第153話 『魔神』とシオン
覚悟と達成感を持って、『魔女』の部屋へと足を踏み入れる。真っ白な世界の中心で美しい黒髪の女性が、数多もの鎖に縛られて繋がれていた。他に誰もおらず、きっと彼女が『魔女』だろう。
「クロユリ!」
壁にもたれかかった仁を置き去りに、ロロは足が出せる限界の速度で彼女の元へ。感極まって涙ぐみながら、彼女の封印を解いていく。その姿は不老不死の『記録者』なんて存在とは程遠く、ただの人間にそっくりだった。
「起きてくれ!記憶は全部書いたぞ!」
「……ロロなの?ロロ?」
鎖が解けた彼女をよろけながらも受け止めたロロが、必死に何度も身体を揺さぶる。目を覚ましたクロユリは未だ夢か現実か分からないまま、最愛の名前を呼んだ。
「そうだ!ロロだ!君の夫で『記録者』のログ・ロロ・カッシニアヌム・ライターだ!」
「夢?」
「現実だ!ほら、痛いだろう!」
「あ、本当に痛い」
フルネームで名乗って、夢と聞かれれば強く抱き締めて痛みと声で現実と答える。ここまでの流れをずっと片目で見続けた仁はそんな場合じゃないんだがという気持ちと、早くシオンに会いたい衝動に襲われた。
「ああよかった!ずっと会いたかった!成分補充……」
「馬鹿っ!それどころじゃないの!現実だった方が本当に危険な状況だわ!」
「そんなに嬉しいか!たしかに君は感情が高まると魔力の制御が甘く」
「いい加減にして!『魔神』が私の中にいない!」
「……は?」
何を言っても聞き入れないロロの頰を思いっきり叩いてから一喝。ようやく伝えられた事実に、部屋の空気全てが凍り付いた。すぐに振り返ったロロが仁を見るも、俺は首を振るだけ。
「どういう事だ?」
それから事態を理解するのに、ロロも仁も時間がかかり過ぎた。いや、答えは一つで候補は二人しかいない。ただ、それを受け入れるのにひどく時間が必要だったというだけだ。というより、今だって受け入れたくはない。
「「下だ」」
仁はろくに動かない身体を引きずり、地べたを這いずって昇降機へと向かう。後ろから追いついたロロとクロユリも共に円の中へと入り、ボタンを押そうとした少年の左手を掴む。
「どうして止める!」
「待て!何の策もないまま行くのは危険過ぎる!気持ちは分かるが……」
最愛の少女を危機に晒された彼は鬼の形相で振り返って、止めようとした夫婦を睨み付ける。その視線に込められた必死さはロロにも痛い程分かるが、行かせるわけにはいかなかった。『魔神』が復活した以上、どの場所にどのような罠や待ち伏せが仕掛けてあるか分からない。行くならば、魔法による消毒をしてからでないと全滅する恐れがある。
「『魔神』が出て行ったのはもう十五分近く前よ。残念だけど、もう塔の外に……」
「憑依した対象がシオンなら、まだ可能性はある!どちらに『魔神』が取り憑いたか確かめさせてくれ!ロロ!説明しろ!」
ちょうど、仁とジルハードの戦いに決着が着いた後くらいだ。もう手遅れだとクロユリは告げるが、少年は嘘を吐けない『記録者』に協力を申し出ながら反論を続ける。
「下の階層で戦っているシオンという名前の女の子に、奴隷の首輪がつけてある。うっかり『魔神』が憑依あるいは取り憑こうものなら、あいつがシオンごと奴隷になる寸法だ」
仁がまだ希望を信じた理由。それは奴隷の首輪という、絶対の拘束力をもつ魔道具を用いた作戦を仕掛けていたから。
