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幻想現実世界の勇者  作者: ペサ
外伝 現実幻想世界の剣士
218/266

第14話 サシュルの村と釣り針の形




 生死を分ける場面での楽観は、余りにも愚かである。例え夜であっても、門の周囲に見張りがいると考えた方が良いだろう。故にザクロ達はある店と相談し、馬車に乗せもらうことにした。


 その店とは、つい数時間前までもふもふを堪能していた「もふり屋」である。虚空庫に入らない生き物を輸送する彼らは、馬車を所持しているのだ。


 カランコエ家の権力と謝礼金で馬車を手に入れ、店の者を3人ほど御者として雇う。門のところで当然引っかかるが、ここでもサルビアの祖父の七光りで話を合わせてもらった。


 街を出てから、頃合いと尾行がついていないかを見て、馬車を降りる。荒れ果てた道を行けることを考えれば、身体強化の方が早いからだ。


 御者達はすぐに街に戻らず、近くの街までカモフラージュとして向かってもらうことになっている。申し訳ないとは思うが、それに見合うだけの謝礼は約束した。


 かっぽかっぽと走る馬車を見送ってから始まったのは、人も魔物も寝静まる夜の中の強行軍。小鬼1匹出てこない平和すぎる道中を走り抜け、辿り着いたのは目的地。


「ついたぁ……」


 身体強化で三時間。山道に慣れないアイリスの脚に合わせたことで、予定よりも少し遅れた到着となった。


「尾行は?」


「されてないはず……多分」


 サシュルの村を囲む壁付近にて後ろを振り返り、尾行が着いていないかを再度確認。断言こそできないものの、物音や魔法の気配はなく、魔力眼にも反応はない。これで尾行されていたのなら、それはもうザクロ達の完敗だ。


「そこの4人組、止まれ……あれ?マリー?街に行ったんじゃなかったのか?」


「夜分遅くにごめんなさい。ちょっと良い護衛の仕事を見つけてね。街からこの村までで金貨3枚。まぁまぁでしょ?」


 壁があるなら門があり、門があるなら番がいるのが常。村に近づいた一行は、槍を持った2人の男に険しい表情で止められる。が、マリーがいると分かった途端、彼らの態度は軟化した。


「というわけで、一旦帰ってきたの」


「寂しかったのか?え?」


「まだ一日よ?そんなわけないじゃない。またその内、街に戻るわ」


「……そ、そうか……」


 まだ若いが、マリーは絶世の美女と呼んでも差し支えない容姿の持ち主だ。外界と交流の少ない村ではさぞかし、人気のあることだろう。門番の態度の急変と、もう一度街に戻ると聞いた時の落ち込みようが、その証明だ。


「ザクロさん!お久しぶりです!」


「おうハッシュ!あれからどう?ちゃんと訓練してる?」


「してますし、成長もしましたよ!オークを三頭同時、余裕で倒せたんですから!」


「やるなぁ!暇があったらまた鍛えてやろうか?」


「はい、ぜひ!」


 もう1人、この村と交流があった男に気づいた若い門番は、これまた嬉しそうな表情に。街でも広い交友関係を築いていたザクロだ。この村でも、相当好かれているらしい。


「あ、そうだ。こいつは俺の後輩で護衛のサルビア。すっげえ強いぞぉ?」


「サルビアさんですね?その若さでザクロさんにそう言われるとは……!あ、村へようこそ!ザクロさんの身内ということなら、安心できます!」


「どうも」


 なにせ、ザクロの知り合いというだけで信用されるくらいだ。門番としてそれはどうなのかとサルビアは思いつつも、熱烈な歓迎に軽い会釈で返す。


「で、そちらのお嬢さんが護衛の対象の?」


「はい。イミーナと申します。商会の使いです。腕の良い武器職人様がいると聞いて、この村へ」


「あー。マネッチアの爺さんか……まぁ、ザクロさんとマリーさんがいるなら、話くらいは聞いてくれるかもしれないね」


 そして最後の1人。アイリスの紹介の時には、予め道中で決めておいた嘘を。暗殺者が追って来た時に少しでも情報を渡さない為であり、大貴族の訪問による村の混乱を避ける為である。


