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幻想現実世界の勇者  作者: ペサ
幻想現実世界の勇者
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第140話 請われてと壊れて


 サルビアとの戦いは、ロロの系統外を通じて街中に中継された。その狙いは仁とシオン、マリーを英雄に仕立て上げ、希望の信憑性を持たせる為だった。


 その狙いは実に上手くいったと言えよう。いやはやまさに。素晴らしく、最高に、パーフェクトに、120%くらい、上手くいき過ぎた。


「ああ!『勇者』様だ!」


「お願いです!聞いて下さい!」


「私達を、助けて下さい!」


 外に出た仁を出迎えたのは、熱烈な眼差しだった。それは尊敬よりも畏敬や信仰とも言うべき、狂った温度の感情。


 想定外だった。まさか、日本でこんな光景があるなんて、しかもそれが自分達に向けられているなんて、思ってもみなかった。きっと、一年前の自分に言ったら笑われるだろう。いや、そんな事ばかりの一年だったか。


「ちょっとおばあちゃんどい……ああ!?待って!」


「仁様!息子は、貴方を守って死にました……どうか、無駄にしないでください!」


 さすがに一般人を傷付けられず、強くはでれなかった環菜の制止を振り切った老婆が、仁なんかを様付けにしてみっともなく縋り付く。


「みなさん落ち着い」


「お願いします!私達を助けて下さい!」


「なぁ、頼むよ!」


 奇しくもトーカとの共闘と同じく、一度目があれば次のハードルは著しく下がるもの。人々は環菜と堅を押し退けて、仁とシオンに押し寄せてくる。手を合わせて祈るボロ切れを着た女に、かき集めた食料を仁に差し出して祈る片目の男。


「子供の栄養が足りないんです!どうか、食料を分けてください!早く世界を元に戻してください!」


 痩せ細った女が駆け寄って来て、腕の中にいるこれまた痩せ細った子供を見せつける。骨に皮を貼り付けたくらいに痩せたその子は暗い闇のような目で、血色の良い仁達を羨ましそうに睨み付けていた。


「あの、それは……」


「内乱で私の家が燃やされて、食料が無くなって……配給も泥棒に盗られて!」


 仁とシオン程の英雄ともなれば、食料や水を腐るくらいに持っていると思っているのだろう。実際、仁やシオンが頼めばそれくらい用意してもらえるだろうし、食に困った記憶はこの街ではない。


 だけど、シオンは自分が食べる以上に食料を提供しているし、魔力に余裕がある時は水魔法で大量の飲み水を創成している。胃の壊れた仁も、必要以上に食べる事はできないし、しない。それに二人に食料が回されるのはそれだけの働きをしていて、代わりがいない存在だからである。


 まぁそんな事、知らない人間からすればどうでもいい。ただ、腹の満たされている少年と少女、そして痩せ細った自分と我が子という事実があれば、他は全て無視される。ある意味ではそれは、正しい。いくら言い訳を並べたって、仁とシオンは満たされているのだから。無茶苦茶な理論で詰め寄ったって、それは我が子を何とかして生かそうとする母の愛なのだから。


「ちょっと栄養失調気味だね。残念だけどこの二人は腹を膨らます魔法は持ってない。病院に行くか、それとも配給の相談窓口に」


「行きました!病院は内乱の負傷者で一杯で相手にされませんでした!配給の相談窓口?次の配給を待ってくれ。盗まれたのが本当かは分からないし、特別扱いは出来ないと言われました!もう、私達には貴方しかいないんです!」


 どう対応すればいいのか分からない仁とシオンを見兼ねた梨崎が咄嗟にカバーに入ったが、状況は悪化。だが、梨崎も病院も配給所も、どこも打った一手は間違えていない。


 餅は餅屋、出来ない事は出来ないとやんわり伝えようとした彼女のフォローは的確だった。病院も、子供より急を要する者達が多く居て、分ける食べ物も打てる点滴もほとんどないから相手にできなかった。配給所だって悪とは言い切れない。そういう詐欺もあるのだろうし、一人を特別扱いすれば、じゃあ私もと多くの者が特別扱いを普通にしろと望む。


