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幻想現実世界の勇者  作者: ペサ
幻想現実世界の勇者
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第124話 同じ日に始まった狂気


「桃田?」


「油断したな……!イザベラ・リリィ」


 建物の陰から距離は遠く、実に素晴らしい射撃の精密さだ。これが本当にイザベラに撃ち込まれた弾丸であったのなら、勲章ものだろう。


「なんで、撃った!」


 訳が分からず、誰も動かない。トーカが軍と思って武器を下げれば、軍人に撃たれて蹲った。堅は怒りに身を震わせすぎて、ギャラリーも環菜もトーカも何も眼に入っていない。ただ銃を持っている桃田へと無防備に歩いて行き、疑問を叩きつけている。


「見て分からない?あの女は騎士なんだよ。イザベラ・リリィと言う名前で、人に化けれて、楓を殺した」


「楓、が?」


 涙の跡か未だ残る桃田は、自らの殺人の正当性を解く。楓が死んだ事に衝撃を受けて、堅の頭が真っ白になりかける。そして、分かる。大切な人を殺された。だから殺意を抱いて、引き金を引いた。その気持ちは痛い程分かる。


「違う!彼女はトーカだ!俺らの為に戦ってい……危ない!」


「なんで、なんで、ここにトーカがいるのかは分かりません」


 だが、違う。トーカは楓を殺していないし、イザベラ・リリィでもない。そう叫んで訂正しようとした途中、桃田の背後に現れた影に慌てて声を上げて、銃を向ける。


「ですが、許しませんわ」


 永久凍土のような声だった。まだ離れている堅にももっと遠くの環菜でも、背筋が凍り付いた。


「死んで詫びろ」


 いつものねっとりとした口調とは打って変わった、刃の如き鋭さを秘めた言葉。振るわれた剣は桃田の首を撥ねようと横に払われ、


「これ以上、殺させはしない」


「いつもいつもいつもいつもいつもいつもぉ!鬱陶しい!」


「あら褒め言葉?」


 再び、マリーによって防がれる。毎度毎度、誰かを殺そうとする度に割って入られる邪魔者『勇者』にイザベラが怨恨の眼を向けるが、彼女は微笑むだけ。


 イザベラの剣の方が、マリーよりも上である。故に、剣で割り込む事は叶わず、桃田を確実に守り抜く為に、『勇者』はその身体を献上した。


「……なんで、守った?」


 もちろん、すぐに再生する。しかし、それは貴重な命のストックを消費し、大して戦力にもならない桃田を救うという、非常に合理性に欠ける行いである。


「私は人を守る為の物。人の殺害を邪魔する者よ。貴女の意思なんて知らないわ」


 故に分からないと述べた桃田に、そんなこと知るかと言い捨てつつ炎の壁を展開し、距離を取る。イザベラの魔法陣を警戒し、障壁で桃田を庇うように立つ。


「後を追って死のうなんてしないで。仇を討って、彼女が本当にそれを望んでいるかどうかを考えてから、死ぬかどうか考えなさい」


「……何が分か」


「分かる分からないの問題じゃないでしょう」


 自らの背中で自暴自棄になっている彼に生きるよう呼びかけ、使い古された反論を強引に叩き切って捨てる。


 桃田だって、分かっているとも。マリーが正論で、自分は恐らく人違いで味方を撃ち殺してしまったと。楓が死んで間違いが重なって、もうここで死んでもいいと心の弱い部分が思ってしまった事も。


「………すまない。俺の最大効率の死は、さっきじゃなかった」


「その言葉、あんまり好きじゃないけど、生きててくれるなら助かるわ。という訳で、貴女は悔しいだろうけれど戦線を離脱しなさいな」


 無意味に死んで終わるより、意味あって生きて死ぬべきだと心を入れ替える。桃田は少しでも役に立とうともう一度銃を構えるが、その手はマリーに抑えられてしまう。


「っ!?それは」


「ちゃんと意味がある離脱。貴方が役に立つ戦場、仇討ちに繋がる戦いよ。だからこれを」


「もう少し、適当にのらりくらりと殺し歩きするつもりでしたがぁ、気が変わりましたわぁ」


 桃田が反論すると同時、イザベラがマリーに斬りかかる。すぐさまスクロールを虚空庫から引っ張り出して後ろへと落とし、技術で劣る殺意無き剣で防ぐ。


「早くっ!」


 魔法は撃たない。撃てば、打ち消しの為に魔法陣を使われて、後ろの桃田を守れないから。だから叫んで頼む。桃田が近くにいては、思う存分戦えないと。


「ありがとう」


 良かれと思って裏目に出て、手助けどころか足手まとい。その事実を唇を噛み千切って認めて、恋人の仇に背を向けて走る。去り際に残したのは謝罪ではなく、仇討ちに繋がる戦いを約束してくれ、自分を守ってくれたマリーへの感謝。