「マリーさんとザクロさんがいるなら、宿の位置とかは分かりますね!」


「ええ。私達が案内するわ」


「最近は落ち着いたが、ちょっと前までは物騒だったんだ。気をつけろよ」


「そういや、前はこんな防壁なかったのに。物騒って何かあったのか?」


 そのおかげだろうか。特に疑われることもなく、入村は許可された。門を潜る際、門番2人からかけられた声に、ザクロは村を囲う壁を指差して尋ねる。高さも厚さもそこそこ。魔法で作ったのだろうが、それなりの手間がかかったはずだ。


「魔物とか?」


「ああ、小鬼どもだ。例年よりかなり目撃が多かったんで念の為」


「不思議と、被害はほとんどなかったんですけどね」


 立派ではあるが、あくまで木魔法で創成しただけのもの。人間相手には足りないと判断したザクロの予想通り、魔物の侵入を防ぐ為のものだった。


「あとあれだ。例のオークの鎧種の番。依頼見なかったか?」


「見たし受けたよ。でも、護衛の依頼の片手間になるかもだけど……」


「それでもいいから頼んだぜ。何人か怪我してるんだ」


 最優先は、アイリスの護衛ではある。が、当然空き時間くらいはあるだろう。その間に罪滅ぼしも兼ねて討伐すると、ザクロは決めていた。


「分かった。見張り、ご苦労様です。何かあったら遠慮なく呼んでくれよな!」


「もちろん。助けてもらうつもり満々だ」


「大した物もない村ですが、どうぞごゆっくり」


 話を終えたザクロは門番達の無事を祈り、村の中へと足を踏み入れた。









 とにもかくにも、まずは宿と睡眠だった。数日は滞在するであろうことを告げ、男女別々に二部屋を押さえる。柔らかい布団の誘惑に存分に負けていいのは、雇い主であるアイリスだけ。他の3人は交代交代で見張り番だった。


「とりあえず、一夜は無事に乗り越えれたわけだが」


「アイリス様、大丈夫?すごいクマよ」


「すいません。あまり、眠れなくて」


 が、命を狙われ、周囲を巻き込んでいるこの状況でぐっすり眠れるほど、彼女の神経は太くなかった。交代で仮眠をとったザクロ達よりも、アイリスの目の下は濃い色をしている。


「難しいとは思うが、寝れる時に寝ておけ。目を瞑るだけでもいい」


「頑張りますわ……でも、今日はさすがに一日中部屋で寝ている、というわけにはいかないのでしょう?」


「設定を疑われない為には、今日中にマネッチアおじさんのところに出向いた方がいいわね」


 しかし今日は設定の補強の為にも、外に出歩かねばならない。もしも街に何かの用で出かけた村人が、怪しい女が村にいるなどと触れ回ったのなら、即座に暗殺者が確認しに来るだろう。


「ま、今の所悪くない設定だと思うわ」


「特に無理もないし、多少なら商人の息子の俺が助言できる」


 ザクロ達が考えた設定はこうだ。商会の会長の娘にして見習いのイミーナ(アイリス)が、良質な武器を仕入れる交渉の為に護衛を連れて村に来訪。しかし、新米の彼女では交渉は上手くいかず、会長が来るのを待つことに。


「……でも、嘘です。全てが終わったら、謝らないといけませんわ」


 何も知らない村人達を騙し、あまつさえ巻き込むことに、罪悪感を覚えないわけではない。だが、現状これが最善策。村の人達には後で全てを話し、それ相応の報酬を支払い、謝罪をするつもりである。


