第131話 二人の英雄の最期
シオンとサルビアの決着を正しく見れた者は、恐らく指の数で事足りる。永き時にて剣術を見る目だけが肥えたロロ。同じく、永き時を生きて力を蓄えた、大悪魔であるイヌマキ。そして『勇者』であるマリーと、サルビアの剣と共に歩いて来たイザベラ。後は腕の立つ騎士が多くて数人程度。
一般人の目には、剣を折られたシオンがサルビアの予想に反して更に踏み込み、驚いた僅かな隙を突いた。もしくは、シオンが剣を折られても咄嗟に突き出し、サルビアが振り下ろす前に彼を貫いたようにしか見えなかった。余りにも刹那で、余りにも達人だったから。
「…………」
決着が着いた事は誰にでも分かるが、誰も口を開かなかった。倒れた敗北の騎士。立ち上がり、彼に駆け寄って問う勝者の少女。会話は聞こえず、少女の涙だけが目に映る。
しかし少女が父に寄り添ったのは、15秒程度だったか。サルビアが息絶えた事を確認したシオンは、再び立ち上がって最大の速度で仁の元へと走る。人並みを飛び越え、風を切り、屋根に登って、必死に。
「……勝った?」
シオンが頭の上を過ぎ去ってようやく、人々は意識を取り戻して、言葉を思い出す。始まりはたった一人の呟きから。それは少しずつ小々波のように広がり、街を揺るがす大歓声へ。
単騎で街を落としかけた、最強の絶望のサルビアは死亡。それ以外の騎士は全員が厳重に拘束済み。一般人が理解出来たのはこれだけ。つまり、騎士は全滅。もっと多くを理解出来る者には、イヌマキの時間は残って仁は重傷。それに肝心な魔法陣は手に入らなかったと、良い事少しに課題が山積みであった。
ロロが映した系統外のモニターの前で。或いは現場で。または病院や、避難場所で。誰もが肩を抱き合い、笑顔を綻ばせ、勝利に酔う。中には先程まで敵対していたはずの軍と反乱軍が、一緒になって騒いでいる所もあった。
だが、戦いはまだ終わったわけじゃない。
「はーい。水差すようで悪いけどちゅーもーく。嬉しいのは分かるけど、助けを求めてる人まだいるから。分かったならとっとと怪我人運んで助けて、犠牲者減らしな。それが終わったら、死ぬほど騒ごう」
仁の出血にマリー、イヌマキとの三人がかりで治療しながら、梨崎が悪魔から魔法を借りて街中に声を響かせる。正論で同意すべき事に頭を冷やされた面々のほとんどは、指示に従う。
「どうも失礼。私からも一言。今は休戦中にして忙中だ。もう一度勝手に戦争を始めたり、強盗や強姦、殺人を働いた者は、軍と反乱軍の両方で取り締まる。仮に新体制に移行したとても、これらの罪はほとんど極刑だという事は忘れないように」
続いて割り込んだのは、ほとんどの者が聞き覚えのない男性の声。しかし従うべき事である為、多くの者が首を傾げつつも頷いた。ここで全員と書けなかった事は、非常に悲しい事である。
男性の声は次に、梨崎から聞いた今現在病院となっている建物を全市民に告げる。怪我人をスムーズに最寄りの場所へと運ぶ為と、医療に覚えのある者達にそこへ向かってもらう為だ。
「仁は……まぁ、なんとか生き残りそうだね。左脚が切断とはまた違って出血が無かったから、助かった」
放送を男に任せ、仁の身体を一通り診た梨崎は大きな安堵の息を吐く。隣で治癒魔法を続けるマリーとイヌマキも同意見のようで、深く頷くが、
「ただ後遺症だけは未知数よ。その辺、覚悟しときなさい」
「四重を二回とは無茶しやがって。脳がイカレちまったらどうすんだ……」
「……起きたら、たくさん叱ります。任せてください」
何の代償も無しとは当然いかないもので。シオンは胸を撫で下ろしつつも、厳しい顔で仁の顔を見続けて治癒魔法を開始。まだ熱い身体に触り、深い傷を少しずつ癒していく。
「梨崎。マリー。仁はシオンでなんとかなるだろうから、俺らはあっちだ」
「あっちもあっちで問題児よ。本当」
ひとまず大丈夫そうな仁の事はシオンに託し、最高の医療班が次に向かったのは、女性に手を握られて横たわっている男の元。