「首輪の主人は僕か俺君に設定されている!『魔神』が首輪の強制力を上回る何らかの系統外を持たない限り、彼は完全に僕らの支配下になるんだ!」
ティアモを絶望させない為だけに着けた訳ではない。シオンを『魔神』から守る意味もあったのだ。もし『魔神』がシオンに取り憑き罠にかかったなら、恐らく今もティアモに殺されないように戦い続けているはず。
「分かったわ。行きましょう。でも、名前を知らない勇敢な人。そうじゃない可能性も覚悟していなさい」
「……」
『魔神』の動きを完全に封じている間ならば、ロロの口からティアモに真実を話して戦闘を止められる。そうでない可能性もあるが、兎にも角にも行かねば分からない。そう言ってクロユリは昇降機のボタンを押した。
「戦いに、時間をかけ過ぎた」
景色が上へと登っていくように見える移動の間、仁はそうじゃない可能性を考えて、気が気じゃなかった。もっと早く自分がジルハードを倒していれば、こんな事にはならなかったかもしれない。そうやって、過去の自分を責め続ける。
「最初から四重刻印でも使っておけば……!」
そうすれば、すぐに勝てたかもしれない。しかし、昇降機の床に爪を立てる僕のそんな後悔には何の意味もない。もしかしたら防がれたかもしれないし、それ以前に過去は変えられない。
「もし、違う人に『魔神』が憑依していた場合の対策は?」
「一切無しだよ!それが起こらないようにシオンに首輪をつけてたんだから……ごめん」
焦りと不安で、初対面のクロユリに対する口調までもがつい荒くなる。熱くなってもいい事はないとすぐに謝って冷却するが、やはり思考は嫌な方向へと突っ走っている。
仮に、ティアモに『魔神』が憑依した場合どうなるか。移り変わったばかりの肉体で多少弱っている『魔神』とシオンの一対一だ。当たり前の事ではあるが、『魔神』が多少弱っていようが勝ち目はないだろう。
「シオン。頼む、死なないでくれ」
情けなく、惨めに俺は懇願する。シオンには会いたいが、彼女の死体には会いたくないと。この記憶になってからの時間はごく短い。でも、それでもその期間で、少女は心臓なんかよりずっと価値ある存在になった。
「君なんだよ。君は僕らの半身に等しい存在なんだ。全部君がくれて、今の僕らがいるんだよ」
命以外の全てを失った仁に、光を与えてくれた少女だった。人への信頼を諦めた仁に、もう一度信じようと思わせてくれた少女だった。仁が死にかける度に、自らの危険も顧みずに助けてくれた少女だった。仁が心から愛した少女だった。
「君だけには、死んで欲しくないんだよ……!」
思い浮かぶのは戦っている時の鋭く、美しい刃物のような顔。サンドウィッチを食べて、少し切なそうに美味しいと頬張った顔。デートでの関節キスの時に恥じらっていた顔。着物を着て、似合う?と不安そうに聞いていた顔。仁が嘘を吐こうとした時や突き放そうとした時に見せた、本気で怒った時の顔。朝目覚めた時に「おはよう」と笑った顔。プロポーズをした時と、指輪を渡した時の顔。
ああ、しかし。世界は非常に残酷なものだ。たかだか人間の恋愛感情など知った事はない。
片目を瞑って片手で祈り続ける少年の姿を、『記録者』と『魔女』は黙って見ていた。
時を、僅かばかり遡るとしよう。ほんの十五分だ。たかが900秒。矢のように過ぎる時間だろうが、人が死ぬのには余裕過ぎる時間だ。
「この女騎士が敗北する瞬間の絶望に入ろうとしたのだがな。君の一太刀は、その暇すら無く殺してしまいそうだった。実に肝が冷えたよ」