「ああ。その代わりにもなんないだろうけど、ここにいる間は出来る限りのことをしよう」


 そしてもしも魔物が村に来たのならば、揉め事など気にもせずに討伐しよう。仮に暗殺者に嗅ぎつけられたのなら、命を賭して村の人達も守ろう。それくらいは義務であると、ザクロ達は思っていた。


「そうと決まれば、早く行かないか?」


 方針の再確認を終え、生まれた静寂。それを断ち切ったのは、珍しいことにサルビアだった。


「お前、マネッチアの爺さんに早く会いたいんだろ」


 だが同時に、納得もできた。その珍しい時というのは大抵、強者か剣に関わる時なのだ。お座りして尻尾を振り待つサルビアに、ザクロは呆れ顔を向ける。


「せめて朝食を食べてからにしない?」


「それでよろしいですか?アイリス様、サルビア様?」


 朝食もまだなのだ。腹に何か入れてからという至極真っ当なマリーの提案に、ザクロは貴族2人へ畏まった口調で確認を取る。


「お願いしますわサルビア様、もう少々、お待ちくださいませ」


「……分かった」


 アイリスは上品に静かに頷く一方、サルビアはしゅんと、まるで散歩を断られた犬のように落ち込むのであった。







 時は一時間ほど進み、場所は宿から変わって金属音が鳴り響く鍛冶場。熱気が巻き上がり、火花が輝き消えてはまた生まれ。真っ赤に光る鉄が何度も何度も叩かれて強くなっていくのが、この場所だった。


「さぁてサルビア。お待ちかねだぜ?」


「……心地いい、いい音だ。剣が生まれる音だ」


 睡眠と食欲に焦らしに焦らされ、ようやく辿り着いた念願の光景と音に、サルビアは目を輝かせる。剣が好きな彼にとって、この熱い鉄の空間は聖域にも等しいのだろう。


「今日は朝から騒がしいなぁオイ!ションベンガキにケツアオムスメ!剣の調子はどうだ!」


 聖域の主人は、この男だった。金槌の音にかき消されない為に、自然と大きくなった声。焼けた肌に、くすんだ白髪と髭。腰に薬草を貼っつけた老人。彼の名はマネッチア。ザクロがこの近辺一だと評する鍛治師である。


「そんなに悪くなってないはずだけど、一応手入れしてもらおうかな。で、腰は大丈夫?」


「レディにケツ言わないでよスケベジジィ。なに?腰だけじゃなくて頭までボケたの?私の剣は四日前に見てもらったばかりじゃない……あ、これお土産」


 ついでに腰の方の悪評も広まっており、ザクロが案じ、マリーは腰に良い湿布を渡すほど。湿布はありがたそうに受け取っていた。


「紹介するよ。この子はイミーナ。爺さんと交渉しにきた商人って設定だ。ぶっちゃけ訳あり。追われてる」


 再会を堪能した後は、初対面の者達の自己紹介の時間だ。まずは、早急に片付けておきたいアイリスから。


「設定?訳ありで追われてる!?お前、まぁた女絡みで厄介ごと背負い込んだってのか!学習しねえな!」


「大丈夫。村のみんなに危害は及ばせないから」


「説明するわ。話を合わせて欲しいの」


 冷めた目線に、ザクロとマリーは真剣な眼差しで返す。交渉が難航しているように見せかける為、彼にだけは全てを話すと決めていたのだ。


「……なるほどなぁ。で、こいつがカランコエの坊ちゃんか?」


「なんで分かった?」


 全てを聞き終えた彼は頷き、サルビアの正体を言い当てた。確かに、話の中でカランコエの名前は何度か出した。だからといって護衛の1人がその家の後継であることまでは話していないし、今の会話の範囲だけで分かるとも思えない。


