第150話 再度と四度
幸い、魔物達の進路は塔とは違う方向であった。危険を承知で突っ切る、もしくは安全な回り道を取りさえすれば、何も問題はない。
「魔物を意図的に誘導する?」
「ああ。俺らの姿を見せたり、料理の匂いで誘き寄せたりでなんとか塔まで」
「出来そうかい?」
だが、仁の考えでは進路は不幸であり、魔物の大群の存在は幸運であり、これからの勝負は運任せだ。数匹なら問題なく釣れると思うが、これだけの大群となると分からない。指揮官のような存在がいるならば、途中で進行方向を修正されるかもしれない。
「……先頭を誘導出来れば、成功するかもしれん」
高台から魔物の群れの先頭を見下ろしながら、ロロは答える。それは、永き時を生きてきた知識による理由の裏付けがある答えだ。
「先頭で自分と仁が姿を晒して餌になる。というより、慌てたふりをして逃げるという方が正しいか」
「それだけで寄って来るの?」
「可能性は十分にあるぞ。逃げ帰った方向に村や街があると魔物達は考えるだろうからな」
身のこなしや魔力量からして明らかに強者のシオンは姿を見せず、一見弱そうな仁とロロが村人のフリをする。慌てて村へと逃げる風を装えば、例え指揮官のような存在がいようと付いて来るかもしれない。むしろ村があるかもと指揮官が思えば、進む方向を変えるように命令を出す可能性もある。
「だが、追い付かれるか追い付かれないか、ギリギリの距離を保つ必要がある。完全に進行方向が変わったのを確認出来るまでは休めないが……いいのか?」
魔法の火の向こうから覗き込むロロの心配はごもっとも。完全に進行方向を固定出来たなら、多少先行して休めるかもしれない。しかし、期待はせぬ方が良いいうもの。
このままだと、残り僅かな二人の時間を魔物に追われて過ごす事になる。疲労困憊の状態で騎士と戦わねばならないかもしれない。
「ううん。いいの。私は少しでも休めれば戦えるように訓練されてるし、救えなかったり、仁が傷付く方が嫌だから」
仁が何かを言う前に、シオンが先手を打った。ここでシオンが何かを言わねば、仁が迷ってしまうだろうという気遣いで出された正論だ。
「俺も寝れないのには慣れてるし、『限壊』を温存したい」
気遣いに内心で感謝しつつお言葉に甘えて、発案者の仁も手を挙げる。魔物との戦闘の危険や休憩の激減、時間がかかるというデメリットはあるが、それを補って余りある、騎士との戦いを減らせるメリットがある。
「それに今はイチャつけなくても、再会したら思う存分周りみーんな糖尿病にしてやるくらいイチャついてやればいいのさ!」
おちゃらけた風を装って、炎に照らされた目の奥は至って真剣な僕の言う通り。いつになるかは分からないが、再会できればきっと今より時間はある。しかし、塔の前で騎士と戦って死んでしまえば、再会そのものがなくなってしまう。つまりこれは、その時までの投資なのだ。
「よし!その時は自分もクロユリと共に対抗するぞ!愛を育んだ年季が違うからな!」
「ふん!負けるもんか!見てろぉ……若気の至りってやつを!」
「こいつら馬鹿かよ……」
「え?私はその、悪くないんじゃないかって」
「わ、悪い……」
張り合って立ち上がったロロと僕に付き合わされた俺は呆れるが、隣のシオンにとんだやぶ蛇。慌てて謝るも、別にいいわと彼女は微笑んでいる。
「俺君はシオンと2人きりがいいんだよねー!」
「……悪いかよ」
「かぁっー!?これは強いな」
一方笑った僕にからかわれるが否定は出来ず、それがロロと僕の更なる笑いを誘う。シオンはというと、まぁ照れていた。んでもってそれを見た俺と僕が可愛いなと思って。
「ささ、少しだけ休もう。五時間くらいなら寝ても大丈夫なはずだ。奴らも夜には眠るからな。休めるところで休んでおかなければならん」
