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幻想現実世界の勇者  作者: ペサ
外伝 現実幻想世界の剣士
202/266

ある少女、猩々 真木




 世界はどうしようもない理不尽で溢れている。


 善人も悪人も一般人も、世界だとか運命だとかという大いなるうねりを前にしては、等しく、限りなく無力である。


「はっ……はっ……!」


 異形の怪物に追われながら私、猩々(しょうじょう) 真木(まき)はそれを思う。死に物狂いで大地を蹴って、酸素が足りなくて真っ白な頭の中に、それらの言葉が勝手に浮かぶのだ。一種の悟りとも呼んでいい。


「なんで……!」


 普通に生きてきた。普通の、少し田舎の女子高生だった。悪いことなんて、夏休みの宿題の答えを丸写しにしたことと、中学の時にいじめを見て見ぬ振りしたくらいしか覚えがない。後者は責められるべきことかもしれないけど、世界から死刑を言い渡されるほど重くはないはずだった。


「どうして……!」


 クラスのみんなも、同じだったと思う。小学校の顔ぶれを引き継いだ中学とは大きく変わり、至って平和な学校生活。大きな犯罪なんてない。みんな普通に、勉強をして部活をして、友達と遊んで恋をして、時を過ごしていた。


「こんな目に、合わなきゃいけないの!」


 なのに、みんな殺されてしまった。何の前触れもなく、訳も分からないまま、いきなり。


 そうだ。その日、世界が変わり果てたのだ。揺れて、地震かと思って、違った。街に、学校に、家に、お伽話の悪役のような魔物が突然湧き出た。本当に湧いて出たとしか思えなかった。1秒前には何も無かった空間に、小さな緑の小鬼や醜い豚面の鬼がキョトンとした顔で立っていたのだ。


 私は教室でそれに遭遇した。朝早くに着いた私は友達とお喋りをしていて、その子の後ろに豚面の鬼を見た。驚きのあまり固まって、目が合って、豚は笑った。


 それから先のことはよく覚えているけど、思い出したくはない。数秒前まで笑っていた友達の頭が、かじられたなんて、とても。


 悲鳴を上げて、訳も分からずに走った。ここから先はあまり覚えていない。担任の死体を見た気がするし、親友の断末魔を聞いたような記憶がある。でも、本当かどうか定かではないのだ。そもそも、今私は夢の中にいるんじゃないかと思うほど、世界に現実味がなかった。


 夢だと思った。でも、夢でも死ぬのは怖くて走って、走って、必死に走り続けて、これまたお伽話の正義の味方のような、甲冑を着た男性に出会った。


 勇者様だ。英雄だ。ヒーローだ。そんな言葉達が思わず頭に浮かぶくらいに安心して、目の前にいた日本人の男性が彼に斬り殺されたの見て、絶望した。血が地面に飛び散った瞬間が、鮮明に見えた。


 今度は一瞬の硬直もなかった。すぐに騎士も敵だと、理解したから。走って逃げなきゃ死ぬって、本能が悟っていたから。


 振り向いて、また走った。ずっとずっと、脇目も振らずに走って、何度か休憩をとって、気が付いたら朝で知らない場所だった。生きていて、お腹が鳴って、苦しくて、訳も分からず勝手に涙が出てきて、食糧を探しに出かけた。


 親や他の友人の安否は分からない。でも、身体も心も生きようとしていた。


 それから1週間も生き延びられたのは、多分、幸運だったからと思う。もちろん何事にも全力を尽くしたけど、それだけじゃどうにもならないことがあるって、あの日に思い知ったから。


「はっ……いやっ!」


 そして思い知ったそれは本当に真理で、幸運は今日で終わりのようだった。私は今、豚面の鬼に追われている。今日の寝床にしようと、扉の開きっぱなしだった民家に入った時に、ちょうど出くわしてしまったのだ。割れた窓から、豚鬼は入ってきたようだった。


 走った。死にたくないと思い、走った。でも、豚鬼はしつこかった。いくら走っても私を諦めない。ずっとずっと、追いかけてくる。


 恐怖だった。死そのものが追いかけてくるようだった。走ることとは別の息苦しさがあった。


 開けた田んぼや畑ではダメだ。隠れる場所がない。そう思い、森の中に逃げ込んだ。急な斜面を登り、道無き道を遅い最速で駆け、落ち葉を踏みしめ、後ろを振り返って、まだいた。手こずったことへの怒りだろうか。思った以上に可愛らしい豚の眼は、ぎらぎらとした欲望に輝いていた。


