幕間1 呪われた少女
「お願い。力を貸して」
強化の魔法陣を虚空庫から取り出し、発動させる。力の漲る感覚。普段よりずっと早く動ける魔法。しかしなぜか、その足取りを重く感じてしまう。
「……あはっ」
自虐の笑いが荒い息の隙間から溢れた時にはもう、逃げ出した教室は既に彼方。なのに、重い足は止まらない。どこまでもどこまでも、距離を欲しがっている。
校内を全力で走る女子など、注目されて当然。でも、見てくる人々を見たくないから、決して顔は上げず、地面だけを見て走る。何度も壁にぶつかりそうになって、ぶつかって、注意されて、それでも走り続けて、逃げ続ける。何からなんて、もう多すぎて忘れてしまった。
「一目見て、出来たら授業を受けれたらなんて、思わなきゃよかった」
憧れだった。革新的で斬新。世界を塗り替えるような理論をいくつも発表した青年。発表とはすなわち、たった一人が見つけた新しい何かを、世の人に教えるという行為。彼女は何年も前から、遠く離れた地の図書館で、プラタナスからいくつもの魔法を教わっていたのだ。
「ううん。それ以前。望まなきゃよかった。身の丈に合う生き方をしてれば、よかった」
憧れ続けた。モンクスフードに入れば授業を受けられると知って、目指そうと思った。魔法陣の使用制限という入試の実戦科目の規定で絶望したけれど、それでもがむしゃらに受けて、なんとか特例で合格してみせた。
「私の顔を見たら姉を思い出すなんて、分かりきっているのに」
でも、それ以前。邪魔が入った。姉という、彼女の人生を最も壊した存在によるいつもの邪魔。多少の悪意と一番に拘るプライドが、姉と憧れを戦わせた。そして、姉が勝った。負けた憧れは失墜し、憎悪を募らせた。それくらい想像できたし、知っていた。
「どうせ、こうなるなんて……!」
それでも。それでも一目見て、授業を受けて、褒められるなんてことがあれば。隅っこでもいい。そう思って、フードを被って顔を隠して、声も出来る限り低く変えて、心を弾ませて授業に行って、台無しにした。
「昔から、そうだったのに」
教師が生徒に暴力を振るった。それも勘違いと殺す気で。資格がないのに授業を受けに行った自分が悪いと理解しているから、言いふらすつもりはルピナスにはない。だが、人の口に戸は立てられない。必ず他の教師の耳に入り、プラタナスに迷惑がかかる。
「望み過ぎたら、逆に失うなんて……!」
いや、そうでなくとも、彼とはもう会えないだろう。適性も枠もないのに、最難の実魔応用を受けに行った馬鹿だ。その上、早口で喚いて飛び出したおかしな人だ。彼が最も憎む姉と、よく似た顔立ちに声だ。
「……どうしよう……でも、とりあえず、早く」
溢れた涙を拭って、目指すは自身の下宿先。校内や街は、余りにも人目が多い。泣いている人間など注目にして嘲笑、噂の的だ。それに、今からしたいことは、誰にも見られたくないことだった。
「待ちたまえ」
そんな彼女の肩を、追い付いた男が掴んだ。彼女は掴まれたのだ。振り向いたらそこには、片眼鏡に緑の髪の憧れがいた。
プラタナスが彼女に追いつけた理由は、主に二つ。一つ目は、若干プラタナスの方が素の身体能力で上回っていたこと。身体強化の魔法は、素の身体能力×強化の値だから。
二つ目は魔法と魔法陣の差。魔法は個人によって適性があり、同じ魔力を注ぎ込んだとしても、使う者によって効果量が変わる。また、魔法の限界も適性によって決まる。
例として火球の魔法だ。一般的な適性を持つ者だと、5m程度の火球が限界だとしよう。しかし、適性で非常に優れるプラタナスなら、ゆうに10mを超える大きさを生み出すことができる。
しかし魔法陣は個人の適性に関わらず、一定の適性で発動される。魔法陣の種類によって、限界が決まるのだ。故に、ルピナスが発動した魔法陣の身体強化よりも、プラタナスが本気で発動した身体強化の方が上だった。だから追いつけたのだ。
「君は本当に、魔法陣しか使えないんだね?」
「あ、えーと……はい」
振り向いた少女へと、プラタナスは確認する。間違いなく、彼女は魔法陣による強化を発動させていた。それ以前、火球を防いだ時も同様。ルピナスは今までに、魔法陣しか使用していなかった。
「いや、待ってください!幻覚……ですよね?」
