第3話 帰り道
あくまで予想でしかないが、討伐した巨大動骨は子供だったのかもしれない。ただ移動しただけで森を破壊し、道を作るような、想像を遥かに超える大きさの動骨が生んだ赤子だったのかもしれない。
「動骨は洞窟とか森が住処なんだ。だから狭い隙間を通る為に、身体を変形できる性質があったはずなんだけど」
「巨体故にその必要がないと、薙ぎ倒して進む異常個体か?」
「……いや。それならいい。俺の最悪はもっと別だ」
痕を観察するザクロが身を震わせる。幸か不幸か、薙ぎ倒されて作られた道は古いものでもないが、真新しいものでもないようで、その果てには何もいない。だがそれでも、想像だけで身体が震えたのだ。
「動骨の身体は骨と触手と核で構成されてる。骨腕は多少融通が利くが、骨鎧は別だ。あれは固定されてて、変形できない」
動骨は身を守る為、触手と核それぞれに骨を纏っている。骨を纏った触手を骨腕、骨を鎧のように纏った核の部分を骨鎧と呼ぶ。ザクロが始めた魔物学の授業受け売りの説明に、何も知らないサルビアはなるほどと頷くことしかできない。
「巨大な動骨もその性質を持っていて、骨鎧は変形させられないとしたら?骨鎧を無理矢理通す為に、薙ぎ倒すしかなかったのがこの幅としたら?」
10m近い幅は全長ではなく、核を守る骨鎧の大きさなのだとしたら。本来の大きさはもっと巨大なのではないか。彼はそう、考えたのだ。
「……ゾッとする大きさだなそれは」
下手をすれば、30mは超える。そんなマイナスな方向の予想をやっと理解できたサルビアも、身を震わせる。硬さは一切不明だが、もしも例の骨と同じ硬度ならば。
「斬りたくなってきた。いや、斬らなきゃならない」
それは最高に楽しく、強く、斬り甲斐があって、存在が許せない魔物である。
「……呆れたよ。怖がるどころか、むしろ元気出すなんて。ま、物理障壁張ればなんとかなるだろうけどさ」
この反応はさすがに予想外だったのだろう。剣に手をかけうずうずし始めた後輩に、先輩はやれやれと肩をすくめる。
「なぁ先輩よ。やっぱり今日は続きをしないか?」
「……悪いなサルビア。さすがに優先順位ってもんがあるし、こんなの見ちまったらその、なんだ。今日は集中できねえよ」
「そうか」
衝動を斬り合いで発散させようとするサルビアだが、ザクロはやんわりと拒否。この怪物の脅威度を思えば、この案件は出来る限り速やかに報告しなければならない。
「というわけで、急いで報告に」
「ザクロさーん。ぼっちゃまー?声がしなくなったんですけど、大丈ぶあああああああああああああ!?なんですかこれ!?お二人がやったんですか!?」
聞こえた叫びと見えた面白い顔に、2人は監視の存在を思い出した。勝負に夢中になって、すっかり忘れてしまっていたベロニカだ。
「俺らじゃない……忘れてた」
「ひどくないですか!?てか、これ魔物かなんかの仕業だとしたらどえらいことに!?あ、置いて行かないで!」
地図で大体の居場所を確認したザクロとサルビアは、一人で痕跡を見て騒いでいたベロニカを置いて街へと足を向けた。
強化を用いて街へと戻り、酒場で巨大動骨の報告を終え、別れる直前。
「なぁザクロ先輩。今日は無理なのは渋々理解したが、明日は」
「こらぼっちゃま!サボるのはいけません!」
今日がダメなら明日はどうかと、サルビアは駄々をこねていた。
「応じたいのは山々だが、明日は出た方がいいぞ?入学式サボったんだから、ただでさえ連絡事項が山積みだろうしな」
「誰のせいでサボったと思ってるんですか!」
「いやぁ、そう不満そうな顔するなって。それに、明日は用事があんだよ」
「「用事?」」
目を輝かせた提案に、悪いがと断るザクロ。入学二日目は校内の案内や各種の説明などがある。学園生活を送る以上、出ておいた方がいい。それに、先輩にだって予定はあるのだ。
「出たい授業があるから学校はサボれないし、終わっても違う依頼があるんだ。そのうちやめるかもだけど」
「……俺との勝負より、意味のある授業なのか?」