ひとしきり笑い終えたところで、ロロがお開きを宣言した。いくら徹夜や寝不足に慣れているとは言っても、寝れるに越したことはない。
プラタナスとルピナス発明、石鹸で全身を綺麗に洗う魔法陣を発動させて汚れを落とす。風魔法の温風で頭を乾かし、シオンが用意した簡易のベッドにふわふわの布団をひいて寝床に入れば、準備は万端。無神経な癖に今日は見事に空気を読んだロロは、少し離れた位置にベッドを設置してくれた。
「あと少しだ。頑張ろう」
「もちのろんさ。人生で一番、やる気あるよ」
「……うん。みんな無事に、また会おうね」
眠りに落ちる前、小さな『勇者』三人は顔を見て手を繋いで励まし合う。そして彼らは眠りの為に瞼を閉じた。
「絶対、だからね」
最後に仁の耳に入ったのは小さく呟かれた、シオンの声。仁もシオンもロロも再会を信じているのではなく、信じたかったのだ。
目を覚まして支度をし、走って魔物達の先頭へと回り込み、美味しそうな仁とロロを前にチラつかせる事で誘導を開始。それからほとんど丸一日追いかけっこを継続させて、ルートの固定に成功。しかし、ここで問題が発生した。
魔物の速度が想定よりも遥かに遅く、夜をずっと休ませては間に合わないと仁達は判断。二時間だけ寝て起きた暗い夜の中、魔物を音魔法や閃光弾で刺激して叩き起こし、餌の匂いを撒き散らす事で、飢えた彼らに追われ続けた。
「ついにここまで辿り着いたな」
「ええ。やっとだわ」
そうしてついに、旅の途中からずっと見えていた塔がすぐそこまで迫っていた。今いるのは、90°ほど迂回し、最寄りの騎士から100mほど離れた森の木の陰。プラタナスとルピナス製迷彩の魔道具を使用しているので、まだ気付かれてはいない。
「……休んでる暇はないようだし、さぁ行こうか」
二時間寝れたとはいえ、多少の疲れは残っている。それでも魔物の群勢が迫っている以上休憩は出来ず、進むしかない。
「容赦も情けもいらん。必ず、無事に突破するぞ」
仁の背中に担がれたロロの言葉に頷く。ここからでも騎士達の多さは目視出来る。はっきり言って、これだけ魔物を引き連れていても不安になる数だ。作戦を躊躇えば、すぐに囲まれてしまうだろう。
「用意はいいな?」
魔物の群勢が騎士とぶつかるのが合図だ。ロロの確認にもう一度深く頷き、静かにその時を待つ。
もう一ヶ月以上も前から知っていた別れだ。この時に備えて、出来るだけのことは済ませておいた。覚悟は、出来ている。だから、先頭のオークが森から飛び出して行った時も、仁とシオンは目を合わせただけで何も言わなかった。
「ま、魔物!?」
「しかも群れ……いや、大群だ!?」
そして、待ち望んでいたような、来て欲しくはなかったようなその時が来た。
「今だっ!」
騎士の剣とオークの槍がぶつかったその瞬間、横っ腹に突き刺さるような角度で塔へと駆け出した。
「伝令!魔物の大群が……っ!?来たっ!奴らだ!」
森を抜けてひらけた視界、無数の騎士の視線に晒されながら仁とシオンは風を切る。この一瞬が、勝負。
「ごめんなさい」
シオンが謝りながら発動させたのは、地面を操って杭の波を生み出す土魔法。莫大な魔力に物を言わせたその範囲は広く、大勢の騎士を飲み込む程。
「遅い!」
だが、大魔法故に時間がかかり過ぎた。一秒以上の時間を与えるすなわち、対応する障壁を張られるという事である。魔物に隠れて奇襲するつもりだったかと騎士の約半数は仁とシオンは嘲り、もう半数は警戒して待ち構える。
「いや、ちょうどいい」
「は?」
ある程度の距離を保った場所で、仁は地面に二本の線を描きながら急停止。シオンがその前に出て、
「何を言っ」