「お前の祖父に会ったことがあるのよ。若い時の話しだが、よぉく覚えてる」


「なんだと?」


「ああ。お前さん、奴の若い頃にそっくりだ」


 だというのに、なぜ分かったか。それは彼が、カランコエの一族を見たことがあったからだ。かの悪名高きハイドランジアの、若かりし頃を。


「ある二振りの手入れを依頼されたのよぉ。朱と白銀の、とんでもねぇな」


 その二振りとは、カランコエ家に代々伝わる対の宝剣。遥か昔、今はもう人との関わりを絶ったドワーフが生み出した、折れることなき傑作。


「あの二振りこそが、俺の人生で見た最高の剣よ」


 忘れたくても忘れられない、人生最大の屈辱にして憧れだと、彼は呟く。故に、その剣を持ってきた男の顔と名前を、今でもはっきりと覚えていたのだ。


「っと、いけねぇ。で、俺は交渉を突っぱねるフリをしてればいいんだな?ま、フリじゃなくても突っぱねてたが!」


「ご協力、感謝いたしますわ。後日謝礼をお支払い致しますので、どうか素材の購入などにお使いください」


「ううむ……金はいらねえが、素材は欲しいなぁ。分かってんじゃねえか嬢ちゃん!」


 金は手段であって目的ではないことを見抜いたアイリスを、彼は気に入ったらしい。これで、マネッチアを抱き込むことには成功した。後はこの村に滞在し、迎えの騎士を待つだけである。


「すまない。お願いがあるんだが……」


 しかしまぁ、話はここで終わりではない。サルビアにとって重要なことがまだ、残っている。


「あ?なんだカランコエの坊主。剣でも打ってほしいってか?その腰の剣も悪いもんじゃ」


「いや、見せてほしい。剣が生まれるところを」


 村に滞在している間に生まれる空き時間。その間、聖域にいてもいいかと、彼は主人へと尋ねた。


「邪魔だったり、気が散るなら遠慮なく断ってほしい。で、でもその、もしよろしれば……」


 いつになく気を遣って、いつになく弱気だった。これまた珍しいサルビアの言動に、ザクロは大いに目を見開く。


「いいぜ。邪魔しねえんだったら別に構わねえさ。人に見られたくらいで気が散るほど、俺は繊細じゃねえ」


「っ!?ありがとう、ございます!」


 サルビアが息を飲む中、数秒の空白。そして許可。言葉を聞いた少年は、高貴な頭を喜んで下げる。


 サルビア・カランコエという人間はどこまでも、剣に魅入られていた。ザクロを始めとした他者を、遥か彼方へと置き去りにするくらいに。









 陽が傾き、窓からは橙の光が差し込む一室。マリーとアイリスはベッドに、ザクロとサルビアは椅子に腰掛け、向かい合っていた。


「村への避難に迎えの要請。協力者も取り付けて宿もとった」


「一ヶ月前までは小鬼の目撃数が増加していたものの、今となっては例年並かそれ以下に落ち着いてる。おかしな魔物の動きも、鎧種以外は特にはない」


 軽い挨拶回りと偵察を終え、宿へと戻ってきた一行。村とその周辺の地図を囲む彼らは今、状況の再確認と集めた情報の共有を行なっていた。


「まぁ、これ以上に出来ることはないわな」


「そうね。できる限り早く迎えがくることを、天に祈るくらいだわ」


 結果、やれるだけのことはしたというのが、4人の総意だった。今の所追っての「お」の字もなく、村は至って平穏そのもの。待つ以外にすることはなく、暇を持て余しているのが現状だった。


「街の方は、大丈夫なのでしょうか」


 暇が出来れば当然、忙しない内は忘れていた心配が首をもたげ、顔を出し始める。夜の内に街から出ることによって、暗殺者をまくことができた。しかしそれは、あの街に暗殺者を残してきたということでもある。


 アイリスが懸念しているのは、民間人が人質に取られる、または巻き込まれる可能性だ。プラタナスに責められ、自ら助かりたいと願った今となっても、彼女は犠牲など望んじゃいない。