「愛する人を奪った仇からぁ、無様に逃げるんですかぁ!?ぷぷっ!なっさけない男ですねぇ!楓も死に別れて幸せだったでしょう!」


「……そろそろその汚い口を閉じなさいな」


 イザベラは離れていく背中を盛大に最低に陵辱し、嘲笑う。その余所見の隙、危うく口の中に突っ込まれそうになった剣に、彼女は危ない危ないと頭を振って、意識を『勇者』へと戻した。


「守れなくて、ごめんなさい」


「腹が立ちますわぁ。守れもしない手も届かない場所まで責任を感じるその態度ぉ、神様にでもなったつもりですかぁ?」


 嘲笑われた彼の背中に、マリーは謝罪を。その言葉の傲慢さにイザベラのこめかみが引きつって、剣と口で同時に攻撃を加える。


「手が届かなくても、守れなかったには違いはない。それに、私は守ってあげられなかった彼に酷い仕打ちをしたわ」


 恋人の仇から逃げろと諭した。どれだけの想いを呑み込んで、彼は走っているのか。悲しみ憎しみ殺意激情怒りに他多数。他人に過ぎないマリーの想像ですら、感情が溢れているのは容易に理解出来る。


「吐き気がしますぅ。守ってあげる?どこまでもどこまでもどこまでもぉ!上から目線でうざったいんですよぉ!悲劇の主人公気取りですかぁ?」


 だが、それもまた傲慢に聞こえるセリフ。イザベラの剣は加速し、マリーの身体に傷が増え始める。


 だが、無意味だ。マリーの命のストックはまだ200を優に越している。剣技はイザベラが上とは言え、マリーには障壁無効の系統外があるのだ。脅威である魔法陣も、威力と乱発をしない事から弾数はかなり限られていると推測出来る。


「良くやるわね。両脚がない癖に」


「あははははははは!奪った貴女に気遣われるなんてぇ、思ってもみませんでしたぁ!」


 その上、イザベラは以前の戦いで両脚をマリーに奪われている。魔法陣も合わせて使い、魔法で義足を動かして系統外で隠しているのだろうが、大幅な戦力低下までは隠せない。何せ動いている間、イザベラは魔法が使用出来ないのだ。


 動いている瞬間に、回復した全開の最大範囲を叩き込めば、勝てる。例えその勝ち方でなくとも、長引けば長引く程イザベラの魔力は尽きる。戦場に100%はないが、それでもマリーの勝利の断言に限り無く近い戦力差。


「無駄な戦いはもうやめない?私の勝ちは揺らがないし、何よりこの犠牲も戦いも全てが無駄」


 勝つのはマリーで、そもそもの戦いに意味は無し。故に、一縷の望みに賭けて投降を呼びかける。


「無駄ぁ?生きて害悪、死んで利益の黒い虫達を殺す事がですかぁ?片腹どころか全腹が痛いですよぉ?」


「いい?覚悟して聞きなさい……『魔女』は敵じゃない。『魔神』は伝説とほぼ同じだけど、違う箇所が幾つかある。例えば、忌み子じゃない人間にも乗り移れるとか」


「……」


 勝てないからという理由で、彼女が降参するとはこれっぽっちも思っていない。しかし、この戦いそのものに意味が無いとしたら、どうなる?


「分かる?私達のしてきた事は全てが無駄。ただの虐殺だった。情報源はあの『記録者』よ」


「……本当、なの、ですかぁ?」


 手は止まって、剣は地に落ちて、声は震える。自分の時と同じだ。守る為に斬って捨てた物も守るべき者だったと知って、虚無に堕ちるあの感覚。今まで生きてきた人生全てが否定された瞬間の、絶望。


