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幻想現実世界の勇者  作者: ペサ
幻想現実世界の勇者
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第130話 剣の親子


 仁の左脚深くに剣が入ったのは分かった。彼はそれを咄嗟に利用して追い詰めたのに、サルビアは簡単に窮地から脱した。そして、仁は素振りでもするような感覚で振られて吹っ飛んで、苦しむ虫のように転がっている。


「ぐっ!」


 でも、シオンに心配する余裕は無かった。だって、強すぎる。全ての剣が読まれているように弾かれて、囚われる。かつて自分に打ちのめされた仁はきっと、こういう気持ちを味わいながら足掻いていたのだろう。


「弱いな。あの男よりも。前のお前よりも」


 自分より弱いと思っていた少年より下だと言われて、剣が下がった。確かに今日の自分は調子が悪いし、仁の歪な成長はそれ以上だった。剣の腕はまだ足どころか爪くらいだが、その他を含めれば。


 仁は常に上を目指していた。少しでもシオンを追いつこうと、誰かを守ろうと、技術と力を求め、暗闇の中を彷徨い、ズルと自嘲する抜け道を探していた。その結果が『限壊』と『動鎧』。そしてサルビアの壁役だ。


 剣を壊され、頭の中の不等号が自分ではなく、仁の方へと開く。理解した。諦めた。認めた。仁はサルビアの相手が出来たが、自分には出来ない。


「つまらんな」


 低く冷めた声が、心臓まで届いて凍てつかせる。氷が全身を巡っている。脳を鷲掴みにされて掻き回されている。必死に頬の傷を意識して、あの時の記憶を呼び起こして戦意を奮い立たせようとするけれど、出来ない。


 死から逃れたくて剣を振っているのに、死神のような剣は一向に斬れないのだ。もしも失敗したらどうしよう。仁がいないで勝てるのか。そういった不安が積み重なり、鎖となり、いつしかシオンの身体を縛っていた。仁のように恐怖を飼い慣らせば力となるが、シオンは逆だ。恐怖に支配されてしまった。


 故に、仁以下。あっさりと剣を斬られ、マリーは隣で身体を斬られ、全てが決まった。シオンにだって見える。というより数手前から見えていた。最善の手を打ち続けても、ここまでしか生きられない。次のサルビアの剣はかわせないと。


 ああ、死ぬ。


 いつ以来の感覚だろう。見に見える全てが、ゆっくりだった。


 私を見る父の目は、何も見ていない。私を娘として捉えようとはしていない。そう思うと辛いからだったら、少しだけ嬉しかったかもしれないけど、きっと本当に娘と思ってないだけだろう。


 だから私は、父を見るのをやめた。私を私と見てくれる人を、私が望む形で見てくれた人を見た。


 怖い。


 死ぬのは、果てしなく怖い。自分は仁とは違って、死ななくて済むなら死にたくない。街を守る為、大切を守る為、仁を守る為なら出来るだろうが、今は違う。この死は無意味だ。誰も救えず、誰も守れない死だ。こんな死は望んでいない。


 前はこんなに、死ぬのが怖かっただろうか。ふと、少年を振り向く最中にそう思って、理解する。それはきっと、彼と彼らのせいだろう。前はこの世界は私を嫌うものだと思っていたから、そこまでの未練が無かったのだろう。でも、今は。


「っ!?」


 おかしい。サルビアの剣速なら、もう斬られていてもおかしく無い。そんな思考がチラついて、仁を見た瞬間だった。彼の今にも斬りかかるような姿勢を見て、何をしようとしているのかを即座に理解して、鳥肌が立った。


 この距離でと思った時には、もう遅い。四重刻印が頭を過ぎったその刹那、自分のすぐ側を仁本人が過ぎって、サルビアの剣を受け止めていた。


「仁!」


 何も見えなかった。まず自分が助かった事を知り、ついで仁の左脚が黒く解けていくのを見て息を呑み、


「来ると、思っていた」


 聞こえた声に、世界が静止した。声を出せるという事は、生きているという事。油が切れた機械の首を動かして、悠然と背を向ける存在に、全身が衝撃を受けていた。


 自分には一切見えなかった剣を、その速さを、技術だけで受け止めた。片腕は壊れ、首は浅く斬られたが、それでも死ななかった。はっきり言おう。言ってしまおう。この一瞬シオンは、左脚を失い全身がバラバラになりかけても助けてくれた仁を忘れて、ただただサルビアという存在に怯えた。


