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幻想現実世界の勇者  作者: ペサ
幻想現実世界の勇者
192/266

第156話 俺と僕


 少年の顔は半分が笑顔で、もう半分は泣いていた。







 目を開けばそこは、穏やかな草原だった。青い天井のような空が、世界を覆い尽くしている。柔らかい草から身体を起こして太陽に少しだけ近づいて、周囲を見渡すと、果てにはそびえ立つ巨大な山が見えた。


「今日はとても来客が多いなぁ。気分はどうだい?後輩君」


 何もなかったし、誰もいなかった。そのはずなのに、彼はいきなりそこにいた。だが仁にはそんな事、慣れっこだ。僕と共に、精神世界でよく見る現象だったから。


「……不思議な感じですね。てっきり、地獄に堕ちるものだと思ってましたが。まさか『魔神』の中に収納されてしまうとは」


 驚かない俺に驚いた『勇者』を見て、微笑む。思ったよりも穏やかな場所で、正直罰としては足りない。まぁその内(・・・)きちんと地獄に堕ちれるだろうと、今はこの空間を楽しむことに決めた。


「大抵の人間は、ここに来ると取り乱すんだけどね。今日のみんなは肝が座り過ぎていてびっくりだ……特に、君は使いこなしているのにも驚きだ」


 『勇者』がいつものお茶のセットを出す前に、俺の方が椅子と机と料理を用意していた。空席一つを残して座り、向かい合う。


「……慣れてますので。何か食べますか?」


「いいね。俺はお茶を用意しよう。ここに来るみんなが絶賛するようなやつだ」


 俺は記憶にあった店に母にシオンが入り混じる、美味しい手料理を。『勇者』はヒナ直伝のお茶を用意して、互いに楽しむ。胃と味覚が破壊されてしまい、現世ではなかなか食事を楽しめなかったが、この世界はその例外。存分に味わうことができた。


「ここは、『魔神』の夢見た世界ですか?」


「そうだね。俺らはそこを少しだけ借りている。争いのない、平和な世界さ。かなり遠いけど、歩けば街が見えると思うよ。喧嘩もなく諍いもない、人類が幸せそうに暮らしている街だ」


 一息つきながら、『勇者』に問う。答えはまさに仁の予想通りで、『魔神』の願いの中だった。理想というだけあってか、この世界は非常に心地が良い。仁でさえ、本当にそう思う。


「良い世界です」


 この世界で生まれていたならきっと、みんな死ななかった。仁も香花を殺さなかった。そう思ってふと口にして、少年は世界を眺めて押し黙る。


「……聞かないのかい?自分がどうなったのか。その後とか」


 無言で続く時間に耐えられなかったのは、『勇者』の方だった。肩の荷が降りたかのようにリラックスしている俺が、余りにも異質だったから。まるでこうなると分かっていたような、そんな態度だった。


「俺は『魔神』に喰われた。正確に言うのなら、俺だけが喰われた。それさえ分かれば、作戦は十分です」


「作戦?『魔神』に喰われる事が?」


「はい。多少、予定はずれましたが」


 実際その通りだと、俺は大きく頷いた。まさか『魔神』がまだ生きていて、あのタイミングで憑依されたのだけは予想外だった。しかしそれでも、憑依される事自体は織り込み済みだったのだ。


「だから、ごめんなさい。俺達は、この幸せな世界を滅ぼします」


 この幸せな世界の実現はあり得ない。ここに生きる人達に謝り、仁は告げる。


「俺の作戦は成りました。これで、勝ちです」


 ただの人間が、神に対してチェックメイトを。この日の為に、俺は着々と準備を進めていたのだから。










 時は遡り、王と石蕗達の交渉場面。王が一声命じれば、その瞬間に三人の首と街が消える緊迫感の中。堅と桃田が万策尽きたその時に、石蕗は切り札を切った。 


「この切り札を知るのは街でも私、仁の主治医の梨崎、『記録者』ロロ、『勇者』マリー、『大悪魔』イヌマキ、そして桜義 仁の俺の人格。既に死亡した前司令の柊だけでした」


