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幻想現実世界の勇者  作者: ペサ
幻想現実世界の勇者
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第122話 女狐と禿鷲


 なんの代わり映えもない、そんな朝だ。いつも通りに恐れられて、もしくは親しまれて、挨拶されれば返して、この部屋に辿り着いて仕事を始める。ただ、それだけの日だ。


「久しぶりだな」


 座り心地には拘ったいつもの椅子に腰掛けて、引き出しの中の柔らかい箱を手に取る。それは世界が変わる前日に買った、最後のタバコの一箱。もう手に入るまいと大事に取っておいた一箱だ。


「期限切れのせいか?」


 でも、火をつけて口にして吸っても懐かしいと思うだけで、以前ほどの美味しさは感じない。箱の底の賞味期限の数値はとうに過ぎているが、こうまで違ったものだろうか。


「それとも味を忘れたか、もしくはもっと美味しい物を食べてしまったからか」


 煙を吐き出して、思い出して、笑う。世界が変わってからまだ日が経っていない時に食べた、五つ子亭の野菜炒めとご飯の組み合わせが余りにも鮮烈だったからか。しばらくまともな物を口にしていない補正があったかもしれないが、それでもあれは衝撃だった。


「全く。最後の一口が一番美味いものじゃないというのは、死刑囚より扱いが酷くはないか?」


 これからの自らが辿る運命を前に、過去を振り返って嗤う。自分は死刑囚なんかよりずっと、重い罪を背負っているだろうと。最後の晩餐を選ぶ資格すら、自らにはないと。


「君達もそう思わんかね?」


 部屋には柊しかいない。なのに、問いかける。僅か、ほんの僅かにだが、扉の向こうで動揺したような物音が。


「それとも君達が私を捕らえた後に、この世で一番美味い料理を振舞ってくれるのかね?」


 今度こそ、はっきりと聞こえた。そうだろう。そろそろ来るだろう。そう思っていたから。瓶を手に取って、待つ。


「残念ながら、私が今一番食べたいものは君達に用意できるものではない。故に」


「突入!柊 末!貴様にこの街を任せるわっ!?」


 入ってきたのは、武装した軍人で、裏切り者達。彼らは声を上げて突入してきたものの、銃の照準を合わせる前に状況を把握して、息を詰まらせた。


「君達には捕まらない。ああそれと、火に気を付けたまえ」


 床に割れて砕け散った瓶から溢れる、油。部屋の四方に置かれポリタンク。そして柊が放り投げた、タバコの炎。油にガソリンに火を投げ込めばどうなるかなんて、小学生にだって分かる。


「退避っ!外の連中に連絡して回りこませろ!俺らはここを張り込む!」


 突っ込んでも焼け死ぬ。しかし、部屋にいる柊だって危険だ。故に、このドアか窓から出てくる瞬間を待つのが得策。


「おいお前!危な」


「うるさいですねぇ」


 だが、一人だけ。そんな単純な計算をぶち壊して前に進んだ女がいた。日本人の女は、いや系統外で姿を日本人に変えたイザベラは、男が閉めようとしたドアをこじ開ける。


「やっと静かになりましたわぁ。それにしてもぉ、これいいですぅ!」


 ついでと振り返って男のうるさい口に銃口を突っ込み、脳を撃ち抜いた。訳も分からぬまま倒れた男の前で嬉々として騒ぐその姿に、その場にいた反乱軍は静止して、


「貴方達は焼死でいいですかぁ?はぁい!決定!」


 まるで司令室から出た炎に焼かれたかのように装われて、本当にそのまま永遠に動かなくなった。


「さぁさぁ、出てきて下さいなぁ」


 気にしていた人目はもうない。剣を右手に、銃を左手にくるくると回して遊んで時折かきぃんと打ち鳴らして、燃える司令室の中へと優雅に入っていく。


「内乱には気づいていたようですけどぉ、私には気づけましたぁ?」


 地面から溢れ出た水が生き物のように壁や地面を這い回り、炎に絡みついて消していく。


「……お前、日本人じゃないな」


 明らかに使い慣れた魔法。日本人には到底出来ない身のこなし。炎を恐れずに笑いながら突き進む精神力と、甘い蜜のような伸ばす口調。足元で燃えている火を見るよりも、明らかに日本人ではない。