「死にたくない!死にたくない!」


 動転した。手まで使って斜面を這い上がる。喚き、泣き、叫び、土に手を汚し。醜いと罵られるような有様でも、必死に。生きようと。


「なんでよ……なんでよぉ!」


 そんな私を嘲笑うかのように、上方にも豚鬼がいた。下から追ってくる豚鬼とは別個体で、挟まれる形。不運とはこうも続くものなのか。それとも私の叫び声が大きすぎたが故の、自らの責任なのか。分からない。分からない。分かりたくない。今がどれだけ死に近いかなんて、絶望かなんて、分かりたくない。


「私、何もしてない!生きてただけ!」


 理不尽だ。なぜ殺されるのか分からない。なんでこうなったのかなんて、理解できない。


「みんなだってそうだった!みんな、みんな!」


 辛過ぎて、苦しくて、悲しくて、狂いそうで、怒りで、憎しみで、恨みで、絶望で、声が潰れそうになるまで、叫んでいた。豚はそんな私を見て嗤う。その通りだろう。この叫びにきっと意味なんてない。誰にも届かない。神様には聞こえない。むしろ魔物が聞いて、寄ってくるかもしれない。どうせ数十秒後には喰われるか、殺されるか、犯される。


「いやだ!こんな世界、嫌いだ!死んじゃえ!世界なんて、死んじゃえ!」


 最後に、最期に呪う。世界も運命もなにもかも。全てが最悪になって、絶望に満ちて滅んでしまえと、めちゃくちゃな言葉を吐く。でもやっぱり、なにも起こらない。


「……誰か、助けて」


 恨み、憎み、呪ったところで、なにも変わらない。虚しくなって、小さく叫ぶのは一番大きな本心。助かりたい。死にたくない。生きたい。誰か。心から溢れ出た、小さな叫び。


 でも、どうせなにも変わらない。誰にも届かない。聞こえない。人間とは、世界とは、運命とは、そういうものなのだ。


 世界とは、どうしようもない理不尽で溢れているものなのだ。


「……えっ?」


 俯き、目を閉じ、全てを諦めて待つ私の耳に、豚の叫びが木霊した。苦しむような、痛がるような絶叫。何事かと顔を上げれば、そこには首から槍の穂先を生やして転がり、悶え苦しむ豚の姿が。


「間に、合った……!」


 私の横を、影と風が駆け抜ける。交差した瞬間の影の安堵の呟きが、私の耳に優しく触れる。豚の絶叫とは、まるで対局にある声だった。


 慌てて後ろの豚鬼と駆け抜けた影を、いや、人を見る。少しくすんだ色合いながら、綺麗な赤毛のショートヘア。後ろ姿と声から判別するに、長身ではあるものの女性。


「もう、大丈夫」


 引かれたその手には何もない。何もなかったのだ。だが、黒いもやが彼女の手を包んだ次の瞬間、その手には槍があった。


 ここは木々生い茂る森の中。長物である槍は不向きではある。だが、振るう直前に取り出したのなら、そのデメリットは軽減される。


 捻りを加えた斜め下から刺突が豚面の唇を裂き、その奥の脳を穿つ。完全なる致命傷。口から血を吐き出して白眼を剥き、びくんと痙攣した豚の鬼は絶命し、ズシンと崩れ去った。


「怪我はない?」


 血に塗れた槍をその手に、こちらを振り向いた少しシワのある女性の姿は、まさにお伽話の英雄のような。


「……はい。大丈夫、です」


 日本人じゃない。少なくとも、私の知る世界の人間ではない。でも、魔物でも、1週間前に見た日本人を殺した騎士とも違う。だって、私を助けてくれたのだから。


「ありが……とう、ござ」


「ちょっと!ねぇ!大丈夫?ねぇ!」


 安堵した。安心してしまった。同じ女性ということもあり、気が緩んでしまった。今まで張り詰めていた糸がぷっつり切れて、走り過ぎた酸欠も相まって、私は意識を失った。










 暖かかった。この1週間のいつでも起きれるような警戒した眠りではない。久しぶりに、ぐっすりと眠れた。まどろみの中で寝返りを打って、柔らかい布団の感触に甘えて、


「え?」


「おはよう。よく眠れた?」


 覚醒して、思い出して、上体を起こして、私を助けてくれた人と目が合った。


 窓から差し込む光に照らされた彼女は、外国人のようだった。活発そうな、上を向いた赤毛のショートヘア。茶色の瞳はどこまでも透き通っているよう。年はおよそ40代から50代で、年齢より少し少なめなしわがある。今でもかっこいい美人だが、若い頃はさぞかし両性にモテたことだろう。


