第120話 転がる絶望と聞こえない声
「どうやら私の事を聞き付けて、人が集まってきたようです。ごめんなさい」
どうして立ち直ったのか。そんな事を聞く暇はなかった。聞こえる足音、怒声に罵声に鬨の声が、この家を中心に集まってきているのだから。
「地下に通じる道がある。そこから逃げるぞ」
「いえ、私は行きません。囮として敵を引きつけてから、合流します」
「この街の地理なーんも知らない癖に後で合流?死ぬ気にすぎるでしょ。ほら、行くよ!」
騎士は日本人にとってトラウマの権化、虐殺の象徴とも言える存在だ。家に沸いたゴキブリを叩き潰すが勢いで、軍も反乱軍もごっちゃになって殺しにくるだろう。
「大丈夫です。この程度の有象無象、片腕でも制圧は余裕です。追跡する者がいなくなってから、地下道から追いかけます。そうすれば、追いつけるでしょう?」
「けど!」
「いいから行きなさい!奴らは私を追ってきている!なればこそ、私が囮になるべきなのです!それともなんですか?貴方達は子供を逃したくないのですか!」
「っ……」
故に堅と環菜は撤退を進言するが、トーカは大声で二人を叱責して拒絶。確かに彼女が囮にならなければ、奴らは血眼になって家の中を探し、地下道を見つけ出して追ってくるだろう。そうなれば、子供達や地下に避難している人にまで危害が及ぶかもしれない。
「さぁ早く!」
「……頼む」
選択肢はない。トーカにこの場を任せ、堅と環菜は子供達を環菜は抱えて地下道へと降りていく。もう物音は、家のすぐ近くにまで寄ってきていてた。
「死ぬんじゃないわよ。あんたのやった事は、死ぬだけで許される事じゃないんだから」
「ええ。もちろんですとも。こんなところでくたばる訳にはいきません」
去り際に交わされたのは、どう接したらいいのか迷ったまま素直になれない環菜の言葉と、ようやく素直になれたトーカの言葉。そうして騎士は五人が消えた穴をしばらく見つめ、意を決したように土魔法で蓋をした。
「我は騎士。守る為の戦いは、得意です」
自分が匿われていた孤児院を飛び出し、人々の前へとその姿を大々的に晒す。
「騎士!」
「なぜ、なぜここにいる!他の奴らもいるのか!」
向けられるのは憎しみ、疑惑、恐怖、恨み、殺意。どれもどれもが負の感情ばかりの、視線と声と武器。ああだが、それは全て当然の事。自分の行いが招いた事。故に、トーカは平然と立つ。
「安心してください。単独行動です。ですが、だからと言って貴方達に殺されるつもりは毛頭ありません」
まるで悪びれもしないような態度は、火に油を注ぐ。たった一人、しかも手脚がほとんどない女性の騎士。自分達でも勝てるのではないかと、怒りの火が恐怖という闇を明るく照らす。
「無駄な殺しは出来る限り避けたく思います。私を本気で殺したい人だけが、殺される覚悟のある者だけが、来なさい」
「うるせぇ!やっちま」
「よろしい」
「……え」
剣を掲げて立ち向かってきた刻印兵の腕が、ぽとりと落ちた。彼に追随していた者達の口には氷の杭が押し込まれて、氷の温度となった口内にもがき苦しんでいる。声をあげようとすればするほど、口の中が張り付いて剥がれ、また血が凍って痛むの繰り返し。
「あ、当たらねえ……」
「う、うわあああああああああああ!?痛くない……!?痛い痛い痛い!」
痛みにようやく脳が気づいて、転げ回る隻腕の男。口を抑えて暖かさを求め喘ぐ三人。撃たれた弾丸を阻む絶対の物理障壁。怒りは冷水を浴びせられたかのように消え上せて、再び恐怖が人々を支配する。
「撃つな!同士討ちになる!障壁がある以上無駄だ!」
「誰だよ!俺を斬ったの誰だよ!」
