第18話 訓練と成果
森の少し開けた空き地にて、黒髪の少年少女が甲高い音を鳴らし、剣を撃ち合っていた。
「おらあああああああああああああああ!」
傷だらけの少年が気迫とともに大きく足を踏み出し、一足一刀の間合いへ侵入。一ヶ月前に比べれば、格段に隙の無くなった一撃といえよう。
とはいえ、少女から見れば全身急所とも言えるほど隙だらけであった。ほんの僅かな刹那とも言える間に、彼の横薙ぎは少女を切り裂くだろう。だが、シオンの剣が少年を裂く方が遥かに速い。
「これで終わりかな」
一足一刀の間合いより内へと踏み込み返した少女の銀の剣閃が、腕の皮を削ぎ落とすために振るわれる。多少の怪我なら問題ない。すぐに治癒できる。
少年に、剣を防ぐ術はないかのように思われた。
「どーだい!」
先ほど思い切り踏み出した反動を活かし、後ろへと跳ねた少年を見て、少女はまたまた感心させられる。
初期の仁からはこんな動きは考えられなかった。この一ヶ月で目の前の少年は、少女の想像以上に身体の動かし方を掴んできた。剣の腕も身体能力も、大きく向上したといえよう。
「ひゅっ……!」
仁はここだと剣で言わんばかりに、前へと進んだシオンへ斬撃を放つ。氷の刻印でリーチを伸ばし、意表をついた攻撃は実にいい。
「やった!」
彼の喜びの声が耳に届く。この修行に明け暮れた一ヶ月の中で一番シオンに近づいた一太刀だろう。だからこそ、惜しいとシオンは思う。
確かに見違えるほど技術は向上した。そう、ど素人がようやく初心者になれたほどには。
「視えてるわよ」
シオンの魔力眼には、魔法を発動する際の刻印の魔力の輝きが視えている。
「ちっ!」
魔法で作られた物理の理に反する氷の刃を、シオンは魔法障壁で受け止めた。魔法障壁が防ぐのは単なる魔法の攻撃だけではない。魔法で創られた物質、またはその物質を用いた攻撃も防ぐのだ。
今、この瞬間のように。
止めた剣を仁が引き戻すより速く、シオンの銀剣が天へと打ち上げる。剣はくるくると弧を描いて空を舞い、遥か後方へと音を立てて転がった。これで少年に武器はない。いつもなら、ここで少女が剣を突きつけて終了だが。
「まだだっ!」
「っ!?」
そうならないことを仁は予想通りと笑い、シオンもまた、ここで終わりでないことを理解した。
前に踏み出した勢いのままに、少年は無手の右手を振り被った。首に突きつけられた剣を避け、少女へと肉薄する。
一足一刀の間合い?彼が目指すはそんなものよりもっと内。そして。武器は拳だ。
「大金星!」
狙いはもちろんシオンの顎一択だった。脳を直接揺らして気絶させれば、治癒もへったくれもないという考え方だろう。
魔法障壁を使ってしまった以上、物理へと切り替えるのに時間がかかる。そのわずかな時間こそ勝負だ。銀の剣も、仁の首がさっきまであった位置に置かれている。引き戻すまでの間に殴るくらいなら、可能性は十二分にある。
シオンは女性だからと手加減できる相手ではない。今出せる全力の拳を振り抜こうとして、迎え撃つシオンの余裕の笑みで、仁は凍りついた。
「惜しかった。けど、もう少し狙いを隠すか、工夫できたらなぁ」
いつの間に創成したのか、シオンの手には土の短剣が握られている。
「いっだぁあああああああああああ……!?」
「くっそ…!」
手の甲を軽く突き刺され、拳ごと撃ち落とされた。今までの薄皮一枚などとは訳が違う深さに、僕は悲鳴をあげる。
「……負けた」
作戦が失敗し、仁は後ろへと逃げようとした。しかし、自身へ向けられた銀剣に彼はこの先の運命を悟る。
「でも、頑張ったね」
褒めたのか、挑発されたのか分からない声とともに、剣の腹で殴られた仁の意識が吹っ飛んだ。
目を覚ますと見慣れた木の天井が広がっている。この一ヶ月、毎日見ている景色だ。
「もうこのベッドで起きるの何度目なんだろうか」
「いい加減慣れたよ僕」