「馬鹿だよね。わざわざ斬られる必要なかったんじゃないの?」
「そんな訳、ないだろ……実際に対峙したら分かるが、軌道を塞がないと、後ろに放り投げた仁は斬られて……いたぞ」
誰もが動けなかった時間にただ一人、誰よりも早く動き始めて、仁を救った男。希望を繋いだ影の立役者
、柊。彼は今、身体を深く斬られて血を流していた。
「今度斬られる時は身体の末端にしなさいな。わざわざ中心じゃなくて」
「そのつもり……だったんだがな。合わされて、しまった。ああそれと、治療はいい」
ざっと見、梨崎の目から見て医学的には助からない。傷が深すぎるのと、イザベラ戦で負った怪我と合わせて血を流し過ぎている。しかしそれでも、魔法を組み合わせればと取り掛かろうとして、断固たる意思の弱々しい手で払い除けられた。
「脳みそまで斬られちゃった?死ぬ気?」
「残念ながら、正気で、死ぬ気だ……お前こそ、どうした?後で死ぬ奴なんか、今生きてても、死んでいるのと同じなんだろう?」
かつてシオンを見捨てようとした時のように、自分も見捨てろと、先程よりもしっかりしてきた口調で喋る。痛みが治った訳でも、傷に治癒魔法をかけられた訳でもない。ただ、強い意思のみで口調を戻している。
「あんたは必要だって思っただけ。私達は本当の目的の一つを達成出来なかったんでしょ?」
「それは、託す……ここで生きていても、俺は有害にしかなれん。この治療の時間は、他の誰かに充てるべきだ」
柊も梨崎も、分かっているのだ。これから先、柊の頭脳は役に立つ場面もあるだろう。しかしそれを覆い潰して余りあるデメリットが、幾つも存在する。
一つ目は約束の反故。彼は自らの首と引き換えに、軍人の助命を乞うた。それが軍を作って罪を容認した責任だから。例え魔法陣が手に入らず、状況が変わったとしても、これは変えてはならない。
二つ目は自分の立場。柊は街の人にはかなり嫌われていたとは言え、元司令である。例え柊にその気がなかろうと、絶対に担ごうとする者が出てくる。これから先、軍の旗印はあってはならないのだ。
「このまま生きて、更に嫌われるくらいなら、今俺が一生で最も、誰かに認められている今、死なせてくれ」
他にもこれから食べていく食糧や、今この瞬間に治療を行おうとしている梨崎達の手など、様々なデメリットが存在する。今なのだ。ここで誰にも助けられずに死ぬのが、最大の効率なのだ。
「……馬鹿……本当!人の事考えないで!」
「他人の事はしっかり考えている……お前は、済まない」
今まで黙って我慢してきた紅も、限界のようだった。大粒の涙を流す剣幕で睨みつけて、より一層強く手を握りしめる。いつもなら頬を殴っていてもおかしくないのに、今日の柊はそうするには弱り過ぎていていた。
「本当、報われないよあんた」
「そうか……?確かに、あれだけ用意周到に準備して、内乱を起こさせてたくさん殺して、それでも……全部は届かなかったな……」
紅に握られていない方の、空の手を見て悔しそうに笑う。思い描いていた理想の、最後の一欠片のピースだけは、手に入らなかった。この大きな誤算は、この街に大きな試練を課してしまうだろう。
「……必ず、守るから。託されたから。じゃ、お先にどうぞ」
「ああ、悪いがお先にだ」
僅かに。しかし大変珍しく、感情を深く滲ませた梨崎の声に、柊は笑って手を振る。頑張って後半は抑えようとしたのだろうが、人の心を読むのに長けた柊には手に取るように分かった。それが、嬉しかった。
「裏切った私にこんな事言う資格ないかもだけど、本当にお疲れ様。安心して、後は私達がやるから」
「ははっ!お前の裏切りくらい、計算の内だ……頼むぞ」
裏切りが完璧に策の内にあったと聞いて驚いたマリーの顔を楽しみつつ、揺るがぬ正義に後を頼む。彼女の異常なまでの高潔さは、これからの道標になるだろうから。
