第139話 弱さ≠無力と功績
プラタナスとルピナスを陣営に迎え入れた事を、仁達が知ったその翌日。シオンの押す車椅子に乗った仁は、とある家の前にいた。付き添いは梨崎と今朝方見舞いに来てくれた環菜である。
「環菜か」
代表として前に出た環菜は壊れたインターホンを素通りし、かなり強めに孤児院のドアを叩く。手慣れた手つきに、ノックだけで聴きわける堅といい、しばらく通っていたのだろう。
「美女も美少女もいますが、野郎の声ですいません。お久しぶりですね」
「……仁か……?」
「ええ、少し様子が変わったかもしれないけど、紛れもなく僕らだよ」
だが残念ながら、今日主に話すのは「美人だなんてー」と肩を叩いてくる環菜と梨崎でも、美少女と赤らむシオンでもなく、仁だ。車椅子はさすがにまだ早いと止められたが、無理を重ねた三重治癒に更に無理をして、リハビリを兼ねてと頼み込んだ結果だ。
「……見舞い、行けなくて悪かったな。入ってくれ」
「いいよいいよ。孤児院も忙しいだろうしね」
「元保育士の人達が助けてくれてる。今も彼女達に連れられて外で遊んだり、お手伝いをしているはずだ」
やはり責任感の塊だったのだろう。彼が家に引きこもったのは、二日間だけだったと聞く。翌日からは青い顔に死んだような目で、街の復興作業と孤児院での仕事に取り組んでいたそうだ。彼のいない二日間や休みたい時は、環菜や元保育士が子供達の面倒を見ていたらしい。
「……ダメな親代りだ。トーカの死をまだ伝えられてないし、俺が落ち込んでるのを見て何かあったんじゃないかって心配させてる」
「懐いていたと、聞きました。正体を知って銃を向けた環菜さんとの間に割って入ったと」
「あんな幼いのに、銃の前で人を庇えるなんて立派なヒーローだ……伝えられない気持ちは、察するよ」
中へと通されながら、話されたのは今にも泣き出しそうな声での吐露。いつまでも隠し通す事は出来ないと分かっているのに、今が楽な嘘を吐いてしまった。仁だって堅の立場なら、隠してしまったかもしれない。
「とっておきのシナリオがあるんだけど、聞くかい?」
「……嘘を重ねろと?」
「吐いた嘘を隠し通すのも、責任の取り方の一つだと思う。場合によりけりだけど、今回はそっちのが良い。少なくとも、子供達にとっては」
親との別れを経験した子供達に、再び数日間の間親代りだった人間の死を告げるのは些か酷というものである。故に仁は、隠し続けた方が子供達にとっては良いのではと、堅に提案した。
「石蕗さんに頼んで多少情報の制御をしてもらえれば、トーカさんの死は隠せる。また、彼女は説得の為にこの街を出て騎士の残党について行ったと言えば、自然と今はいない理由になる」
まだトーカの葬式は行われていないし、魔法陣を運んだ騎士の遺体の名前を知る者は少ない。権力によって、子供達の耳に入らないようにする事は十分に可能なはずだ。今いない理由についても、日本人側に立った騎士という立場を上手く使えば誤魔化せる。
世界はもうすぐ元に戻るのだ。それまで誤魔化せれば、違う世界に帰ったという嘘が使える。もう一度世界が繋がるまで分からないような、嘘が。何年後かは分からないし、一生隠し通せるかもしれない。例え隠し通せなくても、受け止める年齢になるまで待てるかもしれない。
「でも、これは大人にとって辛い嘘だ。貴方は誇り高き騎士の真実を話してはならないし、子供達を欺き続けなければならない。彼らに、絶対に叶わない再会という希望みたいな絶望を抱かせ続けなきゃならない。それを見て、耐え続けなければならない」
「別に言ってもいいのさ。そっちの方が良いかもしれないからね。子供達の今はすごく荒れるかもしれないけれど、いずれ時が治してくれる」
知らないまま生きて、もし知ってしまった時に絶望を味わうか。それとも、最初から絶望を与えて、癒えるのを待つか。前者はずっと幸せになれる可能性があり、後者は嘘を吐かなくて良い。一長一短の選択である。
「……考えて、おく。今日の要件は、それだけか?」
仁が決める事ではないし、今すぐに答えを出せる事ではない。この件は堅と環菜に保留とされた。
