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幻想現実世界の勇者  作者: ペサ
幻想現実世界の勇者
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第135話 記す時間と記される時間


 不思議な感覚だ。知らない間に撮られた、自分の日常の映像を見ているような。瞼の奥のスクリーンに映る圧倒的な情報量にふらつきつつ、頭の隅っこでそう考えた。


 こんなに、俺は楽しそうだったのか。楽しそうにしていたのか。シオンの記憶がない俺にとっては、驚くしかない。まだ、こんな風に俺は笑っていたのかと。


 笑い合ったり、気遣いあったり、ご飯を食べたり、食べさせられたり、食べさせたり、デートしたり、喧嘩して、泣かせて、涙を流して。


 覚えろ。刻め。大事なものだ。しかしそれは、荒れる海の波の形を覚える程に難しい事。移り変わって、消えて、溢れて、溢れて、頑張ってるのに覚えられない。


 現実の時間では五分と経たない。映像の時間としても数ヶ月以下。たったこれだけの期間で、自分とシオンは婚約した事を今更知って、スピード婚だなと他人事のように思ってしまう。


 そして、終わった。出会ってからの間を見終えて、現実の世界に帰還した仁を出迎えたのは、


「どう?シオンの事好きになった?」


「質問の仕方直球だな」


 期待するような僕と、それにツッこむロロの声だった。スローな世界に違和感を覚えながらも、隣に座っている少女の顔をじっと見て、考える。


「そ、そんなに見られると、その」


「あ……ごめん」


「ううん!もっと見ていいから!」


 意中の相手にずっと見つめられたシオンが赤面して俯き、俺は慌てて目を逸らすのだが、少女はなんとおかわりを要求してきた。


「……」


「どうだい?」


 真っ赤になって震えて、髪の毛大丈夫かどうかと弄りだした少女を見て、俺が出した答えは、


「ごめん、なさい。まだ異性として好きとは言えない、です」


 薄々分かっていたとはいえ、みんなの期待を裏切るものだった。


「全く……俺君は真面目に答えちゃうね」


「無理もないな。ただ見るだけなのだから」


 今まで仁とシオンの間に何があったのかは、大まかに理解した。シオンがどういう少女で、どういう関係で、どういう距離感だったかは理解した。


 だが、それだけなのだ。映画の登場人物達の相関図程度の知識しか、得られなかった。例え記憶をもう一度見ようとも、その時得たものはもうない。消えてしまったのは単なる記憶だけではなく、彼女に対する感情や想いなのだ。記憶だけを埋めても、他が埋まらないのは道理だろう。


 湧き上がった感情は、自分と同じ顔の人間が少女と甘々な恋愛をしている記憶を見た時の羞恥。シオンを傷つける言葉を吐いた登場人物に対しての怒り。精々そのくらい。


 まとめよう。俺はただ、映画を見ただけだ。


「ううん……分かってた、から。ごめんね。訳わかんないよね。目が覚めたら婚約者って言われて」


「いや、こちらこそごめん。忘れて、悪かった」


 分かっていたら、こんなに落ち込まないだろう。期待をあっさり踏まれて、下を向いた彼女の指に光る輪を見て、俺の心も共に沈む。贈った瞬間さえ、今の今まで忘れていた。


「だから、教えてくれませ……くれないか?」


「え?あ……」


「何があったかは、大体分かった。けど、全部覚え切れてないし、その時の感情までは分からない。だから、あの時の仁はこんな感じで、私はどうだったとかを、教えてほしい」


 動かない身体の代わりに、氷の刻印を発動して体温の無い腕を作って、彼女の肩を叩いて頼む。どういう事かと、流れている涙を冷たい指ですくって、もう一度。


「俺君、少し大胆すぎ」


「恋人ってこういうもんかと……ごめん。こんな事はしなかったみたいだな。あと、梨崎さん。こっちの世界製のノートとかあります?貴重かもしれませんが、お願いです。一冊だけください」


 どうやら、前の俺は涙をすくったりはしなかったらしい。不思議そうな表情のシオンからすぐに手を離し、梨崎へと書くものを要求。白い紙はとても貴重だと分かっていたが、それでもシオンとの思い出に他の文字は混ぜたくなかった。


