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幻想現実世界の勇者  作者: ペサ
外伝 現実幻想世界の剣士
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第10話 不義




 神は休日を作りたもう。


 かつて神によって与えられた知識の中に、それはあった。異世界だろうが当たり前のことだ。年がら年中働いていては、身体も壊すし心は荒む。大丈夫と思っていても、後でガタがくることもある。子供であれ大人であれ老人であれ、誰にだって休日は必要なのだ。


 例に漏れず、モンクスフード学園は基本的に週末二日はお休みで、今日も明日も休日。家でゴロゴロ休むも、働いてお金を稼ぐも、補習を受けるも、部活に励むも、友達と遊ぶも、恋人とデートも自由自在。


「うう……また負けました……」


 教室の床の感触がもう布団のように思えてきたルピナスも、生徒の1人である。彼女は休みの日を、師匠との戦闘訓練で埋めていた。


「やっぱり全然勝てません……」


 結果は惨敗。いくらやっても、プラタナスの身体に掠ることすらできやしない。他の師匠であるサルビアとザクロの時も同様で、道のりはまだまだ遠い。


「そりゃいくら君の上達が早いとはいえ、1ヶ月で私に追いつけるわけがないだろう?」


「は、早いんですか?本当ですか!?」


 と、彼女は思っていたのだが。どうやら達人から見れば、相当なハイペースで進んでいるらしい。事実だけを口にする男の言葉に、ルピナスの気持ちは上体と共に起き上がる。


「でも、所詮魔法陣です。威力と速さと範囲でどうしても差が」


 が、上昇した分以上に気分は再降下。いつも自分を助けてくれる魔法陣には感謝しているし、すごい存在だと思っている。だがそれでも、これは事実。


「そう気軽に使えるものでもないですし」


 魔法陣には既に魔力が先払いされており、戦闘時に節約できるというメリットが存在する。よって、大魔法を魔法陣で発動するということ自体は実用的ではあるのだが、


「強化だとか、あの辺の簡単な陣なら短時間で描けて量産できるんですが」


「訓練で貴重品を使わせるほど、私は鬼じゃあない」


 一般的に、広範囲で大火力な魔法ほど複雑になり、作成時に多くの魔力を奪われる。怪物染みた速度のルピナスでさえ、一枚描くのに数十分かかるのも少なくはない。完成後は多少歪めても発動できるが、描く際に位置や線がズレれば魔法陣と認められないこともある。おまけに、1日の魔力量で作成枚数に限度があるとなれば。


「だから訓練で勝てない。君の言うことにも一理はある。ただまぁ、別に威力や範囲が大きく、速ければ良いというものでもないと思うがねぇ?」


「え?」


 だが、プラタナスは此度の敗因はそこではないと、魔法とはただ性能が良ければいいものではないと、顎を撫でながら述べる。


「世は工夫だとも。やみくもに強力な魔法を撃ち続けるのではなく、小さく弱くとも必要な結果を出せる魔法を積み上げる。もしくは初見殺しにして仕留める。いくつかの魔法を組み合わせ、戦術にて勝利する」


 強力な魔法を使えることは、有利であるには違いない。だがそれは有利なだけであって、絶対の勝利を約束するものではない。


 広範囲の魔法は魔力消費が多い。魔法障壁を張っている相手に連発しても、魔力切れが早まるだけ。障壁を固定させたいなら、もっとコンパクトな魔法を見せておくだけでいい。


 別に大魔法だけが強いのではない。対処しづらいものや、対処の分からない初見殺しのような魔法だって強さの一つだ。


 そしてそもそもの話、全ては戦い方次第だ。強い魔法を撃って撃たれてゴリ押しだけの戦いなんて、遥か昔から時代遅れに過ぎない。そんなのが有効だったのは、それこそ障壁以前の時代だろう。


「そんな世の中ならねぇルピナス。剣術なんてもう存在してないだろう?」


 いや、障壁がない時代にも剣術はあった。威力は使い手次第だが、範囲は極めて狭い攻撃手段。障壁がある今となっては非常に重要な存在だが、障壁がなかったら役立たずに思えるそれが、障壁以前からあったのだ。