もはや恒例となった訓練の終わりの風景だ。毎度毎度意識を刈り取られ、気がついたらここに運び込まれている。
余談であり、仁の知らぬことであるが、運び方は物語の定番のお姫様抱っこだったりする。そしてシオンはそれを楽しんでいたりする。
「あれだけやっても敵わないのか」
「そんなことないわよ。相当いい線いってたわ。剣を弾き飛ばされたの、やっぱりわざと?」
上体を起こしつつ、少女と一緒に先の戦いを振り返る。戦場ではこんな暇はないが、訓練の後なら時間はある。
「いや、障壁使われなきゃ、そのまま斬るつもりだった」
「弾かれた時の選択肢も残してたのね。よしよし。それにしても表情と声まで嘘をつくなんて、普段の仁じゃ考えられないわ」
何個かのパターンを想定していたことを聞いたシオンは、それはもう満足気に頷いた。彼女を倒す為に前日から考えていた作戦を褒められたことは嬉しく、通用しなかったことは悲しく、仁としては複雑な気分だ。
「頑張ったんだけどな」
「普段の僕らからじゃ考えられないって?」
「仁の顔ってすっごく分かりやすいのよ。嬉しそうな時も悲しい時もすぐに顔に出るし」
シオンは日頃の態度だと笑っているが、仁は利用しようとしている思惑がバレていないかと冷や汗が止まらなかった。
「うっ……」
「あ、また傷増えてる」
刺された箇所がわずかに疼き、それでようやく拳に傷が増えたことに気づいた。治癒魔法だって万能ではなく、深すぎる傷なら傷跡が残ってしまう。自然に治すよりは小さい傷跡ではあるのだが。
「シオンに比べたら大したことないけどね」
彼女の頰を始めとした傷に比べれば、まだ小さい部類の傷だ。手や足に刻まれた傷は、凄まじいの一言に尽きる。例えるなら、まるで拷問を受けたかのような。
傷の理由を知りたくないと言えば、嘘になる。しかし彼女から話さないのなら、聞くべきことでもないだろう。
仁だって、違う世界から来たことも、香花のことも、学校のことも、何も話していないのだから。
「傷、増やしちゃってごめんなさい。ほんの少しだけど焦ったの」
「これまた複雑だな」
傷をつけられ悲しむべきなのか、ほんの少しでも焦らせたことを喜ぶべきなのか。
「いや、傷に関しては大丈夫。傷って男の勲章って言われてるし」
傷痕がいくら増えても、命に関わったりはしない。仁にとってはむしろ、ちょっとかっこいいかなとさえ思うものだ。だから気にしないで。というつもりで言った一言だった。
「私、それだと仁より男になっちゃうわ」
「本当に君はなんで、いつも選択肢を間違えるんだろうねえ」
寂しそうな笑みを浮かべるシオンに、仁の背筋を寒いものが駆け上がる。間違いなく選択肢を間違えた。
「ごめん。ただの例え話というかなんというか、き、気にしないでくれ。それより今日の訓練、何が足りなかった?」
「足りないものはたくさんね」
露骨な話題逸らしに、シオンはあっさり乗ってくれた。彼女のチョロさに安堵して表情が緩んだが、ここら辺が分かりやすいのかと慌てて引き締める。
「最初の頃に比べれば、相当上達したと思うわ。剣術、身体能力、身体の動かし方、駆け引き、それに眼と考え」
三人で最初の訓練を振り返りつつ、今と見比べる。本当に最初の頃のだ。
剣の握り方も振り方もダメ。動きにムダが多く、攻撃が単調で単純で鈍重。考えるのは早いけれど、身体がそれに追いついていない。身体強化を使用したシオンの動きが捉えられない。ついでに翌日の朝は筋肉痛で起きれない。
と、惨憺たるという言葉ですら足りないほどであったのだが。
「ここまで成長してくれて、私嬉しいわ」
シオンが涙ぐむほど、この一ヶ月で仁は変わった。血の滲むような、というより現実、何度も血が滲む訓練を繰り返してきた。
「僕も最近、怪我が少なくなってきて嬉しいよ。軽くトラウマレベルだからね。あ、トラウマってのは怖いものね」
「わ、私怖い?」
「訓練の時だけ。普段は大丈夫」
「そ、そう?」
