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幻想現実世界の勇者  作者: ペサ
幻想現実世界の勇者
199/266

その花の名前。



 父と母は、娘を愛していた。愛してはいけない我が子を、愛してしまった。彼らがどのようにしてシオンを守ったのか。また、その時何を思っていたのか。これはそんなお話です。


 その男にはもう、何の力も残されていないはずだった。いや、現実そうだ。無敵に近かった系統外も破られ、後はただ死に行くのみだった。


「あははははははははは!滑稽だなサルビア!俺達とお前らは何も変わらない!ただ、目が黒くて髪が黒かっただけだ!何か一つ、馴染めない要素があっただけだ!」


「……その時点で違うだろう」


 立つことすらままならず、地べたに這い蹲って笑い続ける黒髪に剣を向けて否定する。彼は忌み子で、サルビアは騎士だった。この時点で、絶対的な違いがあった。


「いいや違わない!この世界全ての人間が、違うからだ!意味分かるよなぁ!違っていて当たり前なんだ!なのに、お前らは俺達を排斥した!」


「『魔女』と『魔神』を復活させろと?冗談じゃない」


 しかし、彼は笑い続ける。破綻したように聞こえる論理だが、彼の中では筋が通っているのだろう。サルビアにも、僅かながら理解くらいは出来る。だが認めるわけにはいかず、正論を振りかざして黙らせる。


 忌み子を斬りたくて斬っているわけではない。殺したくて殺しているわけじゃない。そうしないと、大多数が死ぬから切り捨てるのだ。これが、忌み子を斬る理由。正義の為の口実。


「復活するかも分からない化け物の為に、ただ黒髪黒眼だった罪無き者を皆殺しにしろと?こっちからしたら冗談じゃない」


 男も、正論には正論で返した。血反吐とともに吐き出した正論は、サルビアとは真反対にあるもの。切り捨てる側と、切り捨てられる側。正論なんてもの、視点が変わればあっさりと切り替わる薄情なものだ。


「そもそも、忌み子の絶滅なんて出来るのか?俺らは、いきなり現れるんだぞ。そんな事も分からないのか?」


 両親が忌み子の場合、子もほとんどが忌み子になる。しかし、此度の戦争を巻き起こした忌み子達のほとんどは、このケースではない。普通の両親から、いきなり産まれた忌み子なのだ。


 隔世遺伝なのか、突然変異かは分からない。しかし、忌み子はどんな家庭であれ産まれる可能性がある。永久に絶滅させる事など、絵空事にしか思えない。現にかなりの数を取り逃がし、今回の戦争が引き起こされた。


「分かっているし、出来るとも。産まれた時点で判別して、殺せばいい」


「……嫌いだなぁ。お前ら。産まれたばかりの赤子でも容赦無しかよ。選ぶ事なんて、出来なかったのに」


 だが、これからは違うとサルビアは断言する。産まれた時点で殺す事を徹底すれば、忌み子の根絶は決して不可能ではないと。例え愛しき我が子でも、忌み子ならば殺すべきだと時代をかけて考え方を植えつければ、可能だと。


「女子供を虐殺した奴らが、何を言っている」


「ははははははははははは!聞いたかよ?聞いたかよ!先にやったのはどっちだ?俺らがしたのは平等だ!やられたから、やり返しただけだ!そうだろ?好きだろ?平等!」


「貴様らとは存在が違いすぎる。運命も俺も、なんだって恨むがいい。ただ、俺達は世界の為に斬るだけだ」


 目には目を、歯には歯を。虐殺には虐殺で返したまでで、男は平等だと、むしろ足りないと笑い続ける。これ以上の会話に、きっと意味も正しさもない。ただ、間違いしかないとサルビアは剣を振りかぶる。


「言ったな?恨むぞ。呪うぞサルビア・カランコエ!いいや、この世全ての存在をだ!俺らを嫌った世界をだ!」


 血を吐き、眼から血を流し、動かない身体を震わせて、彼は怨嗟を吐き続ける。そこには、地獄があった。醜く、目を逸らしたくなるような、血と罪に塗れた地獄があった。


「俺は嗤おう!地獄だろうが無だろうが、どこからだって貴様らの愚かさを嗤おう!所詮自分のことしか考えられない弱者が寄ってたかって、排斥して殺し合う様を嗤おう!仲間割れして裏切って、憎み合う様を嗤おう!」


「ああ。好きにするといい。どうせその声は届かない」


「必ず、必ずだ。貴様らには必ず、報いが」


 サルビアは目を逸らすかのように、地獄を断ち切った。迷いを含んだ太刀はそれでも、何の力もない虫ケラのような男の首を綺麗に刎ねて、黙らせた。











 それから月日は流れた。戦争の後処理、戦友達の死を悼み、向き合い、乗り越えてようやく、幸せな平和な月日がやってきた。


「あなた。お願い。そばに……」


 愛する人との結婚。少し経ってからの妊娠。そして今日ついに、産まれるのだ。


「ああ。いる」


 苦しむ妻の手を握り、痛みのない己の身体を呪う。彼女は本当に辛そうにしているのに、痛がっているのに、肩代わりしてやることができない。ただ手を握ってそばにいることしか、できなかった。