「いいや。今日は挨拶に来たのさ。おそらく、後数日以内に僕らは旅立つから」
「その身体で?」
「数日後には歩いてみせるよ……一秒でも、早いほうがいいんだから」
今日来た本題は、こっち。身体が相当痛むが、それでも車椅子に乗れて外に出れたのだ。出発の日は遠くない。驚かれたが当然だろう。もたもたしている内に、街そのものが滅ぼされたら元も子もない。
「俺も」
「堅さんには子供達に環菜さんがいるからね。残念ながら残留組さ」
「危険な旅路になる。途中で騎士やとんでもない魔物と出くわしてもおかしくないし、しばらくは俺らも戦力にならない。死んでも構わないと思っているような人間じゃなきゃ、務まらない」
同行を申し出ようとするが、仁は即座にそれを却下。行きはシオンの虚空庫に荷物を保存出来るが、彼女のいない帰りはそうは行かない。故に、日本人の荷物持ちや旅の護衛が必要だった。が、危険性は折り紙付きである。帰ってこれない前提の旅だ。堅には、守るものが多すぎる。
「俺に、何もせずにここに残れと」
「何もしないのかい?」
「……ここにいたって、俺一人にできることなんざ、たかが知れてる。旅についていけば、肉の壁くらいには……!」
「っ!?」
むしろそれこそ望むところだと、堅は立ち上がって仁に詰め寄った。息を詰まらせた環菜を一瞬だけ見てたが、すぐにその目は傷だらけの少年へと戻り、強い意志で訴えかける。
その気持ちは、仁にも分かるとも。何せ毎日鏡で見てる。贖罪や、責任感といった類のものだ。トーカを守れなかった罪の意識から、自らを傷つけようとしている。魔法陣と共に託された希望を果たす為に、何かしなくては焦っている。その二つが合わさって、強い意志となって彼を動かしている。
確かに、街の防衛なんてただの一兵士に出来る事なんて限られているし、はっきり言って一人くらいならいてもいなくても変わらないだろう。しかし、仁の旅の同行なら話は別だ。死ぬのが前提な以上、志願者は少ない。いざとなれば役に立てる。まぁ要は、役に立ったと実感できる。
「……人間一人に出来る事なんて、限られている。確かにそうです。でも、その出来る限りの中で人は足掻いて、積み上げて、他人と協力して結果を出しています」
「別にそれが仁の旅でもいいだろ!そっちも立派な」
「もう一度言うよ堅さん。子供達や環菜さんはどうするのって、僕らは言っているんだ。なんだい?トーカさんに続いて、堅さんの死を子供達に味合わせるのかい?」
「……そ、れは……」
仮に堅が死んだのなら、子供達に隠す事は出来ない。引き取った以上、義理の親として死ねない責任があるとら仁は彼に突きつける。
「気持ちは分かります。役に立ちたいと思うでしょうし、何か罰が欲しいのは分かります」
「……」
「悪いね。僕らも同じ気持ちで生きてるのさ」
内心を理解された堅の顔が朱に染まる。それは見透かされた羞恥か、それとも実行出来る仁への怒りか、或いは両方か。
「俺が行けないのは、弱いからか」
同じようなものを抱える仁が旅に出れるのは、必要な人材だからだ。自分は必要とされていない。そうと分かっているからこそ、歯がゆくて悔しくて、堅の中で暗い感情が湧き上がる。
「貴方は違う人から、必要とされています」
「まぁ、ぶっちゃけると弱いってのもあるよ。でも、弱いからといって何も出来ないわけじゃない」
「なにがだっ!?俺はトーカを守れなかった!目の前で撃たれるのを、止められなかった!」
弱さ=無力ではないと言った仁に、堅の感情が爆発した。それは、トーカが撃たれるのを見ているだけだった自分に対する怒りを抑え続けた限界であった。
「お前やシオンなら、守れたはずだっ!柊さんなら事前に手を打って戦況を変えれたはずだ!」
「『限壊』を使えばおそらくは守れたでしょうし、シオン……の強さも、同様です。司令ほどの頭脳があれば、止める事も出来たとは思います」
彼の言う通り、弱い堅ではない強き者達ならば、トーカを救えただろう。それは事実だ。弱かったから、堅は守れなかった。
「シオンはよく、僕らと堅さんを似てるって言うけれど、やっぱり似てないや」
「だな。シオンやマリーさんならともかく、司令や俺なら恐らく救わない」
