第134話 報告と上映会
「さぁて。仁の様子でも見に行こうかしら?」
「……うん。がんばる」
「そんな緊張する事ないわよ。梨崎さんがいるんだし」
泣き止んだ少女に、マリーは役に立てたと安堵しつつ仁の元へ行こうと提案。わだかまりを解くのは早い方がいいだろうとシオンも頷き、涙の跡を軽く洗って仁のいる部屋の扉を開けて、
「あらら、タイミングの悪い事。ついさっきやっと寝たところだよ。何せ全身痛みでパンクしそうなくらいだろうからね」
「……あちゃー……てっきり罪悪感で夜も眠れなくなるかと思ってたけど、読み違えたか」
書類を片付けて揃えている最中の梨崎に、小さな声で肩をすくめられた。目線を移せば、苦しそうに眠る少年の顔が枕の上で上下している。あれだけの怪我だ。さっきシオンと話すだけでも辛かったろうに。ましてや、興奮して起き上がって話すなど良く出来たものだ。
「私、ここにいても?」
「いいけど、ちゃんと自分の身体も気遣った方が」
「……ここじゃないと、心配で眠れないと思うので」
「分かった分かった」
ここ数日、シオンがまともに寝ていない事や精神的な疲れを心配した梨崎は、きちんとした寝床に行くよう促す。しかし、彼女はほほ笑んで頭を下げて、その言い分には特例を出すしかなかった。
「仁にとっても薬みたいね」
彼の横たわるベッドの側に行って、少年の暖かい手を痛まないように優しく、存在を教えるように強く握る。治癒魔法のせいか、それとも人肌のせいかは分からないが和らいだ表情から、いい影響がある事だけは分かった。
目覚まし時計なんてものはないが、目を覚ますものは幾らでもその辺に転がっている。夢の終わりに音、振動。他にも挙げればキリがないが、仁にとってそれは、
「ん……ぐっ!?うううあああ……」
夢の中まで響いてくるような、痛みだった。いつものように寝返りを打とうして、知らず知らずの内に身体を大きく動かして、悲鳴を上げる。
「なっ!?」
しかし、完全に覚醒の原因は痛みでは無かった。眠気も痛みも一瞬でどこかに飛んで行ったとも。本当に目と鼻の先。少しでも頭をずらせば触れそうな距離に、意中の少女の顔があれば。
「本当に、魔法ってのは恐ろしいね。人の手に余るよ」
「科学も似たような、もんでしょう……いてて……」
頭の後ろの方から聞こえて来た声に、痛がりつつも皮肉で返す。当然の事だろう。数十年間剣を振り続けた剣の神に、僅か一年未満の初心者が張り合おうとしたのだ。過ぎた力には代償が伴うもの。むしろ、これだけで済んで軽いくらいだろう。
「全身ぐっちゃぐっちゃ。おまけに今隣にいる婚約者さえ襲おうとしない。何せ忘れてるからね。科学も同じかい?」
「貴方がいるからですし、元より僕らに寝ている子を襲う趣味はないです。てか、身体動かないでしょ?」
僕は襲えるわけないだろと、ため息を吐く。そんなクソ度胸は彼には無いし、寝返り打つだけで激痛なのにどう襲えと言うのか。
「……俺が、婚約?」
「あ……そうか。そこからなのか……」
俺が呟いた疑問に、僕は悔しさを再確認する。僕にとっては当たり前の事を、とても大事で忘れたりなんかできない事を、俺はもう知らない。これから人の事を話す時は、一から説明する必要があるだろう。
「そうだよ。この女の子はね。強くて、優しくて、弱かった僕らを支えて守ってくれたんだ。全部守ろうとして、無理してよく死にかけちゃうから、僕らが守らないとね。こう見えてナイーブだし」
僕はとても簡易的に、シオンの事を語る。でも、こんなものじゃ無い。本当はもっと、複雑な性格をしている。なぜそんな性格と僕が判断したのか全てを話したいけれど、きっとそうするには時間は足りなさ過ぎる。
「……そんな良い子と、この俺が?」
「そうだろう?最高の彼女だ。まぁ、忌み子で嫌われていた彼女を、僕らがたまたま最初に優しくしただけ。生まれたばかりの雛が、初めて見た人を親と思うようにね」
