エピローグ 一年後、
拝啓シオン様。
いかがお過ごしでしたか?貴女やマリーさんが息災であることを、心からお祈りしています。
こうして手紙を書いたり、改まった口調で話すのは、なんだか恥ずかしく思います。でも、これ以外で話せなくなった時の為に、この手紙を託しておきます。
僕のことは、もうロロから聞きましたか?もし聞いていないなら、聞いていたとしても詳細を知りたいのならば、同封の別紙を覚悟を決めて読んでください。そこに全て記してあります。
この手紙を書いている今ですが、世界が元に戻ってから一年が経ちました。食糧も住む場所も服も光も燃料も金属も薬もなく、石蕗さんが頭を抱え、梨崎さんが過労死しかけた日々ですが、なんとか乗り切り、今ではみんな元気です。
魔物に襲われる心配がなくなり、住処や畑も拡大し続けています。最近では肉や魚も市場に出回るようになり、食卓の上は日々豪華になっていきます。五つ子亭の料理は相変わらず絶品との評判ですが、やはり、シオンの料理が食べたいと思う時が多々あります。
それとですが三ヶ月前、堅さんと環菜さんが結婚しました。やっとかと、みんな呆れていました。その時の写真も同封してあるから、見て、からかってください。あとつい先日、環菜さんの妊娠が発覚しました。おめでたです。生まれてくるのを一同楽しみにしています。「シオンちゃんにも抱かしてあげる!」と、環菜さんから伝言です。
今の自分ですが、なぜかこんな身体なのに、自警団の長の役職を頂きました。シオンから習った体術のコツをみんなに伝えたり、慣れない左手で書類を書くばかりと、ほとんどお飾りですが、街の安全を守る為に頑張っています。
苦しい事、乗り越えなければならない事はまだたくさんありますが、このように街は少しずつ復興へと向かっています。
これはまだ一通目ですが、生きている限り、みんなや自分の近況を記した手紙を書き続けるつもりです。
ではまた、次の手紙で。病気や怪我には気をつけてください。
暗い室内に、蝋燭が揺らめいている。一人暮らしには大きめなこの家は、仁に与えられたものだ。もう少し狭くてボロいのでいいと言ったのだが、世界を救ったのだからこれくらいはと、石蕗さんに押し付けられた。
「これで、いいかな」
シオンの世界の文字と日本語で書かれた手紙を氷の腕で掲げ、悩んだ末に封筒にしまう。最近ようやく、左手でも文字を書く事に慣れてきた。まだ右手には追いつかないが、それでもなんとか読む事は出来るだろう。
「さて、あともう一通くらい、書いておくかな」
復興は順調に進んでいるとはいえ、まだこの世界は危うい。疫病でも蔓延すれば、多くの死者が出るだろう。考えたくもない事だが、託していた人が死んでしまえば、この手紙が彼女に届かないかもしれない。だから、備えだ。
「……読まれたくない手紙だけどな。敬語だし、恥ずかしいし」
仁にとって手紙とはどうも不思議なもので、一番親しい人に宛てたものでも堅苦しくなってしまう。僕なんかが見たら、腹を抱えて爆笑するだろう。
それに、この手紙をシオンが読んでいる時というのは、仁がもうこの世にいない時だ。できれば、そうはなりたくない。
「……もう一度、会いたい」
再び手で触れたいと思う。もう一度、身体を抱きしめたいと思う。何度でも何度でも、他愛ない話をして、笑いたいと思う。この家に一緒に住んで、一緒に暮らして、一緒に年老いたいと思う。
「……」
しかし、頭をよぎるのは、先日梨崎から告げられた宣告。別に今すぐというわけでも、期間が定まっているわけでもない。ただ、余りにも身体に無茶をさせ過ぎた。それだけの事。常人より時間は少ないという、予想だ。
「誰との再会が、先かな」
果たしてシオンが間に合うか、それとも、僕や香花がお迎えに来るか。それは分からない。だから、もしもの時に備えて、恥ずかしいが手紙を残したのだ。
「すごく忙しかったし、激動だった。でも、とても長く感じる一年だったよ」
手紙にある通り、あの日から既に一年が経った。失敗作が暴れまわり、騎士と日本人が手を組んで街を守りきった。もちろん、建物の被害なんて気にしていられる状況じゃなくて、殆どの家屋が倒壊してしまった。
被害はそれだけにとどまらない。世界の剥離の際、壁や食料だけではなく、なんとシオン達の世界の木々や金属も持っていかれた。更に家屋が倒壊したのは言うまでもない。
食糧もなく、家もなく、布だってろくにない中、人々は力を合わせて生き延びた。田を作り、畑を耕し、焚き火を焚いて身を寄せ合って暖を取り、星を見て眠った。この時を予期していた柊が密かに集めていた地球産の食料や木材や金属、布が無ければ、死者はもっと多かっただろう。