 それは、俺が試練を絶望したまま突破した直後、ロロに対して持ちかけた賭け。故に、その作戦を知るのは当時あの場で意識のあった者達と、引き継いだ者達のみ。知られたら困るからと、俺は徹底して作戦を隠蔽し続けた。


「そのほとんど誰も知らない、極めて合理的な方法とは?ぜひお聞かせ願いたいね。なにせ、あの『記録者』や『大悪魔』が賛同したというのだから」


 生き延びる為のハッタリという疑いは未だ解けていないのだろうが、王の興味は引けた。僅かに身を乗り出し、歴史上でも有数の知識と知恵を持つ者が認めた切り札を聞こうとしている。


「私達は、『魔神』を完全に消滅させる作戦を既に実行に移しています。これが成功すれば、『魔神』は他のどの人間にも憑依する間も無く、消滅するはずです」


「っ!?」


 王の顔がポーカーフェイスを忘れて驚き、桃田と堅も顔を見合わせる。先述の通り、そんな夢のような作戦など、一度も聞いたことがなかったからだ。


「確率は?」


 まず気になるのは成功確率。最低でも、忌み子を絶滅させた上で、封印状態の『魔神』を殺せる数字と同じでなければ意味はない。僅かでも低かったなら、王は日本人を切り捨て、元の方法を取るだろう。


「極めて高いと。詳しくは後ほど説明します」


「方法からですね。分かりました。私達が千年単位で考えつかなかった方法を、どうかお教え願えますか?」


 まずは方法から話す必要があると石蕗は王を諌め、喜んでと説明を開始する。恐らく、これは歴史上類を見ない例であり、あくまで想像でしかないがと前置きして、


「桜義 仁は多重人格、要するに、二つの魂を有する人間です。彼にあえて『魔神』を憑依させます」


 極めて端的なこの数秒間が、『魔神』の攻略方法の全てだった。


 『魔神』が持つのは絶望に入り込み、魂を喰らって力を奪う系統外。同時に複数の魂を奪い取る事は出来ず、憑依できるのは一人のみという制限がある。その事を、イヌマキとロロは記録から知っていた。


「正確に言えば、彼の片方のみに」


 故に、二つの魂を持つ仁の身体に憑依したなら、どうなるか。例がないが、系統外に従うならば、片方だけの憑依に止まるだろうとの見解を、2人は示した。


「なっ!?」


「ちょっと待ってくれないか石蕗さん……それってつまり」


 今度は王よりも、味方の驚きの方がよっぽど大きかった。彼らは今知ったのだ。知らされていなかった内容と、知らされなかった理由を同時に。そしてそれらの意味はとてもじゃないが、二人にとって容易に受け入れられるものではなかった。


「俺の人格は『魔神』に憑依されて消滅。要は彼は生贄、捨て駒、犠牲……呼び方は何でもいいですが、そういうことになります」


「っ!?ふざけるなっ!」


「まだ成人していないようなただの少年が、どれだけこの街の為に何かを犠牲にしてきたと……!」


 石蕗の軽い言い方に、声を荒げて彼に掴みかかったのもまた同時。二人は知っている。桜義 仁という人間がどれだけのものを失って、この街を守ってきたか。皮膚に四肢に記憶に未来に恋人との時間。ほとんど全てを投げ捨てて、街の為に尽くしてきた少年に、今度は命まで捨てろと言うのかと。


「確かに仁は何度か間違いを犯してきた。でも、仁がいなければこの街は!」


 全てが正しかったわけではない。守れなかった人なんて掃いて捨てるほど屍になっているし、嘘で見捨てた人々だって、数え切れないほどだろう。


「他でもない、桜義 仁の俺の人格が望んだことです。私も付き合いは短いですが、彼の性格はある程度分かります。だからこそ惜しいと思いますが、その一方で理解出来る」


 それでも、余りにも酷いと目の前で怒りに震える二人に、石蕗はこの作戦を提案した人物を今一度口にする。これは桜義 仁が、俺が自らに課した罰にして希望。街どころか騎士の世界までをも救おうとする、希望だった。