「……誰でも、良かったのかな」
誰とも付き合った事のない自分が、あれだけ人を裏切って殺した自分が、そんな素晴らしい子と付き合っているのかと困惑した俺に、馴れ初めを話す。かつて乗り越えた喧嘩の原因の一つだが、記憶を失った俺は再びその問題に直面していた。
「それで喧嘩した事、あるんだよ?そしたらまぁまぁ、首根っこ掴まれてブンブン振り回されて、私が出会ったのは仁で、他の誰でもないってブチ切れられた」
「……」
知らない。知らない。そんな事があったのかと頷く俺に、もう一人の心が軋む。違う。あの時、その言葉を言われた嬉しさはきっと、全く伝わっていない。その言葉に至るまでに何があったか、全く分かっていない。
「なぁに悩んでんだか。例え親だろうが、酷い事されれば嫌って憎むのが人間だよ。今も好かれて愛されてるって事は、ちゃんとそれだけの事をしてるって事だ。ちゃんと胸張って、彼女の好意を誇りな」
「そんな図太くないんだけど僕達」
「相手の好意に不安がある男性は束縛やストーカーしやすいから、心に留めといた方がいいよ」
「うっ……」
偶然か故意かは分からないが、梨崎が喋った助け舟の間に僕は心を整える。ついでに、束縛だとかしないように注意しようと書き加えておくのも忘れない。
「あの、梨崎さん。布団とか毛布とか、あります?」
「ん?一応あるけど寒いの?」
「……いえ、その、シオンさんに」
「ははーん。そうかいそうかい。やっぱりこの毛布は私が使うから、彼女を温めたかったら自分の布団で……そう睨まない。冗談冗談。はい」
夜は少し冷える。手を繋いで寝たままの少女が風邪を引かないか心配した俺をからかいつつ、梨崎はベットの下から毛布を取り出して小さな肩にかける。
「そう言えば、起きた直後から色んな事がありすぎて忘れてたんだけど、僕もシオンもマリーさんも生きてたって事は、この街は……?」
自分が気を失った後を、今更ながらに尋ねる。俺が記憶を失ったり、マリーを斬ったりシオンと言い争ったりとてんこ盛りで、すっかり機会を逸してしまった。
「あの後、マジギレしたシオンちゃんが片腕のサルビアとなんとか互角に打ち合って、勝ったよ。本人やロロ、マリー曰く最後、サルビアの剣が止まったってさ」
「……剣が止まらなかったら、もしかして」
「剣を折られてたシオンちゃんは真っ二つだっただろうってさ。あれだけ鍛えても、親子の絆とかいうのは斬れなかったか」
「あの腕でシオンとまともに撃ち合って……?まぁ、あんな奴にも少しは情が残ってたんだね」
相変わらずの規格外さと、シオンが死んでいた可能性にくらつきつつ、ホッと一息。俺の方もサルビアの事は覚えていたようで、自分の彼女はアレに勝ったのかと戦慄している。
「事後処理に関しては反乱軍のトップ。石蕗が今やってる。もっと低脳な奴が反乱起こしたかと思ったんだけど、そうでもなくて一安心」
「今の所は問題はないのかい?」
「軍の崩壊を受け入れられない馬鹿と、軍がなくなってやりたい放題だって騒いだ馬鹿がもう一回反乱起こそうとしてあっさり鎮圧されたのと、軍の武器と工場だとかがかなりやられたくらいのが痛いかな。新体制を受け入れた軍人はお咎めなしっていう素晴らしい厚情だよ」
「二番目にいい結末だと信じたいね」
温情と新体制の厳しさに気付けなかった馬鹿達はどうしようもない。武器庫や工場を反乱軍が狙うのは、目的上仕方なかった。そう考えると、恐らくこれが次善。柊の代わりはもういないと思っていたが、代役が務まる人間がまさか反乱軍を率いていたとは驚きだった。
「次善?ああ、魔法陣。見つかったよ?」
「へ?いや、でもないって……まさかイザベラの嫌がらせだった!?」
「堅と環菜が前回の襲撃で負傷した騎士を匿ってて、そいつが持ってた」
「「は?」」