「幻影魔法ではないねぇ。私は私だ。プラタナス・コルチカムだ」
涙目の少女は確認に頷いたものの、未だ現実を受け入れられていなかった。肩から手を離し、乱れた服を整えて、プラタナスは自己紹介を行う。
「え、え?」
「まず、名前を聞くとしようか。家名はいらない。知っているし、苛立つからねぇ」
本物と現実の証明など行えるものではなく、彼女はまだ幻覚を疑っていた。このままでは話が進まない。そう思ったプラタナスが主導権を握り、強引に会話をこじ開ける。まずは、名前を知るところから。
「は、はい!る、ルピナスです!」
覚えた。興味がないことは容量の無駄だとすぐに忘れるプラタナスだが、興味があることに関しては、自ら消去しない限り二度と忘れることはない。本当は一度、入試の時の答案で見ているはずなのだが、家名を見た瞬間に答案を全部燃やして、記憶から消してしまっていた。
「え、ああ、その!」
「落ち着きたまえ。原始的だが、深呼吸が効果的だ」
目も合わせず、下を向いたまま。早口で、何度も噛んで、言葉をつっかえさせている。緊張を読み取ったプラタナスは、一度落ち着くことを促した。
「お、追いかけてきて、くれたんですか?」
「だから、ここでこうして話している」
言われるがままに、彼女は深呼吸一つ。多少は改善された口調の質問に、プラタナスは頷く。
「わ、私を殺す為ですか?それとも怒る為ですか?もっとひどい、罰を与える為ですか?」
「何を馬鹿な……と思ったんだがねぇ。さっきの私の行いを振り返れば、そう思われても仕方がないか。ああそうだ。さっきは人違いで殺しかけてしまい、大変申し訳なかった」
二つ目の質問には驚きつつも納得して、首を大きく横に振る。そんな物騒な理由で追いかけてきたのではないし、さすがに仇敵と顔が似ているからという理由で、悪意なき者を殺す気は彼に無かった。
「べ、別に謝らなくても……じゃ、じゃあ、なんで……?」
ならば、少女は分からないと言った。一体何の理由で、天才たる彼が大事な授業を放り出し、他の優秀な生徒を置いてまで、無能と蔑まれる自分を追いかけてきたのかが。
「分からない事に驚きだぁね。君は天才だ」
「……からかって、いるんですか……?それとも私の障がい、知らないんですか……?」
だがしかし、プラタナスには分からない事が分からなかった。卑屈に怯え、被害妄想に警戒して涙ぐむ彼女が、理解出来なかった。
「知っているとも。魔法の枠も適性もない系統外だねぇ?」
「知っているなら、なんで……」
魔法陣無しでは魔法が使えない。世間から「無能」と蔑まれ、要介護と嘲られる系統外。それもそうだろう。魔法が前提の世界なのだ。火を起こすのも水を出すのも、魔法にて行うのだ。故に、魔法の枠がない彼女は何かする度に、毎回魔法陣を取り出し、発動しなければならない。安価とは言えず、描く手間もかかる魔法陣を、膨大な数所持していなければならない。そして、全ての魔法に魔法陣があるわけではない。
どれだけ不自由で不便で生き辛いかは、当事者のみが知る。知らない他人はルピナス達を下に見て安心し、時に邪魔だと忌み嫌う。
「君に興味がある。それも大変。とても。君の顔を見て声を聞いても苛立たないくらいに、君個人に興味がある」
「……え?」
だが、プラタナスは違う。そもそも彼にとって、大多数の人間はその他という括りだ。興味がある人間なら、そんな呪われた系統外を持っているなど知ったことか。いや、むしろその系統外に感謝を捧げるとも。
「魔法陣。それも後出しで、私の魔法を防いでみせたねぇ?」
適性が一定。つまり、いくら才能があろうが上限の決まっている魔法陣で、天才のプラタナスの魔法を防いだ。賢い者ならば、この事実からルピナスが異常な技術を持っていると読み取れる筈だ。
「た、確かに防ぎましたけど……で、でも、やっぱり私なんかに構ってないで、授業に戻った方が……」
「なんかと卑下するべきではないと思うが、一理あるねぇ。では、端的に要件を。まず、私は君ともっと話したい。放課後、あの別館に来て欲しい」
「…………!?」
だが、教室の生徒の大半どころか、本人にすらその自覚がほとんどない。一体なぜなのかを、この短時間で推し量ることはプラタナスには出来なかった。故に、彼は後で詳しく知ろうと決めた。
