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幻想現実世界の勇者  作者: ペサ
外伝 現実幻想世界の剣士
204/266

第1話 入学式




 月日は流れ、六年後。その間、名ばかりとはいえ、当主が祖父ハイドランジアから父カエノメレスに代わったりと、色々あった。そして今、背も伸び盛りの少年は、立派な校門を気怠げな銀色の細眼で見上げている。


「ここか」


 国内どころか世界最高峰の名門校、モンクスフード学園に彼はいた。ここに入ったのは騎士になる為、選んだのは祖父がここがいいと言ったから。


 この学校の特色は、自由性と優秀な講師陣にある。将来の進路で取るべきとされる授業や必修科目はいくつかあるものの、基本的に各自で学びたい教科を選び、各分野最先端の教師に指導してもらえるのだ。


 得意分野を伸ばすもよし、苦手分野を埋めるも良し。悩むようだったら各分野のエキスパートの先生達が、真剣に寄り添い、助言してくれる。尖った才能の持ち主を受け入れる為に、入試も剣術、魔法、剣魔複合、魔法学、総合などの様々な種類から、自身の得意なもので受けることができる。


 国内でも最難関にして一番の人気を誇り、入試の倍率は二十倍近い。しかしそれでも、サルビアにとって、剣術の入試は斬れるものだった。座学は危うかったが、剣術重視の試験の為配点は少なく、実技試験で全てを黙らせた。採点として戦った教師の心と剣を粉々に砕いたのだ。


「……斬れないものは、いるんだろうか」


 そして入学式当日、校門の前。浮かれる生徒達や誘導をする教師に先輩を眺め、サルビアは呟いた。採点に来た教師があの程度であったのなら、この学園は斬れるものばかりなのではないか。彼はそれが不安だった。


「おいそこの新入生!斬れないものはいるかってカッコイイこと言うじゃねえか!そんでもって、この天才な俺がいるぞ!」


 名門校だと聞いていたのだが、年齢で舐めるという愚かな風習は残っていたらしい。サルビアはそう驚くと同時に、少し期待した。自分の強さを分かって絡んできたのなら、この橙色の髪の男はもしや達人なのではないかと、そう思ったのだ。なにせサルビアより先輩だ。単純に考えて一年以上、戦闘経験が豊富なはず。


「……これは」


 そしてそれは、あながち間違ってもいなかった。こちらを見下す上級生を見て、足さばき、体重移動、筋肉を観察して、サルビアは感嘆の息を吐く。試験で戦った教師なんかより、ずっと強い、


「あれ?物怖じしない?ご存知ない?」


「知らん。祖父と俺のが強い」


「おいおい。さすがにそりゃ言い過ぎじゃねえか新入生……っと?あれ?」


 苦戦はするし、楽しめるだろう。だが、自分の方が強い。事実を述べたサルビアに、自尊心を傷つけられたのか。眉をぴくりとさせた上級生は、肩に置こうと手を伸ばしてきた。


「あれ?ちょっ、あれ?」


 サルビアはそれを、僅かに身体を傾けて避ける。上級生の高い実力もあり、風圧が肌に触れるほどの、紙一重にしてギリギリ。追撃もあと数ミリと実に惜しいが、ふわりと揺れる銀の癖っ毛にすら触れられない。


「全部避けるなんてすげぇなお前!褒めさせてくれ!名前は?」


「……サルビア」


「よし。覚えた。俺の名前はザクロだ!よろしく頼む!」


 だが、先輩は気を悪くすることもなく、名前を尋ねてきた。サルビアは一瞬戸惑いはしたものの、特に隠す必要もないかと判断し、淡々と答えを返す。斬ることに関しては叩き込まれたが、このように軽い人間への対処は教えてもらえなかったのだ。というよりそもそも、貴族に対してここまで馴れ馴れしい態度で接する者などまずいない。