「あ、はい……」


「良かった。まだ疲れてるだろうから、もう少し横になってなさい」


 普通の表情の時はキリッとした印象なのに、微笑むとそれが優しそうにがらりと変わる。そしてそれが、引き金だった。


「うっ……うう……」


 涙を止められなかった。この1週間、誰とも触れ合うことなんてなくて、ずっとずっと怖い思いばかりで、苦しくて悲しくて、それが人の優しさに触れて、溢れ出たのだ。


「怖くて、辛かったのね」


 いきなり泣き出すなんて、おかしな人と思われて当然だ。でも、彼女は私をそっと、抱き締めてくれた。私の境遇を知らないなりに推測してくれて、優しく。


「でも、もう大丈夫。私は貴女を傷付けないし、守る。ここは安全だから」


 まるで母親のように、とんとんと背中を叩かれる。彼女が私にくれたその保証は、また更なる涙を決壊させた。


「うわあああああああああああ!」


 服を汚してしまうなんて気遣いも忘れて、私は思いっきり、名前も知らぬ人の胸の中で泣いた。子供のように泣きじゃくる私を、彼女はずっと優しく抱き締めていてくれた。








「落ち着いた?」


「……はい。その、服とか汚してしまって、すいません」


「あら。そんなの気にしないの」


 私が落ち着くまでに、どれくらい経ったのか。長かったような気もするし、すぐだったような気もする。でも、その間に彼女の服を涙と鼻水塗れにしてしまったことだけは確かだった。


「じゃあ色々と、ありがとうございました」


「んー。それは受け取らざるを得ないかな。お水、飲む?」


「あ、いただきます……えっ?」


 尋ねられ、喉がからからなことを思い出して頷く。でも、そんなことを綺麗さっぱり忘れてしまうような出来事が起きた。


「あの、それ……魔法ですか?」


「知らないの?」


 彼女は水を汲んでくるのではなく、空中に水を発生させ、黒いモヤから取り出したグラスに注いだのだ。当時はいっぱいいっぱいで気が付かなかったが、黒いモヤは槍を取り出した時と同じ魔法に見える。


「水魔法の創成と虚空庫。綺麗な水よ」


「ありがとう、ございます」


 手渡された水を観察するが、水道を捻って出てくる水と特に変わらない。促され、覚悟を決めて一気に飲むがやはり水。喉に染み込む美味しい水の味で無臭。普通の水だ。


「あの、水魔法はまだ想像がつくというか、いえ、初めて知ったんですけど、虚空庫は全く分からなくて」


「後で教えてあげる。だから、その前に聞かせて。もしかして貴女は、違う世界の人?」


「……多分、そうです。貴女みたいに魔法が使える人は、私の世界にはいないはずですから」


 あの日から薄々気付いてはいた。お伽話から出てきたような、現実味のない魔物。見たこともない植物に、見慣れぬ地形。魔法が使える彼女。そして、どこまでも残酷な世界。どれも平和な日本とは縁のないものだ。否、ないもののはずだった。


