表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
幻想現実世界の勇者  作者: ペサ
幻想現実世界の勇者
191/266

第155話 絶望とその先に


 死んだと思ったのに、瞼の奥の光が消えない。死後の世界も明るいのかと恐る恐る開いてみれば、そこは夜の家の中。


「君は誰だ?」


 ようやく一人で歩けるようになったくらいの白髪の子供が、黒い眼を真剣に見開いて手を動かしている。問い尋ねても、彼はまるでティアモの声が聞こえていないかのように、震える小さな腕で文字を書き続けていた。


「彼の名前はログ・デルフィニウム・カッシニアヌム・ライター。けど、話しかけても無駄だ。ここは記憶の中だからね」


「貴方にも同様の質問がしたいのだが。君は記憶の主ではないだろう?」


 既に起こった事であり、干渉は不可能。そう教えてくれた目の前の茶髪の男は誰なのか。ここは察するに、『魔神』の記憶の中だろう。しかし、彼は黒髪黒眼ではないし、物腰も非常に柔らかだ。とてもじゃないが、『魔神』とは思えなかった。


「俺は……約束を待つ者とだけ。俺の話はつまらないし悲しいし、長くて時間が足りないから」


「ごめんなさい。大体読めたわ。貴方が、魔女の物語に出てくる『勇者』」


 思えないと言うだけで確定ではない。無礼を承知で勝手に心の中を読み正体を探ったティアモは、見てしまった悲痛と幸せな過去に頭を下げる。無礼と罪悪感に得た名前を呼べば、彼は懐かしそうに微笑み頷いた。


「不便だけど、たまには役に立つ能力だね。お茶はいかがかな?それくらいの時間はまだあるし、何より美味しいよ」


「……いただこう」


 座り心地の良い椅子や程よい高さの綺麗な白い机、色とりどりのお菓子に鼻をくすぐるお茶が、いつの間にやら自分の後ろにあった。


「驚いたかい?慣れるとこういうこともできる。ここは精神の世界だからね。望んで願うだけなら、いくらでも自由だ」


 いつ置かれたのか全く分からず困惑しているティアモに、『勇者』はこの世界のルールを説明し、椅子を引いて腰掛ける。彼女も未だ理解できぬまま、勧められた椅子に腰掛けた。


「俺の仲間が教えてくれたお茶でね。ヒナって子なんだけど、これまたすごい。なにせ、王様にお茶の淹れ方を教えた事があるっていうんだから」


「それはすごいな。王もヒナ殿も。むっ、これは確かに美味しい……」


 心を読まずとも、嬉しそうな話し方で真実だと分かる。同時に含まれる悲しみの影で、そのヒナという女性がどうなったのかも、分かる。見てしまった光景を忘れるようにお茶とお菓子を口に含み、美味しさに驚いた。


「ありがとう。彼女を超えられる気は、まだしないけどね」


「……時間がないとの事でいくつか聞きたいのだが、よろしいか?」


「どうぞ。俺はその為にここにいる。知らないことは答えられないけどね」


「当たり前だが真理だな。椅子が空いているが、これはもしや『魔神』の……」


 この味にまだ上があるのかとティアモは思わされつつ、許可を取ってから質問に入る。まずは、自らの隣に用意された手付かずの菓子と空いた椅子について。まさか『勇者』と『魔神』がお茶友達かと疑ったが、


「いいや、ちがう。もう少ししたら明かすよ」


「…………分かった。では、この場面はなんだ?」


 最初からいきなり内緒でごめんと謝まられ、ティアモは次の話題へ。この幼子が何かを書いている場面が『魔神』の記憶なのだとしたら、それは何を意味するのか。また、デルフィニウムと呼ばれたこの子は誰なのか。『魔神』の過去なのか、それとも『魔神』が見ている光景なのか。


「『魔女』と『記録者』の子供に、『魔神』が取り憑いて伝説を歪める瞬間さ。嘘を一切使わず、『記録者』の系統外で世界を騙そうとしている」


 これは『魔神』が伝説を偽造し、忌み子という嘘を生み出した瞬間だった。目的は言わずもがな、自らが復活する為に。


「『魔神』が誰にでも憑依できるなら、この子に憑依するのは」


「それは出来なかった。二つの意味でね」


 なぜそんな回りくどい事をしたのか、ティアモには理解できなかった。デルフィニウムという格好の憑依対象がいるのだ。彼に憑依して、外に出て行けばいい話だろうに。


「一つは約束を結んでしまった事。彼はクロユリとロロに、息子には憑依しないと約束してしまったんだ」


「憑依?取り憑くとは違うのか?」


「魂を喰らわず、系統外も奪わず借りて使えるだけ。要は同居人の状態が取り憑くさ。約束の抜け穴を掻い潜って、彼は伝説を書き換えた」


 憑依はしないとは言ったが、取り憑かないとは言っていない。卑怯な屁理屈に聞こえるが、それでも『魔神』は彼なりの筋は通した。約束を破って外には出ず、何年後になるか分からない賭けをした。


