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幻想現実世界の勇者  作者: ペサ
幻想現実世界の勇者
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第15話 臭いと諦めないこと


「やっぱりその、臭う?」


 川に落ちて流されて洗われて、それなりに臭いも落ちたと思っていたのだが、どうやら残っていたらしい。自分の事は自分が一番分かると聞くが、あれは嘘だろう。仁の鼻はもう、自分の臭いを分かっていない。


「少しだけ。ほんのちょっとだから、気にしないでいいと思うわ」


 女性に面と向かって臭うと言われるのは、やはり来るものがあった。胸の辺りに石が出現したような感覚に襲われ、視線は自然と下へ。しかしそんな落ち込みは、シオンの一言で笑顔へと早変わりすることになる。


「お風呂入る?お湯沸かす?」


「ふ、風呂があるのか!」


(入らせておくれよ!ぜひ!)


 それは神の予言なんかより、今の彼にとってはよっぽど嬉しいものだった。取り入るための嘘の笑顔でもなく、何かを企む悪い笑顔でもなく、子供が欲しいおもちゃを買ってもらった時のようなあどけない表情で、仁は風呂を所望する。









 お風呂。それはこの世の天国。


 木で作られた大きな湯船に浸かりながら、仁はただひたすらに感謝する。


「ふぅ」


 身体の汚れは既にしっかり落とした。あとは存分に久方ぶりのさっぱりをとくと味わうのみ。石鹸が無かったのは痛手だが、それでも十二分に気持ちがいい。


「あ〜極楽だねぇ」


「死ぬまでにお風呂に入れるなんて思わなかったよ。今思えば、お風呂ってすごいもんだよね」


「お風呂を機械も使わずに、たった一人で用意するなんて出来る気がしないからな……昔の人は本当にどうしてたんだろうか」


 世界が変わり、水道も電気もガスも止まった今、風呂を一人で沸かすのは至難の技だ。温泉でも見つけない限り、不可能に近いだろう。


「なにより、お風呂の最中は色々と無防備だしな」


お風呂(ごくらく)からそのまま極楽へ、か。笑えないね!」


「ギャグセンスでも笑えない」


「んなっ!?」


 気が緩みすぎている今この瞬間に襲われたら死ぬなぁと、共には頷きあう。お湯に浸かっている間に周囲を魔物に囲まれたら、ほぼ「詰み」だ。


「バック持って素っ裸で、魔物の包囲を突破できるわけないしね」


 人の目など無いので、素っ裸で逃げてもいいことはいい。ただバッグや武器を置いてきてしまえば、遅かれ早かれ死ぬのは間違いもなく、変わりもない。


 どう頑張っても、仁は風呂に入れない人生を送るはずだったのだ。


「それにしても贅沢な魔法の無駄遣いだ。魔法で水創って、魔法で火をつけてお湯沸かすなんてさ」


「僕はなんか生活感あっていいなぁと思ったよ。でもあれ、僕らも科学でやってたからね」


 そんな悲しい生き方を解決してくれたのが、魔法である。大量の水を汲まなくても、風呂場の中で水の魔法を使えばいい。薪さえ集めておけば、火の魔法ですぐに火がつけられる。