 早くこの時間が終わって欲しかった。まだ顔も見たことがない我が子に早く会いたかったし、妻の苦しみが早く終わって欲しかった。


『旦那様。そんな心配そうな顔をしないでください。不安が奥様に伝わります』


『……しかし』


『いざという時に備えて、しっかり産婆が四人、医者が二人、過剰に控えております』


 脳内に直接声が響く。それは父の代からカランコエ家に仕える執事、ベロニカからの『伝令』だ。隣室にいるはずなのに、サルビアの不安な顔を見抜いて叱りにきたのだ。


『お父上の胃と心臓が、緊張と心配で限界なのです。ぶっちゃけそっちに意識を割かせてください』


『……すまない。そういう父親で』


 同じく隣室で控えているサルビアの父も、自分以上に緊張しているらしい。過剰に控えている医者が役に立ちかねないとため息をついたベロニカに謝罪しつつ、再び妻に意識を向ける。


「……なにか、言ってくれないの?」


「あ、いや、頑張っている人間に頑張れと言うのは違う気がするし、大丈夫とも言える状況でもないし……なんて言えばいいのか、分からない」


 他人と会話していたサルビアに、痛みで顔を歪めながらも彼女は少しむくれている。だが、サルビアはかける言葉が見つからないと、言葉をかけた。本当に剣を振る以外に能がないと、彼は自嘲する。


「第一、痛いのはお前だし、そういうことを言われたら苛立つのではと。だから、こうして側にいることしかできない」


「ふふっ。あなたらしいわ。安心した」


 しかし、妻はその言葉で安心したように微笑んだ。剣を振る以外不器用だから否定するのではなく、むしろそんな彼を肯定するような「らしい」だった。


「……そうか。なら、よかった」


 祈ることしかできない。剣ではどうにもならない事態に、彼は無力さを痛感する。一昔前には感じたことのなかった形の、悔しさだった。


 でも、彼はその悔しさを抱えたまま、心配で不安で応援したくて無事を祈りたくて、安心させたくてずっと側に居続けた。そして、分娩室に入ってから二時間半が経って、その時がやってきた。


「頭が見えましたよ!あと、もう少し……えっ?」


「どうした!」


「い、いえ。大丈夫でした……つ、続けます」


 産婆の戸惑った声に、サルビアが声を震わせる。しかし、産婆は戸惑いながらも命に別状はない、大丈夫だと説明して持ち場へと戻ってしまう。何かがおかしいと思ったが、最大の痛みに苦しむ妻の姿に、サルビアはいっぱいいっぱいで気付かなかった。


「……産まれ、ました」


「ああ、ありがとう……!」


 そこから先は、すぐだった。肩まで出てからはいともたやすく全身が出てきて、初めての空気に触れて、赤子は元気いっぱいに泣き出した。産まれたと言われてまずは妻に感謝の言葉を述べて、そしてついに産まれてきてくれた我が子の姿を見て、


「……は?」


「どうしたの?……え?」


 夫婦揃って、凍りついた。血にまみれていたけれど、はっきりと分かったから。赤子の髪の色は、父親とも母親とも違う真っ黒で、


「旦那様!どうなさいましたか!こ、これは……」


「……報いか」


 二人の子供は、忌み子だったから。


 控えていた産婆も名医も、このいざという時には何の役にも立たなかった。










 赤子は生まれた。へその緒を切った。でも、これで出産は終わりじゃない。胎盤が出てくるのを待ったり、様子を見たりとまだ数時間、妻は分娩室から出てこれない。


「……」


 暗い、死んだような顔でサルビアは一人、夢うつつのまま案内された部屋で考えていた。子供を見てから放心してしまって、とてもじゃないが妻の側に居られる状態ではなかった。


「あいつの、呪いか」


 思い浮かぶのは、数年前にこの手で斬った男の言葉。最悪の忌み子。『魔神』ならぬ『魔人』。戦争の引き金を引いた、黒髪の主導者。彼が最後に吐いた、ありとあらゆる呪いの言葉。


「……なんで、妻と、子供なんだ」


 思ってしまうのは、なぜ自分達なのかという不平等への恨み。忌み子でない両親から忌み子が産まれる確率なんて、数万人に一人くらいのはずだ。なのになぜ、よりにもよって自分達だったのだろうか。


「……どうすれば」


 考えているのは、これからのこと。忌み子である以上、赤子だろうが子供だろうが、例え貴族だろうが容赦はない。殺すしか、ない。それが普通。当たり前。


「私達なんて、どうでもいい」


 例え殺しても、醜聞はついて回るだろう。大貴族のカランコエ家に忌み子が産まれた話が、城下を駆け巡るだろう。『黒髪戦争』の大英雄の子供が、忌み子だったと知れ渡だろう。だが、そんなことはいいのだ。知ったことではないのだ。


「……どうしたら、いい」


 サルビアの心にあるのは、家の体裁などではない。やっと産まれてきてくれた我が子を殺したくないという気持ちと、殺さねばならないという気持ちだ。矛盾し、相反し、ぶつかり合っている感情だ。決して共存することはできない、選ばなければならないものだ。


