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幻想現実世界の勇者  作者: ペサ
幻想現実世界の勇者
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第138話 素敵な事と腕の中


 サンドウィッチを食べ終えたシオンはまず、壁にもたれかかっていた梨崎を彼女の部屋へと運んだ。そうして戻ってきた少女と仁は、椅子とベッドに座ったまま、無言で時間を過ごした。それはきっと、ごちゃごちゃしたシオンの心の整理の時間であったし、仁が自分の言いたい事を上手くまとめる時間でもあった。


「……そう言われたら、そう見えなくもないわ」


 世界はたった一つの面だけで出来ているわけではない。見る角度を変えれば、いくつもの景色や今がそこにはある。思い出したくもないような記憶を掘り返した少女は、少しずつ意味が変わっていくのを感じた。


 叔父や叔母のしていた研究の一つに、魔法を身体に直接撃ち込まれるほど、魔法耐性が上がるというものがあった。父の剣は決して殺しはせず、再起不能や部位欠損の怪我はさせなかった。母の魔法だって、いずれも跡がほとんど残らないように上手く調節されていた。


 仁の言う通り家事を教えてくれたのも、強さをくれたのも、意味があるように思えてくる。もしも、もしもあの十年間全てが同じであったなら、きっとここには書き切れないだけの事を、シオンは痛みの中で教わった。


「シオンの事が、大切だったんだと思う」


「でもきっと、その一方で騎士団のみんなや国、家族も大切で、他に方法が取れなかったんじゃないかな」


 サルビアとプリムラの強さがあれば、全てを投げ捨てて逃亡生活を送れたかもしれない。だがそれは殺し合いの日々であり、今まで愛してきた繋がり全てが敵に回る日々である。彼らはどちらも選べなかったのだ。どちらも中途半端に選んでしまって、シオンを傷付けて、シオンに殺された。


「私、初めてロロを憎く思ったわ」


 前は忌み子だったから仁と会えたと、彼には伝えた。でも今は違う。彼が誤解を解いていれば、試練で見たあの世界があったのかもしれない。平和に手を取り合って、誰も死なないような世界が。


「でも、私は今、一番私が嫌」


「……」


「最後、死ぬんだと思って道連れにしようとした。ううん。その前から殺そうとしてた。ずっと、守ってくれてたのに」


 だがそれはない。なかったのなら、今この現状で恨むべきは誰か。それはきっと、シオン自身だった。


「愛してくれたのに、気付かなかった……!」


 今思い返せば、不自然な事はいくらでもあった。なのに自分は気付かず、父の血でこの手を汚した。


「気付かなくても仕方ないよ。僕が教えたんだから」


 仁が言わなければ、もしかしたらシオンは一生気付かなかったかもしれない。知らずに両親を憎み続けた方が幸せなのか、知って自分を責める方が幸せなのか、仁には分からなくて、告げてしまった。一つ、追加しよう。シオンが知った世界では、シオンも仁も自分を責めると気付くべきだった。


「ごめんね。仁は、私の為に教えてくれたのに。辛いよね。私が気付いていれば、仁は言わなくてよかったもんね」


「……っ!」


 涙を浮かべて、堪えて微笑んだシオンのこんな言葉を聞きたいんじゃない。こんな顔が見たいんじゃない。知って欲しかったのだ。誇って欲しかったのだ。なのに。


「私、知れて良かったと思う。知らなかったらこれからずっと、両親の事を誤解して、父親を殺した事を誇ってたかもしれないから」


「シオン。気休めの嘘はいいよ」


「……最後はちょっと脚色したけど、前半部分は本当」


 気丈に振る舞った気遣いの嘘はすぐに分かる。どれだけ憎もうと、実の父親を手にかけて悔やまない少女ではない。


「じゃ、言い換えるね。どっちにしろ、私は引きずったと思う。だから私は、こうして愛されていた事を知れた分、知らない世界よりは幸せだと思うの」


「……」


 確かに、知れた方が両親に対しての想いは変わるだろう。だが、愛されていたと知った分だけ、悲しみや自責の念は増えたはずだ。分かっているから、仁は痛む拳を握り締めて更に痛め付ける。