「シオンはどうなる?世界が離れ離れになってもまた会おうって、その時は一緒に幸せになろうって約束してた彼女は!」


「再会できるかすら分かりません。再会したとしても、僕がいる。彼はそう言ったそうです」


 残された人々はどうなるのか。その問いに俺は、もう一人の仁がいるからと答えた。悲しんでくれたら嬉しいけれど、時が経てば大丈夫だとは思うと。


「やるせないのも辛いのも分かりますが、今は交渉中です。この辺にしておきましょうか。私達がいくら騒ごうが、もう彼は止められない」


 ここまでだと、石蕗は冷静にぴしゃりと話を閉じた。もうどうにもならないことなのだと、彼は知っていた。仮にまだ街を出発する前の仁にやめろと説得しても、絶対に頷かないことも知っていたから。


「お見苦しいところをお見せしました」


「いや、いいですよ。若々しくてね。では、続きを。多重人格者の片方に『魔神』が憑依した場合、どうなりますか?」


 未だ感情は収まらないのだろうが、それでも喉の奥まで何とか呑み込み、二人は座る。視線を落として自らを責める彼らを横目に、石蕗と王は交渉を再開。王が気になるのは、想像でしかなく、誰も見たことがないその先の詳細だ。


「精神世界で殺し合いになるだろうというのが、俺やロロ、イヌマキによる予測です。そしてそうなれば、もう片方の人格である僕が必ず勝つと」


「その根拠は?」


「系統外も魔法も剣も力も関係ない。ただの精神での殴り合いなら、『魔神』ごときに負ける理由がないと彼は言っていました」


 体内での魂の比率は1:1。平等な条件で、僕と『魔神』は肉体の主導権と世界を賭けて殺し合う。その殺し合いに勝利するのは僕だと、俺は知っていた。それだけが根拠だった。


「確率が極めて高い?この作戦ごときがですか?ははははははははははははは!笑わせる!ただ負ける理由がないと、半身が言ったから?それだけであの『魔神』を倒せると!」


 話が進むにつれて王の顔がみるみる笑顔へと変わり、最終的には今日何度目か分からない大笑いで、腹を抱えてうずくまる。今までの笑いとは決定的に違うのは、完全なる嘲笑であったという事だろう。


「発想は認めますが、ふざけるな。そんなあやふやな作戦を信じられると思っているのか?」


 王の表情が消えた。能面のように、機械のように、ただ冷たい失望の色だけを残して。部屋の空気も、比例するかのように冷え込んでいく。


「確かにあやふやな作戦です。しかし、貴方は信じるしかないのです」


「貴様らごときが私の考えを決めるなど、思い上がりも甚だしい。十分に楽しませてくれたお礼に、死ぬ瞬間を選ばせてあげましょう。街が堕ちた後に死ぬ長生きか、それと」


「もう一度言います。貴方は信じるしかないのです。桜義 仁が勝利する事、もしくは桜義 仁が騎士によって止められる事を」


「……」


 誰もが萎縮するような濃密な殺意に襲われながらも、石蕗は一歩も引かずに繰り返し告げた。そこでようやく、王も桃田も堅も理解に至る。ついさっき言われたはずなのに、分からなかった。


「桜義 仁は止められません。塔を防衛する警備の数が何人か知りませんが、彼らが仮に突破したとしましょう。爆弾や便利な装備なんて、たくさん持たせましたからね」


 ここからでは、桜義 仁を止める事が出来ない。今すぐ王が伝令を送り、塔の防衛を多少厳重にする事くらいは出来るだろうが、それは手遅れかもしれないし、無駄足かもしれない。そもそも出発していたことすら知らず、元の人数も今から動かせる人数もさほど多くはない。


「分かりますか?騎士が桜義 仁を殺さない限り、この作戦は続くんですよ。そして私達を殺した分だけ、桜義 仁の精神は脆くなり、敗北に近づく」


 仁が生きている限り、世界を失うか救うかの賭けは勝手に続けられる。仮に街を滅ぼそうものなら、その分だけ天秤は『魔神』へと傾く可能性だってある。王の表情は、みるみると悔しげな表情に変わっていく。


