ううん。他のところからも魔物が集まってきてるの!」


 シオンの悲痛な訴えに、集まってきた村人の間にざわめきが広がっていく。悪感情は変わらないが、自分たちの身に危険が及ぶなら、話は別ということだろう。


「静まれ。忌み子の言うことをそう安易に信じるな」


「本当よ!千近い大群だわ!私でも同時に相手はできない!」


 あの数を相手に生き残ることは、シオンならば充分可能だろう。だが、村人全員を守り切ることになれば、不可能だ。


 いくらシオンが強くとも、一度に相手をできる魔物の数は限られている。あれだけの魔物を同時に相手取るのは無理に決まっている。


「おまえの無駄に多い魔力で、どでかいの一発撃ち込んでくれば良いだろう」


「それで済むならもう撃ってるわ」


 例え巨大な魔法を編み上げて撃ったとしても、全ての魔物は殺せない。それどころか、魔力切れで動けなくなったシオンが緩やかに殺されるのが関の山。


 森の中で火の魔法は使えず、氷の魔法や風の魔法も、遮蔽物が多すぎて当たりにくい。水の魔法で溺れさすことも、土の槍で貫くことも考えたが、魔力が足りるとは到底思えなかった。


 この数を殲滅し、なおかつ村人全員を守りきるなんてことをできるのは、それこそ伝説の『魔女』か『魔神』か、或いは歴代『勇者』くらいだろう。可能性だけなら、シオンの親戚に四人ほど該当者がいるが。


「なら、この村を捨てて逃げろと?それだけで何人の飢死者が出ると思っている。この村を一から作るのに、どれだけの苦しみがあると!」


 自分より高いところから、怒声が降り注ぐ。村長の言葉に賛成するかのように投げられた石が、シオンの顔の横を通過する。これもいつものことだ。いつもいつも、村に来たら石を投げられ、罵声を浴びさせられ。


 いつもなら、もう挫けている。諦めて、もしかしたら殲滅できるかも、と小さな希望という嘘を胸に、一人で魔物の群れに突っ込んでいる。


 しかしシオンは変わった。一人の少年に会ってから。


「死んだら終わり、だから」


 今なら分かる。説得を諦め、一人で魔物に突っ込むのは思考停止だと。その先にあるのは、ひとりぼっちの光景だと。


 彼らの怒る理由もわかる。全てを捨てて逃げろと言っているのだ。金も、財産も、家も、畑も、全て放り出せと言っているのだ。簡単な訳がない。


 この村長は、村の今後を考えて怒っている。村を捨ててしまえば、何人の村人が死ぬかを冷静に考えている。捨ててはもう、まともな村になれないことを理解している。


 彼はきっと、本当に村のことが好きなのだろう。


 だからここを捨てれない。だから捨てようとしない。だから魔物と戦おうと思ってしまっている。だからシオンに期待をかけている。だから、多くを失っても命だけが残る選択肢より、全てを残せる選択肢を選ぼうとしている。


 しかし、それではいけないのだ。


「いいから早く戦ってこい!貴様が死んでも、多少の数は減らせるだろう!」


「この分からず屋っ!私が数を減らしても、あなたたちを食い尽くすには充分な数が来てるわ!」


 村長の怒鳴り声に、負けじとシオンも怒鳴り返す。シオンにだって無理なものは無理だ。どう足掻いたってできないことはあると。


「んな……」


 少女に初めて怒鳴り返され、村長は鼻白む。シオン自身、自分が怒鳴ったことに驚いているのだ。


 でも、偶然でも隙ができた。戦いと同じだ。畳み掛けるなら今しかない。


「私じゃ無理だから……お願いします。逃げてください」


 シオンでは村を守れない。シオンだけの力では、きっと無理だから頼むのだ。


 深々と頭を下げて頼み込む少女に、村長は言葉を無くす。今まで散々除け者にし、腫れ物扱いをしてきた存在が頭を下げて、自分たちに逃げろという。ある種、驚愕であったことだろう。