「そ、それは、その一体、どういう……!?」
「君の魔法陣に関する才能が、私は欲しくてねぇ。そして、もう一つ付け加えるなら」
憧れからのお誘いなど、青天の霹靂だったのだろう。今までで一番動揺している彼女に、プラタナスは片眼鏡の奥の深緑の瞳を燃やし、望みを述べる。
「君が姉に勝つ姿。正確に言うなら、君に負けた姉の顔が見てみたい。その為に私は、君を鍛えたいと思う」
「…………えっ?」
聞いたルピナスはひどく困惑した。当然だろう。彼女のことなど、何も考えていないように聞こえる望みだったのだから。いや、ほぼそうだ。プラタナスの復讐、プリムラへの屈辱の為の利己的な欲求。だが、ほんの僅かに。
「な、何を言っているんですか?私があの姉に、勝てるわけないじゃないですか」
「私はそうは思わない。しかしまぁ、君にその気がないのなら、この話は忘れたまえ」
ルピナスは姉に勝てないという否定はしたが、姉と戦うことを否定しなかった。予想通りだったとプラタナスは頷き、あくまで決定権は君だと伝え、背を向けた。
「もしも君が君の世界を変えたいと願うならば、戦わねばならない。私はそう思うがねぇ」
「…………」
最後にそう言い残し、教師は授業へと戻る。取り残されたルピナスは掴まれた肩を見て、言われた言葉をなぞって、しばらくそこに立ち尽くしていた。
ここ、モンクスフード学園は、広大な敷地を有している。多くの生徒が通い、校内を常に歩き回っていながらも、どこかに誰もいない死角ができるほどに。余りの広さに、授業の合間の休憩は20分。遅刻をしても、5分までなら許される仕組みとなっている。
「だ、誰もいないよね?よし。お願い」
そんな死角の一つ。校舎の裏庭の木の裏に、少女はいた。ルピナス・カッシニアヌム。憧れであるプラタナスに誘われた、その人である。彼女は周囲に人がいないことを確認してから、ある魔法陣を起動させる。
「どうしたら、いいかなぁ」
虚空庫からいつもの素材を取り出し、糸で繋いで形にしながら溜息を吐く。悩みは当然、先程のプラタナスとの会話の内容だ。
「どうしたらいいと思う?トチ。モダ」
組み上がった二人の心無き人形に、問う。当然、答える声も意思もない。カタカタと音をさせて、ただ聞くだけ。いつものことで、寂しいことだった。
「……みんななら、喉から手が出るほど欲しがること」
プラタナスが提示した誘いは動機や目標はともかく、内容は垂涎モノ。世界最高峰の魔法使いに直接鍛えてもらえる機会なんて、そうあるものでもない。しかも、授業外の個人指導ともなれば尚更。
「で、でも、なんで私……?」
だが、ルピナスはそのみんなの中にいない人種だ。魔法の枠と適性のない、無能な出来損ない。確かに魔法の扱いならば、一般人より上手いだろう。しかし、魔力をつぎ込んだゴリ押しをされたなら、ルピナスは一気に不利になる。適性が固定されている魔法陣では、いくら技術を磨こうと限界が来てしまう。
大規模な魔法陣を使えば、この問題も一応は解決はできる。しかしそれは、大きく、描くのにも時間がかかる消耗品を贅沢に使う行為だ。大量に用意しようにも、お金がかかる。大貴族ならともかく没落貴族のルピナスには、とてもじゃないが不可能だ。
「私を弄ぶ……?ううん。そんな価値はない。似てはいるけど、違うもの」
圧倒的な劣等感。故に、彼女は憧れからのお誘いに、喜ぶよりも疑ってしまう。だがそんな疑いさえ、自意識過剰の自虐による自己嫌悪に掻き消される。
「だとしたら、バレた?」
姉に似ている自分を弄び、それに快楽を得る。そんな歪んだ考えでないのなら、次に辿り着くのは唯一の存在価値。誰も知らない、誰にも教えないと決めた彼女の宝物。
「それも、ない。だって見せてないんだから、知る由もない」
だがそれも、あり得ないと否定する。先述の通り、見られていないはずだし、見てもすぐに分かるものではない。
「じゃあ、本当にそう思ってる?」
ならば原点回帰。プラタナスの言葉に、なんの裏もないのなら。ただ無能な妹が姉に勝てると思っていて、ただ無能な妹に倒される姉の顔が見たくて、ただ助力を請うていて、ただルピナスにルピナスの世界を変えて欲しいと思っているなら?