統率もなく押し寄せる武装した人並みの中にトーカは飛び込み、制圧を開始。全員を殺さない事は不可能だが、それでも同士討ち以外で彼らが死なないように最大限気を遣ってだ。
「貴方達の刃は、私に届きません」
多勢に無勢。しかし、この戦場に数の有利なんてなかった。たった一人の圧倒的強者が、弱者の群れに飛び入り、暴れ回り、掻き乱し、斬り伏せる。弱者の攻撃は全て障壁に阻まれて意味もなく消え失せ、むしろ外れたそれらは違う弱者に当たって血を流させる。
「何も、何も変わりません」
斬りながら思う。自分と彼らは、何も違わない。た髪と眼の色が違うだけ。魔力がないだけで、人間として違わない。
「貴方達の行いは、騎士のそれと同質です」
今斬っている彼らは、守る為に戦いを挑んでくるものだ。トーカをこの場から動かさないよう、負けると分かっていても逃げはしない。それは、幼い自分が憧れた騎士そのもの。
「なのに、私達は……」
罪を犯した。勘違いによる大量虐殺なんて笑ってしまうくらいに、最低で。後悔に手が止まりそうになるが、それでも今一度強く剣を握って、日本人を救う為に日本人を斬り続ける。
「この剣は黒髪を斬るものではなく、大切を守る為に」
だが、前とは違う。今度は、自分の手では絶対に殺さない。例え殺されそうになっても、殺されても殺さない。
「どうか、お願いです。私に、私達に償いを」
家族を、仲間を、大切な人達を殺された復讐を乗り越えて、自分を助けて匿い、真実を教えてくれた人。撃たれそうになった時に庇い、好いてくれて、漫画を読んでくれた子供達。
「正しさを教えて、間違いから助けてくれた人達を、私に守らせてください」
後悔はあれど、迷いはない。以前とは違い、ブレのない剣技は人を殺さぬ刃無き剣にて振るわれる。
「……そして、その先で」
あり得たかもしれない、忌み子という概念のなかった世界。いや、これからはそうなる。そうさせてみせよう。
トーカと堅が、再会を果たした時と同刻。
「仁は、それでいいの?」
「負けた以上、そうするしかない。このまま内乱が続けば、本当に取り返しのつかない事になる」
手脚を捥がれた仁に不安そうに寄り添い、彼の決定を確かめるシオン。だが、仁はもう一度深く頷いて、軍の降伏を促す事を肯定。
「終わらせるなら、早めにお願いするよ。戦いが続いてもこじれるだけだ」
「軍本部に放送室があったと思うけど、そこまで行けるかしら?」
降伏勧告をどう伝えるか議論が進む中、シオンが仁の身体を触って怪我を診始める。
「どれくらいで治る?」
「治癒魔法を使えば数日もいらない。今回負った負傷や『限壊』による筋肉や骨への負荷は、そこまでじゃないから」
確かに戦闘時間は短かったし、ジルハードの時と違い、マリーから受けた傷は全て元通りになっている。あの時ほど、酷くはないらしい。
「でも、刻印の代償がまた進んでる。このままじゃ、本当に……手脚は診れないけど、今はどうなってるか」
「……」
幾ら負傷が少なくたって、仁の戦い方治し方は大きな代償を残す。仕方のないこととはいえ、シオンの泣き顔には大きな罪悪感を覚えてしまい、眼を逸らす。
「楓さん。貴方も、裏切ったんですね。理由は桃田さんと同じですか?」
「え、あ……はい。そうです。ごめんなさい」
その視線の先にいたのは、裏切り者の楓だ。やはり後めたいのか、険しい目つきに責められたと思ったのか、彼女はすぐさま頭を下げる。せめてものお詫びのつもりか、持っていた鞄から包帯を取り出して、仁の近くに駆け寄り、
「心配する資格、ないかもしれないですけど仁君の怪我、おーけーですか?少し、診せてください」
「おう、頼」