「それくらいの役得はあっていいはずだ。ちょっと待っててね。持ってくる」


「助かります。それまでは、どうしようか」


「サルビア戦の記録がある。良かったら見るかな?」


「お願いします」


「……わ、私少し恥ずかしいから席外すね……!」


 確かに自分の戦い、それも無我夢中で何を話していたか分からないような激戦をまじまじと見られるのは恥ずかしいのだろう。シオンは慌てて、扉を突き破るように出て行った。








 部屋を出たシオンは、自らの頬を未だ流れる涙を拭う。


「……仁……」


 それは、彼が触った所から数mmズレた場所だ。彼の氷の手は、涙に触れていなかった。ただ、何もないシオンの皮膚に触れただけ。


 魔法の腕だから、扱いに失敗した?いいや、そんなはずはない。その程度のズレ、子供でもそうない。シオンはあの時動いていないし、何より仁自身が拭えていない事に気づいていないのはおかしい。


 仁の異常はきっと、記憶や脚などの表面的な部分以外にも蔓延している。そしてそれを、彼は隠そうとしている。


「……ふぅ……」


 落ち着け。泣くな。深呼吸して、そう言い聞かせて、実行。


「難しい、な」


 どうすればいいのかは分からない。問い詰めて全部吐かせるべきか、気付かないふりをするべきか。きっとどっちにも間違いがあって、正解がある。


「よしっ!」


 だから、シオンは分からないなりに、したい事をしようと決めた。


 人はいつか別れる。人はいずれ死ぬ。それはコップをひっくり返せば中の水が下に落ちるくらい当たり前な事で、落ちた水が勝手にコップの中に戻らないくらい自然な事だ。


 それは絶対の決まりだ。摂理だ。受け入れた上で、抗おう。コップをひっくり返さなければ、中の水は落ちないのだから。いつか来るのは避けられないとしても、そのいつかを先延ばしにしてやろう。そしてそのいつかまでを、絶対にかけがえのないものにしてやろう。


 別れの時に悲しい事は、最期の時に惜しいと思えるのはきっと、幸せだった証拠なのだから。









 ロロと仁の三人が残った部屋で始まった、刻印で気を失ってから後の全て。シオン対サルビア戦とその決着。事態の終結と柊と石蕗の対話。今際の際に走って割り込んだ堅と、その手に握られた魔法陣。そして、柊の最期。


「……後で墓参りに行かなきゃね」


「ああ。必ずだ。トーカという騎士の墓も見に行かないとな」


 それらを見終えた後、胸に湧き上がったこの感情はなんと言うのか。敬意なのだろうか。悲しみなのだろうか。感謝なのだろうか。どれもが混ざりすぎていて、上手く言葉に出来ない。


「もう、入っていい?」


「いいよシオン。お疲れさま」


「……大変、だったな」


「言葉遣い悪かったし、結局負けかけたし、あまり見られたくなかったかな……」


 ドアから顔を覗かせたシオンを部屋に招き入れ、サルビア戦を見た声かけを。良かったなどとは口が裂けても言えなくて、仁が頑張って選んだ無難な言葉に、少女は上辺で微笑えんだ。


 迂闊には触れない話だった。『限壊』の視界を発動しないと分からなかったが、サルビアの動きは最後、明らかに止まっていた。何故止まったのか。最後の最後に、家族の愛に目覚めたのか。もしくはそれ以前から、血縁を斬るのに躊躇いがあったのか。


 答えに近いのは共に生き、実際に戦ったシオンのはずだ。でも、彼女は答えを出そうとはするものの、正解が分からない。死人に口無しとはよく言ったものだ。サルビアが死んだ以上、真相は闇の中。仁もシオンも妄想するしかない。


