第128話 剣神と動鎧
「どう?斬れ過ぎてまな板までみじん切りにしちゃう困った包丁さん」
戦場に凛と響く声は、仁とシオンにとって万の軍勢の鬨の声以上に頼もしく。身体を包んだ金の炎は暖かく、優しかった。だが、サルビアにとってその声は死神に等しき存在であり、炎は地獄の業火だ。
最強の片翼。大量の残機を保有し、障壁をすり抜ける刃と魔法を持ち、一度与えた傷を操作する能力を持つ、化け物。サルビアが剣の化け物であるならば、彼女は能力の化け物であろう。
「はははははは!これは驚いた!斬れない名刀なのに、脚をしっかり斬られてしまった!」
同格からの不意打ちには、さすがのサルビアも完全には対応出来なかった。どうやらイザベラと同じように対抗策として、例の魔法陣を用意していたようだが、両脚は間に合わなかった。
「……結構魔力増量したんだけど。自信無くすわ」
「これは寝たきりとなった部下達にいい手土産が出来そうだ。貴様を殺せば、系統外は解けるのだろう?」
「ええ、そうよ。あと二百回くらい瀕死にするか、それとも一回の即死でね。ああでも困らない?貴方の剣って鋭すぎて、斬られてからも生きてしまうのですもの」
両手脚を奪い去るつもりだったというのに、完璧な不意打ちだったというのに、反応されてしまった。サルビアは右脚を土の魔法で、左脚に魔法陣を埋め込み、義足を創って再び立ち上がる。胴を真っ二つにされた兵士が気付かず、三十分間生きていたという逸話を思い出しながらマリーは煽るも、内心では冷や汗が止まらなかった。
「安心しろ。即死させる剣もある。しかしまぁ、この三人を同時には、実に骨も剣も折れそうだ」
両脚を奪われ、義足の維持に魔法の枠は全て使用済み。敵は『限壊』の仁に、実の娘であるシオンに、化け物であるマリー。なのに、この男は一歩も退かない。不敵な態度を崩しはしない。顔に浮かぶ戦闘の愉悦は、消えない。
「主に貴様らの骨と剣だがな」
「っ!?」
目の前に剣が置いてあった。土の脚が地面を蹴って、まるで腕が伸びたかのような最速の突きが、仁の顔に迫る。以前のジルハード戦と似たような場面。しかし、鋭さは段違い。
『限壊』発動。首を咄嗟に捻り、剣の軌道から顔を逃がす。以前千切れた右耳の横をサルビアの剣はかすめ、その先で停止。刃を僅かに横に倒して、仁の首に切り込みを入れる剣に繋がる。
「させないっ!」
しかし、突きの一手がシオンに動く時間を与えた。父の剣を覚えていた少女は、ギリギリで仁の首と剣の間に銀剣を横から挟み込む。甲高い音が耳元で鳴り響く中、動きの止まったサルビアへと仁は剣を振り被る。
「ダメ!」
シオンの悲痛な叫びが鼓膜を破りそうだったが、一度動き出した身体はもう止まらなかった。サルビアの鉄剣と態勢はシオンが止めている。残りは一本の土剣のみ。仁はそれを好機と見て、シオンは釣りだと悟った。
「教え方が悪いな」
サルビアは既に剣を手放していた。タイミングを考えるに、シオンの剣に止められる前からだ。代わりに握られた剣はもう、仁の氷と鉄の剣が未来に辿る軌道の上に。
「いや、いいよ」
全力を持って二刀を振り下ろす。斬るではなく、力で叩っ斬るイメージ。鉄をやすやすと引き裂く剛力は、何の抵抗もなく見事に剣を叩き合って宙にくるくると刀身を舞わせた。
「あれ?」
「教えてやる。我が娘の時の同じようにな」
僕の出した戦場に見合わぬ素っ頓狂な声を、サルビアの声が上書きする。舞っているのは仁の剣の鉄と氷だ。サルビアの剣は、位置をピタリとも変えずそこに在った。
「剣とは、力より技術だ」
鉄を砕く剛力、強化の数倍の速さを、ただ置いただけの剣で斬る。こんな芸当、見た事も聞いた事もない。シオンでさえ息を呑み、マリーに至っては正気を疑っている。仁はもう、笑うしかなかったとも。
残る土の剣が振るわれる。仁は前に体重を深くかけており、『限壊』でももう戻れない。刻印を発動する時間もなければ、受ける剣もない。だから、マリーが予め用意しておいた炎の盾を発動させて間一髪で防ぎ、仁の腹部に鋭い痛みが走った。
