if,v 鈍感な貴方でも分かるように
バレンタインのifです。とてもとても甘いバレンタインですけど、どうぞ、召し上がれ。
美味しいチョコも、いつかは食べ終わるもの。どれだけ惜しんで食べたとしても、いつかは。
世界が分離してから五年。街はもう元通り、なんてことはない。が、それでも以前に比べれば大幅に復興は進んでいた。
少なくとも、死体や病気の人が道端に転がっているなんてことはなくなった。農業も安定し始めて、飢餓に喘ぐ人も減った。行事やイベントが楽しめるくらいの余裕がある人も、それなりには増えてきた。
とはいえ、資源や物資にはまだまだ足りないものも多く、どのイベントも完全再現とはいかないことがほとんど。かぼちゃのないハロウィン、ケーキのないクリスマス、お餅のないお正月、豆を撒かない節分、カカオがなくて、チョコのないバレンタイン。
しかしまぁ、人間とは強いもので。作れないなら違う何かを作って代用しようと、試行錯誤を重ねてきた。恐ろしいことに、この手の人間は世界が融合していたあの地獄のような時でさえ、一定数存在していたのだ。
他にも、食べ物だけがイベントではないと張り切る者もいた。店を構える者や、何かを作る事を生業とする者達だ。
余った布で作られた、ミイラやサンタのコスチューム。食べられない鏡餅の模型。肉に葉っぱを巻いた緑と茶色の恵方巻き。そして、チョコの代わりの今作れるだけの甘味。
このように、創作欲溢れる彼らによって、街の通りはイベントを意識した商品で色鮮やかになる。
その中でも一番華やかな表通りを、二人の男性が歩いていた。片方は彼の性格らしく背筋をピンと伸ばして、一定の歩幅できびきびと。もう一人は義足と杖を器用に使いこなし、一般人と変わらぬ速度で。
「堅さん、孤児院の仕事やお子さんがいるのに、今日はすいません」
「他の職員がいっしょに見てくれてる。気にするな」
孤児院を営む堅と、警備団の長の仁である。仕事を終えた仁を、彼が迎えにきてくれたのだ。いつもはシオンのその役割を、今日限定で代わってもらったのには理由がある。
「よかったな。今年は貰えて」
「……はい。本当に」
今日は2月14日。半年前に帰ってきたシオンと迎える、初めてのバレンタインであるが故。一ヶ月ほど前から彼女はずっと、環菜と一緒にある場所へ通っている。いつもは仁のいない昼間だけなのだが、今日はラッピングなどで帰りが遅くなるらしいのだ。
「しかし、完成に一ヶ月近くかかる品物とはな」
「あ、なんか最初の二週間は練習だそうです。シオンがうっかり口を滑らせてました」
「そうなのか?いやまぁ、二週間でもなかなか……」
シオンの世界にもカカオはなく、チョコは作れない。故に代わりのものを作るようなのだが、肝心の中身は当日まで秘密とのことだった。同じ物が貰えるらしい堅も、環菜から伝えられてはいない。
「本当に、楽しみです。申し訳ない気持ちも、ありますけど」
でも仁は、貰えるだけで嬉しかったのだ。幸せだった。その一方で、貰うことに罪悪感があるのだ。それは過去に自分がしてきた行いの自責でもあるし、味が分からない自分が食べ物を貰っても、という意味でもある。
「せっかく貰っても、俺は感想が言えないんです」
氷の腕を見て、少年は謝るように口を動かす。『限壊』と多重発動の代償は、今も仁の身体を蝕んでいる。気を抜けば視界がぼやけるし、足元の石に気づかないこともある。舌は鈍くなり、相当濃い味に身体強化を重ねて、ほんのりと感じられる程度だ。
故に、半年前に帰ってきたシオンは仁が心配で、毎日迎えにくるようになった。故に、仁はシオンの料理の味がほとんど分からない。
故に仁は、自分をお荷物で迷惑で、彼女や周りの負担だと思っていた。
「……お前の性格上無理かもしれんが、そんなに責めるな。きっとシオンは迷惑だなんて思っていない」
「えっ?」
「そういうもんだ。バレンタインを受け取って貰えるだけで、お前が生きてくれているだけで、いい」
