表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
幻想現実世界の勇者  作者: ペサ
幻想現実世界の勇者
16/266

第14話 黒髪と少女


 押し寄せる小鬼と豚鬼から、生徒を守りながら戦っている視界。


 これは夢だ。だって、彼らはもう死んでいる。


「また夢の中にいるのか」


 仁の大切だった人達が、オークとゴブリンに襲われる夢。いつも仲間の骸に囲まれて終わる悪夢。だが今日の夢はいつもとは違った。結末も、その過程も。


「えっ。なんだ、これ?」


 どれだけ槍を振おうと、魔物の皮一枚しか切り裂けない。どれだけ引き金を引いても、カチャン、カチャンと音が鳴るだけで弾は出ない。何度確認しても弾は五発入っているというのに,


「こんなところ知らない。なんでこんな崖で!?」


 訳も分からない仁を置き去りにしながら、学校だったはずの舞台はぐにゃりと歪み、崖と滝にその姿を変える。


「に、逃げる場所が、ない?」


 立っていた階段はいつの間にか崖っぷちに。下がろうにもこれ以上下がれず。かと言って、どれだけ前に逃げようとしても崖下が追いかけてくる。


「あれ、おまえら、いつ死んだ?」


 守るはずだったみんなは、仁が一人で生き延びようとした途端に死体に変わっていた。血を流し、千切れた肉を揺らし、空いた穴の向こう側が見える身体で、仁を殺そうとする死体に。


「やめろ……やめろ!殺さないでくれ!」


 だから、仁は彼らにも銃を向けた。自らの身を守るそのために、仲間の死体を撃とうとした。仕方がないだろう。仁にとって、自分の命以上に大切なものはないのだから。


「弾は入ってる。引き金も引いてる。撃ち方だってきっと正しいはずだ!それなのに、なんで弾が出ないんだよ!」


 しかし、弾は出ない。支離滅裂で整合性もないような夢の中で、まるであの時をなぞるが如く。


「今度は、なんだよ……?」


 銃を確認している目の前で、死者と魔物が混ざり合い始め、大きな影を形作る。腐った皮膚とぐちゃぐちゃになった死体が重なり、絡まり、不恰好な人の形になっていく。最後に赤い蛇が全身に巻きついて、真っ赤な炎で炙られて、完成。


「オーガ?」


 赤い皮膚に全身を覆う筋肉の鎧。あちこちから手や足が突き出ていて、身体中に死んだ人の顔が浮かんでいる。ツノは、繋がれた手と手だった。


 友の死体で作られた、巨大な化け物。


 オーガに似た歪な化け物は、仁へ手を伸ばしてきた。生きる者を、自分達の身体へと引き込もうとするように。まるでおまえもこちらへ来いと言うように。


「いやだ!死にたくない!死にたくない!」


 仲間の死体で作られた怪物に怒るより、哀れむより、嫌悪するより、仁は自らの身を案じていた。助かろうともがいていた。


「俺は、まだ生きたいんだ!」


 苦し紛れに突き出した槍は、巨屍鬼の大腕に呆気なく振り払われる。弾は入っているのに、銃口から銃弾が出ることはない。仁ではこの化け物を殺せない。仁は死から逃れられない。


「あっ……ああああああああああああああああ!?いだいいだいいだいいだい!?」


 泣き叫ぶ少年を化け物が捕まえ、一番大きな口へと放り込んだ。剣と錯覚するほど鋭い歯が仁を貫き、臼という名に相応しい臼歯が身体をごりごりと磨り潰していく。夢だということも忘れ、痛み、泣き喚き、そして血に沈み。


「嫌だ……終わるのは、嫌だ……」


 俺が、終わる。それが仁自身が考えた、自分への最も辛い罰であった。







「大丈夫?」


 夢の世界に紛れ込んだ声に、現実へ引き戻された。柔らかい布団の上に寝転んでいる感触。木が互いに支え合っている天井が目に飛び込んでくる。


「あ……う?」


 夢の続きではない光景。リアルな感触。だとすればここはあの世なのだろうか。


「俺は崖から落ちて?そのあとは?」


 自らの脳の中から、か細い最後の記憶を手繰り寄せる。崖から落ちて意識が暗闇へと落ちた時、仁は確かに死んだと思った。あの高さで地面に落ちたなら、ほぼ助からないはずだ。もし助かったとしても、肋骨を骨折していてまともに動けるわけがない。良くて餓死、悪くて魔物の餌になるはずだった。


 なのになぜ、生きている?