 何たる皮肉である事か。誰かを守る為にと進んで血を被った者達が、一番の悪性腫瘍であったなど。


「ええ。本当。だから私はこれ以上、貴女にこの街の人々を殺されるわけにはいかないし、貴女達騎士に罪を重ねさせるわけにはいかない」


「…………そう、ですかぁ」


 項垂れ、力を失い、動きを止めて、


「わぁい!ですわぁ!」


 いつの間にか、マリーがいた方角を数十mに渡って消し飛ばされていた。


「えっ……?」


 声が震えたのは、今度はマリーの方だった。もう戦う気も無くなったように見えた。涙だって流れていたし、手に魔法陣なんて握っていなかった。


「あはははははははははははははは!」


 念には念を万が一にと、魔法障壁を解除していなかった。故に、マリーは守られたとも。


 背後の建物は跡形も無く消し飛んで、見えた内部では脚を失った男が呻いて、上半身を失って倒れたスカートが一階で瓦礫に押し潰されている。建物の向こうにいた軍と反乱軍の衝突地帯は、ただの更地になった。


「どう、いう事?」


 分からない。虚空庫から魔法陣を取り出す動作は無かった。完璧に戦意を失って項垂れていた。いや、そもそもこの戦いに意味は無いと知って、自分の人生全てを否定されたのに、どうして?


「どうして、まだ、戦うの?」


「決まってるじゃないですかぁ!」


 呆然とした問いに、笑う嗤う。心底楽しそうに、大輪の花が咲き誇るような、恋人との逢瀬を楽しむような、この世全ての笑みを体現したかのような、最高の笑みにして嘲笑で、


「私ぃ、忌み子が憎いんですよぉ!」


 世界を守るだなんだという御託はどうでもよくて、ただ忌み子が殺したいと彼女は言った。


「貴女、正気なの……?いえ、そもそもじゃあ、騎士になった理由は……?」


「合法的に忌み子をブチ殺せるからですぅ!」


 ハートや音符が語尾にでもついてそうな、スキップのような口調だった。故に分からない。信じられない。あり得ない。認めたくない。


 確かに、忌み子に対して苛烈なところはあった。それでも、根底は人を救う為に戦っているのだと思っていた。何せ、イザベラという女は忌み子以外に対しては、聖母のように優しい。


 後輩や新入りの面倒をよく見て、団員の炊事や洗濯を進んで楽しそうにやり、仲間が死ねば誰よりも悲しむ。そんな、女性だった。


「『魔神』は忌み子以外に乗り移れるぅ?それでもぉ

、戦いに意味はあるじゃないですかぁ?さっきの男のようにぃ、大切な人を殺されたぁ、か・た・き・う・ち……きゃっ!」


 なのに、なんだ。この狂気は。


「……確かにトーカは、この街を侵攻したわ。他に殉職した騎士もそう。先に手を出したのこっちなの。怒る権利はあっても、復讐する権利は私達にはないはずよ」


 深呼吸を重ねて、声をなんとか絞り出す。よく思考をまとめられて、まともな理論で話せたと自分を褒めてやりたいくらい、動揺していた。


「トーカを殺されたのは、許しがたいです。それ以前の騎士も、忌み子に殺された人達の顔を私は、誰一人として忘れた事はありません」


 強さではない。イザベラの狂気が、怖かった。あののんびりとした口調で話される虐殺も、ただ淡々と冷たく押し殺した声で語られる心情も、全てに狂気が宿っていた。


「家族や領民を逃す為に、私と同じ系統外で敵の指揮官に成り済まして……多くを助けた結果、最悪の最期を迎えた父の歪みに歪みきった顔を」


「……」


 マリーは、イザベラの過去をそこまで知らなかった。『黒髪戦争』の戦災孤児。攻め込まれた街の治めていた彼女の家族は、最後まで民の為に抵抗した。あらすじくらいにはこの程度まで聞いていたが、一部は伏せられていた。


「捕らえられ、最愛の父の目の前で犯された、母と姉の絶望の表情と悲痛な壊れた叫びを。少しずつ身体を千切られて床に散らばっていった、小さな弟の破片を」


 彼女の家族が、そんな末路を迎えていたなんて知らなかった。意図的に伏せられていたから、知らないのは当然の事ではある。しかし、知っておくべきだった。


「幸いと言うべきかは今でも分かりませんが、私の番が回って来る前に、あの方が助けてくれました。その時にはもう、私の家族は助からなかった」


 知っていれば、理解出来た。イザベラ・リリィという女が、忌み子が忌み子でなくなっても虐殺を止めないという事に。


「腹が、立つんですよ。あの時、貴女は助けに来なかった。ええ、ええ。しょうがない。貴女はあの時、違う戦場で戦っていたと聞いていますとも」


 騒ぎを聞きつけてやってきた軍人達も反乱軍も、誰も彼もが、溢れ出す狂気と殺気に気圧されて、動きを止めた。


「なのに貴女は、救えなかった人の事を、手が届かなかった事を悔やんでいる!私の家族も貴女の勝手な自己満足の為の哀れみの対象だと思うと、殺したくてたまらないっ!」


「そ、れは……」


 そこには地獄があった。誰よりも深く、忌み子の事を憎んでいた。誰よりも忌み子を許さないという鋼より硬い意志があった。誰よりも忌み子を殺して八つ裂きにして復讐してやるという、心があった。