「一体どこに、そう思えるだけの価値が?」
分からない。分からないことだらけだが、それは当たり前だろう。他人の想いなど、直接心でも読まない限り分かるものではない。口で吐いた言葉でさえ、真偽は定かではないのだから。
「……とりあえず、聞きに行こう。そうするね。トチ、モダ」
二体の傀儡に語りかけ、頷かせた彼らに励まされ、ルピナスはプラタナスに会うことを決める。詳しく話を聞いて、それからだ。
「やっぱり変というか、奇特な人だね」
想像で描いた憧れとは、ひどくかけ離れていた。だがそれは決して、悪い印象ではなかった。
時は進んで放課後。実魔応用と書かれた札の下で、少女は深呼吸を一つ。
「……」
彼女にとって、この教室は既にトラウマだった。授業の途中で取り乱し、泣きながら出て行った。そしてそれを人に見られた記憶が蘇る。頭の中の他人が嘲笑している。自らが、嘲笑されている。
「どうぞ」
「お、お邪魔します……」
いっそ帰ってしまおうか。頭を横に振ってそんな思考を振り払って、勇気を振り絞って扉をノック。深みのある許可の声にびくりと飛び跳ね、恐る恐る開き、
「よく来てくれたねぇ。歓迎するよ」
「あ、ありがとう、ございます!先程はすいませんでした!」
諸手を上げた憧れの歓迎に、場違いに心臓が早まった。ルピナスは目線を合わせないように頭を下げ、内心で何度も嫌われていないことを祈る。
「いやいや。私も……いや、違うな。あの件は私が悪かった。それより」
「あ、あの!先にすいません!ま、まだお返事は決めたわけじゃなくて、今日は詳しい話を聞きにきただけです!」
そしてここに来た意味を、なるべく落胆が少ない内に告げておくのだ。予防線を張り、出来る限り嫌われないよう、不快にさせないように彼女は立ち回る。
「君はアレだねぇ。気を遣いすぎだ」
「すいません!」
「責めているわけじゃない。ただ、窮屈で辛いとは思うがね」
それを見たプラタナスは、なんとも言えない表情を浮かべた。実際、ルピナスを責める気はないのだろう。だが彼は、どこか違う場所に矛先を向けているような気がするのだ。
「……染み付いちゃってて、慣れてます。気を遣わない方が、私は気を遣うので」
「まぁ、君が取りたい態度で接してくれたまえ。お茶でも飲むかい?さっぱり分からなくて、とりあえず高級なやつを来客用に買ってみたんだが」
椅子を勧められ、席取りゲームのように下座に座るルピナス。そういったことを全く気にしないプラタナスはあっさりと上座に腰掛け、魔法でお茶の葉を手元に引き寄せていた。
「い、いいです!大丈夫です!そんな高いの勿体無い!」
「じゃあ、私の分だけ……むぅ?これは不味い。高い理由が分からない。やはり酒の方がいいねぇ……」
こういう時は断らない方が礼儀だったかと自己採点し、少女は後悔と不安に襲われる。しかし幸か不幸かこれら全ては杞憂。プラタナスはお茶の味に顔をしかめていた。
「さて、本題だぁね。何が分からない?何を知りたい?」
一応飲み干し、座って足を組んだ彼が問う。どこまでも真っ直ぐな緑の目に射抜かれたルピナスは、逃げるように顔を下げて、頭の中で情報を整理。
「え、えーと。まず、気に障ることを言ってしまうというか、多分言うというか……」
整理の理由は、分かりやすく伝える為だけではない。出来る限り、プラタナスの機嫌を損ねない為でもある。なにせ、彼にとってはデリケートな問題だ。例えただの一敗であっても、常人には理解されなくとも、彼にとっては重すぎる一敗なのだ。
「避けては通れないのなら、それは仕方がないとも。むしろしっかり言ってもらわないと困る。怒りと憎しみは君の姉にツケておくから、どうか安心したまえ」
「えっと、じゃあ、聞きます。まずはその、どうして、私なんですか?」
そこを踏んでもいいという許可が出てようやく、ルピナスは選んだ言葉を口にし始める。まず最初は、最大の疑問。どうして無能の私なのか。
「妹だからですか?無能だからですか?」
この部屋に入って初めて、ルピナスから目を合わせた。卑屈で怯えた灰の上目遣いと、傲慢で真剣な緑の下目遣いだ。
「ふむ。それらも含めて、いくつかの理由がある。魔法陣の知識を借りたいと言ったのは、覚えてるかね?」
「あ、はい……」
一つではなく、複合的な理由だとプラタナスは頷く。天才な姉が無能な妹に負ける瞬間が見たいのが一つ目であるなら、二つ目はルピナスが持つ魔法陣の知識だ。
「私は今、新種の魔法を開発しようとしている。それも狙った効果の魔法を、魔法陣でだ」
「っ!?」
明かされた狙いに、息を飲む。それは、余りにも無謀な話。地図も見ずに知らない海へ、その身一つで飛び込み新天地を探しに行くほど、無茶な狙い。
歴史を振り返れば、成し遂げた者もいなくはない。長年の研究の末、僅かな規則性と類い稀なる偶然にて狙った魔法を引き当てた者は、確かにいるのだ。