言葉の途中で悟った騎士は遅過ぎたし、日本人との戦闘の機会が少な過ぎた。シオンの素性を知って油断をしなかった者もいたが、大抵の場合意味はなかった。少女が虚空庫から丁寧に取り出して放り投げたのは、爆弾と手榴弾。
「え?」
土魔法の波が騎士と激突。大抵は障壁に阻まれて無効化される。当然、障壁を張り損ねた者達は皆等しく串刺しに。ああだが、ここで終わりではない。魔法障壁で生き残った者達を、爆発が襲った。
「……結構削れた」
「予想よりは残ったけどね」
物理障壁と土の盾に守られたシオンと、氷の盾とロロの身体に守られた仁は無事だった。広範囲の魔法と物理の爆発を織り交ぜた、対応出来ない不意打ちは絶大な効果を発揮。範囲内の八割の騎士を戦闘不能に追い込んだ。
「やっぱり日本の兵器はすごいな。あの大きさでここまでの威力の物はまだない」
飛んで来た土の破片で傷を負ったロロが、感嘆の息を吐く。魔法があり、比較的平和であったが故の弊害だろう。物理的な攻撃の手段の発展が、シオン達の世界は少し遅い。戦いなんて精々他国との小競り合いくらい。戦争らしい戦争は、ここ最近では『黒髪戦争』程度しかなかったのだ。
「感心するのは後だ!乗れっ!」
「よっしオッケー。駆けるよ」
盾代わりになってくれたロロを再び背負い、軽い『限壊』を発動してシオンと共に塔を目指す。次々と騎士が群がってくるが、爆弾と魔法の合わせ技で大半を蹴散らし、それでも処理しきれない分を剣にて斬り捨てる。
しかしシオンと違い、仁は集団戦に慣れていない。いくら『限壊』があろうと、流れ弾に当たれば一撃で戦闘不能の可能性がある。かといって今すぐ集団戦に適応するのは到底無理だし、オマケに仁はロロを担いでいる。
「仁は前だけ見てて!私が支援する!」
だからシオンは後ろに下がり、仁のフォローを全て引き受けた。周囲に気を配り続け、障壁で弾ける魔法を除外。自分に来る攻撃は物理のみ対応。そこから再び仁に当たる軌道の魔法を、魔法にて撃ち落とす。
「ありがとシオン!」
「ロロ!振り落とされんなよ!」
だが、いくらシオンとはいえ、全てを撃ち落とせる訳ではない。故に彼女は、仁に前方だけを頼んだ。それくらいならば、病み上がりでロロを担いだ彼でも対応出来る。
「は、早すぎるっ!?」
驚いた騎士が声を上げたその時、もう仁の剣によって顔を断ち切られた。『限壊』の速度は圧倒的。縦横斜めに斬るのが精々の初心者でも、並の騎士では対応出来ない。仮に剣による防御が間に合ったとしても、剛力の前に弾かれて腕は痺れ、二撃目を防ぐ事は出来ない。
「卑怯だぞ!魔物を連れて来やがって!」
平時なら、もう少し戦えただろう。もっと多くの人員で、仁とシオンを押し潰す事も出来たかもしれない。だが今は一人の騎士が叫んだ通り、訳が違う。
たかがオーク。騎士なら一匹どころか数匹まとめて戦えて当然。しかし、この大群が相手となると、かなりの人手と意識を割かねばならない。そこに『限壊』を持つ仁、化け物染みた強さのシオンが横っ腹を食い破るように突っ込んで来たのだ。戦場は一気に大混乱に陥り、死者も増え始める。
「悪い。けど、世界がかかってるんだ」
叫んだ騎士の口に剣を突っ込んで黙らせながら、仁はお返しだと皮肉る。自らの世界を救う為、仁達の世界に勝手にやってきて滅ぼした癖に、どの口が言うのかという話だ。
「馬鹿者!そもそも自分らが仁達の世界に魔物を連れて来たんだろうが!」
背中のロロが周りの騎士に対して一喝し、腰から引き抜いた銃を騎士へと向けて発砲。魔物に気を取られていた騎士の背中に穴を開ける。狙いとは隣だったが、一人は一人だ。
「あと少し……」
「シオン頼む!」
「うん」
塔までの距離はもう50mもない。塔の入り口に群がる騎士へと、シオンは爆弾を握った手を振りかぶり、俺は三重の氷の刻印を発動させる。