「他の者に強いてきたのは私達だ」


 忌み子は産まれた時に殺すべき。例え愛していても、そうしなければならない。その考え方を世間に定着させようとしてきたのは、サルビア達だ。今になって思う。所詮、対岸の火事の認識だったと。自分が火事に遭うなんて、これっぽっちも考えていなかったと。


「こんなに、辛いのか」


 そして、いざ自分が火事になれば、どれだけ辛いのかと。忌み子の赤子を殺せなかった母親を、見たことがある。引き剥がされて連れて行かれる我が子に手を伸ばし、必死に泣き叫んでいた。後で知ったが、赤子の死を伝えられた彼女は自殺したらしい。今なら、その気持ちが分かる。


「…………斬らねば、なるまい」


 虚空庫から愛剣を引き抜き、その刀身を眺める。綺麗な鉄の剣だ。曇り一つない、最高の鉄だ。この剣なら、サルビアなら、赤子を斬るなど造作もないこと。一瞬にさえ満たない刹那に、痛みもなく殺せる。


「どうか、許してくれ」


 初めて本心から忌み子に申し訳ないと思った。そして考える。妻はどうするだろうか。止めるだろうか。それとも、止めないのだろうか。もし止めるようだったら、殺し合いになるかもしれない。離婚はほぼ確定だろう。だが、彼女が腹を痛めて産んだ子を、産まれてすぐ殺すのだ。それくらいの覚悟はせねばならない。


「……」


 物心つく前に、何も分からない内に、死ぬことなんて知らない内に、情が移る前に、皆に知られる前に、痛みもなく殺してやるのが、せめてもの慈悲だ。言い聞かせるようにいくつもの理由を探して、殺意を無理矢理増幅させる。そうしないと、剣が握れなかったのだ。


「旦那様。どちらへ行かれるおつもりで!」


「斬る」


「っ!?」


 部屋の外で待機していたベロニカに、端的に全てを告げる。彼にしては非常に珍しい、心の底から衝撃を受けた顔を早歩きで通り過ぎて赤子のいる部屋へと向かう。


「待ってください!せめて、せめて奥様と話し合ってからに!」


「いい」


「今後のことを考えてください!斬るにしろ斬らないにしろ、話し合って決めねば亀裂が」


 必死に引き止めるベロニカを睨み、黙らせる。力による睨みではない。これは覆らないという睨みだ。


「どちらにしろ、もうこじれた。彼女はそういう人だ」


 分かっているとも。忌み子の赤子を産んだ。それだけで彼女はきっと、傷つく。愛したいのに愛してはいけない存在を産んでしまったことを、後悔し続ける。優しさ故に我が子に申し訳ないと思い、責任感故に殺さねばならないと思う。そしてその狭間で揺れて、壊れそうになるのだ。そういう女性で、サルビアはそういうところに惚れたのだ。


「っ……!申し訳、ございません!背かさせていただきます!」


「……いい。私の方が、早い」


 言うが早いか、ベロニカは命令と主人に背を向けて走り出した。妻と赤子は別室に分かられている。ベロニカが妻に告げ口するより、サルビアが赤子を斬る方が早い。早足ではあったけれど走らなかったのは、少しでも先延ばしにしたかったからか。分からない。分からないが、彼は扉に辿り着いた。


 部屋の中には何人か、侍女や医者が控えていることだろう。だから、止められる前に、斬る。有無を言わさず、サルビアが部屋に入ったことに驚いている内に先手を打ち、斬る。想定完了。この計画だと考えて、扉を開けた。


「動くな」


 たった一言。それだけで制する。小さな赤子用のベッドへと最短の距離で近づいていく。全ては計画通り。後はベッドごと斬れば、それで済む。


「……出て行け」


 先の命令を否定し、新たな命令を下す。忌み子とはいえ赤子。殺害の瞬間は一般人にも医者にも酷なもの。故に、気遣った。本当に気遣いだけだったかと言われれば、


「……」


 考えを打ち消すように一呼吸。あの戦争に参加した時、いや、人を初めて斬った時からその覚悟を決めただろうと剣を振りかぶり、


「……っ!」


 赤子を見てしまった。まだ産まれたばかり。何も知らず、今までとは違う世界に驚き、適応しようとしている小さきか弱き存在。斬ろうと思えばすぐに殺せる。何の魔法も使えず、剣なんて握れるわけもない。


「……ぐっ、あっ……」


 なのに斬ることができない、我が子だった。


「あなたっ!」


 やっと見つけた。見つけてしまった。そう思った瞬間に、壁がぶち破られた。青い顔で体を引きずりながらも、全力で部屋へと飛び込んできた妻の魔法だ。廊下を走るよりも真っ直ぐに、ここまでの部屋の壁全てをぶち抜いてきたのだろう。


「……プリムラか」


「間に、あったの?」


「……君は、どうしたい?」


 しかしそれでも、サルビアの方が早かったはずだった。だというのにまだ彼は斬っていない。間に合った事実にくらむ瞼を見開いたプリムラに、サルビアは問う。ここまで急いできたのは、なぜか。我が子を生かしたいのか。サルビアの手を汚したくないからか。話し合いたかったからか。