 先ほどの涙は系統外による作り物だ。項垂れた動作も戦意を失ったように見せた雰囲気も、手に何もなかったように見せかけたのも、全てが系統外による作り物。


「ああぁ……私はぁ、さっきの忌み子が忌み子がじゃないと聞いてぇ、こう思ったんですぅ」


 だが、頬を流れる今の涙は?果たして本物なのか?それとも偽物なのか?それはきっと、イザベラを含めて誰にも分からない。本物を流すに足る理由があった。だが、本物を流すにしては、余りにも喜びに満ち満ち溢れていた。


「有罪で死んで当然の忌み子よりぃ、何の罪もない忌み子を殺す方がぁよっぽど気持ち良さそうってぇ!あはははははははははははははははははは!あはっ!あはははははは!」


 手の施しようが無い程、壊れていた。もうどうしようもないくらいに、狂っていた。


「嫌ですわぁ!笑いが止まりません!トーカが死んだ事以外、全てが最高の一日ですぅ!忌み子も殺せえてえ、私の今までの復讐が認められてぇ?そ・れ・にぃ……うふふ!」


 理解出来ない。全くもって、彼女の言葉が分からない。忌み子より、ただの何の危険性も罪もない黒髪黒眼を殺す方が良い?今までの正義の戦いが、ただの虐殺になってむしろ喜ぶ?理解の範疇をとうに超えている。


「分かりましたかぁ?さ、殺しますぅ!」


 哄笑する虐殺者に、次は自分の番かとその場にいた者全員が後ずさる。


「殺させないって、言ってるでしょう」


 たった一人、マリーを除いて。


「あらあらぁ、貴女のそういう図太い所。すごいなぁと尊敬しますけどぉ、大っ嫌いですぅ!」


「貴女が、憎しみで生きている事だけは理解出来た。でも、その憎しみの矛先はこの人達に向けるものじゃない。この人達は、貴女の家族に何もしていないのだから」


 あれだけの憎しみと狂気を叩きつけられてなお、マリーは己が信じて進む正論を崩さない。気圧されて曲げるものが、正論であってたまるものか。綺麗事であってたまるものか。


「『勇者』は綺麗事と正論に生き、人々を守る者よ」


 一度変わったあの日以来、二度と変わりはしない。例え今までの答えが間違いだと知っても、誰かを守る為に戦うその在り方だけは、決して揺るぎはしない。


 それが『勇者』である。


「理解出来ませんわぁ……」


「お互い、そのようね」


 奇妙な事に、マリー・ベルモットが変わった日は、イザベラ・リリィが歪んだ日と同じ日であった。


 味方はもちろん敵さえ救うと誓ったマリーと、忌み子であれば善悪も老若男女も構わず殺し尽くすと誓ったイザベラ。始まりは同じ日であれど、決して交わる事はない二つの道を突き進みし者達。


「貴女は止めるわ。私の信念に従い、殺さず、誰も殺せない身体にしてあげる」


「貴女は殺しますぅ!そして私の信念に従いぃ、殺してぇ、殺してぇ殺してぇ殺してぇ、忌み子を絶滅させますわぁ!」


 前に進んだマリーに対し、イザベラの動きは真逆。真後ろへと全速力で駆け抜け、そして、


「煙幕!?」


 魔法で造られた煙幕の球を地面にぶちまけられ、一瞬だけ視界が消えた。すぐに風の魔法が視界を晴らすがその時にはもう、イザベラはいない。


「……これは……」


 どこに行ったかなんて分かりきっている。しかし、誰かは分からない。駆けつけた軍人達の中へ系統外で紛れたのだ。


「悪手ね」


 他の軍人を巻き込むかもしれない。だから、マリーが躊躇するとでも思ったか。


 舐めるな。


 マリーは内心でイザベラを見下す。イザベラが憎しみの狂気にあるように、マリーも同じだけの救うという狂気にある。手脚が数本無かろうが、生きていればいい。生きていれば、それは救った事になる。生きてさえいれば、マリーの系統外でまた生やせるのだから。