「そして二つ目は、デルフィニウムが受け継いだ系統外を恐れたから。憑依したとしても、魔法を使う度に記憶を失う『魔女』の系統外まで奪ってしまえば元も子もない。場合によっては約束を破った事で、『記録者』の系統外で死ぬ可能性すらあった」


 正確に言えば、憑依出来ないというのが正しい。デルフィニウムだけの魔力量ならまだ『魔女』の系統外は発動しないが、そこに自分の分が加われば限界を超えてしまう。その上約束を破った事を嘘と見なされ、『記録者』の系統外が発動しようものなら死んでしまう。そう『魔神』は予測し、憑依出来なかったのだ。


「……不思議だな。『魔神』のこの時の感情は、罪悪感と躊躇いに満ちている」


「そういう男なんだよ。約束は破っていないが、半ば騙したような感じだし」


「世界を滅ぼそうとしているくせにか?」


「彼は彼なりの正義を貫いている。自らが悪しき行いと認識した事をすれば、罪悪感だって覚えるだろうさ」


 人間を皆殺しにして人類を入れ替えようとしているのに、個人との間に交わした契約を守ろうとする。抜け穴を突いて欺いた事、そしてこの行いが生み出す悲劇に罪悪感を覚えている。おかしな話だ。


「ならば、なぜやめないか。毒をもって毒を制すように、彼は悲劇をもって悲劇の螺旋を断ち切ろうとしたから」


「……僅かながら理解出来てしまうな。私も、人間が嫌いで仕方なかった時期があった。それに、私のしてきた事と同じだ」


 悲劇を避けるために忌み子を殺し続けた騎士と、『魔神』は同じだった。それは、メリアもあの街にいた少年と少女達もまた。そして目の前で紅茶とお菓子を楽しむ『勇者』も。全員が全員、戦って悲劇で悲劇を断ち切ろうとしていた。


 しかし、そんな切り方で終わる訳がない。断ち切る為に新しい悲劇が生まれているのだから。


「『魔神』の理想が叶えば、恐らく本当に悲劇は消えてなくなるだろうね。どう足掻こうが、人が人である限りこの螺旋は消えない」


「……人類の滅亡という悲劇以外で断ち切る方法はないと」


「俺と『魔神』はそう考えている」


 たった一つ。たった一つだけ例外の悲劇あるならば、悲劇を生む存在である人類の滅亡ただそれだけ。『勇者』と『魔神』はそう結論付けた。


「では、なぜここに?」


 『魔神』の思想が正解だと思うなら、なぜここで呑気に敵とお茶を飲んでいるのか。明かさなくてもいいような過去を明かすのか。


「そうじゃない答えを、誰かが出してくれるんじゃないかなって、期待して。『魔神』は自ら出した答えを信じて突き進んだ。でも、俺は違う答えが欲しい」


 同じ正解を出した二人だったが、向いた方向は真逆。絶望を信じた者は人類の破滅を目論み、希望を信じた者は待ち続けている。


「ここで彼をねじ伏られる答えを出せなかったから、俺じゃ勝てない。本当は『魔神』の力で世界を平和にして『魔女』に復讐したかったけど、もう叶わないみたいだ。だから、誰かに託す事にした」


 自分の出した結論、知る『魔神』の性格や過去を渡し、それら全てを把握した上で、自分とは違う答えを出せる人間を。


 一体どれだけの時を、彼は待ち続けて来たのだろうか。気の遠くなるような年月、精神のみになっても心を保ち続けて、信じ続けて来た。その時間を思い、読み取ってしまったティアモはお茶を持つ手が震えて、咄嗟にカップを皿に戻す。


「私、は」


 そして、考えた。彼が望む答えを、自分が出せるかどうか。どれくらい悩み続けたかは分からない。彼は目を瞑ったり、お茶を飲んだりお菓子を食べたりして、今も待ち続けている。


「私は、『魔神』の方法以外、見つけられない」


 だけど、どれだけ悩んでも、全ての悲劇を断ち切るなんて方法は思いつかなかった。当たり前だ。どれだけ多くの人間がこの世にいると思うのか。彼らを一人一人監視して、何か問題が起きる度に双方が納得のいく答えを出し続けるなんて無理な話だ。


