第17話 恐怖と対価
断られた。お人好しに、確率の高かったはずの賭けに、勝ったと思っていた勝負に、断られた。
「そうか。無茶な願いしてすまなかった」
断られたことに照れ臭そうに頬をかく。という演技をしつつ、仁の内心はパニックに彩られていた。
勝算は確実にあった。このお人好しの少女なら、必ず断らないという自信があった。しかし、現実はこうもままならないものだ。慌てて自分をコントロールしなければ、感情をそのまま吐き出していたかもしれない。
(そんな下策、してたまるかよ)
ここで怒りでもしたら心象は悪くなる。我儘だと思われてはいけない。少しでも謙虚に、いい印象を植え付けなければならない。
(シオンに取り入って守ってもらうのが安定か)
心が読まれないとわかってから、好き勝手に思考を広げていく。思うだけなら、バレやしない。
「ごめんね。その、貸したいのは山々なんだけど、仁の言った刻印、どれも使えないものだから」
実際、シオンは彼の思考に気づかず、申し訳なさそうな表情で断った理由を述べた。ここまでは予想通りだったのだが、断った理由は予想の外にあった。
「貸せないからダメってわけではなく?それより、使えないってどういう?」
「……えーと。先に言っとくと、魔法陣と刻印の形は全部同じなの。けれど魔力が必要か、みたいな違いが他にもあるわ。魔法陣は書いた陣から魔法を吸い出して発動、刻印は刻まれた物質に発動するのね」
暗い顔から一転、得意そうな顔になったシオンは魔法陣と刻印の差異を教えていく。中々に難しい話で、俺の頭からは再び湯気が噴き出し始めた。正直、これだけの説明で分かる人間は、ほぼいないことだろう。
(僕は分かるけどね!)
「……分かってない顔ね。簡単な例えで説明するからよく聞いててよ?ここに木の棒が二本あります」
「おう……その虚空庫本当になんでも入ってんだな」
すっと出てきた大きな50cmほどの角材。サンドイッチに武器の山に角材。シオンの虚空庫の中がどうなっているのか、大変気になるラインナップである。
「こ、この角材何に使うの?」
「薪用ね。いつ何が起こるか分からないし。備蓄してれば料理の時とかに手間かからないしね」
「ああそっか。電気やガスなんてないからね」
火をつける際に使うのかと、納得する。日本ではガスコンロやオール電化による加熱が一般的で、薪を使うことは基本ない。
「相手をビリビリさせる魔法ならあるけど、電気でどうやって温まるの?教えてくれない?」
「……ごめん。僕もあまり仕組みまでは」
シオンにはどうも、電気で料理ができることが信じれないらしい。とは言っても、高校一年生までの知識しかない仁に、電気でどうやって熱するのかの知識などはない。好奇心できらきらと目を輝かせるシオンに、僕は困り顔で謝った。
「すまない。話を戻してほしいんだが……」
「あ、ごめんね。ちょっと待ってて。今魔法陣書くから」
シオンは虚空庫から取り出した羽ペンとインクで、角材に複雑な文字列を書いていく。何を書いてあるか仁には読めないが、ブレることを知らないかのような丁寧さであることだけは分かる。
「わお!シオンってすごい手先器用だね!」
「そう?嬉し……あ」
と、思い僕が褒めた矢先、シオンの手先がつるりと滑って陣が崩れた。なんとも言えない気まずい間の後、少女は何事もなかったように魔法陣の作成を再開。
「誰にでも失敗はあると、思う」
「……あ、ありがとう」
しかし、仁は黒髪で隠れた頰が真っ赤に染まっていることを、見逃さなかった。
「よし、出来た。見てて」
書き終えたシオンが槍を強く握り、刻印を起動させる。青い光が刻印の上を駆け、氷の刃が瞬時に穂先を覆いつくしていく。
「さっき俺が使った槍みたいなやつだな」
