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幻想現実世界の勇者  作者: ペサ
幻想現実世界の勇者
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第123話 至上と唯一



「はぁ……はぁ……ふぅ……」


 一人。あちこちに氷の刃が散らばり、小さな血の点々が散乱する瓦礫の戦場にて、深く息を吐く。


「難しい」


 誰も、殺さなかった。人を殺さない難しさをようやく、殺してばかりだった自分は知る事ができた。


「そろそろ、限界だな」


 殺さないように気を遣い過ぎて、一人当たりにかける時間を多くしてしまった。その結果、物理障壁の展開時間も長くなり、氷の手脚を動かす魔力も相まって、魔力はもうない。


「だというのに、辛いものだ」


 まだ全員、倒し切れていなかった。否、殺されない事が分かると、彼らの士気は上がり、増援が増えに増えた。負けても死なない戦いなんて、大人気になるに決まっている。


 物量作戦によって魔力は削られ、もうほぼゼロ。対する敵勢力は死者ゼロ、軽傷者多数。同士討ちによる重傷者数名、死者一名。しまいには、気絶した者が目を覚まして戦線復帰する始末。このままの戦いを続けるなら、絶体絶命。


「こんなにも、戦い辛いのだな」


 殺害を解禁すれば、すぐに終わる雑魚だ。すぐに殺すよりも、殺さない人間の方が強いと言われるのは実に道理。まさか、魔力を持たない忌み子にここまで追い詰められるとは思っていなかった。


「げっ。思ったよりピンチじゃない。あーでもダメ。まだ死なないで」


「っ!?」


「あんたの罪、こんなんじゃ償い足りないでしよ?もっと救ってもらわないと、割に合わないんだから」


 しかし、トーカの側に増援がない訳でもなかった。殺さない剣での勝利が辛いなら、別の殺さないやり方で戦えばいい。そんな柔軟な発想ができる、最高の増援だった。







 子供達を連れて地下道を走る。とは言っても、子供の脚と体力に合わせた速度で、歩みは遅い。


「……」


「なんて顔してんのあんた」


 その最中、堅の顔はずっと暗く沈んだままだった。もう少しで店に着くというのに、喜ぶ様子なんて微塵もない。


「トーカが心配なの?」


「……戦闘力は、問題ないと思う。でも、その後が問題だ」


 戦って負けることはないはずだ。しかし、戦いが終わった後はどうなるだろうか。この街から逃げるしかない。でも、あれだけの欠損を抱え、魔力を大幅に消耗した状態で、果たして逃げ切れるものだろうか。


「分かった。子供達、任せたよ」


「え?」


「私が戻って、トーカの立場を保証する。軍に協力的な人物だって。そうしたら、少なくとも軍人は敵にはならないし、軍で保護できる」


「いや、それなら俺が!」


 走るのを止めた環菜は即座に振り向き、来た道を駆け戻る。戸惑いから醒めた堅が肩を掴もうとするが、読まれたかのように振り払われてしまった。


「堅まで来たら誰が子供達を連れて行くって話。それに私、あんまり好かれてないから」


 あんたと一緒の方が安心するでしょうと言い残して、環菜は強化を使った全力を脚に込める。それはまるで、堅に口を挟ませない為の速さだった。


「……悪いな。その、心配させて。今から安全な場所まで送っていくから」


 子供達の手前、気丈に振舞って堅は逆方向へと急ぐ。出来る限り早く子供達を安全な場所に送り届けて、自分も後を追えるように。


「そいつぁ俺らの仕事でさぁ!兄貴は早く姉御を追ってください!」


 しかしまぁ。


「お、お前は!」


「約束したでしょう?俺らが子供達を迎えに行くって!」


 子供達の輸送は、この街の運び屋に任せる事になり、堅は予定よりも早く環菜を追いかける事が出来た。






「私の名前とか顔、見た事あるでしょ!軍所属の環菜。この騎士、トーカは私達の味方よ」


「なっ!?」


 銃も剣も恐れず、トーカと日本人の間に割って入って声高らかに宣言する。その声に戦場の空気は一時の間、警戒したまま止まった。


「そんなの、どうして信じられる!?」


「あんた達を殺そうとした?してないでしょ!殺そうと思えばあんたらなんてシュンコロよ!シュンコロ!」


「……」


 誰も殺さないというのは、とても難しかった。でも、それがこの場面で生きた。味方である証明となった。誰もトーカには殺されていないのは事実であり、敵対していた日本人は誰もが黙り込む。