「はぁい!そうですよぉ!私の名前はぁ、イザベラ・リリィ!正義の味方、悪と忌み子の敵の騎士ですぅ!おっとお?」


 名乗りを挙げてお辞儀をしている最中のイザベラに、柊は何の躊躇いもなく銃口を向けて発砲。しかし、


「挨拶中の相手を殺すのがお辞儀ですかぁ?さすがは忌み子らしいゴミみたいな礼儀ですぅ!」


 物理障壁に阻まれた弾丸が、からんころんと軽い音を立てて地面に転がった。傷なんてつくはずもなく、核爆弾さえ意味がない強度に柊は顔を顰める。


「私に傷をつけたければぁ、魔法じゃないと駄目ですよぉ……いい加減、無視するのやめて貰えますぅ?」


 銃はダメ元であり、布石。正体に気付いた時から、物理障壁を張るであろう事は分かっていた。故に、柊が次に投げたのは、


「なにこっ!?」


「閃光発音筒だ。無視をしてすまない。何せ耳栓をしていたものでね」


 光が小さな部屋の中で弾け飛び、体調に不良を来す程の音がイザベラの視界と聴覚を塞ぐ。いくら全ての物理攻撃を無効化する障壁魔法といえど、自らの眼が見てしまう光、耳が聞いてしまう音は防げない。


「知ってましたぁ?これもぉ、治癒魔法で治せるんですよぉ?」


 しかし、一時的な失明も体調不良も、治癒魔法で治癒できる。すぐさま復活した視界に映った銃口に首を傾げ、


「っ!?」


 放たれた銃弾の色を魔力眼で見て、右手の剣を慌てて軌道に合わせて振り払う。同時、柊が向けたもう一つの銃口の弾道から身を捩り、掠めるに止める。


「ちっ」


「こっちの台詞ですよぉ!」


 掠めるに止めた。止められた。その事実に柊は舌を鳴らし、イザベラは叫ぶ。物理障壁を展開していたのに掠ったのだ。魔力眼で見て、イザベラは驚いたのだ。つまり、


「魔力の込められた金属製の弾丸なんてぇ……!」


「化け物がっ!」


 耳栓をしているが故に会話は成り立たず、互いに互いを思うがままに罵り合う。


「そんなの、とんでもない魔力や技術がないと加工出来ないはずですぅ!魔力ならばどうにかなっても、技術は一体誰がぁ……!」


 今までの銃は物理判定のみだったから、蹂躙出来た。だが、魔法の弾も撃てるとなれば話は別。撃たれるまで判別不可能。つまり、障壁の切り替えが出来ない弾丸があの速度で飛んでくる。


 魔力ならば、シオンやマリーがどうにかするだろう。しかし、技術は一体誰が。


「相変わらずデタラメだな……!」


 イかれている。ふざけている。最初の物理判定の銃弾の布石は、物理しかないと思わせる役割を見事に果たした。銃口から弾が飛び出てようやく、イザベラは魔法判定と気付いたはずだ。その上、二丁拳銃だという事も隠していた。なのにこの女は銃弾を斬り、避けきって見せた。


 治癒魔法だとは耳をしていて聞き取れなかったが、何らかの魔法で失明を治された事は分かった。こんなに素早く立ち直られるなんて、予想外にも程がある。


「だが、効く」


「またですかぁ……!」


 二発目の閃光発音筒。耳を塞ぎ目を閉じ、魔法で土の壁を築き上げて銃弾を防ぐ。同じ手段は食らったりはしない。


「……貴方もですよねぇ……二回も、同じ事をしたりはしませんよねぇ……」


 しかし、開いた視界に柊の姿は既にない。後方の扉から出て行った訳でも、窓から飛び降りた訳でもない。


 机の下の床が、隠し扉となっていた。そこから逃げたのだろう。軽く覗き込めば、人間一人がやっと通れる程の細さの通路の暗闇が、ずっと続いている。


「私の評価はぁ、正しかったですぅ」


 曲者、切れ者。恐らく、この街がこんなに長く存続出来た最大の要因。イザベラは非常に高く、その才能と行いを評価する。現に今、彼は魔法もろくに使えないその身一つで逃げてみせた。