 全てが的確な対応を施して、なお零れ落ちた不運だった。


「……残酷だけど、渡しちゃダメ。キリが無くなる」


「けどっ!」


 虚空庫に入れようとしたシオンの手を止めた環菜が、耳元でさっと囁いた。野良猫に餌をあげてはならないのと同じ理論に、少女は抗議する。優しい彼女は、目の前で苦しんでいる人間を放っておけないのだろう。それは正しいが、シオンの為にはならない。一度施してしまえば、次からはシオンの前に施しを待つ行列が出来るだろう。


「貴方、悪魔なの?この子はこんなに苦しんでいるのに、渡さないようにシオン様に言うなんてっ!」


「悪魔でもなんでもいいよ。それより、こっちにおいで。私、ダイエットしてるから」


 我が子を野良猫と同等に扱われた母親が環菜へと掴みかかるが、するりと躱されて逆に抑えられてしまう。シオンに囁いたのと同じように、環菜は母親へと自らが分け与えると耳元で伝えた。


「っ!?し、失礼しました!本当に、ありがとうございます……!」


「ただし、他言無用と次はないってのが条件。守れる?」


「はいっ!もちろんです!」


「なんでっ!」


 数秒前には害そうとした相手にペコペコと頭を下げた母親に、野良猫ではない人間を垣間見た。当然、自分には止めとけと言った環菜自身が施す事に、シオンは再度抗議の声を上げるが、


「名の売れたシオンちゃんじゃなくて、私なら多分大丈夫だから。じゃ、ちょっと抜けるね」


 多分。便利な言葉だ。シオンが施せばほぼ必ず懸念していた事態になるが、環菜だって低いとはいえ、ありえなくは無いのだ。それなのに、彼女はこの場を切り抜ける為に自らを利用した。


「すいませんっ!私にも、恵んでもらえませんか!」


「お願いします!俺にもいいですよね!その親子だけってのは、無いですよね!?」


 案の定。次から次へと、環菜をまるで女神のようにいきなり崇め奉って、空腹をあの手この手で訴えて、食料をねだる。プライドなんて投げ捨てた姿だが、餓死しては元も子もない。


(俺君、ダメだよ。折角環菜さんが庇ってくれたんだ。僕らがやったら、人が押し寄せてくる)


(……分かってる。けど)


 環菜が庇わなければ、俺は自分の食料を分け与えていただろう。気持ちは分からなくもないのだ。仁だって、生きる為に盗みを働いた事がある。今は真面目に運送業をしている四人だって、食うのに困ってカツアゲをしようとしていた。どれだけ空腹が辛いかを、今の日本人のほとんどは知らないだろう。あの感覚は人を狂わせる。


 一度味わった事があるから、救いたくなる。けれど、それは許されない。


「俺も行く。この調子だと、環菜だけの食料じゃ足りないだろう」


 余りの大人数に環菜の顔が曇った時、もう一人が手を挙げた。ぎょろりと飢えた眼が彼を射抜き、遅れた心配の瞳が彼を見る。


「えっ!?でも、あんたのって」


「子供達の分は残す。そこは譲らない。悪いな仁。見送るつもりだったんが……」


「ごめん」


「いい。弱い俺には、これくらいしか出来ないからな。待っててくれ。子供達に伝言を残しておく」


 少しだけ留守にすると書き置きを残して、他にも食料を望む人間を十人以上ぞろぞろと引き連れた堅と環菜は、この場を後にした。環菜も軍所属の中ではそれなりに功績を挙げているし、堅に至っては魔法陣と飛龍戦の功労者だ。今この場の人間分くらいなら、なんとか振る舞えるだろう。


 英雄ではなく、食料を望む者の輪は消えた。だが、取り囲む人間は未だ多く。


「シオン様!魔法が使えるんですよね!私の夫が病気で死にそうなんです!助けて下さい!医者はもう手遅れだって言って治してくれないんです!」


「治癒魔法って、そんなに病気に効かないからごめんなさい……!」


 とある女性は病気の夫を魔法で治してくれと、必死の形相でシオンに頼み込む。仁の怪我の治り具合でも見て、治癒魔法に幻想を抱いたのだろう。しかし残念ながら、魔法とは万能とは程遠い。医療に関してだけいえば、もしかしたら日本の方が進歩しているかもしれないくらいに。


