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幻想現実世界の勇者  作者: ペサ
外伝 現実幻想世界の剣士
203/266

プロローグ



 息の仕方を忘れてしまったようだった。足りない酸素に視界がぐらついて、肺が喘いで喉は乾いている。汗は止まらず、身体中から流れる血と混ざって水たまりをつくり、水面に真っ青な子供の顔を映していた。


「そんなものか?貴様の剣は弱いなっ!ほらっ、立て!このゴミクズが!根性が足りない!心が弱いから、痛みに負けて立ち上がれんのだ!」


 綺麗な白銀の髪は赤に塗れ、額から流れた血で銀色の眼の片方が塞がれ。服だけではなく、肌まで鋭く斬り裂かれ。小さな身体は、誰がどう見ても限界状態。だというのに、少年に休憩は与えられなかった。同じ髪の色の老人が剣を振り回して怒鳴りつけ、何度でも立ち上がれと命令を下す。


「……はっ……はっ……」


「そうだ。それでいい。どこぞの愚息とは違って、才能だけはあるのだからな!そぉら、行くぞ!」


 これが、いつもの事。十歳の少年、サルビア・カランコエの日常。世界最強の剣の使い手である祖父のハイドランジアに、剣の稽古を朝から晩まで強制され、死んだように眠る日々。


 ハイドランジアは強い。齢六十を超えても、その肉体と剣技は衰えることを知らず。今生きている剣士の中では最強の一角だろう。そして彼の思考は至ってシンプル。「強いやつが、偉い」。つまり最強である彼は、自分が最も偉いと思っているのだ。そのように振る舞い、生きているのだ。


 この訓練も、その思考からくるもの。才能のあるサルビアを鍛え上げ、地位を更に不動のものとする。その為に、彼はまだ幼いサルビア斬り続ける。


「お父さん!いくらなんでもやり過ぎです!十歳の子にする訓練じゃ」


「出来損ないは黙っていろ!それともなんだ?お前がカランコエ家を背負って立つのか?え?この儂に勝てるのか?」


 そこに割って入ったのはサルビアの父、カエノメレスだ。だが、ハイドランジアは実の息子の言うことに聞く耳など持ちはしない。これも、何度目の光景なのだろう。


「っ……しかし!」


「雑魚は黙っておれ!喋る権利が欲しければ、強くなることだな」


 なお庇おうとしたカエノメレスが、実の父に剣の腹で殴られて、訓練場の端の壁まで吹っ飛ばされた。何度も立とうと足掻いているが、子鹿のような脚は震えて言うことを聞いていない。


「ふん!立つことすらままならんとな。地べたに這いつくばるのがそんなに好きか?よかったなお似合いだ!」


 父は弱い。一般人に比べればまだマシだが、それでも騎士の平均に届くかどうか。剣士の家に生まれながら、カエノメレスには剣の才能がなかった。そしてそんな彼をハイドランジアは疎み、憎んでいた。


「死にたかったら、いつでも勝手に自殺するがいい。戦場で死ぬ時は最低でも百人は殺してからにしろ。犬死などして家の名を汚すのは許さん」


 正妻とのあいだの唯一の子供、というより、後継者だから生かしているだけ。もしも外聞を気にしなくてよかったのなら、または次男でもいたのならば、彼はカエノメレスを殺していたことだろう。


「さぁ再開だサルビア!こんな惨めな男にはなるな!」


「……」


 祖父は父へと唾を吐き捨てる。これが、普通。剣の名門カランコエ家の日常風景。最強の剣士であるハイドランジアがルールの世界だった。


「さぁ、儂が斬れんじゃろ!それは貴様が弱いからだ!」


 『斬れないものを探せ』。初代カランコエが残した言葉だ。祖父はいつも稽古の時にこの言葉を使い、感極まって泣きそうになりながら剣を振るう。


「実に素晴らしい言葉だ!斬れないものを探し、それを斬るまで努力し続け、そして斬る。これを永遠に繰り返せば、いつかは頂にたどり着ける!そんな大層ありがたい言葉だ!」


「……」


 サルビアは血を吐き捨て、立ち上がりながら思う。目の前の祖父はきっと、なんだって斬り捨てるのだろう。家の名誉を守る為なら、強くなる為なら、なんだって斬ってしまうのだろう。