「数日、いや明日まででいい。明日までに仁が塔の中に入れなかったなら、私達を殺せばいい。全力で抵抗しますが、絶滅させる事は出来るでしょう」


 故に、石蕗が提案するのはタイムリミット。つい数時間前に受けた連絡から考えるに、今日中には必ず塔の中へと仁は辿り着く。


「精神世界での純粋な勝負と、忌み子0という絶対に確信が持てない上に、忌み子が本当にいるのか分からない現状で封印状態の『魔神』との勝負。詳しい勝率はどちらも不明。故に同率」


 勝率なんて破り捨てよう。80%?99%?残りの20%か1%を引いたらどうするというのだ。だから細かくは考えず、双方0でも100でもないから同率だとこじ付ける。勝てたら100、負けたら0なのだ。


「確証がないなら戦いを止めないと貴方は言いましたが、それはまた逆も然り。確証がないなら、戦うべきではないとも言えるのでは?」


 だってそうだろう?封印状態の『魔神』に勝てるかすら不明だし、二枚の『記録者』の紙で忌み子自体が揺れている。今この場で絶対と言い切れるものなんて、何一つとしてないのだ。


「最後の希望である仁が潰えたなら、私達日本人に勝ち目はなくなる。自分達が滅ぼされた後の世界なんか知りませんからね。存分に『魔神』と戦って憑依されて滅ぶといいです」


 忌み子を滅ぼしてやぁやぁと意気揚々に塔へと騎士が攻め込んでも、その先に破滅が待っている可能性が出てきてしまった。


「……二つの世界を救う唯一の方法が、その少年だと?」


「そうです。どうでしょう?忌み子がいないと信じている私達からすれば、こちらの作戦の方が貴方様の為にもなると思いますが。どうせ、どちらもやってみないと分からないんですから」


 ならば、俺の提案したあやふやな作戦だって同じ事。世界全てを救えるかもしれないし、破滅するかもしれない。ただ唯一違うのは、救える世界が二つという点だ。


「一つだけ、付け加えます。私達は貴方達が殺したい程憎い。が、滅ぼすつもりはありません。復讐したい気持ちはありますが、それ以上にもう、誰も死んで欲しくない」


 誰かを殺す為に力を使うよりは、誰かを守る為に力を使いたい。もう殺し合いは、残酷な世界は、守れないのは、誰かが死ぬのはもうこりごりだと、石蕗は告げる。


「……お願い、します!」


「信じてください」


 そして、三人は頭を下げた。今まで日本人を虐殺し、家族や恋人を殺し、この最悪な世界へと変えた引き金の者達の王へとだ。嫌悪も屈辱も殺意も憎しみも今は呑み込み、ただ世界を救いたい、誰かを守りたいその一心だけで、彼らは頭を地に擦り付ける。


「……はぁ……困りましたね。これは、言いくるめられてしまいました」


「それならっ!」


「期限は明日までです。それまでは、街への攻撃を中止しましょう」


 こうして街への攻撃は、王のため息と共に一時的に止められた。


「……どの口が言うのかという話ですが、私達も、出来る限り多くを助けたいとは思っています。これだけは、覚えておいてください」


 最後に、お返しのように付け加えられた王の本心が無ければきっと、止まらなかっただろう。誰だってそうだ。無関係で見ず知らずの人だろうが、死ぬよりは生きていて欲しいと、なんとなく思っている。殺したくないと、思っているはずなのだ。










 さて、そんな交渉があったなど、仁が知る由もない。ないが、これはこういう事なのだ。


「勝てる自信は?」


「勝つ自信しかありません。何せ俺の半身ですから。それに勝ってもらわないと、俺はずっとここに居ることになるんでしょう?地獄とみんなが待ってるんで、勝ってもらわないと困ります」


 あやふやだと嘲笑された自信も、俺にとっては絶対に揺るがないものだ。俺は、僕の性格をこの上なく理解しているとも。


「俺なんかより、ずっといい奴なんです。俺が嘘を吐いた時、僕はもう少し躊躇ってました。他にも、俺は口下手ですけど、僕はすごいんです。場を和ませたり、みんなを笑わせたり。でも、美人や恋愛には弱めだったり」


「……」


 普段はおちゃらけているが、内心では色々と考えていて、その場その場の雰囲気に合った言葉をしっかり選んでいるところとか、気障を気取っていながらいざとなるとテンパるところだとか、本当は俺と同じか、それ以上にみんなを守りたいと思っているところとか。