だが、それ以外の魔法陣は偶然その形がその魔法だっただけの当てずっぽう。なのに彼は、歴史の数人になろうと本気で言っている。
「で、でもそれって、余りにも……」
「道のりが困難を極めることは十分に理解しているとも。だが、やらねばならない。それが彼女に勝つ為の最善だからねぇ」
それも全て、プリムラに勝つ為。あの日の雪辱を晴らす為。その為に彼は無謀に挑む。
「しかし、完全新規の魔法ではない。既存の魔法を少し反転させたものが狙いだ」
無謀ではあってもまだマシな無謀だと、彼は言う。それに関してはルピナスも同意だと顎に手を当てて頷き、考えを口にする。
「た、確かにそれなら、多少の規則性は判明していると思いますが……」
歴史を振り返れば、よくあることだ。炎に関する魔法陣を作ろうとしていて、水や氷の魔法陣が生まれたという例は多い。
「考える頭と実行する身体は一つより二つの方が、効率が良いとは思わないかねぇ?」
「お、思います。思いますけど……」
「さっきもう一度読ませてもらった。これを書いた君なら、出来るだろう。魔法陣と共に生きてきた、君ならね」
自信がないと俯いたルピナスに、プラタナスは分厚い書類をチラつかせ、事実を告げる。それは、彼女が入試の時に提出した、魔法陣の開発方法の要点をまとめ、個人的な感想を付け足したもの。読んだプラタナスら一部の教師陣が、感銘を受けたもの。
「姉と戦うことに関しては、断ってもらってもいい。だがこれだけは、魔法陣の開発の手伝いだけは、どうかお願いしたい」
彼は最初、どちらも断られても仕方がないと思っていた。だが、読んだ今となっては違う。彼女の才能を、プラタナスは本気で欲していた。必要だと思っていた。
「狙ったもの以外の新種の魔法陣の権利は、全て君に譲ろう。実を言うと既に失敗して、一つ発見している。この対価では不満かね?」
その為ならば、新種の魔法陣発見の名誉など要らなかった。既に見つけた一つを含め、今後の研究で見つかるそれら全ての権利を彼女に譲っても、構わないと彼は言った。
「み、見つけたんですか!?」
本当に新種を生み出したのなら、それは大発見だ。聞いたルピナスは思わず机に手を付いて身を乗り出し、目を輝かせる。
「従来のよりも僅かに適性が高いと推測される、身体強化の魔法陣だ。まだ断言はできないがねぇ」
プラタナスが研究の途中で偶然発見したのは、現状最高とされる身体強化よりも、少しだけ高性能な魔法陣。とはいえ、なんらかの他の作用を含んでいる可能性もあり、迂闊に発表はできない。
一見、従来の魔法の完全上位互換に見えても、その実違ったというのも、よくある話なのだ。特に多いのは、代償が異様に大きいものか。
「まだ使用を開始してから一ヶ月ほど。今のところ私の身体に変化は見られないが、どんな影響が出るか分からない」
プラタナスの発見した新種で例えるなら、従来の魔法陣より力は出せるが、それは筋肉に無茶を強いた結果であり、使うほどに身体が壊れていくなど。
従来の完全上位互換として発表するには、長期間の使用の観察を経た上で、然るべき場所に申請する必要がある。安全であることが証明できない限り、世に出回ることは許されない。
「個人使用なら問題はないからねぇ。彼女に勝てるなら、私は多少の代償でも使用するとも」
だが、プラタナスの目的は世に出すことではない。その魔法の効果を得られればいい。身体に後遺症が残ろうとも、勝てればそれでいいのだ。
「後遺症の私に勝ったとしても、全盛期の私に負けた彼女は納得しないだろうからねぇ。さぁて、他に聞きたいことは?」
魔法陣の知識が欲しい理由は納得できた。新種の魔法陣と聞き、ルピナスの心は揺れた。それでも頷かない彼女を見て、プラタナスは話を次へと進める。
「さ、さっきも言ったんですけど、私が姉に勝てるとは、思えないです。きっと蹂躙されます。恥をかいて、終わりです」
ルピナスが問うたのは、単純な強さの問題。戦闘と魔法のセンスがずば抜けた姉に対し、自分は余りにも才能がないと、彼女は言うのだ。
「魔法陣を取り出してから発動までの時間は、戦場において命取りです」
虚空庫に手を入れ、望む魔法陣を取り出し、発動。慣れたルピナスならば、通常の魔法より僅かに遅い程度だろう。だが、そのほんの僅かな差が、戦場では積み重なっていくものなのだ。無視できない弱みなのだ。
「それに、魔法陣に描いてある魔法しか使えません。急に魔法を変えることが、難しいんです」
それだけではない。魔法陣には柔軟性がないのだ。常人なら、覚えている魔法を全て使うことができる。しかし魔法陣は、今身体に触れている魔法陣の魔法しか使えない。発動しようとしている魔法を変えるには、新しい魔法陣を虚空庫から取り出さねばならない。
「服にいくつか、魔法陣を仕込んでいるのだろう?」
「こんなの、全然足りません。姉なら数千の魔法から状況に適したものを瞬時に選んで発動できます。私だと、服に仕込んだ二十数種類が限界です」