 通常時なら、四重刻印を使って倒れた少年を見てブチ切れていただろう。そんな無茶をした彼に怒って、無茶をさせたサルビアに斬りかかっていた。その確信がある。


 だが、全てを置き去りにするような、衝撃だったのだ。仁の『四重限壊』を受け止められた事が、サルビアが生きている事が。呼吸も忘れて、遠去かっていく父の背中を、大事な人を殺そうとする騎士の背中を、呆然と見る事しかできなかった。


「いいか!この男は希望である!」


 しかし、時間というのは止まらないものだ。いつだって一定方向に流れ続けている。止まったように錯覚しただけだと気付かせてくれたのは、とある男の叫びだった。


「だから、守れっ!」


 歩むサルビアともがく仁以外の誰もが動かない世界を切り裂き、斬り裂かれた男の声。進み出した時間は、誰もが仁を守ろうとしていた。


 柊が斬られるのを見た。あの傷は深い。深過ぎる。名前も知らない軍人と反乱軍の人間が同時に斬られた。胴と脚が別れている。助からない。次にサルビアの剣に立ち向かった勇気ある雑魚は、すぐに斬られた。


 だが、押し寄せる人並みは止まらない。いくらサルビアとは言え、剣の長さ以上は斬れない。マリーの存在がチラつくのか、迂闊に魔法は使えない。今しがみついている白髪は、ロロだ。何度も斬り裂かれて苦痛の表情を浮かべながら、何度も突撃を繰り返している。


 仁を運ぶ背中には見覚えがあった。確か例の四兄弟の二番目、双葉だったろうか。優しく抱き抱え、強化の速さで走っている。人は皆一様に道を開け、サルビアの進路を人の肉で通行止めにする。梨崎を呼ぶ声がして、知る。


 この街はまだ、諦めていない。


 火が、灯っていた。落ちていた白銀の剣を、音も立てず速やかに拾う。ここで仁を逃したところで、状況はそこまで好転しない。でも、逃がせば何かが変わるかもしれない。いや、仁が死ぬより、死なない方がずっと良い。シオンの感情ではなく、街として見てもだ。


 少年の叫びが聞こえた。なんで助けるだとか、そういう事を言っていた気がする。それに対する双葉の答えに、シオンの心に街の火が燃え移る。剣を握る手に、再び力が込められる。


 守ろうとしたから、守られる。なんて良い理論だろう。だったら私も、という気持ちになる。なれる。


 それと同時に湧き上がった感情に、名前は付けられなかった。あれだけ騙したのだから、嫌われるべきだと思っていた仁は、正しくこの光景を見れているだろうか。彼が認められた今を。


「えっ?」


 見ていたのだろう。見ていたからこそ、シオンの想像の遥か上を、少年は行くのだろう。いつだってそうだ。仁は弱い癖に、その実力以上の働きをしようとする。そして、大抵は失敗するけれど、時たまやってしまうのだ。


「二回目……」


 溢れ出した氷に速度、大きさ、人を優しく払い除けてサルビアだけを狙う正確さ、間違いなく四重刻印。そりゃそうだ。仁が、守られるだけなんてあり得ない。最初から彼はそうだった。自分より遥かに強いシオンを、守ろうとしていた。


 代償は計り知れない。でも、それでも彼はやった。代償だとか、死ぬかもしれないだとかそんな事を全部ぶん投げて、誰かを守ろうと剣を振って、戦って、最後の最後まで出来る事をした。


 けど、シオンには分かる。この氷の膜はただの時間稼ぎでしかなく、根本的な解決にはならない。そうだ。それは仕方ない事なのだ。あの状況、あの身体で出来る事なんて限られている。


 だが、時間稼ぎが彼の出来る限りなのだ。時間稼ぎにはなるのだ。マリーの魔法再使用時間を確保し、シオンを逃し、自分を庇おうとする人々を減らして一人でも救う。誰か一人でもと願い、消えかかった希望を無理矢理にでも繋ごうとした魔法なのだ。