 祖母は数年前に亡くなった。このどうしようもない強いだけの祖父に望まぬ結婚を強いられ、苦労して、涙を流し続けた、斬り捨てられた人生だった。


「俺は……」


 目を見開き、剣を握りながら思う。自分は、斬れるだろうかと。斬れないものはなんだろうかと。


「強いやつを、斬らなきゃ」


「その通りだ!よく分かっている!さぁ来い!」


 決まっている。祖父のような、剣が届かないほど強い相手だ。ただ斬られるだけだった祖母、見ていることしかできない父と母はもう斬れる。だから、祖父を斬れるようになる為に、サルビアはボロボロの身体を奮い立たせて剣を振るった。


 弱かったら、斬られるのみ。だから強くなろうと、彼は剣を奮い続けた。弱い父や母、奪われるだけだった祖母のようになりたくはなかったから。


「サルビア。君は、笑うのか……」


「ははっ……!」


 それに、剣を振るうことは嫌いじゃなかった。いや、むしろ好きすぎた。狂っているくらいに愛していた。命を試す一瞬の連続に、彼は喜びを感じていた。父親の呆然とした声なんてどこかに消えて、戦いの音だけが耳を占領する。美しい銀の眼は、敵と剣しか見ていない。


 訓練が終われば死んだように眠るとは、まさにその通りだ。剣を振るう時こそ、彼は生きている。


「ははははは!」


 時たま。時たまだが、少年には『道』が見えた。魔法ではない。系統外でも、幻覚でもない。十年間の経験が考え、その十年を超える、自分の最高の剣の道だ。既存の剣の快感と常識をぶち壊すような、改善された新たな剣技。その瞬間がたまらなく好きだった。稽古が終わって一人になってからも、その道を何度も何度も飽きるまで繰り返しなぞり続けるほど、好きだった。そして、飽きに飽きて自動化して忘れかけた頃、その道すら新しい『道』に上書きされるのだ。


 剣を振り下ろすのが、楽しくて好きだった。剣が弾かれるのが、悔しくて好きだった。剣と剣で拮抗するのが、負けたくなくて好きだった。剣を巻き上げられて無手になるのが、スリルがあって好きだった。剣で斬るのが、相手を支配しているようで好きだった。剣で斬られるのが、生きていることを実感できるようで好きだった。剣と剣を交わすことが、命を削っているようで好きだった。強い人間と斬り合うことは、強くなれるから好きだった。


 剣が、好きだった。


 就寝中ですら剣を離さぬまま、彼は剣と共に生きた。親や祖父達からよりずっと、剣といた。




 











 彼女から見た世界は、酷く歪んで見えた。


「ここ、汚い。こうすれば、綺麗」


 だが、全てが分かっていた。本能が知っているようだった。自分が美しいという形を思い描けば、世界は化粧をして、そのように変革される。自分の手足なんかよりずっとずっと、自由自在に操れる。


「あるべきものは、あるがままに」


 炎とは、水とは、土とは、風とは、こうあるべきものでしょう。無駄に燃やし過ぎる必要はない。無駄に流す必要はない。無駄に作る必要はない。無駄に吹かせる必要はない。最低限にして最高の効率を、彼女は感覚だけで知っていた。


「なんで、こんなこともできないの?」


 彼女にとっての当たり前は、他の人間にとっての無理難題だった。彼女が普通に振る舞うだけで、周りは誰もついてこれなかった。大人達は誰もが彼女を褒め称えた。それは時が経つにつれて顕著になり、変化していく。ついてこれない人間は諦め、賞賛はいつしか恐れへと。天才は怪物に。崇拝は孤独に。自尊心は傲慢に。


「なんで、世界はこうもままならないの?」


 魔法の世界はいくらでも正すことができた。しかし、現実の世界だけは変えられなかった。没落し、過去の名誉に縋る惨めな両親。出来損ないで、才能がなくて哀れで醜くて、後ろからついてくることしか出来ない一歳年下の妹。自分の力を見て恐怖し、利用を企み、遠ざけ、近づき、指をさす凡人ども。