「そ、そうですね……おとぎ話ですけど、『首輪の王冠』に剣士の護衛とか出てきますもんね」


 それは、古来から戦いとは工夫によるものであった証明に他ならない。


「『魔女』のような怪物ともなれば、話は別だがねぇ」


 とはいえ例外はある。あまりにも規格外な存在は、法則に当てはまらない。例えば、指先一つで大陸を割り、あくび一つで海を蒸発させるような黒き災厄とか。彼女は魔力が多いだけというゴリ押しで、世界最強と呼ばれたのだ。


「しかし、我々は『魔女』ではない。プリムラや私、ザクロにサルビア程度なら、工夫次第でまだなんとかなる域だとも」


「は、はい!頑張ります!」


 が、敵は例外ではない。敗北の約束された相手ではなく、戦いでもない。故にこれから工夫を考えていかねばと、ルピナスは胸の前で拳を握る。


「かと言って、工夫ばかりに気を取られて基礎を疎かにするのはいただけない。まずはそこからだ」


「も、もっと頑張ります……」


 まぁ、彼女はそれ以前の段階なのだが。はっきりと事実を言われた少女は白い髪を垂らし、しょぼんと前向きに俯いた。


「しかし、もう4時間近くぶっ通しだ。一度休憩にして、また午後から始めよう」


「あ、じゃあ洗濯物干してから、お昼ご飯作りますね!」


 魔力の回復の意味合いも込め、戦闘訓練は一旦お開きと告げたプラタナスに、立ち上がったルピナスが声をかける。


「危うく忘れるところだった。ぜひお願いしよう」


 プラタナスは緑の目を瞬かせた後、思い出したように手を叩く。夢中になり過ぎて食事や家事を忘れることは、彼にとってよくあることだった。その上、嫌いな食材は一切食べない菜食至上主義にして、家事なんてほとんどしないぐうたら生活とくれば。


「君に料理を作ってもらうようになって以来、なぜだか身体の調子が良くなってねぇ。家事も溜まっていたから助かるよ」


 野菜しかない食卓と溜め込んだ洗濯物と洗い物を見たルピナスの危機感が、羞恥や躊躇いよりも天秤にて傾いたのが数日前。以来、彼の食事と生活はできる限り彼女が管理している。


「こ、光栄です!腕によりをかけて取り組まさせていただきます!」


 管理し始めたせいで、プラタナスが更に何もできないダメ人間になっていく可能性は大いにあるのだが 。ルピナスはそれに気づかないまま、気合い十分と腕まくりした。









 アイリスにフードを深く被らせ、追手に注意して道を選んで街を歩いて校内へ。モンクスフードは一般人にも図書館などの一部施設を開放している為、入校者のチェックはそこまできつくない。親戚の親子が下見に来たとザクロが事務に告げ、簡単な書類を書いただけで入ることができた。


「こ、こんな簡単に入れるのか?」


「これでも厳しくはなった方ではある。そもそも、この学校に手を出そうなんて馬鹿はいなかったし」


 とはいえ、サルビア暗殺未遂事件のせいでまだ警戒は続いている。だというのにここまで簡単に入れた理由は、この街でも顔の広いザクロが、身元を保証したからだ。


「少し不安だが……で、そのプラタナス先生ってのは信頼できるのか?てかまず、匿ってくれるのか?そこまで生徒思いのやつなのか?」


 別棟へ向かう途中、眉を弱気に曲げたガジュマルが、どこまでも正論な疑問をぶつけてきた。大貴族の娘を巡る厄介ごとに、プラタナスは巻き込まれてくれるのか。普通なら首を横に降り、問題を避けるのではないか。最悪な場合、匿う振りをして通報されるのではないか。


「信頼……?うーん、人間としてはアレというかアレだけど、少なくとも小金欲しさに通報する人じゃない」


「あのプラタナス・コルチカム様ですよね?凄まじい魔法の使い手にして、変人という噂は聞いたことがあります」


 それらの懸念はもっともであり、普通でもある。が、プラタナスは普通とは程遠い。それこそ、貴族界隈でも知れ渡っている程に。


「自分の欲求に素直な人なんだよ。何らかの対価は要求されるかもだけど、多分匿ってくれると思う」


「対価って一体何を支払うつもりだよ」


「大丈夫。当てはある」


 得があると判断したのなら、彼は協力してくれるはずだ。そして先日返品されたばかりのその得は今、ザクロの虚空庫の中に眠っている。


「その対価とは、本来私がお支払いすべきではないのでしょうか?」


「そうかもしれないけど、今すぐ用意できる?」


「そ、それは……」


「いいのいいの!依頼終わった時になんかくれればいいから!」


「……申し訳ありません……甘えさせていただきます」


 プラタナスは魔法的に価値があると判断したものや、プリムラが嫌がること、最近ではルピナスが喜ぶことに関してのみ、深い関心を示す。家出状態の彼女にこの場で用意というのは、少し難しいだろう。