「……すごいな。仁は。私なんかより、ずっと」


 自分は強い。でも、きっと仁より弱い。剣の強さだとか、そういうのじゃないところできっと、負けていた。


 仁の魔法には、仁が想定していなかった効果が二つあった。


「起きたら、怒らなきゃ」


 それは、四重刻印を見たシオンが本来起こしたであろう行動と感情を誘発させ、


「その為には、私も」


 それは、剣が折れたと思っていた少女にもう一度立ち上がり、本物の剣を鞘から抜かせる勇気を与える意味だった。


 だからこそ、こう言おう。


「無駄じゃない。貴方は、絶対に許さない」


 仁の四重刻印を含む、今までの全てを無駄にしない。心にそういう、希望という名前の火が宿っていた。知らず知らずのうちに身体が動き、冷たさを求めるかのように氷の膜に割り込んで、サルビアへと剣を向けていた。


「む?」


 振り向いたその顔は、一瞬驚いてすぐに冷静に変わり、嘲っていた。貴様の技術では無理だ。斬撃を受け止める為に掲げられた剣に、そう書いてあった。


「なっ!?」


 澄んだ音。とても綺麗な、金属音。何の妨げもなく、一切の淀みもなく、刃が通った証拠の音。剣の高みを目指す者達が聞きたいと願い、剣を知らぬ者でさえ耳を奪われる美しき震えだった。


「ねぇ、お父さん」


「父じゃないんじゃないのか?」


「なんでも良いわ。ただの呼び方だから」


 サルビアの眼が変わる。即座に引き抜かれた二本目が、シオンの左手を加工した剣とぶつかり、火花を散らす。折れなかった。折られなかった。前までなら、確実に折れていたのに。


「鞘って、そういう事だったのね」


「……」


 今にして、ようやく分かった。仁は最初から気付いていたのに、自分は気付いたフリをしていた。なまじ強かったが故に、自分より強いサルビアにしか気付かれなかった。


「そうだよね。殺そうと思わない剣じゃ、自分しか守ろうとしていない剣じゃ、勝てないよね」


 頬の傷からは血が流れていなかった。いつも殺人の罪悪感に耐える為、かつての恐怖を思い出して力に変えていた。自分が殺されたくないから、仕方ないから殺す。そういう動機でずっとシオンは戦っていた。例え心の中では誰かを守る為だと思っていても、頬の傷が開いていれば、どうしてもその思いは混じる。


 故に、鞘。傷付く事を怖れ、振るう時には本来外すはずの鞘を纏ったままの剣。重くて遅くて、鈍だったろう。実にいい例えだった。


「分かったの。殺す剣と守る剣、どれが一番強いのか」


 殺す剣と守る剣では訳が違う。そして、守る剣でも、対象が他者と自分ではまた違うのだ。


「答えは、誰かを守る為に殺す剣」


 どれも兼ね備えた方が強いと、シオンは引っ掛けのような真理に至った。それが自分に足りなかったもので、今埋まったものだ。


 殺す剣は、ただ殺すだけだ。殺しに信念や重きを置く者ならばそれでもいいかもしれないが、どうしても守る剣より軽くなりがちだ。


 自分を守る剣は、自分を守るだけ。自分が生きようと、逃げ道を作ってしまう。まだ踏み込めるのに、そこで止まってしまう。生存に意識を割き過ぎてしまう。


 他者を守る剣は、自分なんかどうでもいいと思いがちだ。結果的に傷が増えて、戦いは長引けば長引く程不利になっていく。


「……それだけは、教えられなかったのだがな。よくぞ掴んだ」


「当たり前よね。貴方達と過ごした時間に、守りたいものなんてなかったんだから」


 仕方のない事だ。仁が来るまで、本当に守りたいものなんてなかった。村を守ろうとはしていたけど、あれは、そうしたら仲良くしてもらえるかもという打算から。彼に出会ってようやく、そして彼を失いかけてようやく、シオンは掴んだ。


「気持ちの持ちようで、これだけ変わるのね」


 先程とは段違いだった。頭が綺麗に冴え渡っていて、恐怖は程よいスパイスくらい。剣は手と同化したくらいに操れて、感覚は研ぎ澄まされている。今までで一番調子がいいと言ってもいい。なにせ、あのサルビアと互角。


 技術が上達した訳でもないのに、なぜこんなにも変わったのか。急に力に目覚めたとかじゃなくて、シンプルに考えて欲しい。本気で勝ちたいと思って頑張る時と、別に程々最低限の結果さえあればいいやという努力には差が生じるものだろう。単に、それだけの事なのだ。


 技術が上達したんじゃない。今まで調子が悪くて、本来の技術を引き出せていなかったのだ。


「私は今、貴方を殺したくてたまらない」


 サルビアの剣とシオンの銀剣が交わり、サルビアの剣だけがへし折れる。壊れた片腕に強引にねじ付けられた土剣と、手首から先に手の代わりである土の剣がぶつかり、互いに損壊。