「お願いします!ダメ元でいいので、診て下さい!それとも、助けて下さらないのですか!?」


「……っ!」


「はいはい。魔法じゃ治せない病気だって治すくらいの名医の私が後で診に行くよ。住所教えてくれない?」


 シオンの顔は、ナイフが突き刺さったような表情だった。すぐに梨崎が割って入って一人を対処するが、そこから先は無法地帯だった。


「病気じゃ無理でも、怪我ならどうですか!俺のカミさん、肋骨が折れて痛いって!」


 怪我の治療を要求する者。まるで、治してもらうのが当然と言わんばかりに。治さなければ、英雄じゃないというかのように。


「貴方があの時、負けなければ!私の子供は死なずに済んだのに!」


 サルビアに負けた仁を、責める者。何故、自分の息子が仁を庇って死ななければならなかったのか。運命を呪い、騎士を呪い、負けた仁までを呪った。一人残らず救うのなんて不可能だが、それでも、大切な人を失った時に誰彼構わず関係者を恨む気持ちは、仁にも経験があった。だからこそ、刺さる。


「お前、助けられた癖に仁様を責めるってのか!?」


「助けられてないから言ってるのよ!」


「じゃあなんで生きてんだよ!死ねよ!」


「ちょ、ちょっとやめなさいよ!」


 なんなのだろう。これは。仁に救われ感謝を抱いた人なのだろう。だから、仁を貶されて許せなかったのだろう。仁を責めた女性に、男性は掴みかかって取っ組み合いに。


「さっき笑っていましたが、何か街にとって良い事があったのですか!?」


 普通の談笑を、街を救う吉報だと勘違いした者。まるで、普通に笑っているのがおかしいと言うように。あれだけ死んだのに、笑うのですかと責め立てるように。


「……ははっ……」


「っ……」


 僕は笑う。シオンは涙を浮かべて俯いて、石のように黙る。どう返せば良いのか分からない。無理な事が多過ぎるし、出来たとしても、違う問題が付き纏う無茶なお願いが多い。出来るだけ助けたいとは思うが、これだけの人数を助けようとすれば、絶対に時間は足りない。


「なぜですか!助けられるのに、助けてくれないのですか!」


 強さを持つ仁とシオンへ、弱き者達が叫ぶ。助けて、助けてくれないの?見捨てるの?それは、弱者の傲慢だ。藁にも縋り付きたい辛さの中で、持つ者達への妬みが歪な正論で武装した醜いものだ。


 それは誰しもが、少なからずは抱くものだ。しかし、大半の人間が理性によって抑え込んだり、我慢したり、逆の立場になって考えて改めたりしたりするものだ。今、仁とシオンの目の前にいる人間の方がよっぽど少数派だろう。


 だが、少数派だろうといるのだ。世の不平等に耐えられず、強き者に強さを持つ責任を求める弱者が。守ってもらえて与えてもらえて当たり前と思うような、者達が。彼らは決して悪人ではない。大切な人を想う愛から発する感情でもあるし、生き残ろうとする人間の本能から発する感情でもあるのだから。


 無茶を言うな!全員を救うなんて出来るもんか!


 そうやって叫びたかった。でも、出来ない。出来る限りを救うと掲げた仁とシオンに、その言葉は吐けない。だって、自分と自分の人生と感情を犠牲にすれば、救おうと思えば、救えるのだから。手の届く範囲の、救えない人間達なのだから。


 私だって、人間で!出来ない事なんてたくさんある!