「は?」
「まだ視野が狭い」
最初にサルビアが手放した剣の柄を、彼は蹴り上げたのだ。優しく、トンッと特に力も入れず、的確に刃が仁に刺さるタイミングに合わせて、脚を僅かに上げた。
視野が狭いと嘲られたが、どこのどいつが敵ではなく、落ちていく途中の剣を見るというのだ。どこの誰なら一体、剣を蹴り上げて相手に突き刺すなんて予測できるのだ。
仁は拙い予測を重ねた行動を取り、内側ならば攻撃。その外にあると判断した時には、『限壊』を発動して見てから回避するスタイルである。フェイントだろうと、引っかかってから取り戻す。
故に、全ての攻撃が予想外であり、通常の強化より僅かながらに速いサルビアは非常に相性が悪いと言えた。そもそもサルビアと相性が良い相手なんて、『魔神』か『魔女』しかいないのかもしれないが。
「ははっ」
痛い痛い痛い……痛くない。僕が引き受けたのだ。『限壊』の痛みに合わせて、貫かれた腹まで。邪魔のない思考で俺は、笑った。
これが高みか。剣の最高峰か。ああ、とてもじゃないが敵わない。
剣士として戦っては負ける。土俵を変えねば、勝利は無い。剣を見るな。剣で競うな。見るのも競うのも、結果だ。
僅か数回の応酬で、仁は敗北を悟る。そして、戦いの考えを変え始めた。戦いの中での成長というより、昔へ戻ると言った方が正しいか。下手に剣術を身につけた今ではなく、ただ生き残る為の素人だったあの頃に。
サルビアは先ほどから仁を狙っている。剣術も戦闘も拙く、素早いだけの男。前者は落としやすいという理由、後者は警戒に足る理由で、この判断は当たり前だと言っていい。『限壊』の速さを消してから、ゆっくりシオンとマリーの相手をすればいいのだ。
「ほう……貴様、剣士ではなかったか」
前に沈んだ姿勢。腹を貫かれて崩れた体勢。すぐには動けないと思っていた身体が、人間ではあり得ない挙動で跳ね上がる。『限壊』ではない。『限壊』はあくまで人間の動きを早くするものだ。ならば、これは。
「勝てればいいんだよ。勝てれば」
剣士とは剣で勝つ者。しかし、仁は剣はあくまで手段の一つであり、それだけに全てを捧げる訳ではない。
「後遺症が残ってもか。やれやれ」
人間の動きというのはどうしても、思い描いた理想とは僅かに違ってしまう。極限まで剣を鍛えたサルビアやシオンがようやく例外になれるが、仁にはまだ無理だ。
しかしながらシオンは以前、仁の身体を動かす才能だけはそこそこあると評していた。爪先までしっかり神経が通っていると。その時の言葉から着想を得た、刻印の新たな使用法。
「本当に、なりふり構わない人間というのは恐ろしいな」
仁の背中から剥がれ落ちた落ちた氷と血に、サルビアはため息を吐いて、シオンとマリーは息を飲んだ。理解したのだ。今の無茶苦茶な、前に沈んでいた身体が、まるで糸に操られた人形のようにいきなり反り返って剣を躱せた理由を。
「氷を纏って、無理矢理身体を動かしたの……!?」
意思では動かす事は出来なくとも、外部からの力ならば人間でない動きが出来る。もちろん、筋や筋肉や関節が悲鳴をあげて千切れて捻れて損傷するだろうが、それでも動ける。斬られて真っ二つになるよりはずっと、マシだ。
「『動鎧(どうがい)』って僕が名付けてた」
みんなも、ゲーム等をしていて思う事はないだろうか。いっそ思考を直結してやりたいだとか、今のは分かってたとか、ボタンを押したのにだとか。そのラグを限界まで減らし、理想の動きを無理矢理体現する。
それが、『動鎧』。その鎧は、動けないベットの上の思考で生まれた。その鎧は、仁を守る為ではない。動く為だ。人を守る為に、使用者の身体を壊して動かす鎧だ。
「面白い」
騎士の剣は止まらない。一撃目はシオン、二撃目はマリーの魔法がカバーに入って受け止め、仁はその間に氷で強引に腹と背中を止血。治癒は全力で『限壊』の代償の修復に当てており、その場しのぎだ。
