第137話
今回の話話サブタイトル無しです。最後にそれらしきもの載せてます。
それは、一体どれほどの覚悟の上だったか、仁には推し量れない。
早めのノック。許可と同時に勢い良く開け放たれた木製のドアは、壁にぶつかる前に少女によって緊急停止。軋んだドアをそそくさと閉めて、シオンは仁へと向きなおる。
「ただいま!……具合はどう?」
やはり、仁が心配だったのだろう。出て行ってからまだ一時間も経っていない。乾かす時間も惜しんだのか、綺麗な黒髪は濡れて光を返している。
「大丈夫大丈夫。いたって良好治療中さ。ま、それよりなんだけど」
「おかえりシオン。話があるんだ」
上気した頬のシオンと目を合わせる気恥ずかしさを、これから話す予定の内容で抑えつける。これは、真剣に話すべき内容だ。
「梨崎さん、いいかい?」
「はいよ。何かあったらすぐに呼ぶこと。隣の部屋借りてるから」
「ありがとうございます」
シオンが帰って来る前に話しておいた通り、梨崎には外に出てもらう。最初は急変したらと渋られたが、内容を明かせば最後はしょうがないなぁと頷いてくれた。
「話って、何?」
二人きりになった空間で、椅子に座った少女とベッドに横たわる少年は向き合う。真剣な仁の顔に、梨崎にも聞かれたくない話ともなれば、それは深刻な何かであるとシオンは判断したようだ。もしかしてと期待を抱いた瞳は、刃を振るう時のように鋭い。
「先に言っとくよ?この話はあくまで、断片的な情報を集めた推測に過ぎないし」
「聞いたら、シオン、は後悔する……と思う。でも、その上でシオンは知るべきなんじゃないかって思った。話しても、いい?」
中身を明かさない前置きを話す仁の口の中は、酷く乾いていた。この話が後悔以外の何をもたらすのか、分からなかったから。でも、きっと何かをもたらしてくれると思ったから、こうして確認を取っている。
「後悔するの?」
「多分」
「それって仁の身体の話?それとも私との今後?」
「どちらとも違うよ。君と、君の両親の話だ」
「どうして、仁が?」
恐れている二つではなく、脱力したシオンが絞り出した疑問は当然のものだ。詳しく話したとはいえ、仁は聞いただけ。体験したシオンより情報量は少なく、それで何を言えるのか。また、なぜ自分が後悔するのか。
「シオンも薄々気付いているんじゃないか?確証がないだけで」
「……分からないわ。なんで、最後に父さんが斬らなかったなんかなんて」
最後の最後で愛しくなったのか。やっと親子の愛に目覚めたのか。さすがに、実の娘は斬れなかったのか。理由を考えて考えて、考え続けて、シオンは分からないという結論に達した。
「愛していたとは思えない。身体を斬り刻まれて炙られて、骨は折られて砕かれて、辛くて泣いて苦しむ日々だった」
一番可能性があるのは、不意に沸き起こった親子愛。他は一切の可能性無しである。その根拠は両親がシオンにした仕打ちと、地獄のような日々。そして、
「何より、ティアモ・グラジオラスがいるわ。団長の立場であるなら、絶対に二人は接触してる」
心を読む系統外を持つ、ティアモの存在だった。顔を合わせないはずがないし、隠し切れるわけもない。心を読める人間を目の前にして、読まれたくない事が浮かばない人間がこの世にいるのか?断言しよう。それは不可能だ。考えないようにと、考えているではないか。
故にずっとではなく、突発的な情けだとシオンは考えて、
「その地獄のような日々を、シオンは生きた。死ななかった」
「もし、ティアモの系統外をかいくぐる方法があったなら?」
仁はその二つの根拠がなければと、仮定した。
「前者はともかく、そんな方法あるの?」
実際に戦ってみて、あの恐ろしさを直接知ったシオンだから疑問に思う。心を覗かれ、まるで未来を見ているかのような動きで全てを防がれるあの恐怖を、欺ける方法はあるのかと。
「ああ、あったよ。方法は極めて難しいけど、出来さえすればね。要は個人に対して抱く感情を消滅させればいいんだ」
「すぐに見つかった。何せ、今の俺らに起こった事だから」