「もっとド派手なもんかと思ってたぜ。こう、ドカーンだとかバーンだとか」


 俺の中の魔法とは、このようなものではなかった。が、むしろ、こういう使い方の方が良いのだろう。人を殺すより、よっぽど。


「俺君って案外……何もないよ?まあ、こんな使い方もいいよねぇ」


 音に合わせ、指の間から風呂のお湯を飛ばすという子供そのものな俺の態度に、僕は言いたいことまで沈めようと、鼻まで浸かって遠くの壁を眺めていた。


「ん?ふふーん。俺君、もう一回背中流さないかい?」


 と、いきなり僕が楽しそうな声で湯から上がることを提案。俺は気付かなかったが、壁を観察していた僕はあるものを見つけたのだ。


「別にいいが、どうした?」


「いや、もうちょい身体隅々まで綺麗にしておきたくてね?久しぶりのお風呂なんだし、もっと味わおうよ!」


「……それもそうか。よいしょっと」


 ざばぁと音を立て、一度極楽から上がる。規制よろしく湯煙も仕事をすることなく、裸体を隠すことなく桶でお湯を掬い、身体をもう一度ザッパーンと洗い直す。


「俺もうここに住みたい」


 頭から始まり、肩、背中、脇、腹、それこそ全身に至るまで。お湯で身体を洗う感覚。実に素晴らしいものであり、仁は余すところなく堪能したのだった。


「うっそぉ……実物……ひゃっ!?」


 魔法で木の壁に開けた小さな穴。その先で筋肉に覆われた異性の身体を見て、顔を真っ赤に染める人間が壁の外に一人。


「はわわわわ……あんな風になってるんだ」


 壁の向こうで仁の一挙一動にあたふたする少女がいたのを、俺の人格だけは気づかなかった。














 風呂に入ってから一時間ほど過ぎた頃。仁とシオンは木製の椅子に腰掛けて、向かい合っていた。


「ちょっと小さいが、まぁうん」


「入らなくもない、かな?」


 衣服に関してだが、シオンから麻でできた新品を借りた。使用済みなど借りれるわけがない。日本の服に比べてしまうとやはり質は落ち、ごわごわちくちくするが、文句は言ってられないだろう。


「風呂、ありがとう。本当に久しぶりでさっぱりした」


(聞こえないだろうけど、僕からも礼を言っておくよ!……そのうち、お礼は返すよ?)


「ひゃい!」


「?」


 上気せる寸前まで極楽を楽しみ、ほかほかと身体から湯気を出す仁はお礼を告げる。少女は二回目のお礼なのにまた驚いて、すぐに全身を赤へと染め上げる。本当にお礼を言われ慣れてないようだ。


 まさか覗いていたなど思わない俺の思考に、真相を知る僕はニヤニヤが止まらなかったが。


「ど、どういたしまして。喜んでもらえてよかったわ」


(この子ちょろい?)


 羞恥心ももちろんあったろうが、それ以上にお礼が嬉しかったのだろう。笑顔と恥じらいの狭間の表情の少女に対し、僕はかなり酷い評価を下す。


(失礼かもしれないけど、そんな気がする)


 悪いが俺も同意見だ。しかし、悪いことではない。この様子なら、敵対されることはないだろう。このままの態度を続ければ、相手の信頼を勝ち取るのもそう遠くはないはずだ。


「やっぱり風呂はいいもんだよな。日本人の血が騒ぐというか」


 途切れた会話を繋げて、好感度を上げていこう。そう思い、何気なく頭を布で拭きながら話を振っただけだった。


「ふ、風呂はいいわよね!ニホンジン?は知らないけれど」


「は……?」


 だったのに、シオンの疑問符を浮かべた返答を聞いた仁は、思わずタオルを地面に落とすほど唖然とさせられた。


「シオンは日本人じゃ、ない?」


「私は忌み子って呼ばれてるけど、日本人なんて呼ばれたことないよ?」


 布を拾ってテーブルに置いて、どういうことかと確認するように問い直す。しかし、彼女は日本人など知らないと首を横に振った。


「っ……」


 なぜ気付かず、そして疑わなかったのか。違和感自体はあった。当たり前のように魔法が使えて、戦闘に手馴れていて、人に優しくされたことがない。これだけ揃えば、自ずと疑問に思うべきだったろう。いや、疑問にまでは思っていたのかもしれないのだ。


(日本人がまだ生き残ってて欲しいなんて都合のいい夢、抱くなよ)


 異世界人が黒髪ではないという仁の思い込みと、心の中の願望が、その疑問に希望的観測で答えてしまっていた。


(奴らの世界にも黒髪黒眼がいたから、忌み子なんて言葉があるのに、忘れていた)