三撃目からもまた、仁狙いの剣。それだけしか分からない。否、分からないと仮定する。この男に、自分の剣技の常識を当てはめるだけ無駄だ。故に、仁は『限壊』の視界で見続ける。いつ、自分の身体に彼の剣が触れるのか。
「ここっ!」
触れるや否や。身体を捻って剣の軌道から逃れる。『限壊』で間に合わない部分は、『動鎧』を足しての完全回避。剣で防御ではダメだ。この男は防御した剣を斬ってしまうから。
避けて、避けて、避け続ける。剣の軌道は防がない。どこをどのように斬るかだけをギリギリで見切り、体を動かして回避する。間に合わなければシオンがマリーのどちらかがカバーに入り、間に合えば二人が攻撃に移る。
「マリーさんっ!」
九撃目。ここでサルビアが初めてミスを犯したと言ってもいい。いや、正確に言えば、仁の戦法が上回ったか。
崩れた身体を狙った剣は、仁以外の人間なら正解だった。動けず、まな板の上の魚のように斬られるだけだった。だが、少年の身体はまたもや怪物じみた動きで跳ね上がる。
「ぐっう!」
筋肉が千切れる音がした。骨も折れた分からないが、嫌な感触があった。だが、避けれた。その隙に名前を呼ばれたマリーが、炎の球をサルビアへと投擲。直前で土の剣に阻まれたが、それでも崩れた。
「シオン!」
マリーが炎の球と一緒に投げた剣を受け取りながら、少女の名を叫ぶ。黒い小さな影が一瞬だけ前に出て、サルビアの顔の中心を狙う突き。
首を傾けた騎士の頬を、土剣が通過する。触った。顔に小さい穴が空いた。初めて届いた斬撃に、今度こそ希望が芽生えた。三対一でようやく、剣が届いた。
「……今のは、肝が冷えた」
しかし、決定打には至らず。騎士はシオンの土剣を叩き折って、一旦後退。刀身を引き抜いて血を吐きながらの上手く喋れなかった一言が、空気に溶けて消えていく。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
この僅かな空白の時間は、仁にとって暗く苦しい深海からの息継ぎのような時間だった。治癒を全開にして呼吸を整える。使ってみて分かったが、『動鎧』の負担が想像以上にキツイ。『限壊』と合わせて使うなら、あと三分も戦えないだろう。かと言って、使わなかったら死んでいた。
その間が、勝負。この人外のような戦法を取っているからこそ、サルビアは仁を潰すのに手間取っている。彼はシオンやマリーを狙う訳にもいかない。三対一のこの状況で、遠距離にいるマリーを即死させる事は、サルビアでもほぼ不可能。やってやれない事はないだろうが、その瞬間に仁とシオンがサルビアを斬る。
シオンを狙っても同じ事。彼女なら数回までサルビアと打ち合える。その間に『限壊』の仁が動けば、障壁無効のマリーの魔法が飛んで来れば、サルビアは高確率で戦闘不能に追い込まれるだろう。
仁を狙うしかない。狙ってシオンとマリーにはフォローを、仁には『限壊』と『動鎧』を使わせて消耗させて、隙を突いて戦闘不能に追い込まねばならない。
「ここまで苦戦したのは、初めてだ」
刃こぼれした剣を仁の方へと投げつつ、新しい剣を虚空庫から引き抜く。マリーの炎で欠けた土の剣を新たに作り直して、修羅は笑う。
「こっちのセリフ取らないでよ……なんでこんなに当たらないのかしら。後ろどころか全身に目でもついてるの?」
ああ、その通りだ。傷ついた僕さえ、最早冗談の境地に達したマリーの愚痴に同意する。まさか、三対一でも苦戦するなんて想定外だった。それだけ、この男が化け物だった。
シオンの剣とマリーの魔法を同時に受けてなお、対応しきる。『限壊』と『動鎧』の仁の動きに対応しながら。障壁の切り替えがまるで未来でも見ているかのように絶妙で、剣の軌道の見極めがまるで心でも読んでいるかのように的確だった。
圧倒的な経験によって磨かれた感覚はもう、未来予知に至っている。
「さぁ、続けようか。今日は最高だ。こんな、こんなに私と打ち合える相手と再び剣を交えているなど」