怖いと言われ、シオンは少し辛そうな感情を見せる。この少女はどうにも、負の言葉に過剰に反応する節がある。今まで人に迫害されてきた後遺症なのだろうか。
「でも本当に怖いからね」
刺される、斬られるは当たり前。一度骨にヒビが入った事もある。骨折以外は大抵、翌日には治癒魔法で元通りになるため、訓練は休みなく毎日続いた。
さすがに本気ではなかったのだろうが、痛いものは痛い。それでも仁は生き残るために、死に物狂いで強くなろうとあがき続けた。
「技もそれなりに身についたしね」
眼が慣れてきた頃には、身体強化を解いたシオンから技の指導を受けた。盗める限りの技術を盗もうとし、僅かの量だが盗むことに成功した。
そんな血反吐を吐き続けた一ヶ月で手に入れた物、全てを詰め込んだのが今日の戦いだった。
「自分の持てる、というより使えることを全部使ったつもりだ」
技術。体術。刻印による攻撃範囲の延長。表情と声までも使ったフェイク。複数の選択肢。
詰め込める限りを詰め込んで、結果は見事に惨敗。何度かシオンの虚をつけたが、それでも普通に返り討ちにされた。
「何を目指せばいい……?」
何が足らないのだろうか。また、その足りないものとは、どうやったら手に入るのだろうか。
仁は薄々答えに気づいていたが、それでも少女に聞きたかった。
「こればっかりは仕方ないわ。仁に足りないのは身体強化と障壁、そして時間と経験と技術。あとは……敢えて言うなら突出した才能と想像力、そして対応力ね」
「……やっぱり、才能ないのか」
「想像力はあると思うんだけど。対応力もきついなぁ」
魔力を持たない仁には手に入らないものや、才能に左右されるものばかりだ。やはり身体強化と障壁の壁は大きいと、がっくり肩を落とす。
「仁は想像力が豊かなのよ。だから、相手の動きを予想しようとして戦ってるような節があるわ」
「おっしゃる通りだよ」
「えへへ……私、戦うのと家事は得意だから!」
実際、シオンの指摘は正しい。仁はいつも相手の動きを予想したり、または誘導して戦おうとしている。それは嵌れば強いが、外せば大きな欠点だ。
「それに顔を見たら分かるわ。相手の動きが想像から少しでも外れた時の仁の顔、鏡で見てみたら面白そう」
「で、俺に足りないのが想像から外れた時の対応力か」
「テストでヤマカンはるなってことね」
「テスト?」
「テストは試験。ヤマカンは通じるのね」
僕の例えの通り、ヤマカンを張りすぎて全く違う箇所が出た状況に弱い、ということだろう。つまり、シオンが言いたいのはその状況を作るな、ということだ。
今日の顎を狙った攻撃も、見抜かれてるとは想像できず、対応ができなかった。それが今回の敗因でもある。見抜かれていたとしても咄嗟に対応できれば、あの場面での負けはなかった。
「想像力に頼りすぎちゃダメ。咄嗟の出来事にも対応できるようにならなきゃ。でも、魔法の想像力は伸ばしてね?」
「魔法の想像力?」
「想像力が豊かすぎて、あまり使うなって言われたのにかい?」
違う想像力、と言われ二人は一つの首を傾げる。シオンの言い方が少しボヤけていて、いまいち理解ができない。
「仁の出す氷の剣だとか、氷の盾だとか。全部同じ形じゃない?身体がそれに合わせて戦ってるのよ」
「……どういうことだ?」
「俺君、俺君。もっと自由に魔法を使えってことだよ」
俺の人格は未だ理解できないのに対し、僕の人格はシオンの説明でピンときた様子。なぜ同一人物であるはずなのに、ここまで理解力に差が出るものなのか。
「氷の剣を生み出す魔法で創れる剣は、みんながみんな同じじゃない。本人が剣だと心の底から思っていれば、多少形をいじれるものなの」
「なるほど。やっと分かった」
大剣、レイピア、片手剣、刀、カトラス、ナイフなど、シオンは様々な剣をお手本とばかりに手の中で創成する。言われて気づいたが、仁の作り出す剣はいつも同じ大きさ、同じ形だった。
「状況に応じた形と大きさで戦えってことだな?」