「気にしないってのも無理な話かもしれないけど、まだ出てるか分からないんだから、自分を責めるのは後にしようぜ?」


「そうよ。ルピナスちゃんにプラタナスさんが動いてくれるんでしょう?元宮廷筆頭魔導師とやらの」


 しかし、ザクロとマリーはその可能性は低いと判断し、少女を宥める。研究室を出る直前、なんとプラタナスが「暗殺者は任せろ」と言い出したのだ。何の冗談かと最初は疑ったものの、理由を聞けばすぐに腑に落ちた。ルピナスの実戦練習の的として、彼らは選ばれたらしい。


「むしろ心配なのは相手の方なんだよなぁ……ルピナスが止めてくれればいいんだけど」


「本気で殺しにくる相手との戦いなんて、実にいい訓練だと思う」


「そういうんじゃなくてだなサルビア」


 戦力的に全く問題はない。怖いのは、本人に自覚のないプラタナスの暴走だ。どうせ死刑だから手間を省くだの言って、暗殺者を処理しかねない。


「でも、必要に迫られたら、そうするしかないのは分かるわ」


 無論、それはある意味では正しい。どうせ死刑になるのだから、情けをかけてもそれは自己満足でしかない。トドメをささなかったせいで、無関係の人間が命を落とすこともあるかもしれない。


「でも、どうにもね」


「……まぁな」


 日本人の価値観を引きずるマリーも、まだ人を殺したことがないザクロも、心優しいアイリスも、どこかでプラタナスとルピナスに、殺害ではなく捕縛の道を選んでほしいと願っていた。彼らはまだまだ、青かった。


「情報だとかさ、引き出せないし」


「どうせなら組織ごと根絶したいものね。それにしても、本気なのかしら?」


 でもその青さを認められない彼らは、情報の為だなんだと理由をこじ付け、話題を逸らすのだ。


「プラタナス先生の作戦か?まぁ、本気だろうな。相手が釣れるか別として」


 逸らした先はそう。旅立つ前に先生から聞いた、驚異の釣り針の形だった。










 時を少し巻き戻し、場面は移り変わって街の中。暗殺者達は一般人を装いつつ、血眼になってアイリスを探していた。


 どこに隠れたのか、昨日から彼女の足取りがパタリと途切れたのだ。あの蒼髪と眼は非常に目立つというのに、聞き込みをしようが張り込みをしようが、一向に成果は出ない。


 人員が削られたことも、焦りに拍車をかけている。宮廷筆頭魔導師に出くわした部隊は身体中の骨を折られた挙句、憲兵に引き渡された。依頼主の1人である騎士と彼と同行していた騎士も、身元不明の金髪の美女に系統外で捕縛されてしまった。


 大金を積まれた上に、依頼主達も協力してくれたこの仕事。少女1人に30人と、桁違いの人数を連れてきた。だというのに、既に人数は半分ほどにまで減っている。なぜなのかと喚きたくなるほどの、大失態だった。


 理由は分かりきっている。思った以上に標的が幸運に恵まれていたこと、そして彼女が直接雇った護衛が、とんでもない凄腕だったということだ。


 とはいえ、まだ終わったわけではない。投槍が失敗したのは、目線で悟られたからである。完全なる不意打ちならば、仕留めることは可能なはずだ。


「まだ希望はある……だというのに!」


 肝心の標的が見つからない。まさか既に街を出たのかという考えが、暗殺者の頭をよぎる。が、どうにも信じ切れない。家族に助けを求める、もしくはお付きの騎士と合流するのが、先ではないのだろうか。貴族の箱入り娘が、その辺りの関係を投げ捨てる剛毅な選択肢を取れるものだろうか。


「だが、その手段を取られたなら!」


 当然、門付近は仲間に見張らせている。だがしかし、何らかの方法ですり抜けられたならば、追跡は不可能に等しい。小さな村など、街の近くにいくらでもあるのだ。その一つ一つを順に回るなど、とてもじゃないがやってられない。