「あんたと悪巧みすんの楽しかったぜ。残り一分ちょいで俺も死ぬから、そん時は地獄でやろうや。この白髪のアホも一緒に」
「自分は死なぬわ!クロユリが死ぬか、嘘をつかん限りな!……柊 末。この名は未来永劫語り継ごう」
「頭はふさふさであったと記しておいてくれ」
「嘘は書けん」
「嘘じゃない」
「剣術もなく魔力もなく、策略のみで騎士団と剣神を手玉に取り、希望を繋いだ者。髪にはノータッチだな」
「それでいい」
秘密を共有したイヌマキとロロは、柊との関係性が分かるような冗談交じりの挨拶を。死に慣れすぎた二人はきっと、こうやって誤魔化すことを覚えたのだろう。不謹慎だとは思うが、最後まで辛気臭いのは嫌なので柊もその気遣いに乗って、明るく。
「さて……指示、助かった。この身体では少し……きついものでな。全体の動きがやたらと整っていたのは、貴様がいたからか?」
「いえいえこちらこそ。これまでありがとうございました。最後の指揮なんて微々たるものですよ」
別れを終えて去っていった三人と入れ替わるように近づいて来た男に、柊は礼を言いながら観察する。慇懃無礼な態度の裏にあるのは、一体なんなのかと。
「石蕗と申します。一度、直接貴方に会ってみたかった。軍というシステムを作り、最後まで完璧に運用しきった貴方という人に」
その裏にあるのは、尊敬と感謝と、対抗心。的確な指示が出せて当然だ。なにせ、この男は反乱軍の総司令。反乱軍を想定以上にまとめ上げ、なおかつ柊の企みを全てではないにしろ、ほとんど見抜いていたのだから。
「能力は……あるようだな。だからその地位か」
「誰かがやらなくては、いけませんでした。少なくとも、貴方の意思をある程度汲める人間が反乱軍のトップに。本来なら、この場にいたのはそれが出来たあの人でしょう」
軍のシステムの意味を正しく理解している事に、柊が考えていた元の今の絵を知っている事に、驚く。これまでの動きから相当な切れ者と分かっていたが、また想定を超えられた。能力的には申し分ない。
「背負えるか?全てを」
「背負いますよ。もちろん」
故に問い、即答された。たった一つの選択を間違えただけで日本人全員が滅ぶような、数万の命を一声で左右するような椅子に座る事に、石蕗は何の躊躇いもなく。
「むしろお聞きしたい。貴方は躊躇いましたか?」
「……最初からお前に任せておけばと思っている」
「そんなものです。大切な物を守りたいって思っている。じゃあどうすればいいのかを考えて、最善を尽くす。ただ、それだけです」
ああ、その程度の事だ。この男は、権力だの地位だの名誉だのなんか求めていない。それら全ては手段にして、途上でしかない。彼にも守りたい何かがあって、自らの考える最善を続けた結果、この場にいるのだ。
躊躇う訳がない。何せこれ以上にない選択が、最善なのだから。
「しくじるなよ」
「ええ、必ず。軍人達の扱いも任せてください。反抗されない限り、決して殺しません」
「ああ、頼む。資材や食糧が、反乱に巻き込まれないように……隠した場所が、書いてある手帳を……仁に渡してある」
「受け取ります。彼やシオンとも、話をしてみたいので」
街の最高権力の引き継ぎに、柊は最後の時間を使う。一緒になれなかった女性との睦言でもなく、辞世の句を詠むわけでもなく、最後まで街を守ろうとする人間として、命と血を言葉に変え続ける。
「それと……すまない。しくじるなと、言ったが、俺はしくじった……」
「それは他の方から引き継ぎます」
唇から血の色が消えていく。狭まっていく視界は暗闇に変わろうとし、意識が散らばっていく。命の終わりを察したのか、石蕗は一歩下がり、紅に目配せを。例え柊が最後まで司令であろうとしても、そうはさせないと言うように。
「貴方はもう、偉業を成しました。だから、後の時間は貴方の為––」
「柊さんっ!どいてくれ!聞こえるか!柊さん!イヌマキさんから聞いて、運んでもらった!」