実際に個人に対しての感情を失った仁だからこそ、確信を持って言える。この方法なら、ティアモの系統外を欺けると。
「……記憶を消す?」
「正解」
人へと抱く感情は、過去の経験から生まれるものだ。そこを消す、もしくは捻じ曲げてしまえば、ティアモの系統外で読み取る事は不可能だろう。目を覚ました直後の俺の思考を読み取っても、シオンに対する想いは何もなかったはずだ。
「つまり、父さんも何らかの方法で四重刻印を使った?でも、父さんは私の事を覚えていたけど……」
「四重刻印の代償じゃ、消せる記憶の指定は出来ないと思う」
確かにその方法ならティアモを欺ける。だが、そもそも記憶をどう消すというのかと、シオンは首を傾ける。四重刻印による記憶消去は断片的なものではなく、完全な消去。おまけにこちら側の指定はほぼ不可能で、サルビアのケースとは合わない。
「で、代わりに消せる方法がないかと考えて、梨崎さんに聞いてもしかしたらと言われたのが、首輪だった」
「あっ……」
記憶を部分的に消したり改ざんする薬でもあるのかと梨崎に尋ねたが、そういう病気はあるが薬は難しいだろうとの返答。しかし、その時彼女は昨日話していたサルビアの遺品を思い出し、仁に述べた。
「昔シオンに聞いたあの魔道具、サルビアに着いてたんだってね。そして、僕の四重刻印で壊された」
出来る範囲内で何でもさせる禁忌の首輪ならば、記憶の改ざんや消去も可能だろう。記憶を変えて、シオンに対する感情も憎しみに歪めて、ティアモの系統外をやり過ごす。
「でも、じゃああの日々は!」
ティアモの系統外は乗り越えたとしよう。だが、その先に待つのは理論ではなく、感情が拒む過去という問題だ。思い出して疼いた胸の傷を抑えながら、涙を流した少女が反論する。
「仮に、サルビアの立場でシオンを愛した場合を、俺と僕で話し合った」
「どうすれば救えるのかって」
「嘘っ!そんな剣じゃなかった!痛めつける為の魔法だった!」
きっと、シオンではこの結論には至れない。彼女は実際に斬り刻まれた。彼女は実際に魔法で撃ち抜かれた。死にかけ、残飯を漁り、その中に含まれた毒に吐き、吐いた事で蹴られて殴られて、生きているのが不思議な、死んだ方がマシな日々を味わった少女では、無理だ。
「ああ、そうするしか方法がなかったんだよ」
呼吸も声も荒くなって、髪を振り乱して叫ぶシオンに、僕は優しい声で語りかける。俺と僕は、シオンの過去を体験していない。シオンから聞いた範囲と、彼女の身体に刻まれた傷しか知らない。知らないからこそ、当事者ではないからこそ、本当の痛みを知らないからこそ、冷静に物事を見れた。
「なんで、そんな必要があるの!傷付けて、痛くして、虐待して、拷問して!そんな日々になんの意味があるのっ!」
あの温厚なシオンがここまで取り乱すとは、本当に辛い過去だったのだろう。サルビアもプリムラも、殺す寸前まで痛めつけ続けたのだろう。
「あったんだよ。そうするだけの理由が、しなくちゃならない理由が」
だが、そこに意味がある。ただの恨みではない、守る為の意味が。
「……続けて」
鋭くも落ち着いた氷のような、仁の視線に射抜かれて、シオンは大人しく椅子に座る。
「僕がサルビアで君を愛していたのなら、それを誰にも悟られてはいけない」
「そして、生かそうとしていると思われてはいけなかったはずだ」
そうして仁が語るのは、忌み子は見つけ次第即処刑の世の中で、忌み子を生かす為の前提条件。愛で手元に置いていると思われてはいけない。愛しているから生かそうとしているのではなく、恨み辛みの発散の対象として残していると思わさなくてはいけない。
「両親がシオンにした事を、正当化する訳じゃない」
「でも、暴力を振るって半殺しにする親なんて、世間から見てどうだ?愛しているなんて思われない。ただの憎しみのはけ口にしか見えない」
シオンの境遇を知った世間はなんと言ったか。彼女が覚えている限り、早く楽にしてあげろと、同情していた。幾ら忌み子でも、そこまでする事はないだろうと。