もちろん、工夫はしている。一枚の紙に複数の魔法陣を記したり、服や装備に仕込んだり。だがそれでも、常人との差は縮まっても埋まらない。
「魔法がダメなら剣で。そう思った時期もありましたけど、その才能もなかったみたいで……」
ならば、その差を違うもので埋めようとした。剣術を鍛え、魔法剣士になろうとした。実際、サルビアのような剣士ともなれば、戦闘に使用する魔法は少なくて済む。
しかし、ルピナスに剣の才能はなかった。彼女は考え過ぎてしまうのだ。必要以上に、恐れてしまうのだ。だから、一歩一太刀遅れてしまう。
「そ、それは魔法でも同じことが言えて、緊張して不安になって、いつも焦ってしまうんです。先生の魔法を受け止めれたのは、無我夢中で必死だっただけで……」
「なるほどねぇ。そういうことか」
ルピナスの自分を傷つける言葉を聞いて、プラタナスは理解した。彼女の実力は凄まじい。だが、周囲の目線への緊張。想定し過ぎるが故の不安と、全てに完璧に対応しなければならないという自分を押し潰すプレッシャー。これらの要素が重なり、彼女は自分の力を思う存分に発揮したことがほとんどないのだ。
だから彼女は自信がない。自分は強くないと思っている。自身の強さに気付けていない。
「ふぅむ。しかし、困ったものだ」
彼女はまず、自信をつけなければならない。それも確固たる自信を。だが、その自信を得るにはきっと、姉への勝利が必要だ。姉に勝たなければ、この膨大な劣等感が減ることはない。
なんとも難儀なことだ。姉と戦う自信を得る為には、姉を倒さねばならないなんて。
「こんな私でも、勝てると思うんですか?」
他人より劣っている。そう刷り込まれ、刻まれ、否定され続けてきた彼女は、最初から負けている。勝とうという気が、まずないのだ。勝てるわけがないから、戦いたくないと思っているのだ。
「すいません。疑っちゃってる、んです。武芸祭の本戦は勝ち上がり形式ですから、その」
「あの女の体力と魔力を削る捨て駒だと?」
故に、彼女はプラタナスを疑った。焚きつけ、鍛えて、彼の勝利の為の駒にするのではと。最初から勝つことなんて期待していなくて、負けて当然の存在だと思われているのではないのかと。
「ごめんなさい。だ、だって、もしも私が勝てると思っているなら、プラタナス先生は姉と戦えません……」
だがそれは、普通に考えて正しい指摘である。武芸祭の本戦は、予選を勝ち上がった者でのトーナメント制。負けたらそこで終わりなのだ。つまり、万が一ルピナスが姉に勝った場合、仇敵であるプリムラはそこで敗退となる。これでは彼の願いは果たされない。
「先生が私より先に姉と戦い、勝ったなら、私は戦えません」
「その場合、君があの女と戦えるのは私が負けた時だけだねぇ。つまり、戦えない」
仮にルピナスと姉が当たるよりも先に、プラタナスとプリムラの戦いとなった場合。まぁこれは普通に戦えばいい。問題はその先。彼は自分が負けるなど、微塵も思っていない。なら、プリムラは敗退だ。ルピナスは姉と戦う機会がない。
「ほ、他にも、私と先生が当たる可能性だって十分にあります。そしたら私、すぐに棄権しますけど……」
「別にその時は戦ってもらって結構だが」
場合によっては姉と当たる前に、ルピナスもプラタナスも敗退。もしくは当たってしまって潰し合いというのも考えられる。
「なんというか、先生の行動は矛盾しているように思えてしまって」
要するに、プラタナスはプリムラと戦いたい。ルピナスと姉を戦わせようとするのは、彼の願いを邪魔するばかりで不自然なのだ。
「普通に見れば、そう見えるねぇ……一応抜け道はあるし、それを使うまでもないとは想定しているとも」
だが、指を3本立てたプラタナスは、至って自然であると言い張った。
「抜け道?」
「3位決定戦があるだろう?」
「え?あ、確かに……」
入学したばかりのルピナスが気付かなかった、抜け道。それは準決勝で負けた者同士による、3位決定戦だ。
「君が準決勝であの女に勝てば、私はすぐさま棄権しよう」
「ぎゃ、逆に先生が準決勝で姉を倒したのなら、私が棄権すれば、戦えますね!あ、でも」
この抜け道なら、二人ともプリムラと戦える。名案だと手を打つルピナスだが、浮かんだ不安にすぐに顔を暗くしてしまう。
「そ、そんな都合のいい組み合わせになるでしょうか……?そもそも私、そこまで勝ち残れているでしょうか……姉に勝てるんでしょうか……」
その不安はごもっとも。都合よく異なる準決勝まで、プラタナスとルピナスが残れているかは分からない。
「そこは運に任せるしかないねぇ。とはいえこの抜け道はなんというか、保険だ」
「保険?ということは、本命があるんですか?」
しかしそんなもの、なってみないと分からないし、ならなくても構わないとプラタナスは言った。これ以外にどうやって戦う方法がと、いくら考えても思い浮かばなかったルピナスが尋ねる。