十秒足らずの休憩は終了し、再び戦いが始まる。剣の軌道が光となって目に残り、魔法が耳元を掠めて飛び交い、死が何度も幻視する。場所は開けた大通りであれど、マリーの魔法から逃れるように剣舞は幾度も舞台を駆け回る。
「ぐっ……」
絶え間なく振るわれる全ての剣が致死。まるで生きる事を許さないと、急所を抉りに来る。早く避けてしまいたいと思うが、下手に避ければ更に泥沼にハマってしまう。直前まで、死を引き付けろ。
簡単な事だ。あの日以来、いつだって仁は死と隣り合わせで生きてきたのだ。安息かと思ったシオンの家さえ魔物が押し入ってきて殺されかけ、やっと人の住む街に着いたと思ったら飛龍に騎士に裏切りがやぁとやってくる。
死との付き合いは短いが、非常に濃い。死に近いからこそ、仁は死から逃れる術には長けていた。死にそうになった時に焦っても良い事はなく、こういう時こそ落ち着くべきだと分かっていた。そして何より、仁はこういう時に落ち着ける理由を持っていた。
生きる事を許さないのは、サルビアの剣だけではない。自分の中の声達も、同じだ。つまり、慣れっこで友達みたいなものだ。だから、動じず、焦らず、急がず、サルビアでさえ軌道を変えられない場所で、無茶苦茶な回避を披露する。
「ぬっ……!厄介だな」
仁に避けられたその隙、マリーの炎が動き続けるサルビアの首を通り過ぎて、耳を焼いた。やはり障壁無効の炎はサルビアでも刺さる。
「ようやく慣れてきたのよ」
仁の『限壊』と『動鎧』、シオンの剣術とサルビアの人外さに慣れてきたマリーのファインプレーだ。シオンの剣などに当てて軌道をずらしてしまわないよう封印していた範囲の広い炎剣も、今では縦横無尽に戦場を飛び回っている。
仁の避け方ははっきり言って予測不可能だ。いきなり身体が曲がったり、前に進んでいたのに吹っ飛んだように後退したり。しかしながらたった一点だけ、読める場所がある。それは当然の事だが、サルビアの剣の軌道だ。そこに合わせれば、仁を巻き込む事はない。
シオンの剣術も凄まじい。しかし、今はなんとかマリーでも読める範囲にある。無論、剣の勝負なら負けるだろうが、今のように遠くからならば、十分に予測出来る。とは言っても何度かぶつけそうになり、その度に仁が『限壊』でフォローに回っているのだが。
そのお返しに、マリーは背後から治癒魔法を仁にかけ続けていた。いつもよりずっと自壊の激しい『限壊』と『動鎧』の同時発動ではあるが、それでも維持出来ているのは彼女の貢献が大きい。
「まだ発動は出来ないけど!」
仁とシオンの二人が、まさかここまでサルビアを抑え込めるとは思っていなかったのだ。最大範囲を不意打ちで使ってしまった事が、悔やまれる。中範囲は何度も放っているが、サルビアが足に埋め込んだ複数の魔法陣を発動され、相殺されてしまう。
そして、分かるのだ。恐らく仁とシオンは、次の最大範囲まで持たない。
「うぅ……!」
シオンの消耗が激しい。額の汗は玉のようで、唇は真っ青。頬からの血が何故か止まらずに流れ続け、時折空中に赤い線を引いている。
無理もない。トラウマの権化とも言える存在と、大切な人を交えた命のやり取りをしているのだ。シオンは仁ほど、死に近くはなかった。死を受け入れられなかったのだ。
戦いの前、仁はまるで後で死んでも構わないが、今は困ると言わんばかりの口振りだった。まるで目的の為に生きている。そんな感じだった。それに対してシオンは頷いたものの、内心では複雑だったのだ。
「死なせたく、ないのっ!」
サルビアの剣が仁を斬ろうとして、過去が蘇る。斬られるのは痛い。死にそうなのは怖い。それを今戦っている少年に味わって欲しくない。その思いが、剣を焦らせてしまう。怯えが剣を鈍らせてしまう。防御に回ってしまう。マリーでも気づかない、僅かな剣のブレを無理矢理力で埋めている。それが、消耗を激しくさせる所以。
「ごはっ……もっと……まだ……!」
仁の姿も、シオンの心を掻き乱している。旧『限壊』を使用していない為、以前のジルハード戦の終盤ほどではないが、既に仁の身体は血まみれだ。『限壊』の修復が間に合わない箇所が出てきており、そこを『動鎧』で動かしている。そんな状況。