しかし、サルビアは食い下がる。捨てられた子犬のような目で、ザクロを見つめてだ。それだけ、今日の剣舞が楽しかったのだ。
「そう言うなよ。まぁ、大半が酒場の姉ちゃんと飲むことより無意味に思えるけど、捨てたもんじゃない。一応、卒業の為にはある程度は出なくちゃならないし」
「出て意味のない授業なんてないですからね?巡り巡っていつかは役に立ちますからね?」
確かにザクロも、サルビアの言い分が分からなくはない。強者との戦いは貴重な経験だ。いくら名門とはいえ、真の強者との戦闘より実のある授業は稀である。いや、授業も決して実がないわけではなく、サルビアとザクロの戦いがハイレベル過ぎるのだ。
「それにな?中にはすごくタメになる授業だってあるんだ。週二のそれが明日なんだよ」
「先輩、それはなんの授業か教えてくれ」
「『実戦魔法学応用』。『実魔応用』って略すんだけど、要は魔法の戦闘技術や理論に関する授業だ。明日の午後からだし、受けてるやつ少ないから、出ようと思えば新入生も出れるぞ」
だが、その稀な授業が明日にはある。生粋の剣士のであるサルビアにはいまいち必要性が感じられないが、魔法も合わせて戦うザクロにとってはさぞかし重要なのだろう。そう考えた後輩は断ろうするが、
「そんな顔すんなって。その授業をしている教師は、俺より強いぞ」
「っ!?」
「あー、あの方ですね」
出る理由を知った驚愕で、脳みそが直にぶん殴られた。短い斬り合いの時間で分かったことだが、ザクロの実力は相当なもの。『魔女』と『魔神』を除いて彼に勝てるのは、自分と祖父くらいだとサルビアは思っていた。さすがにそれは誤りではあるものの、そうぽんぽんいるような強さではないのは確か。
「俺はあの学園で……そうだな。三番目か四番目なんだ」
「上に二、三人もいるのか?」
「悔しいけど、今のところはそうなる。というよりそうなってる。『武芸祭』って知ってるか?」
「知らない」
「ご自分の学校なんですから、しっかり調べてください!年に一回ある学祭みたいなものですよ!」
新学期から六ヶ月後に、その祭は開かれる。出店に演劇、日頃の成果の発表が行われる文化祭のようなもの。武と芸術の学祭、略して武芸祭と呼ばれるその中で、生徒も教師も混じって最強を決める催しがある。
かつては凄腕の教師陣による、レベルの高い戦いの見世物だった。しかし、時折入学する化け物達の参加が認められるようになってから、それは学園最強を決める大会に変化したのだ。
表彰台に登るのは教師ばかりなのだが、時折番狂わせが起きることもあり、その際の盛り上がりは他のイベントの比ではない。
「その大会で、俺は前年度三位だったんだ。準決勝で教師に負けた。また宮廷筆頭魔導師の、プラタナスって化け物に」
「プラタナス……名前だけは聞いたことがある」
「プラタナス・コルチカム様です!卓越した魔法操作技術に、ほぼ全ての魔法に最高級の適正。その上賢者と呼ばれるほどの知識を持つ!今世紀最強にして最賢の魔法使いだった!強い人と戦いたいなら、もっと自分から情報収集してください!」
だが、ここ数年ばかりは番狂わせが起きていなかった。いや、もはや出来レースといっていいほどだった。この国で最強の魔法使いが、参加しているのだから。もしも負けたらそれは、天地がひっくり返るような大騒ぎ。
「知ってはいたが、舐めてた。所詮学者様だって思ってた。でも、あの教師は本当に強かった。いいところまでは押したとは思うけど、負けは負けだ」
だったら俺が天地をひっくり返してやる。そう意気込んで挑んで、ザクロは負けた。大敗とまではいかずとも、勝負はついた。健闘した。すごかったと讃えられようとも、敗北は敗北。少年は拳を握り締め、悔しさに声を震わせる。
「でもね、ぼっちゃま。この話には続きがあるんですよ。というより、これくらい知っておいて欲しかったんですが」
気遣ったのか、それとも話したくなったのか。どちらかは分からない。世間知らずのぼっちゃまに嘆息したベロニカが、ザクロから話を奪い取る。