「ロロは早く準備して!見覚えのある奴らが来てる!」
「ええい!分かっとるわ!」
痛みを引き受けた僕が、横から恐ろしい速さで迫り来る騎士を確認して背中のロロを急かす。拳銃を近くの騎士に放り投げ、彼が取り出したのは『鍵』となるシオンの世界の言葉と日本語で交互に書かれた『魔女の記録』。
「どいてくれ」
「私達の道よ」
仁が想像で作り上げたのは、無数の首を持つ氷の蛇。シオンの手から離れた爆弾を一つずつ喉の奥に呑み込んで騎士目掛けて牙を剥き、手前で勢い良く爆発。魔法の氷の破片と物理の爆発が塔を揺るがし、騎士達に降り注ぐ。
「行け!」
背中のロロを掴んで放り投げ、残りの距離を一気に潰す。白髪の不死者は地面に落ちて折れた脚を即座に再生させて進み、塔の扉に開いた本を押し当てて解錠。その間、シオンと身軽になった仁で生き残った数人の騎士を切り開いて前へと進み、
「開いた!入れ!」
暗闇以外何もないような、ぽっかりと口を開けた扉へと飛び込んだ。この先で僅かでも心の隙を見せれば、『魔神』に憑依されるかもなんて考える暇もない程、急いで。
「ここが」
「塔の中?」
一瞬、意識が抜けるような感覚が仁とシオンを襲い、次に目を開けた時にはそこにいた。白い石畳が並び、壁に黒い螺旋階段が蔓のように絡みついている場所。窓はないが、不思議な事に天井から白い光が降り注いでいて、視界は良好で幻想的だった。
「綺麗ね」
シオンの言う通り、内装は息を飲むほど美しい。豪華絢爛に飾られた美ではなく、白と黒のみが織り成す美と調和の世界とでも言うべきか。
「ふぅ……なんとか、間に合ったか。この階段をしばらく登ると次の階に出る。そこに昇降機があるは」
「そのようだぜ。あと少しで扉が閉じる所だったが、なんとか間に合ったよ」
「っ!?」
見惚れている暇はないと、ロロが階段の手前で塔の登り方を説明した瞬間だった。白い光を放つ入り口から、一人の騎士が姿を現したのだ。
「よぉ。久し振りだな」
「……な、なんだと!?」
ロロの驚きは分かる。この塔は本来、試練を合格するような異常な精神の持ち主しか入れない。絶望に打ち勝てるような人間はそういないと言うのに、現に仁達を追ってきた騎士は皆ことごとく弾かれたというのに、彼は入って来たのだから。
「いや、やっぱりなって納得してるよ僕」
しかし俺も僕も、あの騎士なら入れるのではないかと思っていた。三度見て、二度剣を合わせて話して、僅かながらに知ったのだ。彼の背負う覚悟の重さと、理由を。
「ジルハード」
「覚えてくれたか。嬉しいぜ」
彼の名を、仁はほぼ無意識のうちに口にしていた。心底嬉しそうに笑う騎士の特徴は尖った灰色の髪と、獣のような鋭き眼光。余程急いで来たのか、鎧を着ていない。以前と違うのは鎧の有無と、両腕がない事くらいだろうか。
「土足で失礼する。ほぅ、ここが塔の中か」
「なぁロロ。森の家といい、お前の作る物ってセキリュティ甘過ぎやしないか?」
「……ふざけるな。そうぽんぽんお前みたいな精神の構造をしてる奴らがいると思うものか。歴史でも稀に見るほどの豊作だぞ」
入ってきたのは彼だけではない。鎧を着ていない蒼色の髪の女騎士がもう一人、光の中から姿を見せた。彼女の姿を仁はあの日の校舎で、シオンは剣を一度交えて知っていた。
「ティアモ・グラジオラス」
「そこに居るのはシオン・カランコエか。今度こそ叩き斬る。『魔女』と『魔神』の復活はさせん」
シオンに名前を呼ばれた騎士は、剣を腰の鞘から引き抜いて鋒を向ける。その剣に込められた冷たい殺意と、隠し切れない救済の熱は痛い程、伝わって来た。
(不味い。かなり不味い展開だ)
故に、仁は激しく動揺する。絶望こそしなかったものの、この感情の振れ幅に『魔神』が食いつかないか心配になるくらいに。