「ああ。分かった。現実の世界も、魔法で変えちゃえばいいんだ」


 魔法を扱うように自由には変えられなくとも、魔法で変えることは出来る。魔法とは力だ。そして彼女は、その力に愛されていた。溢れ出る莫大な魔力、誰にも及ばぬ才能、人とは違う系統外。常に魔法と触れ合ってきた、年齢とは釣り合わない経験。それら全てを使えば、凡人を従えることが出来る。貴族の位なんて、いくらでも手に入るだろう。邪な考えを抱くことすら、不敬と思わせてやろう。


「私が、一番だ」


 もっと私を崇めろ。もっと私を敬え。もっと私を恐れろ。誰もいない孤独な高みで、愚かな凡人どもを見下ろさせろ。誰も、ついてくるな。


 余りの才能故に、少女は歪んでしまった。だが、その歪みを正せる者は誰もおらず、彼女は歪んだまま成長し続ける。


「世界は平等よ。私以外、みんな下だもの」


 彼女の名前は、プリムラ・カッシニアヌム。『魔女の再来』、『白の魔女』と呼ばれるほどの、怪物であった。


 世界最高峰の学園に首席の成績で入学した彼女は一年目にして、学園最強と国内最強の魔法使いの称号を手にする。教鞭をとっていた国内最強の魔法使いであった男に、勝利して得た称号だった。












 彼女から見た世界は、酷く歪んで見えた。ドロドロとしていて、醜くて、息ができなくて生き辛かった。


 産まれた時から優劣が決まっていた。物心ついて初めて抱いたのが、不公平だという感想だった。他人の当たり前が、自分にとっては無理難題だった。


 本能は知っている。なのに、絵を描く為の筆は動かない。頭の中に理想の完成形がある。しかし、現実で形にできない。分かっているのに、何もできない。その事実が、余計に彼女を苦しめた。


 地獄のようだった。優秀すぎる姉と日々比べられ、親からは疎まれ、姉からは蔑まれ、人からは見下される。そして自分自身でさえ、自らを出来損ないと理解している。なのに、生きている。


 大きくなっても、世界は広がるだけで何も変わらない。嘲笑は常だった。いじめられても、誰も助けてくれなかった。辛くて苦しくて、いつも隅っこで一人、仲間はずれにされて、それでも描き続けた。


 少ない小遣いを握りしめて書店を周り、学校に併設された図書館に籠り、知識を集める。魔法は好きだった。だからこんなにも勉強できた。覚えられた。でも、だからこそ苦しいのだ。


 座学で彼女に敵う者はいなかった。それで賞賛を受けることはあれど、心は晴れなかった。むしろ座学だけができることによる周囲からの嫉妬の方が大きいし、自己の否定も強まった。座学が出来るからなんだと言うのか。それだけでは覆せない才能の差が、世界から出来損ないの烙印を押された系統外が、彼女にはあった。


 いつもいつも、彼女は本を読んで思うのだ。ろくに使えもしない知識を溜め込んで、何になると。理想を描いて、思うのだ。これはいつ使うのかと。


 なのに、やめられなかった。やめることだけは、できなかったのだ。


 魔法を愛した少女は、魔法に愛されていなかった。










 彼は、自分を天才だと思っていた。いや、きっと事実そうだった。魔法に関しては十年、剣に関しては百年に一人の天才だと、小さい時の周囲は言ってくれた。幼い頃、周りに敵はいなかった。大人だってねじ伏せれた。彼こそが、井戸の中の最強そのものだった。そしてこの時に本で読んだ英雄に、彼は本気で憧れた。


 普通の商人の家庭に生まれた彼は五歳の頃、父の店についていき、そこにあった商品の短剣に触れて、欲しいと思った。これを持てば英雄になれると、子供の頭で思った。父はプレゼントしようとしたが、子供は拘って断った。貯めていたお小遣いでそれを買ったのだ。自分の身体にはちょうどいい大きさの短剣をキラキラした目で振って、英雄ごっこをして、すぐに頭角を現した。剣のことをほとんど知らない両親でさえ、凄まじいと思う才能だった。