「くそが……!」


 必死の理性で抑え込んだ、小さな悪態だった。ただの気弱なお嬢様1人の暗殺だったのに、ここまで手こずるとは思ってなかった。大貴族で警備が固くとも、その警備の中に手の者がいるのだから、こんな楽な仕事はないと思っていた。なすりつける格好の相手も見つかった。なのに、このザマだ。悪態を吐かないのが正解だと理解していても、口に出さないと気が済まなかった。


「ちきしょ……あれ?」


 その時だった。逃げるように裏路地に入っていく後ろ姿を、彼は見た。被っていたフードが風で少しだけめくれて、蒼髪がたなびいていた。


「……」


 必死だった。全力だった。暗殺者は死ぬ気で、今にも踊り出しそうな脚を抑えつけていた。口はきゅっと結んでいても、心の中は笑いの絶叫に満ち溢れていた。杞憂だった。まだ街にいた。隠れていただけだった。


 路地に入って、愉悦はさらに極まった。人通りが少ないからと安心したのか、こともあろうに標的は壁にもたれかかり、膝を曲げて休んでいるではないか。護衛らしき男は2人に女が1人で、情報の通り。それなりに距離はあるが、今いる位置から一直線。強化した投槍なら、護衛を貫通してなお届く範囲。


 この好機を逃す手はない。曲がり角に戻り、身を隠して深呼吸。そして、槍を構える。目撃者が声を上げるよりも早く、もう一度路地に入って、投擲。


 大気を穿つ音がした。しかし、その音に標的が気付いた時にはもう、身体に穴が空いている。血に塗れた成功を見届けようと、暗殺者は身体強化で目を凝らし、


「は?」


 炎魔法で槍を消し炭にされて、言語を失いかけた。槍を投げた彼に、気付いた素振りはなかった。誰も暗殺者も槍も、見ていなかった。なのに、防がれた。


「どこかに伏兵が……!」


 考えてしまったのは、自らが気付いていない場所に護衛がいる可能性。建物の屋根を、つい見てしまった。なんともまぁ、愚かなことである。そんな考えに至るより早く、失敗した時点で離脱するべきだった。