「故にぃ、必ず殺すのですよぉ!」


 だからこそイザベラは、仁でもシオンでもマリーでもなく、柊を真っ先に殺す事を選んだ。彼を殺せば、この街は完全に崩壊すると分かっていたから。


 暗い通路に降り、地味な日本人の姿の虐殺の騎士は柊の後を追う。自分より圧倒的弱者でありながら、ただ知恵と策のみでこの町を守ってきた男を。










「……まさか、俺が最初に狙われるとはな」


 排気口のフィルターを蹴破って出口へと変え、降り立ったのは銃声と罵声、悲鳴溢れる廊下だ。当然、人の目もそれなりにあり、柊を見れば反乱軍も軍も蟻のように群がってくるだろう。


「しかし熊。お前のアドバイスはなぜ、いつも的外れなのに当たるのか。俺には理解出来ん」


 だが、柊を柊と認識する者は誰もいなかった。何せ今の彼はカツラを被り、眼鏡をかけている。いや、ただそれだけなのだが、本当に誰も気付かなかった。


「……来い」


 排気口の側に立ち、銃口を構える。片方は物理、もう片方はイヌマキに頼んで作ってもらった特注の魔法の弾丸。同時に発射すれば、どちらかは障壁を貫通する。


「はぁい!来ましたぁ!」


「なっ……!?」


 声がしたと同時、排気口から土が土砂崩れのように溢れ出す。意志を持っているかのように動き回り、周りにいた兵士の身体に突き刺さって絶命させていく。柊の銃にも絡み付かれたが、手に登ってくる前に何とか手放して回避。


「くっ……!」


「待ち伏せ失敗、残念でし」


「いいや、成功だ」


 柊は飛び退いて逃れるしかなく、イザベラは悠々と排気口からその姿を見せる。だが、彼は二つ目の待ち伏せが成功したと笑い、


「最悪なのですよぉ」


 足元に落ちていた銃が、中に仕込まれた刻印によって爆発。魔法障壁によって爆発による被害は無かったものの、飛び散った破片で傷を負ったイザベラは苛立ちを募らせる。


「おまけに、距離まで取られて……はぁ……」


 爆発に何事かと寄ってきた兵士達に紛れ、柊は既に姿を消していた。ああそうですかとため息を吐き、


「私の癒しとして、死んでくださいぃ!」


 寄ってきた兵士全員の頭や胸を、土の杭で貫いた。柊を追う為だけなら、彼の逃げた方角の兵士だけでいいのに。イザベラの精神的な癒し以外の意味のない、ただの殺し。


「スッキリしましたぁ!そして見つけましたわぁ!」


 バタバタと命を失って倒れていく兵士はまるで波のよう。波が倒れ切って晴れた太平洋に、バッチリと柊の後ろ姿はあった。


 そこから始まったのは、力と魔法によって追いかけるイザベラと、知略と罠だけで逃げようとする柊の逃走劇。


「いいか!生きたい者は、私から離れろ!」


「はぁい。残念!」


 避難を呼び掛け、犠牲を減らそうと試みる。その声にハッと気付くものはいるが、大抵はイザベラに斬られて死んだ。謎の男の正体を探るよりも、従って逃げた者は何人か生き延びる。


「本当にぃ、すごいと思っているのですよぉ?」


 柊が逃げる方角にいる兵士や一般人をついでに殺しながら、恐ろしい身体能力を更に強化して追いかける。彼の罠もある程度見抜いて踏み抜いて、銃弾だって斬り裂いて、止まる事はない。


「それは光栄だ」


 だが、柊も負けてはいない。角を曲がっての待ち伏せや、街に慣れた彼だから知る裏道を通り、罠を仕掛けてイザベラを迎え撃ち、逃げ続ける。殺す事止まる事には至らずとも、幾つかの知恵は騎士の身体に傷を付けた。


「もう、腹立たしいくらいですよぉ?」


 もう数十分の間、彼は逃げているのだ。彼に逃げられているのだ。魔弾を撃ち、銃弾を撃たれ、建物の影に隠れて、策に嵌められ。ジャムった銃は使い捨ての爆弾として捨てられ、服の裏側に隠された予備の銃が遺志を継ぐ。