「ええ、そんなところね。で、今度は左手の魔法陣」
魔法陣が一度輝き、魔法が発動。しかし、氷の剣が形作られたのは槍の上ではなく、シオンの手の中だった。槍本体の魔法陣は光っただけで、何の変化も見られない。
「分かった?刻印は刻まれた物質だけ。魔法陣はどこにでも魔法を使えるの。身体強化の魔法陣がついた装備ってのは、何度か見たことあるわ」
「身体強化の魔法陣がついた装備は使えるけど、刻印の刻まれた装備は無理ってことか」
ようやく納得がいった。そのルールに従うなら、仁に身体強化の魔法は使えない。装備に刻んでも、その装備が身体強化されるという意味不明なことになる。
「幾つかの刻印は人に使えないって書いてあったしね。禁術だし、まだ解明も進んでないから、あんまり使用は控えたいかな」
「なんで解明が進んでないんだろうな?便利そうなのに」
「総合的に見たら、魔法陣に使う魔力の方がずっと少ないし、瞬間的に使う魔力で比べてもほんの僅かな差しかないのよ。その程度の差なら、自由度の高い魔法陣の方が使いやすくて……」
「刻印ってあんまり利点ないんだな」
「いや、僕らだけから見れば刻印の利点すごいよ?なにせ魔法陣なんか、僕らにとって役立たずだからね」
「禁術というのも、あまり研究が進んでない理由だと思うけど」
シオンも刻印は試しに刻んだくらいで、ろくに使ったことがないらしい。性能はほぼ魔法陣の方が優秀なようだが、魔力のない日本人からすれば刻印とはとてもありがたいものだ。
「身体強化が使えないってのはわかった。でも、虚空庫と障壁はその条件を突破できるんじゃないか?」
身体強化に関しては無理だと諦め、次の可能性を考える。鞄に刻印を彫れば、聞いたルールに従って中が虚空庫の鞄ができるだろうし、盾に刻印を刻めば障壁の盾になるはずだ。
しかし、それも無理と言うのはどういう訳なのか。
「んーとね。その二つは法則上、刻印でも使うことはできるとされているわ。理論上はね」
「法則上というのはなんらかの障害があるってことか?魔力が足りないとか」
「魔力が足りるかさえ分からないわよ。まずその二つの魔法には、魔法陣と刻印がないんだもの」
まさかの大元が存在しないという理由に、仁は目を見開いた。しかし、よく考えてみれば道理ではある。
「そう。存在しないのよ。みんなが使える虚空庫にまず魔法陣も必要ないし、障壁魔法だって少数しか使えないから。魔法陣があったらみんな使えちゃうし、場合によっては魔法と物理のどっちも防げる、最強の魔法になってしまうわ」
「それもそうか……」
「基本的に系統外の魔法も、魔法陣と刻印が存在しないって覚えておいた方がいいと思うわ」
納得のいく説明に、仁は自らの魔法への価値観を悔いる。そもそも魔力があることが大前提の世界のことだ。自分のように、魔力がない人間などいなかったのだろう。
「ワールドギャップを念頭に置いて考えたほうがいいね」
「さっきから言っているそれ、何かしら?」
「住んでるところで常識って全然違うねって意味」
「へ、へえ……」
魔法だけではなく、言葉も一部違うらしい。英語というか、カタカナが余り通じないようだ。そもそも世界が違うのに言語が通じている時点で、果てしなく異質に感じる。
考えられるのは翻訳の魔法というものが、例の世界融合の時に含まれていた場合。もしくは何か別の理由があるのか。
どちらにせよ、これからも末長く取り入って利用するなら、仁の世界にあってシオンの世界にないもの、またはその逆を知っていく必要がある。
「障壁とかはどっかの国が極秘で開発してそうだけど」
「その国が世界を支配しているだろうから、それはないと思う。開発できていたとしても、私が知らなきゃ使えないわ」