「……気に病む事はないよ。それが普通だから。人は悲しい生き物だってのは、分かり切ってる」


 元からが無理難題だったと。1+1=2と同様に確定した唯一の正解を『魔神』が既に獲得していると、『勇者』は微笑んだ。ティアモなんて用済みだろうに、もう一杯いかがかな?と、彼はポットを手に取り。


「でも、答えなんてなくても、私はそんな悲しい生き物を守りたいと思う。好き、だから」


「…………」


 ティアモの発言に、彼はその手を止めた。盲点から剣が飛び出して来たような、そんな表情。彼はゆっくりとポットを元の位置に戻して、顎に手を当てて考える。


「なるほど。そう、だね。答えなんかなくても、守りたいか……」


 きっと彼は答えに囚われすぎて、いつしか見失ってしまったのだろう。論で『魔神』を倒そうとしてこだわって、感情を蔑ろにしてしまった。特に考えなくても身体が動くような反射を、身体を失ってから久しすぎて忘れてしまった。


「君達なら、いい線行くかもしれないね」


「えっ?達……?」


「二人して全く同じような答えを出すなんて、さすがは姉妹だ」


 またしてもいつの間にやら。隣の空いていたはずの席にとても見覚えのある、久しい人が座っていた。手付かずだった空の席の前の茶菓子は半分以上が消え、お茶の注がれていない新品同然だったカップには飲み残しが僅かに。


「メリア姉様?」


「え?ティアモ?後から来るんじゃなかったの?驚かせたかったのに私今すごく驚いてるんだけど」

 

 互いに隔離されて、同時に『勇者』と話をしていたらしい。姉妹で顔を見合わせて同じような表情で驚いている。『勇者』を睨むタイミングまで同じと来たら、もはや彼は笑うしかない。


「いやぁ、本当にそっくりだね。さ、もうすぐお時間だ。答えがないという答え、証明して来て欲しい」


「あらいやだ。こんな美味しいの久しぶりだし金輪際食べれなさそうなのに……お持ち帰りはできないの!?」


「……ここでこんなに呑気な人は初めて見た……あとごめん。お持ち帰りはちょっと」


「それは一体……!私は既に『魔神』に魂を喰われたはずじゃ!」


 時間がないなら今の内にと、お茶とお菓子のペースを上げた姉上の残念さに本物そっくりだなと頭の片隅で驚きつつ、『勇者』の言葉に食いつく。『魔神』の支配は絶対だというのは、忌み子限定という間違いはあれどしっかり伝わっていたから。


「八割くらいは喰われたわ。でも、私もティアモも残り二割ずつまだ生きてる」


「なんで、姉様が?これは貴方の用意した幻影ではなく?あとボロボロこぼさないでください」


「失礼ね。きちんと正真正銘のメリア・グラジオラス。ティアモのお姉ちゃんだわ。ん、ご馳走さま」


「姉様だ……いや、魂とはどういう事ですか!」


 唇の端についた食べかすを指で集めて舌に乗せ、手を合わせた姉にああ本物だと確信する。悲しいが、こういう人だった。しかし、分からないのは魂の割合の事。メリアは自らの心を読むように指示し、そして。


「……」


「ごめんなさい」


 全てを知ったティアモは、黙り込んでしまった。そんな未来を一人だけで抱え込んで、最後まで誰にも言わなかった姉に一言言いたかった。読んだ心の内容に、心底嫌だと叫びたかった。


「確定、しているのですね」


「うん。私が一度観てしまった以上、そこは変わらない。何があっても」


 一番守りたかったはずのものが、もう守れないと運命に決められているなんて。なんと残酷な力だろうか。観たくもなく、避けられないような未来を見せられる。


「でも、その先は変えられるかもしれないのですね」


 観た場面の結果は必ず変わらない。けれど、その意味を変えれば、必然的に未来は変わる。涙を流して頷いて肯定したメリアに、ティアモも同じく頰を濡らしながら覚悟を決める。


「恐らく、系統外の発動を抑えるので精一杯だろう。『魔神』の方が2:1ほど、魂の量が大きいから。後は外部に任せるしかない」


「……分かった。最善を尽くそう」


 出来るのは手助けと受容。一度は勘違いで経験した覚悟が一つ。狂おしいほど辛くて、嫌でたまらなくて、叫びたくて抗いたくて、その上で諦めるしかなかった覚悟で二つ。


「本当に、ダメなお姉ちゃんで、ごめんね」


「いえ。メリア姉様がいなければ世界は滅び、私もあの時死んでいました。ここまで長生きできたのも、最後に世界を救えるのも、姉様のおかげです」


 どうしようもない。きっとそういう運命だった。自分が生まれなければよかったとメリアは言ったが、むしろティアモは少しだけ寿命が延びた。いや、それ以前にジルハードと出会えたのは、メリアがいたからだ。