周囲の人混みから石蕗の言葉を遮った、柊を呼ぶ声。必死の叫びに人々は道を開け、血塗れで涙跡の残る一人の男を通す。よく聞いたその声に、柊は瞼を最後の力でこじ開けて、彼を見る。そして、見た。彼が手で掲げて開いた、畳まれていた紙の中身を。
「手に入れた!魔法陣だ!」
「……な、ぜ……?」
誰も持って来ていない。副団長であるイザベラが言った、サルビアさえ例外ではない命令。それは、街の未来を暗く辛いものに変え、柊の目論見を粉々にしたはずだった。
だというのに、なぜ。
少し、時間は巻き戻る。反撃の三分よりさらに前。たった一発の特別な銃声が、街のある一角に響いた頃に。
「……俺の、勘違いだった」
「…………っ!」
イザベラに足手まといと言われて、置いて行かれた。この場に残ったのは、桃田と堅と環菜と、胸を撃たれたマリー。そして未だに理解が追いつかない、軍人と反乱軍が数人。
「……謝っても、謝りきれない……けど、本当に、申し訳ない」
様々な感情が混ざり合って訳が分からなくなっていたが、人違いで撃った事は理解できた。楓を殺された怒りは地獄のように心の中で燃えていたが、それでも無視して通る事は出来なかった。
「ふざけ……!」
「待ちなさい!撃たれたのは、私です!堅じゃないでしょう!」
「……」
撃った人間が撃たれた人間に謝るという、ふざけた光景に胸ぐらを掴んで殴りかかろうとした堅を、苦しそうなトーカの声が止める。顔に拳が当たる寸前で、彼の手は止まり、数秒悩んだ末に解放。苦しそうに咳き込む桃田を見て、服の端からぽたりぽたりと血を流すトーカを見て、正しい行き場なんて無い拳を虚空に振り下ろす。
「……私は、大丈夫です……これくらいなら、治療出来ます……だから、行ってください」
本当に大丈夫なのかは、魔法を使えない桃田には分からない。でも、撃った瞬間の手応え、穴の開いた位置は恐らく心臓ど真ん中。日本人なら死んでいるし、治癒魔法を使っているはずのトーカも治るどころか、苦しそうに喘いでいる。
「…………本当に、済まない」
でも、ここで追わなければならないから。自分に役割が与えられたから。だから、そういう事にするしかないのだ。その事が分かっているから、この女騎士は治ると嘘を吐いて、イザベラを追わせようとしている。彼女を止めて欲しいと願っている。
「最低な、お願いですが、そう思っているならどうか、あの人の命だけは、奪わないで、もらえませんか?あんな人でも、私達の、大切なんです……」
「…………それは聞けるか、分からない」
殺さないで止めてくれというトーカの頼みに、聞けるとは答えれなかった。あの外道を許してはならないと思っていたし、何より殺さない事は自分自身が許せなかったから。でも、ここで断れないくらいには、迷いが生まれてしまうくらいには、罪悪感があった。
「……また、後で来る。正式な謝罪は、その時に」
追うべきだ。追って止めるべきだ。これから死んでいく、自分が殺した元騎士の女の元で謝り続けても、何もない。時間が過ぎて、イザベラが日本人を殺すだけだ。
「ありがとう……」
でも、分かっていたのだ。この場の誰だって。桃田は憎しみを理由に、罪からを目を逸らして逃げたって。
「……くそがっ!」
彼はこの後に目的を果たし、罪と向き合い、イザベラの魔法陣と相討ちになろうとする事なんて、堅は知らない。だから今、友人であったはずの男の逃げる背中に湧き上がる想いは複雑過ぎて、人間の言葉は余りにも少な過ぎた。
「仕方、ありません……イザベラ様の能力なら、見間違えて、当然です……もう戦いが終わったと、油断した私が悪いんです……」
桃田はこの時逃げた。でも、それは仕方のない事だと、撃たれたトーカは言う。イザベラの系統外を考えれば、騎士の姿の自分を撃って当然だ。それ以前に、たまたま通りすがった軍人が環菜の声を聞いていなかったら、同じように撃っていただろう。魔力が少ないからと言って、物理障壁を解くべきではなかったのだ。