何故塔がジルハードとティアモを許可したのかは分からない。彼らは知らず識らずのうちに、無実な黒髪黒眼の虐殺を繰り返してきた騎士だ。その事実を知って、心が絶望しないなどあり得るのだろうか。そこで絶望しないような人間が、これ程までに熱く世界を守ろうとするだろうか。いいや、しない。するはずがない。
(忌み子の真実を知った瞬間、『魔神』は憑依する)
守れなかったと絶望させる暇も与えず、殺さねばならない。決して知られてはならない。その瞬間に敗北が確定する。本当は忌み子はいないから、仲良く手を取り合って通してくださいなんて言うつもりは欠片もない。最初から障害であるなら殺す気であったが、これは非常に厳しい敗北条件だ。
(だというのに、彼女の系統外は余りにも……)
二人の強さもさることながら、最も恐るべきはティアモの持つ『心を読む』系統外だろう。日常生活ではオフにしているだろうが、戦闘時ともなるとそうもいくまい。必ず系統外を発動させて心を読んで、先手を打とうとしてくるはずだ。その時、同時に忌み子の真実まで読まれてしまおうものなら、一巻の終わりだ。
「仁。ここは私が引き受けるわ」
だが、この状況を想定しなかった訳ではない。ロロはあり得ないと否定したが、実際に剣を交えた仁とシオンは彼らを認めていた。だから、こうなった時にどうするかは、話し合って決めていたのだ。
「……悪いシオン。頼んだ」
「ここは任せるよ」
虚空庫から取り出した首輪を付け、朱色の剣を片手に騎士の前に立ち塞がったシオンに、この場を任そうと。
「仁、今までありがとね。ずっとずっと好きだし、愛してる」
「こちらこそ。俺も愛してる」
「感謝したりないくらいさ。好きだよシオン」
しかしそれは、この瞬間が別れである事を意味する。最後に振り向き、距離を超えて見つめ合って、ずっと前から決めていた別れの言葉を交わし合う。
「私の人生で一番幸せな時間でした」
「……俺も」
「僕も幸せだったよ」
言い切れたシオンとは違い、俺も僕も言葉に詰まった。俺は記憶がほとんど無くて、僕は失い続けた日々を一番幸せと呼んでいいのか悩んで、言い切れず。でも、幸せだった時があったのは間違いじゃないから、最後には頷いて肯定した。
もう一度、一緒に料理を食べたかった。もう一度、笑顔が見たかった。もう一度、デートをしたかった。もう一度、抱き合いたかった。もう一度、唇を重ねたかった。もう一度、肌を重ねたかった。もう一度が何度も浮かんでは消えていく。
「絶対に、もう一度来るから」
「ああ、ずっと待ってる」
「僕らが死なないうちに来ておくれよ?」
仁は膨れ上がった感情に耐えたが、シオンはこらえ切れず頰に一筋涙を流し。幾度と交わした約束をもう一度重ねて、彼女は前を向いた。仁とロロは、背を向けた。
「お願い。死なないで」
「「シオンこそ」」
これは、再び出会う為の別れだ。最後に心からの願いを口にして、仁とシオンは離れ離れになった。
「待たせてごめんなさい。待っててくれて、ありがとう」
「いんやいいぜ?さすがに今生の別れを邪魔する程、俺らは野暮じゃねえ」
「構わない。最後の別れくらい、見逃すのが礼儀というものさ」
階段を駆け登る音を背中で聞きながら、シオンは空気を読んで待ってくれた二人に頭を下げる。それに対する彼らの反応は、この場で必ずシオンを殺すという自信に満ち溢れたもの。
「ジルハード。お前は先に行け。読み通り、『魔女』と『魔神』を解き放って我らを滅ぼすつもりらしい。彼女は時間稼ぎだ」
剣を引き抜いたティアモは数歩近付き、シオンを系統外の範囲内へ。そうして読み取った、心の中という絶対であるはずなのに間違っていた情報から、ジルハードを先に行かせる事を判断。