「奇遇だな。私もだ」


 サルビアは新たに、虚空庫から剣を引き抜く。まるで少女の白銀の剣と対をなすかのような装飾の、朱色の剣。間違いなく、特別な一振りだろう。


「貴方はいつも!私から奪う!私が望んだささやかで幸せな普通も、せっかく出来た大事な人達も!」


 サルビアに対する直接的な恐怖は無い。あるのは、ここで負ければみんなが死ぬという、脅迫的な恐怖だけ。そしてその恐怖も、シオンが初めて心の底から抱いた殺意によって抑えられている。故に、剣は鈍らない。


「早く死んでよ!私から消えてよ!」


 美しき剣を振るう裏にある、醜い憎しみ。ここまで他者に対して荒れた感情を向けた記憶は、シオンにはない。でも、だからこそ今日の剣は重い。


「もう、奪わせないから!」


 醜い憎しみと心のスペースを分け合う、守りたい願いと奪われたくない願い。もう、シオンは自分の大切を傷付けられたくなかった。この男がいたせいで、自分は普通に生きれなかった。この男がいたせいで柊は致命傷を負い、仁の左脚はなくなって、全身に後遺症が残った。故に剣は、鋭い。


「ならば、守ってみせろ!」


 咆哮。戦場にいる誰にも聞こえるような、大声が空気を震わせる。声と同時にサルビアが踏み込み、距離が彼に有利な間合いへ。魔法で出来た両脚にも関わらず、以前と遜色無い動き。そして移動を果たした瞬間、片脚の魔法を停止させ、壊れた腕の剣の補強に魔法を割く。二つしかない魔法の枠を、両脚片手の計三つにに0.1秒単位で振り分けて戦っていた。


「ええ!守ってみせるわよ!貴方の虐待が育てたこの剣で!」


 飛び上がったシオンは、仁が残した氷の膜を足場に空中で方向転換しながら移動。上からサルビアの首を刈りにかかる。


 皮肉だった。サルビアと妻の虐待によって、シオンの剣がある。シオンの強さがある。その剣と強さが、街を守っている。虐待なんかせずにさっさと殺していれば、これだけの強さはなく、仁もシオンも街にはおらず、もっと簡単にサクサクお菓子を食べるような手軽さで忌み子を絶滅させれたろうに。


「は!はははははは!はははははははははははは!」


 首の真上に刃が落ちるというのに、サルビアは動きも笑いも止めなかった。義足の魔法を稼働させて脚を捻り、彼は180°回転して地面を背にシオンと向き合う。


 再び、澄んだ音。しかし、結果は以前と違って、相殺。土の剣はどちらも壊れ、朱色と白銀の剣は生き残る。


 シオンの動きは先程と格段に違う。今まで自分が生き残ろうとし過ぎていた余分にして多大なスペースを、サルビアを殺してみんなを守る為に使っているから。父に抱いていたトラウマよりも、みんなを失う方が怖いと思えたから。


 だが、格段に違うとは言っても、シオンはシオン以上の剣技を振るう事は出来ない。少女に出来るのは、サルビアさえ賞賛するような、彼女が繰り出せる最高の剣技だけ。


 引っ張り出せ。自分の中にあるもの全部。この男の剣なんて、今まで幾千幾万とこの身と剣で知っているだろう。


「本当に今日は素晴らしい日だ!こんなに楽しい日が今まであったか!?」


「命日が楽しいなんて奇特な人ね!治癒魔法が必要かしら!」


 折れた片腕と魔法の義足というハンデを抱えながらも、シオン本来の剣を全て裁き切る修羅は笑う。それ程までに、サルビアは強かった。シオンの本気にこれだけのハンデを抱えてようやく、互角になれるだけの強さを彼は持っていた。


「私の剣に、剣でついてこれる人間は初めてだ!分かるか!これがどれだけ嬉しいか!」


「殺されるかもしれないのに嬉しいとか、分からないわよ!」


 だからこそ、彼はずっと孤独だった。違う方面の強さで楽しめる相手はいても、剣士である己の渇きは満たされなかった。つまり、同等以上の剣技を持つ相手が誰もいなかったのだ。


 そんな彼と、多少のハンデはあるにしろ、互角にまともな剣で打ち合える相手が初めて現れた。そしてその少女は今、手加減無しの殺すつもりで剣を振るっている。今は孤独ではない。孤高であった剣神の域に、ようやくもう一人が脚を踏み入れたのだ。