「じゃあ早速、斬り合おうぜ!」


「……本気か?」


「本気本気!」


「……うむ。いいな」


 だがしかし、剣のお誘いとなれば話は変わる。最初こそ驚いたものの、ザクロが見せる満面の笑みと十割の肯定を前に、サルビアも思わず顔を綻ばせる。


「さすがにここはみんな見てるし、俺の剣はド派手だからな!森でやろう!」


「了解した」


 思う存分やる為に、学校を出て別の場所へ。なんとも魅力的なお誘いと提案に、これから入学式ということも忘れて、ザクロに連れられたサルビアは学園から出て行った。


「なに、あいつら。入学式サボるとか、頭沸いてるのかしら……ま、気持ちは分かるけれど」


 そのすぐ側。取り巻きのお世辞を聞き流し、代わりに彼らの会話を聞いていた短い白髪の女子生徒が。彼女は信じられないものを見るような目で、二人の背中を追っていた。


 本当に、頭が沸いているとしか思えなかった。新入生が入学式を忘れるだろうか。人間なら誰だって忘れるわけがない。なのに、サルビアは忘れてしまった。


 彼はこの時本当に、斬ることしか考えられない剣そのものだった。









 少し時を戻し、入学式前の職員会議。


「いやぁ。最近は豊作ですなぁ」


「ええ。全く。最高と言っても過言ではない。まさに黄金世代だ」


 段取りの確認を終えた教師達はふとして出来た空き時間で、生徒達の話題で盛り上がっていた。いや、盛り上がざるを得ないだろう。今年は全体的にレベルが高い上に、突出した天才が何人も入学してきたのだから。


「やはり剣のサルビア・カランコエでしょう!いやはや、彼の才能は凄まじい!既に教師のほとんどを超える力を持っています!」


「あはは……ボッコボコにされた身からすれば、即英雄級ですね。学ぶことなんかあるのかという強さです……教えられる気がしない」


 他の天才が霞むほどの輝きを放つ者がすでに二人在籍する中で、もう一人がそこに飛び込んできた。原石の時点でもう、他の完成した宝石達を追い越しているほどの天才だ。


「教えられるに決まっている。座学と礼儀、心構えです」


 だが、話題に上がった天才の入試の結果を見た教師、パエデリアは鼻で笑う。確かに実技は凄まじいが、それ以外が余りにも酷すぎると。例えどれだけ強くとも、心が未熟では騎士にはなれないと。


「実技に関しては満点以上でしたが、座学はもう限界……というより最低合格点を下回ってます」


 剣術入試は実技と一般常識に別れている。配分は実技が100点、一般常識が50点。合格ラインは総合135点。そしてサルビアは、一般常識が10点と悲惨だったのである。


「いや、うちの方針としてはそれでもいいでしょう。苦手な分野はこれから直せばいいんです」


 しかし、試験官を圧倒した時点で、実技の点数は悠に100点を飛び越えた。彼に敗亡した教師自身が、そうサルビアをフォローする。そんなアバウトでいいのかと思うだろう。いいのだ。例え多少採点を捻じ曲げて実技130点+座学10点=140点で通したとしても、構わなかった。それほどまでに、彼の才能は眩しかった。


「まさか、二年連続でこんな珍しいことが続くとは……」


 それは今年だけではない。先述の天才二人も、同じだった。その一人目の名はザクロ。剣魔複合の試験でトップの位を掻っ攫った、才能に満ち溢れた橙色の髪の少年だ。


「もう僕、この仕事向いてないんじゃないかって……これでも一つの隊を任されるくらいの腕前だったんですけど」


「いや、あの三人がおかしいだけですから」


 流石に魔法の試験で教師に勝つことはなかったが、剣術は二年連続。つまり、元敏腕騎士の教師に余裕で勝ってしまったのだ。今年の天才と同じく座学は壊滅的であるし、授業をサボったりと素行はひどいが、それでもこの一年で彼は期待通りの成長を遂げ、成果を挙げた。