「ほい。頼まれてたノートとシャーペンに消しゴムだ。それと石蕗が近い内に会いたいってさ。今日の午後でいい?」


「了解です。自分も話したいので」


「じゃ、シオン。彼が来るまでお願い」


「ん。じゃ、仁と私が出会った時から話すね」


 仁は忘れたものを少しでも取り戻し、次に忘れた時に備えようと。シオンはマリーに教わり、自分で決めた事をしようと。彼らの思惑は重なり、思い出は文字となって記される。


 それは二つの文字だ。震えて、視力の落ちた目でガタガタと震えて、なんとか読める仁の文字。日本製の紙に、記される。


 そしてもう一つは、綺麗で整って、まるで芸術品のようなロロの文字。シオンの世界製の紙に、記される。


 そこに記された時間は素晴らしく、それを記す時間もまた素晴らしいものとなった。先ほど見た記憶の映像の記憶の断片を掘り返し、当時の自分の行動を見て、シオンの感情を聞いて、驚き、笑い、悲しんだフリをして笑わせる。


 さっきとはまるで違う、明るいやりとりだった。幸せだった。失った事に嘆くのではなく、失った事を受け止めて取り戻そうとするような、明るさと幸せだった。


「「……」」


 記すロロと、少年の容態を見ながら会話を聞く梨崎はその様子を見て、どこか悲しい表情を浮かべている。それは、マリーがシオンに見せなかったあの表情と、同質のものだった。










「それでね。俺ったら布団から出て来なくてね!」


「やめてくれ!当時も絶対に恥ずかしかったが今も恥ずかしい!」


「ニートしないで!ってシオンが言うのさ!おかしいったらありゃしない!」


「言葉の意味教えたの僕じゃない!?」


 テニスボールのように、会話が弾む。魔法の腕は必死になって書き続けて、腹筋は痛い位に笑い続けて、口は乾きそうになるくらい話し続けた。


「盛り上がっている最中ですが、失礼します」


 だが、楽しい時間は永遠ではない。ノックの後に聞こえてきた、仁の知らない声が会話を遮る。


「……どうぞ」


 緊張しながら、入室を許可。シオンや何人かの生者の記憶が抜け落ちているとはいえ、内乱は覚えている。軍の体制に反旗を翻し、街の色を変えた男が今、目の前に。


「ありがとうございます。どうも、石蕗と申します」


「初めまして。桜義 仁です。俺と僕については?」


 第一印象は、極めて普通。眼鏡をかけていて、少し痩せているといった特徴程度。額の傷や眼光の鋭さで威圧感があった柊とは違い、親しみやすそうではある。


「はい。存じています。貴方の価値(・・)についても」


 しかし、俺は彼の言葉を聞いて判断する。見た目は遠くかけ離れていても、柊に近い人種だと。必要なら、いくらでも斬り捨てられるタイプの人間だ。


 結局似たようなタイプが玉座に着くのかと、呆れた訳ではない。似たようなタイプであっても、あくまで似ているだけ。斬り捨てる範囲の判定が違うからこそ、彼は反旗を翻したのだ。これからは恐らく、全く違う街になる。


「まず最初にですが、貴方に礼を。柊を始め、貴方方の尽力が無ければこの街はなかったでしょう」


「当然の事をしたまでです」


「そうでしょうね。貴方にとっては、当然の事でしょう」


 言外に、仁が刻印を黙っていた事を知っていると告げられた。考え過ぎなどではない。この男は間違いなく、そういう意図で告げた。


「さて、私達には桜義 仁。貴方を最高の待遇で迎え入れる準備があります。そちらのお嬢さんにも聞きましたが、どうやら貴方次第とのことで」


「最高じゃなくても、最低でも入りますよ。それがマリーさんとの契約でもありますから」


「では、最高の待遇で。ようこそ!これからも末長く、よろしくお願いします」


 軍と一緒の誘い文句だ。しかし、変わらないのは表面上だけで、言葉の意味はまるで違う。軍が仁を繋ぎ止めようとしたのに対し、彼のは出荷するまで手厚く扱うよという意味合いだ。


「塔の攻略作戦は我々が引き継ぎます。ロロ殿もそれでよろしいですね?」


「誰であろうと自分は構わん。こっちの言う事をしっかり聞いてくれればな」


「では、出発は仁さんの体調を見てからという事で。一応、準備自体は最優先で進めております」


 塔の攻略の引き継ぎから、説明が始まった。仁やシオンの質問に対して、石蕗が答えていくシステムでそれは進む。


 分かった事は軍人は訓練を積んでおり、貴重な戦力となるので処刑はしない。いざという時に戦うという者のみ軍事力として残留してもらい、他は復興などの作業に回ってもらった。