「しぶとく貴様が生き残っていた事に、今初めて感謝する!ジルハードが先かと思っていたが、今にして考えればお前のが早くて道理だ!」


 世界一の才能を持つ男が、世界一努力した結果がサルビアだった。ならば、彼に並ぶのは彼の血を継ぎ、幼少の時から彼以上の修練を積んだシオン以外にない。


「この瞬間を、私は待っていた!」


 本当の剣による命のやり取りに、彼は歓喜する。初めて同等の相手を得た剣はこの戦いの中ですら、成長を開始。


「私が待っているのは、こんな瞬間じゃない!平和で幸せな未来なの!」


 シオンの剣も、釣られるようにその精度を増していく。ようやく、この戦い方に身体が馴染み始めていた。胸の内から溢れる想いが、シオンの剣を振る理由だった。


 死んだらもう、堅さんと環菜さんをからかえない。


 サルビアから身体に叩き込まれた剣。故に、全く同じような動きで、修羅と修羅の子は殺し合う。


 マリーさんの昔話だって楽しいのにまだ途中だし、ロロとイヌマキさんが教えてくれる『魔女』の事も気になっている。


 死なせたくないと小さき『勇者』は、壮絶なる過去で鍛え上げた剣で守ろうと、大切を壊すものを殺そうと。


 五つ子亭の料理は母に迫る美味しさだし、街の個性豊かな屋台も面白い。


 死にたくないと小さな少女は、今まで生きてきた中で大切だと思う思い出を選んで頭に浮かべて、自分の命をこの世界に繋ぎ止める碇とした。


 たまに見かける愉快な四兄弟と五つ子亭の下四人が付き合っているのは、本当なのだろうか。柊さんと紅さん、良い雰囲気だったな。


 幸せに、普通に生きたいと願う彼女は、瞬きすれば死ぬような斬り合いの中で、瞼を閉じずに夢を見る。自分が生きて、街が救われたその先を。


 梨崎さんが教えてくれる現代の医学は興味深くて、治癒魔法に応用してみたら効率がすごく上がって驚いた。


 それらは全て、物語でわざわざ語られる必要さえないような裏側。きっとロロだって記録に残さないような、なんて事のない日常。


 桃田さんや楓さんを思うと、胸が痛くなる。蓮さんや酔馬さん、他のみんなが繋いでくれた希望、絶やしたくないな。


 そして、自分にそんな日常を守ってくれと逝った者達から、託されたモノ。


 そういった小さな欠片が積み重なって、物語で語られるような世界を動かす大きな力となる。英雄になる動機と、英雄たる理由になる。


 ねぇ、仁。全部、貴方がいないと、なかったものだよ。


 今のシオンは、彼がいなくてはあり得なかった。彼があの時、滝から落ちて来なかったら、シオンはきっと村を守ろうとした時に自棄になって突っ込んで死んでいた。彼が、今のシオンの剣を振る理由と強さを作ってくれた。


 でも私は欲しがりだから、もっと欲しいなと思うの。貴方と一緒の未来が欲しい。そこにはきっと、こんな欠片がたくさんあるはずだから。


 きっと、他の英雄と呼ばれた者達もそうなのだ。普通に愛する人がいて、普通の日常があって、それが愛おしくて守りたくて、壊そうとする者達を許せなくて戦って、そう呼ばれただけなのだ。


「「あああああああああああああああああ!」」


 低い声と高い声と、朱と銀の剣が重なる。幾度かの互角の末、相殺。土の剣は何度も作り直し、業物である朱色と白銀の剣が刃こぼれする過酷さで、斬り続ける。


「……」


 透明な氷の膜の中を、外から見たロロが街中に中継していた。そこで繰り広げられる戦いに、誰もが口を開いて、息を忘れて、目を奪われていた。


「間違いない」


 見れば、分かる。剣さえ触った事ない素人だろうが、子供だろうが大人だろうが老人だろうが、永きを生きてきた『記録者』だろうが、見れば分かる。見ていない仁は非常にもったいない。これを見逃すなんて一生ものだ。


「間違いなく、人類史で最高の剣の勝負だ」


 自分達は今、神話と言っていい光景を目の当たりにしていると。そう呼べるだけの剣が、そこにはあると。


 ああだがしかし、やはり素人は素人。すごいとは分かっても、すごさの意味を知らない。


「冗談でしょう……?」


 駆け付けた梨崎と一緒に仁の治療に当たっていたマリーは、二人の剣を見た衝撃に打ちのめされていた。自分が理想とする動きの遥か上を行かれている。下手に技術があるせいで、差がはっきりと分かってしまう。