「誰か分からないなら、全員の手脚を焼き切らせて意識を燃やしてあげるだけよ」


 殺しはしない。しかし、障壁によって防ぐ事は出来ない絶対の炎が、味方である軍人達を焼く。その場にいた者全ての手脚を奪い、意識を灼熱で刈り取っていく。


「あはぁ?大変ですねぇ!守りたいものが多すぎませんかぁ?」


 魔法陣を発動させる前に、全員分の手脚を焼き切った。腕がなければ虚空庫から物は出せないし、仮に義手を作ったり何らかの魔法を見せれば、そいつがイザベラという証明になる。彼女自身の姿は幾ら誤魔化せても、発動した魔法は彼女ではない。


「な……に?」


 しかし、魔法陣は発動された。もう一度、破壊の炎が金色の炎を掻き消して、手脚を奪われて動く事のできない日本人の命を残酷に奪い去る。


「まぁだ分からないんですかぁ?」


 その場には誰も立っていない。黒焦げになった死体がごろごろ転がって、何なら消し炭になった元人が風に舞っているだけだ。でも、声は聞こえるし、魔法の発動点は間違いなくその場所だ。


「私はぁ、自分自身の姿を人の形ならば自由に変えられる……正しく言うならば、認識自体を変更しているんですぅ!」


「……そういう事」


 ネタバラシに噛み締めた歯が欠けた。マリーが全員の脚を焼き切ろうとした瞬間に合わせ、イザベラは認識上の手脚と意識を焼き切らせたのだ。もう焼却したと勘違いしたマリーの炎はそのまま、イザベラの身体を素通りしてしまった。


「そんな甘っちょろい正義だからですよぉ!」


 これが、軍人も構わず問答無用で普通に燃やす炎なら、多少の犠牲も厭わずにイザベラを殺す魔法だったなら、殺せた。マリーの掲げた正義が、イザベラを無傷で乗り切らせてしまった。


「……ぎりっ」


「あはははははははははははははは!あはははははははははは!いい顔ですぅ!」


 マリーの戦力分析は決して間違っていなかった。イザベラは、絶対にマリーに勝てない。幾ら成り済まそうが、最大範囲の炎を無傷でやり過ごそうが、命の数と魔力量が違う。


 しかし、そもそもの前提が違っていた。マリーはイザベラを殺したい事に変わりはなくとも、真正面から戦うつもりはない。


「私の、守る物を殺したいのね……!」


 イザベラは、マリーの正義を殺そうとしているのだ。


「……死者を侮辱するようで、嫌だけど」


 死体に化けたと言うのなら、アタリを引き当てるまで。死体と炭の海に剣を突っ込み、高速で斬り裂いていく。


 それは、死体を斬り裂くという騎士道に反する行い。しかしながら、死体はマリーの守る者から外れている。いくら心が痛もうと、生者の為と斬り続けて、


「もはや人の形をしていない炭もまた、元人間ですよねぇ?」


 背後から声が聞こえた時には、既に遅かった。イザベラの姿はどこにもなく、周りに人はいない。慌てて焦って当たりを見渡して気付いたのは、第一回目のイザベラの魔法が撃ち抜いた建物の向こう側の、戦場。


「……まさか」


 想定が確かなら、マリーは追うしかない。救う事こそ存在意義であるならば、虐殺を行おうとしているイザベラを放置しておく訳にはいかないから。


 行った方が死者が増える可能性もあった。しかし、行かなければイザベラは嬉々として、マリーを誘き出す為に大量殺人を行うだろう。だったら追ってマリーに意識を集中させ、少しでも犠牲を減らすべきだ。


 そう判断して、マリーはイザベラを追った。これが、自分にとって最も守れなかった戦いとなるだろうと、分かっていながら。








 その予想は見事に当たっていた。イザベラの系統外は非常に厄介。というより、最悪だった。


 日本人に成りすまし、遠くから魔法を飛ばしてくる。仮に最大範囲を撃ち込もうものならば、魔法陣によって大勢の人を巻き込んで打ち消されてしまう。


 内乱による混戦。同士討ちの危険性が皆無のこの戦場は、イザベラ・リリィの独壇場だった。万の騎士が相手でも、かのサルビア・カランコエが相手でも、勝てると信じているマリーが一方的に翻弄される程に。