そしてそれを、彼をよく知る堅や周りは見抜いていた。だからこうやって立ち止まって、肩に手を置き言葉をくれるのだ。
「ごめんなさい。今日はいい日なのに、辛気臭くしちゃって」
「お前は気にし過ぎだ」
それは仁にとっては、ありがたいことで。でも、同時にそれすら仁にとっては。
「今日はありがとうございました」
「いいと言っているだろうに……まぁ少しでも思うところがあるなら、そんな顔で受け取るな」
我が家の扉の前で、ここまで送ってくれた堅に感謝を述べる。すると彼は溜息を吐いて、少年に忠告を。
「え?」
「シオンを悲しませたら、環菜が殴り込みにくるぞ」
「あはは……それは、困りますね」
仁が自分を責めて傷付くのは、彼だけではない。周りの人間だって傷付き、悲しむのだ。
「じゃ、良いバレンタインを」
「そちらこそ」
それを思い出せと堅は言い残し、孤児院へと帰っていった。仁はその大きな後ろ姿を、見えなくなるまで見送り続けた。
「ただいま」
シオンはまだ帰ってきていないようで、返事はない。暗い部屋に蝋燭を灯し、荷物を片付けて、椅子に深く腰掛ける。
「……ぅ……」
そして、今まで我慢していた苦しい吐息を溢れさせる。また代償だ。数年前より、遥かに疲れやすくなった。常に感じる手脚の痛みは、年々酷くなっていく。
「…………」
ぼやけた天井を見て、思う。あとどれだけ、時間が残っているのだろうかと。死ぬ前に彼女と再会し、共に生きることができているが、それは果たして本当に良かったことなのかと。
「……ダメだな。この思考は」
分かっている。こういう考えが、周りを悲しませることなんて。でも、でも、人は思うことをやめられない。勝手に湧き上がる心を、抑えることはできない。
「どうすれば、俺は」
自分の為に幸せになることはできないし、するつもりもない。でも、自分の不幸が彼女の不幸であるならば、幸せになりたいと思うのだ。相反する二つの心に、仁は答えを出せなかった。
「僕なら、なんて言うかな」
軽そうに見えてその実そうでなかった半身を思うが、その答えも。
「……」
どうやら、考え込んでいる内に眠ってしまっていたらしい。鍵の音に目を覚まし、扉の開く音で杖を取り、足音で立ち上がって玄関へ。仁が辿り着くと同時、彼女が灯した魔法の光が二人の視界を明るく照らす。
「ごめんなさい!遅くなって!」
「ううん。全然。それより、おかえり。シオン」
仁は靴を脱ぎながら謝るシオンへと笑いかけ、かけがえのないいつもの挨拶を。
「……ええ!ただいま!仁!」
シオンも半年前にはなかった幸せに、見える半分の顔を限界まで綻ばせて、いつも欠かさず、飽きることなんてない定型句を。
「あ、あのね!その!」
「うん」
でも、思い出した彼女は焦り、すぐに視線をあちこちに移し始める。手間はここ一ヶ月、想いにしては五年以上もの集大成。これだけ焦るのも無理はなく、分かっている仁はゆっくり頷き、続きを待つ。
「今日は、バレンタイン、です!」
真っ赤になって、少年の左眼を見て、言い切る。言動や玄関という場所など、やはりテンパっているようで色々とおかしいが、仁は突っ込むなんてことはせず。
「だから、こ、これ!」
虚空庫から彼女が取り出したのは、金のハートとピンクのリボンがあしらわれた、可愛らしい白い紙包み。ハートの上には、彼女の手書きで「大切なあなたへ」と。
「う、受け取ってくれますか?」
「もちろん。ありがとう。シオン」
大切な人からのバレンタインなど、受け取れないわけがない。恥ずかしそうに上目遣いの彼女から、仁は氷の左腕で紙包みを受け取り、感謝を述べる。
「はぁ……よかったぁ……!」
やっと渡すことができたと、シオンは胸を撫で下ろす。やはり、彼女も仁のことをよく分かっているのだ。仁は大切な人からのバレンタインを、受け取「れ」ないわけがないと思っている。受け取「ら」ないわけがない、ではないのだ。受け取「れ」ないわけがないと、思っているのだ。