 もう一人の名前は、誰もが分かっていながら出さない。とある男の前で、彼女の名前はタブーだからだ。


「そういえばもう一人、満点超えがいるんだな」


「……ああ、魔法座学の」


 話を逸らそうとした教師が口にしたのは、今年入学した女子生徒の名前以外について。出された問題は全て正解、書いた論文もとても十六歳とは思えない内容の濃さで、読んだ教師が思わずぐらついた傑作だった。もちろん満点をぶち抜いたが、名前だけは誰も口に出さない。


「私としてはむしろ、彼女の方が将来有望に思えますがな」


「ですがパエデリア先生。こうも実技が伴わないと……」


「まぁ、研究者になりたいそうですから」


 だが数人を除き、彼女の期待は決して高くない。なぜならあまりにも、彼女は欠陥品だったから。それに、これ以上深く掘ると地雷を掘り当てかねない。さほど話題は盛り上がらず、そんな生徒がいたな程度で話は流されてしまう。


「しかし、いくら強いとは言ってもまだ子供。ザクロみたいに調子に乗らしてはいけませんからな。今年もお願いしますよ。プラタナス先生」


 話題が向かった先は、強さ以外について。調子に乗った生徒を黙らせる手段を今年もと、中年の先生が片眼鏡の男性へと頼み込む。毎年恒例の挨拶みたいなもので、去年の繰り返しの一言だった。余りにも迂闊でうっかりな一言で、それを聞いたほとんどの教師が身構えた。


「……ははっ。貴方達が躾ければよいではないですか?私などではなく、貴方達がね。ああ、失礼。学長くらいにしか無理でしたか」


 あれだけ名前を言わないように地雷を避けて来たのに、それも全て水の泡。まだ若い方に属する片眼鏡の教師から噴き出たのは、殺気。濃密でまとわりつくような、部屋を粘液の海に沈めるほどに深い殺気だ。煽られたことに怒る者は誰もおらず、どうすれば事態を収束できるのか必死になって探り続けている。


「ほっほっほ。みなさん。今年は楽しみですね」


 その緊張を一瞬で霧散させたのは、気の抜けた老人の笑い声だった。ああだが、誰も彼を無視できないし、会話を断ち切られたことを怒りもしない。


「サルビア君ばかりではなく、他の生徒もです。しっかり教えて、助けていきましょう」


 白い髭を撫でて本当に楽しみそうに笑う彼こそ、この学園の長なのだから。


「しかし困りました……」


「どうしましたか?学長」


 笑顔から一転。学長は手を髭から顎に移動させて、心底困ったと嘆き続ける。ハイドランジアと並ぶ大英雄の彼が、一体何に困っているというのか。


「入学式がもうすぐ始まるというのに、まだ挨拶の内容で悩んでまして……魚と魔物の例え話、どっちがいいでしょう?」


「……」


 至極どうでもいいし、いつも長すぎるからもう話さないでほしい。この場にいる全員も、ここにいない全生徒も思っていることだった。


「学長。話が長いと毎回苦情が来ておりまして、もういっそ話さないというのはいかがですかねぇ?そっちの方が人気出ますよ」


「な、なんとっ!?し、しかし生徒にカッコいいところを見せられる数少ない機会を……」


 いや、ただ一人、思うだけにとどめなかった者がいた。一切合切包み隠さずに突っ込んだ、プラタナスだ。


「ご安心を。何もカッコよ」


「し、失礼します!」


 余りの物言いに頼むから誰か止めてくれと、教師陣が願ったその時、ぱたぱたと慌てた足音が飛び込んできた。部屋中が言葉が遮られた事に安堵して、


「学長!ヤグルマギク学長!」


「おやおや。ランタナ先生」


 扉が勢いよく、開け放たれる。視線の注目で一瞬、時間が止まったようだった。ランタナと呼ばれた新人教師には、新入生の出欠を確認する職務が与えられていたはずだ。彼の尋常じゃない慌てように、呼ばれた学長が対応する。