「……は?いや、助けられるって……」
「それより前さ。そもそも、生き残った騎士の残党を僕らは匿ったりしない。あいつらは手脚をもがれていても、意識さえあれば人を殺せる。危険すぎるんだよ」
どこまでも冷ややかな声と判断に当てられて、堅の激情は冷めていく。シオンはお人好しだから、助けてしまう可能性がある。マリーは人を殺せない。しかし、仁や司令ならば、這いつくばって忌み子に謝る朦朧としたトーカを助けない。むしろ目覚めない内にと即座に息の根を止めるだろう。その、確信がある。
「彼女は一度、貴方に助けられた。いえ、一度どころではないかもしれません。他の人間なら死んだ方がマシな扱いをしていたかもしれない彼女を、丁重に扱った」
しかし、堅は違った。仁とは違い、憎しみを超える優しさを持っていた。情報を得る為だのなんだの言っていたが、だったら仁が違うと判明した時点で殺せば良かった。騎士の強さを考えるに、生かしておくだけでデメリットが大き過ぎる。それでも殺すどころか、一人の人間として扱った堅は一周回って馬鹿な優しさだ。
それこそ、場合によっては仁や柊が堅ごと口止めをしなければならないような、愚かなともいえる優しさだ。
「だから彼女は、子供達の面倒を見たり守ろうとしたりしたんだよ。日本人に気遣って、誰も殺さずに切り抜けようとして、最期に魔法陣を託してくれただと、僕らと思うよ」
だがその優しさは馬鹿であって愚かであれど、無駄ではなかった。世界の壁を超えて、通じた。その成果の大きさは、計り知れない。何せ柊が取り零した最後の一つのピースを手に入れた。そして、何より純粋な騎士と日本人が共闘した。殺し合う運命にあったはずの世界が、背を預けて戦ったのだ。
「けどっ!手を取り合って戦って、その結果がこれだっ!共闘したはずの日本人に、勘違いで撃たれて死んだんだぞっ!」
結果は、良いとは言えなかった。物語なら間違いなくバッドエンドになるだろう。これから仲良くしようと思った相手に、勘違いで殺された。しかも勘違いの理由が理由だけに、タチが悪い。
だが、物語の結末は悲しくとも、何も残らない訳ではない。まだ、続いているのだ。
「……ええ。残念で悲しい結果でした。でも、貴方が助けなければ、彼女は撃たれる前に死んでいた」
「手を取り合えた。この事実がどれだけ大きいか、簡単に言うと、昨日僕らは二人の異世界人と手を組んだ」
「……なんだと?」
つい昨日知った仁だって、驚きまくった出来事だ。堅も同様に、信じられないと言った目で見てくる。さすがに彼も、最初から味方になるなんて無茶はしなかった。
「騎士じゃないし、見たところ敵意もない。でも、味方とは限らない相手だった。そんな相手に、石蕗さんは交渉したんだよ。仲間になってくれないかってね」
「石蕗さんはこう言ってた。一度手を取り合えたのだから、二度目があってもおかしくないと思えたって」
「……」
完全な異世界人と、手を取り合う。それがどれだけ難しい事か、仁は身を以て知っている。魂をぶつけ合って利害を一致させ、命を何回も賭けた上でようやくなのだ。最初は不可能と思うほどに、難しい事なのだ。しかし二回目からは、出来るかもしれないと思える。
「堅さんは、自分の事を弱いって言ったよね。確かに斬り合いになったら僕らやシオンの方が強いさ。けれど、僕達じゃ魔法陣は手に入れられなかった。騎士と手を組もうなんて、考えもしなかった」
「魔法陣を手に入れ、なおかつ異世界人との共闘という例をこの街で示した。この功績は、無力ですか?無駄ですか?」
剣や魔法の殺し合いの強さじゃない場所で、堅は戦っていた。そしてそこで、勝ち得たのだ。殺し合う強さでは決して得られなかった、この街を救う為の大いなる功績を。
「無駄じゃない。無駄なわけあるものか。無駄に、してたまるものか……!」
無駄なんて言えるわけがない。無駄だと思えるわけがない。無駄にできるわけがない。真実を知って打ちのめされた彼女が、人生全てを否定され、多くの仲間を失った騎士が、もう一度立ち上がって敵も味方も守ろうとして、残したものを、トーカと過ごした日々を無駄などと。
「トーカさんは、子供達も守って残しました」