「いや、俺とティアモの二人がかりでさっさと殺して……」
「行け。それでは間に合わないかもしれない。その時には私もろとも、メリア姉様の守ろうとしたこの世界が終わる。分かるな?」
ごねるジルハードを、ティアモは正論でねじ伏せる。シオンの実力は極めて高い。ティアモもジルハードも負けるつもりは毛頭無いが、二人かがりでも数分間はかかる予測があった。故にティアモは、世界の致命傷になり得る数分間よりも、自分の命を危険に晒す長期戦を選択したのだ。
「分かった。その代わり、絶対に死ぬなよ?」
「もちろんだ。お前こそ死ぬなよ」
仁とシオンが交わした願いと同じように、彼らもまた互いの無事を祈って別行動に。相談時間の間は黙って見ていたシオンだったが、いざジルハードが階段へと向かおうとすると、
「通すと思う?」
朱色の軌跡を空中に描き、牽制。ここは通さず、二人かがりでも相手にすると宣言してみせた。
「残念。通させてもらう」
「貴殿の相手は私だ」
だがしかし、心を読んでいたティアモの剣がシオンに斬りかかり、動きを読んだジルハードの身体がすぐ横を通り過ぎた。最後の抵抗にと魔法を彼へと撃ち込むも、魔法障壁に阻まれて消えてしまう。
「ごめん仁。彼をお願い」
ティアモに背を向けて追う訳にもいかず、シオンはジルハードを渋々見逃し、仁に託す。彼ならきっと勝ってくれると信じているが、『限壊』の代償が酷く不安だった。
「やっぱり厄介ね。その系統外」
「貴殿こそ、その強さには本当に感服させられる」
ティアモの読心による先読みの行動の強さを再認識し、後出しでも追いつくというシオンの常人離れした技術に敬意を示す。
「今度は例の『黒膜』という魔法もないからな。存分に戦える」
以前の戦いは、『黒膜』による攻撃で終わってしまった。しかし今日は違い、純粋な技量の差による勝負となる。
「そうね。けど、私はとっとと貴女に勝って、仁を助けに行きたいわ。彼、いつも無茶するから」
それを少し楽しみだと笑うティアモに対し、シオンはすぐに終わらせると啖呵を切って、朱色と土の剣を構えた。
「お互い様だな。大変な旦那を持ったのも、彼を助けたいからすぐに勝とうとしているのも」
「ええ。本当に」
ティアモも鈍い銀色の愛剣を構え、無色の風の太刀を展開。互いの愛しい相手を思い浮かべて、くすりと微笑んで、向かい合う。
そしてシオンの脚が動いたと同時、ティアモの剣が振るわれた。
「急げ仁!この広間を突っ切ったあそこが昇降機だ!」
シオンに任せて辿り着いた階段の上。綺麗な広間の端にある、小さな円の台を指差してロロは駆け出した。
「ぐっ!?」
「ロロ!」
しかし、遅かった。階段から飛んで来た火球がロロの手前で爆発し、彼の身体を壁へと叩き付ける。仁が『限壊』を用いてロロの元へと駆け出すが、目の前を遮った火球に急ブレーキをかけて反転。再度の爆発がロロだけを吹き飛ばした。
「待てよ。そう急ぐなや」
階段を数段飛ばしで駆け上がって来たジルハードは複数の火球を設置して牽制しつつ、筋肉が崩壊するギリギリの速さで昇降機の前へと回り込んだ。仁一人だけなら昇降機に乗れるかもしれないが、ロロがいなければ意味はない。そして、ジルハードがそうやすやすと通してくれるとは思えない。
「……お前とは、なんかの因縁があるのかもな」
「男とそういう運命の糸みたいなのはお断りなんだがなぁ……いいぜ。やろうや」
つまり、ここで彼を倒さなければ先には進めないという事。仁は腰の鞘から、ジルハードは虚空庫から剣を引き抜いて、互いに構えた。
一度目は、仲間が殺されるのを見ているだけだった。二度目は敗れ、仲間を犠牲にして逃げ延びた。三度目は拮抗し、引き分けに持ち込んで街を守れた。
そして、四度目。世界を賭けて、今一度向かい合う。