「分かったら武器を下ろして!この人は日本人をもう殺さない!私が保証する!」


「……し、しかし……」


「この人が戦力になるなんて分かりきっているでしょ!あんた達に守りたいものがあるんなら、それくらい計算しなさいよ!」


 躊躇っていた者達も、トーカが味方になった場合のメリットを考えれば武器を下ろす。憎しみは、大いにあるだろう。しかし、それでも呑み込まねばならない強さを、騎士は持っていた。


「……その、ありがとうございます。まさか貴方に助けられるとは」


「いいのよ。見知った顔が死ぬのは後味悪いし。けど、どうしようかな」


 助けられた礼を言われ、肩を竦めた環菜は顎に手を当てて考える。この場にいるのは、軍も反乱軍もごちゃ混ぜになった部隊だ。共通の敵がいるから一時的に手を組んだだけであり、それがいなくなれば。


「……あ……れ……?」


「っ!?」


「ちょっと、一体誰が!」


 でも、環菜の思考はそこで途切れた。正確には、乾いた銃声を聞き、胸を抑えて蹲ったトーカを見た瞬間に、ぷつりと切れた。


「……トーカ?」


 最悪のタイミング。ちょうど四兄弟に子供達を任せて地下道を駆け抜けて追いついた堅は、その光景を少し離れた所から全て見ていた。


「桃田、さん?」


 誰がその引き金を引いたのかも、全部。





 








「その身体で外に出るとか貴様はアホだな!他のものに少しは任せぬか!ほら、早く中へ!」


「ロロさん?なんでここに」


「地下道で柊と落ち合うはずがいつまで経っても来ないからな!自分から来てやったのだ!」


 街はまだ内乱状態で、更に柊は首魁だ。さすがに外で話すのは危ないだろうと、迎えに来たロロに連れられて店内へ。


「柊さんがイザベラに気付いてたって、どういう事?気付いてたら私達に教えてくれるわ」


 机に布を敷いた即席のベッドに柊を横たわらせ、近くの椅子に座ったシオンが隣の仁へと疑問を投げる。


「合言葉とか暗号を作ったりしたら、きっと」


 騎士が街に潜んでいる。しかも、姿形を自由自在に変えられる恐ろしい相手ときた。だったら情報を共有してみんなで探した方がいいと、シオンは考えたのだろう。


「いいや違う。イザベラ・リリィだけは別だ。彼女は誰にだって化ける事が出来る。つまり、信じれるのは自分だけだったんだ」


「その上であえて泳がせた。万が一、自分が襲われた時の備えだけは整えて」


 だが、仁の考えは真逆。犠牲は多く出るだろう。情報も多く盗まれるだろう。しかし、それでも気付いた事に気付かれていないというアドバンテージを失いたくはなかった。イザベラを油断させ、彼女の目的を遂行させたかったのだ。


「ふふっ……正解だ。どうして、分かった?」


 少しずつシオンの治癒が効いてきたのか、前よりも口調が軽くなった柊が先生のように訳を聞く。


「言った通り、準備が良すぎます。まるで、貴方一人で騎士を相手取るかのような装備でした」


 カツラや眼鏡、隠し通路に関しては内乱対策でも通用する。しかし魔法判定の弾丸を、仁達にも秘密で作成していたのは不自然。イヌマキ、マリー、シオンに頼んでの大量生産も可能だったかもしれないにも関わらずだ。


 それにイザベラと単騎で遭遇したというのに、柊は生き延びた。彼の知恵や運もあるだろう。だが、それだけでは足りない。間違いなく、戦う事を何度も想定して、予め動きを考えていたはずだ。


「他にも挙げるなら……そうだね。常に誰かと一緒にいろと警告した事かな」


 前に出された警告の意味。あれは、イザベラが暗殺しにくくする為だろう。無防備の状態で襲いかかられても迎撃が出来るシオン、異常なまでの警戒心を持つ仁に、即死で無ければ仕切り直し可能なマリー、不死身のロロ。この中で二人以上が同じ場に居る時の暗殺は避けたい筈だ。