「気遣いもあるけど、どっちにしろ仁には聞こうとしてたわ。なんで父さんが私を斬らなかったか、分からなかったから」


「そこで、僕が言わなければ君は」


「知れて良かったって言ってるじゃない。むしろそうやって、仁が悲しい顔してる方が辛いわ。貴方は悪くない。私達はどう足掻いても、苦しむ運命にあっただけよ」


 誰が悪かったとかではない。そもそもがこじれていたのだ。どうしようもないくらいに、家族として壊れていた。そうやって、シオンは仁を励ました。


「あ……その……」


 逆だろう大馬鹿者。今励ますべきは仁の方で、励まされるべきはシオンの方だ。だが、こうやって事実をぶちまけて悲しませたのも仁だ。慰める資格はあるのかと、まとめた言葉は心配で消えた。


「今はまだ、割り切れないと思う。一生抱えるかもしれない。けれどその代わり、私は一生愛されていたと思えるの。それがどれだけ素晴らしい事か、きっと仁は知らないわ」


「……」


「でも、仁でも分かる今回のまとめを言うわ」


 愛を欲しがった少女が言う。愛されていた事が、どれだけの意味を持つか。嬉しかったし、悲しかった。普通に両親に愛されて育った仁には、分からない事だろう。


「愛されている事と、憎まれている事。どっちが素敵?」


「っ!」


 だけど、仁どころか世界中の人間にだって分かる事がある。愛されるか憎まれるか、どっちが良いかなんて、呼吸をするくらいに簡単すぎる。


「それを貴方は教えてくれたの。だから、ありがとう」


 教えた仁と、愛してくれた両親には感謝を。一人で気付けなかった自分には嫌悪を。これが、今回仁が話して、彼女が得たものだ。


「でも、分かっていても、やっぱり今日くらいは辛いかな」


「うっ……その」


「本当にごめん……」


 だが人間とは分かっていたとしても、簡単に割り切れる動物ではない。例えifにしか過ぎなくとも、シオンは夢見てしまう。平和で普通の家族だった世界を。気付いて、戦わなかったもしもを。


「だから、責任を感じているなら、ちょっと貸して」


「「へ?何を?うおっ!?」」


 にっと悪い笑みを浮かべたシオンが取った行動は、非常に迅速だった。まず布団を剥ぎ取り、浮遊を駆使して仁の胸に衝撃を与えないようにダイブしたのだ。身体を動かせない仁は防ぐ事が出来ず、触れた瞬間に走った激痛に呻く。


「これが、罰ですか……?」


「こんな良くて痛い罰、初めてだよ」


「ごめんね。すぐ、治すから」


 しかし、それもすぐに治った。理由は分かる。シオンが治癒魔法をかけてくれているのだ。別に、彼女が包帯と服越しにいるから痛みが治まった訳ではない。一瞬勘違いしたが、そうではないのだ。


「ふふふ……暖かいね」


「……」


「そりゃ人肌だもの」


 えへへと嬉しそうに笑って、仁の感触を確かめる少女に、幾ら記憶を見て婚約者とはいえドギマギする俺と、パニクっていながらなんとか冷静を装った僕。しかし、彼らは更にやばい事実に気付く。


「……シオン。その、なんだ。あんまり言いたかないんだが、俺の身体多分、何日も風呂入ってなくて」


「絶対臭いから、また機会を改めて貰えると助かるんだけどぉ!」


 寝ていたのは四日。意識を取り戻してからも、包帯を取り替える際に身体を拭いた記憶はあれど、風呂には入っていない。間違いなくやばいと、今にも少女の顔が悪臭に歪むのではと危惧し、


「初めて会った時みたいに?……大丈夫。ちゃんと毎日水魔法で丸洗いにしてたから」


「……マジ?」


「あ、いや本当って意味で……マジ?」


「うん……あっ!?見てないから!目を瞑ってたから!」


 聞かされた真実に最初は安心したが、意味を深く読み解いて氷魔法の腕で目を覆った。この反応は確実に見ている。梨崎やマリー、環菜やロロと周りにいそうな人物を考えてみるが、間違いなく予行演習だのなんだの言って、むしろ子ライオンの背中押して崖下に突き落とすような親ライオンばっかりだ。


 恥ずかしい死ぬしかないと思う俺と、まぁもう既に見られてるかと白目で開き直った僕。二人のそんな軽い心境は、否定しようとしたシオンの焦った顔の、両端に光る涙に消えた。