 両親は大層喜んだ。すぐに剣の家庭教師を雇い、息子の為に環境を整えた。しかし、どれだけ教師を雇っても次々に辞めていってしまう。「教えることはもうありません」だとか、「才能の差に何かが消えました」だとか。大人がそんな理由で辞めていく中で、子供は少年になり、そして独学で強くなり続けた。


 この頃、剣の補助として彼は魔法を使うようになり、気付いた。剣だけではなく魔法にも、常人を遥かに上回る才があることを。両親は大喜びして、魔法の家庭教師を雇った。剣の時と同じように次々と教師が辞めていく中、とある一人の教師だけが残り、少年を教え続けた。彼はある男にかつて少しだけ魔法を教わったと言い、両親にその男が教鞭をとっている学校への入学を勧めた。


「その学校には最強の卵が集まり、最高の教師達が教えます。それでも大半の教師がお子さんを持て余すでしょうが、何人かは更なる高みへと連れて行ってくれるでしょう。もしかしたら、英雄にもなれるかもしれません」


 家庭教師のこの言葉に、息子はその学校に行きたいと言い、両親も息子をその学校に入れる準備を始めた。


 結果、見事に合格し入学。念願の彼の学園生活が始まった。楽勝だった。いつも通りにやっているだけで、ほとんどの教師に勝てた。勉強なんてしなくても余裕だった。座学なんて別にいい。実技で全部黙らせた。酒場に行って酒を飲み、女性に囲まれて、最高の生活を送って、生まれて初めての挫折を知ったのだ。やんちゃしていた彼に「調子に乗るな」と、ある男が釘を刺しに来たのだ。


 どれだけ足掻いても手も足も出ない、差。十年に一人どころではない、才能の差。百年?とんでもない。向こうの方がもっと逸材にして天才だった。ふざけるなと思った。それほどまでにかつての教師の師は、この国最高の魔法使いは強かった。圧倒的だった。年に一回、学園にて開かれる武芸祭で少年を叩きのめした。完敗だった。何も、できなかった。


 だがしかし、少年を叩きのめしたそんな教師でさえ、負けた。少年と同い年、一緒に入学した一人の女子生徒に敗北した。自分と教師ほど圧倒的な差はなかったにしろ、敗北。いや、例え僅差であったとしても、それは大事件だった。


 学園最強の教師が、国内最高の魔法使いが、僅か十六歳の生徒に負けた。この事実だけで、事足りる。


 その戦いを、少年も見ていた。馬鹿げていると笑った。強すぎる系統外に、常識を知らないのかと不公平に感じた。英雄譚の始まりのようだと思った。そして思い知るのだ。いくら才があろうと、自分に系統外はない。


 魔法の才も系統外も、他の者に上回られた。総合的な力でも負けていた。残るは剣のみ。それだけは、死に物狂いで死守した。剣で英雄になってやると思っていた。だがしかし、運命は残酷だった。彼が二年生になった時、とある新入生が入学してきたのだ。


 張り合った。全力で突っかかり、挑み、張り合い続け、半月と少しで悟った。今はまだ僅差の負けで済む。だが、数年も経てば、軽くあしらわれるようになると。


 彼は天才には違いなかった。他の時代に生まれていれば、天下を取っていたかもしれない。だが、生まれた時が悪かった。最高の才能が揃った時代に生まれた彼は、中途半端だった。


 諦めてなお、いつも通りに振る舞い続ける。本物の怪物達に囲まれ、勝手に自分で心をすり減らしていく。才能はあるはずなのに、英雄に定員も資格もないなのに、そんなことなんて忘れて、腐っていって。


 そして彼は縋り付くように英雄的行動をとって、とある少女と出会った。








 世界は自分のものだと思っていた。『魔女』や『魔神』という化け物もいるが、彼らは現在隠居中。ならば、現役の自分が最強だと思っていた。


「まだだ。まだ、浅い」


 僅か四歳にして、基本の属性魔法四種類を習得。学校でも戦場でも魔法の扱いに関して彼の右に出る者はおらず、二十歳の頃にはすでに国内最強の地位を得た。国王からも、筆頭魔導師の称号を授与された。