 あの騎士たちの『忌み子』に関する話から、黒髪の異世界人がいることも推測するとこはできた。しかし、大方狩られてしまったとも思い込んでしまった。


「大丈夫?その、日本人じゃなきゃダメなの?」


「あ、いや。特に何もない。大丈夫」


 だが、だからといって何か変わるのか。そう考えて、仁は胸をなで下ろす。日本人ではないと分かっても、この少女の性格は変わりはしない。


「俺ら黒髪黒眼のこと、嫌いじゃない?殺したいとは思わない?」


「別に私も忌み子だし。思わないわ」


 仁の仲間を殺したのは異世界人だ。彼らは忌み子と呼ばれる黒髪黒眼を、『魔女』やら『魔神』やらを復活させない為に、この世から根絶しようとしていた。


「よかった。うん。それならいいんだ」


 つまり異世界人であるシオンも、騎士に殺される側なのだ。ならば、あの騎士のように日本人を虐殺しないだろう。


「忌み子ってなに?」


 そこで気になるのは、忌み子についてだ。『魔女』と『魔神』という存在に何か関わりがあるようだが、なぜ根絶しなければならないのか。一体、自分達はなんなのか。


「蒼い色の飾り?のついた騎士達がそんなこと言ってた気がするんだけどさ」


「……グラジオラス」


「えっ?」


「いや、うん。忌み子ね」


 すぐに目と話題を逸らされたが、仁が会った騎士達の事をシオンも知っていたようだった。あの騎士達はグラジオラスというらしい。


「忌み子は文字通り、忌み嫌われし者ってこと」


「そうじゃなくてその、なんで嫌われてるんだ?」


「……本当に知らないの?」


 どうやら異世界では忌み子の単語も由来も対処も常識であるらしく、少女は信じられないと目をパチクリとさせている。


「申し訳ないが何も知らない。忌み子だったら殺されるってくらいしか」


「そう……なんでかっていえば、とてもとても古いおとぎ話に出てくる『魔女』と『魔神』が黒髪黒眼だったから」


 それでも知らないと答える仁に、シオンはこほんと咳払いをしてから説明をし始めてくれた。


「『魔女』と『魔神』?」


(なんか強そう)


 『魔女』と『魔神』。あの騎士達も使っていた言葉だ。しかし、腑に落ちない点がいくつかある。


「ただのおとぎ話に出てくる悪い奴と特徴が似ているというだけで、殺されるものなのか?」


 そこが仁には分からないのだ。おとぎ話の悪役と特徴が似ているだけで、殺す理由に足り得るのか。


「おとぎ話だけどこの二人は実在したの。それは歴史や地形、書いた人が証明してる」


「地形が証明してるってどういうこと?」


 いくつか疑問は残るものの、おとぎ話にして世に広まった忌むべき歴史、と仁は認識する。


「そいつらは何をしたんだ?なぜ姿形が似ているだけの無関係の人間さえ、殺す程に忌み嫌われる?」


 特徴が似ている人間までもが、世界中から恨み憎しみの対象になるなど、何をどうしたらそうなるのか。少なくとも現代日本では、死んだ悪人に顔が似ているからという理由で死刑は許していなかった。


「それは……うーん。なんて言えばいいのかなぁ」


「な、悩むことなのか?」


 シオンは説明に詰まり、座って頬の傷を掻き悩む。なぜ悩むのかよく分からないが、仁には少女が満足のいく答えを出すまで待つことしかできない。約一分後、彼女はよしと声と腰を上げて、


「えーとね。『魔神』が世界を滅ぼそうとして、『魔女』が『魔神』と手を組んだらしいの。その時に世界に残された爪痕は、有名どころで大河川かな?」


「話のスケールが大きすぎて正直実感わかないけど……とりあえず分かったのは、『魔女』と『魔神』が世界を滅ぼそうとして、失敗したってことか」


「すけーる?」


 説明を再開。しかしその中身は世界を滅ぼすだの、世界に残した爪痕だの、仁などには及びもつかない話ばかり。確かに、何も知らない人間に理解させようと思うのなら説明に困る歴史だ。