俺と僕、二人の声が重なる。忌み子である日本人に虐殺と理不尽の限りを尽くし、そもそも世界をこんな事にした張本人達を、匿った?到底理解が追いつかない。
「驚くべきは、その騎士がその二人と子供達に絆されて、内乱に巻き込まれそうだった子供達を救ったって事かな」
「その騎士はっ!」
ましてや、余りにも大き過ぎた犠牲と募った恨み憎しみ。今更知っても引き返せないような、小さな勘違いが生み出した歴史の無知の罪という溝があったのに、共闘したなどと。
「もう死んだよ。イザベラと勘違いされて、桃田が撃った。射程ギリギリから心臓ど真ん中だった」
「……ははっ。そういう、結末ですか」
結末以外は、素晴らしいお話だった。仁だって衝撃に全身が痛んだくらいだ。ああだがしかし、この世界はやはりこの世界だった。せっかく共闘出来た。歩み寄れるんじゃないかと思ったら、勘違いで撃たれて死んだ。この世界は本当に、勘違いによる不幸な結末が好きらしい。
「でも、彼女を匿ったから、手を取り合おうとしたから、魔法陣は今私達の手の中にある。決して無為で、ただ悲しいだけの結末じゃない」
しかし、今回の結末は無駄ではない。失敗ではない。彼女は息絶える寸前に、せめてもの謝罪と希望として、魔法陣を託した。『魔女』を復活させるという、彼らからすれば絶対に受け入れられないような事をしようとしている、仁達を信じた。
「分かるかい?仁。それを無駄にするかしないかは、君次第だ」
「ああ、分かっている。そこは俺も、忘れちゃいない」
「……なら、いい。分かったなら、ゆっくりしっかり休んで早く治しな。次の襲撃が来る前に世界ぶった切っておさらばするよ」
ピースは揃った。後は『魔女』と『魔神』の封印された塔に辿り着きさえすれば、それまでに街が滅ばなければ、全てが終わる。
「行き方を今、ロロやマリーさんが考えてる。多分陸路を徒歩だろうけど。今回の反乱でヘリも飛行機もぜーんぶおしゃかしちゃったのが痛いねぇ」
「……それは、痛恨ですね。分かりました。俺が治り次第、出発という事で」
「むしろ治してる途中、動かしてもいいくらいになったら街を出てもらうよ。魔法陣を持ってこないという対策をされた以上、恐らくその塔とやらを騎士が防衛している可能性がある。早めに、出来る限り多くの戦力を叩き込みたい。マリーは行かないけど」
最速は仁を放っておいてすぐにでも旅立つ事だが、それは賭けだ。仮にもし、騎士団が防衛をしていたのなら、シオン一人でロロを抱えて飛び込まなければならない。
「広範囲殲滅が可能なマリーさえ連れて行けば、塔の騎士は突破できる。問題はマリーの留守の最中に総攻撃なんぞ喰らおうもんなら、この街自体が陥落するって事かい?」
「そういう事。イヌマキに『黒膜』使わせて、入り口にマリーを置けば数日は持ち堪えられる……と思うって」
マリーを連れて行く事は出来ない。片道で数日以上かかる旅路に彼女を拘束すれば、その間に街が襲われる可能性が非常に高いからだ。
「サルビアは間違いなく狂った強さだったけど、彼に準じる強さを持つ者が敵さんには数人いるって。おまけに動かせるだけの騎士をかき集めればその数、数十万になるってさ」
「……全員が来ると思いますか?」
「まさかぁ!って私は笑ったけど、マリーは笑ってなかったよ。サルビアの死は、それだけの意味があるってね」
カランコエ騎士団が全滅したと知れば、注ぎ込まれる戦力は塔を除いたほぼ総力と見ていいと、マリーは言った。いくらイヌマキがいるとは言え、戦える時間は一分未満。サルビアと騎士団一つに二分も使ってしまった事を考えれば、彼だけに頼るのは危うい。つまり、マリーは残さざるを得ない。
「シオンの母に叔父と叔母に前グラジオラス団長と、今の団長と副団長が化け物クラス。他にも小粒がたーくさんって」
「おまけに数は力なり……守れるんですか?それ」