小さな円にぶつかった物全ての移動方向を『反転』させる系統外が、シオンの朱色の剣を弾き返していた。発動させた『魔神』が、ティアモの口で語り始める。
「なら、どうやって入ったの?絶望していなくても憑依できるの?」
「これは驚いた事に偶然だよ。私が近付いて、彼女が心を読んだ。そして知ってしまったのさ。忌み子なんていないという事を」
この塔の誰かの身体を奪おうと絶望を待っていた彼は偶然にも、『読心』の範囲内に入った。そして、ティアモは見てしまったのだ。
「……?どういう事?」
「私だ。この私が細工したんだ。忌み子という嘘の伝説を真実から組み立てて、世界中で迫害を生み出す」
一体誰が、この世界を歪めたのかを。歪められた伝説の真実を知ってしまった。自分が今まで正義と思って成してきた事全てが、ただの勘違いによる虐殺だと分かってしまった。その瞬間にティアモの心は、深い闇に覆われた。
「君は私に勝てると思うか?封印が全て解けた私にだ。誰にだって憑依して身体を奪い、悠久に生き続ける私に。数多の系統外を使いこなし、莫大な魔力を持つこの私に、人間が勝てると思うか?いいや、思わないだろうな。世界の片隅に敬遠されるだろう」
全世界の人間に憑依できると思われては勝ち目などない。挑む気など消え失せ、誰も近寄って来なくなる。それではいけない。一生『魔女』の中に閉じ込められたままだ。
「だから書き換えた。恨みを抱いた忌み子が『魔女』の元へと助けを求めに来るもよし、世界中から忌み子を消し去った騎士が『魔女』を殺しに来るもよし」
彼は真実を書き換える事で到底不可能に近く、しかし決して不可能とは言い切れない希望を創った。その希望は一部の無実な人間を有罪に偽装し、絶望を生み出した。『魔女』に近付く意味を創り上げた。そして近付いた瞬間に忌み子ならそのまま、騎士なら真実を伝えて希望を絶望へと反転させて、身体を奪おうとした。
「この世界には何がある分からない。もしかしたら、『魔女』の力を潜り抜けて私まで来れる人間が生まれるかもしれない。そう信じて期待して、待ち続けて何年が経ったか。私にとって、この世界融合は幸運以外の何物でもなかった」
もちろん、『魔女』の防衛線を超えてこれる人間がいるかは怪しかった。それでも僅かな可能性に縋り付いて待ち続け、この時が来た。新人類の為の世界そのものを守ったあげく、クロユリを封印に追い込んだ世界融合。そして今、ようやく解き放たれた。
「この身体は酷く馴染みにくいが、まぁ直に慣れるだろう。乗り換えた直後は大体こんなものだ」
とは言っても、最高の気分とはいかないようだ。手や足を準備運動のように動かしながら、『魔神』はそう愚痴る。ティアモのちっぽけな心が抵抗し続けているせいか、支配が完全ではないのだ。系統外の殆どが使用不可。おまけに、それなりに魅力的だったティアモ自身の持つ『読心』すら奪えない始末。
「まぁこの女が一番マシだったな。貴様の心はどうにも希望に溢れていて住みにくそうだ。『魔女』と『記録者』は論外として、上の二人も余りいい物件には見えなかった」
「貴方を殺すなら今、という事ね。私達の境遇が貴方の行いの上にあるというなら、俄然殺意が湧いて来たわ」
現状、他に憑依対象はおらず、大幅に弱体化していると告げた『魔神』に、シオンは剣を向けた。今ならもしかしたらと、思ったからだ。仁の世界が滅ぼされかけたのも、自分がこんな目に遭ったのも全てこの『魔神』が元凶であるのなら、殺したいと本気で思ったからだ。