「釣り上げられた気分はどうかねぇ?お魚君」


「お、男!?あああああああああ!」


 暗殺者は更に愚を重ねる。喋りながら近づいてきた蒼髪の性別に驚き、逃げるのが遅れた。しまったと思った時にはもう遅く、土の槍が脚を貫いていた。


「ど、どういうことだ!なんで女装なんか!」


「グラジオラス家の一人娘が誘拐された。犯人はザクロ・ガルバドル率いる数十名」


 痛みに呻く暗殺者が、女装した男に問う。ならば女装男は、答えになっていない答えを語り出す。


「しかし、隙を見た彼女はなんとか自力で脱出。知り合いを使い、父親に助けを求めた」


「貴様は何を言ってごっ!?」


 事実と異なる内容に、そしてそれを語る意味が分からず喚いた男の口が、黙って聞けとばかりに氷で塞がれる。


「父親は、ある酒場に依頼を出した。娘を保護し、攫おうとしたその一味に鉄槌をと」


「あ……あ……!?」


 まずは唾液。次に歯と歯茎。そして舌。徐々に氷が登ってくる感覚に、痛みすら消え失せる痛みに、彼の耳は機能していなかった。


「たまたま酒場で朝食を食べていた天才とその弟子は、その依頼を受けた。いやぁ、なかなか悪くない味だった」


「……」


 例え聞こえてなかったとしても、ついに声すら出なくなったとしても、彼の言葉は止まらない。


「天才たるこの私は、自らが変装して囮になることで、誘拐犯をおびき出せるのではと思いつく。それに酒場者から依頼主に至るまでが、立ち上がって拍手喝采の絶賛」


 それは、暗殺者達を潰す為に都合よく作られた脚本。真実を知る者が、知らない者達を焚き付ける為の筋書き。


「実行し、今に至るというわけだ。おや、これはいけない。人の話はちゃんと最後まで聞くべきじゃあないのかねぇ?」


「プラタナスさん、無茶言わねえでやってくれ。口ん中氷漬けにされながら話聞けるやつなんて、そういねえって」


 朗々と語り、女装していたのはプラタナス。理不尽な要求に思わずツッコミを入れたのは、全ての事情を知り、酒場と彼を繋ぎ合わせたガジュマルである。


「それもそうだねぇ。じゃあ、離してあげようか」


 プラタナスは指を鳴らし、氷魔法を解除。土の槍による脚の固定はそのままに、(つる)による拘束魔法を発動しようとした刹那、


「かふっ!」


 密かに様子を伺っていた暗殺者が脚の土槍を壊し、再拘束される前に逃げ出した。凍った口から嘲笑のような息を吐き、一目散にプラタナスから距離を取る。腐っても暗殺者。多少負傷していようが、それくらいの動きはできた。


「さぁ、訓練のお時間だ」


「はい、先生」


 当然、プラタナスがわざと逃したという前提のもとでの動きではあったが。


「とけぇ!」


「退きませんし、通しません」


 壊れた口による濁音のない叫びに、呼ばれた少女が立ち塞がる。彼我の距離が消えるより早く、暗殺者は氷と鉄の短刀を引き抜き、ルピナスは魔法陣を構え、


「ふぁ?」


「サルビア先生よりも、ザクロ先生よりもずっと弱いです」


 そして勝負はついた。勝負の定石、魔法障壁にて暗殺者の氷の短刀は完封。反対の手の物理の短刀も、土魔法の盾を前に敗北。虚空庫から取り出したナイフを、残ったもう一枠の風魔法で操り、暗殺者の首に突き付ける。


 この一ヶ月の成果だった。幾度となく繰り返し、更に練度を高めることで、サルビアの剣を3割、ザクロの剣を3.5割の確率で止められるようになった土の盾。プラタナスから教わり、練習によってモノにした、魔法による物理判定の攻撃方法。


 師匠である3人には、まだ敵わない。だが、そこいらの手負いの暗殺者との真っ向勝負なら、余裕で勝利できるような強さにはなった。本人にさほどの自覚はないが、プラタナスとサルビアが予言した通り、驚異的な成長速度。


「ルピナス、それでは足りない」


「分かりました」


「え?ぎゃあああああああああああああ!あ……ああ……」


 しかし今回、勝負に勝てたとしても、そこが終わりではなかった。ルピナスはプラタナスの言葉に従い、取り逃がさないよう暗殺者を加工し始める。サルビアから教わった手脚の腱を断つ方法で、糸の切れた操り人形となるように。最後は四肢に走った痛みに悲鳴をあげるその喉を氷の腕で締め上げ、意識を奪えば完成だ。


「これでいいですか?」


 いくら暗殺者相手とはいえ、ルピナスは躊躇いもなく人を傷つけた。だというのに彼女は、まるで作品を先生に見てもらうかのように確認を取る。


「うん。十分だとも。一番確実なのは、息の根を止めることだがねぇ」


 一見残酷や無情に思えるかもしれないが、これらの行動は何も間違ってはいないし、恩情がある方だ。意識さえあれば魔法が使えるこの世界において、生け捕りは日本のそれと比べ物にならない難易度を誇る。


 例外があるとするならば、ルピナスくらいなものだ。魔法の枠がない彼女に関してだけいえば、生け捕りはそう難しい話ではない。装備や仕込んだ魔法陣を奪われ、手脚を拘束されて虚空庫を封じられたのなら、彼女は日本人とさほど変わらない存在になってしまう。