これもまた正論である。物理と魔法、どちらかを完全に無効化するバリアが貼れる兵士が十万人以上いたとしたら、もしくは極短時間とはいえ全ての攻撃を無効化する人間がいれば、世界征服など容易いことだろう。
実際、物理無効の障壁を張れる兵士が一人でも、日本人には勝ち目はないのだ。
「だよなぁ」
俺と僕は、返ってきた予想通りの答えにがっくりと肩を落とす。淡い期待といえど、裏切られたら悲しいものだ。
「魔法が使えるだけありがたいって考える」
「一応、障壁魔法に対抗できるってことだしね」
魔法が使えれば、障壁魔法を使う異世界人にも刃が届く。それだけではない。戦いの幅もきっと広がり、生き残る可能性だって増えるはずだ。
「……仁は障壁が使える人たちと戦いたいの?」
そう思い何気なく口にした一言に、シオンは想像以上の反応を見せる。その声音と目の色、表情は怯えや恐怖と呼ばれるものだ。
「いや、もし遭遇した時に戦えたらなぁと。自分から戦うなんて馬鹿なことは、しないよ」
避けれる危険はとことん避けるべきだ。わざわざ危険を冒しに行くなど馬鹿か、力のある者がすることだ。
「よかった……とてもじゃないけど、仁じゃ敵わないから」
仁の賢い答えにシオンが安心した表情を見せて、的確な宣告した。
「それは、障壁と身体強化を俺が使えないから?」
少々棘のある言い方になってしまったが、仁は反論しているわけではない。自分より強い少女の戦力分析だ。仁の分析などより遥かに正確だろう。
現実、身体能力も劣り、障壁も魔法も自在に使えない少年など大したものではない。それでも、さすがに軽く笑われながら勝てないと言われたら、仁だって苛立つものだ。
だがシオンは、それ以上の事柄を見つめていた。
「ごめんなさい。そ、その、それ以上に技術がないと思う。はっきり言うけれど全くの素人、変な癖がついてる分、それ以下かも」
「本当?」
「残念だけど」
頰の大きな傷をなぞりながら、シオンはおずおずと仁の極めて正当な評価を下す。
「……そうか」
仁だって素人以下と言われれば落ち込んでしまう。だが、仁が沈むのを許したのはほんの一秒までだ。この世界で生き残るのなら、少しでも下を向いてはいけない。
「誰にも教わらず、ずっと我流だったから。だから教えてくれないか?どうやったら強くなれる?」
「なんで、仁は強くなりたいの?」
だから彼はすぐさま上へと登ろうとした。それはなぜか?目の前の少女も、問う。
「俺は、生き残りたいから」
だって、下を向けば屍しかないのだから。
この言葉だけは心から自然と漏れ出たのであって、彼女に取り入るための言葉ではなかった。
「俺は、死にたくないから」
仲間を信じた愚か者は、裏切られ、食われかけた。裏切り、愚者を食らおうとした弱き者は、逆に絞め殺された。
この世界で愚かな者は裏切られ、貪られ。弱き者は犯され、殺される。生き残るのはより強く、より賢い者。
弱さを憂いる暇があれば、強くなるべきだろう。愚かさを悔いる暇があるなら、賢くなるべきだろう。
「だから、強くなりたい」
先も言ったようにこの少女は、超のつくお人好しだ。きっと頼めば強くしてくれる。
今までは生き残るのに必死で、戦う訓練なんてほとんどできなかった。しかし少女と共にこの家にいる限り、魔物の恐怖は大きく減る。訓練の時間だってきっと作れる。
「うん。いいわ。教えてあげる。けれど対価が欲しい」
仁の瞳と声になにかを感じとったのか、少女は大きく頷き、対価を求めた。
「対価?悪いが俺は今、何も持っていないんだが、どうすればいい?」
「出世払いにしようにも出世する会社がなくてね」
冗談はともかく、仁は本当に何も物を持っていない。こちらの世界で役に立つような知識はほぼ皆無であるし、銃の構造なんて爆発した勢いで弾が出るくらいしか分からない。本当に役に立たない、人間である。