「本当に世界を滅ぼそうとしたのなら、おとぎ話にもなるだろうし、ある程度恨まれるのもわかるな」


 もちろん、野望は途中で潰えたということになる。もしその野望が叶えられていたならば、そもそもシオンの世界は無い。


「『勇者』の手によってね。でも、『魔女』と『魔神』が殺した人間の数は数え切れるものじゃなかったの。だから世界中の国が、黒髪黒眼の人間を忌み子と認定してるわ」


 最後はちょっと楽しそうに語ったシオンの話を聞いて、ようやく忌み嫌われる理由と少女の異常な純粋さの理由に合点がいった。


「つまり、俺らは世界を滅ぼした奴らの一族だぞってレッテルを貼られてて」


「で、あの騎士達は少し行きすぎた思想の持ち主ということなのね」


「れってる?」


 変わる前の仁の世界にもあったことだ。要はただの人種差別と虐殺、ということなのだろう。現に人種の違いだけで、何百万もの人々が虐殺された歴史だってあったのだから。


 そして、この少女もきっと。


(虐待、というより迫害を受けていたんだろうね。人に優しくされたことがないのも納得だよ)


 世界中から嫌われているのなら、誰も優しくはしてくれない。だから優しくする仁に戸惑った。礼を言われて動揺した。


(それにこんな森の外れ、人気のないところに住んでいる理由も分かったな)


 人との関わりを避けるため、だろう。この少女はずっと一人で誰とも関わらず、誰にも優しくされずに生きてきたのかもしれない。それがどれだけ辛かったのかなど、恵まれていた仁には想像することしかできなかった。


「全く、『魔女』とか『魔神』とか迷惑な。俺も忌み子って扱いになるのか?」


「多分そうなると思うわ。よく今まで生きてこれたのね」


「……最悪だな」


 騎士達の言動で分かってはいたが、一応と確認を取った結果は予想通りの最悪だった。魔物との戦いでさえ手一杯だというのに、これからはシオンの世界の人々も敵に回るというのか。頭を抱えるのも無理はない。


「俺これからどうすればいいんだ?」


 もし、日本人が数える程しかいなくなっていたのなら、仁はもう人のいる場所に立ち寄れない。異世界人に会った瞬間、彼らが刃を向けてくるならば、近づくことさえ避けるべきだから。


「……失敗できないのな」


「どうしたの?」


「いやこっちの話」


 この少女に取り入ることに失敗したら、仁は死ぬまで終われない旅を続けるしかできない。なおさら失敗できない事情を付け足され、少年は大昔の人間へ恨みを募らせる。


「仁って魔力が無いみたいだしね。こんなこと、普通はあり得ないだけれど」


 だがしかし、状況の悪化はそこで止まらなかった。


「え?」


 彼女の言葉の意味がすぐには分からず、ようやく分かってからも自らの耳を疑った。耳くそは詰まってないか、鼓膜は破れていないか、耳はちゃんとついてるか。全て確かめるも、残念ながら正常そのものだ。


「ちょっと待ってくれ!俺には魔力が無いのか?俺には全く分からないんだが、どうすれば魔力がないって見分けられる?」


「まずその自分で分からないって時点で、魔力を持っていないってことになるのよ。魔力のある人間なら誰しも人の魔力量が視える目、魔力眼に切り替えられるの」


 シオンは自分の眼を指差し、何かの間違いではないかと焦る仁へ現実を突きつけた。実際、シオンの視界に映る少年に魔力は無い。見事なまでに0だ。


「お、俺以外に魔力のいない人っていたりは?」


「見たこともないし、聞いたこともないわ。少ない人はいるらしいけど、全くないっていうのは死体くらいだから。生死の判別方法も魔力のあるなしだし」


 話を聞く限り、シオンの世界では生きている物全てに魔力が宿っているそうだ。その差は大きく違えど、持っていることに関しては平等だとも。


「俺不平等?」


 その平等からさえも外れていると言われ、茫然自失となってしまう。いや、魔力がないという事実だけならば、そこまで落ち込まなかっただろう。落ち込む主な理由は、魔力をもたない事から簡単に推測できることだ。