「私はずっと、幸せでした……また三人で、こんなお茶会をしましょう。メリア姉様」


「……父さんが仲間外れに泣くわね。あの人にだけ魂分けなかったし」


 予想外の時間はほんの数ヶ月。でも、そのほんの数ヶ月と、家族と仲間とと共に歩んで来た今までの人生は、悔いはあれど、幸せに満ちていたものだった。例え、無意味な虐殺に血塗られていたとしても、幸せだけは否定できなかった。


「私達に幸せをくれた人達を、少しでも守りましょう」


「私たちが殺した人達に、少しでも報いましょう」


 運命を決められた悲しき生き物達。定められた死と知りながらも、二人は立ち上がった。


「…………どうなるか、見逃せないな」


 茶会の世界から現世へと戻った二人を見送り、事の顛末を内側から見届けようと、耳と目を凝らす。


「絶望のその先に至りし者が、ついに君に牙を剥いたぞ」









 そうして時間は進み、『魔神』の動きをティアモとメリアが抑え込んでいる今。何度も殺しあった二人と一人が手を組んでいた。


「愚かな。『魔女』の魔法を撃ち込めば、終わるかも知れないものを」


「俺らが負けそうになる、もしくはお前が逃げそうになったらそうなるよ」


 『魔女』の魔法を使えば、『魔神』を殺せるだろう。しかしそれはこの場の全員を道連れにした上、魔法陣に必要な魔力が足らなくなる可能性を大いに含む。仁の世界に借りのある『魔女』とジルハード達は、仁の世界を救う為にその方法を選ばなかった。


「なら、決まりだな。貴様らとほどほどに遊んで、その間にこの二人の魂を喰らい尽くし、完全体に戻るとしよう」


 仁の世界を救う為の方法ではあるが、これは『魔神』にとっても希望のある方法だ。数分あればいい。魂の残りを喰らい尽くすのには、充分過ぎる時間だ。


「それまでが、勝負」


 その前に、仁とジルハードが『魔神』を殺す。これがシオンも街も救う為の勝利条件。しくじったならば良くてシオンの死、次点で街の全滅、最悪は『魔神』の完全なる復活。


 これは名実共に、世界を賭けた戦いだ。


「仁、てめぇに俺が合わせてやる」


「ああ、頼むぜ」


 ジルハードの技術の域は仁と比べ物にならない。よって、シオンとの共闘の時と同じく、仁は好き勝手に振る舞い、騎士にカバーを頼む方針に決めた。


「今にも倒れそうな身体だな。無理をすると死ぬのではないか?」


「知らないよ。今は君を殺したくて仕方がない」


 先程までは今にも倒れそうだった身体を、希望と殺意だけで奮い立たせる。一歩目と二歩目は普通に。三歩目で『限壊』して一気に加速。タイミングをずらして『魔神』の正面へ。


「シオンに深手を負わせた。俺らの世界をめちゃくちゃにした」


「ティアモの魂を喰らいやがった。俺達に罪を背負わせた」


 痛みは酷いし、出血も再開して大騒ぎだ。普通ならもう折れている。仁もジルハードも気を失っていてもおかしくない。だが、この憎しみは。大切な人の魂を喰らい、大切な人に血を流させ、大切な世界を壊されたこの怒りが、身体に満ちていた。抜け落ちていく血の代わりに身体を駆け巡っていた。痛みなんかよりずっとずっと、身体が感じていた。


「そして、君がラスボスだ」


 痛みなんて知らないから、一太刀あびせろと腕に命じる。ここが正念場と本能が悟る。持久走でいう最後の一周と脚が誤解する。死んでもいいから、後先なんて考えなくてもいいからと心が叫ぶ。


「倒した時の報酬、理解しているかい?ここで勝てるなら、死んでも構わないほど魅力的なくらいさ」


 今なら、全ての元凶である『魔神』を殺せる。『魔女』に帰還の魔法陣の発動を頼める。元の平和な世界が戻ってくる。シオンの治療だって、騎士の医療班に頼めるだろう。どれも、仁が命を引き換えにしても構わないと思うもの。それが三つも同時と来た。無理をしないわけがない。


「俺もそう思う。ぶっちゃけると、俺にもう生きる意味はねえ。だが、ここでてめぇを倒す意味はあるんだよ」


 ジルハードにとっても仇討ちであり、二人の妻が守ろうとしたものを守る為であり、全人類による悲願でもある。彼にこの先はない。しかし、その三つを手にする事だけは、どうしても叶えたかった。