「どうですかぁ!?どうですかぁ!?守るものを消し飛ばされて、守れない気持ちぃ!」


「…………っ!」


 プライドなんてズタズタだった。守ろうと決めたはずの人々が目の前であっさり殺されるのに、自分は何も出来ない。守ろうとすればする程、死んでいくようにさえ思えた。


 相性が悪い。環境が悪い。一対一なら負けない。そう思えたなら、どれだけ楽な事だっただろう。だがしかし、マリーは絶対に救える範囲にいなかった人間の死さえ悔やむ人間である。そう思えるはずもなく、涙を流しながら、彼女は戦っていた。戦い続けていた。


「いい加減、諦めたらいかがですかぁ!?鏡見ますぅ?顔、とっても不細工ですよぉ!あ、私は好きですぅ!」


 声を辿る。視覚がダメならばと、聴覚、嗅覚を駆使して探すが、見つける事は叶わず。姿を変えるその瞬間を直視出来ればいいが、この系統外と共に生きてきたイザベラがそんなミスをする訳がない。全て、マリーの死角にて行われている。


「っ……」


 マリーは死なない。だが、こんなに敗北感のある戦いは初めてだった。だって、『勇者』たる自分が何も守れていないのだから。


「ああ……!ああああああああああああああ!」


 また、目の前で人が死んだ。守れなかった。壊れような叫びが、喉を壊す。でもそれも、すぐに命のストックを使えば再生してしまう。


 この命のストックを、この場の死者達に分けたかった。それで生き返るなら、出来るならそうしたかった。でも叶わない。守れない。


「あああああああ……!」


 いっそ自分の信念を曲げて、周りの人々を巻き込んで確実にイザベラを殺してやろうかとも考えた。しかし、相手もその思考を警戒しているのか、すぐに魔法陣による大魔法で迎撃し始める。


「最っ高!最高ですぅ!これがあの、無敵に近い系統外を持つマリー・ベルモットですかぁ!?あは、あはははははははははは!」


 どこから聞こえているのか分からない嘲笑が、心に突き刺さる。耐えろ、耐えろと『勇者』が叫ぶが、マリー本人はもう限界に近かった。


「ねぇねぇ今どんな気持ちなんですかぁ!?教えてくださ」


(右から三番目、黒のショートヘアで釣り目の男が、あの女だよ)


「い、よぉ……?」


 マリーが発した熱線が、的確に心の中で聞こえた声の人物の胸の中心を、穿っていた。


「……最っ低な、気分よ。ここ、まで人を殺したいと思った事は、ないくらいに」


 嘲笑に、本心のまま答える。これだけの犠牲を払って、ようやく。ようやく見つけた。


(……遅かったって、責めていいかしら)


(これでも、急いだ。でも、犠牲に関しての言い訳はしない)


 心の声。それは、イヌマキから渡されていた『伝令』のスクロールによる、通信によるもの。その相手は高い建物に登り、双眼鏡を覗き込んでいる、桃田。


 彼は戦線を離脱した直後、スクロールから聞こえてくる声に従い、双眼鏡を探し始めた。そして軍の基地跡を防衛している軍人に、両手を挙げて頭を下げて事情を話して借り受け、戦闘を避けながら高台へと登り、イザベラを探し続けた。


 そしてようやく、マリーの視界の外でイザベラが系統外を発動する瞬間を、捉えたのだ。


「これで、終わり。貴女が楓を弄んだから、桃田は貴女を殺す事に全てを注いだ。内乱の中を走り抜けて、血眼になって貴女を探して、見つけた」


 釣り目の男は、その場から動かなかった。それもそのはず。イザベラの熱線は的確に、マリーの胸を貫いていたのだから。


「あの、くそ男どもかぁ……!」


 くそ男、ではなく、くそ男ども。と言うのは、柊と桃田を指した意味である。柊との戦いでマリーは一度胸部を撃たれ、その部分の鎧を破壊されていたのだ。


 魔法がかけられた最高級の鎧を纏っていれば、細い熱線一本で貫通なんてしなかっただろう。その確信が、あった。


「……これで、終わり。貴女はずっと、眠らせる。植物状態にして、全てが終わったら元に戻してあげる」


「……私はぁここまでみたいですぅ……」


 マリーの系統外なら、イザベラの拘束が可能。眠り続ける傷を与えようと、彼女が剣を振り被った瞬間。


「でもぉ、貴女達もですよぉ?」


 街に、ありとあらゆる魔法が降り注ぐ。


「サルビア様、時間稼ぎに下準備、上手くできました」


 それは、壁の向こうで隊列を組む無数の騎士から放たれた、開戦の攻撃であった。

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