 柊の行動全てに意味がありすぎた。何て事のない行動全てが、今思えばイザベラを意識したもののように感じてしまう程に。


「柊さんこそ、なんでイザベラに気付いたんですか?」


「おかしいと思ったのは、辻斬りが始まってからだ……バラバラにされている割に、血溜まりが少な過ぎた」


 不審な殺人だった。殺された場所は別なはずなのに、死体は死にたてホヤホヤ。まだ暖かいくらいだった。これが一つ目の違和感。


「確信を持ったのは、蜂須の功績だ」


「蜂須さんが?何か残したのかい?」


「逆だ。何も、残さなかった。俺の部屋に入った時にも、イザベラに拷問を受けている時にも、な」


 二つ目の違和感は、命を失いながらも「何も残さないこと」を残した蜂須。彼が司令室に侵入したと報告を受けた柊が、どこを触られたかを調べている時だった。


「あいつとはよく意見が合わなかったが、心底街の事を考えている。反乱を起こせば街がどうなるかくらい知っているし、軍のシステムも必要だと思っていた」


 蜂須は反柊派ではあれど、反乱を起こす理由がなかった。だから、彼が司令室に侵入して反乱に加担するなど、家族の命を盾に脅されたくらいしか思い浮かばなかった。


「あいつは保守的な男だが、優秀だ。例え家族を人質に取られていようが、街を守る事を諦めない」


 家族を殺されたくはない。しかし街を守りたい。故に彼は反乱軍に気付かれないよう、柊に何かメッセージを残すはずだった。


 紙で指を切って文字の上に血をつける等、監視の目を掻い潜って痕跡を残す方法はいくらでもあっただろう。しかし、彼は何も残さなかった。司令室に入ったのは蜂須一人にも関わらず。


「その時だ。マリーが以前話していた要注意人物の中に、イザベラ・リリィという女がいたと思い出して……全てが繋がった」


 何者にも化けられる系統外。仮に自分が持っていたなら何に使う?決まっている。諜報や潜入だ。


 辻斬りのバラバラ死体は隠れ蓑にして皮。司令室に潜り込んだ蜂須は反逆ではなく偽物。たった二つの違和感とマリーとの会話だけで、柊はイザベラの存在に気付いてみせた。


「……それだけで、気づいたんですか」


「蜂須の功績だ。あいつと言う男を、最後までコピー出来なかったんだろう」


 部下の事を誇らしげに笑う柊の洞察力は凄まじい。仁もシオンも絶対に気付けなかった自信がある。


「一体何の為に……!楓さんは、じゃあ!」


 だが、だからこそ分からない。なぜ、彼は気付いた上でイザベラの存在を黙っていたのか。犠牲者が増えると分かっていて、なぜ放っておいたのか。


「あ……ごめん、なさい」


 柊の襟元を掴もうとしたシオンの手は、傷を思い出して行き場を失う。もし、もし公表していれば、楓の死は避けられたかもしれない。蜂須だって、いや、それ以前の被害者達も防げたかもしれない。


 しかし、仁には分かったとも。数人の犠牲、腹心の部下、自らの命の危機、情報の漏洩。それら全てと天秤で釣り合うものはたった一つしかない。


「街の為ですよね。正しく言えば、イザベラが持つ帰還用の魔法陣を奪う為」


 この街に住まう何千何万の人々の未来だ。たったそれだけが、柊や仁にとって人命に値する。


「だから貴方は反乱を見過ごした。隙を見せて、油断したイザベラが確実に現れるように」


「そして終わったら、スパイとして潜り込ませていたマリーさんと桃田さんによって内乱を止める。全部、仕組んでたんでしょ?」


 相変わらずの頭脳だ。知力だ。決断力だ。イザベラが柊に近付こうとするなら、親しい者に成り替わるのは当然だと言うのに、分かった上で切り捨てた。


 至上にして唯一。全ては、この街の為に。


「……」


 少女の口から、歯が欠ける音がした。何かの為に誰かの命を切り捨てるという行為が、彼女には割り切れなかったのだろう。その一方で、柊の決死の覚悟がもたらす結果には、文句も言えなかったのだろう。