「仮に君が姉と戦い、勝ったとしよう。そしたら君の姉はもう、この世の終わりのような状態になるだろうね」
「まず勝てると思いませんが、なると思います」
もしも無能と蔑んできた妹に負けたその時、彼女は絶望の底に落ちるはずだ。宮廷筆頭魔導士の地位の剥奪もあるが、何よりプライドが崩壊する。去年、プラタナスが身をもって経験済みだ。
「敗北して最高にいい顔をしている君の姉を、私が煽る。すまないが、こればかりは絶対にする自信がある。私は自分を律し切れるとは思えない」
「……は、はぁ」
そしてそんなものを見たら、プラタナスは煽れずにはいられない。誰に止められても、勝手に口と身体が動き始めるに違いない。
「どんな気持ちか、根掘り葉掘り取材するだろう。例えば……私の愛弟子に負けて、どうですかと?」
「ま、愛弟子……先生、割とえげつないですね……でも、そんなの言われても姉は絶対、先生に負けたわけじゃないからって……あっ」
「正解だ。あの女は間違いなく、お前に負けたわけじゃないと言い張る」
極めてたまたま、体調が悪くて弟子には負けた。だが、弟子に負けたからと言って、師匠より弱いという証明にはならない。負けてもなお残る惨めなプライドが、プリムラに間違いなくそう言わせる。餌に食いつかせる。
「そしたら、こう言えばいい。じゃあ試してみるか?とね」
「……釣れますね。間違いありません」
後は釣り上げて戦うだけ。勝てるかどうかはプラタナス次第だが、もしも勝ったならば。
「奴の誇りは、完全に砕け散る」
惨めに縋り付いた小さなプライドさえ壊れ、最高の表情を見せてくれるだろう。プラタナスか絶頂しかけるほどの、復讐劇の完成となるだろう。
「私が先にあの女に勝った場合、聞こえるところで何か一言喋ればいい。後は勝手に向こうから殴りかかってくるだろう」
「きます。私が嘲笑なんかしたら、絶対に地の果てまで殺しにくると思います」
逆もまた然り。負けたプリムラをルピナスが嘲笑うだけで、彼女は必ず殺しにくる。間違いない。そういう女なのだ。
「とにかく君は、優勝目指して戦うことだけ考えればいい。あの女が決勝に来れなかったなら、嘲えばいい」
とりあえず、プリムラが負けたら煽ればいいのだ。上を目指して戦うだけでいいのだ。プリムラが優勝する事態だけは、避けねばならないのだ。
「でも、そんなの」
「無理かどうかは、試してみないと分からない。予測はできても、結果が出るのは実行した時だけだ」
また俯いた再度の否定を、プラタナスは蹴り飛ばす。負けて恥をかかないか、不安だろう。ルピナスには、勝てない未来しか見えていないだろう。だがそんなもの、予測にしか過ぎない。本当に起こるか分からないものにうじうじ悩むなど、実に馬鹿らしい。
「それに何度も言うが、君は君が思っている以上に強い。いや、強さの土台ができている」
「え?」
プラタナスの言葉に、ルピナスは顔を上げて彼の目を見る。嘘かお世辞か探るように、観察するように見て、確かめる。
「……最近。あの女に負けて、ようやく気付いたことがあってねぇ?」
だがそこに嘘はない。淡々と述べられる憎悪も、ルピナスを尊敬するような優しい目の色も、全部本物だった。
「一回一回意識することは、とても大切なことなのだとねぇ」
「それと私に、何の関係が……?」
「これに気付いて約半年。私は強くなった。ただ過ぎ行く時間が、過ぎ行く時間じゃなくなった」
彼が語るのは、強くなる方法。今まで疎かにしてきたそれは、一回一回魔法を意識して使うということ。当たり前だ。ただ数をこなすだけの練習と、意識して行う同量のそれの効果の差は、決して馬鹿にならない。
料理で炎を起こす時にも、大きさや温度を意識する。身体を洗う時も、どれだけの量をどの角度からどの温度で流すか、頭で考えながら使う。身体強化も己の限界を常に探り、更新されていないか毎回確かめる。全ての動作を、全ての魔法に意識を割く。ただの日常の一部としない。大切に大切に、発動させる。
「君はそれが、自然にできている。不快にさせるかもしれないが、これは紛れもない『才能』だ」
ルピナスにとって、それは当たり前のこと。魔法の枠がないという呪いで、彼女は魔法陣を使わねばならなかった。描くのに手間がかかり、一枚ならともかく、数枚となるとそれなりに高価。その上、回数に限りがある魔法陣。
必然的に、彼女は人より魔法を使う機会が少なかった。自ら調べ、手間暇かけて描き、時には高い買い物をして、ようやく発動できる。大切に使うに決まっている。雑に発動するわけがない。
魔法が大好きなルピナスが、数少ない発動できる機会を疎かにするわけがない。彼女はずっと大切に大切に、意識して魔法を使ってきた。魔法を愛してきた。
「この系統外が、『才能』?」
それは、彼女の人生に不幸をもたらした系統外による、思わぬ結果。出力は魔法陣によって一定を超えられないが、魔法の使い方だけは他を圧倒的に凌駕する。極めて精密にして無駄のない操作力。それこそが、彼女の強み。