「となると、忌み子も知らないのね」


「申し訳ないですけど、はい……」


「謝らないで。知らないことはしょうがないわ。私だって、二つの世界がなぜ重なったのか、分からないんだから」


 忌み子。それが何を指すのか、私には分からない。それを聞いた彼女は真剣な面持ちとなり、顎に指を当てて考え込んで、


「今から私の知る限りの、貴女が知った方がいいことを全て話すわ」


 分からないことだらけの私に、出来る限りを教えると言った。


「すごく理不尽で身勝手で、貴女が怒るようなこともあると思う。いっそ、知らないままの方が幸せかもしれない」


「でも、知らなきゃ命に関わるんですよね」


 罪悪感に満ちた表情の彼女の前置きに、私は言葉を被せる。それは、この世界で私が思い知ったことだ。彼女がまず最初に、何よりも早く教えようとしてくれたことだ。


「……」


「教えてください。全部。私、訳も分からないまま死にたくないんです」


 なら、聞くべきなのだろう。驚いている彼女に、私は乞う。それが少しでも生きることに繋がるのなら、どんなに辛くても構わないと。


「お願いします」


 ベッドの上だけど、込めれる限りの誠意を込めて、頭を下げる。私はそれだけ、死にたくなかったのだ。


「分かったわ。全部、話してあげる」


 彼女もまた、覚悟を決めたように深く頷く。そして語り出した。この世界のあらすじを。魔法の存在、国の形、騎士。そして、忌み子について。






 何時間、経ったのだろう。途中に一度、ご飯などの休憩を挟み、窓の外はすっかり暗くなり、それからまた随分と経ったはずだった。


「……」


 話の最中、私はずっと呆然とし続けていた。魔法や龍の存在に心踊るなんてことは一切なく、ただ驚きの濁流に流され、漂流していたのだ。


「これが、私の知る限りよ」


「…………ありがとう、ございました」


 ようやく終わった説明に、まずは礼を述べる。いや違う。それくらいしか、言葉が出てこなかったのだ。


 改めて思い知った。貨幣も人種も魔法も価値観も、何もかもが違う別の世界があったことを。もう一つの世界が、あることを。


「今はまだ、消化しきれないと思うわ。特に、忌み子関連についてはね」


 そして私にとって、その世界はいかに危険であることかを。この世界の全てが、日本人の敵であることを。


 足元がなくなったようだった。宙に放り出され、永遠と下に落ち着けていくような感覚だ。それだけの孤独と恐怖が、驚きと共に私を覆い尽くしていた。


「もう遅いわ。ゆっくり飲み込めばいいから、今日は寝ましょう?」


「……はい」


 抗うには強大過ぎて、考えるだけでも怖くて嫌で、だから彼女の提案を名案だと思った。布団に入り、肩までしっかり柔らかさと暖かさに覆われる。


「あ、あの」


「なに?」


「……眠るまででいいので、手を握って、くれませんか……?」


 でも、それだけでは足りない。寒くて寂しくて、私はおずおずと暖かさを求める。この歳で恥ずかしいし、まだ話して数時間の相手にだけれど、寒さには勝てなかったのだ。


「ええ。分かったわ。握っててあげる」


「…………ありがとう、ございます」


「いいのいいの。おやすみなさい」


 優しい彼女は、全然いいよと笑って暖かい手で握ってくれて。その掌の分だけ安心した私は、疲れていたこともあって、眠りに落ちていった。








 忌み子。黒髪黒眼。『魔女』と『魔神』の器になる者。疎まれ、忌み嫌われ、迫害され、世界の為に殺され続けてきた、生まれてきてはならなかった存在。


 話を聞いて1日が経って、ようやく驚きが抜けた。代わりに台頭してきたのは怒り。なぜなにもしていない自分達がという、至極真っ当な怒りだった。


 でも、更にそれから2日が経てば、怒りは少しだけ収まっていた。客観的に見れるようになるまで、落ち着いたのだ。


 忌み子は世界を滅ぼしかねない存在だ。だから殺さなくてはならない。


 殺される忌み子側としては、到底受け入れられるものではない。全力で抗うし、許さないし、恨んで憎む。


 でも、反対側の立場としてはどうだろうか。忌み子ではない者から見れば、どうなるのだろうか。その考えに思い至った時の衝撃たるや、世界がまるで広がったかのようだった。


 殺さなければ、世界が滅ぶ。自分も自分達の愛する者も、みんな死んでしまう。だから。


 大の為に小を切り捨てる。よくある話で、昔から人間がずっと行ってきたことだ。それは世界において、必要な理不尽だ。


 私は友達が死んで家族が死んで、とても悲しかった。許さないと思った。世界を憎んだ。だから、分かる。この苦しみを味わうくらいなら、赤の他人を何人だって殺してやるという気持ちが、分かってしまう。


 おかしくなりそうだった。生きたいという気持ちが、誰かを守りたいという気持ちが間違いでないのなら、この問題に間違いはない。元から問題が理不尽そのものなのだ。










「あの、聞きたいんですけど」


「なに?」


 森の中にあるポツンとある彼女の家に来て、十日後のお昼時。ご飯を食べ終えた私はずっと気になっていたことを、テーブルを挟む彼女に問い尋ねることにした。


「なんで忌み子の私を、助けてくれたんですか?」


 話を聞いた時から胸にあって、どれだけ悩んでも分からなかったこと。先も述べた通り、忌み子とは殺さなければならない存在である。忌み子同士で助け合うならまだ理解できるが、綺麗な赤毛と茶髪の彼女には、忌み子を助ける理由がない。