「例外ももちろんあるわ。特殊な金属とか、加工された魔道具とかにも魔力はあるの。なのにあなたは何も視えないし、完全に魔力がないっていうすっごい稀な例外だわ」


 仁だって年頃の男子だ。ゲームくらいはやったことがある。そして、魔力がないことが何を意味するかなどよく知っている。


「俺は魔法が使えない、ってことか?」


 理解したくはない。答えを知りたくないと思いつつも、聞かずにはいられなかった。いずれ知る事であったろうし、弱点から目を背けても死ぬだけだから。


「残念だけど、その通りだと思うわ。多分、仁は魔法が使えない。どんな魔法も、発動させるのに魔力が必要だもの」


 分かっていた。分かっていたが、理解したくない推測は、現実へと変わってから仁を大いに苦しめた。


 世界のほぼ全てが敵。相手はみんな魔法が使えるのに、仁は全く使えない。ハンデにも程がある。仁の中での最悪を超えた最悪の状況だ。


「理不尽すぎるよ。この世界」


 差し込んだ唯一の光明さえも無慈悲に断たれ、仁はだらんと項垂れる。無いものねだりをしても仕方が無いとも言うが、これにはねだらずにはいられない。


「えーと、一応試してみましょ。もしかしたら魔力がないだけで、魔法は使えるかもしれないし。試しに虚空庫、出せる?」


 とって繕ったような慰めは、人を余計に悲しくさせる。魔力が無くて魔法が使えるなど聞いたことがない。そしてそれ以前の問題だ。


「虚空庫って、何?」


 当たり前のように言われた単語の意味が、全く分からなかった。魔法を使ったこともない仁には、虚空庫とやらが魔法の一種としか推測できない。当然、出し方など分かるわけもない。


「あ……そこからなのね。やって見せた方がいいのかな。虚空庫っていうのは、さっきやったみたいにこうやって」


 少女は言葉に合わせ、ゆったりと前へ手を伸ばす。特に呪文を唱えた様子もなく、ただ単に手をかざしただけのように見えるが、これで魔法は発動する。


「消えた?」


 何の前触れもなく、彼女の手が黒い空間に呑み込まれ、消えた。別に断たれているわけではなく、しっかりと繋がったままだ。


「ゴブリンを倒す時に使ったやつ?」


「そうそう」


 どうやら虚空庫とは、シオンが剣を取り出した時に使った魔法のことらしい。てっきり丸腰だと思っていた彼女が、いきなり剣を握っていた事は強く印象に残っていた。


「取り出したい物を頭の中でしっかり考えて、何かを掴んだ感覚があったら手を引くの。はい、食べる?」


(あ、いただきます)


「これは、サンドイッチか?さっき作ったのか?」


 しかし、今回少女が取り出したのは剣ではなく、食べ物だった。今焼かれたかのような熱々の肉と、瑞々しく新鮮な野菜を、柔らかいパンのようなものでぎゅっと挟んだサンドイッチだ。まさか、こんな美味しそうな食べ物が出てくるとは思ってなかった。というより、魔物を切った剣と一緒に収納されているのか。


「よく知ってるわね。我が家代々秘伝の料理らしいわ。でも作ったのは三日前だから外れかな」


「みっ、三日前!?これが!?」


 明らかに出来たてホヤホヤなサンドイッチを見つめ、食らいつく前に驚き慄く。平時であれば、そのままかっ喰らっていたことであろう。


「……そんなバカな」


(でも、じゃなきゃ説明つかないよ)