「逆の立場だったらそうっていう根拠しかないんですけど、俺が死んだら、僕は絶対に精神世界で負けなくなります。俺が死んでようやく、僕は世界を救えるんです。桜義 仁は『勇者』になれるんです」


 失えば失うほど、仁は『勇者』へと近づいていく。最も大事なシオンを失うのは、俺も僕も許さない。しかし、同じくらい大切な俺だけなら、僕が許さなくても俺は許す。そしてその時、桜義 仁は『魔神』を超える。


「後悔は、ないのかい?」


「ありますよ。あり過ぎるから、ここにいる。見殺しにした人が、助けられなかった人が、殺した人間が、俺は余りにも多過ぎました」


 『勇者』の質問がおかしくて、俺は思わず笑ってしまう。香花の望み通り、これであの時首を絞めた俺は死ぬ。みんなを見捨てた俺は死ぬ。残るのは、あの後に生まれた僕だ。これは、俺が選んだ心臓の止まる意味。最も多くの人間を救えて、罰も受けられる最大効率の死。


「そうじゃない。残してきた人達に何か思う事は……」


「シオンやみんなと会えなくなるのは、残してしまう事にはその、寂しいだとか嫌だとか、悲しいって感情はあります。俺が望んじゃいけない事なんだろうけど、すごく。言葉じゃ言い表せられないくらいです」


 質問の意味が違うと、決して変えられない後悔ではなく、やり残した後悔はなかったのかと、『勇者』は再度問う。それを聞いた俺は、ようやく表情を暗い海のように沈めて、寂しそうに口元だけを微笑ませる。


「でも、残す為に選びました」


 だが、その感情を得る為にこそ、俺はこの作戦を考えたのだ。みんなまとめて死ぬよりは、彼らだけでも残したかった。大切を残したかった。彼らに生きて欲しかった。後悔があってこそ、正解なのだ。


「…………君は本当に、全てを失った後にもう一度、いい人達に出会えたんだね」


「ええ。本当に。俺には過ぎた人達ばかりで、俺の人生は幸せでした」


 出会えてよかったと、心から思う。生き残る事しか考えていなかったようなクズが、こんな判断を躊躇いなくくだせる人間になれた。誰も信じられなくて、飢えて寒くていつ死ぬかも分からない状況で、不幸だと感じる絶望の底からよく、最後に幸せと言えた。本当に彼らには感謝しかなく、出来る恩返しはこれくらいしか思い付かなかった。


「君に聞きたい事がある」


「……なんですか?」


「この世から人間を入れ替える以外で、悲劇を無くす方法はあると思うか?」


 笑って涙を流している俺に、『勇者』は問う。自分では見つけられず、ティアモとメリアについ先程問うた答えを。ずっと、彼がここに残り続けた意味を。


「ないと思います。俺らは争い続ける。悲劇はどんな形であれ、人が生きる限り生まれ続ける」


 特に考えすらせず、俺は即答する。悲劇を無くすなんて、『魔神』の方法以外では絶対に不可能だ。人が人である限り、逃れられない業であると。それを俺は、この一年間でよく思い知った。


「……そうか。君ですら、か。ああ、すまない気に病む事じゃない。元から無理難題は承知で……」


「その無理難題を無理に解決する答えを探すところから、まずはおかしいとも思います」


「……」


 フォローに入った『勇者』は、俺の乱暴な答え方に思考が停止した。まさか、問題そのものをおかしいと否定されるとは思わなかったのだろう。だが、当たり前と言えば当たり前だ。


「悲劇をなくすのは無理難題ですし、答えはそれしかないでしょう。でも、悲劇を減らすのは出来る事ですし、答えはたくさんあるはずです」


「えっ、あ。まぁそうだけど」


「それにみんな、減らそうと努力してますよ。俺はそんな人達が好きだから、守りたいんです」


 続く言葉も、全てが当たり前だった。何も捻った事は言っていない。無理難題には答えられず、至って普通のことを俺は言っただけだ。


「ごめんなさい。普通の答えで。でも、俺は普通が好きですから」


 だが、俺は一度全てを失ってから知ったのだ。そんな普通こそが、かけがえのない素晴らしいものだと。


「……あっ」


「失礼するわね。ん。このお菓子にお茶、すごく美味しいじゃない」


 再び虚を突かれ、『勇者』が考え込んだその時、この世界に再びの来客が。俺が呼んだのか、もしくはずっと彼に憑いてきていたのか。どちらかは分からないが、彼女は空いていた椅子に腰掛けて、久しぶりだとお上品に欠片をこぼさないよう、菓子を美味しそうに頬張り始めた。