「私にだって、為さねばならぬことがある!」


 しかし、『魔神』も譲らない。技術なき速さと力だけの仁の剣を、幾星霜の月日にて練り上げた剣が防ぐ。彼の生きて来た時間は伊達ではない。本来の技術であれば、ジルハードやシオンをも凌ぐかもしれない。


「残念ながら、ほとんどの人類がその為さねばならぬ事に大反対するだろうよ」


 だが悲しいことに、『魔神』は一人だ。内側からはティアモとメリアが系統外を封じ、体の動きを阻害してくる。その上、仁とジルハードの二人がかり。仁の背後から飛び出して来た騎士の剣に、聖剣があっさりと巻き取られる。


「ぐっ……!」


 『魔神』はしっかりと聖剣で対応したつもりだった。だが、ジルハードの剣と交わる瞬間、『魔神』の髪と眼が美しい蒼色に変わる。メリアとティアモが動きを止めたのだ。いくら技術をもっていようが、身体が動かなければ活かしようがない。すぐにメリアとティアモをねじ伏せて予備の剣を引き抜いて構えて、その時にはもう遅い。目の前に浮かぶは氷の花。


「人類は自らの死以上に大切なものがあると、何故気づかない。個人なんかより世界そのものに眼を向けるべきだと、何故思わない」


 仁の動きを読んだジルハードが左から、読まれたと分かっている仁が右へと別れる。正面には置き土産のジルハードが作った火球を仁の氷がパイ包み。弾け飛んだ氷の礫が、ティアモの身体に穴を開ける。


「少なくとも俺達はもう気付いて、その為に戦っているんだが」


「君こそ世界中が自分の思い通りになるもんじゃないって、いい加減に気付きなよ。この世が残酷で個人の力なんてちっぽけだって、思いなよ」


 背後へと回り込み、氷の礫をティアモの身体を盾にしてやり過ごした仁は言葉共に剣を振るう。普通の速度と『限壊』の速さを織り交ぜた、単純な軌道を出来る限り鍛えた剣だ。この残酷な世界で、死以上に大切なものに気付き、それを守る為に鍛え上げられた剣だ。


「元から俺は世界を守る為に戦ってたぜ?世界って言っても、俺の世界だけどな」


「所詮個人ではないか!言っても分からないのか!この、馬鹿は!」


「馬鹿に馬鹿って言うやつが世界一馬鹿だ。無意味だって分からねえのか?」


 角度は90°変わり、ジルハードは火球を未来の仁を巻き込まない位置に置きながら、剣を振るう。とうの昔に決めた自分の世界の為に。『魔神』が何とどう言おうが、ジルハードにとって世界とは彼女達だった。


「……負け、られんのだっ!」


「こっちのセリフだよ!」


 血を吐いて、血を撒き散らして、『勇者』と『騎士』は『魔神』と拮抗する。いつもの剣よりはずっと遅くて詰めが甘くて、時折ふらついて意識が飛びそうになっても、その瞳に宿る色は今までにないほど濃く。勝利を渇望する意志は、崩れそうになる身体をあと一回だけと言い聞かせる。そしてそれを馬鹿に無様に何度も何度も繰り返し続ける。『魔神』が倒れるその時まで。


 ボロボロの二人の連携は、皮肉な事に息がぴったりだった。三度も本気で殺しあった仲なのだ。戦う度に、今と同じくらい傷ついて限界を超えてきた。そして、その剣を見てきたのだ。


 こうまで即席で合わせられるとは思わなかったぜ。


 騎士は少年の速さと力に恐れて、何度も戦い方を脳内で考えていた。どうやったら勝てるかと研究し続けた。内心では、ドロドロに溶けた溶岩のような感情による剣の成長速度に拍手を送っていた。


 僕らの戦い方、よく知ってるよ。


 ああ、合わせてくれてるな。


 少年は騎士の強さと技術に憧れて、何度も真似をして剣を振った。もちろん、一番の憧れはシオンだったけれど、彼の剣にはシオンの剣にはない物もあったから。だから、ほんの少し。仁が分かるのはほんの一端だけ。でもそのほんの一端の部分だけが、二人の動きを繋ぎ合わせていた。


 許すことはないし、好意を持つ事なんてありえない。しかし、互いに互いの剣と強さと心だけは、認めている。


 互いに共通している。守りたいものがある。その為に剣を振るう。


 氷と炎が交差する。かつてはぶつかり合って相殺したそれらは、今となっては互いに協力し合っている。氷の盾がジルハードを守り、その盾に彼が火球を隠して爆発させる事で攻撃に転換。仁に向かう氷の礫は、ジルハードの炎の壁が全て焼き払う。