「そうだ。そうやって、希望を抱け。その希望が余りにも無謀な勘違いで、星をその手に掴む程無謀な行いと知ったその時、貴様の心はより深き絶望に堕ちる……そろそろだろうか」
「何が?」
「やせ我慢するな。辛いだろう、苦しいだろう。今にも膝が折れそうだろう。死にそうだろう?」
希望が潰えた時にこそ、深く映えるのが絶望。そう言った『魔神』は、勇敢に剣を構えたシオンの内心を代弁するかのように言葉を並べていくが、
「だから、何が?」
「……身体が重くはないか?腐り始めていたり、心臓が痛かったりは……どういう事だ?」
「貴方と戦う重圧以外には何もないけれど、どうして?」
シオンの容態はプレッシャー以外至って良好。何の病気も症状もなく、別に健康そのものだと返された『魔神』は酷く困惑する。当然、その様子はシオンをも困惑させる。
「っ!?その指輪、系統外石か!?イヌマキの奴め、こんなところにまで保険を……!」
「……?その、指輪を褒めてくれたのは、ありがとう?」
分からないシオンをそのままに、木の左手薬指に光る指輪を見た『魔神』は全てを悟る。指輪にはめ込まれた宝石には、小国くらいの価値があるとイヌマキは言っていたが、あれはあながち嘘ではない。『魔神計画』の副産物で世界に数個とない、系統外を秘めた宝石がそこにはあった。
『魔神』はシオンと会話をしている最中、周囲の者を病魔に侵す『病災』、毒素を撒き散らす『侵毒』、肉を腐らせる『腐敗』の系統外を使用していた。これらの系統外は人間であるならば、近付いただけで死に至らせるというふざけた性能を誇る。病や毒に対する系統外、もしくは異常な再生能力がない限り、人は『魔神』の前に立つ事を許されない。
『魔神』が人間に対する特化兵器であった理由なのだが、計算か偶然かは分からない。シオンの指輪は、それら全ての系統外を無力化していた。
「まぁ何も変わりはない」
この三つと今は使えない『真空』が人間に対する必殺の系統外ではあった。しかし、何も『魔神』の力はそれだけではない。いやむしろこの四つなど、氷山の一角以下だ。
「私がこの手で潰せばいいだけの話だ」
その一言共に、『魔神』が戦闘形態へと移行。太陽の直視に等しき光量により、シオンの魔力眼での計測は不可能。黒く大きな球体が『魔神』を守るように側で浮かび、虚空庫から取り出された光り輝く剣は見ただけで、シオンの剣以上の業物と理解出来る。
「これで、まだ全力じゃないの?」
これらですら、手札のほんの一部。殆どの系統外が制限されているといっても、元の数が余りにも膨大過ぎる。使える数は数十を軽く超えるだろう。いや、それ以上と想定してもいい。
「……」
無言のシオンが出した結論から言おう。自分では勝てない。勝負に絶対が無いとは言え、戦力差は圧倒的なんて言葉では到底足りない。対峙しただけで、本能が敗北した。サルビアを相手にした時ですら、これ程までの恐怖を感じた事はない。イヌマキやクロユリがこれに勝ったなんて、信じられない。
「気に食わんな。まだ、希望が潰えていない」
しかし、シオンは剣の構えを崩さなかった。その姿に『魔神』は苛立ち、理解出来ないと首を振る。これ程までの戦力差を見て、なお立ち向かおうとするのは一体何故だ?ただの自棄か?それとも何かあるのか?