「君は戦いを避けてきた。だから、戦い方を知らない」
その才能は隠れている。まだ咲いていない蕾でしかない。彼女自身が、日陰にいることを望んだ。日向で咲く大輪の姉に気後れしてしまっていた。
「だが、君は魔法の使い方を知っている。特に魔法陣ともなれば、他の追随を許さない。君の呪われた系統外が、許さない」
しかし、枯れたわけではない。まだ咲いていないだけだ。然るべき場所にて水をやれば、すぐに花は開く。色も形も大きさも、姉とは違う。だが、花の美しさは大きさだけで決まるものではない。美しい色に形など、この世には山ほどあるとも。
「あくまで想像でしかない。想像しかできないが、君の人生は今まで、あまり良いものとは言えなかっただろう。嗤われてきのだろう?」
「……」
ルピナスの人生を知るのは彼女のみ。プラタナスのそれはあくまで想像。彼女の性格や周囲の反応で推し量るのみ。だが、それは間違っていない。誰もが彼女を無能と蔑んだ。下に見た。馬鹿にした。優秀な姉と比べられた。
「姉は好きかね?嫌いかね?」
「……好きじゃない、です」
プラタナスの予想通り、プリムラはルピナスを疎み、ルピナスはプリムラを嫌っていた。当たり前だろう。悪いがプラタナスが姉の立場だったとしても、そうなる自信がある。そしてそれはプリムラが悪いわけでも、ルピナスが悪いわけでもない。
「倒したいかね?倒したくないかね?」
「……それ、は……」
強く強く握りしめられた拳を、プラタナスは見逃さなかった。諦めただろう。そういう星の下だったと。仕方のない運命だと思って、受け入れただろう。絶望し、希望なんて捨てただろう。だから、戦うことをやめた。己の限界を己で決め、挑むことすらしなかった。変えようとしなかった。
「問おう。ルピナス。君は、今の生き方に満足しているのかね?何も感じないのかね?」
だが、傷つかないわけではない。受け入れていても、絶望していたとしても、願わなかったわけではない。思わなかったわけがない。
「このままで、いいのかね?」
「いいわけ、ないです」
問いに返されるは、静かに震えた声。怒り、憎悪、憎しみ、渇望、嫌悪、孤独、悲痛、苦しみ。ありとあらゆる負の感情にて震えた、力強い産声だ。
「姉に勝てば、私の世界は変りますか?」
「少なくとも、周りが君を見る目は変わる」
願いだ。世界を変えるという、大それたように聞こえる願い。だが、その範囲は広くない。彼女を認めない周囲と、何より彼女自身の変革だ。
「周りに認めてもらえれば、私は自分を認められますか?」
望むのは自己の肯定。それができたら、もっと楽に生きられるだろうから。世界は明るく、楽しいものになるだろうから。その為に、周囲に認められたい。その為に、姉に勝って力を見せつけたい。
「さぁ。それは君次第だからねぇ」
「……」
それが叶うかどうかを、プラタナスは知らない。これは所詮、自分で自分を認められるかという話なのだ。最初から認められる者は呼吸のように行なっているし、できない者はどう足掻いてもできない。自信や自己肯定とはそういうものだ。
「だけど、このままじゃ変わらないだろう?」
姉に勝っても変われるかは、まだ確定していない。しかし、このままだと変われないことは間違いない。故に、プラタナスは反転させる。変わりたいから挑むのではなく、変わらないのが嫌だから、現状から抜け出すのだと。
「変わらないのも変われないのも、もう嫌です。だから、その」
たっぷり迷った数秒間。目を瞑って待ち続けていた教師を、ルピナスは声で起こす。けど、続きはまだ言い辛い。
「ああ。いいとも。そして喜びたまえ。君は今日、挑戦を決意したねぇ?」
だが、それで十分だ。逃げてばかりだった彼女が、変わりたいと願った。つまりそれは、
「君はもう変われた。おめでとう」
既に決定的に違う彼女へと、変わったことを示すのだから。呆気ないし実感もない。蔑まれ、嗤われている現状は変わっていない。だが、確実に変わった。
「そして、よろしく頼むよ。私の弟子にして共同研究者よ」
「お、恐れ多いですが、どうかお願いします。その、頑張ります。ありがとう、ございます」
数時間前から差し伸べられていた手を取って、彼女はようやく変われたのだ。今後の協力を頼み、叶える為の努力を誓い、きっかけをくれたプラタナスに礼を述べる。
「ああ。共にあの腹の立つ顔を、絶望と苦痛に歪ませよう」
「私の顔と、ほとんど一緒です……」
「よく見れば全然違うとも……本当だぞ?」
仇敵への復讐と敬意で持ちかけられ、自信を望む思いにて繋がれたこの関係。それは、形を変えながらも永遠に結ばれた強固なるものだった。
「そ、それと先生、もしよろしければで、失礼かもしれないのですが、相談がありまして……!」
「そんなにかしこまらなくてもいいんだがねぇ。なんだい?」
とりあえずこれが、その始まりの一歩。