「……ねぇ、シオン」


「……何?」


「僕らも、君の事愛してるからね」


「…………うん。私も」


 いつになく大胆に、僕は告白する。それはきっと、愛していた両親を失った少女を励ます為であり、また本心でもあり、これからは自分が引き継ぐという誓いでもあった。


「……」


 俺はまだ、そうは言い切れない。けれど、見た記憶と僅か一日の付き合いで、少女がとても良い子で、自分をとても好いてくれている事は理解出来た。


「……俺もいつか、自信を持って愛してるって言えるようになるから」


「ありがと。待ってる」


 科学的な根拠は一切無い。それこそ数学の証明問題でだいたいこんな感じと書くようなレベルだったが、俺には自信があった。きっと、自分はこの少女を好きになると。


 今、少女の顔に仮面はなく、醜い火傷の部分が露わになっている。でもそれは、硬い木の仮面で仁の怪我に触らないようにする優しさなのだ。最初見た時に、その火傷を恐れた自分を恥じて、その優しさに惹かれ始めている。


「悲しい時ってのは、愛しい人の腕の中で泣いていいって誰かが言ってた」


「きっと、その人はいい人ね」


「ああ、きっと」


 これから先を見越して僕が許可を出し、俺は同意する。仁だってこうして、少女の膝で泣いたのだ。次は、彼女が仁で泣く番だろう。


 両親の愛を知った少女は、自らの手で父を斬った事に泣き、母に何も返せなかった事に泣き、自分を責めて泣き続けた。仁に出来るのは、痛む腕を我慢してシオンの背中に回して撫でてあげる事だけと、胸を貸す事だけだった。


 ああ、だがきっと、辛い時に寄り添ってくれる愛しい人の存在は、素晴らしいものなのだろう。そう、少女は涙の中で思った。









 夜が明けて、小鳥が泣くような朝が来た。


「昨日は、ありがとね」


 あの後、シオンは泣き疲れたのか寝てしまい、仁もしばらくは意識を保って少女の背中や髪を優しく撫でていたのだが、途中で寝落ちしてしまった。


「いや、元を正せば俺らが言ったのが悪かったんだし」


「それに、僕らとしてもこういうのは嬉しいものさ」


 目が覚めたシオンと俺は、かなり恥ずかしかったようで挙動不審。頬を赤らめたりと可愛らしい。少し大人な僕は、結構な我慢強いられたなぁと心の中で呟いた。


「……」


 もぞもぞと仁の腕の中で身じろぎして、良いポジションを探す少女の姿は可愛らしく、くすぐったい。どうやら恥ずかしくも添い寝が気に入ったようで、もうしばらくいるつもりらしい。


「えっ」


「ちょっ」


「まっ」


 と、ここでドアが開いた。気持ち良くて索敵を怠ったシオンと仁の、一生物の不覚である。


「死んだと思ったよ……で、死んでなくて目を覚ましたら、まさか手を組む事になるなんてもう訳が分からない」


「私だって石蕗が手を組むと言った時は正気を疑ったわよ……てか、あんた本当にレディに対して容赦ないわね」


「その節は本当に申し訳なかったと思っているよ。あの場で騒がれるのは困ったからねぇ……ルピナスも謝ってる。あら」


 はてさて、ここで問題である。同じベッドに男女が二人。一緒に寝ていて一緒に朝を迎えたとしよう。一線超えてない?ははは、そんなの起こしに来た人間が分かるものか。


「––––」


「……あれ、まだ計算合わないんだけど……色々と大丈夫かしら……?」


「こりゃめでたい。今日は赤飯だ。あ、米なかったなぁ……どうしよう」


「どうやら孫の顔は早めに見れそうだねぇ。良かったじゃないか。サルビア、プリムラ」


 固まって動かない仁とシオンに、梨崎とマリー、それになぜか二人と仲良さげにしているプラタナスとルピナスが一斉にいやらしい笑みを浮かべた。


「いやっ!ちょっとこれ!誤解だわ!」


「若いって良いわねぇ」


「ねぇ」


 自白はなくとも、証拠が揃っていれば罪になる事もある。そら一緒のベッドで男女が寝て一線超えてないはさすがに無理があるもので。明らかに梨崎とマリーの中ではギルティだ。


「ち、違う!話を聞いておくれよ!」


「婚約していたと聞いて叔父さんと叔母さんびっくりしたぞ」


「その話じゃない!てかあんたなんでまだここにいるんだよっ!?」


「––––」


「はっはっはっ!話題逸らすの下手くそだねぇ。ルピナス。それはさすがにお下品だ」


「何を言ったんだい!?」


 そしてこういう時、大抵必死な弁明は意味がなく、むしろ逆効果だ。思考の処理が追いつかない仁がとりあえずツッコミまくるが、聞いてもらえず。


 この後、誤解を解くのにすごく時間がかかったのは言うまでもない。








 夜の凍える風の中、コートを羽織って悠々と彼らは道を歩く。帽子をしっかり被ってる彼と、服を着て俯いている彼女は、人通りの少ない暗い夜では目立たず、誰も反応しなかった。