「その、教える間だけでいいから、私の、話し相手になってくれない?」
しかし、シオンがとても言いにくそうに、何かを怖がるように口にしたのは、仁としても願ったり叶ったりの要求だった。
「そんなのでいいのか?」
「身体で払うつも、ぎゃー!」
「馬鹿はやめろ」
「う。うん。身体はいらないけど、話し相手は欲しいの」
もっと大きな対価を要求されるかと思っていた仁としては、拍子抜けそのもの。あまりにもこちらに利益のある要求に、内心では笑いが止まらない。予想外、想像外、想定外、奇想天外のこの世界であるが、ここまでありがたい予想外は初めてだ。
「身体強化使えないんじゃ私のが力持ちだわ」
「……ま、魔法が無ければ俺だって……」
「俺君やめときなって。多分シオンの方が強いよ」
シオンの男心を砕くような一言も、全く気にもならなかった。表面上は落ち込む振りで俯いて、ニヤけるのを堪えている。
「さて、これからたくさん鍛えてあげるわ!あ、そっちもお話聞かせて……よね?」
「こちらこそお願いします。別に話すのはいいけど、あんまり期待はしないでほしい。プレッシャーには弱くて」
シオンはまたおずおずと、仁は謙虚に笑うフリをして、三人は手を握り合った。
「プレッシャー?」
「重圧ってこと!まぁ、俺君あがり症なところあるからね……」
「ぷ、プレッシャーをかけないように頑張るわ」
こうして、強さを教える代わりに居候するという奇妙な契約が結ばれた。
「シィィッ!」
上段からの振り下ろし。刃は空気を切り裂きながら、少女へと近づいていく。刃は潰されておらず、当たりどころが悪ければ命を落とすかもしれない。
「無駄が多い。足元見えてない。隙がでかい。防御がおろそか」
まぁ、当たることは万が一にもないのだが。
「うっ!?」
下から片手で跳ね上げたシオンの剣が、両手で振り下ろした剣を内側から受け流す。天へと向かう剣はそこでは止まらず、仁の刃をなぞり上がり続けて金属音を奏で、
「また死んだわ」
「いっつ……」
仁の首の皮膚に薄く突き刺さった。もしこれが訓練ではなかったならば、宣告通り死んでいただろう。
「なにも本当に刺すことはないだろうに」
「泣き言言わない。ほら、後で治してあげるから次ね。ちゃっちゃか構える」
首から血を流し膝をついた少年を、少女は剣の先で顎をくいくいっと撫でて叱責する。
「なんで本当に刺すんだ……?」
顎に走った新たな痛みに顔を顰め、身体を見ながらシオンへ問う。この訓練の間に全身に刺し傷、切り傷、擦り傷、打撲、赤い線が幾度となく刻まれていた。偶然ではなく、明らかな故意。その意味は一体なんなのか、仁には分からなかった。
「きっと僕の剣が強すぎて、手加減できな」
「恐怖に慣れるためよ。いざ斬られる!って瞬間に反応できなかったら、死ぬだけだもの」
しかし、その理由を聞けば考え方は大いに変わる。僕のいつものおふざけが中断される程に、ぐうの音も出ない正論だった。
「ピンチな時に動けないのは、確かに危険か」
「ピンチ?」
「絶体絶命ってことだよ」
仁は魔物への恐怖を死への恐怖で塗り潰し、乗り越えてきた。しかしそれは、度が過ぎれば死への恐怖に飲まれてしまう諸刃の剣。恐怖に飲まれないよう、耐性をつける為ということか。
「分かったんだけど、同じ条件で訓練はしないのか?」
傷をつける理由は理解した。だが、傷ついているのは仁ばかりだ。技術の問題と言われれば頷くしかないし、現実そうだろう。
「さすがに強化を使えない俺達と、シオンじゃ少し差が」
「自分の何倍もの速度の相手と斬り合えってのは無理があるよ」
しかし、それ以上に身体能力が違いすぎる。仁が剣を一回振るう間に、シオンは数回は斬りつけてくるし、仁の両手の力をシオンは片手で超えてくる。魔法とは本当にデタラメだ。