「れ、例のサルビア・カランコエについてです!」


「「「なっ!?」」」


 驚いた声が重なった。つい先ほど議題に上がったサルビアは天才であると同時に、この学校が死守しなければならない大貴族なのだ。


 お預かりする立場にある以上、問題を起こさせるわけにはいかない。最悪、有名な彼の祖父が学校に乗り込んでくる。故に早い内に力の差を見せ、大人しくさせようと思っていたのだ、しかし、その前。まさか入学式の前に問題が起こるなど、幾ら何でも予想外だった。


「ふぅむ。盲目の龍に温められた金の卵ですねぇ。そんなに慌てて、一体どうしましたか?」


 ハイドランジアを盲目の龍と呼んだ学長に、教師達はもう一度飛び上がる。もしそう呼んだことが彼本人に伝われば、一体どうなるのか。分からないのは学長とプラタナスくらいなものなのだ。


「入学式に来てません!?それどころか、監視をすり抜けたザクロ・ガルバドルと接触!二人で校外に消えたそうです!」


 何人かの教師が気を失いそうになった。問題児であるザクロとだけは会わさないよう、監視までつけていたたというのに、二人が出会ってしまった。しかもどうやら早速意気投合したらしく、学校の外に出て行ってしまったらしい。


「こちらからも報告です。彼ら二人が校外に出た直後、何人かの新入生も追って姿を消したようです。おそらく別の派閥の貴族の監視、もしくはカランコエ家のお目付役かと」


 入学式をサボったのは、二人だけではなかった。どうやら入学した生徒の身分をもう一度、詳しく洗い直す必要があるらしい。また仕事が増えたと、大勢の教師が机に突っ伏した。元より春は忙しいのに、これ以上かと。


「そういった類の連中は想定内ですねぇ。害そうとしない限り、泳がせといていいでしょう。まぁ問題は……」


 呑気にしているプラタナス以外。学長も例外なくうなだれている。


「私の挨拶を聞く人がたくさん減ってしまった……ザクロ君もサルビア君も期待してたのに……」


 学長がうなだれている理由だけは、みんなと全く違ったが。


「学長違います。問題は別です……」


 大貴族の御曹司と優秀な不良の接触、身分調査の一からやり直しという絶望に打ちひしがれても、ランタナはなんとか突っ込んでみせた。









 漂う料理と酒の匂い。喧騒に満ちた部屋。男と女の笑い声に、大声で注文を頼む荒々しい客。


「なんだここは」


 初めて入った酒場というものに、サルビアはひどく困惑した。それは彼にとって、いまだかつてない動揺だった。


「酒場だ。すいませーん!注文お願いしまーす!」


「なぜだ」


 店員を呼びながらのザクロの答えに、再び質問で返す。これから散々、心ゆくまで満たされるまで朝になるまで斬り合うのではなかったのか。なぜこんな戦いに不向きなところにきたのか。疑問が多すぎて、処理しきれない。


「あらぁ!ザクロちゃんいらっしゃい!」


「今日もいい男ねぇ」


「おう!ありがとう!サザンカにダチュラ姐さん!二人とも綺麗だ」


 注文を聞きに来た茶髪と赤毛の女性二人が、ザクロの両腕に抱き着いた。そしてザクロは、二人の頰に軽くキスをした。サルビアは全く理解が追いつかない。交際している間柄でもないだろうに、この距離感はなんなのか。なぜここにきたのかと問い直すことを忘れるほど、貴族の箱入り息子には分からなかった。


「そっちのかっこいい彼はお連れさん?先輩?後輩?同級生?」


「お、そうそう!紹介する!こいつは後輩のサルビア。俺と同等以上の剣士だ!つば付けとく?」


 椅子を器用に使って円のテーブルの外周を移動したザクロが、今度はサルビアの肩に手を回して娘二人に紹介し始める。凄まじい剣の使い手と知った彼女達は「きゃあ!」と黄色い声を上げて、今度はサルビアへと狙いを移した。