その先の一文字が出てこなかった。神経という神経に電流が走ったかと思った。「なぜ」という言葉で頭の中が溢れて、最悪の想定がその「なぜ」を全て振り払って、ある決定を下す。100%じゃない。だが、勘違いであろうと、手を打たねば全てが無意味となる。
「シオンッ!マリー!楓を殺せっ!」
例えその勘違いが、楓を殺す結果になったとしても。
「え?」
「ちょっと何を」
突然叫び出した仁に、そしてその言葉の内容に呼びかけられた二人は止まって動かない。
「仁君。一体何の冗談かな?」
自分の婚約者を殺せと叫ばれた桃田は、今にも銃口をこちらに向けそうな程の鋭い怒りを隠そうともせずに笑い、
「あらぁ、バレてしまいましたかぁ?でもぉ」
楓は虚空庫の中からぬらりと光る短剣を取り出し、仁に突き立てる残り一歩を踏み出した。
「もう、遅いですわぁ」
明らかに毒らしき液体が塗られた刀身はもう、シオンでも間に合わない位置にある。仁の手脚はマリーによって奪われていて、防御は不可能。最後の砦であった肩の刻印から出た氷は、イザベラの風の刃を防いで散って。
「さようなら。ゴミ屑」
獲った。楓は至高の笑みにその顔を歪めて、
「なっ……!?」
仁の口、いや、口の中から伸びてきた氷の剣に短剣を弾き飛ばされて、驚愕に顔を歪め直した。
「ああ、分かってた。だから呼んだんだよ。お前の油断をな」
シオンとマリーにいきなり仲間である楓を斬れと言っても、動けるわけがないと分かりきっているとも。その上で言った。もう策なんてないも思わせるように。
「奥の手使わされちゃったよ。刻む時にとてつもなく痛かったてのに」
刻まれた時に悶え苦しんだ不意を突く為だけの舌上の刻印を発動させて、刃を弾いた。
してやったりとした顔の仁だが、内心では冷や汗が止まらなかった。恐らく相手が獲ったと確信していなければ、一切の油断もしていなければ、この刻印も対応されていただろうから。
「なぜ、ここにいるんだい……?」
この女は、それだけの剣の使い手なのだから。しかも、騎士道に反する毒の刃ときたのなら。
「イザベラ・リリィ!」
見た目を自由に変化させられる系統外を持つ、楓の皮を被った女の名を、仁は確信を持って呼んだ。
「はぁ……な、何を言って?何をして……」
「だぁいせぇいかぁい!ぱちぱちぃ〜!」
イザベラの事を唯一知らず、婚約者である桃田だけを置き去りに、楓の顔を彼女が到底浮かべもしない妖艶にして残忍な表情に変えて、手を叩く。ふざけているのに、その立ち振る舞いにどこにも隙はなく。
「嘘。だって、魔力眼で見てもただの日本人なのに!」
「系統外ですよぉ?魔力の有無なんて簡単に出来ますぅ」
異世界人である以上、魔力を隠す事はできない。だがそれさえ隠すのが、この世のルールを歪めるのが系統外だ。
「でもぉ、だからこそぉ分からないんですよぉ!どうしてぇ、分かったのですかぁ?」
「OKの意味。大丈夫だって教えたけど、使い方が間違ってる。怪我の相手には使わない」
姿形は完璧だったとも。ボロが出たのは海外の人々が苦しむ、同じ言葉の使い分けの部分。仁とかつて共に旅した間に教えた「OK」を、イザベラは使い間違えた。
「現地の言葉を使えばぁ、バレないと思ってたんですけどぉ……逆効果でしたかぁ」
「それに……楓さんは僕らの事を……仁君なんて呼ばない……」
そしてもう一つ。仁が半信半疑を確信に変えたのは、恐らく楓が残したであろう罠。普段は仁さんと、彼女は呼ぶのに。その事実を功績だと、彼女の残した物だと、絞り出すように僕は突き付ける。
「あの女ぁ。よくも毒を仕込んでくれましたねぇ……!おかげでバレちゃって大変ですぅ!」
「本当に大変ね貴女。よりによって、これだけの戦力がいるところで姿を表すなんて……ねっ!」