「天地がひっくり返ったんですよ。去年の決勝で、プラタナス様は一年生に負けたんです」
出来レースじゃなくなった。誰もがあり得ないと思っていたことがあり得た。目を疑うような、白と黒の星が歴史に刻まれた。最強は次強へ。最年少の宮廷筆頭魔導師の記録は塗り替えられ、約束された勝者は敗者へと転がり落ちた。
「それが、この学園で一番強い奴」
「うーむ。詳しく知らないからでしょうけど、ここまで驚かないもんですかね。なんで目を輝かせているんでしょうか」
「一番強い奴のことで頭が一杯だ。男か?女か?どんな奴だ?どんな戦い方をするか、教えてくれ」
たかが学祭、しかし世界最強と言われた魔法使いが本気を出して、生徒に負けた。それは世界を揺るがす出来事だったというのに、サルビアは生徒の強さに興味を示すばかり。ザクロとベロニカは呆れ返るばかりだ。
「言っちゃ悪いですが没落貴族のご令嬢、プリムラ・カッシニアヌムですね。プラタナス様とほぼ同じ適性、魔法操作技術を持っていて」
「勝負を分けたのは『二重発動』の系統外だ。彼女は俺らより魔法の枠が一つ多い。決勝では陣も合わせて三つの魔法を使いこなしてたぜ」
「それは、すごいな」
強さの理由を聞いたサルビアは、なるほどと頷いた。確かに凄まじい系統外だ。魔法の枠が一つ違うだけで、取れる戦術の幅には圧倒的な差が生じる。かつ、その三つを完璧に使いこなす高適性にして天才の魔女ともなれば。
「ぜひ、戦いたい。武芸祭に俺も出る」
「と、思ったよ。しんどい敵が増えちまったなぁ」
「今年は化け物博覧会になりますね。おおこわ……あれ?で、あと一人はやはり学長で?」
大荒れ間違いなし。主人を化け物呼ばわりしたベロニカは身体を震わせ、最後の一人の予想を立てる。
「大当たり。ヤグルマギク学長だ」
「ぼっちゃま?誰だそれって顔してますね?かつてハイドランジア様と頂点を争われていた方ですよ」
「なんだとっ!?」
その予想は見事正解。サルビアの表情を読んだベロニカの説明で、森中に大声が響き渡る。自身に剣を教えた祖父の強さはよく知っている。彼と同等の強さを持つ者となれば。
「ま、もう隠居してるし、たまにいきなり授業見に来るだけでいつも何してるか分からねえし、話はつまらない上に長いし、ぶっちゃけ本当に強いのか怪しいけどな」
「ハイドランジア様と違って、かなり早めに引退なされてこの学校を創られましたからね」
武芸祭に出ることもなく、授業を教えることもない。彼が本当に強いのか、ただの過去の栄光なのではないかと、疑う者も少なくはない。というより生徒の半分くらいは、その疑いすら知らないかもしれない。
「つまり、祖父は俺にその人に習えと?」
あの厳格な祖父がわざわざここを選んだのにはそういう理由が……と、サルビアは考えたのだが。
「いえ全く。むしろ犬猿の仲でしたからね。自分の最高傑作を送り込んで自慢したいだけかと」
「なんか、カランコエ家ってひねてるんだな」
常識のないサルビアを見て、過保護にも護衛を送り込んだ両親を思い浮かべて、聞きしに勝るハイドランジアの狂犬ぶりを知って、ザクロは大きく肩をすくめた。
「街で言わないでくださいね?下手したら首飛びますからね?」
「権力って斬れねえから嫌いなんですよぉ……ま、そういうわけだ。明日もなし!お休み!」
「……むぅ」
「だからそんな顔すんなって。明後日は空いてるから」
「本当か!?なら、約束だ!」
強敵との戦いをお預けにされ、不満そうに唸るサルビア。しかし続いたザクロの言葉に、彼は子供のように目を輝かせる。犬の尻尾を幻視するような喜びようだった。
「さぁさサルビア様。明日のことと今日のこともありますし、もう帰りましょうか」
「……今日のことはやめよう」
「そういや、サルビアってどこに寝泊まりすんだ?宿?寮舎?もし方向一緒なら」
話も一息つき、さていざ帰らんとしたところで、ザクロが疑問に思ったのはサルビアの帰る場所。一緒に帰る為の前振りだったのだろうが、
「新しく家建てて、そこに」