「さて、噂をすれば」


「でっけえ建物だなおい」


「ここが、元宮廷筆頭魔導師様の研究室……」


「兄貴、アイリス様、できたらその呼称は避けてほしい」


 早歩きだったこともあって、目的地にはすぐに着いた。煉瓦造三階建てを見上げる2人にプラタナスとの接し方を教え込み、ザクロは扉を開ける。


「では、洗濯物干してきますね!」


「お願いするよ……おや?来客かな?」


「ひゃっ!?ざ、ザクロさん!?今日は訓練お休みのはずじゃ!」


 ちょうどその時、ルピナスも外に出ようとしていたのだろう。ザクロと危うくぶつかりかけた彼女は来客に驚き、大きくバランスを崩してしまう。


「あ、せ、先生、ありがとうございます!」


「構わないとも。で、君は休日に何しにここへ?」


 しかし尻餅をつく寸前、プラタナスの木魔法が優しく彼女を受け止めた。洗濯物も含めて無傷なのは、流石といったところか。


「いや、ちょっと先生にお願い事があって……なんというか、すっかり通い妻みたいですね」


「つ、妻!?妻だなんてそんな!」


 家事をするルピナスに、なんだかんだ大切に支えているプラタナスを見たザクロは、非常に素直な感想を述べる。するとまぁまぁ、妻と呼ばれた少女は顔を赤らめて首を振りたくって。


「お願い事とは?」


「あ、はい。とりあえず、彼女を匿ってくれません?」


 そしで夫役も、可愛らしい反応を意図的に無視したような。扉まで歩いてきたプラタナスの対応に、ザクロは微笑みながら端的に用件を告げる。


「事情は?」


「私の名は、アイリス・グラオジラスです。家出中、です」


「ほぅ、ほぅ。君があの。確かに特徴は一致しているねぇ……となると、なるほど。把握した」


 短く問うて答えを聞き、フードの下の蒼髪を見た片眼鏡の奥。深緑の瞳が、理解と貪欲の色に染まっていく。どうやら、彼の欲求のどこかを刺激したらしい。


「色々とやばい案件なのは理解してます。だから、対価は大奮発のこれで」


「んー?これは何かね?見たところ白い石のようだが」


 虚空庫から例のブツを取り出し、気が変わる前に畳み掛ける。白くて重みのあるそれを、ザクロはプラタナスの掌の上に。


「いや、骨か」


「大当たり。魔物学のアニマ先生曰く、龍の骨の一部らしいです」


「まじかよ。こりゃいい値になるぜ」


「り、龍の骨!?結構な貴重品じゃないですか!」


 それは以前、巨大動骨を倒した時に手に入れた骨。調査の結果、その硬度や特徴から龍の骨だと判定されていた。ガジュマルとルピナスの反応の通り、相当な貴重品である。


 とはいっても、硬すぎるが故にほとんど加工できるものではなく、使い道は限られる。そのまま盾や棍棒に用いるか、或いは一部の魔法の触媒か。学術的な価値もあり、研究機関や学者に売れば大金になりもする。


「嘘かどうか不安なら、アニマ先生に」


「いやぁ、構わないとも。君はこういう時に嘘を吐く男でもないからねぇ」


 ハッタリではないと証明しようとするザクロへ、プラタナスは調べずに受け取ることで信頼を示す。


「それに正直、これがなくても対価は未来で支払われていた」


「え?」


「ま、貰えるものは貰うがね。これはこれで使えそうだ」


 そしてそもそも、彼は今回の案件に関して対価を必要としていなかった。だからと言って、一度渡された龍の骨を返すつもりはないようだが。


「ささ、アイリス様。綺麗なお部屋です。お茶でも飲んで、どうか寛いでください。安全くらいは保証しますよ?」


「はい。お心遣い、感謝いたします」


 ザクロの狙い通り、彼は匿ってくれるようだ。今一度扉を開いて客人を中へと招き入れ、お茶を用意し始めるプラタナス。


「綺麗?前来た時はすごく散らかって……嘘だ。片付いてる」


「うちの愛弟子のおかげさ」


「胸張れないと思うよ先生。すごくヒモだ」


 アイリスの事情を知るようなプラタナスの態度と、彼が口にした未来で支払う対価。その二つに妙な引っ掛かりを感じしつつ、綺麗になった研究室へと、ザクロ達は足を踏み入れた。