 無理難題を押し付けてくる者達に、本当の事を大声で告げたかった。でもそれは、彼らの叶わない希望さえ砕く行いであり、言ったシオン達に逆恨みを向けられる言葉だ。


 普通に笑う事さえ、許されないのか。


 あの内乱での死者は、本当の内乱なんかよりずっと少ない。でも、少なからずはいたのだ。だから、彼らを救えなかった仁とシオンが普通に笑っているのは、不謹慎だと思われるのか。ふざけるなと言いたかったけれど、気持ちは分からなくもなくて。


「どうか、私達を助けて下さい!」


 今この場にあるのは、祈りだった。自分にはどうにもならなくて、けどどうにかしたくて、だから誰かに頼んで、押し付ける。きっと誰もがしてしまうような、祈りだった。神様とは本当に素晴らしい存在だ。毎日、これと同じような祈りを受けてるのだから。


「……ごめん、なさい……!」


 残念ながら、仁もシオンも神様でもなんでもない。ただの人間だ。精々人より少し殺すのが上手くて、戦うのに慣れていて、強いだけの人間だ。心だって、人間だ。


「守れなくて、ごめんなさい……救えなくて、ごめんなさい……!」


「ごめんなさいで済むわけねえだろ!助けてくれるんじゃないのかよ!」


「助けられなくて、ごめんなさい……!」


 頭を下げて、泣いて鼻声で謝り出した俺に、罵声が浴びせられた。信者が神に裏切られたかのような、光景だった。


「いやぁ君達の気持ちは良く分かるけどさ。助けられなかった人の気持ちも、考えようよ」


「なんだてめぇ……ひっ!?」


 輪の後ろの方から少しずつ、沈黙が歩いてきた。彼とそれは、最前列で石を投げようとした男の背中で止まって、冷酷に鉄の口を突き付ける。


「桃田 和希と申します。石って投げなかったら当たらないけど、投げたら当たるよね」


「い、いきなりそんなもん突き付けて良いのか!あれだ!軍人だとか、警察を呼ぶぞ!」


「これも同じさ。引き金を引かなければ、弾は当たらない。引いたならまぁ、この距離だし当たるよね」


 銃口を向けて輪を割って来たのは、桃田だった。彼の後ろから走って来るのは、マリーと元軍人と反乱軍を含む武装した集団。銃をチラつかされれば、さすがに頭を冷やさざるをえない。それが出来ないような人間は、すぐさま拘束される。体術を知る者と知らない者では雲泥の差が出る良い例だった。


「マリーさんが似たような経験があったらしくてね。二人が外出したと聞いて飛び出して来た訳だ」


「どうやら手遅れだったみたいね……ごめんなさい」


 『勇者』と呼ばれた彼女なら、似たような経験があって当然だろう。仁達の事を心配して、来てくれたらしい。遅かったとは言え、本当に助かった。さっきの祈りの輪を波風立てずに抜ける方法を、仁とシオンには思いつけなかったから。


「……戻ろうか。護衛するよ」


「私までいては混乱の元ね。後ろからこっそり付いて行くわ」


「お願い」


 話題の三人が勢ぞろいはまずいと、マリーはさっとこの場を離脱して屋根の上へ。彼女が消えたのを見届けると、助けを求める人間の代わりに物々しい護衛が仁とシオンを取り囲む。


「大丈夫?歩けるかな?」


「私は、うん……なんとか」


「いやぁ、シオンちゃんもかなり酷い顔色だけどね……まだ、マシかな」


「僕はまだ冷静さ。けど」


 青を通り越して真っ青に震えて、今にも崩れ落ちそうなシオンだが、なんとか立って歩く事は出来る。僕もまだ、なんとか受け止める事が出来ていた。


「ごめんなさい……ごめんなさい……」


「……とりあえず、行こうか」


 問題は、俺の人格。救いを請われて、請われすぎて、死んだような彼は壊れたように、「ごめんなさい」を繰り返し続けていた。









 桃田ら護衛に囲まれて、梨崎に車椅子を押されて、街を横切る。その間に、何度か俺は吐いてしまった。その度に歩みを止めてしまって、道を汚してしまって、また俺は何度も謝り続けた。


(……やっぱり、シオンの存在はこんなに大きいんだね)


 僕はその姿を見て、思う。自分だけが耐えられたのは性格と、シオンの記憶の有無だと。隣の少女の前で泣くまいとして、隣の少女が耐えているだろうと励まして、僕は必死に耐えた。けど、俺はそこまでの虚勢を張る事が出来なかった。