「酒場者としての意見だが、生け捕りの練習はした方がいいと思うぜ。そういう依頼も多い」


「ふぅむ。では、次もそうしよう。もちろん、君の命が危うくなるくらいなら、遠慮なく殺したまえ」


「はい、先生」


 今日は、そうならない為の練習だ。そう簡単に抜けられない生け捕りの仕方を覚え、時には殺す練習だ。自らの弱さを知っているからこそ、ルピナスは躊躇いなく魔法を振るう。他者を傷つけられる。さすがにまだ最後の一線は超えていないものの、いざという時の覚悟を彼女は持っていた。


「ではガジュマル君。これの輸送は頼んだ」


「了解……にしてもよぉ、まじで釣れるたぁ思っていなかったぜ。本気で焦ってたんだなぁ」


 後始末を任せられたガジュマルが、白眼を剥いた暗殺者の容態を軽く診て憐れむ。いくら背中を曲げて誤魔化していたとはいえ、女装したプラタナスに引っかかるなど、致命的に暗殺者に向いていなかったのではと。


「この完成度の高さに、私の容姿が合わさったのだからねぇ。間違えても仕方がないとも」


「先生の顔は私よりも整っていますからね!」


「……そうだな」


 するとまぁ飛んできたのは、師匠の自信と弟子の盲信。暗殺者を担ぎながらそれを聞いたガジュマルは、騎士への引き渡しの方角を見て遠い目に。


「細身の奴や女性陣は、みんな出払っていたからなぁ……でも、女装ってのはその、嫌じゃねえのか?」


「最初からそのつもりだったからねぇ。別に何も、思うことはないとも」


 給仕を囮にするのは論外。酒場にいた他の者達はゴツ過ぎた。魔法陣必須のルピナスは、先手を突かれることに弱く、それなりの腕の暗殺者が相手ともなればまだ不安もある。となるともう、それなりに細く、化け物染みた強さを持つプラタナスしか、選択肢は残っていなかったのだ。


「殺してもいい殺す気の練習相手と市街戦などという、最高の訓練をみすみす見逃すわけがない」


 女装してまで囮に立候補した彼の目的は、ルピナスの成長を促すこと。寄ってきた暗殺者をある程度弱らせ、敢えて逃がす。そうして出来上がった逃亡の為に死に物狂いの練習台を、ルピナスと戦わせ、彼女に様々な経験を積ませていく。


「次はほぼ無傷でもいけそうかね?」


「大丈夫です。このくらいの相手なら、まだ」


 その初戦を終え、暗殺者のレベルを判断したプラタナスは難易度を上げることを提案し、ルピナスはそれを呑んだ。今回は脚に深い傷を負わせ、口に大いなる痛みを与えた練習台だった。次からはハンデなし。万全に近い状態の暗殺者と、彼女は殺し合う。


「よろしい。では次の」


「先生、失礼かもしれませんが、その」


 返答を聞いて次の準備をし始めた師を、ルピナスが遮った。これでは足りないと、彼女は思ったのだ。なにせ、少女が見据えるは遥か彼方。先の有象無象とは比べ物にならない、この国最強の魔法使い。姉に勝ちたいのならば、不安だからと優しくされてはいけない。


「囮役も、やらせてくれませんか?」


 先手を打たれた上で圧倒する。それくらいできなくては、プリムラに勝てるわけがないのだ。


「思った以上に弱い刺客だったからねぇ。いいとも」


 弟子の申し出に顔を綻ばせたプラタナスは、カツラを外して許可を出す。彼はあまり驚いてはいなかった。ルピナスが言い出すことを、予想していたのだ。


「ありがとうございます!」


 そのことが嬉しくて、許可をもらったことに感謝して、ルピナスは深く頭を下げた。


 この日、ルピナスは7人の捕縛に成功するも、命を奪う経験は得られなかった。しかし、本気の殺意を向けられ、それと戦うという貴重な経験は、しっかりと得ることが出来た。


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