 新体制において、基本的に配給に差はない。どの職であろうと、普通に生きていけるだけの量を配る。人肉は全て廃止。関わった者には生涯口外しないと約束させた以外に咎めはなく、一般にも公表しない。


 刑罰は人の尊厳を踏み躙ったり、明確な殺意があれば極刑。それ以外に関しては強制労働等の罰になるという。罪人に食わせる飯はないと間引くのではなく、労働力に変えてしまおうという事らしい。


 店に優先的に食料を回すのは同じだが、量はそれなりに減らすとの事。理由は、配給の量が増えたので、それを店に持って行って調理する方法も増えるだろうとの事からなど。


 余裕が出てきたらまずスラム街を整理し、救済を行う予定。色街に関しては、配給が増えても残るという者のみで続けるらしい。風紀を乱す等の理由で取り締まるつもりはなく、むしろ無理に抑えつけて内乱を起こされたら敵わないとの事。


 仁の事だが、柊の嘘を真実として垂れ流す方針のようだ。例えそうでなくてもいいかもしれませんが念のためと、ガラスの奥の瞳でウインクされた。正直あまり似合っていなかった。


 政治に関してだが、少なくとも世界が元に戻るまでは暫定政府として石蕗が政治を行う。しかし、柊と違い石蕗は独裁者になるつもりはなく、これから議会を発足する予定らしい。以前の日本のような民主制に戻していくのが目標との事。他にも、防衛する為の力は持つが、侵略や支配の為の力は決して持たないのも、 かつてと同じだ。


「ざっとこんなもんでしょうか。どうでしょうか?出来れば素直な意見をお聞かせ願いたいのですが」


「理想だと思います。しかし、理想過ぎてその」


 仁は素晴らしいとは思うのだ。それら全てが叶うなら、どれだけいい事か。


「ええ。分かっております。これら全てはあくまで理想。防衛する為の力しか持たず、かつて権力を握っていた者達を処刑せず野放しにする。これではまるで、反乱してくれと誘っているようではないかと」


 だが、余りにも理想過ぎて、脆く感じてしまう。石蕗の言う通り、反乱をもう一度起こされてもおかしくない。


「ですが、その可能性は現状極めて低いと私は考えています。なぜかという顔をしていますね。やはり、貴方もご存知無かった」


「何をですか?」


「私が今、こうしてこのように今この街に残った人間を信じていられるのは、柊司令の行った選別によるものです」


「……選別……?」


 選んで分ける?一体彼は何を選んでどう分けたというのか。何故、それが今いる人間を信頼する理由たり得るのか。


「それを説明出来る人間を、今日は連れて来ています。何日も塞ぎ込んでいて汚かったので、先程風呂に突っ込みました。そろそろ上がる頃だと思うのですが……」


 そこまで言葉を続けたところで、ちょうどノックの音が。仕込みかと仁が疑った目を向けると、どうやらこれは彼にも予想外のベストタイミングだったようで、少し嬉しそうにどやっている。


「失礼するよ」


 部屋に入ってきたのは、ボサボサの髪に伸びた髭の、まるで死人のような男。風呂に入った直後のはずなのに、その顔は真っ青だった。


「も、桃田さん……」


 彼は珍しく、僕も俺も名前も記憶も残っていた生者。理由はきっと、守れなかった人だから。


「やぁ、久しぶり。話すのは役割だから、来たよ」


「……」


 泣き叫んでいたのか。声は枯れていて、目は腫れている。死んでいるのか生きているのか、狂っているのか正常なのか、弱いのか強いのか分からない、目の色をしていた。


「俺が知る全てを話すから、聞いて欲しい」


 裏切り者は、話し始める。この反乱の裏側と、柊という男について。









 手が重い。鉛のようだ。


「さすがに何千人といる軍の中から、裏切り者を個人で炙り出すのは無理だったね」


 ああ、まさにその通りだろう。自分は今、鉛玉と銃をその手に、男の額に押し付けているのだから。


「俺を殺しても構わないよ。そしたら、あんたも道連れだ」


 でも、きっとそれだけじゃない。震えて、怖いのだ。決死の覚悟は、身体中にくくりつけられた爆弾と、銃を持たぬ手に握られた起爆スイッチである。例え振り向きざまに脳天を撃ち抜かれても、ボタンをポチッと押すくらいは出来る。そうすれば晴れて道連れ。悪逆の王はここに死すの万々歳だ。