そしてシオンは、ジルハードと戦った時の仁を見ていない。つまり、自分の刻んだ魔法がここまで少年を傷付けているなんて、知らなかったのだ。焦り、不安、恐怖、罪悪感。負の感情が、シオンの剣を重くしていた。
「まだダメだ!俺が、僕が倒れたら!」
ああだが、やはりシオンの消耗など彼に比べれば些細なものだろう。なにせまだ、シオンには傷一つ付いていないのだ。しかし、彼は違う。ただいま絶賛上映中の彼の惨憺たるその姿を見た者は、皆一様に息を呑み、口を抑えた。
「守らなきゃ守らなきゃ守らなきゃ!いけないんだよっ!」
俺と僕が混ざっている。僕では耐えられなかった痛みが溢れ出し、境界線が曖昧になっていく。血を撒き散らし、氷に覆われながら叫んで動き続ける、狂人のような少年。
身体は氷でひんやりしていて、千切れた箇所が熱くて痛くて冷やしたくて氷で埋めて、頭がグツグツ煮込み出す。長時間の『限壊』使用及び、『動鎧』を含む氷の刻印の代償。いくらマリーの回復支援があっても追いつかない。そして今回は痛みが倍増中につき、鍋を熱す火力も段違い。
「だってさ!僕らが倒れたら!」
常人ならまず、『限壊』も『動鎧』も痛みに耐えられない。一回だけなら使えるだろうが、次は無い。しかし、仁は痛みを分けて、耐える事で可能にした。
「俺が負けたら!」
だが、仮に痛みを分けた所で、この痛みに人が耐えられるだろうか。果たして、発動出来るだろうか。自らで自らの身体を捻じ曲げてまで、動けるだろうか。痛みの中に飛び込めるだろうか。確かに『動鎧』を発動しなければ死ぬような状況だが、別に仁は逃げても良かったのだ。
それでも尚、立ち向かう。何が仁を動かしているのか。心臓や脳や呼吸や神経なんて、ナンセンスな答えは誰も言いやしない。
「「守れねえだろうがああああああああああああああああ!」」
全て、全て、全て。その為に。たったそれだけの為に、彼の身体は動いている。
血が飛ぶ。まるで映画の戦闘シーンを見ているみたいに宙に舞っている。斬られた血よりずっと、自分で流した血が多い。自ら望んで付けた傷が、少年の強さだ。自らが流した血が、少年の力だ。
「ふっー!ふっー!」
激昂した動物のような荒い息。戦いは既に自分で定めた三分を超え、五分も超えた。限界なんてとっくにぶっ壊している。動かない身体は氷の鎧で勝手に動かしている。意識だけ、最早仁は意識だけだ。
跳ねる。剣が来る。避ける。痛い。耐える。捉える。避ける。シオンの剣。庇われる。サルビアが止まる。攻めろ!
思考が散らばっていく。文章ではなく、単語レベルに落ちて動く。身体を不自然なまでに仰け反って勢いをつけた剣はなんと、サルビアの剣の腹を叩き彼の手を痺れさせた。
「ぐっ!?」
さっきまで仁は守りに徹していた。思考が緩んで、ついついサルビアの隙に攻めてしまった。ぶっ壊れた仁の思考故に、サルビアは読めなかった。まさかこんな所で、攻めてくるとは思わなかったのだ。
「愚かな」
普段の仁ですら分かる。隙ではあったが、こんなに攻める隙じゃない。剣を握った事もない初心者なら攻めてもしょうがないような、そんな隙だったのだ。
「仁!?」
シオンの剣は間に合わない。サルビアの剣一振りを、二振りで止めているから。仁のミスに強引に割り込もうとした結果、止められないと無理矢理両手で止めたのだ。そしたらまさか、こんな所で彼がこんな愚行を犯すとは。
「ちょっと!?」
マリーの炎が慌てて向かうも、サルビアの方が早い。いくら腕が痺れていようが、目の前で大振り直後の隙を晒した阿保の首を狩るくらいは余裕で出来る。
「終わりだ」
「っ!?があっ!」
「なっ!?」
再度、驚愕。氷の左脚が先ほどとは一線を画した速度で蹴り上がり、サルビアの剣を受け止めた。余りにも綺麗な太刀筋と切れ味で剣は膝まで到達するも、骨で止まる。最高速に達する前、振り下ろし始めた直後故に、止められた。
「捕まえた」