 だがそれ以上に、今は重要なことを確かめなければならなかったのだ。


「その虚空庫の中、もしかして時間が止まってるのか?」


 恐る恐る、到底信じられない出来事を、それこそ日本で言えば笑い飛ばされそうな人類の夢を、仁は至って真顔でシオンへと尋ねる。


 この虚空庫という魔法。ゲームなどでよく聞くアイテムボックスと特徴が酷似している。もしも、ゲームの世界のアイテムボックスが、現実になっていたとしたら、


「すごい。名前は知らないのに、そこは分かるのね。虚空庫の中の時間は停止してるわ」


「その虚空庫のことを詳しく教えてくれ!」


 先ほどとは一転、今までで一番の食いつきを見せ詰め寄ってきた仁に、シオンは怯えの表情を見せる。すぐやな我を失っていたことに気付き、頭を横に振って心を落ち着かせてから、交渉を開始。


「興奮してすまなかった。もし俺の考えていることが当たってるなら、とても冷静でいられることじゃなかったんだ」


「そ、そうなの?よく分からないのだけれど、分かったわ」


 冷静な仁を見て、怯えていた少女の表情も元へと戻る。今のは間違いなく仁の失態だった。


 これから取り入ろうとしている相手を怖がらせて、どうするのだ。シオンに見えないように腕をちみ切り、仁は痛みと共に教訓を心に刻む込む。


(でもまぁ、我を失うこともわからなくはないね)


 しかし、取り入ることと同レベルで重要なのが虚空庫の話だ。いや、魔法の話だ。


「知りたいことがあったら聞いて。分かる範囲ならなんでも教えるわ」


「……お言葉に甘えて」


 怯えた態度は何処へやら、少女はすっかり先生ヅラして、聞いて聞いてといった様子である。どうやら誰かに物を教えれることが嬉しいらしい。


「どれくらい、物を入れられる?」


「どれくらい入るかのかは私も知らないわ。溢れたことなんてなかったし」


 ではと投げかけた一つ目の問いの答え。ふざけているが、容量は推定で無限。


「入れる物についての制限は?」


「虚空庫の入り口に入らない大きさの物、あと生物は仕舞えなかったわね」


 二つ目の問いの答え。無生物で大きすぎなければ何でも可能。


「使える人間ってのはどれくらいいる?」


「この魔法は魔力がある人間なら、全員が使えるはずよ」


 そして三つ目の問いの答え。馬鹿げているが。まさかの全員。


「……ぶっ壊れている魔法だな」


 虚空庫の性能は最後以外、仁の予想通りだった。予想通りも予想外も含めて良いか悪いかで言えば、全てが限りなく悪い方向の。


「シオンの世界って、食べ物の保存と持ち運びに全く困らない?」


「それはまぁ、虚空庫に入れておくから困らないわ。その気になれば、数年前に作り溜めしておいた料理もたくさんあるし」


 旅の間に困りまくった食糧問題を、あっさりと解決する魔法だ。鞄で持ち運べる量にも、長持ちする食べ物の種類にも制限があった。しかし、これにはその制限がない。しかしただ一つ、虚空庫に物申すことがあるとすれば、


「時が流れないの知ってても、数年前の料理ってのは食べたくないな」


「なんで?いつでも出来立てで美味しいのに……」


「いや、なんかな……まぁいいや」


 数日ならともかく、数年前に作られた料理を食べるということだけは、仁には無理そうだった。時が止まっていて当時のままだろうが、やはり受け入れられないのは日本人の性か。


(服の着替えだって持ち放題で無臭だよ。あれ欲しい。下手な攻撃魔法より欲しい)


 そして、虚空庫が輝くのは何も食料問題だけではない。仁が旅で苦しめられた要因の一つ、衣服の問題もだ。


 食べ物と同じように、着替えを鞄に詰め込むのに限度がある。仮に鞄に詰め込んだとしても、着て数日で擦り切れてボロボロになり、異臭を放ち出すことだろう。


「これなら、この世界で生き残れるのも納得だ……」


 何ヶ月もの間、野生の中を彷徨ってきた仁だから分かる。人が生きるのに、どれだけの荷物が必要なのか。それらを持ち運ぶことが、調達することがどれだけ大変なことであるか。