「そういうこと。大きすぎる剣は振り回されるし、小さすぎる盾じゃ防げない。かといって、小さすぎる剣は相手に届きにくくて、大きすぎる盾は魔力の無駄。まぁ、最初のうちは慣れた大きさでも仕方ないけど」
その場その場に合わせた剣や盾を即座に思いつくだけの想像力はまだ、今の仁にはないのだろう。確かにこれは早く直していかなければならない。
「今の課題はこんなところね。とりあえず、障壁を使っていない、全力ではない私から一本奪うことが目標だわ」
「……努力する」
「これまた遠い目標だね。ちなみに聞きたいんだけど、最終目標は?」
「本気の私を倒すこと、ね!」
「……心が折れそうだ」
本気のシオンとの戦闘ならば、仁が一回斬りかかる間に四回は殺されるはずだ。そして仁の一回は障壁魔法に阻まれるだろう。そうでなくとも、腕ごと叩っ斬られてる未来が見えるが。
強い魔法が多すぎる。日本で障壁魔法が使えたら、それこそ最強に近いというのに。ここではそれが大安売りだ。
「気に病むことじゃないわ。そもそも身体強化と障壁が使える相手に、使えない人が挑むだけでも狂気の沙汰なんだから。仁は戦いたいんじゃなくて生き残りたいんでしょ?」
「そうなんだけど、やっぱり焼け石に水って感じがする」
「焼け石に水でも少しは冷めるものよ。僅かでも可能性を上げることが大事だから」
言われてみれば、確かに狂気の沙汰だ。一般人より少し強い程度の奴が、戦いを生業とする騎士に挑むなど。
「それに才能が全く無いわけじゃない。仁の努力の量はすごいし、しっかり結果に出てる。努力しない天才より、努力する凡才のが強くなるものよ」
遠回しに凡才と言われ、わかっていたがまたまた凹む。この少女、フォローのつもりなのだがフォローになっていない。
「うーん。明日は訓練、休みにしましょうか」
少年の分かりやすい落ち込みを見たシオンは、突然の休息を決めた。
「いきなりだな」
「スパルタなシオンらしくない」
「すぱるたって何?」
「優しいって意味です」
逆に仁は、彼女が何を企んでいるかと疑ってしまっ。普段からボコボコにされ続けてきたのだ。いきなり優しい訓練どころか休みにすると言われ、戸惑うの無理はない。
「遠足っていうのしてみない?」
仁は衝撃に備えるが、シオンの口から出てきた言葉は聞き間違いでなければ、何かの隠語でなければ非常にのほほんとしたものだった。
「ほら、その……外に出かけて一緒にご飯とかを食べる」
「外で訓練して、そこで獲った魔物を食べるの?」
「違うわ。予め作っていくの!」
普通の遠足だということに気づくのは、10分ほど後である。ここまで話がこんがらがったのは、シオン先生の訓練が日頃から厳しいものであったからだろう。
仁の承諾を聞いたシオンは飛び上がるほど喜んで、村へと調味料の補充をしに行った。
森の道なき道を走るシオンを見送る影があることに、心ここに在らずの少女は気付かずに。いつもの彼女なら気づけたはずなのに。
「まさか本当に普通の遠足だとは思わなかった」
「僕もビビりまくりだったよ!」
話し合いの末、互いの誤解を解いた後。村へと降りていくシオンを見送った仁は、互いに椅子に向かい合って座っていた。僕の姿は他の人には見えず、実質一人だけが椅子に座っているように見えるだろう。
「忌み子とは言え、さすがに村に知り合いの一人や二人はいるみたいだね」
「ぼっちよりはずっといいと思う。世の中みんながみんな、目の色髪の色だけで差別するわけじゃないだろうし」
忌み子はその名の通り、忌み嫌われているはず。しかしそれでも、調味料などを分けてくれるくらいには優しい知人がいるようだった。
「その割にはシオンさん。人との触れ合いに慣れなさすぎだよ」
「やっぱり、シオンのことが嫌いな奴らの見る目があるから、たまにしか会えないとか?」
おそらく互いに気を使って会えないのだろうか。それは非常に寂しく、また寂しいのは辛いと仁は思う。窓に映る自分にしか見えないもう一つの人格に、俺は伝わらない感謝を送った。