「うん。勝てる気はしないわ。でも、そう簡単に負けるつもりはないの」
シオンは逆に考えた。戦っても敗北、諦めても敗北なら、戦って少しでも足掻こうと。
「口で言うのは簡単だな。幾らでも言うがいい。問題は実現出来るかどうかだ」
「そう?仁達の世界では星々を渡る技術が既にあるそうよ?」
「ジン?」
かざされた正論に微笑み、先の『魔神』の例えた無謀を既に実現した者達がいると教えてあげた。その時の『魔神』の表情の変化は、ただのシオンの言葉による驚き以上のもので、それがとても気になった。
「ああ、そうか。すまない。勘違いだ……確かに、彼女もそんな事を言っていたかもしれない。ここは、その世界なのか」
「彼女?」
「悪い。独り言だ。気にしないで欲しい。冥土の土産に教えるには余りにも長過ぎて、救いの無い物語だ」
「……私としては聞きたかったのだけれど。触れられたくないなら、触らない」
全てを憎んでいるような表情が、一瞬とは言え柔らかさと優しさに満ちていた。何故かと好奇心が疼いたし、生きる時間も伸ばせそうだと二重の意味で聞きたかったが、断念。恐らくは『魔神』に心を与えたという女性の話だろうが、誰にだって触れられたくない話の一つや二つはあるものだ。
「感謝する。お礼にどれだけ醜く抵抗しようが、一切の苦しみなく殺そう」
「お気持ちだけいただくわ。私が望むのは、仁の側で死ぬ事だけですもの」
「叶うような叶わないような……案ずるな。その仁とやらもすぐに死ぬ。誤差に等しい間にな」
聞かなかったシオンに謝礼を提示するも、彼女はそれを笑顔で拒絶。ならば違う形で一緒にしてやろうと、『魔神』は更なる系統外を展開する。
「勝てるから戦いを挑むのではなく、負けるから戦いを避けるわじゃないわ」
魔法障壁を展開したシオンが口にし、思うのは、いつもと同じく大切な存在達の笑顔。狙うのは、今まで生きてきた全てを賭した時間稼ぎ。仁とロロが『魔女』を目覚めさせられれば、何らかの手立てはあるかもしれない。現状他に希望はなく、これが最も合理的。
「全身全霊全力全記憶に全生。私の全てをこの戦いに」
たった一年にも満たない幸せと、それまでの辛くも愛された時間を込めて、未来の為に。
「ちっぽけな全てだ。塵芥となるがいい」
動かずにその場にいる事が危険。そう、身を低くして駆け出した少女を嘲りながら、『魔神』が一切動かずに複数の系統外を発動。
「『武計』『念動力』」
武器をその場で創り出す系統外により、無数の銃を作成。なぜかそれらはシオンの世界にあるような旧式のものではなく、仁達の世界で見た事があるような洗練された黒いデザインのものばかり。念動力によって全て、自動装填。
「『七星』」
『魔神』の周囲に、透けて輝く白色の剣が七振り出現。いずれも聖剣に同じ光を浴びている。すなわち、魔力を込めれば込めた分だけ物理判定の刀身が伸びる可能性があると、シオンは目の端で推測。そしてそれは見事に大当たりだ。
「『定軸』」
黒い棒がいくつも宙に浮かび、少女の進路を塞ぐように降り注ぐ。全面に落ちない理由を考えると、一度に出せる本数に限りがあるのだろうか。
『魔神』の持つ系統外については、ある程度ロロやイヌマキから聞いていた。しかし、それらもほんの一部にしか過ぎず、シオンは目で見て推測して賭ける他にない。
「散れ」
幾多もの銃口が弾丸を、七振りの剣が光の筋をシオン目掛け、もしくは回避するであろう方角へと放たれる。黒き柱は行動を制限するかのように、地面と空中に突き刺さる。
眼を凝らして思考を回し、指の先の毛細血管を通り越して剣先まで血を通わせろ。目で見た範囲で弾道と光道、柱の堕ちる方角を予測。銃弾は剣で斬るもしくは回避、光の筋は恐らく剣で防げないから回避、黒の柱は壊せるか試すべきだが、現状不明故に回避の選択。
果たして、それら全てが可能となる道があるのだろうか。いいや、可能にしなければならない。
「……驚いた」