 このまま説得を続ければ、全員で逃げる未来もあったかもしれない。


「仁!」


 頭を地面に向けたシオンの鋭敏な聴覚が捉えた、仁に近づく人間の足音。彼女が危機を感じて振り返って、叫んだその瞬間、暗がりから棍棒が振り下ろされていた。


「おい!忌み子!」


「起きて……脈は、ある」


 村長の説得を放り出し、仁の元へと駆け寄っていく。頭の傷に治癒魔法をかけて傷を塞いでいくが、意識までは戻すことができない。


「なんで……こんなことを……」


 倒れた仁の後ろに立つ、棍棒を持った男へ敵意を込めて問いかける。


「とぼけるな」


 だが、シオンもわかっていた。こういうことが起こり得るから、仁をわざわざ遠ざけたのだ。


「俺の『狩人』に隠れた人間が引っかかってな。最初は村の子供かと思ったら、まさかの忌み子で。あとはわかるだろ?」


「あなた、系統外持ってたのね」


 まるで獲物を討ち取ったかのように話す男性。微かな記憶にある名前は、ラガム。


「……いくつか聞くぞ忌み子。どういう関係だ?」


「……」


 軽い口調から一転、そこに明確な冷たい意思を込めてラガムがシオンを問い詰める。


「ちっ!だんまりか」


 黙ったままで何かをこらえるように下を向いた少女に、彼はイラつきを表すように舌を鳴らした。のだが。


「な、なんて関係なのかな……?」


「………まぁいい。親しいのは分かったから。次だ」


 この状況でちょっと嬉しそうなシオンに、ラガムの表情がなんとも言えないものへと変わる。少し空気が緩んでしまったが気を取り直し、


「どういうつもりだ?おまえ、自分たちの危険性(・・・)分かってるのか?」


「……分かってる。けど仁は違う。忌み子と同じ特徴だけど、彼には魔力が一切ないの」


「魔力がない?そんな馬鹿なことが……おいおいこりゃ、相当馬鹿だったみたいだな」


 シオンの弁明を確かめるように、ラガムは魔力眼で仁を視る。魔力がないことを確認できたのか、彼は大きく目を見開いた。


「どうやって生きてきたんだ、こいつ?ああ、いい。忌み子の生い立ちなんぞに興味はねぇ。今大事なのは、これからどうするかだ」


 驚いたのも一瞬、仁な危険性が少ないと判断したのか次へと話を進める。


「仁をどうするつもり?」


「村長、この忌み子の言うことは本当だ。今すぐにでも逃げないと俺ら全員が死ぬ。100や200じゃねえ。俺の系統外、知ってるだろ?」


 ラガムはシオンを無視し、村長へ逃げるべきと忠告する。その内容が自分の説得と似たものということに、シオンは酷く驚いた。


「……なんで私の意見を支持するの?」


「支持したわけじゃねえし、おまえの意見と同じなのはここまでだ。俺らが逃げる間、この馬鹿みたいに強い忌み子に魔物の足止めをしてもらう」


 しかし、彼は違うと。自分たちの生存率が最も高い選択肢を選ぶと言った。そして、ラガムの考えた選択肢はシオンにとっては嬉しくないものだった。


「私一人じゃ止めきれないって……」


「忌み子も嫌がっている。逃げ出しでもしたらどうする?」


 反論するシオンをまるでいないかのように扱い、村長とラガムは勝手に話を進めていく。そして、シオンから距離を取りつつ、村長の決定を遠巻きに見守る村人たち。


 村長の懸念は人として普通のものだ。今まで虐げられてきた人のために、一人で戦場へ行ってこいと言う命令。まともな人間なら拒否することだろう。ましてや、シオンは実力者だ。本気で断れば、この村の誰にも止められない。


 しかし、ラガムという人間はそこまで予測し、実にいい手を打った。


「いい人質がいるだろう。ついさっき見つけたもう一人の忌み子が」


 仁を人質に取るという、妙手を。シオンにとっては最悪の手を。




『属性魔法 / 通常魔法』


 魔力を体外で操作する魔法の総称で、系統の基本の三つの内の一つ。「炎魔法」や「氷魔法」、「木魔法」や「傀儡魔法」などがここに属する。


 系統の概念が生まれた時、該当する魔法は「火」「水」「土」「風」の四種類しかなかった。故に『属性魔法』と名付けられたのだが、魔法の発展により多くの新魔法が発見され、この場所に分類されている。


 その結果「傀儡魔法」など、属性という言い方にはそぐわないものまでもが含まれ、ここ十年では『通常魔法』と称されることが多い。シオンが『属性魔法』と呼ぶのは、少し知識が古い。


 メジャーなものからマイナーなものまで、ほとんどの魔法に陣が発見されている。特に有名なものは店でも比較的安く、購入することができる。


 右手に炎、左手に水といったある種の憧れを再現するなら、陣か刻印を使用する必要がある。


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