「やっぱり空席は香花だったんだ。今日は首が曲がってないな」


「酷いわね。そうしたのは仁の癖に。曲がっていたら食べにくいでしょ?」


「そりゃそうだ。ごめん」


 予想通りの人物だった。仁が明確に殺した、初めての人間。未だ感触は忘れられず、記憶の中で最も深い思い出となった少女。罰を受けた今、俺は昔のように軽口で話しあう。


「最期にそんな幸せそうな顔されてちゃ、死なれても嬉しくないんだけれど」


「それもごめん。一応、辛いんだけど……」


 罰になっていないと香花は拗ねているが、そればかりはどうしようもなかった。別れる辛さは想像以上で、涙は流れ続けている。が、余りにも人生を計画通りに終えれて、みんなを守れた幸せの方が大きくて、どうしても笑ってしまうのだ。


「迎えに来てくれたのか?」


 そう言って俺は襟を少し下げて、試練の時には渡せなかった首を、絞めやすいように差し出した。ここで首を絞められて死ねば、彼女達と一緒のところにいけると思ったから。それが、彼女達にとっての復讐になると思ったから。


「迎えに来たと言えばそうなんだけど、行き先は違うわね」


「天国?それとも無?もしくは、また別の何か?」


「いいえ。戦い。『魔神』との戦いが、まだ貴方には残っているわ。だって貴方の魂、まだ無事なんですもの」


「え?」


 しかし香花は、氷と黒に侵食された傷だらけの首を絞めなかった。代わりに彼女が告げたのは、俺がまだ罰を受けていない、死んでいないという、作戦とは違う現実だった。


「最後にそんな幸せそうだったら、連れて行っても意味ないじゃない。もっと苦しんでから来なさいよ……まぁ、こっちはこっちで幸せそうだけど」


「やぁ。ここで俺君にとっては残念なお知らせさ」


 茶会への乱入者が、もう一人。椅子なんていらないと、彼はいつのまにか俺の後ろに立っており、肩を叩いて振り向かせた。


「僕……!?」


「憑依されたのは僕で、これから世界を救うのは君だよ。俺君」


 そこにいたのは、守ったはずのもう一人。彼は俺と同じように涙を流しながら笑って、死んだのは自分だと告げた。


「君の作戦に気付いてたからね。『魔神』に憑依される瞬間に、強制的に主導権を奪わせてもらったよ」


「ど、どうして……!?」


「馬鹿だなぁ。僕が君の作戦に気づかないような鈍チンだと思ってたのかい?半身なんだよ?隠し事なんて無理に決まってるだろ?」


 僕が作戦を知る機会は、一度もなかったはずだ。僕とシオンが試練で意識を失っている間のみしか俺は口にしておらず、他に知る者達にも仁とは決して相談しないようにと厳命しておいた。なのに僕は気付いていて、守ったつもりが守られた。


「おかしいなとは思ってたんだ。君がまるで、死ぬ事を知っているように生きるから。でも、決定的だったのは四重刻印の代償の時さ」


 前々から、僕は怪しいとは思っていたのだ。でも、それが何を意味するのかは、試練が終わってからもずっと分からなかった。シオンを救う為に彼女の記憶を失うと決意して、何故か僕だけ残されたあの日までは。


「片方だけ残っていたなら、記憶を写せるかもしれない……これは建前だね。残る僕に、実感を伴った記憶を残したんだ。自分は死ぬつもりだったから」


「っ……」


「なぁにが欲しいのは背中合わせの盾だ。君のが盾になるつもり満々だったんじゃないか」


 シオンの記憶を失った後、自分がなぜそんな大切な記憶を投げ捨てたのか俺なりに考えた。そして出した答えは、今僕が口にした言葉と全く同じ。俺は残る僕の為に、消える自分の記憶を消させたのだ。