筋肉が壊れる直前、限界の速さと卓越した体重移動と足捌きにて銃弾を振り切り、時には宙に一瞬だけ浮遊して光の剣を潜り抜ける。黒い柱に一度軽く剣を押し当て、斬れる事を確認したのならそれさえ道の一部と踏み台に。土魔法は盾もしくは銃を破壊する土の槍として。
「これ程までに練り上げたか」
『魔神』でさえ、系統外を一切使わずに今の攻撃全てを躱すのは非常に困難だろう。『定軸』だって破壊するのには相当な手間だ。それをいとも容易く斬り裂き、折れた柱すら土魔法の道で上手く押し上げて銃弾に対する盾として利用するなど。
「もう少し、いるかな」
『定軸』を消失させ、代わりの系統外を装填。『反転』をそこら中に設置し、銃弾の軌道を無差別に変更させる。
「っ!?」
咄嗟に変わった銃の軌道に、少女の顔が歪む。即座に風魔法を足元で暴発させ、自ら身を捻りながら宙へと吹っ飛んで回避。一発、頰にかすっただけにとどめる。
「本当に凄まじいな。かすっただけで十分だが」
「何、これ?」
痛みと血はもちろんのこと、傷口に何やら引っ張られるような感触があった。いや、傷口の一点に対して、周りの皮膚が集まっていくような。
「『引力付与』」
銃弾に仕込まれた系統外が発動。シオンの頰にマーカーが刻まれ、その一点を目掛けて銃弾が殺到。銃弾を斬ろうが刻もうが止まることは無い。バラバラになったまま、マーカーを撃ち抜くまで止まらない。
「なんだ。これは知っていたのか」
『引力付与』は聞いていた。だから、反応出来た。風魔法で自らの頰の皮膚と肉をマーカーごと削ぎ落とし、地面に叩きつける。誘導されてシオンとは見当違いの方向に降りていく銃弾を見た『魔神』は溜息を吐き、
「『虚空路』」
マーカーの直前に、暗い穴を生み出した。それはシオンの背後にも同様に生み出された、時間と空間を跨ぐ道。本来ならズズッという何かを引きずるような音と共に開くのだが、『静音』によって打ち消されている。
「それも知ってるわよ!」
叫びながら、シオンは指先にて炎の矢を創成。義足の枠を使わずに済む空中にて浮遊で回転し、背後に音もなく空いていた虚空路に炎の矢を打ち込む。中で起きた爆発が銃弾を吹き飛ばして軌道を変え、届かせない。
「目で見えないところでやるべきだったわ」
マーカーの上に黒い穴が口を開けたのを、シオンはしっかりと見ていた。ただの虚空庫という事はあり得ない。ロロの記録で見た『虚空路』と判断し、次は場所。当然死角であるだろうから、背後と推測。
「『虚空路』、万能という訳にはいかないようね。私の虚空庫の範囲内には作れないのかしら?」
性能を読み取る。特に制限なく作れるというのなら、シオンの背中に貼り付ける形で作ればいい。それなら剣も魔法回り込めない。しかし『魔神』はそうせず、ある程度距離の離れた場所で穴を空けた。つまり、何らかの制限があるという事。
「本当に恐ろしいな。正解だ」
ざっと考えた候補でカマかけたところ、『魔神』が肯定して確定。シオンの手が届く範囲が、『虚空路』の現れない範囲だ。
「だが、それがどうした」
例え性能が分かったところで、全てが避けられる訳ではない。そう告げた『魔神』は攻撃を再開する。
「ようやく、馴染んできたのでな」
徐々に、同時に使用される系統外の数が増えていく。守る必要がないと切り捨てられた服は破れ、手の土の剣は何度作り直したか数知れず。増えた傷に襲う痛み、処理を超えた計算に脳が悲鳴をあげる中、それでも少女は剣で舞う。
「……だが、まだか。早くその目から光が消えるのを見たい」
最早『魔神』の声に応える余裕すらなく。一手、一歩、一思考、一ミリ、コンマ一秒、一度間違えれば死ぬ。いや、間違えなくても死ぬかもしれないような戦いで、少女はまだ生きる。
「はっ……はっ……まだ。もっと」
視界が狭い。身体が重い。もっと早く動けるはずなのに、最適解が分かっているのに、足りない。シオンの思考に釣られて、強化が限界を僅かに超え始める。みちみちと音を立てて筋肉が喚く。健があと少しで千切れそうだったと抗議している。