忌み子が生まれたのに、殺さない。不審に思った者達は監視をつけたに違いない。そしてその監視達は皆、目を覆ったに違いない。サルビアもプリムラも、シオンを愛していないと決定付けたに違いない。
「けど、そんなの……本当に憎くて、殺したかったからじゃ……」
傾いた心の天秤を示すかのように、シオンの反論は非常に弱い。だが、言う通りだ。仁に当時の二人の心境を完全に証明する事は出来ない。ただ、そうかもしれないという理由を述べていく事しか出来ない。
「実際に私、滝の下に突き落とされたわ!胸に剣を突き刺されて、死にかけて!」
「さすがに限界だったんだ。もうこれ以上手元に置くのは不自然だって考えて、シオンを逃したと思う」
幾ら虐待の為に生かすとは言え、10年間は長すぎる。生かす為に演技をしているのではないかという声が聞こえてもおかしくない。その醜聞を晴らす為に、シオンを処分したとしてもまた、世間的に見ておかしくはない。
「ロロの記憶で見た、サルビアが振るう朱色の剣。あれ、シオンの白銀の剣にすごく似てないかい?そして君が流れ着いたロロの家は、プリムラと関係があったんじゃないかい?」
だがその10年間と、シオンが生きたその後は多くの痕跡を残した。森の家で拾ったシオンの白銀の剣と、サルビアが虚空庫の中に持っていた朱色の剣は瓜二つだった。五日前にサルビアはらロロの事を妻の祖先と呼んでいた。つまりあの森の家は、彼らも知っていたのではないか?そして滝から落ちたシオンを、運んだのではないか?
感情で叫ぶ少女を、繋がった今までの全てによって黙らせる。なんて事の無いような会話や情報の欠片が、組み合わせる事で形へと変わっていく。
「シオン。君も言ってたよね?私の剣は貴方達の虐待から生まれたって」
「え、ええ言ったわ。その通りだもの」
「ああ、実にまさにその通りだ。でも、それも狙いだったんじゃないか?」
シオンの異様な強さは、サルビアが残したものだとしたら?魔物が跋扈するこの世界で一人でも生きていけるような、それこそ騎士達に追われる事になっても切り抜けられるだけの剣を、虐待の中で与えたとしたら?
「シオンの料理、記憶の中の俺はすごく美味しいって言ってた。なんで嫌いな人間に、家事を教えるのか俺には分からない」
無理難題を吹っかけて失敗させ、罰として魔法で炙る為に、家事を教えていた訳ではないとしたら?これから先、一人で生きていく時に困らないようにと、罰で隠して教えたのだとしたら?
全てが繋がっていく。憎しみによる暴力に見えた絵が反転して、我が子を愛するが故にまともに愛せなかった親の絵へと変わっていく。
「そんなの、全部推測……」
「ああ、そうだよシオン。これは全部推測だ。でも、ただの妄想と言い切るには余りにも、証拠がある」
「僕らがこの考えに至ったのはね。サルビアがシオンを斬れなかった事と、君の名前なんだよ」
「名前……?」
物事を隠そうとしても、必ずどこかに痕跡は残る。本来なら虚空庫の中で眠らせておくはずだった朱色の剣を、強くなり過ぎたシオンが引っ張り出してしまったように。そして、その最たる痕跡が、シオンを殺せなかった事と、彼女の名前だ。
「由来、知らない?」
「知らない。聞いた事なんて、ない」
子供の名前というのは、とても重要な事だ。ふざけてつけていいものではなく、しっかりと由来を考える。意味はなくとも、画数の良さでゲンを担いだりして、子供の未来に幸を願ってつける。
「シオンは花の名前で、花にはそれぞれ花言葉があるんだ。シオンのは、『遠方にある人を思う』
きっと、サルビアとプリムラは我が子を手に抱いた瞬間、運命を悟ったはすだ。今は赤子のこの子は、必ず遠くへと行く。いや、行かねばならない。その道は果てしなく困難で、孤独で、辛いものになるだろう。
バレないように残せるものは何かと考えたはずだ。愛していないフリでも、何かを与えようとしたはずだ。だからこうやって隠すように、名前を花からとって、花言葉の意味を密かに添えた。
「私の名前に、そんな意味があったの?」
「うん。あったんだよ。願って、贈った名前なんだよ」