「障壁魔法も、物理なのか魔法なのかどっちかわからなくて」
「本来なら、魔法か物理か確かめるために属性魔法を撃ち込んだりするんだけどね。それができないから仕方ない面はあるわ」
仁の魔法判定の攻撃手段は剣から伸びた氷の刃のみ。シオンは経験で仁の思考を読み、斬り合う度に障壁を適時切り替えているのだ。当たるかと思った攻撃は全て、彼女の直前で止まってしまう。
「っ!」
再び剣を強く握って、その時に潰れた豆に顔を大いにしかめる。両手にあるのは全く握り慣れていない剣だ。休憩を挟みつつとはいえ、それを何時間も振るっているのだから、もう腕がガタガタだった。
仁が剣を使っている理由は、槍を扱うには数多くの技術の修得が必須らしく、代わりにこっちと言われたから。たった一度、剣の握り方や構え方、振り方を教わっただけで、後はずっと実戦訓練の繰り返し。いくら実戦を想定しているとはいえ、はっきり言ってこれでは練習にならないと思ってしまった。
「もう少し、基礎から教えてはくれないか?まともに戦ったことがほとんどないんだ」
「戦場で、それ言える?」
仁のある種正しい意見に対し、少女は珍しく厳しい表情になり、これまた綺麗な正論で返してくる。その通りだ。戦場では弱いから、初心者だからといった理由で見逃してはくれない。
「私達忌み子は本来、いつどこで殺されてもおかしくないの。今この瞬間に戦場が来てもおかしくないの。そんな宿命を背負ってるのが、忌み子なの」
「……」
そう話す少女の目は暗く、どこか違うところを見ているようだった。彼女の手は無意識のうちに頬の傷と胸の辺りへと伸びている。
「相手は本気で私達を殺しにくる。身体強化も使って、障壁も使って。だから私は、仁がいつそうなってもすぐに対応できるように、こうやって教えたい。戦場で真っ先に死ぬのは運のない人と、初動が遅れた人だから」
シオンが語るのは今置かれている忌み子の現状と、実際の戦場のこと。最初の一撃を乗り切れない人間に次はない。しかし、それさえ乗り切れば、生きてさえいればチャンスはあると。
「剣術が身につくのは多少遅れるかもしれない。けれど、身体強化を使った相手の動きに慣れることの方が、生き残る確率は上がるわ」
「……甘えて、すまなかった」
現実を諭され、仁は唇と己の恥を噛みしめる。戦場の認識が甘かった。この程度で弱音を吐いて、どう生き残るというのか。
「本当、どうかしてた。あいつらには何の躊躇いもなかった」
剣を杖にもう一度立ち上がる。全身の筋肉が悲鳴を上げ、脳が来るとわかっている痛みに怯える。足が震えて後ずさって、倒れてしまいたくなる。
「もう弱音は吐かない。もっともっとビシバシやってくれ」
けれど、心だけは無理に前を向いていた。少女はその姿勢に感心したように頷くと、
「分かったわ。さっきよりもっと強めでいくわよ。」
「ひぇっ!?」
更に勢いの増した剣撃を仁へと叩き込んだ。これ以降弱音は吐かなかったが、胃の中の物は吐くことになった。
「この石っころ、たまげたな」
上の光源を眺めた仁は、その正体に感嘆の声を漏らす。それは仁の世界には決してなかったものだ。
「うん。すっごいファンタジー。これLEDよりエコじゃん」
「えるいーでぃー?えこ?」
「エコは環境に優しいで、LEDは長持ち?」
「少し違うだろ……」
訓練も終わり日が暮れて、電球代わりの光る鉱石が照らす食卓。テーブルを挟んで向かい合うシオンへと、僕は少し意味の間違った言葉を教えていた。
「……美味しい」
「本当に美味しいよこれ!」
汚いと風呂に放り込まれ、さっぱり綺麗になった仁をテーブルの上の料理が待っていた。料理を見た仁の顔は、シオンの腹をよじれさせる程嬉しそうな顔だったらしい。