それに、何も苦しい事ばかりではない。堅と環菜の結婚及びおめでたを始めとし、作物の収穫や家畜に漁業による食料の充実、魔物や騎士に怯えなくてもいい生活など、幸せな事もいい事も沢山ある。峠はもう越えたと言っていい。
「物思いにふけってないで、頑張るか」
そう思い、少し茶色の混じった紙に文字を書こうとした時だった。
「やっほー!仁、いる?美人な人妻が来たわよ!」
「堅だ。少し用があって来た。届けものだ」
乱暴なノックとうるさい声。続いて、丁寧なノックと低めの声が聞こえて来た。新婚でお熱い夫婦の襲撃だ。仁が心配なのか、三日に一度はなにかと理由をつけて家に来る。
「今行きます」
届けものとはなんだろうか。慣れた義足と杖を使いこなし、失う以前とほぼ変わらぬ速度で玄関まで。鍵を開け、外を見ればそこには、
「一葉さん」
「仁の大兄貴!久しぶりです!」
手を振る環菜と堅の隣に、いかつい顔のでっかい大男。後半意味が被っているが、本当にそれだけの筋骨隆々の巨漢が、扉の前に居座っていた。
「お届けものって、なんですか?」
一瞬だけ。こういう形での再会なのかと、期待した。心が弾んだ。声の震えを抑えられなかった。
「すいませんなぁ……あの日化け物達に襲われて以来、脚を悪くしてしまいまして。ここまで運んで来てもらったんです」
「いえ、わざわざここまで来て頂きありがとうございます。桜義 仁です。何かお届けものと聞きましたが……?」
でも、違った。落胆を必死に笑顔で隠して、一葉の背中から降りた老人へ挨拶を。完全に初対面であり、どうやら向こうも仁を知っているようではなく、何を届けに来たのか皆目見当もつかない。
「その、先に謝らせてください。依頼を受けたのは一年ほど前でしたが、お渡しするのが今になってしまいました」
「……はぁ」
話によると、彼は一年と少し前に、とある仕事の依頼を受けたらしい。製作にかなりの時間がかかるもので、いつ渡せるか分からなかった。二週間に一度、様子を見に来てくれ。そう言って作業を進めていた。しかしあの日、彼の工房にも失敗作が押し寄せて来たという。
「脚を深くやられましてな。出血がひどくて意識を失って、目が覚めたら病院でした」
老人は騎士に助けられたが、しばらく生死の間をさまよった。目が覚め、怪我を治してからもう一度作品に取り掛かり、数ヶ月前に完成した。しかしあの日を境に、いつになっても依頼主が顔を見せない。
「もしや、死んでしまったのか。いや、何か事情があるかもしれない。そう思い、ずっと待っていたのです。そしたら昨日、環菜さんがいらっしゃいまして」
「梨崎さんにその、聞いてから、ずっと探してたの。この街で私だけが知ってることだから」
仁の身体のことを、環菜も堅も知った。だから彼女は、焦って慌てて探し始めた。そして、老人の店にようやく辿り着いたのだ。
「依頼主の名前は?」
「シオン様です。世俗に疎いもので、あちらの世界の住人の方とは知りませんでした」
彼女の名前だった。日付は確か、仁がイヌマキに頼み事をしたあの日だ。シオンの指に光る大事な頼みごとだったから、よく覚えている。
「これが、依頼の品です」
答えは、小さな箱。受け取った仁がそっと中を覗けばそこには、
「指、輪?」
「はい。かなり特殊な注文でしたが、渾身の出来と自負しております」
中心に宝石の埋め込まれた桜の花が二輪、飾られた指輪が輝いていた。その繊細さに、綺麗さに、花の数の意味に、同じ日だった偶然に、シオンからの一年越しの贈り物に、息が止まった。
「ありがとう、ございます。とても綺麗です」
「本当はシオンちゃんから渡すべきだったのかもしれないけれど、ごめん。お節介だったかな?」
残った氷の左手薬指にはめはしない。その役目は彼女だ。それまでは、大事にしまうだけ。環菜も、そのことが分かっているのだろう。例え善意であったとはいえ、サプライズを他者が明かしてしまったのだ。お節介や迷惑かと気にもする。
「……そんなこと、ないです。全然、そんなわけが」
しかし、渡せなかったら、サプライズそのものに意味がない。それに、この形だって十分すぎるサプライズだった。
「本当に、嬉しいです」
死ぬ前に、この指輪を知れて良かった。仁は堪えきれなかった涙を流し、嗚咽を漏らして、そう思った。
自分の残り時間は、人より少ないのだろう。その間に、シオンと会えるかは分からない。
だが、仁は生きているのだ。呼吸をしている。心臓が動いている。義足と杖で大地を踏みしめ、片方の目で世界を見て、待つことができるのだ。
「少し、書き直さないと」
そして、氷の左手は再び筆を取った。今日あった出来事を手紙に書くために。どれだけ嬉しかったか、彼女に伝える為に。
シオンが残していった指輪は、机の引き出しの中に大切に仕舞われている。
いつか本来の意味を果たす時が来るのを、そこで待っている。
分からない未来は無限大だ。
完