「聞こえてる?耳も怪我したのかな……えいっ」


 何度も呼びかけられ、目の前で手を振られてようやく気付いた。自分に向けられた女性の声だ。久しぶりに聴くわ自分以外の肉声だ。


「そんな、まさか」


 現実か疑うようにゆっくりと、視線を声の方向へと移動させていく。


「日本人?」


 ようやく視界に入った彼女を見て、仁の心臓は胸骨を突き破るほど飛び跳ねた。一目惚れなどではない。驚きによってだ。


「あら、耳も口も大丈夫みたい。よかった」


「黒髪」


 清潔感のある服にさらさらとかかる()。滑らかとまではいかないが、仁の髪に比べれば遥かに綺麗な髪質だろう。


「黒い目」


「あなたもでしょ」


 黒曜石を埋め込んだかのような黒い瞳が、仁の顔を見つめていた。仁はなぜか気恥ずかしくなり、すぐに目を逸らしたが。


 黒髪黒眼も驚くべきことだが、何より目を引くのは彼女の頰の大きな切り傷だろう。いや、その一点だけに止まらない。よく見れば彼女の肌という肌は、古傷だらけだ。しかし、別に彼女の外見的な魅力を損なう事はない。


「君は……」


 美しいというよりは可愛いと言った言葉が似合う年齢と、顔立ちの少女だった。四ヶ月近くもの間、死人の顔しか見ていない男の基準ではあるが、きっと整った顔立ちをしている。


「生き残り?」


 しばらくまともに生きた人間を見ていないが、これだけはわかる。彼女は間違いなく、懐かしい日本人の顔だ。外国の人々とは違う薄い顔。まさかまだ生き残っている日本人がいて、家まで持っているとは想定外だった。元いた住民を追い出したのか、はたまた殺して奪ったのか。もしくは住ませてもらっているのか。想像するしかない。


「どうやって、ここまで」


 この子も、仁と同じように戦ってきたのだろうか。顔だけではなく足や首に残る傷跡と、服から垣間見えるしなやかな筋肉が、彼女の苦労を物語っている。


「……どうかしたの?」


「いや、ごめん」


「別に、謝らなくてもいいんだけど」


 傷跡を見ていた仁を、少女は怪訝な表情で尋ねる。仁はその言葉に、久しぶりの人との接触に動揺したのか謝ってしまった。


「君が助けてくれたのか?」


 とりあえず会話をと、仁が切り出したのは目の前の少女の立ち位置の確認だった。


「助けたと言えばそうなるのかな?川から引っ張り上げたの私だし」


「いや、溺れてたかもしれないから。そこは助けたでいいと思う。ありがとう」


 その答えは予想通り、恩人と言うものだった。ならば礼をするのが道理だろうと、軋む体を起こして頭を下げる。


「ど、ど、どういたしまして……」


 下げた頭に返ってきた彼女の返事がやたら動揺しており、そこが妙に引っかかった。少しだけ、仁の中の少女に対する警戒のレベルが上がる。


「あの後、俺は川に落ちたのか」


 表面上は会話を続けながらも、仁は裏で気づかれないように武器になりそうなものを探しておく。どうにも、何かが怪しいのだ。


「できたら、その時のことを教えてくれないか?君の知る範囲でいいから」


 相手の一挙一動を監視しながら、助けられた時の状況を尋ねる。恩人に対してこの態度はどうかとは思うが、油断はできない。ここはそういう世界だ。


「えーと、川で魚を取ろうとしたら、滝からあなたが落ちてきたの。オーガの鳴き声が聞こえたけど、戦ってた?」


 彼女の述べた理由は食料の確保。聞くだけなら頷けない事もないが、おかしな点が一つある。


(僕、前みたいに俺が気絶している間、人格交代してたか?)


(僕も今起きたばかりで彼女の言葉の真偽はわからないよ。うーむ、まさか女の子に会えるなんて!しかも僕、結構タイプだ)


(分かった。なら注意すべきだな。あとお前はもう少し場を弁え、時を考えろ)


 俺の人格の問いに、僕は首を横に振る。その姿は仁の作り出した幻覚で少女には見えないし、声も聞こえない。


「ああ、ぼろ負けだったけどな。そうか。よく生きてたな俺」


 無傷のオーガ。謎の石つぶて。残弾ゼロ。落下。そして、自身の狂気。今まで何度も死にかけてきたが、今日が一番死に近かった。あの高さから落ちて助かったのは、本当に運が良かったとしか言いようがない。


(それよりどう思う?)