「〜〜〜〜〜〜!」
「食べたことない肉なんだけど、なにこれ?」
シオンの作った熱々のご馳走に舌鼓をうつ。何ヶ月ぶりのシチューだろう。クリーミーな濃い味わいと、柔らかいぷるぷるとした肉が非常にマッチしている。
「三つ叉鹿の肉よ。弱火でじっくり煮込むとこんなに柔らかくなるの。普通の鹿肉は硬くて臭みが強いんだけどね」
さっきからずっとご機嫌なシオンは更に胸を張って得意げに、料理と肉について説明していく。
「み、三つ叉鹿?角が三つ叉になってるの?」
「ええそうよ。あんまり人前に姿見せないし、この鹿、強くてみんな角で刺されちゃうから、あまり市場に流れないって本に書いてあったわ。仕留めた時も角が血で真っ赤だったし。奮発しちゃった」
「あ、ありがとう」
肉に臭みは無いが、血生臭いエピソードを聞かされ少しだけ食事の手が緩みそうになる。しかし目の前の、仁の食いっぷりをニコニコと楽しそうに見続ける少女の顔を見れば、もっと食べようという気分にさせられてしまう。
「本当に美味しいや」
「うま……っ!?ごほっ…げほっ!」
そして皿ごと食べそうな勢いでかっこみ、噎せた。仁の気管に詰まった肉が空気を通せんぼし、白目を剥く。久方ぶりの美味しい料理に、歯止めが効かなかったようだ。
「そんなに急いで食べなくてもいいわよ?ほら水」
慌てて差し出された水に感謝し、詰まった肉片を喉の奥へと流し込む。
「ありがとう。助かったよ」
「どういたしまして。お代わりいる?」
「お願いする。シオンはそれだけでいいのか?」
「ダイエット中?」
「だ、ダイエット?」
「誘惑との戦い」
鍋から皿におかわりをよそう後ろ姿に話しかける。さっきからずっと仁を眺めるだけで、シオンはシチューをほとんど食べていないのだ。
「んー……今日はいいわ。見てるだけでお腹いっぱいになりそうだから。いいなぁ、こういうの」
そう微笑まれ、仁の動きが止まる。見惚れたとか、そういうわけでは断じてない。余りにもシオンが無警戒過ぎるのだ。
こんな台詞を出会って一日目の異性に言うなど、常軌を逸しているとしか思えない。いや、もしかしたらこの世界ではそれが普通なのかもしれないし、ただの小食を誤魔化すためのお世辞なのかもしれない。
しかし仁にはとても、こんな短時間で惚れる或いは、懐くなど信じられなかった。シオンは人と接したことがなく、それ故に距離感が分からないからだろうか。
結論としては二人とも答えが出ない、ということだった。社会に出たこともなく、恋人ができたことも無い二人には難易度が高すぎる疑問だ。
この問題に関して考えるのをやめ、仁はしばらくぶりの本当に心の底から美味いと思える料理に夢中になった。
それをシオンはずっと、嬉しそうに眺めていた。
世界がとっぷりと暮れた深夜。ベッドに腰掛けて身振り手振りを交えつつ話を語る少年と、椅子に座って彼の話に目を輝かせる少女が、電球代わりの鉱石の光に照らされていた。
「ねぇ!それで!それで続きはどうなったの!」
「ちょっ!近い近い!離れて……続きはまた明日にしよう」
興奮気味のシオンに詰め寄られ、仁はしどろもどろになってしまう。女子と夜中に、それに近距離で話したことなどない彼にとって、この状況は色々と不味い。
「話をするって言ったけど、さすがに1日に2つは無理だ」
今は寝る前にシオンへと払う対価を実行している最中だ。中学の頃に活字中毒だった仁は、話す物語には事欠かない。しかしいくら契約とはいえ、さすがに語る時間が1時間を過ぎれば口も疲れてしまう。
「あっ」
「それにこういう話は引き際が重要だと思う。ほら、明日の楽しみができるから」
(と言うのは建前でもう寝たいんだよね。口を動かすのも億劫だよ)