「それにしても、ここは本当に凄い街じゃないか。研究のしがいがある。そう思わないかい?」


「––」


「そうだよねぇ。まさかこんな所にかの遺跡があるなんて思ってもみなかった」


 老年の声でありながら、調子はおもちゃを見つけた少年のように弾んでいる。返す音は無言なれど、プラタナスの耳には聞こえているようで、しきりに頷きを繰り返している。


「そうよね。私もこんなところで貴方と会うなんて、思ってなかったわ」


「おや?」


 背後から滲み出るような声が、夜を照らす炎の剣と共にプラタナスを襲う。金の炎が宙を裂き、散った火花が暗闇の中で弾け飛ぶ。


「松明は間に合ってるよ」


「地獄への道は暗いから、遠慮しないで持っていったらどう?」


 咄嗟に払った手から、炎を散らす程の風が吹いたのだ。反応速度もさることながら、発動までの時間、魔力の効率、威力などどれもが超一流。さすがにイヌマキには敵わないが、それでも相変わらずの化け物っぷりに汗を流し、マリーは次弾を構える。


「くくっ……くくくくくははははははははははははは!地獄?地獄だと?それはこの世だろう?」


「……何があったのかは知らないけど、ルピナスは?いるんでしょう?」


 背骨が折れそうになるまで背筋を曲げて、周りを気にせずに狂笑。きっと自分の知らない間に何かあったのだろうと察しながら、彼の妻を探す。


「ああ、いるとも。隣に」


「傀儡魔法なんて習得してたの?」


「習得してるが、それとはまた別だぁね。どちらかといえば魂の領域になる」


 何度目になるか分からない、騎士の裏切りを含めた妻の紹介を、プラタナスは光栄そうに終える。事情を知ったマリーはまるで、苦虫を噛み潰したような表情で、二人を見る。騎士として、国に仕えた者として、責任を感じているのだろう。


「君は相変わらず臭いねぇ。正義の臭いだ。正しさの臭いだ。負えない責任まで背負って勝手に苦しむなんて、ねぇ?正義じゃ裁けない悪があり、正しさじゃ救えない命があるのに」


 その様子を見て、変わっていないなとプラタナスは笑う。知識を振りかざしてマリーの底を見抜き、会わなかった空白の時間に何が起きたかを察し、言葉で突き刺した。


「淑女に臭いってのは失礼じゃない?さすがに、傷付くんだけど……」


「––––」


「……うーむ。そこかね?」


 しかし、最も突き刺さったのは臭いの部分であったようで、後半の本質はどこ吹く風。隣の妻も、女性に臭いはないと抗議の意を示している。


「貴方も同じく、相変わらずだわ。何を考えているのかさっぱりだもの。誰とも争った形跡も、殺し合った様子もない」


「目的が違うからねぇ。可愛い姪に会ってきただけさ。時間があるならついでに研究でもと思ってたんだが、どうやら遅かったらしい」


 サルビアの仇打ちではなくシオンに会いに来ただけと語る老人に、マリーは嘘はないと断定。彼なら街に侵入した時点でもう、既に射程距離内のはずだ。シオンとドンパチしてれば必ず火花が見える。


「それとだけどねぇ?さすがに、さっきの笑いで反応しないのは些か不自然にすぎるよ?」


 突如、指を出して周りの人間を次々に指差して、彼らへと指摘するプラタナス。彼はもう、ずっと気付いていたのだ。


「やはり見抜かれてましたか。いやはや、まさか周りに気付かれても構わないように振る舞われるとは思ってもおらず、失礼しました。私の名は石蕗と申します」


「プラタナスに、妻のルピナスだ。あの短時間でこれだけの兵を自然に動かすとは、負けた理由は彼らだけではないだねぇ」


 困った顔で出てきた石蕗を、プラタナスは純粋に褒め称えて手を叩く。銃と魔法を隠し持った物騒な自己紹介を終えた彼らは、マリーとルピナスを隣に向かい合う。


「となるとあの結界は守る為だけではなく、警報機の役割もかねぇ?」


「そうよ。すぐに私達に連絡が来るようになってる。でも強固さも折紙付。彼、凹んでたわ。サルビアに負けて、ご自慢の結界も貴方達に破られて」


 泣きそうな顔のイヌマキから届いた侵入者の報に、マリーと兵士達は一斉に飛び出した。浮浪者のフリをしてボロ布をまとい、銃を背中に隠し持ってプラタナス達を待っていたのだ。仮にマリーと戦闘となった場合、不意打ちの鉛玉を撃ち込めるように。