(やっぱりおかしいかな)


 少女の言葉から文面以上の情報を多く引き出し、僕とすり合わしていく。何か不自然な点はないか?彼女の性格は?矛盾はないか?


 そして一つ、該当する疑問点があった。


(オーガが近くにいるかもしれないのに、僕達を助けるとかね)


 鳴き声を聞いたと、少女は言っていた。つまりこの少女は、オーガと遭遇するかもしれない危険性の中、仁を助けたことになる。


 打算か、極度のお人好しか。どちらにしろ、銃などの武器を持たない日本人が、人を守りながらオーガと戦うなど自殺行為だ。


(いや、銃や武器があっても自殺行為か)


(戦車か戦闘機か。最低でも爆弾とかロケットランチャー持ってこないと)


 仁より小さい少女が戦車や戦闘機に乗れる訳もないだろう。そして、見知らぬ誰かまで救うお人好しの日本人なら、この世界では生きていけない。


(やっぱり打算か?)


 誰も見捨てずに生きれるほど、この世界は甘くないのだから。


(俺にオーガと遭遇する危険を冒してまで、助ける価値があるとは思えないが)


 いよいよこれは油断できない事態になってきた。仁に価値があるとすれば、いつかのように食用くらいしか思い浮かばない。


(早めに出ていくべきだと思うよ。礼をきちんと言ってからね)


(俺も同意見だ。利用される前に出ていく)

 

 となると仁の思考は、厄介事に巻き込まれる前に逃げる方向へと向かう。もちろん、命を助けられた事自体は事実であり、そのお礼だけはなんとかしたかった。


(礼といっても、何もできないのが悪いけど)


 しかし彼の持ち物はほとんど崖の上で、あげれる物など手元にはない。もし鞄が手元にあったとしても、この年頃の少女が喜びそうな物など一つも入っていなかったが。


「大丈夫?頭痛いの?」


「い、いやちょっと考え事で。ごめんごめん」


 現実世界でずっと黙ったままの仁を心配する少女の一言に、俺は少しだけ罪悪感を感じつつ問題はないとアピール。


「本当に?さっきから怖い顔してるけど。頭とか放っておくと酷いことになっちゃうから」


 少し震えた仁の声に、少女は表面上全く見当違いな疑いをかける。しかし、油断はできない。探りを入れられていることに変わりはないのだ。


「う、産まれた時からこの顔なんだけど」


「そう?その、悪気はなかったの。ごめんなさい」


 悩んだ俺が選んだのはよく使い古した言い回し。しかし少女は純真無垢な心でそれを受け取り、頓珍漢な謝罪で返答した。


「……ん?」


 互いに知りたいこと探りたいことは多々あれど、いまいち会話の切り口が掴めずに両者共に沈黙。そんな重い静寂を、突然のノックが破り捨てた。


(俺君、この音って)


(ああ、これは)