 絶妙だった。魔法と物理の障壁破り。隠れて伏せての奇襲。爆弾として捨てた銃の起爆のタイミング。どれもが最高に嫌らしく、イザベラの行く手を阻む。


「忌み子にぃ、ここまでの敬意を抱いたのは本当に初めてなんですぅ」


 故に、イザベラは尊敬する。多少戦いの心得があるとはいえ、精々日本人。仁の『限壊』がある訳でも、シオンのような剣技がある訳でも、マリーのような系統外がある訳でもない。なのに、この男は知恵だけで、強者である自分から逃げている。


「……残念ながら、私は貴様らに敬意を抱けない。貴様らの行いは余りにも、許し難いからな」


 対する柊は、決して騎士に敬意を抱かない。銃弾を斬るなんて、いくら強化を使おうが柊には不可能。そこに至るまでには、恐ろしいまでの努力があっただろう。何度も死線を潜り抜けてきたのだろう。だが、尊敬は出来ない。彼女達はその力を、柊達を殺す為に用いているのだから。


「しかし……些か不本意ではある。不本意ではあるが、俺は貴様らに感謝している」


「はいぃ?」


 だが、だが。敬意を抱かずとも、感謝を抱くと。即興の銃と弾故にジャムった銃を投げ捨てて起爆し、柊は笑う。感謝を述べながら殺そうとしてくる柊に、まるで意味が分からないとイザベラは一歩止まって疑問符を口にする。


「俺に大切な人間はいなかった。いいや、おおよそ人間とは呼べないような、人間だった」


「今も人間じゃありませんけどぉ?」


「言い得て妙だ。確かに、俺は今も化物だろう」


 世界が変わるまでの柊は、流されるままに賢く生きていた。人間を信じたふりをして、誰も信じちゃいなかった。守る価値なんてないだろうと思っていた。だって、どうせ彼らも自分の事しか守らない。他者を虐げて快感を得て、弱者から搾取するだけだと。