「いくら何でも強すぎる」


 持ち運ぶだけでも体力を使うし、大きな荷物を持っていれば、魔物と遭遇した時に動きは鈍る。雨が降れば荷物は濡れ、ダメになるものだってあるだろう。


 それら全ての問題を無しにするのがこの虚空庫という魔法だ。ぶっ壊れ、チート、頭おかしい、それ以外の何物でもない。


(んぐんぐ。このサンドイッチ、めっちゃ美味しいね)


(シリアスな場面で……あ、これは美味しい)


 この魔法を覚えることができれば、旅の途中どれだけ楽ができ、生き残りやすくなるだろうか。


「久しぶりにこんな美味いもの食べた気がする。ありがとう」


(今までずっとオークの肉と雑草だったからね)


 サンドイッチを食べ終え、それぞれ感想を述べる。今まで食べてきたサンドイッチの中でも一番だと感じるのは、最近の貧相な食生活のせいか、それともシオンが料理上手なだけか。


「仁ってありがとうばっか言ってるよね」


「……」


 笑顔でそう言われ、対処に困った仁が選んだのは黙秘という選択肢だった。とりあえず、困ったら微笑むようにしよう。


(取り入るためだ)


(そうだよね!上手く取り入れたら、毎日この料理食べれるんだよね!)


 心の中で自分に言い聞かせるも、もう一人の(じぶん)は既に目的を見失っていた。






「こうやって、手をかざして」


 シオンの真似をして、天井へゆっくり手をかざす。かなり相当恥ずかしい光景だが、これも魔法を覚える為だ。


「開けー!って感じ」


「つまり感覚は自分で掴めってことですね。シオン先生」


 アバウトな説明で投げ出され、がっくりと肩を落としつつもなんとか掴もうと努力する。するのだが、魔法を使ったことがない人間が感覚をいきなり掴めと言われても、厳しいものがある。


 それ以前に魔力がない時点でダメな気はするが、ダメで元々。少しでも使える可能性があるのなら、挑戦すべきだろう。


 だって仁は、諦めることができないのだから。それだけで生きてきたのだから。


「諦めないことが、俺らの武器だ」


 その日から、俺と僕の生き残りを賭けた訓練が始まった。





(ねぇ、もうやめない?五分は経ったよ?)


 訓練開始から五分、仁は未だ空に手をかざしたままの姿勢で固まっていた。魔法みたいな感覚など来るわけもなく、あるのは長時間手を上にあげたことによる痺れと痛みだけ。


「あのね……仁。言いづらいんだけど、多分あなた魔法が使えない」


 ふわふわ漂い諦めろと促す僕と、目の前の控え目なシオンの宣告がやけに心に響いたが、それでも俺は諦めない。


「これも言いづらいんだけど、虚空庫なんて遅くても六歳くらいで、それも一瞬で出せるものなの」


(ほら聞いた?やめようよ。腕も痺れてきてるしさ)


 二人の制止を振り切り、手の痺れと痛みと羞恥、そして世界のルールに挑み続ける。仁が手を下ろさせないのはもう意地だけ。これだけ痛ましい格好を続けたのに、何の成果も得られないなど悲しすぎた。


「諦めてたまるか!」


(あーもう!めんどくさいなぁ!無理なもんは無理っ!)


 しかしそれは俺の話。いつまで経っても終わらない無為な時間に、とうとう僕が痺れを切らした。


「あ、こら!いつも俺に任せるって言ったのは誰だ!」


「今が非常時だって判断したの!」


「仁!?」


 僕の人格が身体の主導権を奪いにかかる。二人はスポットライトの当たる場所を、互いに押し退け合って奪い合う。


「こ、こんにゃろ!」


「わー!?なんで脚をそっちに!?右!右!」


 その間、身体の支配権は部位ごとに目まぐるしく入れ替わっており、側から見れば奇妙奇怪なダンスを踊っているようだった。


「ど、どうしたの!?大丈夫?」


 目の前でいきなり狂った動きをし始めた仁に、シオンはただただ戸惑うばかりだ。


「だ、大丈夫さ!「心配すんなって!こうなったら君の恥ずかしい過去を「話すなって!」


「ごめん。なに言ってるかも、なにが起こってるかもわからないけど、その恥ずかしい過去は気になる」


 口の主導権を激しく奪い合う二人に、シオンは興味津々だった。俺は恥ずかしい過去を話させまいと必死、僕に関しては元の目的を忘れるほどに面白がっており、こちらも違う意味で必死だ。