「はぁ!?すげぇなさすが大貴族!かっけぇ!」
「みんなの酒代を奢るのをやめれば、貴方もそれくらいできるでしょうに……」
ぶっ飛んだ貴族の発想に、ザクロはひっくり返った。
「まぁ、安全を考えた結果ですよ。ご両親はモンクスフードに入れることにも懐疑的でしたし」
しかし、仕方がなかったのだ。宿や寮舎に入ることももちろん考えたが、警備の面から両親はそれを拒否。土地を買い上げ、塀を作り、別荘扱いの屋敷を建てた。この街を治めている貴族にも、既に挨拶は済ませてある。
「というかそんな大貴族に会って初日で、こんな馴れ馴れしい口聞いてるあなたのがすごいですよ」
「そう?褒められちゃった!あ、場所教えてくれよ!明日一緒に学校に行こう!なんなら今日一緒に帰ろう!」
「いいぞ。場所は––––」
「わあああああああああああああ!?まだ暗殺者の疑惑抜けてないんですからねぇ!?少しは警戒してください!」
さらっと住居の場所を聞き出そうとしたザクロと、あっさりと答えようとしてしまったサルビアの間に、ベロニカが大声を上げて割って入る。彼の胃は、今日でどれだけ削れたのだろうか。
「さっきは放置してた癖に……どうせそんな大貴族の屋敷なんて、探したらすぐに見つかるんじゃ」
「ある程度の偽装工作はしてあります!動骨の時の放置の件はお願いだから黙っていてください!」
「強請っていい?」
「ふざけないでくださいよ!?あの酒場に明日の朝に待ち合わせでいいでしょう!」
強かに生きるザクロに完敗した中間管理職の男は、頭を抱えながら妥協を提案。わざわざ家に行かなくても一緒に登校できると気付いたザクロは、駄々をこねることもなく受け入れた。
「じゃあそれで。あ、家までは行かないから、途中までついて行っても……」
「ダ」
「お子さんの入学式サボり止めれなかったことをチク」
「分かりました分かりました!途中までですよ!途中まで!」
「身持ち堅い女の子みたい。いいね!」
「よくない!」
まぁそれどころか、ザクロは別の案件で強請り、途中まで一緒に帰ることももぎ取った。
それからしばらく仕方なく、歩く足が忙しい帰り道。ベロニカのツッコミを交えながら、ザクロはサルビアにこの街の常識や有用な情報、学園内のゴシップや陰湿な領主の悪口などを楽しそうに話す。中でも強者の噂や、近隣の村に住む腕利きの鍛治師の話は強くサルビアの興味を引きつけた。
しかし、楽しい時間とはすぐに終わるもの。もうこれ以上はと判断したベロニカによって、帰り道は分断される。
「じゃ、明日酒場に朝の7時な!」
「ああ」
「はいはい……酒場で待ち伏せされないかが心配ですよ」
見えなくなるまで手を振り、大声で明日の予定を呼びかけるザクロ。街行く人間にサルビアの予定をバラされたベロニカは、警護を何人か連れて行こうかと、もう既に胃の辺りを抑えていた。
「いや、大丈夫だ。ザクロ先輩はきっと、そんなやつじゃない」
「どうして分かるんですか?」
しかしその心配はないと、人並みに消えた背中を見て、サルビアは呟く。
「奇策を使うことが多いが、ザクロ先輩は剣士だ。だから、殺しにくるなら正々堂々名乗りをあげて、真正面からだ」
「……私には分からないなにかが、そこにはあるんでしょうね。まぁ、見た感じお馬鹿で隠し事できなさそうな人ですけど」
その理由は、剣士に見えて暗殺者には見えないからという、ひどくあやふやなもの。完全に理解することはできないが、彼の性格自体は分からなくもないと、ベロニカは頷いた。
「とりあえず、今日は帰りますよ。入学式に参加した部下が、連絡事項を持ち帰ってくれているはずですから」
とはいえ、完全な白と言えるまで警戒は解けない。そうベロニカは肩をすくめて、二人は本当の帰路に着いた。
そして、その日の夜。豪商が建てたとされる建前で、本音はサルビアの為にカランコエ家が建てた屋敷内に、四つの影があった。
『この通路を進めば目的の部屋だ。そこに今回の標的がいる』