 ルピナスが洗濯物干しから帰還し、プラタナスと一緒におもてなしの用意をして、全員が自己紹介を終えた後。


「美味しいですわ……!」


「なんか高そうな味がするなこれ」


「さすが兄貴。舌が鋭い」


 お茶を飲んだアイリスは目を輝かせ、ガジュマルは頭で貨幣を数え始め、ザクロは昔の記憶を掘り起こす。両親がお得意様からもらったと話していた、高級なお茶のはずだった。


「個性的……いや、特徴的な味だからねぇ。とりあえず高級なやつを来客用に買ったんだが、私達には合わなくて困っていたんだ」


「わ、私もあまり……だから先生と私は違うお茶で」


「安物だ」


 とはいえいくら高かろうと、人によって美味しさの定義は変わるもの。ザクロが覚えたいたのだって、特徴のある味だったからである。


「そちらが好みとはやはり、名門貴族のご令嬢だ。我らとは舌が違う」


「好みに出自は関係ないと思いますわ」


「そうですぜプラタナス先生。俺はバリバリの庶民だが、この味は好きだ」


 高貴な身分は高いものがお好きだと、どこか皮肉ったようなプラタナスの言葉に、アイリスは初めての表情を見せる。強い強い、明確な拒絶だった。


「ははっ!これは失礼。確認させてもらいました」


「確認?」


「ええ。貴方がなぜ、家出をしたのか」


 芯を見せた彼女に、罠を仕掛けた男は意地悪く笑って頭を下げる。そして再び顔を上げた時、彼はなぜかウインクを一つ。


「貴族の生活が嫌になり、庶民の生活に憧れた。違いますか?」


「……違いません」


 お茶の香りの中、混ざった言葉にアイリスは頷いた。物語ではありがちな理由だろう。だがそれでも、少女は本当に貴族が嫌になって家を出た。


「だから、不義」


 義務の放棄だと、多くの人間の信頼を裏切る行為と分かっていながら、脚は走り出したのだ。そして今、彼女は騎士と罪悪感に追われている。


「私は今まで、貴族の生活をしてきましたわ」


 没落しているならともかく、貴族と庶民の生活は比べ物にならない。寒さに震えたことも、飢えに苦しんだことも、アイリスにはなかったのだろう。そして、その生活を送れたのは貴族であるが故。


「例え望んでいなかったとしても、不自由のない生活を」


 生まれた家が貴族だった。生まれてすぐ飢え死ぬような貧しい家庭などよりは、遥かに良い。だが、生まれてしまった。貴族として生きてしまった。そうして今まで貴族として不自由なく過ごしてきたというのに、嫌になった途端にやめるというのはなんと身勝手か。


「故に私には、貴族の責務があるのです」


 貴族として育ったのだから、貴族として生きるべきだ。それこそが、生まれの貧しさによって死んだ者達への償いではないのか。それが、彼女の抱える苦しみと考えだった。


「でもさ。自由もなかったんだろ?」


「え?」


「今まで不自由のない生活を送ってきたって言うけど、その期間はまだ親の庇護下の話じゃないの?」


 だが、ザクロはその考えに異を唱える。確かに豊かな生活は送ってきたのかもしれないが、それは責任能力のない時代の話。自分の力でやめるなんてできなかった話で、だから仕方ないのではと。


「……ありがとうございます。でも、私にはどうにも、そうは思えません」


 しかし、当人からと他人からの視点の違いか。アイリスにそのような気楽な考えはできず、目を閉じて上品に頭を下げ、それを固辞。彼女は背負っているのだ。


「アイリス様は優し過ぎるんだがよ。その、なんだ。じゃあ矛盾してねぇか?」


 ガジュマルが気づいた通り、ならば生じるのは矛盾。貴族として生きねばならないと思っているのに、なぜ家出などしたのか。ザクロの考え方をしたから、家出をしたのではないのか。