「すいません……もう、何も出ないはずなのに、吐き気が止まらなくて」


 結果が、これだ。謝って、謝って、助けられなかった事を責め続けて、怯えて震える子供のような姿だ。


「……俺の人格の方だよね?」


「はい。ごめんなさい」


 桃田の問いかけに、また謝った。たった数十分だけで、ここまで人が変わるものなのかという程の、変貌だった。本当は、シオンの前以外ではずっと隠していた一面が表に出ただけなのだけれども。


「……ああいった人間は、直接見ない方がいい。目も心も潰れてしまう」


「……救えなかった人間には、知らないフリをしろと?前に、貴方は大の為に切り捨てられた小を救いたいと言ってたはずでは?」


 仁が助けられなかった、助けられない人達だ。それを見るなと言った桃田に、少年は彼の過去の言葉を使って反論する。


「言ったね。見なくても、助けられる」


「知らないと、次は取り零します。全部は無理でも、知って改善して一人でも多くを……」


「知る事は大切だ。向き合うのも、時に必要だ。だけど、直視し続けるのだけはダメだね。この三つは似ているようで、非なるものだ」


 知る事と向き合う事、そして直視する事は全て違うと、彼は述べる。知る事と残り二つの違いならばまだ分かるが、向き合う事と直視の違いは仁には到底分からなかった。


「ここで言う向き合う事ってのは、自分の中の罪を見つめる事だ。決して全員を救えと言って、救えなかった英雄を責めるような人間を直視する事じゃない」


「遺族や助けを求める人の気持ちを見るなと?」


「……見ていても、良い事なんてないよ。知って向き合うだけに留めておいた方がいい。じゃないと、辛くて壊れてしまう」


 彼は、仁やシオンを責める側の人間であってもおかしくないのに、助けようとした人の気持ちを汲んでいた。どれだけの覚悟で人が、誰かを守ろうとするか知っているから。


「俺の心の内、全部ぶちまけたら数人は精神病に追い込める自信がある。でも、この感情をぶつけていいのは、仇にだけだよ」


「……」


「ごめんね。卑怯で」


 楓を殺された自分と、トーカを殺した自分をかけた余りにも笑えない彼の自虐は、強すぎた。自分に出来るだろうか。最愛の人を失って数日で、普通に出歩いて、他の人を気遣う事が。


「仁、シオン。さっきも言ったように、君達は知るべきだよ。救えなかった人を知ったのだから、今度は救えた人も知るべきだ」


「……」


 彼はとても強くて、優しい人だった。仁の強さとはまた、別種の強さを彼は持っていた。









 護衛や桃田とは建物の入り口で別れを告げた。梨崎も途中で診察の約束をしたからと自室で医療器具を取りに行って、それきり。


 部屋に帰ってから、しばらくは無言だった。命懸けで戦って、努力して、身体を失って記憶を消して、多くを守れなくて泣いて、その結果の果てに、救えなかった人間や助けられない人間を見てしまった。弱者の傲慢に、刺されてしまった。


「辛いね」


「……うん」


 僕の声に、シオンは頷く。全部を救いたいと思うけれど、手の届かない範囲はある。例え手が届いても、救えない時もある。それはきっと、心のどこかで分かっていた事なのに。現実に直面して、遺族や当事者から責められた時にようやく、初めてその痛みを知った。


 「仕方がない」が、最も普通な答えだろう。だけど、そこで止めてはいけない気がしてしまう。かといって、無理をしても却ってダメになってしまう事ばかりで、もう訳が分からない。


「…………」


 もう一つ、仁にとって辛い事がある。彼らは、仁の事をまるで救世主のように崇拝しているかのようだった。それが、どうしても仁は受け入れられないのだ。


 彼らは仁の嘘を知らない。仁の真実を知らない。彼らが知っているのは、柊が街を守る為に創り上げた、美談の嘘である。ただでさえその負い目があるのに、彼らは仁をきらきらとした目で見つめてくるのだ。まるで、聖人君子や英雄と称えんばかりに。