「ま、待て!待て!こ、こんなみ、淫らな!?」


「み、淫ら!?こんだけでか!ってお前。なんだ照れてんのか。初心だなぁ」


「「淫らだって!可愛い〜〜!」」


 取るに足らない雑魚娘二人になんらかの危険を感じたサルビアは、全力で接触を拒否。しかし、その様子と言葉がザクロと彼女達の琴線に触れてしまったようで、大笑いと黄色い悲鳴が重なった。


「おいやめろ!離せ!……なんだ、ここは!なんなのだ!」


 簡単に斬れる。なのに怖いものもある。ザクロに羽交い締めにされ、給仕二人に頭を撫でられて、サルビアはを知った。


 その瞬間を目撃した酒場内の反応は様々だった。なんだなんだと見にきた野次馬は、ザクロに気づくと挨拶を交わし、事情を知って大笑い。他の店員や客もサルビアに近寄って来る始末。遠くの方では、誰かが椅子から転げ落ちていた。


「ごめんな姐さん達。そろそろやばい感じなのと、俺も寂しくなったから、その辺で解放してあげてもらえません?」


「あら、寂しくなったの?」


「しょうがないなぁ」


 ザクロが欲望に塗れた助け舟を出してくれたお陰で、なんとか解放されるサルビア。しかしその間に、彼の知り合いが勝手に机をくっつけ始めるわで、周りはさっきと打って変わって大盛り上がりだ。


「……」


 それから少しが経った。サルビアは肉料理にフォークを突き刺しながら、知人達と談笑しているザクロを睨んでいた。助けられたのはありがたいが、そもそもの元凶は彼なのだ。そしてなぜここに来たのか、未だに明かされていないのだ。