「さぁ。やるだけやったら、後は天に任すのみだろうね」
というより、マリーが残ってもどうなるか分からない。かといって仁とシオンも残って迎え撃つ?それはもっとありえない。
「真っ向から勝負して勝つのは不可能と見ていいな」
はっきりと言おう。現存の戦力で化け物を数人含む数十万の大軍を全滅させる事は不可能。しかし、数十万もいれば、逆に全員で攻める事は出来ない。一度に攻撃出来る人数は限られ、耐える事は出来る。
「そう。だからこそ、私達に残された勝ち筋はたった一つ。さっき言った通り、負ける前に逃げる事だけ」
「針の穴通すようなもんだよ。僕らとシオンだけで塔の騎士を突破出来るか怪しいもんさ」
「塔に入った瞬間、ロロがもう一度入り口を閉じるって。そしたら後はもう登るだけ。どう?簡単?」
課題問題は山積み。通さねばならぬ針の穴は数え切れない。困難を極め、確率を見るには顕微鏡が必要だ。失敗する理由の方が遥かに多い。全てが成功してようやく、奇跡となる。
「でも、やらなきゃ」
だが、それ以外に道はない。出来る出来ないの問題じゃないのだ。やらねばならないのだ。これは無謀でも自棄でもない。最も可能性のある、奇跡の起こし方。
「その意気その意気。という訳だ。寝な」
「……痛くて、眠れないんです」
「というかもう目が覚めたよ。もうすぐおてんとさんも登るだろうから、いいだろ?」
その為には早く治す事が必要だと、梨崎は寝ろと命令するが、話し込んでしまった仁はもう寝るに寝れず。
「そもそも、何日も寝てたんじゃないのこれ。だから」
「……はぁ。はっきり言いな。寝てる間は治癒魔法が使えないって」
「この人鋭いな」
というのは建前だと見抜かれた仁は、両手を挙げて降参。その通りだ。今の話を聞いて、自分の身体をもっと早く治そうと思った。前と同じく三重の治癒を行えば、大幅に時間を短縮出来る。
「早死にするね。彼女、泣くよ?」
だが、それは毒の薬である。一見治ったかのように見えて、徐々に内側から蝕まれていく。それは仁にも分かっているのだ。なにさ最近、治癒魔法の効きが悪い。恐らく、身体の中で代償の蝕みが増えて、治せない箇所が出てきているのだ。そして、それで泣くのは仁ではなくて彼女。
「泣かせない為に街ごと心中しますか?」
「…………悪いね。色々と背負わしちゃって」
「いいよいいよ」
「俺達が望んだ事ですから」
仁は今の会話の最中もずっと、治癒魔法を発動させていた。まだ選挙権もないような年齢の少年に背負わせてしまったと謝った梨崎に、彼は笑う。
「悲しいねぇ」
梨崎には分かる。彼は異常だと。最早、ただの人間に抱え切れる業や背負える重さではない。それを笑って抱えて背負える少年が、まともである訳がない。
「世界が少年をここまで変えちゃったよ」
間違え続け、託され続け、期待され続け、想い続けた結果生まれた、サルビアや『魔女』とは別種の怪物だ。
「どこぞの不老不死のアホみたいに、もっと気楽にしてくれればいいんだが」
「ああ見えて、彼はクロユリ関連になると怖いですよ。初対面だろうが顔面掴んで記憶を覗いてくる」
不老不死の怪物であるはずなのに、全くそんな風には見えず、挙げ句の果てにはアホ扱いされるロロ。しかし、仁は知っている。気楽に見える彼が持つ芯を。そもそも永遠に等しい時を、普通に生きていける彼は既に普通ではない。
「そんな一面があったとは知らな……あ」
「あ?」
普段の彼からは想像もつかない面を知らされて感心した梨崎だったが、途中で止まって間抜けな一文字を吐き出す。一体何事かと聞き返した仁に、
「あいつなら記憶、戻せるんじゃないの?」
「あ」
思いも寄らぬ解決策を、提案した。
と、いう訳で。梨崎がロロを呼びに行ったのだが、
「せっかく人がぐっすり寝ていたところを叩き起こすとは……しかしな?ここまでならまだいい!だがこの医者はなんだ!?