血に濡れ、充血した双眸がサルビアを射抜く。氷の刻印を爆発的に発動させ、騎士の剣を足に縛り付ける。障壁は魔法だったのか、腕を潰すまでは行かなかった。だが、それでも閉じ込めた。
「ははははははははははははははは!良い!貴様は実に素晴らしい!」
サルビアは笑う。捕らわれているというのに、遊戯を楽しむ子どものように。シオンの剣とマリーの炎が迫っているというのに、そんな事が見えてもいない事のように。
「ここまで心が躍る戦いは初めてだ!剣同士でないのが残念だがなぁ!」
「噓っ!?」
マリーの声が響く。そして仁は悟る。捕まえたのではない。捕まえてしまって、逆に捕まったのだと。
サルビアの腕の筋肉が膨れ上がり、剣を仁ごと持ち上げる。そしてまるで剣を振るうかのような気軽さで振り回し、シオンの剣を仁で迎撃したのだ。
「殺った」
大切を斬らないよう、少女は慌てて剣を地面に落とす。仁は咄嗟に刻印を切り離し、シオンとの衝突を回避。後ろから迫るマリーの炎から逃れるように、もしくは完璧に崩れて剣を無くしたシオンを追い込むかのように、サルビアは前へと踏み出す。
「げはっ!?」
地面に投げ捨てられた仁は、硬いものにぶつかったせいか痛みを思い出して転げ回る。水をかけられて悶え苦しむ無様な芋虫のように、ゴロゴロと転がって、シオンを見た。
「シ……オン?」
シオンの持つ予備の剣は、白銀の剣ほどの業物ではない。あれだけが、サルビアの剣を何度受けても壊れない唯一にして最上の一振り。他の剣などどれも鈍の塵芥に等しく、全てが騎士の一閃の元に散りゆく。
「マリー!」
「分かってるわよ!」
だが、三本を壊して受け止めた三回で、マリーが近接に参戦。何度斬られてもすぐに残機を使用して再生し、最高の状態でシオンと挑むが、届かず。
仁がいたからこそ、本気のサルビアを止められていたのだ。あの無茶苦茶な挙動の『動鎧』と『限壊』、そして二人のフォローでようやく、サルビア相手の壁役を務める事が出来たのだ。
鈍で、いつもより精彩を欠くシオンではダメだ。何度生き返っても、最大範囲や魔法の使用時間を使い切ってしまったマリーでも厳しい。
「あ、ああ……」
分かる。分かる。血に濡れた素人の視界でも分かる。徐々に劣勢に追い込まれている。行かなきゃ。行かなきゃと思うけれども、身体はもう限界なんて越しているのだ。
「俺が…………」
「僕が……守らなきゃ」
身体を引き摺る。ずるずると惨めに、血の電車道を残して死にかけの虫のように。駆け寄ってきた司令とロロなんて見えてもいないように、最後の戦場へと向かう。
「あ……?」
ふと、戦場の奥が目に付いた。いつの間にやら、大勢の人がこの大通りに集まってきていて、仁達を見守っていたのだ。戦いに集中していた仁達が気付かないほど、いや、邪魔にならないよう静かに、手を合わせて祈っていた。
仁達の勝利を。平和を。
後ろを見ても、同じ。仁の前を遮らないように、たくさんの人が駆けつけて来た。
大丈夫かという声を聞いたような気がする。立てるかと言われて首を縦に無理に振ったと思う。曖昧な意識だったが、何かが溢れていた。
「約束、したんだ……」
もう無理だ。今すぐ治療をという声に抗ったはずだ。ダメだという声に睨んだんだ。
「何があっても」
「守るって……」
ずっと意識は戦いに向いていた。少しずつ追い詰められて、血を流して傷ついていく二人を見ていた。
そして、見た。シオンの剣が弾かれて出来た完璧な隙。マリーは身体を半分に分かたれて再生中で、手が届かない。魔法の使用時間もまだ回復しきっていない。
剣が、天に向かっている。振り下ろされるのは、シオンだ。怯えた表情。嫌だと口が動いていた。シオンの口も、仁の口も。彼女は最期を悟ったのか、サルビアの剣ではなく仁を見て、泣いていて。
「約束、したんだよ」
一秒だってない。次に瞬きしたら、彼女は死んでいる。それが運命だ。この距離で、仁はそれを見るしかない。
「守るって」
四重刻印、発動。種は、身体強化。つまり、『四重限壊』。
だが、仁は運命に抗った。