「なぁザクロ。俺の記憶が正しけりゃ今日お前は入学式のはずじゃ……てか後輩ってことはおめぇ!?」


「いやでも、学長の話長いし、授業以上に意味無いし。二年目の俺は出なくていいかなーって」


 しかし、なぜ酒場にという疑問を再度、サルビアは忘れることになる。


「よくねぇだろ。お前馬鹿かよ。そこの一年坊主はがっつり出るべき主役だろうが」


「「あっ」」


 言われてようやく、入れ替わりで思い出した自分の立場と予定、そして時間によってだ。


「あーらら、もう始まってんなぁ……」


「こいつ割と不良だからな。付き合う相手を選んだ方がいいぞ新入生」


 今から向かっても間に合わない。しかし、そこまで焦ることも落ち込むこともなかった。ザクロの言葉が確かなら、それはサルビアにとって、出なくても良い行事だから。


「ザクロは良くても、入学生を連れ出すのは流石にねぇ?ねぇあなた、困ってない?大丈夫?」


「確かに、今の状況にはものすごく困っている」


「え?まじ?」


「ほらー!困ってるって!今日はザクロの奢りにしちゃおう!」


 だが、困っていないかと言われれば、そうではない。全く知らない人に囲まれてワイワイ騒がれるこの状況にはと皮肉るが、どうやら伝わらなかったらしい。


「いや、流石にそりゃちょっと……奢るにしてもサルビアと姐さん達だけで勘弁してくれよ!」


「……サルビア?」


 野郎どものブーイングと淑女の歓声の渦の中、一人の男が聞こえた名前を繰り返し、サルビアをまじまじと確認するように覗き込む。彼の顔はみるみる内に青に変わっていき、


「……さ、サルビア?ザクロと同じくらい強い……?銀髪灰眼……?サルビア・カランコエ?」


「ん?」


 呟かれた家名に、酒場が水を打ったように静まり返る。全員の視線が、色々と諦めて水を飲むサルビアに集中していた。


「呼んだか?」


 その一言で、全員の確認がザクロを射抜く。まるで本当にそうかと問い尋ねるように、怯えて震えた視線だ。


「……まじで?本当?」


「ああ。サルビア・カランコエだが」


 この名乗りが決定打だった。さっきまで明るく笑っていた顔が凍りつき、酔いの赤は恐怖の青へと変わり、


「す、すいませんでした!」


「も、申し訳ございません!」


「カランコエ家の方とは知らず、ご無礼を!どうかお許しください!」


 酒場にいるほとんどの者が、虫のようにサルビアへと頭を下げた。それは余りにも早い変わり身で、それをなぜか嫌だと、貴族の少年は思った。


「なんで、謝る」


「さ、先ほどは貴方様に触るなどと、不敬極まりないことを……」


 ただの純粋な疑問だった。なぜ、貴族と知っただけで彼らはこうも急変するのか。しかし、それをサザンカとダチュラは追及と受け取ったらしい。更に頭を擦り付けて、説明と謝罪を繰り返し続ける。


「確かに触られるのは困ったが、別にそこまで不快でもない」


「大変申し訳ありま……へ?そ、それは一体……?」


 慣れない触れ合いにドキリとはしたし、馴れ馴れしく話されて驚いたのは間違いない。だが、それらはサルビアにとって新鮮な体験だったし、嫌なことではなかったのだ。


「今の態度は、なんか嫌だ」


「え?じゃさっきの軽い感じでもいいの?」


「ああ」


 むしろ、今の態度の方が居心地が悪かった。へこへこと頭を下げた者達へと、サルビアはぶっきらぼうにそう告げる。


「聞いてた話とだいぶ違うな……やっぱり処刑!とかない?貴族にあるんでしょ?そういう権利」


「あるにはあるが、この程度で処刑などしな……祖父なら分からんか。いや、でも俺はしない」


 ザクロを始めとして、多くの者がその言葉に驚いていた。今まで祖父の庇護下で育てられてきたサルビアには、その理由がどうにも分からないのだ。


「貴族様相手というより……えっとじゃあ、さっきみたいに話すぞ?」


「ああ。頼む」


 なんとか会話を再開させるが、以前ほどの盛り上がりはなく、滑らない。当たり前だ。いくら許可をもらったからといって、平民が貴族相手にすぐに砕けた口調で話せるものではない。家名を知られてしまったことで、サザンカ達とサルビアの距離は大きく離れてしまった。


「……そういえば、ここに何をしにきたんだ」


「そうだそうだ!言うの忘れてた!」


 まるでぎこちない空気を嫌がるように、サルビアの口から言葉が飛び出した。先刻尋ねようとして、何度も驚愕の波に忘れてしまった疑問だ。それを聞いたザクロはポンっと手を叩き、


「森にいくならついでにってんで、飯と依頼を受けにきたんだ!すいませーん!依頼受けたいんですけど!」


 思い出したように、周囲の人間に呼びかけ始めた。サルビアの前で緊張を拭えていないものの、彼らはザクロの呼びかけにはなんとか応じ、虚空庫からメモを取り出して調べ始める。


「依頼?」


「そ、依頼だ。仕送りがあるにしろないにしろ、ある程度は稼がないといけないからな。結構みんなやってるぜ?」


 それは、魔物の討伐などの依頼。学費や生活費を稼ぐ為に、生徒の中には空き時間に依頼を受ける者達が多くいる。


 学校側もその需要を理解しており、学生でも簡単に短時間でこなせるゴブリンやオークの討伐の依頼などを、構内の掲示板に貼っている。幸い魔物の供給は凄まじく、基本的に狩り尽くされることはない。


 しかしもちろん、命の保証もない。いくらゴブリンとはいえ、万が一はありえる。自己責任は当たり前だ。もし不安ならば報酬の何割かと引き換えに、暇な教師に監督をお願いすることもできる。