これでもまだ良くなった方ではある。一番酷い時の彼は、受け取りすらしなかっただろうから。四年半でその状態に戻っていないか。それが心配だったからこそ、シオンは安堵したのだ。
「あ!えーと、本命、です!」
「ありがとう。人生初だ」
知っていると苦笑した仁は今までを振り返り、これが一個目だと告げる。そうなのだ。義理や友ならば世界が変わる前も変わった後にも貰ったが、本命だけはずっと、縁がなかった。
「ほ、本当!?仁って毎年もらったりしてないの!?」
「してないしてない」
仁のことを好意的過ぎる色眼鏡で見ているシオンにとって、それは凄まじい衝撃だったらしい。口元を押さえて目を見開く妻の姿に、少年はまた苦笑する。
「開けてもいいか?」
「う、うん!結構上手に包めたと思うだけど、もしも」
「大丈夫。むしろ俺の方が上手く開けれなくて、悪い、というか」
「そ、そう?あ、ありがとう……あ!私、持つね!」
仁は早速開けようとするのだが、片腕のみでは上手に紙を剥がすことができない。強引に破くならできるかもしれないが、彼はそれを嫌がり、綺麗に剥がすことを望んだのだ。
「すごい。綺麗だ」
「私が彫ったの!これは剣術の応用みたいなものだったから、胸を張って自慢できるわ!」
シオンに包みを持ってもらって、左腕だけで努力して二分。ようやく開いたその中は、これまた綺麗で可愛い木箱。様々にして複雑で、桜や紫苑の花の紋様が彫られており、最早これ単体でも素晴らしい贈り物といえる出来栄えだった。
「中、開けてみて」
「ん……わっ」
少女の掌に置いて、氷の手で蓋を取れば、中には魔法の光にあてられ輝く、砂糖の星たちが。お菓子に疎い仁でも分かる。金平糖だ。
「カカオ?がなくて、チョコレートは作れなくて。でも、砂糖は私の虚空庫にたくさんあったから、これならどうって、環菜さんに言われて」
それは、一六世紀にポルトガルから日本に伝わったとされる砂糖菓子。まともな機械なんてない現在、作ろうと思えば小さいものでも数日、大きいものともなれば二週間以上かかることもある。
製法を知っていた五つ子亭四女の牡丹や、環菜に手伝ってもらい、シオンの魔法や虚空庫から道具を揃え、練習で二週間。本番で更に二週間。出来上がったのは、大粒にして色とりどりの金平糖。
「たくさん時間かかっちゃったし、多分、最高傑作でもないの」
初心者にしては、良い出来ではある。だがそれは初心者にしてはであり、上を見ればまだまだキリがない。名店に並ぶものと比べてしまえば、霞んでしまうことだろう。
「でも私、気持ちだけは込めたから!」
でも、バレンタインとはそういうものではない。大切に作られたのなら、それでいい日なのだ。
「分かってる。本当に、ありがとう。俺今、すごく幸せだ」
味だとか形だとかよりも、貰って嬉しくて、幸せなのがバレンタインなのだ。
「食べていい?」
「ええ、どうぞ!あ……」
「ん?どうしたシオン?」
いざ食べようと許可を求める仁に、シオンは一度は頷くも、何かを思い出したように地面を見て。その態度が引っかかった少年は手を止め、彼女の真意を聞き出そうと尋ねる。
「わ、私が食べさせても、いい?」
すると少女はまたまた頰を染め、逆に仁へと許可を求めてきた。
「……こちらから頼んでもいいか?それ」
「も、もちろんよ!じゃ、じゃあ、はい!あーん」
断るわけもない。仁はこちらも恥ずかしながらお願いして、了解した少女は右手で小さな大粒の星を摘んで、少年の口元へと流れさせる。
「ん……っ!?」
味が分からないから、せめてシチュエーションだけは甘くしようという思いだった。でも、彼女の掌から金平糖を受け取って、口の中の感覚を強化して噛んで、しゃりしゃりとした感触を味わって、驚いた。
味が、するのだ。かつて食べた金平糖とは少し違うが、それでもちゃんと、甘いとはっきり分かるのだ。