口を尖らせ不満を表す少女を、仁も口を駆使して丸め込む。おそらく食い下がるであろう少女へと、もう一度唇を動かそうするも、
「明日の……楽しみ。うん。そうするわ!」
「え、いいのか?」
あっさりと引き下がられてしまった。それもシオンは嬉しそうな表情であって、仁にはますます訳がわからない。
「うん、いいの!じゃ、今日は寝るわ。おやすみ?」
「ああ、おやすみ」
「って、シオンはどこで寝るんだい?」
椅子から立ち上がった少女の姿を見てようやく、仁はとても重要なことに気づいた。見た所、この家に2階もなければベットも一つしかない。
俺と僕の頭の中で妄想が次々と産まれていく。仁だって年頃の男子なのだ。あらぬ期待を抱くこともある。そして、そういうものは得てして顔に出るものだ。
「……なんか仁怖い」
「俺が床で寝る」
口では怖いと言うシオンだが、目と顔はもっと嫌がっていた。余りの申し訳なさに、仁は別の男らしさを見せようとする。
「寝床ぐらい、すぐ作れるから」
だが仁の申し出は、少女の首を振る動作にて断られた。
「え?作る?」
「ええ、簡単よ。ほら」
たったこれだけの会話の間に、シオンの目の前には木を組み合わせたベットがいつの間にかできていた。そこには、何もなかったはずなのに。
「また魔法?本当にすごいな」
「土属性の派生、木の魔法よ。ある程度なら自由に物が作れるわ。魔力の消費が他の魔法より多いのが玉に瑕なんだけど。はい、お勉強」
ただの木だけでは堅いと思ったのか、シオンは虚空庫から毛皮を何枚か取り出してベッドに載せていく。そのどれもがふわふわの毛の感触で、ふっかふかと柔らかそうな毛皮であり。
(なんか、こっちより豪華な気がするのは気のせい?)
仁に与えられたベッドの方より高級そうに見えてしまう。少女はそんな思いも知らず、出来立てホヤホヤのベッドに横になって少年を見て、
「また明日、お話聞かせてよね!楽しみにしてるから。おやすみなさい」
鉱石のライトを消しながら、本当に楽しそうに、おやすみを。
「……おやすみ」
しばらく暗闇を見つめていると、隣から寝息が聞こえてきた。無警戒な少女の寝息である。
(安全な場所で、女子が隣で寝てるとかさ)
(しかも寝息が聞こえるとかさ。シオンさん、絶対鬼だよぅ……)
翌朝、仁の目の下には酷い、それは酷いパンダのようなクマができていた。
シオンに笑われ、訳を聞かれて、仁が何も言わなかったのは言うまでもない。
『障壁魔法』
系統の基本三つの内の一つ。服装を含む発動者の表面に展開される透明な膜。物理もしくは魔法の攻撃を、完全に遮断する。銃弾だろうが爆弾だろうがミサイルだろうが、それこそ核兵器だろうが、それが物理である限り、物理障壁は通さない。魔法障壁もまた同様。
防げるのはどちらか片方のみで、同時発動な不可。展開するまでには一秒ほどの時間がかかる。魔力の消費が激しい。いくら魔力を込めても、範囲は拡大できない。才能に依存し、発動できる者はそう多くない。魔法陣や刻印がまだ発見されていないなど、欠点や制限も多い。
その性能は圧倒的の一言。持つ者持たざる者の差は大きすぎる。特に魔法の攻撃手段を持たない日本人では、攻撃を通す事はほぼ不可能になる。
以下、ちなみに。
それなりの人数が使える事、物理と魔法の同時展開はできないことから、属性魔法、身体魔法と並び基本三つに含まれてしまっている。しかし、本来なら系統外に分類されるべき魔法であった。元を辿れば、遥か昔にとある一人の男に発現した系統外の劣化版であり、その遺伝子を継ぐ者にのみ、発現しているからである。
その事を知る者はおらず、また同時に展開できない性質故に、現状の区別方法では正しく分類することが不可能な魔法である。