『伝令』によって声も出さずに意思を通じ合わせ、依頼主から聞いていた部屋を目指す。何人もの護衛がいたが、彼らに気付かれることはなかった。いや、そもそも護衛がいる道など通らずに済んだ。
完璧な流れにして、最高に楽な仕事だった。依頼主から、対象は凄まじい強さと聞いている。無論、真正面からの戦闘になっても遂行できるようにそれなりの手練れを揃えはしたものの、理想はそうじゃない。
『どんな強者も、眠っていれば一般人となにも変わらぬ』
眠っている間を襲えば、戦いにすらならないまま全てが終わる。これなのだ。戦いにならない殺しこそが、理想の暗殺法。
『中でも毒殺が一番楽なんだが……なぜ禁止なのだ?』
しかし、今回の件は依頼主たっての希望により、毒殺が禁止されていた。その代わりに破格の報酬であり、受けはしたものの未だに疑問は拭えない。
『まぁ言うな。どちらにしろ、毒殺の難易度は高かった』
一応、毒殺のシュミレーションも行ってはみたのだ。しかし、余りにも周囲の警戒が強すぎたし、予想外過ぎた。従者のことなどなにも考えていないような対象だが、彼が食べる物や飲み物はほぼ全て魔法で厳しくチェックされている。
もう一つ毒殺できなかった理由を述べるならば、対象が自由奔放に過ぎたこともある。さすがにいきなり入られた酒場や、街に並ぶ露店で買われた飲食物には手は加えにくい。
『これでいい。成功するさ……この扉を開ければ、もう終点だ』
視界は『暗視』にて極めて良好。まるで真昼のごとき光射さぬ闇の中を、音も立てずに進む。そうして彼らが辿り着いたのは、真上に取り付けられた扉。最新の注意を払いながら、静かにそっと徐々に開けば、月明かりが射し込んだ。この部屋だ。この部屋に、対象サルビア・カランコエが眠っている。
「やはり、来ましたか」
「っ!?」
だが、射し込んだのは月明かりだけではなかった。底冷えするような声と、月光を照り返す剣がそこにあった。
「ぼっちゃまですが、申し訳ありません。本日は予備の寝室でお眠りになっておられます」
「殺せ!」
剣の持ち主は対象ではなく、護衛の一人。しかしその剣気。どう見ても並の者ではない。彼らは計画を変更し、目の前のベロニカの殺害を試みる。
「そこそこ、ですね」
「こ、こんな強い奴がいるなんて聞いてねぇぞ!」
「これでも、剣の名家で筆頭騎士を務めさせていただいております。それに」
だが、敵わない。手練れ四人を相手にも一歩も引かず、魔法と物理の剣にて着実に追い詰めていく。障壁の種類を見極め、対応した剣を叩き込む。魔法陣を惜しみなく使い、属性魔法の盾で防御を担当。乱戦に持ち込むことで同士討ちを警戒させ、本来の実力を発揮させないように。どれをとっても一流の動きだった。
「この程度で強いと言われましたが、世間知らずにもほどがあるのでは?」
しかし、振るう本人は寂しげに笑う。所詮一流にしか過ぎず、その更に上には敵わないと笑う。
「貴方達の狙いであったぼっちゃまは、私なんかと比べ物にならないほど強いですよ?」
「っ!?」
動揺四つ。熟練四人でも敵わない騎士より、今回の対象は更に強いと知った暗殺者の吐息だ。そして戦闘に気づき、一斉に騒がしくなった屋敷に不味さを感じた吐息だ。
「観念しなさい。もう終わりです。今にも騎士が雪崩混んできます」
「ふざけるな!」
咄嗟に言い返した一言だった。こんなことになるなんて想像していなかったから、口から出た一言だった。
「ふざけるな?大切な主人の大切な息子を殺そうとした奴らを、地の果てまで追いかけて殺すこと、一体どこがふざけているというのか!」
「ひっ!?あっ……」
その一言を、ベロニカは許さなかった。吐いた暗殺者ごと、彼は怒りの剣にて斬り捨てた。月の光が、一瞬だけ飛んだ血飛沫と肉体を通り抜けた剣を写す。倒れた男の眼の色は、もう月の光を写していない。
「……すいません。つい本音が。どうか穏やかに投降し、誰の差し金か吐いていただけませんか?」
「す、するわけがないだろう!」
投降したところで、差し金を吐いたところで殺されるのは目に見えている。だから、暗殺者は戦うしかない。逃げる隙をなんとか作るしかない。