「……さっき私、この子を抱いたの。この腕で」


 それは、忌み子だと知って茫然自失となったサルビアが追い出された後の話。忌み子ではあったけれど、他の子達と同じように産まれてすぐ母の胸と腕で抱いた時の話。


「だから、ごめんなさい。私、この子だけは殺せない……殺、させない」


 それは当たり前で、身勝手な感情。今まで殺してきた忌み子にも親がいた。我が子と同じような境遇の子なんて腐る程いた。なのに、我が子だからと、殺すことを拒んだ。殺させたくないと、思ってしまった。


「こんなことダメだって分かってる。分かってる!分かってる、けど!」


 今までに殺された忌み子が聞けば、どれだけの憎しみを抱くだろうか。今までに忌み子を殺してきた騎士が聞けば、どれだけの怒りを抱くだろうか。自分の子だけは。そんな身勝手、許されるわけがない。


「私には、無理なの」


 しかし、小さな暖かさを抱いたその時、例え許されなくても、我が子と思ってしまった。守りたいと思ってしまった。殺したくないと思ってしまった。殺させないと思ってしまった。


 人は、思うことをやめることはできない。


「……名前、まだ決めてなかったな」


「え?ええ。男の子か女の子か分かってから……」


「シオンにしよう」


 それは遥か古より伝わる、名前に使われる単語の中の一つ。普段の言葉ではほとんど使われない、願いが込められた文字列。


「この子は必ず私達の手を離れ、遥か遠くへと行くだろう。でも、それでも、この思ってしまった思いだけは嘘ではないと」


 意味は、『遠方にある人を思う』。まさにこの子にぴったりだ。


「ああ。お前さえ良ければだが……」


「うん。シオンがいいわ。そうしましょう……でも、それって」


 殺すつもりなら、そんな意味を込めた名前をつける必要がない。どこか期待したように見つめてくる妻に、


「私は、見つけてしまったらしい」


 斬れぬものなし。いつかは魔女と魔神さえ斬り裂くとうたわれた男が、初めて斬れなかったと。ついに見つけてしまったと、彼は苦笑する。


「……守る為なら、何でもする覚悟はあるか?」


「ええ。世界中から石を投げられようと、私が死ぬとしても」


 この子を守るということは、今までの全てを裏切ることと同義だ。自分勝手だと、ふざけるなと誰もが非難するだろう。誰もが恨むだろう。世界中の人々の命を危険に晒すだろう。それでも、醜くても私はやると、プリムラは言った。


「例えこの子を地獄に叩き落としても、か?」


「……どういう……?」


 ああだがしかし、サルビアの言葉には戸惑った。自分が石を投げられるのは構わない。恨まれるのも当たり前で、殺されても文句は言えない。だがそれは全て子を守る為だ。子供が死んでは元も子もない。


「守るにはこれしか思いつかなかった。この方法なら、守れる」


「……本当に?」


 しかしそれでも、この方法だけがシオンを守る唯一のならば。


「この子を守るなら、親をやめねばならない」


「でも、この子を守れるなら」


 これは、親が子供を守った美談ではない。今まで他人に強いてきたことを、いざ自分の子供となれば嫌だと拒絶した身勝手な話だ。世界中の人々の命を勝手に危険に晒した無責任な話だ。共に戦ってきた戦友や仲間、慕ってくれた者達を裏切った話だ。理由はどうあれ、子供に惜しみない暴力を振るった話だ。


 子供を守ろうとした、醜い親の醜いお話だ。











 二年間は、存在を隠し続けた。産まれた瞬間に立ち会った者達に、忌み子を産んだなど知られたくないと言って大金を渡して口を封じた。全ての真実を知っているサルビアの父親、執事に妹夫婦には頼み込んで、協力して口を噤んでもらった。


 その二年の間、普通の家族でいられたか?答えは断じて否だ。首が座ってしばらくして、すぐに虐待は開始された。いつバレるかは分からない。誰が見ているかは分からない。だから早めに、傷という愛していない証拠をつけねばならなかった。


 二年より先、存在を隠すのは無理だった。大貴族に産まれた子供を一切外に出さないなど、不自然極まりない。疑心が高まった二年目に、サルビアとプリムラは存在を公表した。


 その後も虐待は続き、激しさを増していく。剣術で斬り、体術で痛めつけ、魔法で炙って裂いて溺れさせて苦しませる。毒を飲ませた回数は数え切れない。ありとあらゆる苦しみを、味合わせた。


「最近の研究でねぇ?魔法に触れれば触れるほど、抵抗が上がるらしいんだ」


「……頼む」


「もちろん。先のことを考えれば二重の意味。ああ、君達の感情を含めれば三重か」


 何の意味もなく、ただ世間の目を誤魔化す為に痛めつけていたわけではない。剣で斬ったのは物心つく前に、剣を覚えて欲しいから。体術で痛めつけたのは、身をもって知って欲しいから。魔法で苦しめたのは、扱いと抵抗を上達させたかったから。毒を飲ませたのは耐性をつけたかったから。痛めつけ続けたのは、痛みに慣れて欲しかったから。


「世界中を敵に回しても、生き残る強さに育てなきゃならないならない、ですよね?」


 ルピナスの言う通りだ。全て、全ては未来の為。いつかシオンは世界中から追い回され、殺されそうになる。味方なんていない状況で、一人で戦わなくてはならない。だからサルビア達は、今のうちに教えれるだけを教えて、与えられるだけ与えておいた。