「シオンも出かけたことだし、ちょっと話そうか」
僕は気づいたのか気づかなかったのか、いつものニコニコとした笑みのままの心の中で語りかけてきた。
「そうだな。さすがに盗聴はされていないと信じよう」
確かに絶好の作戦会議の機会だ。シオンが家にいる時では、こういう話はできない。
「万が一が怖いねえ。あの子少しだけ、常識が欠けてるから。すっごくいい子なんだけどね」
しかしそれでも、不安はある。シオンはどうにも常軌を逸しているのだ。盗聴をダメとは思っておらず、実行している可能性もなくはない。
「寝顔見られたのが恥ずかしくて拗ねたり、僕の髭をあの銀の剣で剃ろうとしたり……わけが分からないよ」
旅の間で早起きが習慣となった仁が、シオンの寝顔を見た時である。起きた彼女に幼いなどと、からかいながら話すと、顔を真っ赤に染められ怒られた。その時にとんでもないことを彼女が口走っていた気がするが、なぜか記憶にない。
後者は髭剃りがないかと尋ねた時の話である。ゴブリンたちをバッサバッサ斬り裂いた剣を一片の迷いもなく取り出し笑顔で、
「剃ってあげるわ」
仁は「自分が何かしたのか」と自問し続けたが、答えは全く出なかった。世界で一番怖い髭剃りの時間であったのは間違いないだろう。
「剃り残しも怪我も無く綺麗に剃り終わったのは、正直そこはさすがだと思った」
「……やっぱり、人とあまり接することができなかったのかな」
本物の万年ぼっち、もとい人との交流が少なかったのであろう。彼女の価値観や、羞恥のポイントが未だに理解できない。正直言えば、シオンの村の知人への交渉も上手くいっているか心配である。
「さて、シオンが盗聴していないと信じて本題その一。取り入ることには、成功したと言ってもいいよね」
脱線した話を、僕が少し低めの真剣な声で路線を元に戻す。無駄話、と一概に言い切る物ではないが、本題を話す前にシオンが帰ってきたら本末転倒だ。
「大体は成功したんじゃないか?優しいふりをしてきたし、従順だったからな」
仁は、優しさをあの日に捨ててきた。友を殺したあの日、あの場所へと。だが、優しさを持つ頃の自分を忘れたわけではない。過去の自分の真似事くらいならいくらでもできる。
「とりあえず友好的になれたしね。さすがにそれ以上は困る気がするけど」
友人へのものか、異性へのものか、はたまた親子のようなものか。どれかは分からないが、シオンから好意を持たれているのは間違いないだろう。
「シオンが俺達の事を好き……なんだかここだけ切り取るとアレだな」
「でも、実際そうとしか思えないからね。僕ら思春期男子勘違い補正含めても」
自惚れではなく、客観的に見てのことだ。人付き合いに慣れていないあの少女に、人間関係の隠し事はできない。今の天然さが擬態ならもうお手上げだが。
「もし異性に向ける好意なら、なんでこんなのにって思うけどな」
「優しくされたらころっと落ちたとか?それどこのチョロインって思いたいけど、彼女の生い立ちが生い立ちだからね。笑えないよ」
大方、初めて優しくされた人間だから懐いた、またはそれを恋愛と勘違いしたというのが真相だろう。しかしこれは大きなプラス要素ではある。この世界で味方を得ることに成功したのだから。
「なんだか少女の幼気な心を弄ぶようで心が痛む」
「……そうかい?まあ、それはそれとして。予想外だったのは、あそこまで切り刻まれたことだねぇ」
僕が小さな含み笑いを交えた後、二人は遥か遠い空を見上げるような虚ろな表情へと移り変わる。
今も一言一句違わず思い出せる、シオンの恐ろしい訓練前の言葉。
「実戦訓練だから、ある程度斬るね。あ、大丈夫。斬り落としたりはしないから」
そして、その言葉を一言一句違わず実行し続けたシオンと、実行され続けた仁。この一ヶ月で全身に新しい傷が刻まれ、痛みを何度も味わい続け、その度に治された。