「でも貴方は一つだけ、読み違えたと言いましたね?」


「それはイザベラが想定よりも強くて、魔法陣を奪えなかった。もしくはイザベラが油断をしていなかった」


 そもそも無謀だったし、今生きているだけでも奇跡だ。シオンと数分間斬り合える化け物に、いくら強化と魔弾を手に入れたとは言え、ただの日本人が挑むなんて。


「例え勝てたとしても、あの女からは絶対に奪えません。奴の忌み子への憎しみはいっそ異常です」


「そもそも拘束なんて無理さ。殺すしかない」


 仮に勝っていたとしても、イザベラは魔法陣を渡さなかっただろう。拘束なんて意識があれば破られるし、何よりあの女の心が渡さない。


 柊は、実際にイザベラと会っていなかった。あの女の、強さではない恐ろしさに気付いていなかった。これが、計画の読み違い。


「今すぐ内乱、そしてイザベラを止めましょう。魔法陣はまた次の機会がきっと」


「何を言っている?」


「え?」


 イザベラからの奪取は不可能。今は内乱を抑えるのが先決だと述べた仁に、柊は笑いかける。それはまるで子供のような、ゲームに本気で挑む大人のような、笑み。


「桃田に関しては何とも言えないし、マリーも最初は普通にスパイとして忍び込ませたとも。だが、桃田もマリーも私の手の内にはない」


「……どういう事です?」


「あっちの方に正義があると思ったのだろう。事実、その通りだ」


 告げられる言葉に理解が出来ない。今柊は何と言った?マリーも桃田もスパイじゃないなら、この反乱を終結させる手段が一気に減る。


「イヌマキさんに頼むの?」


 あるにはある。たった数分間だけの、最強戦力が。十重二十重に準備を重ねた上での戦いだったが、それでも『魔神』とも渡り合った悪魔。彼の力をもってすれば、内乱を止める事はできるかもしれない。


「惜しいな。確かに頼むが、それはまた別の事だ」


「じゃあ降伏宣言を?」


 しかし、それも違うと来た。ならば一体、どうして何をするというのか。マリーの言う通り、普通に降伏宣言を出すとでも言うのか。


「近い。だが、降伏の宣言とは少し違う」


「……?」


 分からない。理解不能。彼の眼はどこを見ているのか。彼の頭は何を考えているのか。彼の策は一体何なのか。全部、分からない。


「おい柊。本来の場所とはちと違うが始めるぞ。覚悟は、いいな?」


 ふっ、と柊の側に現れたイヌマキが、覚悟を問う。それは計画の全てを知るもう一人であるが故の、問いにして確認。


「無論。私の全てはこの時の為に。俺の人生最大にして最期のギャンブルだ。そこで仁、シオン。少しの間だが、私の護衛を頼みたい」


「俺はちょっくら準備しなきゃならねえもんで。この店守れねえんだわ」


「準備?護衛?」


 外よりはマシとはいえ、店内も安全とはとても言い切れない。イヌマキの守りが無くなるなら尚更だ。


「まだ時間がある。本当はもう少し稼ぐつもりだったが、やはりイザベラが強すぎた。そしてこの店にいる者にも、頼みたい事がある」


 役割があるのは仁とシオンだけではない。他の者にもベッドの上で座って頭を下げて、彼は頼み込む。


「やっぱり、最期なんだね」


「……本当は、もうお前と会うつもりはなかったんだがな。計画が少し狂ってしまった」


「その狂い方を恨むし、感謝するわ」


 ずっと柊の横で黙って話を聞いていた紅が、初めて割り込んだ。彼女には彼のこれからが分かってしまって、どうしても耐え切れなかったのだろう。


「それより絶対に外に出るなと言ったのにお前は……!」


「うっさいわね!外には出てないわよ地下よ!そんなこと言ったら、あんただってこんな怪我した上に、上に……!」


 忠告を守らず、外に柊を探しに出た紅を強い口調で叱るが、さすがの彼も女の涙には勝てず。いつも通りのやり取りなのに、そこにはどこか悲しさがあった。


「そうだ。そういや頼まれたもん、出来てるぜ」


「ちょっと待ってよ!」


「今このタイミングでか!?」


 つんつんと脚を口で引っ張った木の犬に、仁は嘘だろと頭を抱え込む。何があるから分からないから、出来る限り早くと頼んだのは自分だ。しかし、内乱真っ只中柊が大怪我の中は、さすがに空気が読めていない。