「堅さんは、堅さんの戦場で戦ってよ。子供達の側で彼らを安心させて、近くで守ってあげておくれよ」
仁とシオンの旅に、堅はもったいない。プロ野球選手をサッカーのW杯に出すくらいの損失だ。子供達は、彼を必要としているのだから。
「必ず、僕達がトーカさんの遺志を遂げるから」
「……よろしく頼む。その代わりに、この街は何としても、守ってみせる」
「死なないように、お願いします」
ここにまた一つの約束が交わされた。互いの戦場にて守るべきものを守るという、遥か遠い背中合わせの約束だ。
堅の目は、もう死んでいなかった。焦っても、自棄でもない強い意志が、宿っていた。
「良かったわね!環菜さん!」
「ちょっとなんで私!?」
にまにまとしたシオンが声をかけたのは、堅ではなくホッとしたような表情の環菜であった。なんだって言われても、もうバレバレであろう。
「危うく独身というか、未亡人になるところだったもんね!」
「はぁっ!?この殴っ……治ったら、ぶん殴る」
「環菜さんそれ死亡フラグ」
どうせ分かってんだろと僕はひでぇ言い方である。殴られても仕方がないぐらいだが、今の仁は残念ながら怪我人でマウントを取っている。しかも、世界を背負っている。迂闊に殴って更に怪我されて世界滅んだなんてなったら笑えず、故に環菜は仁が帰って来たらと、物騒な約束を一方的に取り付ける。
「…………」
「……か、勘違いしない!」
「してないと思うよ」
目を背けた堅に対して、環菜は涙目で噛み付くが逆効果だ。むしろ、これで「はいそうですか勘違いですか」となるような男なら、脳の手術をするべきである。
「違う!そういうあんたらこそ、昨日はお楽しみだったって広まってるわよ!ようそんな身体で出来たわねって男子も女子も戦慄してたわ。なんだたてるのかよって」
「んなっ!?」
思わぬカウンターに肋骨辺りがリアルに痛んだ。広めたのは誰だと、まず斜め後ろにいる梨崎を見ればビンゴ。目を背けて上手い口笛を吹いている。
「いやぁ、いいニュースがないかなって思って……あのプラタナスとルピナスった人と、マリーさんも共犯」
「全員じゃねえか!」
あれだけ言わないでと念を押したのに、案の定後の祭り。これにて、仁は歩けない立てないような身体でシオンを押し倒した、凄まじい小児性愛者の名誉を街中で獲得した事だろう。
「ち、違うわ!一緒に寝たけど、そういうのはまだ……!?」
「一緒の布団入って一線超えてないは無理があるわよおめでとう!」
さすがに、昨日シオンが泣いていたからとは言えない。それに例えその言い訳があったとしても、曲解されて尾ひれがついて美談にされて広まるだろう。熱愛報道とは、テレビも新聞も滅ぼうとも変わらず大衆に見られるものである。
「その、なんだ……幸せにな」
「だっー!?なるし、するけどもさぁ!?」
「うーむ。私だけ寂しいな」
しないとは言えなかった僕に、梨崎が降参して一同の間に思わず笑みがこぼれた。堅にとっても環菜にとっても、久しい笑いであった。そして何より、
「ふふふ。よかったね。シオンちゃん」
「もう!」
「仁、幸せになるってさ」
ただの談笑。からかわれて、いじられてのとっさの返し。しかし、それ故にこぼれ出たであろう本心。シオンがかつて環菜に相談した、幸せになろうとしなかった少年が言った、幸せになるという宣言だった。
「……ん?外が騒がしいな。子供達が帰って来た……わけじゃなさそうだな」
「どれどれ。見てくる……ああ。これは、想定していなかったな」
低い男性の声。高い女性の声。しゃがれた老婆の声。子供の声はしない騒がしさに、何事かと窓を覗いた梨崎は眉をひそめた。
「ここに、『勇者』が?」
「笑っているよ……こんな時に」
「いや、いい事があったんだろ?」
「油売ってるわけじゃない……よね?」
どの目も、どの口も、どの耳も、仁とシオンに注目していた。
「……三人とも、えらい有名人だね」
それは、街を救った少年と少女を一目見ようと、そして、どうか助けてくださいや、息子はこの街の為に戦って死にましたとかいう、そういった人の願いの集まりだった。
せっかく微笑んだ仁の顔が、ひどく強張っていた。