 だがその音はノックにしては荒々しく、まるでドアを何かで殴りつけているような響きだった。香花と再会したあの日に聞いた音だった。


「また来たのかな?ちょっと待ってて。軽くお出迎えするわ」


 丸腰の少女はそう言い残すと、来客をお出迎えするためにドアへと向かう。しかし仁の予想が正しければ、このノックは客などではなく、


「開けない方がいい。魔物、人間じゃないかもしれないぞ!」


 あのドアの叩き方は異常だ。人間がするような叩き方ではない。この少女はそんなこともわからないのだろうか。


 仁はドアへと向かう小さな背中を追いかけようと、普通(・・)に身体を起こしてから、ある違和感に気が付いた。


「痛く、ない?なんで?」


「間違いなく骨折くらいはしてたよね?」


 折れていたはずの肋骨が治りかけている。僅かに痛むが、動きを妨げる程ではない。自分では制御できない灼熱の炎が、ずっと胸の中にあったような痛みだったのに。


「それが……ない」


 寝て起きたら骨が元通りになっていた事実に、動きが止まった。そしてわ仁が止まってしまったその一瞬で、少女はドアを開け放つ。


「やっぱりかよ!危ないから下がっててくれ!」


 ドアの枠から覗くのは棍棒や錆びた剣、クロスボウなどの武器を装備したゴブリンの群れ。数はざっと数えて11匹ほど。


「使えるのは、椅子くらいか」


「槍は崖上だもんね。ははっ、どうしよ」


 丸腰の少女を守りながら、椅子だけが武器の仁がこの数のゴブリンを倒す。


「……無理だろ」


「あ、君、待って!」


 ある意味無意味な戦力分析の最中、制止の声も無茶に思える敵数も、そんなもの関係ないと少女は飛び出した。


「丸腰の人間二人で戦える相手じゃない!」


 怪我のことは後回しにして、今はこの状況を切り抜けることに専念する。木製の椅子を担ぎ、少女の後を追って外に出ようとして、かくんと転びかけた。


「あれ?脚が?」


 何かに躓いたわけではない。怪我をしているわけでもない。なぜか、脚が全く動かなかったのだ。


「脚は痛めてないはず……」


 まるで自分の脚ではないかのように、糸で縫いつけられたかのように、足裏にノリがべったりと塗られていたかのようかに、固まって地面に張り付いた脚。仁がもたもたしている間に、少女はドアの向こう側へ踏み出していく。


「う、ご、け、よ……!」


 言うことを聞かず、進もうともしない脚を何度も叩く。それでも、意思に反して身体は全く進もうともしない。どうしようもなくて、仁はもう一度少女を呼び止めようと前を向き、


 奇跡を見た。


「丸腰?なに言ってるの?」


 黒髪の少女がかざした手が、虚空へと消えた(・・・)。空間にぽっかりと暗い穴が開き、そこに少女が手を入れた。文にすればこれだけのことだが、仁はこのことをすぐに理解できなかった。


「なんだ、あれ」


 呆然とした彼を置き去りにしたまま時は過ぎ、すぐに少女は手を暗闇から引き抜く。傷だらけのその手に、白銀に輝く片手剣を握って。


「魔法?」


 少女の身体が沈んだと思った刹那、近くのゴブリンの首が二つ、宙を舞った。仁にかろうじてわかったのは、少女が剣を振るったということだけ。剣の軌道は、銀の光が横切ったようにしか見えなかった。


 少女の動きはそこで終わらない。振り終えた姿勢からそのまま、次の動作へと流れるように繋いでいく。


 ぞわり。


 背筋が撫でられたかのように感じて、腕を見る。感じた通り、そこにあった鳥肌を見て、彼女を見て、俺は絶句し、僕は思わず主導権を奪い、


「綺麗だ」


 綺麗だ。


 賞賛の声を上げた。しかしその声はきっと、彼女の耳に届いてはいないだろう。


 仁は剣の振り方など何も知らない。上手い下手など分かるわけもない。ただ、少女が舞う銀の剣舞を、仁はとても綺麗だと思った。担いでいた椅子も落とすほど、いつの間にか惹きこまれ、少女の剣に見惚れていた。


 美しき銀の線が一筋空に走るたびに、ゴブリンの首が軽々と宙を飛ぶ。他の部位に興味は無いとばかりに線は剣と首だけを的確に、何度も何度も繋き続けた。


 11匹いたはずのゴブリンの数は、文字通り瞬く間に数を減らしてゼロに。彼女の剣舞も、そこで終わった。


「はぁ……すげぇ」


 剣技の終わりの悲しさと凄さに、語彙力の乏しい賞賛とため息が零れ落ちた。


「心配してくれたの?でも大丈夫。13匹くらい、余裕だわ。また懲りずに来るかもだけど、何匹きてもへっちゃら。オーガならともかく、ゴブリン相手に遅れ取らないわよ」


 少女は血に濡れた剣を持ちながらも、身体には返り血一つ浴びていなかった。彼女に見惚れていた仁が、話しかけられたことに気づいたのは三秒後、内容まで届いたのは更に三秒後だった。


「13?11匹じゃなかったか?」


 ようやく言葉の意味を理解した仁が地面にころりと落ちている首11と、彼女の言葉の中の数字13を比較する。何回数えても転がる首の数は11だ。13匹ではない。


「気付いてなかったの?そこの茂みに2匹、隠れてたわ」


 ほらねと少女が指差す茂みへと近づくと、空気の温度が一変していた。


(凍ってるね……カチンコチンだよこれ)