「そ、それは、その」


「潰れて逃げ出した。そういうことでは?」


「……」


 なんてことはない。心は読めるが気を使わない男の言う通り、彼女は自らの責任感に押し潰されたのだ。貴族であれと強迫して、周りの信頼を失うぞと脅迫して、し続けて、潰れてしまった。耐えきれなくなって、全部投げ出して逃げてしまった。


「その通りです。気が付いたら、足が勝手に逃げていましたわ」


 衝動的なことだった。表面張力で保っていた心が、最後の一滴で限界を迎えた。水と違ったのは、溢れたのは一滴に止まらなかったこと。堰を切ったように、心から我慢してきた思いが溢れ出たこと。


「……なんて愚かなんでしょうね。落ち着いた今となってはそう思うのです。やはり、帰るべきなのでしょう」


 心が冷静になる容量になって改めて考えて、出した結論は尊いとされるものだった。いつかまた衝動的に家出するかもしれないが、それまで大人しく従順に己を殺して生きようと、彼女は自分の人生を定めた。


「助けてと言ったのは私なのに、申し訳ありません」


「い、いや、それはいいんだけどよ」


 助けてと伸ばした手を、もう一度己の胸に。限界を迎えて見せてしまった本心を、冷静になった自己犠牲の裏に隠す。だってそうしなければ、多くの人に迷惑をかけてしまうから。


「巻き込んでしまったことも、謝罪させてください」


「時間を消費して場所を貸して、お昼が延びただけだからねぇ?気にすることはないとも」


 この場にいる人然り、自分を探している騎士然り、心配しているであろう両親然り。全て、全て、アイリスが我慢すれば済む話なのだ。


「みなさんが私を保護したことにいたしますので、その報酬をせめてものお礼とさせていただけないでしょうか?身の安全は私の名の下に保」


「別に1日くらい、いいと思う」


「証し、え?」


 誰かが傷つくことを恐れ、助けを求める手を引っ込める。自分が我慢すれば丸く収まるなら、そうしてしまう。


「今まで手のかからないお嬢様してきたんだろ?1日くらいさ、庶民になってもいいと思う」


 思い出してほしい。ザクロはそういう人間ほど助けたいと思う人種で、それが彼の生まれながらの性分だ。


「ですが」


「誰にだって休日はあるんだ。だから、今日がアイリス様にとっての休日ってことにしよう」


 神は休日を作りたもう。それは誰にでもあるべきもので、アイリスだって例外じゃない。『貴族』という責務の休日が、1日くらいあってもいいではないか。ザクロはそう言ったのだ。


「そしたら、騎士の皆様にたくさんのご迷惑を」


 だがその休日とやらは、誰かに迷惑をかけて謳歌できるものではない。罪悪感がちらついて、休むことなんてできやしない。


「だったら、ちゃんと騎士の人達にお願いしに行こう。たまにでいいのでお休みくださいって。で、その1日目を今日くださいって。もしかして、わがまま言ったことない?」


「……」


 だったら、騎士の人に断ってからすればいい。当たり前のようにそう言われ、アイリスは唖然とする。全く思いつかなかったのだ。ちゃんと真っ向からわがままを言うなんて、彼女はしたことがなかったのだ。あまつさえ、1日だけではなく次も要求する強欲さなんて、違う世界の話のように感じるくらいだったのだ。


「わ、私もそうした方がいいと思います。ごめんなさい!私ごときが何を言っているんだって話なんですけど!」


「私は他人事なのでどちらでも。ただまぁ私なら、たまになど言わず全部ぶんどるが」


「そりゃ例外ですぜ……あ、俺としちゃその、ザクロを支持するっていうか。人間、休まないといっぱいいっぱいになっちまいますから」


 ルピナスにガジュマル、怪しいがプラタナスも、ザクロの意見に票を入れる。初対面の人間から見ても丸分かりなくらい、アイリスは焦燥していたのだ。


「わ、私。お休みもらってもいいんでしょうか?」


「何の権限もないけど、俺はいいと思う」


 俯いた顔を上げ、戸惑うような震えた問い。それに、ザクロは無責任にもいいと答えた。許せる立場ではないが、許されるべきだと思った。

 