「えへへ。味、するでしょう?」
「どうして」
「私の世界ですごく有名な、とっても甘い甘味料を使っているの!」
呆然とする仁に、少女は笑う。それは現実世界において高甘味度甘味料と呼ばれる、通常の砂糖の数百から数千倍の甘味度を持つ物質。舌が鈍感な仁の為に、シオンは金平糖にそれを少しだけ、混ぜたのだ。
「どう?美味しい?」
でもこれは、仁専用の甘さだ。作ったシオン達が味見をしても、甘過ぎて美味しいか分からないくらいの甘さの金平糖だ。故に彼女は心配そうに感想をねだる。
「……ああ。すっごく、美味しい……」
「よかっ……あれ?仁?」
久しぶりの味覚で、甘味。美味しいに決まっている。しかし、その感想は震えていた。自分の為にわざわざここまでしてくれたシオンに、仁は嬉しくて、幸せ過ぎて、震えてしまったのだ。
「……美味しいなら、よかった」
涙を流す少年に、少女は木箱を魔法で浮かせてから、少し背伸びをして抱擁を。そして、彼にできる限り近い場所で、美味しいと言われたことを喜んで。
「ねぇ仁。金平糖って、引き出物とかに使われるんだけど、なんでか知ってる?」
「……知らない。なんで?」
抱き着いたまま、シオンは尋ねる。それは、引き出物に金平糖が用いられる理由で、環菜が勧めた理由で、シオンが選んだ理由。仁の知らない、込められた意味にして願い。
「じっくり長い時間をかけて作るのがね。夫婦として長い時間を過ごしていく姿に重なるからなんだって」
「っ……!?」
「私はね。仁とずっと一緒にいたい」
明かされた理由に、金平糖を選んだ意味に、シオンの願いに、仁の呼吸は一秒だけ止まった。
「私は仁が幸せに生きてるだけで幸せだから。幸せでいてほしいなって思うの。自分なんて生きてて迷惑で、周りを不幸にするなんて、思ってほしくはないの」
全部全部、シオンはお見通しだった。仁がこの半年間シオンに抱き続け、周囲に対して五年間勝手に思い続けた感情を、彼女は知っていた。だから今日、祈りを込めた小さな星を贈った。
「私は仁のことが大好きで、愛してるから」
そして、言葉を。どこまでもどこまでも、心からのまっすぐな想いを。彼が自分を生きていていいと思えるように、そしてただ単に自分の想いを伝える為に。
「……俺も。俺も、シオンのことが好きで、愛してる」
少年は返す。同じく純粋な、心の奥底にある想い。自責にて抑え付けられることもあるけれど、それでも消すことも、背くこともできなかった、想いで。
「……うん。嬉しい。私は、それだけで幸せ。仁は?」
今一度強く、でも、脆い身体に気遣いながら、シオンは仁を抱き締めて、今の自分を笑顔で告げて、問う。
「……幸せ過ぎるくらい、幸せだ」
それに対する答えなんて、決まっている。ここまで想えて、想われて、一緒にいることができて、幸せじゃないなんて、言えるわけがなかった。
「……もし、叶うなら、この幸せがずっと」
仁は身を屈めて、シオンに更に近付く。そして、少女にはきっと甘過ぎるくらいの口付けを、願いを込めて。幸せを噛み締めて。
美味しいチョコも、甘い金平糖も、いつかは食べ終わるもの。どれだけ惜しんで食べたとしても、いつかは消えてしまう。
それは必然。抗っても変えられないこと。悲しい終わりや別れは、いずれ来たるもの。
しかし、それまでは。食べ終わるまでは美味しくて甘くて、幸せなのだ。そしてそれは、決して無意味なことではない。
桜義 仁のチョコや金平糖は、いくつ残っているのだろうか。彼には分からない。でも、それでも彼は、大切に大切に、惜しむようにその甘い粒を食べていくのだろう。決して途中で投げ出すことはせず、最後まで彼女やみんなと共に、大事に、しっかりと。
そしてそれは、きっと、幸せなことなのだ。
少女の虚空庫の中には、今は渡すことのできない、もう一つの木箱がある。それは、この世にいないもう一人の彼へのバレンタイン。