 二つと三つしかなく、基本的には義手と義足に使われる魔法枠だって、互いに上手く管理している。ジルハードが壁役を務める時は仁が氷の刻印で援護し、仁が壁役の時はジルハードが存分に炎を振るう。


「ぐっ……系統外に、頼り過ぎていたのか……!」


 『魔神』が本来の力を出せるなら、この程度の攻撃はなんともなかっただろう。いくつかの系統外を併用すれば、すぐに戦いが終わる。そもそも『病災』や『侵毒』で戦う前からの勝利は確定していた。だが、今はそれらがない。


「認めよう。今は貴様らの方が強い。貴様らにも信念があり、正義がある」


 無敵に近い系統外の皮を剥いでやれば、後に残るのは年月による魔法と剣のみ。系統外である障壁でさえ奪われ、まともに動かない身体にでは不利だった。


「だが、私にもそれらはあるっ!」


 だがその不利の中、仁やジルハードと同じくらいの傷を負いながらも『魔神』は立ち続ける。動きを阻害するメリアとティアモを執念で振り払って身体を駆使し、かつての戦いの記憶を呼び覚まして対応し続ける。


「こいつ、ここに来て……!」


 徐々に動きを取り戻していく『魔神』に、僕が意識を繋ぎ止める意味合いも込めて悪態を吐く。


 対する仁達は、時間が過ぎれば過ぎるほどに身体は傷付き、精彩さを欠いていく。それは仕方のない事だ。いくら気力や憎しみの火を燃やそうが、身体には限界がある。もうそんなものとっくに超えて、さらにその先を超えて動かしているのだ。もういつどの瞬間に突然意識が消えてもおかしくはなかった。


「まだだ、まだ、あと少し持ってくれ……!」


 自分達だけじゃない。先程から『魔神』の動きが良くなっている理由の一つに、恐らくメリアとティアモの魂が無くなりかけているのがある。むしろ少ない魂で良くこれだけの時間、絶対の支配に抗えたものだ。


 互いに全てが懸かっている。救いたいもの守りたいもの、繋ぎたいもの。そして、叶えたい夢や使命。


「もう、俺の命なんていいから!」


 残った片方の視界が霞む。頭が溶岩だ。手脚もほとんど感覚がない。メリアとティアモの声が消えていく。ジルハードも傷が開いたのか血を吹き出した。様々な理由での限界が近い。でも、その中でまた全てを吐き出して、大切な少女や街を思い描いて、剣を握る手で祈る。


「あの人達を、僕達に幸せと意味をくれたあの人達を、助けさせておくれよ!」


 いいだろう香花。望むのならこんな命をくれてやる。その代わりだ。その代わりに、助けさせてくれ。


「クロユリ。準備しよう」


「……ええ」


 その時が近いと澄ましていた仁の耳は、二人の決断の声を聞き逃さなかった。今まで何度も下して来た、切り捨てる為の決断。悔しさと申し訳なさの溢れた感情の声に、今一度剣を強く握るも、『魔神』には届かない。


「あと、少し……!」


 それは仁の声なのか、『魔神』の声なのか。分からなかった。どちらもが必死だった。どちらもが譲れなかった。


「……っ!」


 悟った。届かない。一手。一手、何かに欠ける。四重刻印が頭を過るが、もう発動できる箇所は左腕しかない。果たしてこの身体で、左手だけで『魔神』を屠れるか?せめて脚が一本残っていればと、今更ながら隣で剣を振るう騎士との戦いで捨てた事を悔やむし、恨む。


「先程は忌々しくも思っていたが、今の貴様らは既に達成感へと変わりつつある」


 『魔神』の顔が、徐々に嬉々としたものに歪む。仁が敗北を確信したのと同様に、彼もまた勝利を確信したのだ。もう間に合わない。魔力も魔力眼も持たない仁でさえ理解出来るほど、背後のクロユリから放たれる魔力が高まっていく。


「やはり運命というものがあるならば、彼は私の悲願を選んでくれたようだ」


「いいや。運命は選ばねえよ。選ぶのは、抗うのは俺達だ」


 しかし、『魔神』に剣を弾かれながら、運命に挑み続けた騎士は語る。


「……運命の負け犬が何を吠えるか」


「しっかり首輪つけとかねえと噛み付いちまうぜ。てめぇにも、運命にもな」


 結局は負け続けたし、運命をなぞり続けた騎士だ。だが、それでも変わった事もあるし、変えられる事もある。


「……桜義 仁。全部、てめぇの望み通りにしてやる。『勇者』になってくれ」


「っ!?」


 駆け出したジルハードが残したその言葉の意味に、仁は気づいた。気付けた。確かにそれは、駄目押しの一手になるかもしれない。この戦いの後を考えれば、彼がその一手を打つのは、至って自然な事かもしれない。