「私を助けたせいで、貴女も罰を受けるかもしれない。場合によっては殺されることだって」


 話を聞く限り、むしろそれは違法行為。騎士に知られたのなら、彼女も裁かれることになるかもしれない行いだ。


 なのに、なぜ。


「先に言うけど、それが嫌で出て行くなんて言わないで。これは私は好きでやっていることで、その結果が死であっても、受け入れる覚悟を私はしてる」


「っ……」


 生きたい気持ちに変わりはないが、彼女を巻き込みたくはない。そんな私の心の内を見抜いていたのか。彼女はまず、先手を打ってきた。


「でも」


「ダメ。何度も言ってるけど、この家の外は貴女にとって危険過ぎる。ううん。本音を言えば、この家すら……」


 魔物が跋扈し、騎士が正義の虐殺を行う世界だ。日本人は絶滅したと考えるべきで、そうであるなら私にとって、この世界のほぼ全てが敵である。故にこの家から出ないよう、彼女は私に厳命していた。


「助けて十日間も一緒に過ごしたのよ?そんな相手を見捨てたり、死なれたりなんかしたら私、すっごく凹んじゃうわ」


「それが、理由ですか?」


 だから出て行くなという彼女の眼を、私は見る。嘘はないのだろう。でも、本当にそれだけなのか。忌み子であっても見捨てることができなくて、たまたま助けて、情が湧いたからなのか。


「それもあるけど、違う。私が貴女を助けたのは、ある人の影響なの」


「ある、人?」


「そう、ある人」


 指をくるくると机の上で回しつつ、細い首を振って否定して、私の聞き返しに肯定して、彼女は続ける。


「私を助けてくれた人がいたの。で、その恩を貴女で勝手に返して自己満足に浸る為」


 私を助けた理由。それは、彼女が他者から受けた恩返し。まるで自虐するかのような物言いで、彼女はそう教えてくれた。


「……その人は、忌み子なんですか?」


 なぜ、私に返すのか。同じ忌み子だからかと、私は聞いて、


「ううん。違ったわ。でも、忌み子を救おうと戦って、反逆者として殺された人だった」


「……ごめんなさい」


 その人の生き方と死に方を聞いて、すぐに後悔した。迂闊だった。彼女の口ぶりから、気付くべきだった。


「いいのいいの。思うことがないわけじゃないけど、もう十何年も前のことだから」


 だが、彼女はしわを寄せて微笑み、頭を撫でてくれた。まるで、落ち込まないでと言わんばかりに、優しく。きっと彼女の心には未だ、深い陰が根差しているのだろうけど、それを微塵と感じさせず。


「あの、失礼で、嫌じゃなかったら、どんな人だったのか、聞いてもいいですか?」


 私はそれに甘えてしまった。私は私の思う以上に子供で、どうしても知りたいと思ってしまったのだ。その人のおかげで、私が救われたのだから。


 どちらも間違いではないこの問いに、その人はどういう答えを出して抗ったのか。なにがそこまでその人を駆り立て、戦わせたのか。なにを胸に抱えて生き、なにを思い死んだのか。


「いいわよ。むしろ、こっちから話そうかなって思ってたもの」


「そ、そうなんですか?」


「そうそう。この家の中から出られないんじゃ、暇で退屈だろうしね。『記録者』ほど語るのは上手くないと思うけど、私でよければ」


 少しは渋られるかもという予想に反し、彼女は快諾してくれた。彼女はやはり、年齢ではない意味でも大人だった。


「あー、でも。あんまり楽しいものでもないっていうか……そうだ!昔の男の話からでもいいかしら?結構関わりがあるし、序盤の方は楽しいところもあるの」


「え、えっ?か、構いませんけど……」


 予想外は更に重なった。重たく、苦しい話になるだろうとは私も思っていたが、それを避ける為にかつての恋人の話を混ぜるなど。それはそれで聞きたくて、頷いた私も私だったが。


「じゃあ決まり!でも、お茶を淹れるからね」


「はい。あ、あの。私もお茶を淹れるの、手伝います!」


「あら助かるわ。お願いしちゃう」


 教わりながら異世界の紅茶を淹れて、机にお菓子を並べて椅子に座って。私はこの十日間で、彼女と仲良くなっていた。


 そして私は、ある物語を聞く。このどうしようもない世界で、大切な人の為に戦った人達の話を。


 理不尽に抗い続けた、理不尽なお話を。


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