「鬼教官……いや、もしかして異世界ってみんなあんな訓練してたのか?」
正直、シオンのスパルタは度を越していると思う。異世界ではこれが普通なのだろうか。ならば、仁達日本人が勝てないのも道理である。
「でも、あれのおかげで少しの痛みなら慣れた感があるんだけどね。さて本題二。これからどうするか、だね」
ある意味では本題一より重要な本題二について、いつになく真剣な表情で切り出した僕に、
「限界の前まで留まるべきだろ?」
俺の人格はここに残るべきだと即答した。
家の主の少女に取り入ることには成功した。ここ一ヶ月訓練でボロボロになったことを除けば、怪我を負ったこともなく、食事も風呂もある。
「こんな恵まれた環境、そう簡単に放り投げるもんじゃないと思う」
「ここ、こたつ並みに居心地いいからね。しかもすっごい安全で低価格」
この家にいる限り、そこらの魔物程度ならシオンが簡単に蹴散してくれる。寝る前にお話を聞かせるだけと、対価も驚くほど安い。
「対価以上のものも貰えるしな」
しかも鍛えてもらって強くなれて、魔法の武器も貸し出してもらえるおまけ付き。世界が変わってからの仁の境遇に比べれば、なんという好条件だろうか。
「それが生き残るのにベストだと思う」
「僕も同意だね。じゃ、そう」
そうしようか、と賛同しようとした僕の声が、ギィギィという耳障りな鳴き声に遮られた。見るまでもなく相手の正体が分かり、仁の顔が暗く陰鬱な表情へと変わる。
「ゴブリンか」
「こいつらシオンの留守を狙って来たみたいだね。僕の言う安全の利点が早速崩れちゃったよ」
「いくらシオンでもいなけりゃ無力だもんな。七匹か」
数の確認と窓の外をちらりと覗き、自身の数えた数字に苛立つ。
数とは純粋な戦力だ。日本の成人男性とゴブリンが真正面から一対一で戦った場合、勝つのはおそらく男性だろう。しかし七匹もゴブリンが集まれば、成人男性一人じゃ勝ち目はない。
「やれるか?」
成人すらしていない仁に勝ち目があるか?と聞かれたら、答えは、あるだ。
仁はこの一ヶ月、シオンにしごかれ続けた。斬り刻まれ、剣を振るい、地べたを這いずり。そうして得た戦闘技術は、一般人とは比べ物にならないはずだ。
「あれ?なんで?」
ただしそれはあくまで、戦闘技術だけの話である。
「動かない……?」
椅子から立ち上がった仁の身体は、そこから一歩も動けなかった。まるで脚が床にべったり縫い付けられたかのように、上がらないのだ。
ゴブリンはすぐ目の前。いつ扉を開けて入ってくるか分からない。そんな状況で。
「そんな状況だからか!?シャレになってないぞ!」
なんとか動く上半身で近くの剣を手に取りながら、前回ゴブリンと対峙した時のことを思い出す。前にシオンが撃退したあの時だ。あの時も、脚が震えて動かなかった。病み上がりのせいだと思っていたが違う。これは恐怖だ。
「ハァ……ハァ……」
止まらない身体の震え。動悸が上がる。呼吸が荒い。そして何より。
「怖い」
オーガとの戦いが脳内に焼きついて離れない。近づく死の足音が耳にこびりついて離れない。むせ返るような友の血の匂いが、離れない。
崖から落ちたオーガとの戦いで、仁は覚えさせられてしまったのだ。魔物の恐怖と、死の恐怖を直結させてしまうことを、本能に刻まれてしまったのだ。
醜い小鬼達が扉が強引に開け放ち、ずかずかと土足で踏み入ってきた。このまま何もしなければ、小さな鬼一匹に殺される。その事実に冷や汗が溢れ出る。
「僕、入れ替われるか?」
「あははは……ごめん。僕も動けないみたい」
僕という希望さえ断たれ、仁の未来と目の前が黒に染まりそうになる。
「……止まってたら死ぬだけだ。それだけは嫌だ……」
しかし、視界にかかった黒い黒い恐怖を否定するように仁の脳が、心が、口が、本能のまま叫び始めた。
死ぬ?死んだらどうなる?どれだけ痛い?どんな死体になる?なんのために生きてきた?