「何故裏切り、ここにいるのか聞かせてもらっても?」


「方針が合わなかった。それだけだよ。人肉はさすがに、やり過ぎだ」


 自分は裏切り者。軍の黎明期から柊の側で働き続け、裏ではずっと情報を反乱軍に流し続けていた。動機としては、人々を見捨て過ぎた柊が許せなかったからだろう。


 あの日、死体を運んでいた彼女を見た日にきっと、集積墓地の正体を知っていた自分の決意は固まった。この死体さえ、誰かの為に食われるのか。だとしたら、彼女の優しさはどうなるのかと思った。死体と一緒に食われて栄養に?笑わせるな。


「軍はすごいよ。権力と欲望を集中させて、それら全てを限りなく完璧に近くコントロールしてる。ただ、一点を除いて」


「ほう。その一点は何か、ご教授願いたいものだ」


 銃を突きつけられているのに、極めて冷静に柊は問う。自分が何を見落としたのか。軍が完璧ではないのは何故かと。


「簡単だよ。いつか、必ずいつか地獄の蓋が開く。それは、反乱という形によってだ。後には何もない。殺し合い、奪い合い、残るのは死体だけだ」


 実際、軍のシステムは本当に完璧に近いのだ。人を厳しい決まりで抑えつけて犯罪を減らし、最低限の配給で痩せ細りながらも人々の命を繋ぐ。尊厳を捨て、残飯を漁るような生活でも、生きてはいる。


 その一方で、贅沢を餌に軍人を集め、従わせ、大きな力とする。それは、小さな反旗くらい軽くへし折れるような力。


 自らに従う者は優雅に、そうでない者は這いつくばって生きる。まさに理想的な独裁国家で、この街を延命させるには最高と言っていいシステムだ。


 あくまで延命。軍が無ければもっと早くに、街は滅んでいただろう。曲がりなりにも秩序があるからだ。軍無き秩序無き世界では、殺し合い奪い合いが常だった。あの時よりは、マシだ。


「軍で抑えつけるにも限りがある。さすがに民衆全員が敵になれば、軍も勝てない。しかし、そこには勝者がいないと?」


「そうだ」


 しかし再び、軍も秩序もない世界がやってこようとしている。反乱の火種はそこら中で燻り、最も穏健なはずの桃田が所属する所でさえ、武器を取る声が多くなってきている。このままだと、いずれ爆発する。街は内部から、自らの手で崩壊するのだ。


「だから、その前に俺が終わらせる。あんたを殺して、穏健派に継がせる」


「ははははははははははは!はははははははははははは!これは素直で可愛らしい反逆者だっ!」


「何がおかしいの?」


「実に優秀。確かに、私を討って次にもう少しまともな人間を司令にすれば、少しは持つだろうな」


 のけ反って笑い出した柊に、危うく引き金を引くところだった。銃を突きつけている自分が優位であるはずなのに、全くそんな気はしなかった。たらりと垂れた汗を隠すように、冷静と心の中で唱え続ける。


「だか、一歩足りない。何故、軍が完璧でないと気付けたのに、そこに気付けないのか」


「だから何かと聞いているっ!」


 おかしい。何かがおかしい。本当は自分が裏切り者だとこの男は気付いていて、何らかの手を打ってあるのではと不安になる。一瞬だけ、ドアと窓に目を向けると何もない。いや、例え誰かが隠れていたとしても、爆弾を止める事は出来ないはずだ。