「時間を、稼がなきゃ」
しかし、それらを無視。大切な誰かの未来を守る為に、自らの未来を犠牲にし、この一瞬を生きる為に肉体に無茶を強いる。
これは『魔神』にとってのお遊びだ。シオンというおもちゃに宿る希望の色が気に食わないからと、絶望させたいからとここに止まっている。憑依対象がゴロゴロ転がる塔の外に出られては勝ち目がない。だから、何としても負けてはならない。ここで興味を引き続けなければならない。
「うっ……!はあああああああああああああああああああ!」
肩に食い込んだ光の剣に歯を食い縛って、身体を捻って抜ける。斬れ味が鋭すぎる光の剣が仇になっ……思考を断ち切る。そんな事を考えている暇があるならば、剣を振るえ。僅かでも流れや思考が滞れば、死ぬ。
「勝てないなんて、分かっているの……!」
近付いて、隙あらば一太刀浴びせるつもりだった。しかし、そんな時間も機会も一度も回ってきやしない。余りにも、強さの差が圧倒的過ぎた。自らの身体を庇う事すら満足にできやしない。
「でも、欲しい……から!」
望め。望め。強く望め。それだけが、折れそうになる心を繋ぐ。今という一瞬にしがみつく理由。
今まで生きてきた経験全てを足して掛けて引いて割って、全てに対応しろ。見たことのない攻撃などこの世に存在しない。だって、今この瞬間に見ているのだから。だから、対応しろ。
「私がいなくても、あの人達の未来が欲しいから……!」
縦横無尽に駆け回り、朱と土の線を空中に引いては踊り、死を掻い潜っては生きて願う小さな身体。過酷で残酷で辛かった経験が彼女を死なせず、幸せで大切でかけがえのない一年が彼女を生かしている。
「そのあの人達とやらも、どうせ人間だろう。愚かで醜くて、争い続ける人間だろう」
『魔神』の攻撃は、身体が馴染むに連れて絶望を増していく。生きる事が許された逃げ場は、使用される系統外が増えていく毎に狭まり、いつしかそれは0へ。
「残念ながら、彼らにも君にも未来はない。私が滅ぼすからだ」
ミスなど一度もしていなかった。全てにおいて最善を打ち続けた。人生において最高の剣を振るった自覚はある。でも、届かなかった。簡単に言おう。完全に、逃げ場がなくなったのだ。
「尊敬する。本当に、尊敬するよ。ここまで私の前で生きた人間はそういない」
無数の銃口。七振りと一振りの聖剣。地面に突き刺さった黒い柱を伝わって掛ける雷撃。シオンの身体に刻まれたマーカー。触れたものを溶かすスライムのような液体。その他、多数。
「……お願い。仁」
心が折れそうだった。それでも、左手に残る指輪を見て、少年の顔を思い浮かべて、最後の抵抗を。例えこの身が生きるのが許されずとも、せめてこの指輪はと、剣を今一度強く握る。
「……継いで」
こんなところで死にたくはなかった。もう一度再開を約束したというのに、果たせなかった。心を覆う暗闇に立ち向かうように、最後に思うのは希望。自分がいなくなった後の、勝利。
仁達が間に合うかは、今の自分には分からない。だってこの一秒後には、何もない暗闇だろうから。でも、それでも、稼げるだけの時間は稼いだ。そもそも『魔女』が『魔神』に勝てるかも分からないけれど、見えない死のその先に希望を夢見つつ、最後の一振り。それは『魔神』に届くはずもなく、ただ己の大切を守る為だけの一振り。
身体に埋め込まれたいくつもの衝撃に血を吐いて、シオンの意識は潰えた。
「……間に合ったのか、間に合わなかったのか、分かんねえなおい」
しかし、命中したのは全てではない。何発もの弾丸はシオンの身体を貫き、光の剣が左腕の肘を切断したが、それでも多くは爆発によって防がれた。
「貴様は確か……」
「黒髪に黒眼、似合わねえ。いつものお前に戻ってくれよ。ティアモ」
血だらけの灰色の騎士が剣の先に乗せた、爆発によって。