「だが、お前らが世界をこんなに滅茶苦茶にしてくれたおかげで、俺はようやく人間の善性を見ることが出来た。人間を、信じる事が出来たんだ」


「……存在そのものが悪である貴方達が善とは笑えますけどぉ、私達に置き換えましたらまぁ、頷いてあげますわぁ」


 平和では見えなかった、人の優しさ。危機に直面した時に手を取り合い、分け合い、生き残ろうとした人々達。ようやく知れた。


「俺はようやく、本当に守りたいものが出来たんだ。初めて、人を心の底から信じてもいいって思えたんだ」


「……」


「だから、その事だけは感謝して、他の事は許さない」


 その苦悩と嬉しさは、彼にしか分からないだろう。彼が抱えた孤独で、彼が経験した出来事だ。


「……貴方はぁ、本当に……」


 だが、イザベラは調べた事から思う。何たる皮肉かと。


 人の優しさをようやく知れた彼が、多くの人々から搾取し、恐れられる独裁者となった。


 大切な人がようやく出来た彼が、多くの人々に嫌われる軍を創った。


 人を信じる事をようやく知った彼が、多くの人を信じず、不信によって裏切られて反乱を起こされた。


 ようやく人間になれたと喜んだ彼が、大量虐殺を行い、ありとあらゆる禁忌に溺れて化け物となった。


 全部、逆だ。優しさは搾取へ。大切は嫌悪へ。信頼は不信と裏切りへ。人間は化け物へ。


「これ以上殺されると理性が千切れそうなんでな。先に言っておきたかった……もう、何も貴様らには奪わせない」


「そう、ですかぁ……まぁ、どういたしましてぇと返しておきましょうかぁ」


 忌み子でなければ、と深く思う。ここまで思った事がないくらいに優秀で、献身的で、仲間想いで。余りにも、哀れだった。


「俄然、見たくなりましたぁ!」


「……何をだ?」


 だが、忌み子だったら話は別だ。


「そこまでして守ろうとした街をぉ、ぐっちゃぐっちゃにされた貴方がどんな顔をするのかですよぉ!」


 また一人、ただその場に居合わせたという理由だけで、人の首が飛んだ。狂気の願望が、ただ心のままに牙を剥く。


「あはははははははははははは!また一人死にましたぁ!貴方の街がぁ!」


 忌み子の優秀さはうざいだけ。献身的などどうでもいい。仲間想い?吐き気がする。哀れなんて、なんてこっちが愉快なんでしょう。


「これがぁ!これがぁ!欲しいんでしょう?」


「っ!?」


 ぴらぴらと、イザベラが振り回す魔法陣に柊の足が一瞬止まる。その紙に描かれた魔法が、一体何なのかは分からない。


「帰還用の魔法陣ですぅ!喉から手を伸ばして掴んでごらんなさいなぁ!あはははははははははははは!あははははははは!」


 それは、そう。この街を救う為の最後の歯車。最後のピース。あの魔法陣さえあれば、後は魔女がいるという塔に乗り込んで、会うだけで全てが終わる。


「なっ!?」


「偽物だろう」


 だがその紙の中心に柊は銃弾を撃ち込み、その向こうのイザベラの耳を掠めて断ずる。それは偽物であると。


「貴様はそういう性格だ。偽物をさも本物であるかのように見せびらかし、俺が迷った隙でも突いて最後に偽物でしたと笑い飛ばすつもり……違うか?」


「……本物だったらどうするんですかぁ?正解ですけどぉ!」


 騎士の手に握られた魔法陣が発動し、辺り一面が吹っ飛んだ。後にマリーとの戦いで見せる、広範囲を蹂躙する炎の魔法。


「がはっ!ごほっ……」


 対応出来たのは、ほとんど偶然に近かった。何せこんな魔法がイザベラに使えるなんて、想定してもいなかったから。咄嗟にイヌマキに渡されていた土の盾の刻印を発動していなかったら、身体は消し飛んでいただろう。


「げばっ……はは……これは、やばい……」


 身体は消し飛ばなかった。だが、爆風で飛んできたガラスの破片が、腹に深く突き刺さっている。余りの痛みに深く膝を着いてしまう。


「柊!大丈夫!?」


「紅……?何故ここに……?」


 危機的状況で聞こえて来たのは、昨日の夜に聞いた愛した女の声。死ぬ前の幻聴でも幻覚でもなく、彼女は煙の中から姿を現した。


「来るな!危ないっ!」


「けど、血が出てる!」


 叫ぶ。だが紅は、否姿を真似たイザベラは距離を詰める。イザベラはずっと、日本人の姿をしているものの、変装の系統外を柊の目の前で発動させてはいない。つまり、柊はイザベラの系統外を、知らない。


「危ないと、言ったろ」


「……な、んで……?わた、し……」


 だが、柊は強化した腕で素早く銃を引き抜いて、紅のフリをしたイザベラの胸を銃弾で躊躇いなく穿った。


「どうして、分かったのですかぁ?」


 系統外による変装は完璧だった。柊の事を調べている間に見つけた、女の特徴や姿形は完璧に真似ている。柊はイザベラの系統外を知らないはず。なのに、見破られた。


「偽物は、知らなくていい……あれは、俺とあいつだけの秘密だ」


 系統外は確かに完璧だったとも。たった一点を除いて。


「情報は鮮度が命だ」


 昨晩贈ったはずのネックレスを、イザベラは真似ていなかった。知らなかったから、真似れなかった。


「……やっぱりぃ、貴方は驚異にして脅威なのですよぉ……!」


「柊の兄貴ぃ!こっちです!」


「……今度は、本物のお迎えらしいな」


 通い慣れた道を逃げて行くうちに、辿り着いたのは串焼き屋のすぐ近くだった。それは柊に親しい者達が、もしかしたらと思った心当たりの一つ。


「逃がしませんわぁ!」


「悪いが、逃がさせてもらう」


 串焼き屋の屋台の下から空いた穴。そこから顔を出したのは、双葉だけではない。柊を探して地下を走り回っていた、軍人達がイザベラの前に立ち塞がる。


「邪魔ですぅ!」


「邪魔してんだから当たり前だろ」


「……解体、してあげますわぁ」


 彼らは死ぬ。死んだが、彼らの戦いは勝利に終わった。肉壁が十数人死んだ間に、柊は地下へと行方をくらませたのだから。








「……こういう、訳でな……まさか、俺を最初に狙ってくるとは、思っていなかった……」


 柊は苦しげに、ここまでの事を話し終えた。凄まじい。あのイザベラを相手に、日本人がたった一人でここまで戦うなんて、驚愕に値する。


「す、すごい……」


「……柊さん、貴方……」


 シオンが素直に賞賛の声を上げる中、仁は違った。いや、驚いていたとも。驚き過ぎて、声が出ない程に。


「イザベラの存在に、気付いていましたね?」


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