 助けられなかった事を責められるのは辛く、かといって英雄として崇められるのも辛い。どっちにしろ辛いのだ。なんともまぁ、面倒な性格をしていると思う。


「……ねぇ、仁」


「……なんだい?」


「どうした?」


「きっと、これから先も、ああやって責められるけど」


 一般人であれば、このように責められる事はないだろう。皮肉な事に英雄であればある程、無謀なくらいの多くを望まれる。そして溢れた人々は、英雄を非難する。これは人を救い続ける限り続く、宿命だ。乗り越えるには全てを救うしかなく、そして全てを救う事は恐らく、不可能だ。


「私、やっぱり救いたいな」


「……僕も」


「俺もだよ」


 でも、それでも。今日この日のように責められたって、救う事は止めないだろう。助けられなかった事を後悔しても、もう助けないなんて言わないだろう。その事は、今日はっきりした。


「……さっき、俺は謝ってたけど、桃田さんの言うように、知って欲しいな」


「……救えた人がいるって事?」


「うん。例えば、私とか。多分知らないと思うな。命を助けた詳しい回数とか、私が仁にどれだけ救われてるか」


 仁の身体に優しく寄り添って、治癒魔法をかけて気遣って、記憶無き人格に彼女は教える。自分が何回命の危機に救われたのか。精神的な危機に至っては数え切れないくらいに、仁の存在に救われているかを。


「それを言ったらシオンだって、僕達の事何度救ったよ。きっと両手両足じゃ足らないと思うんだけど」


「……シオンがいなかったらきっと、俺はもう死んでるし、生きていても、あの嘘を平気で吐くような人間になってたと思う」


 だが、それは仁も同じなのだ。仁がシオンを救った回数なんかよりずっと、シオンが仁を救った回数の方が多い。精神的な面だって、どれだけシオンの事が関係しているか、ついさっき分かったとも。


「えへへ。一緒だね。だから、俺も僕も、あんなに自分を責めなくていーよ」


「……」


「私はずっーと、これから先も貴方に救われるから」


 きっと、シオンはこう言いたいのだ。全員を救う事はありえない。未来永劫、救えなかった人はいる。でもその裏で、シオンだけは絶対に、仁に救われ続けていると。まるで、一人も救えなかったみたいに悲しまないでと。一人は絶対に、この世にいるからと。


「……必ず、これから一生救い続けるから」


「約束するよ。シオン。その代わり、僕らも一生救っておくれよ」


 それはまるで、プロポーズのような一言だった。前した時はすごく緊張して悩んで、準備してやっと言えたものだったけど、今のはとても、自然と出てきた。


「だからお願いだシオン。僕と俺君とシオン、誰かの一人の命なんて状況になったら––んっ!?」


「縁起でもない事言わないで」


 続きは言えなかった。ものすごく、睨む様な目つきで断固拒否すると彼女は言って、唇で塞いできたから。


「……こりゃその時になったら、生の譲り合い死の取り合いになりそうだ」


「ならないって、言ってる……」


「ごめんごめん」


 きっと、もし仮にそんな状況になったら、互いに庇い合うのだろう。ここだけは絶対に譲れないところなのだろう。


「……ねぇ、仁。私、救えてる?」


「救えてる救えてる」


「うん。すごく、救われてる」


「……確認しても、いい?」


 問いかけて、仁の答えを聞いた彼女の声は、震えていた。緊張しているのは非常に大きいだろう。でも、今日の事が辛かったのだろう。食料を分けてあげられなかった事が。あれだけ頑張っても、浴びさせられた罵声が。そして何より、救えなかった事が。


 ここで「はい」と答えた先がなんなのか、意味が分からない訳じゃない。仁としては、ずっと我慢してきた事でもあるし、求めてきた事でもある。この身体で上手くいくかという不安はあるが、それ以外なら。日付に関しても、シオンが良いと言うのならば、問題ないのだろう。


「うん。こっちも、確認させて欲しかった」


「愛してる。これからも、ずっと」


 答えた途端に、痛いくらいに強く抱き締められて、唇が重なった。胸に落ちた彼女の涙は、とても熱くて、傷口に沁みた。


 熱で紛らわさないと心が壊れそうな辛さで、仁とシオンは支えあって、傷を舐め合って慰め合って、越えようとした。仁もシオンも、互いなしじゃ生きられないのだろう。


 もたれかかった、双樹のように。


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