「俺は、何の為に香花を殺した?」
魔物への恐怖を、さらに暗い死への恐怖で塗り替えろ。それが今までの俺の生きる原動力だっただろ?
ひたすらに、死が死ぬのが殺されるのが野たれ死ぬのが怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて、逃げて、戦い続けてきたのだ。
だから仁は、戦う。
「動けって!言ってるだろがあああああああああああああああああああああああ!」
地面に張り付いた脚を、恐怖と怯えで無理矢理引き剥がしていく。震える身体に喝を入れ、迫る死から逃げるように、仁は前に駆け出した。
まず一匹を即殺して、敵に恐怖を植え付けさせろ。自らの魔物への恐怖を掻き消す、一撃を見舞え。
「死ねえええええええええええええええええええええええええ!」
殺意を込めて大きく振り被った、天井すれすれの大上段。綺麗に斬るのが目的ではない。鉄製の剣を思いっきり振り下ろせば、脳天くらいはかち割れる。
「んあ?」
狙い通りかち割れはしたが、大振りで力を入れすぎた。
次の攻撃に繋げようとした仁の動きが、がくんと何かに引っ張られて止まる。べらぼうに撃ち込んだ剣はかち割るだけにとどまらず、ゴブリンの頭の半ばまでめり込み、引っかかっていた。
いつかの失態を思い出させるような、恐怖に駆られたが故のミス。そしてこの空白の時間は、仁にとって致命的すぎた。
「ぐっあ!」
この世界の人間から奪ったものだろうか。外にいるゴブリンの放った矢が右肩に突き刺さり、痛覚が悲鳴をあげる。
「こんなの、大したことない!」
「僕にはそれなりに大したことあるんだけど……ね……」
が、これくらいの痛み。この一ヶ月で何度も経験してきた。慣れたとは言えないが、それでも瞬時に僕へと痛覚を投げ渡し、思考を切り替えることはできた。
矢のせいで力が入らず、小鬼の身体から剣を引き抜けない。故に仁は速攻で剣を手放し、息絶えた小鬼から棍棒を奪う選択する。
「ははっ……冗談きついってこの世界……」
「伏兵とか、勘弁だよ」
そして、残り六匹の小鬼を迎え撃とうと外に出て、凍りついた。
森を背景に、クロスボウや弓矢を構えたゴブリンたちが一片の隙間もなく整列していた。その数、二十はくだらない。
「まぁまぁ、でかいのまで」」
列の後ろから堂々と歩いてくるのは最早小鬼の域になく、2mはあるだろう。しかし、オークではない。シオンが図鑑を見せて教えてくれた、ホフゴブリンというゴブリンの上位種だろう。
「……いやだ」
即時撤退を選択すべきとわかっているのに、仁の足は今度こそ動いてはくれなかった。
「死にたくな」
ホフゴブリンが小さく唸り声を。それが合図だったのだろう。
「ひっ」
矢が、迫る。
とぼとぼと、そんな沈んだ足音が似合うような少女が森の中を歩く。行きは嬉しげに通った道のはずなのに、帰りの表情はまるで真逆のものであった。
一見無防備に見えるが、彼女を襲う愚かな魔物はゴブリンや灰狼くらいだろう。とはいえそのどちらも、シオンなら素手で瞬殺できるから問題はない。
故に少女は散歩のような歩みで、森の中を闊歩することができるのだ。今日はそんな足取りではないが。
「調味料、貰えなかったこと謝らないと。備蓄足りるかな……」
家で自分の帰りを待つ、親しい人間の困ったような笑顔が思い浮かび、さらに心が沈んでしまう。
この世界にも通貨はある。しかし、基本的に人と接触しないシオンは、物々交換で調味料などを手に入れていた。普通の村人では狩れない高級食材となる魔物も、シオンなら朝飯前で狩ることができる。
なのだが、今日は量が足りないと突き返されてしまった。この一ヶ月、仁との日常が増えて、あまり狩りに行けてないのだから仕方がない。
「……本当は、足りてるよね。騙されてる、よね」
しかし本当のことを言えば、シオンも気づいている。量が足りない訳がないと。ぼったくられてると。
「でも、こういう地道なお裾分けしていけば……いつかは」
ずっと前から心にある想いを口にしながら、石を投げられて出来た全身の痣に治癒魔法をかけていく。この傷を仁に見られる訳にはいかないのだから。