 僕がツンツンと突いたのは、本物のゴブリンの氷像。クロスボウを構えた姿勢のまま、凍てつき、絶命している。


「やっぱり、これは」


 このゴブリンの死体は、仁の中の常識とは大きくかけ離れていた。何をどうすれば、数十秒に満たない時間でゴブリンを丸ごと凍らせられるのだろうか。


 それは、仁の思いつく限りたった一つしかない。


「教えてくれ。君は、魔法が使えるのか?」


 だから仁は少女に尋ねた。答えのわかりきった問いであっても、聞かずにはいられなかった。


「変な質問ね」


 魔法。世界が変わった日に見た、あれと同じ現象だとすれば。仁の今までの違和感や疑問が全て解ける。


 この少女がオーガと遭遇する危険性の中、滝から落ちてきた人間を救うことも、仁の骨折をすぐに治すことも、剣を暗闇の穴から出すことも、離れた位置にいるゴブリンを凍らせることも。


「そんなの当たり前じゃない。みんな魔法くらい使えるわよ?」


 そして何より、この過酷な世界で人類が、弱々しい日本人が、生き残ることだってできるかもしれないことも。


「ははっ!そうか……みんな使えるのか。それなら納得だよ!」


 仁の身の回りに科学があったように、この世界には魔法が身の回りにあったのだ。


 これは、差し込んだ一筋の希望でもあった。少女と同じように魔法が使えるようになれば、この世界で生き続けることができるかもしれない。


(計画変更だね)


(ああ、もちろん。教えを請うぞ)


 心の中で僕が呟き、俺はそれに満面の笑みで答える。礼だけ言ってすぐにここを出ていくより、利用されるリスクを背負ってでも、少女に魔法を教わった方がいい。


 そのためには、好意的に振る舞うべきだ。何気ない普通の少年の仮面を被り、優しい声で信頼を勝ち取るべきだ。


 なぁに、簡単なことだろう。人を信じるのが普通だった、あの頃に少しだけ戻ればいいだけなのだから。


「さっきも今も、助けてくれてありがとう。俺は桜義 仁。君の名前は?」


 手を差し出し、握手を求める。そんな友好を示す動作をまるで初めてされたかのように、少女は黒い眼を白黒させて。


「仁……って変な人ね。私にお礼を言ったり、心配したり。あ、私の名前はシオン。この手、本に書いてある通り握ればいいの?」


「シオンも変だぞ。それで合ってる」


 シオンと名乗った少女はおずおずと、手をゆっくり近づけてぎこちなく、優しく握り締める。


(……暖かいな)


 少女の手は凧だらけで硬かったが、とても暖かった。何ヶ月かぶりに感じる、人の手の暖かさ。彼女の前に握った手は誰の者だったろうか。生者だったろうか、死者だったろうか。


 仁にはもう、分からない。いずれにしろ、彼は変わってしまったのだから。弱さを殺し、狡猾さを身につけた。自分の命のためなら何だって利用するだろう。それがたとえ、命の恩人であっても。


(シオンという子、とても苦労してきたみたいだね)


(同情はするけど、利用されるくらいなら利用し返すまでだ)


 僕との作戦会議を終えた少年は、顔に笑みを貼り付けて、


「よろしくな。シオン」


「えーと、その、よろしく……仁」


 「初めまして。そしてよろしく」とこれからの挨拶を交わした。


 全てを失い歪んだ少年と、何も持っていない黒髪の少女はこうして出会った。物語のプロローグはようやく終わり、動き出す。







「それとなんだけどね、仁。少しすご……個性的……独特……いい臭いがするから、落としたほうがいいよ。あ、近づかないでもらえると嬉しいかな」


「……はい」


 少女が途切れ途切れに優しく告げた残酷な言葉が、仁の心に突き刺さった。いくら弱さを殺し、狡猾さを身につけても、初対面の女の子に臭うと言われて何も感じないわけがない。


(少し凹んだね……オブラートに包まれて言われたのが余計に)


 取り入るための出会いの締めがこれで良かったのか。とりあえずは匂いをなんとかしようと、仁はそう思った。


『シオン』


 森の家に一人で住まう、美しく綺麗な黒髪黒眼の小柄な少女。頰の傷を始めとして、身体の至るところに古傷がある。


 オーガが近くにいる状況で仁を拾ったり、10匹以上のゴブリンを即座に制圧するなど、戦闘力は非常に高いと思われる。その上、骨折などの重傷も、異常な速度で治す治癒の魔法も使えるようだ。


 会話に慣れていないようなフシがあり、言葉一つ一つを噛みしめるように聞いたり、慌てたり、合ってるかと確認を取ってくる。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