「そうですか……ああ、狭い室内ですと戦いにくい?安心してください。壁をぶち抜かせますから」
「な、何を言って!」
だが、ベロニカにはそれを許す気はなかった。壁をぶち抜くのは、人数が多くなる騎士側を戦いやすくさせる為で、ぶち抜く魔法を放つのは援軍の騎士たち。
「修理費?安心してください。幸い当家は金が有り余っていますし、なんなら貴方達の依頼主を骨の髄まで削ぎ落としますので」
建てたばかりの豪邸を壊すという、金も手間も考えていない暴策。しかし、それで暗殺者を殺せるなら、サルビアを守れるなら、ベロニカは躊躇わない。
「では、終了のお時間です」
扉に手をかけた音が響き、暗殺者達は顔を青ざめさせ、
「援軍が到着しまし––」
「ザクロ先輩か?」
「ぼっちゃま!?」
呑気に扉を開けて入ってきた対象に、ベロニカ共々度肝を抜かれた。戦場の時は完全に停止。誰もが理解の遅れたこの状況、先に動き出したのは一人の暗殺者。
「死ねぇ!」
「逃げ––」
さっきまで戦っていた筆頭騎士を無視し、対象のサルビアへと剣を振り被る。煌めいた剣光、障壁を破る為の土の槍を見たベロニカは必死に声をあげる。それは、サルビアの対人経験の少なさを思ってあげた声だ。いや、正確に言うならば殺人経験の皆無さか。
魔物は何度も殺している。模擬戦くらいなら、家の騎士全員としている。祖父は時折、殺す気で彼に斬りかかる。しかし、サルビアは今まで一人も殺していない。本当の殺し合いを知らないのだ。
「と、止めた!?」
「ん?誰だ?」
「っ、貴様を殺しにきた!」
「本気か?」
「っ!?ああ!」
鍔迫り合いに。防御の剣は普通に間に合った。ベロニカの眼にも余裕に見えた。震えている暗殺者の腕に対し、サルビアの腕は安定している。力の差は圧倒的。しかし、覚悟や想いの差は、時にその大いなる力の差を覆してしまう。
例え彼我の戦力差が絶望的であったとしても、命を奪うのに躊躇って剣が鈍れば、殺すのを躊躇わない剣に強者が殺されることもある。
「ぼっちゃま!」
「行かせねえよ!」
「邪魔ぁ!」
サルビアの代わりにベロニカが斬ろうとするが、他の暗殺者二人がそれを許さない。一人は怒号と共に斬り捨てた。もう一人も殺すのに数秒といらない。だが、その数秒で全てが終わるかもしれない。そしてそれは、大当たりだった。
「なら、いいな」
声と同時、殺しを知らぬ少年は、剣を跳ね上げて振り被る。サルビアの剣の上にあった暗殺者の剣も同じく跳ね上がり、天井に衝突して手元まで震えた。痺れたその刹那を、剣は逃さない。すぅと、美しく吸い込まれた一太刀が、暗殺者の肩から腰までを通り抜ける。
「へ?」
ベロニカの予想に反してあっさりと。それこそ今日ザクロに屋敷の場所を教えようとした時と同じ調子で、サルビアは暗殺者を斬り捨てた。未だ訳が分からず、疑問の声を上げた暗殺者の身体がずれていく。
「こんなものか、取り憑かれる者がいると聞いて、期待していたのだが……達成感も何もないな」
床に半身分の振動が響くと同時、サルビアは剣に付着した血を振り払う。彼が告げたどこか失望に似た言葉は、儚く空気に消えた。
「ぼっちゃま……?」
「隙あ……ぎゃあああああああああああ!」
呆然としたベロニカを隙と見て、暗殺者は刺突を放つ。だが、それだけで差は覆らなかった。身体をずらして突きを避けながら繰り出されたベロニカの剣に、腕の腱を断ち切られたのだ。
「ひぃ!?ぎゃっ!」
「……これが隙というものです」
痛みに耐えきれずに崩れた本当の隙を、剣が縫う。瞬く間に四肢の腱を断ち、倒れた首にベロニカは鋒を突きつける。
「誰の差し金ですか?」
「い、言っても殺すんだろぉ!?」
皮膚に軽く触れて、一回目。答えは結末を見据えた回答の拒絶。
「誰の差し金ですか?」
「ぐ、ぐがぁあああああああああああああああ!やめてくれ!やめてくれ!」
二回目。軽く剣を振るって両腕を深く斬り裂き、再度首筋に剣先を戻す。