 その意味は他にもあった。シオンの記憶があるのとないのじゃ、仁の精神の強さは大きく変わる。それほどまでに、彼女の記憶は仁の心の支柱なのだ。失えば、『魔神』に勝てるかすら分からなくなる。だから、僕に残した。だというのに、


「分かっていたなら、その思いを汲めよっ!馬鹿じゃないのか!俺なんかが残ったって意味ないだろ!シオンの記憶がない俺なんかが残ったって!」


 僕はその思いを汲まずに無視した。記憶のある僕と記憶のない俺、どちらかが残った方がシオンにとって幸せかなんて、分かりきっているだろう。なのに、この馬鹿は。そう言って氷の腕で僕を掴んだ俺を、全く同じ形の氷の腕が受け流す。


「本当に馬鹿はどっちかって話さ。いいかい?僕にはこの先に持っていける、大切な記憶が沢山あるんだよ!でも、俺君のはすごく少ないじゃないか!はっ!そんな数じゃすぐに飽きがくるね!断言するよ!」


「シオンはどうするって言ってんだ!俺とじゃ話が食い違いまくって、大変な事になるだろうが!」


 叫び返した僕の理論は、分かるけれども、到底受け入れられないもの。俺はシオンと僕のことと二人分考えたというのに、僕は俺のことしか考えていない。


「だから君は馬鹿だって言ってんだよ!記憶があろうがなかろうが、彼女はどっちを失ったって同じくらい悲しむような子だよ!ちょっとの話の食い違いなんざ、その場の勢いとノリでどうにかしやがれ!」


「っ……」


 理解した。俺は俺なりに二人を考えていて、僕は僕なりに二人を考えた。きっと理解はできても、分かり合うことは無理だ。だって、互いに互いを守りた過ぎる。


「それに残念!俺君の負けで僕の勝ちでした!俺君はこのまま生き残って世界救って、シオンと再会して幸せな思い出たくさん作ってから死ね!」


「っ、お前、本当に、馬鹿なんじゃねえのか!」


「……馬鹿でよかったよ。君もシオンも、みんなも守れて」


 だから、お互いに強引に生を譲り合って、死を取り合った。そして僕が勝って、俺が負けた。俺が生き残ってしまった。ただこれだけの事。


「あらら。もう時間みたいだ。うーむ。結構抵抗したんだけど、やっぱり系統外にはただの精神じゃ叶わないか」


「おい。待てよ……なんだよ時間って、なぁ!」


 掴もうとした手は、何かに弾かれた。香花は立ち上がり、僕で苦笑している。俺と僕の間にある透明な止まった時計のような壁を、何度も叫んで何度も殴って、抗う。


「お前、まだこれからだろっ!いっつも痛覚押し付けられて、痛い思いばっかしてただけじゃねえか!」


 俺はいつも、僕に辛いことを押し付けていた。この作戦で全てを背負うから、それまではと思っていたのに、死さえ背負われてはどうすればいいのか。


「後悔とか、ねえのかよ!お前シオンのこと好きだろ!街のみんなのことも大好きだろ!再会するって、約束したんじゃなかったのかよ!」


「君がさっき『勇者』に言った言葉が全部、僕の言葉だったよ。残す為に、この後悔が欲しかったから選んだ道だ」


 性格は違えど、根っこの部分はやはり同じだった。俺が叫んだこと言ったこと全てが僕の鏡で、僕が俺の鏡だった。


「まぁ、僕は元々いない存在なんだ。生まれただけでも奇跡。元に戻るだけだよ。僕がいなくても、もう大丈夫だろ?」


「そんなこと言うな!全然大丈夫じゃねえよ!お願いだから、頼むから諦めんな!もう少し頑張れ!今俺が作戦考えて何とかするから!もしくは『魔神』を今すぐ倒して」


 系統外は絶対の力。僕がもう頑張って頑張って引き伸ばして無理やり作った人生のロスタイムが今で、その限界もまた今。止まった時計の向こう側にいるのが、覆らない死の証拠。