 並の騎士をものともしないような剣技を。無数の騎士に囲まれても、避けられるだけの体術を。絶望的な戦況を切り開くような魔法の扱い方を。何度魔法を浴びても、傷つかない抵抗を。毒を盛られようとも、毒しか食べるものがなくなっても、生き延びられる耐性を。いくら傷ついても戦えるような、鈍感な痛覚を。


「うわああああああああああ」


「泣くなっ!みっともない!」


「…………う、うう……」


 その為に、反撃なんてできない我が子を斬る。泣き叫ぶことしかできない我が子の骨を折る。心が悲鳴をあげようと、魔法を撃ち続ける。代わりたいと願いながら毒を盛る。


「……才能が、ある」


 三歳になる頃には、シオンは剣を握るようになっていた。自分の身の丈もある剣に触れて、少しでも痛いのを減らそうと振るっていた。それを見たサルビアは、驚愕した。


「私と同じだけ、いや、もしかしたら」


 自分の剣を継いでいる。この子はきっと、強くなる。それは嬉しいことだった。少しだけ、この子の未来が明るくなることだったから。


「すごい魔力」


 同じく三歳の頃。シオンは魔法を扱うようになっていた。たしかに、早い子はこの年齢で使い始めてもおかしくはない。しかし、シオンは違う。別格と言っていい。日に日に増える魔力を見て、プリムラは腰を抜かした。


「……うん。この子は、私の子」


 そしてそれ以上に、才能があった。本能で魔法の使い方を知っているような、才能だ。さすがにプリムラが持っていた系統外はないけれど、それでも才能だけならきっとほぼ同じ。これだけの魔力と魔法の才能があれば、大多数に囲まれても生き残れるかもしれない。


 サルビアが任務でいない時はプリムラが。プリムラもいない時は、プラタナスとルピナスが。遊ぶ暇なんて与えられない。永遠と続く拷問日常。起きては痛めつけられ、苦しめられ、泣き叫んで疲れ果てて、血を吐いて死んだように眠る日々。そしてまた起きて、地獄が始まるのだ。


「こんなこともできないのっ!?この、出来損ない!」


「ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!」


 五歳になる頃には、そこに家事の練習も追加された。掃除、洗濯、料理と、一人で生きていく上で必要なことを、徹底的に叩き込む。埃一つ残っていれば、斬り裂く。服のシワは許さず、肌を焼く。作った料理は不味いとゴミ箱に。余りにも理不尽で、まるで罰を与える為に教えているようだった。そう、見せかけた。


「剣を振るえ!死にたくなければなぁ!」


「ごめんなさい。ごめんなさい」


「言うことを聞きなさい!本当にダメな子ねえ!」


「ごめん、なさい」


 それは王の命令によってやってきた監視員が目を背けるような、吐き気を催す程胸糞の悪い光景だった。ただ見るだけのはずの監視員が思わず止めに入った程なのだから、それは相当だった。


「ごめん……なさい……」


 忌み子の子供が憎しみのはけ口として生かされていると知った世間は、同情した。余りにも酷すぎた。可哀想すぎた。いくら忌み子とはいえ、楽に死ねる権利はあるだろうと、多くの者が叫んだ。


「……」


 それでも、サルビアとプリムラはやめなかった。いつまでもいつまでも、死なない限界まで殺しかけた。









「ふふっ……あの子ったらね。最近すごく、料理が上手なの」


 その裏。シオンが寝て、誰にも盗み聞きされていないと魔法で確かめてから、夫婦の部屋。プリムラは虚空庫からシオンの料理を取り出し、サルビアと一緒に食していた。


「もう私より上手じゃないかしら?」


「まだお前の方が上だ」


「……嬉しいけど、複雑ね」


 プリムラはシオンの料理を全てゴミ箱に捨てている。いや、正確に言うなら、ゴミ箱に捨てるフリをして、全て虚空庫に入れているのだ。そしてシオンが寝静まってから、サルビアと一緒にそれらを残さずに食べる。


「どう?剣の方は?」


「ああ、すごい。もう並の騎士なら相手にならん」


「……それは、いいことだわ」


 そして二人で、今日の娘の成長具合を話し合うのだ。成長を喜び、自分達のしたことに苦しみ、泣くのだ。感情なんてごちゃ混ぜで、訳が分からないまま会話するのだ。我が子を壊す行為は、二人の心も壊していった。










 それからも問題なく、日々は続いた。一度、一度だけサルビアが肝を冷やしたのは、何年か振りに親友の家を訪ねた時だった。


「相変わらず、いい趣味の庭だな」


 友人は急用で外に出ていて、しばらくしたら戻ると聞いていた。だからそれまで、庭園を見て回っていた。


「庭師に少し、頼んでみっ!?」


「曲者!」


 声をあげて突っ込んでくる、蒼い髪に青い瞳の小さな子供。歳は九歳ほどだろう。どうやらサルビアのことを知らないらしく、家に侵入した曲者と勘違いしているらしい。


(これは、不味い!)