「誰の差し金ですか?」
「知らないんだぁ!本当だ!信じてくれ!」
三回目にて、首内に軽く侵入し始める。首を振って仰け反った男の声など、まるで聞こえてもいないように剣は進む。
「誰の差し金ですか?」
「知らないって、知らないんだ!頼む!依頼主の事なんてかっ……はっ……!」
四回目。声が止まる。だが、ベロニカは止まらない。それもそうだ。「誰」と聞いているのに、「知らない」は答えになっていない。答えるまで、彼はやる。
「誰の差し––」
「ベロニカさん!待ってください!誰の差し金かは不明でも、こいつの組織を吐かせることはできます!」
「ひ、ひう!ひうから!たふけでっ!」
「……なるほど」
部下に二人かがりで止められ、その理由に頷いたベロニカは剣を引き抜く。首を抑えている男に部下達が治癒魔法をかけ、後で奪う延命をし始めたのを横目に、彼はサルビアの正面に立ち、
「夜中に剣音がしたら、それは襲撃だと思ってくださいと教えませんでしたか?ザクロ様には住所を教えなかった事はお忘れですか?」
珍しく真剣に、主人の息子を叱りつけた。どう考えても、あの状況でザクロが来たと思うなんて警戒心が無さすぎる。
「別に、殺せたんだから問題はない。いい経験になった」
「……確かに、殺人を経験するには最高の状況で、最善の結果となりました」
ベロニカが多少掠ったとはいえ、サルビアや部下にも怪我はなかった。むしろ、サルビアが殺人の壁を何の躊躇いもなく超えられたという点を見れば、間違いなくプラスである。罪人の処刑を請け負う時よりずっと楽に、自己の中で殺害の許可を出せる人種だった。
「ですが、万が一ぼっちゃまの剣が鈍っていたらどうなっていましたか!」
しかし、それはあくまで結果論。あの状況でサルビアがもし躊躇っていれば、彼は死んでいた。大貴族の大事な跡取りの彼は、死んでいたのだ。
「せめて殺人の訓練を終えるまでは、暗殺者の処理は我々にお任」
「殺人の訓練?何を言っている」
故にベロニカは叱る。せめて、人を殺す経験をして、慣れてから命のやり取りをするべきだったと。それまでは例え、守られる本人より弱い護衛であっても、頼ってくれと。しかし、サルビアは表情も態度も崩さずに問い、言った。
「剣は人を斬る為のものだ。命を奪う為の存在だ。躊躇うわけがない」
存在理由を決行するのに、躊躇う存在があるかと。己こそが剣であり、剣は斬る為にあり。ならば己は斬る為にこの世にあると。彼はそう言ったのだ。
「違うか?」
「……何はともあれ、ご無事で良かったです。それと、おめでとうございます」
今のサルビアには何を言っても無駄だ。そう判断したベロニカは同意を求める四文字には答えず、無事と殺人の通過を祝う。最後の懸念であった要素が払拭されたのだ。例え不本意であったとしても、従者として祝わねばならない。
「はてさて。では、犯人が誰だと言った問題ですが……」
思考を切り替えたベロニカが次に頭を抱えるのは、この暗殺の依頼者の正体だ。いくら屋敷の警備が頑丈で、サルビアがそう簡単に暗殺されないくらい強いとはいえ、大元を断たねば根本的な解決にはならない。
「ザクロは」
「その可能性は極めて低いでしょう」
第一に疑われるのは悲しい事に、今日出会ったばかりの彼の名前。だったが、ベロニカは即座にその可能性を否定する。
「まず、この場所を彼は知りません。その為に、私は教える事に反対しました」
ザクロに住所を教えなかったのは、暗殺を防ぐ為だけではない。いつか必ず、暗殺者が屋敷を襲うことは分かっていた。その時に、彼を容疑者から出来る限り遠ざける為だ。
「……」
言われて初めて気づいて、サルビアは絶句した。ベロニカはそこまで考えて、生きているのかと。
「彼ではないと推測できる理由は他にもあります。侵入経路です。もし彼が私達を尾行してこの家を知ったとしても、ここに気づけるはずがない」
ベロニカが指で示したのは、暗殺者達が入ってきた場所。何の変哲もない床に見える、隠し通路だ。