あははと憎しみの言葉を吐きながら笑い続けるイザベラに、マリーは最大範囲の金色の炎を放つ。仁もシオンも桃田も周りの人も関係なく巻き込み、敵だけを焼き尽くす防御不可の一撃。
「あはぁ!これだけの戦力がいるからこそですよぉ?」
だが、だが。障壁で防ぐ事は出来なくとも。
「っ!?全員逃げろおおおおおおおおおおおおおお!」
打ち消すことは出来る。イザベラが虚空庫から取り出したのは、とても長い魔法陣が描かれたスクロール。それの意味をシオンとマリーは魔力眼で気付いて、仁は騎士の浮かべた邪悪な笑みで悟って、距離を取る。
「お・そ・いですぅ!」
吹き荒れたのは、金ではない赤色の炎。燃やす対象を選ばず、範囲内全てを焼き尽くす普通の魔法の、とてつもない大きさの炎だ。
「方法として考えてはいたけどさ!」
その灼熱の温度は道を溢れ、家も建物も死体も人間も銃も地面も、等しく舐め上げて焦がす。助かったのは『限壊』で桃田を抱えて飛んだ仁と、いち早く気付いて最高硬度の土盾を展開したシオン。そして、身体の半分を焼かれて再生したマリーだけ。さっきまでシオンと戦っていた反乱軍は、皆焼けた。
「あんな魔力、どっから持ってきやがった!」
幸い、五つ子亭はイヌマキによって守られていたようだが、その他の建物は融解し始めていた。こんな高威力の魔法、シオンとマリーでもない限り魔力が足りないはずだと仁は熱風に吠える。
「……ここに来れなかった兵士達です。マリー。貴女に手脚を捥がれて戦えなくなった兵士達が、貴女に勝つ為に託してくれたものです」
多くの日本人の命を奪った炎は、彼女の仲間が託した意志の炎。普段のふざけた喋りは何処へやら、底冷えするような声でマリーへと剥き出しの殺意をぶつける。
「待ってくれ……楓……いや……なんで……?」
「……桃田さん。落ち着いて、聞いて下さい。あいつは楓さんじゃありません。イザベラ・リリィという名前の、姿形を化けられる騎士です」
呆然と、愛しい人がいきなり仁を殺そうとして、魔法をぶっ放して大量虐殺を行った事実にただただ呆然と、桃田は疑問を繰り返す。そんな彼に仁は努めて冷静に、事実を伝える。仁だって気が狂いそうだ。既にだし、これから桃田にこの事を伝える事を考えればもっと。
「じゃあ、本物の楓、は……?」
聞いちゃいけない。でも、聞かずにはいられない質問だった。この場で分かって俯いたのは仁だけで、シオンもマリーも、その答えを見守る。
「んんん!知りたいですかぁ?知りたいですよねぇ!大事ぃな大事ぃなぁ、恋人の、い、ば、しょ!」
だが、この女は、世界は、底なんてないと言わんばかりに最悪で、醜悪で、最低で、残酷だった。
「ええっと、これだったかなぁ」
べとり。
「これもだしぃ、ああ、これもですぅ!」
どさり。どさ。
戦場の時が、止まった。イザベラ以外の誰もが、声を失った。声が出せなかった。ただ、目の前の光景を受け入れられずにいた。
「たっくさん!たっくさん!」
どさどさどさ。
「あ…………ああ!ああああああ!」
ごろり。
「もぉこれで、分かりましたよねぇ?ほぉら、可愛らしい唇ですよお?今は血色が悪いですけどねぇ?あ、ちゅうでもしますかぁ?」
目を閉じて転がった生首、蜂須と同じように細かく切り分けられた、全身のパーツ。
「あは!あはははははははははははははは!いい!顔ですぅ!」
「あああ、ああ、ああああああ、あああああああ!」
それは、紛れもなく、楓だった。
「ああああああああああああああああああああああああああああ!!!あああああああああああああっ!!」
声が響く。虚しく、寂しく、痛々しく、聞いてられないような、街中の人間に聞こえそうな、絶叫。でもその声は、一番大好きな人にはもう聞こえなかった。