知らなかった名前の由来、込められた意味を確認するような質問を、僕は肯定する。
「偶然じゃなくて?」
「偶然かもしれない。でも、偶然じゃないかもしれない」
まだ信じ切れない少女の問いに、俺は分からないと答える。愛されていた確たる証拠もなく、愛されていない確たる証拠もないと。
「……私、愛されてた、の?」
「言い切れない。けど、僕と俺君は話し合って、愛されてたと考えた」
シオンの辛い過去を知る僕と、ほとんど知らない俺で意見をすり合わせた。サルビアの立場になって、何を残せるか考えて、今まで得た情報を繋ぎ合わせて答えにした。絶対とは言い切れなくとも、天秤は傾いた。
「私は、愛してくれてたかもしれない父親を、この手で斬ったの?」
「……うん」
愛されていたと知って涙を流して、気づいた事に呆然としたシオンに、仁は隠す事なく肯定する。
これが、仁が話す前にシオンに述べた後悔だ。愛されていたと気付いた時、それはシオンが己の罪を知る時でもある。気付かなかった。隠されていたから仕方ないなどと、この少女が思える訳が無い。
「ずっと、守ってくれてたかもしれない人を……私は……殺したの?」
「…………ああ」
まだ確定では無いとフォローするか悩んで、結局何もせずに、再度肯定。
「……………」
言わなきゃ良かった。知らない方が幸せだったかもしれない。少なくとも今は泣かなかった。サルビアが努力して墓まで持っていた秘密を、無意味に帰した最悪の墓暴きかもしれない。言葉という形に出来ない感情に、涙を流してもがき苦しむシオンに、そんな想いが浮かぶ。
「…………ごめんシオン」
なんで自分は、こんなにも言いたかったのだろうか。ただ単に気付けて嬉しくなって、言いふらしたかった最低野郎か?もしくは、サルビアの立場に立った時に、嫌だって思ったからか?それともシオンに、君は愛されていたと伝えたかったからか?
理由は幾らでも出てくるが、今の現実は一つだけ。言って、シオンは苦しんだ。こうなると分かっていただろうに。
「驚いたねえ。これを置いて帰るだけのつもりだったんだが、そうもいられなくなった」
「「っ!?」」
ドアの外にあった不自然な足音に、気持ちがぐちゃぐちゃだったシオンは気付けなかった。ようやく反応出来た頃には声はもう鼓膜の中、彼の身体はもう部屋の中にあった。
「おっと、敵意は無いよ?殺し合いに来たわけじゃないんだ」
シオンは即座に朱色の剣を引き抜いて声の辺りを問答無用で斬り裂き、仁は動けないながらに刻印を構える。
「お前は、誰だ」
「……プラタナス叔父さん?」
「なんだって?」
しかし、剣は空を斬る。光石の下で両手を挙げて降参を示す男に仁は問いかけ、シオンは半信半疑ながらもう何年も会っていない親戚の名前を呼んだ。
「やぁシオン、お久しぶりだね。大きくなった」
「仁。警戒緩めないで……何しに来たんですか?」
両手を挙げていようが、この男は関係ない。意識さえあれば、仁の命をあっさりと吹き飛ばすくらい訳ないのがこの男だ。いざという時に盾となれるように魔法障壁を展開しつつ、シオンは笑う老年に目的を尋ねる。
「頼まれていたおつかいを片付けに来ただけでねぇ。誰も殺していないし、殺す気もないよ。ただ、謝らなければならないのは、私の存在に気付いた彼女に少し気を失ってもらった事かな」
「梨崎さん!?」
音もなくするりと廊下から入ってきた人形がその手に抱いていたのは、ぐったりと動かない梨崎の身体。上下しているのを見るに、プラタナスの言う通り気絶しているだけのようだ。
「いきなりこの小さな刃物を向けられて焦ったよ。そうだシオン。挨拶が遅れたね。君の叔母のルピナスだ」
「どこ?」
いまいち敵か味方か判断できず、会話の裏、助けを求めるか求めないか考えていたのだが、その思考は中断させられた。
「ここにいるじゃあないか。ああ……そうか。ちょっと姿が変わっていて気付かなかったんだね」
「……これが?」
さっきまでの思考を忘れて、驚くしかない。女性の形をした人形を、久しく会っていなかった叔母と指差されたら。