 だが、サルビアはその子供を知っていた。もっとも警戒すべき子供だと、プラタナスに言われていたから。

 

 その子の名は、ティアモ・グラジオラス。親友の大切な愛娘にして、心を読む系統外を持つ者。


「くっ!」


 だが、対策をしていなかったわけではない。プラタナスから渡されていた『奴隷の首輪』を、サルビアは咄嗟に発動させる。それは絶対の強制。したくはなかったこと。でも、背に腹は変えられず。シオンに対する記憶を全て、憎しみのものへと書き換えた。


「隙あり!」


「いい、太刀筋だ」


 故に、反応が遅れた。飛び込んできた剣に腕を斬られ、シオンのことをすっかりただの忌み子と思うようになった彼は獰猛に笑う。


「……え、嘘……あ、貴方はもしや、さ、サルビア・カランコエ様!?」


 どうやらやっと系統外で心を読んだらしい少女が、斬りかかった相手の正体に気付いて気絶しかける。


「おーい。すまん。遅くなったな!おっ?なんだなんだ……嘘だろ」


 ちょうど同じく、急用から灰色の髪の少年と共に帰ってきた親友は状況を理解するなり、口を大きく開いた。

 

「この歳でサルビアに傷つけるとか、うちの子天才か」


「……貴族の娘が大貴族に傷つけた。なぁ、これ。大問題じゃねえの?」


「……はっ!?」


 最初はもう最高の笑顔で娘を賞賛して、そして隣の少年に突っ込まれた婿養子の親友は、顔色を真っ青に変えた。








 その他に特に時間もなく、日々は過ぎて行く。ありとあらゆる剣術と体術、魔法、戦闘技術、知識、家事全般から建築や生存術。与えられる全てを、理不尽な暴力の裏に隠して与えた。そう、殺人の壁を乗り越える方法も、僅か一桁の少女に叩き込んだ。


 もう限界で、頃合いだった。世間の目はこれ以上欺けない。もう一人でも、生きてはいける。寿命は全うできないだろうが、彼女が殺されるその日までに、魔女と魔神を滅ぼせはいい。器を交換させずに殺す方法を、なんとしてでも見つけ出せばいい。その間耐えられるだけの強さを、与えられた。


 だから十歳の誕生日を、その日と決めた。その日の前日は、前日だけは、死刑執行の前の日だからと、豪華な食事を振る舞った。大切で愛おしくてたまらない我が子なんかとは到底釣り合わないような、今までしてきたことなんかとは全然釣り合わない程度の、豪華だけど足りない料理だった。


 美味しいという概念を初めて知ったシオンが、必死に泣いて食べる様子を見たサルビアとプリムラは、涙をこらえるので必死だった。自分達の罪を、思い知らされるような、そんな前日だった。


 そして誕生日当日。サルビアはシオンの心臓の隣に剣を突き刺し、崖の下の川へと突き落とした。監視員にそれを見せつけるように、殺したと証明するように。


「……ごめんなさい……」


 崖の下で控えていたプリムラは謝りながらシオンを抱きかかえ、一族に伝わるとある家へと秘密裏に運ぶ。その間、容姿の似ているルピナスが影武者となり、風邪をこじらせたと部屋にこもることで監視の目は誤魔化した。


「本当に、ごめんなさい」


 傷の手当てをしながら、生死の境目を彷徨うシオンへと謝る。死なない程度に手加減されているとはいえ、これだけの傷だ。数日、意識は戻らない。その数日の間に、影武者がバレない間に、運ばなければならない。


 プリムラは、相当な無理をした。シオンを揺らさないように魔法で運び、血の匂いで襲いくる魔物達から娘を守り続けた。時間がないが故に眠ることもせず、不眠不休で遠くにある森の家を目指し続けて、そして。


「ついたわ。ここが、これから貴方が住む家よ」


 容態の安定したシオンをベッドに横たわらせ、その間に家全体を掃除する。強行軍で体力なんてもう尽きかけている。だがそれでも、これは私の仕事で、私がしてあげられることだと。埃一つ残さぬよう、彼女は掃除しきった。


「……貴方にあげれたのは、強さと生きていく知恵と知識と、この家。そして、この剣だけ」


 サルビアから預かっていた、カランコエ家に代々伝わる剣の片翼を、床に置く。それは、白銀の剣。この子を守ってくれますようにと、願いの込められた最上級の一振り。


「貴方は知らないし、知ることもないと思うわ」


 苦しそうな寝顔を見て、髪を撫でて、今までしてきたことが到底信じられないような優しい声で、話しかける。


「酷いじゃ足りないようなことをたくさんしてきたけれど、お母さんとお父さんは、貴方をずっと愛しているから」


 ずっと、言えなかった言葉を。言う資格なんてないと思っていたから、言えなかった。でも、これが今生の別れになるかもしれないから、思わず言ってしまった。


「お母さんじゃ、休まらないか」


 いくら撫でても、シオンの顔は険しいまま。当たり前だろう。今までの苦痛の原因が、就寝中という無防備な瞬間に側にいるのだから。心が休まるわけがない。怪我による気絶でなければ、飛び起きていたかもしれない。