「このタイミング、だからこそだろう。見せてくれ……というか今日、お前とシオンは死ぬかもしれんのだからな」


「そりゃ流れ弾とかで僕ら死ぬかもしんないけど」


 ところがどっこい。怪我をしていて何らかの覚悟を決めた柊は、むしろ乗り気でど正論をかましてくる始末。


「それよりイヌマキさん。司令に話したんですか?」


「いやぁ俺はその花分かんなかったから、図鑑借りるついでにぽろっと話しちまった。料金タダなんだから許してくれよ」


 内密にしてくれと頼んだのに、彼は犬らしく口を開いていた。鋭い目を向けるが、料金を盾にひらひら躱されて。


「???」


 シオンも紅も店の中の人も、何が何だか分からない様子。分かっている柊とイヌマキは楽しくて楽しくてしょうがないという顔で、仁は本当に良いのかという困惑一色。


「「ちょ、ちょっと待ってください!死ぬかもしれないって、そんな、まさか……!?」」


「ああ。だからこそ、今だろう?最高に空気を読んだタイミングだ」


「……分かりました」


 だが、ここに至ってようやく、仁は柊の考えが分かった。分かったからこそ、ここで観念するしかなかった。想像が正しければ、明日仁はここにいるか分からないから。


「そらよ。厄除け魔除けの魔法が内蔵されてる。すっげえぞ。人によっちゃ国一つくらいの金を出すかも知んねえくらいの、すんげえのだ」


「い、いいんですか?そんなすごいの……」


「お前らの再会の手助けになればと思ってな。いいってことよ」


 イヌマキの虚空庫から取り出されたのは、小さな箱。みんなの注目を浴びる中、仁はそれを大事に大事に受け取る。残念ながら、この場の者が期待しているような、内乱を一発で止める秘密兵器なんかではない。


「「……」」


 もっと違う雰囲気で渡すものだと思ってた。いや、実際そのはずだろう。喉はカラカラで、躊躇いがやめとけと頭の中で叫ぶが、柊の眼を見て、シオンの顔を見たら腹は決まった。


「え、こ、れ……?」


 シオンの手前で箱を開けて、中身を見せる。覗き込もうとした周囲の人間は正体を知るやいなや、息を呑んだり、笑ったり微笑んだり嫉妬したりしながら、さっ、と後ろに下がって空気を読んだ。


「こんな時で本当に悪い。でも、今日死ぬかもしれないから先に渡しておく」


「もし生きていたらまた、正式に色々と言うけど。今はこれだけで、ね?」


 そこにあったのは、指輪。紫苑の花の形にカットされた宝石がはめ込まれた、指輪だった。


「「受け取ってください」」


「っ……!」


 恥ずかしいなんてもんじゃない。これはもう死ぬ寸前の羞恥。でも、耐えて。周りの人が見守る中、シオンは涙を流して、


「こちらこそ、受け取らせてください……」


 左手の薬指を、仁に差し出した。そっと、緊張して震えながら、仁は彼女の指に輪を通して。感極まったのか、シオンは泣きじゃくりながら人に飛びついて。


「最期に、良いものが見れた」


 おろおろする仁を見て、嬉しくて泣いているシオンを見て、微笑んだ柊の声を皮切りに、店内の人間が囃し立てるわ歓声を上げるわの大騒ぎに。どんな状況であれど、幸せは増えた方がいい。


(本当に、今この場で良かったんだろうか)


(士気は上がったけども)


 だが、仁の本音を言えば、この場で渡したくはなかった思いはかなりあった。何せ楓が死に、桃田が狂った直後。そういう恋愛関係は、落ち着くまで待とうと思っていた。


(……でも、後悔は残したくない)


(そうだね)


 しかし、だからこそ今なのだという気持ちもあった。彼ら二人の結末を見て、これから先の作戦を悟って。仁は思ってしまった。人なんて、いつ死ぬか分からないと。ずっと前に知ったはずなのに、幸せに浸って忘れかけてた。


「流れを変えてすまないが、これより作戦を説明する。軍の最後の作戦にして、この世界で最後から二番目の作戦となる」


 よく通る柊の声が、このまま宴でも開こうとする店内の空気を掻き消した。一斉に鎮まり返り、誰もが彼の話の続きを待つ。


「この作戦の名前などどうでもいい。私達が求めるのは結果だけである。この街の平穏、そして世界を元に戻す為の魔法陣の入手。ただそれだけである」


 彼こそは独裁者。圧政を敷き、禁忌を犯し、人の命を弄び、多くの人に恨まれし独裁者。掌握した権力を用いて、ただ街を存続させようとし続けた者。


「諸君。生き残る準備と、生き抜く覚悟を決めろ。日本人の死者はあと一人を除いていらん」


 そんな彼が最期に示す、作戦。それは『希望』だった。



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