「私達の研究を欲しがった愚か者達がいてね。不意を打たれて、我が妻は殺されかけた。何とか魔法で繫ぎ止めたんだけどねぇ」
まるで人間のように、紹介された人形は美しく会釈をしてみせる。腕の中の梨崎がいなければ、きっとスカートをつまんでお辞儀をしたに違いない。そんな高貴な女性の人形だった。
「なんと裏で糸を引いていたのは貴族で、それ以来祖国が大っ嫌いだ。まぁ要は、騎士の味方じゃないから安心してくれ給え」
さすがに全面的に信じる訳にもいかないが、こうまでして姿を晒した以上、会話に応じるくらいは大丈夫だろう。暗殺なら幾らでも出来た。
「結界はどうやって抜けたんですか?」
「あの頭のおかしい結界はやはり、大悪魔によるものかぁね?本当に苦労したよ。まさかルピナスと二人がかりで破るのに四日もかかるなんて」
仁もシオンも気を抜いていたのは、イヌマキが発動したという結界があったからだ。サルビアだって一太刀では無理だという強度のそれを、時間をかけたとはいえ気付かれずに一部分を破る二人がいるなどと、想定していなかった。
「大丈夫だ。破った後は塞いであるし、他の誰にも真似出来やしないよ。さぁ、本題だがねぇ……これを渡しに来た」
「「は?」」
そう言って彼が虚空庫から取り出したのは、銀の盆に乗った料理。てっきり、魔道具か何かが出てくると思っていた仁とシオンは声を揃えて驚き、
「我が義兄と義姉曰く、ご褒美だそうだ。いつか、自分達を負かしたら渡すつもりだったと」
「もしかして、母さんの?」
「ああ。プリムラのだ」
見覚えがあって、まだ出来立てのようなふた切れのサンドイッチを作った人物に、更に驚いた。
「図らずしも、証明の手助けとなってしまったようだ」
「という事は、やはり」
「そうとも。彼らは、シオンを守ろうとしていたねぇ。親を辞めてでも、親であろうとした」
だってそれが意味する事は、先ほどの仁の話に足りなかった最後の一欠片、確証なのだから。
「……っ!母さん、は……ここに来てるの?」
突き付けられた真実に、少女はもう一度衝撃を受ける。だが、これで終わりじゃなかった。
「……もう、いない。この世にはもう」
「え……」
「二年前に病気で。だから、これが彼女が遺した最後の味で贈り物だぁね」
サルビアは言わず、ティアモは嘘を吐かずに隠し、マリーは知らなかった、真実。ずっと生きていると思っていた母の他界に、仁もシオンも言葉を失う。
きっと、シオンは生きている母親に何か言おうと思っていたのだろう。仁の話を聞いて、そう思った数分以内に、あっさりとその思いは砕かれた。相も変わらず、残酷なる世界だ。
「さぁて。私達はもう行くよ。もう気付かれてもおかしくない。さすがに、ここでマリーや大悪魔と事を構えるのは嫌でねぇ」
「ちょっと待っ」
「元気で。君達に幸運が訪れる事を願っているよ」
伝える事だけを伝えて、渡す物だけを渡して、プラタナスとルピナスは姿を消した。文字通り、本当にこの場から一瞬で消えたのだ。一体何が起こったのか仁は全く理解出来ず、虚空をただ見つめるのみ。
「……ねぇ、仁。一緒に、食べよっか」
「え、あ……」
我に帰ったのは、シオンから声をかけられてからだった。とは言っても、話の内容には戸惑って、上手く言葉で返せなかったけれど。
「これが、本家だよ。私のなんかより、ずっと、美味しいの」
「……シオン……」
「ほら口開けて!ね?」
言われた通りに口を開けて、シオンから一切れ頂いて、咀嚼する。残念ながら、仁の舌はほとんど代償でバカになっていて、詳しい味は分からない。
「美味しいでしょう?」
「……ああ。美味しい」
だから、嘘を吐いた。罪悪感を覚えながらも、これ以上少女を悲しませない為に嘘を。でもまぁ、美味しくて当たり前だろう。何せシオンの師匠なのだから。
「…………美味しい、なぁ」
美味しいと言った仁に、誇らしげに微笑んだ少女は、泣きながら美味しいと言って、母が最後に残した手料理を食べた。
それは、愛していたのに家族の形になれなかった、家族の物語だった。