「いつか貴方に、一緒に寝れるくらい心が許せる人が現れることを、願っているわ」


 故に、願う。自分じゃできなかった、シオンでも分かるような愛の注ぎ方をしてくれる誰かが、いつか現れてくれますようにと。


「本当に、ごめんなさい……!ずっと、愛してるから」


 長居はできない。愛する我が子の手を離して、プリムラは帰路に着いた。


 早く帰ったこと、そして帰ってきたプリムラが本当に体調を崩していたことで、影武者はバレなかった。しかし、この強行軍による衰弱でプリムラは病を患い、六年後にこの世を去ることになる。









 シオンを森の家に逃がし、世間的に死んだことにした後も、サルビアとプリムラの戦いは続いた。ちなみに、イザベラ・リリィがサルビアに剣の教えを請いにき始めたのはこの頃である。


 まずは、シオンを器とせずに、魔女と魔神を葬る方法。これは多くの者が長年追い続けた課題であり、今までと違って隠さなくても良かった。しかし、多くの者が追い続けても答えの出ない難題でもあった。なにせ、『記録者』の記録を覆そうというのだ。


 だがしかし、文章など読み手によって受け取り方は変わるもの。もしやなにか抜け道はないか。サルビア達は『記録者』の身柄を探すことに必死になった。


 他にサルビアが行ったのは、情報の掌握。全世界から集まる忌み子の情報を一つ一つ調べ、シオンらしき者を地位と権力によって握り潰す。一切の痕跡を、残さなかった。


 魔女と魔神を倒す方法を探し、娘を守ろうと情報を操作する日々。最後までシオンのことを気にし続けた妻の死に泣き崩れ、そしてあの日に。サルビアにとってのあの日とは、世界が融合した日ではない。親友の娘の死は大変心苦しかったが、それでも違う。シオンと再会した日こそ、あの日だった。


 娘と共にいた少年に腹が立った。その弱さではなにも守れないだろう。守れるだけだろう。結婚は許さないと思った。


 少年が娘と共にいたことが、嬉しかった。弱い。弱いがそれでも、娘を人間として扱ってくれる。それだけで嬉しかった。


 大きくなった娘が、嬉しかった。この歳まで生きていてくれて、涙が出そうだった。自分と妻が与えたものが役に立っている。それだけで、十分だった。


 久しぶりの剣の稽古が、たまらなく楽しかった。あれから剣を振るっていたのだろう。以前より少しだけ、成長していたから。


 嬉しいやら腹立たしいやら。父親とはこういうものかと、様々な感情に翻弄されながら思う。そうして殺さないように手加減し、仁の身体を貫いてきた剣に大いに驚ろかされ、見逃した。本当なら、仁の身体を貫いた剣に対処して、二人まとめて斬ることはできた。しかし、サルビアは娘も少年も斬りたくはなく、見逃すにはちょうどよかったのだ。その後も理由を探して、追跡をやめさせた。


 だが、その後だった。サルビアは、『記録者』を問いただして知ったのだ。現状、魔神を完全に滅ぼす方法はないと。肉体が滅んだ瞬間、違う誰かに乗り移ると、聞いたのだ。


 塔の報告はすでに聞いていた。魔力量的に、中に魔女がいるのは間違いないとも。そして、『記録者』はこうも言っていた。時間がない、と。合わせて考えれば分かる。あの塔は長くはもたない。


 苦悩した。どうすればいいのか。悩み続けた。復活が遙か先の話なら、娘から目を逸らして生きられただろう。だが、その選択肢はない。近いうちにいずれ復活する。その前に忌み子を殺し尽くさねば、負ける。


 娘か、世界か。どちらかを捨てねばならない。選ばねばならない。捨てるにはあまりにも、騎士団も娘も大切過ぎた。一昔前なら娘を選べたのに、今やもうどちらも選べなかった。選べないから、消去法で決めた。娘を選んだ先に何もないのなら、娘を斬るしかないと考えた。


 世界は、忌み子を絶滅させる為に動きだした。動員できるだけの人員を動員しての、人海戦術。世界規模で行われたそれは、瞬く間に各地に隠れていた忌み子をあぶり出し、殺し尽くした。本当に、絶滅まで後一歩と迫って、グラジオラス騎士団が敗走した。


 それは、忌み子の最後の街。『勇者』と娘と、傷跡の少年に守られた、たった一つ残された街だった。奴隷の首輪をかけ、娘に対する情を消し去る。万が一、もしも娘が自分に勝った場合のご褒美を、妻が死ぬ前に作ったサンドウィッチをプラタナスに託して。


 そして、大悪魔と戦って、全力の命のやり取りを最高に楽しんで……再び相見えた。


 軽い挨拶のつもりだった。からかいで、奴隷の首輪に縛られた自分が喋った。そしたら、どうだ。まさか娘は結婚していた。あの少年とだ。首輪に閉じ込められた自分は、嬉しくて仕方がなかった。この街でなら、彼女は認められている。愛する人がいる。愛してくれる人がいる。なんと、素晴らしいことだろう。どれだけ、願ったことだろう。


 なのに、首輪は止めなかった。嫌だと思いつつも、もう止められなかった。娘か、世界か。もうサルビアは選んだのだ。首輪に任せたのだ。だから、何もできないまま、娘の幸せを奪う自分を責め続けた。