 剣を振るって、防ぐ為の剣と合わさって金属音が鳴る。身体はボロボロで力が入らなかったのか、騎士の剣は弾かれて地面に転がった。獲物を無くしたジルハードに、『魔神』はトドメの一撃を振り下ろす。


「何を……っ!?」


 だがしかし、剣を弾き飛ばされたのも隙を晒したのも全てが策の内。剣が無くなったジルハードに、『魔神』は油断した。明確にして絶大なる隙があったから、そこを突いた。いや、誰だって突くような完全な隙だとも。


「捕まえた」


 だが、それが狙い。肩から深く入り込み、心臓にまで到達した剣を、ジルハードは筋肉と肉と内臓と骨で受け止めて、拘束した。


 剣をわざと落として誘導したのは、直前の仁との殺し合いで少年が偶然見せた技。身体を使って剣と敵を拘束するのは、いつの日かあの街での蓮達が見せた姿。


「貴様!もろとも死ぬ気か!?」


「愛する妻を抱いて死ねるんだ。本望だろうが……これも予定だしな」


 ティアモの身体に抱き着いたジルハードは、決して離しはしない。剣が身体の内側で暴れ狂おうとも、魔法が何発身体を貫通しようとも、決して。


「予定?」


「ああ、お前の言う運命様のな」


 これはそういう運命なのだ。メリアは『魔神』に魂を食い尽くされたティアモが、ジルハードを殺す未来を見た。一度未来を見てしまった以上、その未来で失う価値は変わらない。それは確定した事なのだ。


 果たして、メリアにとって最愛の夫と最愛の妹に釣り合う価値のあるものが、この世にはあるだろうか。この二人だけだ。この二人だけが、互いに釣り合う。だがしかし、この未来は同時にその二人が死亡している未来だ。つまり、他の価値の物を失うという変更が不可能だった。


 メリアは必死に抗った。今までの法則を何とかして壊せないかと試して試して、諦めて目的を変更せざるを得なかった。変更した目的、それは。


「見えなかった部分の未来を捻じ曲げる」


 ティアモが『魔神』に憑依され、魂を喰い尽くされるのは確定事項。ジルハードが死ぬのも、確定事項。見えた未来の、見えなかったその先は恐らく、ティアモの身体を完全に支配した『魔神』が世界を滅ぼすというものだろう。だが、それは予想であってメリアは見ておらず、まだ確定していない。


 だから、魂を分け与えてティアモに食い尽くされるまでの時間を作った。憑依されて食い尽くされる事実が変わらずとも、その僅かな時間で抗えるように。


 だから、ティアモはジルハードと自分の死を覚悟して抗った。最愛の夫と自分が死ぬならば、せめて『魔神』を道連れにして世界を救おうと。


「それに、約束してんだよ。今度は地獄の底までついて行くってな」


 だから、ジルハードは自らの死を自分で選んだ。最も効率的な捨て身の策で、約束を果たして消費した。メリアが見た確定事項を再現したのだ。


「どうだ運命様とやら……俺らは、勝ったぜ」


 ここまでが、定められた運命。しかし、これから先はまだ決められていない白紙の運命だ。本来なら『魔神』の復活で終わっていたはずの運命を、メリアとティアモとジルハードは抗って、白紙に戻してみせたのだ。


「怖いか?怖いだろ?それが人間の感じる恐怖だ『魔神』」


 もう死ぬのは確定した。だがそれまでは絶対に、何があろうと『魔神』の動きを止め続ける。ジルハードの死を予期した内側の二人の魂も、どこにこんな力があったのかと最後の抵抗を見せる。