「ここを知るのは私と、制作した護衛騎士が数名。あとはぼっちゃまのご家族くらいです」
「俺には知らされてなかった」
「うっかり誰かに教えそうでしたので。有事の際に私達からお伝えするつもりでした」
もしもの時に備えて造られた、カランコエ家でもごく一部の人しか知り得ない秘密通路。襲撃に気づいた瞬間に入れば、逃げ切れる通路のはずだった。しかし今回侵入に使われたのは、その避難通路だったのだ。
「これだけ理由を並べても、ザクロ様の可能性はないわけではございません」
だが、この世に確実はない。ザクロが初めからサルビアのことを知って屋敷を調べていた上で、近づいてきた場合。もしくは何らかの特殊な系統外を保持していた場合など、いくらでも彼が差し金の可能性は出てきてしまう。
あくまで。あくまでベロニカ個人としては、ザクロがそんなことをする人間には思えないが。
「限りなく低いとは思います。ですが、警戒は怠らぬよう。ザクロ様だけではなく、他の者にも。特に、護衛騎士にも」
ハイドランジアは敵を作り過ぎている。その真の後継者たるサルビアを殺そうとする者など、多すぎて検討もつかない。故に、誰にも警戒心を抱かねばならないのだ。
「それは、面倒だな」
「……ええ。とても大変なことだとは思います」
それを若い頃から強いられるサルビアに、ベロニカは同情を禁じ得なかった。彼も似たようなものだが、それを職務だと割り切れている。だが、初めて家から出て外の世界をこれから知るサルビアには、余りにも酷ではないか。
「寝る」
そんなベロニカの想いなど知らないように、欠伸をした彼は目をこする。人を初めて斬り殺した後だというのに、まるでいつも通りのように。これから会う人間全員に警戒をして生きなければならないと言われたのに、気にもしていないように平常に。
「……かしこまりました。この部屋は今から片付けます。申し訳ありませんが、数日は予備の寝室をお使いください。同じ寝台に同じ枕、同じ布団でしたでしょう?ゆっくり休めるかと」
「ん」
僅かな空白の後にベロニカは頭を下げて、部下にサルビアを案内させる。初日からとは思わなかったが、襲撃自体は予想出来ていた。故に、予備の寝室くらい用意できている。
「……ぼっちゃま。貴方様は人の心をお持ちなのですか?剣になろうと、しているのですか?」
幼少期からずっとサルビアを見ていたベロニカが、その背中を見送りながら言葉をこぼす。これだけ長い間見てきても、やはり分からなかった。理解できなかった。明らかに、サルビアの精神は常人とは異なっていた。
「……暗殺者達も、空気を読んで欲しかった。少しだけ、今日は少しだけぼっちゃまに、人間としての何かが見えた日だったのに」
しかし、今日のサルビアは。ザクロと一緒にいた時のサルビアはまるで、子供のようだった。子供のように、初めてできた友達に浮かれた子供のように、はしゃいでいた。例え、強き剣という歪な繋がりであったとしても、垣間見えたのだ。
なのに、この暗殺者騒ぎでまた、サルビアの人間らしからぬ部分を見てしまった。それがベロニカには、悲しかった。
「……いけませんねぇ。気分を切り替えなくては」
だが、感傷に浸っている暇ない。未だ犯人も暗殺者の組織の規模も、何も分かっていないのだから。
「通路のことを知っていた騎士達を洗いましょう。もちろん、私も洗われることになりますが」
内通者がいる可能性は非常に高い。その疑いを向けられるのは、自分を含めた護衛騎士数名。そしてサルビアの両親と祖父。
「その前に、こいつの尋問と掃除ですね。全く。私の睡眠時間をよくも削ってくれましたね?」
問題に悩みは山積みだ。だが、どの事も目の前の一つ一つを順に片付けていくしかない。頭を掻いたベロニカは来たる徹夜の予感に泣きそうになりながら、なんとか息を吹き返した暗殺者の首を掴んだ。
「代わりに貴方が寝てください」
屋敷から連れ出された暗殺者の行方はその後、不明である。ただその日、街の住民の何人かが、地下から這い上がってきた絶叫を聞いたような、気がしたらしい。