あのお人好しの少年は、きっと心配してしまうだろうから。
「何て言い訳すればいいのかな。バレたくないな」
結局、あの少年のことを思い出してしまう。胡椒の在庫はほぼ無かったはずだ。塩があるだけ、まだ味のある料理になるだろうか。
「ま、とりあえず明日は楽しみだしね」
明日が楽しみ。こんなことが、人生で何度あったろうか。そう思うと不思議と足取りは弾む。
「変な話も聞いたけど、仁なら知っているかしら。魔物数が増えたり、変な黒いものが空の彼方に見えたり……ん?」
村人達からお前のせいかとあらぬ疑いをかけられた、不思議な話。同じく不思議な少年なら、その答えを持っているのではと考えたところで、聴覚が反応した。
「……仁?」
微かな、幻聴かと疑うほどに微かだが、今自分が考えていた少年の声が聴こえた気がした。家までの距離はそうないが、声が聴こえるほどの距離でもない。
そう、普通なら。
身体強化の魔法を惜しげなく使い、五感を強化。常人の何倍にも鋭くなった聴覚をフルに使い、音を聴きわけていく。
草木の揺れる音。虫の鳴き声。動物たちの唸り声。川の水のせせらぎ。何かを打ち付けるような音。そして。
「聴こえた」
今度こそ間違いない。仁の声が聴こえた。いや正しくは、
「悲鳴!?」
皿でも割ったのか、いや、そんな呑気な悲鳴じゃないと考え直す。耐えられない肉体の痛みであげる悲鳴だ。シオンには分かる。だって彼女がかつて、何度もあげた悲鳴だから。
身体強化された脚で地を蹴り、走り出す。肉体の限界までの強化だ。一分もかからず着けることだろう。
けど、今のシオンにはその一分さえ、もどかしかった。
十分がすぎたか、あるいは五分か。一分の道のりなのに、体感時間はもっと長かった。
「そういうこと」
ようやく駆けつけた見慣れた自分の家と、それを取り囲む醜い小鬼の群れ。低い知能な割に驚いてるのが見えたが、今のシオンにとって、そんなことはどうでもよかった。
「私の留守に、腹いせかしら?」
いたぶられ続けていた少年の姿だけが、黒い瞳に映っていた。
「助け、て」
その無惨な姿に。初めて親愛などの暖かい感情を抱いた少年の、腕と木を剣で縫い付けられ、宙に吊るされた姿に。
「生き、たい……死にたく、ない」
少年が呟いた心の底からの渇望に。
「安心して。私が助けるから」
シオンは視界と心を激情で赤く染め上げて応える。
そして少女は自らの頰に、剣を深く突き立てた。
『魔法陣』
決められた模様や文字を、魔力を込めて描いたもの。触れることで、陣の形にに沿った魔法を発動することができる。
描く時に予め魔力を込められているので、普通に発動するよりは消費が少ない。描く時に込める分と発動時の消費の総量も、普通に発動するよりも僅かながら少ない。これは、描く際に大気中の魔力が張り付くからではないかと言われている。
普通に発動する場合だと時間がかかる魔法も、魔法陣を用いれば大幅にその時間を短縮できる。また、描かれた陣が基準となっている為、才能の無い者や適性の低い者でも、一定の効果で発動できる。
しかし、最大の利点はなにより、魔法陣を用いることで、同系統の発動枠が増えることだろう。人が元から持つ枠で一枠、陣によって追加の一枠、計二枠まで増やすことができる。手数・効果は単純に考えて倍。二種の魔法の組み合わせによっては、数倍の手数や効果を期待できる。
だが、代償として同時発動には頭痛や吐き気が伴う。理論上、三枠以降も増やすことができるとされてはいるものの、あまりの痛みによって失神してしまう為、成功例は無いに等しい。
また、陣が発見されていない魔法も数多く存在する。そのほとんどが系統外であり、系統外は陣化できないという認識が一般的である。
他にも、虚空庫から一々取り出して触らなければならない。事前に刻む必要があるなど、手間がかかる為、生死を分けるような状況でもない限り、大多数の人間はあまり使いたがらない。
紙に描かれることが多い。次点で武器や防具。多少値は張るが、店で買うこともできる。
 