「あはぁ……馬鹿げてますぅ……」


 忌み子であるシオンに汚い毒を吐き続けていたイザベラですら、この戦いには素直に頭を下げるしかなかった。彼女を構成する中で最も大きい割合を占める憎しみが、僅かに残った騎士や剣士といった部分に今だけ逆転されていた。


「こんなのぉ……見惚れちゃいますよぉ……」


 斬撃を斬撃で防ぐ。魔法のほとんどが、魔法剣の補強と義足の操作に使われている。純粋な、剣術での勝負。刹那の中にある、無数の攻防を知るのは中心の二人のみ。


 刃と刃が重なり、音を立てて双方が止まる。文にすればこれだけで、光景を思い描くのも簡単だろう。だが、違う。刃の角度、力加減、振りかぶってから剣を降ろすまでの僅かな、知覚さえできないような小さな時間。これが0.1°、コンマ1ミリ、0.1秒でも狂えば、その瞬間に敗北が確定する。


 針に糸を通すような綱渡りは、シオンとサルビアが互いに選んだ最善だ。その最善に至るまでに、幾つもの想像と思考がある。現実で振るわれた剣は一振りなれど、脳内で振るわれた剣は数え切れない。


 修羅と修羅の子は、剣で語る。どれだけ守りたいか、どれだけ壊したいか。どれだけ憎いか、どれだけ殺したいか。どれだけ愛されたかったか。どれだけ殺したかったか。


 誰もが口も横槍も不可能な、剣の親子だけの語らいだった。積年の想いを全部乗せて、これから歩む未来への渇望を全部込めて、殺し合っていた。


 しかし、物事には終わりがあるのが常である。まだ話す事はあっただろう。ぶつけたい想いはこんなものじゃないだろう。だが、世界最高の剣舞は、どちらかの死によって終わる。


 たった一つ。たった一つ、この均衡を崩す何かが起これば、全てが決まる。そして、その時はついに。


「あ……」


 幾千の死がチラつく朱色と白銀の線の攻防の末、今まで世界を共に生き抜いてきた白銀の剣に、ガタが来た。否、サルビアがずっと狙って、ようやく叩き折ったとでも言うべきだろうか。今までの戦い全てよりも、今日一日でこの剣は疲れてしまっただろうから。


「––––」


 半分になった剣は、サルビアの剣に足りない。即座に虚空庫から剣を変える余裕も、魔法で伸ばす余裕もなかった。剣を振り被ったサルビアの声も、周りの世界も何もかも、搔き消える。


 辛い。嫌だ。死にたくない。助けてと、心が叫ぶ。もう会えないなんていやだ。もっと彼と一緒にいたい。もっと環菜さん達と笑いたい。やっと、やっと普通の生活を手に入れて、幸せになれたのに。やっと、日本語も覚え始めたのに。


 その一方で、もう片方の想いがあった。


 無駄死にだけは嫌だ。自分が死んでサルビアが生きて、守りたかった人達が死ぬのだけは、死んでも嫌だ。死んでも、諦めない。


 サルビアの障壁もシオンの障壁も、魔法なのは確認済み。だから、シオンはサルビアの剣に自らの身体を捧げるように、前に出た。折れた剣で、サルビアと相打ちになる為に。例え身体が真っ二つになろうと、慣性で切れるような剣を突き出して。


「ごめんね……仁」


 親子の影が交差し、サルビアの心臓付近から刃が飛び出る。そして、最後に少年へと謝ったシオンの身体に剣が振り下ろされ、


「えっ……」


 なかった。サルビアの剣先は天を向いたまま、動いていなかった。


「ははっ……ははははははは!」


 どうして。訳が分からない。そう思って倒れ行くサルビアを見たシオンは、首元で光る首輪に強い既視感を覚えた。すぐに雑念を振り払って、目を見るも、既に何も見ておらず。色はない。


「やはり、斬れんかったか」


 剣神に至った騎士はただ、それだけを言い残した。


「どうして……斬らなかったの……?」


 問いかけに答える意識も口も、もうない。そもそも問いかけを聞く耳もない。


「お父さん……!」


 取り残された娘は、答えがないと分かっていながら、それでも呼んだ。


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