「死の恐怖だ。やり残した事、守りたかった物、叶えたかった夢、会いたかった人。それら全てを失う。だから、人間は死を怖がる」


 全てを捨てて、命を失ってまで運命を乗り越えた三人に今『魔神』が感じている感情こそ、恐怖。人が死を怖がる所以。


「だがな、怖がらない奴もいる。それは死の向こうに望む全てがある馬鹿で、俺だ」


 ジルハードが笑って口にした言葉こそ、人が死を覚悟して戦える所以。


「どっちにしろようこそ!俺達醜い人間の世界へなぁ!」


 ジルハードが叫んだ歓迎の言葉に、『魔神』の顔が恐怖と屈辱に歪む。あれほど憎んだ存在である人間と同等に扱われた事に。これから迎えるであろう敗北に。


「……感謝、する」


 仁が望みを果たした。それは『魔神』の討伐でもあったし、ジルハードの命を終わらせる事でもあった。


「そして、さよならだ。絶望する気分はどうだ?『魔神』」


 前から心臓まで斬られ、数多の魔法に撃たれ。後方からの仁の剣に身体の中心を貫かれた騎士は、最後まで戦い抜いてみせた。


「がふっ……わ……たしの、夢は……」


 ジルハードから突き出た仁の剣に、心臓を穿たれたティアモの身体は、死へと向かう。血が流れ出て行く。目の光が消えて行く。声がかすれて、溶けて行く。


「は、な……」


 最後に、人の名前らしき二文字を残して、絶命した。


「…………ジルハード、ティアモ、メリア」


「最後まで本当に、英雄だった」


 仁達の戦いは、終わった。少年は剣から手を離して、その場に倒れ込んだ。








「……まさか、『魔神』を殺せるなんて、思ってもみなかったわ」


 声が近寄ってくる。余りの驚きに呆然とした声だ。無理もないだろう。仁達は遥か昔から人類の敵であった、かの『魔神』を殺したのだから。


「……早速で、すいませんが……お願いが、あります」


「魔法陣のことだな。分かっている。もう喋るな……本当に、死ぬぞ」


「……はや、く」


 限界を超えた身体に、更に無理を強いたのは理解出来ている。戦いが終わった途端、糸が切れたように身体が崩れ落ちて言う事を聞いてくれない。でも、それでも仁は自分の事なんかより先に、世界の剥離を頼んだ。


「シオンが、まち、が……」


 時間は一分一秒ですら惜しい。シオンの傷は応急処置でしかないし、街だって今存在しているかすら怪しいところだ。彼に今出来るのは、自分なんてどうでもいいから早くと急かすことだけ。今口にしたものを救う為だけに、仁は戦ってきたのだから。


「……分かった。クロユリ。この魔法陣だ。頼めるか?」


 このまま魔法を発動させれば、仁がどうなるかなんて分かっている。でも、ロロは彼の意思を尊重して、クロユリに例の魔法陣を見せた。


「すごい。こんなの見た事がないわ……よし。やるわね」


 仁でさえ、分かる。恐ろしいまでの力が、クロユリの身体から満ち溢れているのが。死にそうな身体に寒気がした。本能が震えていた。これから起こることはきっと、世界を変えるのだと理解した。


 彼女から出た光が、魔法陣を徐々に描いていく。最初は塔の壁。そして、いつしか突き抜けて遥か天空へと。


「え……?」


 だが、そこで止まった。魔法陣の完成度はおよそ八割。しかし、それ以上は進まない。


「ど、ういう……」


 魔法陣に不備があったのか。それとも何らかの妨害かと思って、青い『魔女』の顔を見た。そこにあった色は、絶望。


「魔力が、足らないわ」


 根本的なものが、足りなかった。仁達の旅路は最初から無駄だった。


「塔の維持に使い過ぎてた」


 恐らく、全快状態の『魔女』の魔力なら足りたのだろう。しかし、『魔女』は長い間塔を展開し続けていた。魔力を消費し過ぎていた。


「どれくらいで元に戻る?」


「……一ヶ月以上は」


 一ヶ月?そんなに長い間、街がもつわけが……


「絶望したな?」


 そこまで考えたところで、俺の視界から全ての光が消え去った。


「くはははははははははは!くははははははははは!」


「じ、仁!?気をしっかりも……いや、仁ではないな」


 気が触れたような叫びに心配そうに駆け寄ったロロが、変わらぬ黒髪黒眼の中に何かを見たのか悟る。すぐに魔力眼に切り替えれば、仁の身体には魔力が宿っていた。


「本当に、死んだと思った。だが、あいつらは詰めが甘かった」


 声は仁。しかし、離しているのは仁ではなく。


「肉体の死すなわち、魂の死ではない。メリアがそうだっただろうに……魂は少しの間、現世に残るというのに」


 メリアとティアモは、もう限界だった。ティアモの肉体が死んだ瞬間に、『魔神』の魂を手放してしまった。いや、もう拘束する力がなかったのか。


「やっとだ。やっと、完全に復活できた……」


 そんな事はどうでもいい。問題は、『魔神』が復活を遂げた事だ。『魔神』が死ななかった事だ。


「ついでに言うと、俺君はタイムカプセルでラブレターを埋めたのが黒歴史ね。もう掘り起こすの無理そうだけど」


「「「は?」」」


「うんうん。ずっと前から決めてたんだ。最後の台詞はこれってね」


 仁の口が発した、明らかに『魔神』ではない誰かの声の、全く空気にそぐわない内容にその場の誰もが驚いた。その声はロロやシオンが聞き慣れている、ふざけた僕の声。


「さぁ『魔神』。最終決戦だ」


 絶望のその先へ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