「もっと深淵を、私は見たい。根元を知りたい」


 天才たる彼にとっては当たり前。優秀なる彼にとってはただの道の上。目指すのは世界最強の魔法使いにして、魔法の深淵。実現不可能と言われた魔法を創る、いや、それは否。


「魔法に出来ないことはないと、証明したい」


 最大の夢は、彼の持論の証明。言葉に出来る範囲内で魔法にできないことはないはずという、馬鹿げた妄想と笑われた理論。彼が心の底から信じ、実現する為に魔法を解き明かそうとする所以。


「私が誰よりも最初に、そこに至りたい」


 先を進む者など許さなかったし、そもそもいなかった。十代の時に全員追い抜いて、最前線にいた。学者達の中で最多にして最深の知識を誇り、魔導師の中で最強の名を欲しいがままにしていた。


「私だ。私こそが、魔法を解き明かす者だ。深淵を覗く者。根元に至る者だ」


 楽しかった。自分が先頭で、何もない暗闇の中から新しい理論を発掘するのが。最初は誰にも理解されないような突飛なもので、馬鹿にされることばかり。だが、それは他者の歩みが遅いだけ。数年後に追いついた亀のごとき歩みの他者は驚愕し、己の間違いと馬鹿にした理論の正しさを思い知る。


 次々に、彼に教えを乞う者が訪れた。そのほとんどを時間の邪魔だと追い払ったが、とある依頼だけは受けた。それは、長い歴史を誇る名門校で教鞭をとってほしいという依頼。


 最初は断ろうと思っていた。が、研究には金がかかる。研究の成果の名義を売れば、いくらでも金は入っただろうが、それは彼の誇りが許さなかった。故に金が欲しくて、破格の給料と研究を全て経費で落とすという条件に心を揺さぶられた。


 その上、校内に保管されている禁書や禁術の棚が読み放題で写し放題ともなれば。週に二時間程度の授業の拘束なら、教師になった方が今後の為になると考えた。


 それはそれは話題になった。『魔女』と『魔神』を除けば最強の魔法使いが、直接教えてくれるのだから。彼の講義には人が押し寄せた。彼を一目見たいという人間や、彼の講義を受けたと自慢したいような人間が半分。本気で魔法を学びたい者が半分で、教室は溢れかえって廊下にまで行列ができた。


 気分は悪くなかった。仕事として引き受けた以上、手を抜くことはなく教えた。誰もが感銘を受けていたように思えたし、目を輝かせていたように見えた。無駄なお喋りをして授業を妨害してきた生徒がいたが、すぐに周囲の視線で針のむしろだった。


 空いた時間で研究に明け暮れ、たまに気晴らしに授業をする日々。実に楽だった。楽しかった。最高だった。


 彼が正しかった。彼こそが、魔法を一番知る者だった。彼こそが一番だった。


 なのに。


 その日は良い気分だった。武芸祭という年に一回の行事にて、自らを天才だと調子に乗っていた新入生を実力で黙らせたのだ。圧倒的な実力差で、へし折ってやったのだ。真の天才がどちらかを思い知らせてやったのだ。自尊心が満たされて、実に良い日だと思った。


「へぇ。最強の魔法使いって、こんなもんだったんだ」


 だが、その直後。次に戦った新入生で、全てが変わった。人生を覆された。視界も覆っていた。空が上で、地面が頭の方にあった。


「あ、気にしないでよ先生。私が戦った中では一番強かったから」


 何が起きたか、分からなかった。いや、明晰な頭脳は既に答えを知っている。だが、受け入れられなかった。あり得ない答えだったからだ。


「でも、一番は私だから。宮廷筆頭魔導師だっけ?その名前、もらうね」


 声が出なかった。観客も静まり返っていた。その中で、彼女の声だけが響いていた。


「訳分からない顔してるの、本当に面白いんだけど。動かないし。分からない?先生は負・け・た・の。わ・た・し・ の・か・ち」


 この日、教師だった彼は負けた。魔法の全てにおいて一番だったはずの彼は、一番ではなくなった。才能は、圧倒的なまでの才能に敗北した。


「あれ?泣いてるの?いい年した大人が子供に負けて、いい年した大人なのに涙流すの?すっごい、惨め!」


 初めて知る敗北だった。緑の目から、初めて悲しみで涙を流した。真の天才がどちらかを、思い知らされた日であった。




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