「完璧でないからこそ、計画的に完璧なのだと何故気付かないのかと、私は言っているのだ」


「気でも触れた?矛盾しているじゃないかその言葉…………は?」


 銃を落とさなかった自分を褒めてやりたかった。危うく押しかけたスイッチに冷や汗が止まらなかった。矛盾していると否定しかけて、その言葉通りに考えた想定に視界がグラついた。


「まさか、最初から軍は……!?」


「正解。軍は最初から、倒されるべき敵として、創られた」


 そうだ。このシステムがヘイトを集める事を、彼は理解している。その上でヘイトを抑えきれると判断して独裁を続けたのではなく、いつか暴発するように管理していたのだ。


「なんで、そんな事……!?」


「正確には、害ある者を殺し、街を一つに束ね、野心ある者を集め、いつかその者達と共に倒される。そして、悪であり、独裁者である私が倒される時、街は真に一つになっているだろう」


 実に簡単だ。まずは権力の集中を確立。そこに寄り添う、特権の蜜が吸いたいだけの連中や、中でのし上がって柊に取って代わろうとする愚か者を集める。得た力による強引な手段で、これから先未来に悪影響を撒き散らす害を摘み取る。


 しばらくは、圧政の平和が続くだろう。民が虐げられ、軍人が貴族のように振る舞い、小さな反乱分子は摘み取られていく期間が。しかし、それはいつか終わる。贅沢という餌で集められた豚を血祭りにする、民の反乱によって。人を守りたくて軍に入った者はきっと、軍の内部から裏切る。そうすれば、死ぬのは大勢の愚か者達と少ない善人だけだ。


「内部から裏切られれば、盲信の対象である私自らが滅びるように指揮をすれば、犠牲は多く出るものの、街自体の存続は可能な程度に収まるはずだ」


「分かっているのかっ!?その時は司令であるあんたも!」


「もちろん承知の上だ。そうされても仕方のない事を、何千回と死んでも償えない罪を背負って生きてきた。思いつく限りの拷問。無様で惨めで死んだほうがマシな姿になって、その上で晒されて死ぬ事は覚悟している」


 軍が民によって終わる時、きっと柊は最悪の死を迎えるだろう。だがそれを知っている。分かっていると言ってのけたこの男はきっと、自分さえも盤上の駒としか見ていない。人間として見ていない。


「……そんな、上手く行くとは限らない!街には俺らみたいな反乱戦力がたくさん潜んでいて……!」


「そうだとも。全てが上手く行くとは限らない。だが、もう一つ言い忘れていた。これさえあれば、多少は信じれるだろう」


「一体な……げほっ!?」


 腹に深い衝撃を感じたと思ったら、銃を奪われていた。しかし彼は銃口を桃田には向けず、ぽいっとその辺の資料の山に放って、握る。


「なっ!?待て……!」


 握ったのは桃田の手。押されたのは自爆スイッチ。制止も間に合わず押された爆弾に、桃田はなす術もなくこの世から、


「……は?」


 去らなかった。爆弾は、不発だった。確かめるようにもう一度、自らの意思でスイッチを押すが、何も起きない。


「なんだよ、これ。どうなって……」


 訳が分からなかった。この爆弾は、柊を暗殺しに行くと反乱軍のトップに申し出た時に、彼自ら渡されたものだ。要はトップからの直接の贈り物なのだ。


「困ったやつだ。腕は確かで優秀。ありとあらゆる趣味と才能を持っているんだが、たまに大ポカをやらかす。何もないところで転んだり、爆発しない爆弾を渡したり。あと何故か奴はモテんのだ」


「……は?いや、ちょっと……」


「確か名前は、酔馬とか言ったかな?」


「––」


 反乱軍のトップの名を聞いたその時の衝撃は、計り知れない。ふざけた口調の裏に隠された、真実。それは、


「俺達は、初めから掌の上で……?」


「何故、人々が下を見るな。上を見ろと励ますか知っているか?」


 反乱軍を作ったのが、柊の意思。そして率いている者自体がスパイ。つまり、全てが出来レース。自分の裏切りなんて筒抜けで当然だ。何せ、裏切りの組織自体が柊の掌の上なのだから。


「足元が掌の上だと、気付かれたくないからだよ」

 

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