「学校でも受けられるけど、あれはちょっと簡単すぎて。みんながやりたがらない強い奴の討伐を、俺はここに来て探してるんだ」


 ザクロほどの強さともなれば、ゴブリンはあまりにも緩すぎる。そこで歯ごたえのある依頼を特別に、この酒場で回してもらっているのだと彼は言う。


「酒を飲むだけの場所ではないと聞いてはいたが、なるほど」


 いくらだって湧いてくる魔物、突然現れる強力な変異種や、異常個体に大軍。魔物の討伐や調査は、とても重要な仕事なのである。故にこの世界の酒場は、日本のそれと少し違う意味を持つ。個人や企業に街、市や国から出された依頼を、個人や団体に紹介する場でもあるのだ。


 また、酒場で依頼を受ける者たちは総じて、『酒場者』と呼ばれている。その内訳は様々で、非番の騎士、強さの高みを目指す者、魔物退治の専門家などなど。そしてザクロ行きつけのこの酒場は、難しい依頼と腕利きの酒場者が集まることで有名だった。


「いい場所なんだな」


「だろ?飯も美味いし女の子は可愛くて綺麗だし。先輩達は強面だけどいい人ばかりだし……お、これなんかいいな。期限がないやつなんて久しぶりだ」


 右を見ても左を見ても、それなりの強者。祖父や自分、ザクロよりも弱いにしろ、それでもここの空気はサルビアにとって心地いい。


「ん?そいつか。他の酒場から回ってきたやつだな。なんでも、依頼を受けたやつとの連絡が途絶えたらしい」


 ザクロが目をつけたのは、触手に骨を纏う性質を持った魔物、通称『動骨』の異常個体の調査。体長約一mの通常個体ならば、そう難しい相手ではない。だが今回のは一味違うようで、既に犠牲者が纒われているらしい。


「とにかくでけえって噂だ。詳しい大きさは俺も知らねえがな」


「でけぇのは浪漫だと思うんだけどなぁ……あとは軽いやつをいくつかもらっても?」


「へぇへぇ。まいどありまいどあり」


 前任者の失踪から日が経っており、正確な現在地は不明。彼らの失踪場所はこの街の付近ではあるものの、まずは探すところから始める必要がある。それなりの報酬ではあるが、すぐに金にはならない。故に、ザクロはゴブリンやオークといった簡単な依頼も受注していく。


「待ったぞ」


「わりぃ。待たせたな」


 話もまとまり、料理も食べ終わり、みんなの飲み代を多少出し、知人や給仕に別れを告げるザクロ。サルビアは貴族らしくお上品にお口を拭いてから立ち上がり、彼にむすっとした顔を向ける。


「んじゃ、行こうぜサルビア……様ってつけたほうがいい?」


「いらない。行こう」


 今思い出しかのようなザクロの質問に、後輩なのだからとサルビアは返す。そして、そっかと笑った橙色の髪を追いかけて、彼は再び街へと踏み出した。



『モンクスフード学園』


 国内最高峰の名門校。高名な騎士や魔導師、魔法学者などを数多く輩出してきた実績を持つ。


 自由と優秀な講師陣を売りにしており、必修はあるものの、各自で習いたいものを選択し、レベルの高い授業を受けることができる。


 科目は国数歴などの一般教養の他、「魔法学基礎・応用」「剣術基礎・応用」「槍術基礎・応用」「体術基礎・応用」「魔法陣学」「魔道具学」「実戦魔法応用」「魔法痕跡学」「魔物学」「生存学」「民俗学」などなど。


 四年制。最初の2年間は本校の校舎で全員が学ぶが、それ以降は進路によって各地の分校や提携した騎士団に別れ、より専門的な授業を受ける。


 また、サルビアの世界の教育制度は日本とは一部異なり、6〜12歳が初等部、13〜16が中等部。16〜20が高等部である。

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