「絶対に言わせてたまるか「俺君がね!中学校の時にに」ににに……」


「学校?学校の話!?忌み子でも通える学校なんてあるの!?」


 シオンは学校という単語に強く反応した。こちらもワクワクしてたまらないといった様子で、色々と身体が複雑になった仁を見ている。


「ん?」


「あり?」


 さて、考えてもみて欲しい。左手と右足の支配権が俺、右手と左足の支配権が僕で、お互いに好き勝手に動かしたとしよう。そんな混線状態で、果たしてまともにバランスを保てるのだろうか。


 仁にはそんな高度なことできやしなかった。だって仁は、その程度なのだから。


「ラブレた「あああああああああ!……あ?」


「らぶれたあってなに……ちょっと!?」


 俺の右足と僕の左足が絡まりあい、仁の身体が前傾する。そして落ち行く身体の向かう先は、


「こ、これはラッキースケベだあああああああああああ!」


「こ、こいつ全主導権握りやがった!」


 心配して近づいてきたシオンを巻き添えにし、押し倒しそうになった僕の人格はガッツポーズ。一方、俺の人格は真っ青になりつつ、なんとか回避の方法を探すも、僕の異様なモチベーションの妨害を前に撃沈。


「あっ、あれー?」


 超速でシオンに避けられ、押し倒すこともなく、床とへダイブ。結果は地面と熱烈なキスをするという、悲しいもの。


「……ラッキースケベって何かしら?」


「……穴があったら入りたいよ僕」


「そのまま生き埋めにしてやる」


 駆け寄ってきたシオンが、倒れたまま動かない仁を揺する。僕は羞恥心からこのままずっと床と向き合っていたいと思う。そしてその僕に殺意を向ける俺へと、もう何が何やらわからない状況で。


 これが運命の日になるだなんて、本当に運命とやらは分からない。


『虚空庫』


 黒い空間に物を収納できる魔法。特筆すべきは、容量が確認できずに現状無限とされている点と、中では時間が流れていない点。これにより、シオン達の世界において食料や財産の保管、及び荷物持ちなどは、日本と比べて遥かに楽である。


 制限としては、大きすぎるものや生物は収納できない。また、手の届く範囲まででしか発動できないなどがある。もちろん、魔力のない日本人も発動不可能。


 起源は謎。一体、誰がどのような理論で生み出したのか。全ての魔力を持つ人間が本能的に発動できるのはなぜか。どの空間に繋がっているのか。原理はどうなっているのか。全てが不明である。肺や心臓と同じように人間として備わっているものだ、時間や空間という概念が生まれる前に繋がっているなど、様々な議論が連日連夜交わされている。


 余りにも便利すぎるが故に、簡単に悪用の方法が思いつくだろうが、そうはいかない。虚空庫自体は謎そのものではあるが、虚空庫に干渉する魔法は存在している。虚空庫と同じように、遥か昔からも謎のままあるものもあれば、様々な魔法の組み合わせによってできたものも。


 物を盗んで虚空庫に放り込んで隠したとしても、前所有者の魔力を追跡する魔法にてすぐに特定されてしまう。他にも庫内を検索する魔法、庫内から物を取り出させる魔法などによって、虚空庫を使った殆どの犯罪は失敗に終わる。


 魔法学者のプラタナスは、虚空庫に干渉する魔法について、「まるで虚空庫の悪用を防ぐ為に、虚空庫と同時に造られたようだ」と話している。



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