「っ!」
堅も環菜も分かっている。桃田はあの時、敵を撃とうとしていたのだと。間違えて撃っても仕方がなかったのだと。だからこそ堅も環菜も、頭と心がグッチャグッチャで、どうすればいいのか分からないのだ。
「喋るな!今すぐ梨崎さん所に連れて行ってやる!」
「大丈夫!梨崎さんってのはすごい医者で、前なんて心臓飛び出た人治してたから!」
桃田の事に関しては今考えても仕方がない。故に、急いで二人で優しくトーカを抱えて、どこにいるかも分からない医者の元へと向かおうとする。
「だからきっと!」
「死人は、治せないんですよね」
「……」
弱々しい声に、手も足も止まる。その瞬間、トーカに触れていたはずの箇所が小さな風に弾かれて、地面に落ちる。優しく風魔法で受け止めたようだが、それでも堅と環菜は動揺して、どうしてと詰め寄る。
「分かります……だから、運ばれて聞こえないといけないので、どうかここで」
「子供達な、ちゃんと逃げれたんだ!今は安全なところにいるから!漫画の読み聞かせ楽しみにしてるんだぞ!」
「病は気からって言うでしょ!ほら!助かるつもりで……早く担がれなさいよ!」
「それは、楽しみですけど、申し訳ありません」
まるで茶番だ。分かっているのに、桃田は分からないフリをして逃げた。分かっているのに、堅も環菜も目を逸らして医者へと運ぼうとしている。分かっているから、トーカは余計な時間を使いたくないと笑う。
「っ……!なんで!なんでだ!これからだったろ!これから、子供達と平和に暮らしていくんじゃなかったのか!」
「やっと、一緒に戦えたのに!」
ようやく、分かった方の本心が叫ぶ。桃田を責める思いなんかより遥かに強い、その大元であるこの気持ち。誰にも止められず、見る者聞く者は下を向くような、悲痛な。
本当にこれからだった。トーカは自分の罪を認めて、その上で出来る事をしようと前を向いた。文字を教わって、今度は自分が漫画を読み聞かせてやろうとしていた。いつか魔法を教えると約束していた。いがみ合っていた環菜とも背中を合わせて戦って、もっと仲良くなれそうだった。敵対していたはずの騎士との友好を結ぶ最初の一人になるはずだった。思い描いていた未来では、仁達の塔への旅の、その扉までの護衛だってしていたはずだった。
「ごめんなさい……もう、私は助からないようです」
「言うなっ!黙れっ!」
そう思った矢先に、心臓を勘違いの復讐で撃たれた。そして今、息絶えようとしている。
「ねぇ!なんで今なの!神様ってやつ!いるんなら、何とかしてよ!」
神様とやらに祈って頼んで抗議してみるが、彼は今忙しいのか休暇中なのか知らんぷりを決め込んで。運命とやらは本当に、性悪な性格をしているらしい。
「……これで、いいんです」
「良くないっ!お前は、誰かを救おうと戦ってた!誰も殺さずに!」
「……例え誰かを救っても、今まで罪の無い貴方達を惨殺してきた過去も数も変わりません。いつか、こうなるはずだったんです。初めて、忌み子を斬ったあの日から」
「けどっ!こんなのっ、あんまりで!」
殺した数は、救った数で帳消しになんかならない。例え後悔して生き方を変えても、殺してしまった時点でそれは死んでも消えない罪なのだ。だからこうなって当然で、その覚悟はあったと安らかな顔で言うトーカに、でもと堅と環菜は訴える。
「……それだけでも、とても私にとっては救いなんです……」
本来なら、憎まれ、恨まれ、犯され、残酷に殺されるはずだったのに。今はどうだと、こんなにも惜しまれて死ねると、トーカは笑う。
「とても暖かくて、優しくて、辛い救いです」
自分の血ではない暖かい液体が、トーカの頬に落ちる。それは彼女にとって救いだった。暖かくて優しくて、暖か過ぎて優し過ぎて辛い救いだった。
「後もう一つ、ごめんなさい。実は、持ってました」
「何をだ!」
「これ、です……」