「……そ、その、もう一度依頼を出してもいいでしょうか?」


「もちろん。どんな内容で?」


 おずおずと。一度は引っ込めたその手を、差し出されたままの少年の手の上に。


「私がお休みをいただくお手伝いを」


「喜んで。それは楽しい依頼になりそうです」


 断るわけもなく、待っていましたと、少年は蒼き少女の手を取った。


「俺も微力ながら力になりやすぜ!」


「ザクロとそこの……ゴツい」


「ガジュマルさんです!すいません!本当に悪気はないんです!」


「ガジュマルさんがいるなら、問題はないだろう。私とルピナスはここまでとさせてもらうよ」


「アイリス様、良き休日を!」


 名前を忘れたり忘れられたり謝ったりと色々あったものの、話自体はまとまった。ならば、早めに実行しなければ。休日の時間は無情にも、あっと言うまに過ぎるのだから。







 


「ザクロ」


「なんです?」


「今回の件、これでは根本的な解決にはならないことは、よく分かっているねぇ?」


 別室でルピナスがアイリスの変装を見繕っている間に、プラタナスがザクロへと問いかける。それは、残酷で避けられない真実。


「……ええ。理解しています」


 例え休日を得ることが出来ても、彼女が嫌がる貴族の暮らしをやめられるわけではない。これから先、アイリスが貴族として生きていくことは変わらない。


「息抜きにしかならないってことは」


 息抜きの時間を作れたと見るか、息抜きの時間を作るしかできなかったと見るか。何もできなかったわけではないが、無力感を覚えることは確かだ。ザクロに、大貴族の跡取り問題を捻じ曲げる力はない。


「これは助言だがね。彼女からは目も手も、絶対に離さないことだ」


「……しっかり見ときます」


 少年に出来るのは、安全に休日を過ごす手伝いと、その護衛のみ。たったそれだけなのだ。この街で五本の指に入る強さがあろうと、そこまでしかできないのだ。


「支度できました!」


「ザクロ様、ありがとうございました。お借りしていた頭巾、お返しいたしますわ」


「いえいえ。アイリス様、お似合いですよ」


 拳を握りしめた沈黙を、明るい声が打ち破った。フードを受け取ったザクロは、髪を隠しているのは変わらないままに、少しおしゃれになったアイリスを褒める。


「あ、ありがとうございます」


「お前本当にすげぇのな」


 貴族だろうが変わらない態度のザクロに、ガジュマルは戦慄を隠せない。残念ながら、これも彼の性分だ。


「じゃ、酒場に行こうか!」


「……はい!」


 もしもアイリスを捕縛した場合、酒場に連れて女騎士に引き渡す手はずになっているらしい。ガジュマルからその情報を聞いた一同は、酒場を目指す。









「いやはや。無知とは実に幸せな罪だ」


「……言わなくてよかったんですか?グラジオラス家といえば」


 酒場に向かう彼らの背中に聞こえぬよう、師弟の声は小声だった。貴族の社会に多少繋がりがあるが故に、彼らの耳に入ってきたある事情。そのことをザクロに伝えなくてよかったのかと、ルピナスは尋ねる。


「アイリス様も、それを望んでおられたからねぇ」


 とはいえ、伝えないのは彼女自身が望んだこと。他者の気持ちを読み取るのは上手いプラタナスが、珍しく気を使っただけのこと。


「先生の本心は?」


「今伝えるより、後で知った方が面白い」


 だけではなく、彼自身の欲望も含まれている。彼はどこまでも、自らの欲望に忠実だった。


「……そうですね。もしも彼が先生の望み通りになって、もしも彼が勝てるなら、もっと面白くて幸せな結末になりますね」


 だが今回に限っては、その性格は良い結末へと向かうかも知れない。全てはザクロと運次第ではあるが。


「君は私を買い被り過ぎだねぇ」


「い、いえ。むしろ、まだまだ買い被りが足りません」


 きらきらとした瞳を向けてくる弟子に、師匠は肩を竦めてたまたまだと否定する。が、ルピナスは一向に言うことを聞かず、憧れを過大評価しようとし続ける。


「まぁ、弟子の期待には応えなくてはねぇ。午後の訓練、少し張り切るとしよう」


「はい、先生!」


 その過大評価すら超えたいという欲望に従い、憧れに追いつきたいと言う願望に励まされ、彼らは自らの夢を叶える為に、気の遠くなるような努力を開始した。


「あ、でもその前にお昼ご飯にしましょう!今から急いで作りますね!」


「ああ、また忘れるところだった。お願いしよう」


 しかしまぁ、まずはその為に腹ごしらえ。来客によって遅れた昼食を作るべく、ルピナスは厨房へと駆けていった。


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