 異常な強さの少年に、感心させられた。ここまで身を削って戦うのかと。それほど、娘を守りたいと思ってくれているのかと。結婚を邪魔する権利なんて、自分にはなかった。


 旧友の巧さというかうざさというか、技術に舌を巻く。相変わらず的確に邪魔をしてくるのは変わらない。それがなぜか、嬉しかった。


 娘は更に強くなっていた。間違いなく今日は不調でもそれが分かるくらいに、また腕を上げていた。でも、残念だった。まだ娘は鞘のままだった。傷口なんかに頼っていて、自分だけを守る剣を振るっていた。


 情の消えた自分が、冷酷無比に仁とシオンとマリーを追い詰めて行く。それほどまでに、差があった。ああ、やはりこうなるのかと思って落胆した。命削る戦いに、情のない自分が大喜びしている。なのに、情のある自分は苦しんでいる。


 娘を斬ろうとして、実は僅かにためらった。首輪に抗ってしまった。ほんのコンマ数秒。瞬き未満の時間。しかしそのズレが、仁の『四重限界』を完全に防げなかった原因だった。本来なら、凌ぎきれたはずなのに、片腕をもっていかれた。そして何より、首輪を壊された。


 現実に引き戻される。首輪に逃げていた自分が浮き彫りになる。でも、それでも選んだだろうと言い聞かせて、娘の大切を斬り裂こうとして、違う大切に阻まれた。なんてことない。ただの紙切れのような大切だった。しかし、数は膨大で、視界を埋め尽くすほどだった。


 これだけの人間が、娘とその夫を逃がそうとしているのか。感情のグラフが嬉しさで振り切りそうになって、その人間達を斬っていることにマイナスへと落ち込んだ。なんとも忙しない心だったが、身体は染み付いた動きで虐殺を繰り返し、止められた。


 それは、少年が使った魔法。一時的にサルビアを閉じ込める、巨大な氷の膜。笑ったとも。嗤ったとも。少しでも誰かを救おうとしたその意思、実に良し。しかし、救えない。そう思って無駄だと口にして、 鞘から引き抜かれた剣に否定された。


 無駄じゃなかった。娘の心の中にある剣を、鞘から引き抜いてみせた。命を削って、無駄になるかもしれないできる限りをしてみせた少年の姿は、娘を動かした。父と母では与えられなかった大切なものを、彼は与えてくれた。


 始まった斬り合いに、剣士としての自分が歓喜していた。これだけ剣で拮抗したことは、若い頃以外にない。自分しかいなかった領域にようやく、もう一人が入ってきた。手加減なんて、しなかった。剣を狙うしかなかった。


 父親としての自分は、多少揺れながらも喜んでいた。こんなにも強くなってくれたことが、誰かを守る為に剣を振るう娘が、誇らしかった。娘と剣で語ることができて、幸せだった。でも、剣を狙うしかないことに少し、安心していた。


 だが、全ての物事はいつか終わるもの。狙い続けていたシオンの剣が、砕け散った。最高の好機。何があろうと逆転は不可能な状況下、サルビアは剣を振りかぶった。そう、決めたから。娘を捨てて、世界を救うと決めていたから。


「ああ、やはり」


 なのに、剣は振り下ろせなかった。せめて相打ちにと、突き出された刃に胸を貫かれた。こんな捨て身の剣、娘を斬っても避けれたはずなのに。それだけの技量はあったのに。しかし、娘は斬れず、自分が致命傷を負った。


「斬れなかったか」


 それで当然なのだ。消え行く意識の中、そう思う自分がいた。いくら損得勘定で選ぼうとも、思うことだけはやめられない。シオンが産まれたあの日に斬れなかったのだから、今日も斬れるわけがなかったのだ。


「私と違って、ちゃんと妻を守る旦那だ」


 唯一可能性があるとするならば、思うことをやめさせる奴隷の首輪だけだった。しかし、少年がそれを壊してしまったから、サルビアは負けた。


 どうしてという声がした。愛しているからと返した。お父さんと呼ばれた気がした。まだ父と呼んでくれるのかと思った。


 最後に願うのは、普通の家族になれた世界のお話。いつかの夢で見たような、忌み子なんてなかった世界。


「私は、あの子の為になっただろうか」


 しかし、最後に思うのは別のこと。到底親とは呼ばないようなことばかりしてきたが、それでも親として何かできたかと。そうあってほしいと、彼は願った。


 そして、同時に。イザベラ達騎士団のことも。残された彼らは大丈夫だろうか。どうか、死なないでほしい。そう、祈った。


 彼の名はサルビア。花言葉は『家族愛』。彼は世界で最も剣に愛された男。彼は運命に翻弄され、家族は家族になれなかった。彼はそれでも、家族を守ろうした。彼は中途半端で、どちらも選べなかった。


 これは、苦しんだ家族の醜い物語。


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― 新着の感想 ―
[一言] 本編以上に泣いた。これにも、その前のifも。 涙も鼻水も止まりません。 ほんとに、ほんとうにっ。。。この世界はぁぁ……………………… 全部『魔神』のせいやぞ(ブチ切れ) 先程カッコつけ…
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