「なんだってなんだ?」
「あと五分って言ったらメスで顔を削がれかけたわ!?治るからいいってぞんざいな扱いはそろそろやめろ!」
「治らなくてもやるよ」
「殺人医として歴史に刻んでやろうか!?なお悪いわ!」
「黙れ。シオンちゃんが起きる」
かつてのクロユリを彷彿させるような起こされ方をしたらしく、そらもう大変ご立腹であった。しかしまぁ梨崎はどこ吹く風、病室で騒ぐアホを一睨みして黙らせる。
「もう起きた……」
「メスを向けるのはやめんか?なぁ、そもそも起こし方が悪かったから騒いだだけで、普通に起こされたらこんなに大声は、悪かった」
眼をこすって起きたシオンに、今度は仁と梨崎がご立腹。反論しようとするも、メスと刻印を突き付けられれば謝る以外に道は無く。やはり、日本人を虐殺に導いた張本人である以上風当たりは強い。
「悪いが、シオンは少し外に出てくれるかい?ちょっと聞かれたくない話なんだ」
「やだ。聞く」
出来れば、シオンが起きない内に済まそうと思っていたのだが予定が狂ってしまった。故に、退室を促すが彼女は即座に首を振って、地面に女の子座りをして動かぬ姿勢に。
「なにかな?あの話かな?ならば確かに、シオンちゃんはいて欲しくないな」
「まだ話してないのにどの話だよ……分かった。ただしシオン……さん」
「シオンで、いい」
「シオン。話の結果が分かるまで期待はしないでくれ」
「……分かった」
何やら危うい事を言い出しそうだったロロを、俺が牽制。イマイチ分からない婚約者との距離に四苦八苦しつつも、指摘されて砕けた物言いに変更して、
「ロロ。俺君が一部の記憶を失った。治せるかい?」
その四苦八苦を取り除く為に、ロロへと頼み込んだ。
これが、俺の狙いだったのかは分からない。確かロロは、自分と出会う前のクロユリの記憶を刻めないように、見ていない記憶は取り戻せないと言っていた。この例に当てはめるなら、仁が取り戻せる記憶はロロと一緒に見聞きしたほんの僅かである。
だが、同じ脳である僕に記憶が残っているなら、話は変わるのではなかろうか。見た記憶は全て同じだ。ロロが自分の記憶を『魔女』に転写したように、僕の記憶を俺に転写出来るのではないか。
「無理だな」
しかし、世界はそう上手くいくものでもない。するなと言われた期待をしてしまった少女は酷く落ち込み、梨崎はごめんと両手を合わせ、俺と僕も断たれた希望にやっぱりかと俯向く。
「出来ない訳じゃないが、それはここにいる誰もが望むものではない」
「どういうこと?」
先に否定しておきながらも、可能ではあると言ったロロにらシオンは再び期待の目を向ける。だが、他の三人は希望を持たず、淡々と理由を尋ねる。
「人格を形成する際に、何が関わると思う?体験だ。体験とは何か?生きて人や物と接して、何をどう思うかだ」
「なるほど。つまり、僕の記憶を転写するという事は」
「僕の主観が入り過ぎていて、俺が僕になるって事か」
「正解だ。そこまでは行かないにしろ、人格が大きく歪むだろう。もしくは違いに崩壊するやもしれんな」
記憶の転写とは、簡単なものではなかった。その時自分がどう思ったか等、思考全てが丸写しとなる。そうなれば当然、自分が考えるはずもない事を、考えていた記憶を持つ事になる。
「じゃあなぜお前はクロユリに刻めるのかという疑問だが、自分がその為に造られたものだからだ。歴史に主観が入ってはいけないとな」
例外がロロだ。彼は歴史を記す際、一切の感情を含まない事実だけを書く。これは『魔女』の歴史でも例外では無い。
「このように、記憶を戻す事は出来ない。ただし、僕からの記憶を読み取り、見せるだけの事は出来る」
「それだと人格は破壊されない?」
「ああもちろん。ただ、これは見るだけである。小説を読んでいるような感覚だと思ってくれ」
人が思い出せる記憶には限度がある。視界に入った全てや、日常全部を思い出す事は不可能だ。だが、思い出せないだけであり、人間は脳のどこかにその全部を覚えている。ロロはそれを、全て引き出す。
記憶そのものを失っていたクロユリには使えないし、一般人にも通用しない。同じ記憶を持つ俺と僕だから、二人とも失いそうになった時に俺が抗ったから、出来るのだ。
「「……ぜひ、お願いします」」
記憶が戻る訳ではないが、もう一度記憶できる。その事にシオンはまた涙を流して喜んで、梨崎はふぅと息を吐き、僕と俺は深く頭を下げた。
「言われなくとも。それがきっと、君の力になるだろうからな」
意味深なウィンクを残し、ロロは仁の額に手をかざす。そして、俺の視界内で上映が始まったのだ。
現実感はない。まるでただの映画を、自分と同じ顔の人間が生きている姿を見ているだけ。感情移入は出来ても、自分の感情には出来ない。見て覚える事は出来ても、思い出す事は出来ない。全てを取り戻せるどころか、ほとんど取り戻せない上映会だった。
でも、取り戻せたほんの少しは必ず、ロロの言う通り少年の力となる。