「此度、私が参ったのは貴方様達に幾つかお聞きしたい事があったからです」


「何かね?」


「敵意は無い、のですね?」


 石蕗が来たのは、しばらく経ってからである。プラタナス街に入ってから全く戦闘が起こさなかった真意を確かめる為に、結界の破られた近くの道で張っていたのだ。


「もちろん。私個人としては『魔神』と『魔女』に世界が蹂躙されようがどうでもいいしねぇ。妻と身を隠す程度の事は出来るから、むしろ望むところでもある」


 妻を裏切って殺そうとした世界など彼にとってはどうでもよく、忌み子を殺す理由はない。自分達さえ良ければそれでいいという、自己中心的な理由を堂々と彼は述べた。そしてそれは、ある種石蕗が求めていたものでもあった。


「大変、自らの強さに自信をお持ちのようだ。騎士に恨みがある、研究がしたい、そして敵意は無い……つまり、私達は手を組めるのではないかと思うのですが?」


 自己中心的。つまり、自己に理があるならば、協力関係に持ち込める。騎士でもなく、強さもある。最高の物件だろう。魔法も使えず、たいして強くもない石蕗がこの場にいるのは、交渉する為であった。


「……正気かね?私達を雇いたいと?」


「ええ。私達は少しでも戦力が欲しいのです。そこに、正気である必要が?むしろ戦力を求めるのが正気では?」


 これにはプラタナスもルピナスも驚いていた。まさか戦闘も排斥もせず、協力を申し出られるとは本当に予想外だった。


「報酬の研究はもしやだが……」


「はい。大悪魔イヌマキからの知識の提供、及び研究施設の立ち入りです。触るとやばいものがたくさんあるので、研究施設内では指示に従ってもらうとのことですが」


 恐らく、マリーから夫婦揃って研究者だと聞いていたのだろう。報酬は既にイヌマキの許可を取って用意してある準備万端さ。実に面白い男である。


「良い。素晴らしい。面白い。見合うだけの条件をしっかり揃え、敵であってもおかしくない人物に交渉を持ちかけるのは、非常に面白いねぇ」


 憎しみを抱きながらも敬愛した王のようだと、プラタナスは歯を覗かせて笑う。かの大悪魔の研究など欲しくて喉から手が出そうだったし、合法的に復讐も出来る。そして、何よりこの交渉が面白く、これからも面白そうだ。


「––––」


「本当に信じられるかね?私達を」


 自分にしか聞こえない妻の言葉を聞き、それを代弁する。かつて信じた者に裏切られた妻の、悲痛な質問だった。


「ええ。信じるしかないですから、信じます。信じず滅ぶか、信じて助かるか滅ぶかの二択にするかですし」


 石蕗の返答は、そこに利益ある契約がある限り、決して裏切りはないというものである。感情なんかよりよっぽど信頼出来る、理性的な返答に研究者二人は頷いた。


「しかし、いいのですか?誘っておいてなんですが、非常に危険な業務です。殺人をするでしょうし、何より敵は世界全てと言っても過言ではない」


 受けてもらえるかは、半信半疑だったと石蕗は語る。それもそうだ。たった数万人の市民vs障壁持ちの騎士が数十万人の戦いである。死ぬ確率の方がずっと高く、いくら研究のメリットがあっても受けない方が賢いはずだ。


「いやぁ、『聖女』に言われた事があるんですよ。『私が死んだ後ではっきりとは見えないけれど、貴方達は世界の敵となり、世界の味方となるでしょう』と。おあつらえ向きとは思いませんかねぇ?」


 それは、世界を救って世界を滅ぼしかけた、かの聖女が最後に二人にかけた予言。騎士の世界の敵となり、日本人の世界の味方になる。ぴったりではないかと、プラタナスは笑った。


「––––」


 妻の人形が、夫にしか聞こえない声で喋った。仮にもし、他の人間にルピナスの声が聞こえたなら、彼女の言葉はこう聞こえたはずだ。


「『そして、死ぬ』とも、彼女は言った」


 こうして腹の底の見えない者同士が互いの利益の下、契約は結ばれた。不安そうなマリーは、何も言わずにその結果を見守り続けた。そして、翌朝の仁とシオンの部屋に繋がる。




「というわけだねぇ。こっち側についてよかった」


「––––」


「良くない!?戦力的には大助かりだけど!」




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