「……ありがとう俺君。僕を守ろうとしてくれた君だからこそ、僕は守ろうと思ったんだよ」


「ふざけんな!最後みたいなこと言ってんじゃねえ!お前がいなきゃ、なぁ!」


 元より、生まれる予定じゃなかった命だった。いないはずの存在だった。それなのに、絶対に無理だと分かっているだろうに、それでも本気で抗って助けようとしてくれた俺に、僕はありがとうを。俺が作戦で僕の身代わりになろうとしたから、助けたんだと。


「いや、違うなぁ。やっぱりそんなことなくても、僕は君を助けてたかも。君のこと好きだし」


 でもやっぱり訂正。そんな理由なんかなくたって、「大切」だとか「好き」という二文字だけで守っていたさと、彼は笑う。


「シオンのこと幸せに。みんなのこと、頼んだよ?」


「やめろよ!俺じゃ勝てない!僕じゃなきゃ、『魔神』に勝てないだろ!」


 いくら殴りつけても壊れない時計に、いくら伸ばしても届かない手に、声を枯らして叫ぶ。何をしてでも引き止めようと、ありとあらゆる考えを働かせて、吐いたのは弱音。


「勝てるさ。君は僕の半身だ。それに、逆の立場なら負ける気がしないんだろ?」


 だが、返される。失うほどに『勇者』に近づくと、半身を失ったなら『魔神』さえ超えると、そう言った言葉が皮肉にも。


「それにね。この状況は考えようによってはすごいチャンスなのさ」


「な、何言ってんだよ……お前を失って、チャンスなわけが!」


 仁が絶望したのは、魔法陣が今すぐ発動できないという真実を知ってしまったから。


「『魔女』には及ばなくても、『魔神』の魔力は膨大だ。だから、足りるかもしれないんだよ」


「っ!?」


 だが仮に、『魔神』の魂を滅ぼしてその魔力を奪えたならば、足りるのではないだろうか。魔法陣を発動して、街を救えるのではないだろうか。


「ね?チャンスでしょ?絶望の先に、希望があったでしょ?」


「けどっ!」


 大逆転の、大番狂わせ。絶望の中に希望があった。でも、代償は余りにも大きくて。救った世界に僕はいない。なのに、僕は笑ってこう言うのだ。


「勝って世界を救って、『勇者』になりなよ。俺君。それが僕の願いで幸せさ」


 消えていく。溶けていく。光となって解けていく半身を、ただ俺は見つめることしかできなくて。


「行かな––」


「僕は幸せだったよ。ずっと、ありがとう」


 そう言い残して、僕は消えた。俺は一人になった。






 どれだけ泣いたか。叫んだか。悲しんだかは分からない。


「もう、いいかい?」


 ずっと眺めていた『勇者』が、声をかけてきた。心でも読めるのだろうか。ようやく受け入れられた。諦め、られた。ちょうど、その時だった。


「……ああ」


 立ち上がる。涙の乾いた頰で、追いつかなかった震える脚で、掴めなかった氷の腕で、前へと進む。


「健闘を祈るよ。世界も、できれば彼も救ってやってくれ」


 背後から消えた声を最後に、世界が変わる。そこは草原なんかでなく、骸と尸の山。よく見たような校舎や街の一部も入り混じった、この世の地獄の集合体ともいえるような、血の色をした絶望の世界。


「なぜだ?なぜ、なぜ動かない!動きに支障が出る傷は治療したはずだ!この身体も、何らかの欠陥品だというのか!」


「半分だからだよ」


 その中心で叫ぶ黒髪黒眼の男に、氷の脚で歩み寄っていく。今度は、辿り着ける。


「なに……ごふっ!?」


「この身体を動かすには、俺の魂も必要だ」


 近寄って振り向いた『魔神』を、掴めなかった拳で殴る。今度は、届いた。


「さぁ、最終決戦だ」


 涙の乾かぬ黒い瞳が、『魔神』の眼を射抜く。その眼に宿るは、絶対の確信。揺るがぬ決意。


 失ったもの、守りたいもの、託されたもの。それら全てを背負い、彼は今ここに立つ。


 彼の名は、桜義 仁。幻想と現実の世界を救う『勇者』である。


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