最早ほとんど身体は動かないだろうに、それでも頭を下げて、いつの日にか吐いた嘘を謝る。怒鳴りつけるような堅の優しい声に、トーカは最後の力を振り絞って虚空庫に手を入れて、取り出した。
「帰還用の、魔法陣です」
「っ!?」
手渡されたのは、足りなかった最後の一欠片。後にイザベラは、今回の作戦に参加した騎士は全員持っていないと言うが、そこに前回の作戦に参加したトーカは含まれていない。
「私達騎士は、間違いを犯しました。何の罪も無い貴方達を、殺した。でも、私は彼らも救いたいのです」
「……」
身勝手だと思う。騎士は全員報いを受けるべきだと思う。だが、その一方で彼らがどんな人間なのか、トーカは知っているのだ。だから、殺したくなくて、救いたい。日本人も、騎士も、みんな救いたい。
「これが、私の出来る事で、望む事なんです……」
騎士でありながら、日本人の優しさに触れて、日本人を守ろうとした異質なる存在。僅かながら、二つの世界の狭間で生きて、戦って、どちらも守ろうとした騎士の最後の願い。
「お願い、します……騎士も、貴方達も、救ってください……!あの子達が笑えるような、そんな、平和な世界に」
「ああ!ああ!するから!だから、それを見ろ!」
「一緒に見よう!一緒にそうしようよ!」
「最後に、少しは騎士らしい事出来ました」
そう言って目を閉じたトーカの肩を、堅と環菜は何度も揺する。目を開けろ。呼吸よ小さくなるな。心臓も止まるな。生きてくれ、死なないでくれと願って。
「……ふふ……嬉しいです」
でも、その願いは叶わず。その願いを嬉しいと言って、トーカは死んだ。
「「…………!」」
言葉なんか出てこなくて、叫ぼうにも感情が溢れすぎて声に出来なくて、これから一緒に歩むはずだった死体に、血塗れになるのも構わずに縋り付いて、堅と環菜は泣いた。
そして『希望』の話を聞いて、無理矢理前を向いて、戦う仁達の姿を見て、トーカの遺志を継ごうと魔法陣を大事に抱えて、そこに走り出した。
「ははははは!はははははははは!」
要点だけを聞いた柊は、傷が痛むのも構わずに笑った。その顔には僅かながら生気が戻ったかのように見えて、今にも死にそうだった目は爛々と輝いていた。
「そんな事、私の作戦の内には無かった!はははははははは!」
堅と環菜がこんな隠し事をしているなんて、知らなかった。全て見えたつもりになって、全てが自分の掌と思って、重要な一つを取り零した。騎士と分かり合うのは不可能だと断じていた。
ところがどうだ。掌の外でもう一つの戦いがあって、物語があって、そこから取り零したはずの魔法陣が出てきた。騎士と分かり合い、なんなら共闘して共に歩みさえしていた。虐殺していた騎士が孤児の面倒を見るなんて、思い付きもしなかった。
ああ、所詮自分なんてこの程度。いかに優れていようと、全てを見通す事は出来ず。時に必要ないと斬り捨てた物に、見返される事もある。
それが無性に、今の柊には嬉しかった。
「……だが、そんな私でも……」
「総員っ、敬礼!」
石蕗の声で反乱軍も軍人も一般人も、この場にいた者もいない者も、ロロの中継を見て、したいと思った者達は下手くそだったり上手かったりする敬礼を。
「貴方がいなければ、この街はここまで続かなかったでしょう」
全員ではない。しかし、その数は多い。あの時、柊の演説に心を動かされた者達だ。あの時、仁を守ろうと身を呈した柊に心を打たれた者達だ。その数は、彼が殺した数よりも絶対に多い。
「貴方や、貴方達が守った街です。必ず、守ります」
「……」
最後の最後に、自分は死ねと命令した回数よりも生きろと命令した人数が上回った。こんなにも多くの人が、恨まれ憎まれるはずの独裁者の虐殺者を見送ってくれる。
「どうか、安らかに見守っていてください」
「……お疲れ。末」
ああなんて、最高の死だろうか。
柊 末の最後の視界は、隣に愛しい人。そして他全てが、彼を見送る、彼が守った街だった。




