第118話 説得と甘言
空を斬った。なぜなんて、分かりきっている。動きを読まれて、距離を置かれていた。
「え……あ……?」
聞き間違いかと思った。何せ耳の中まで火傷しているのだから。
「やっば、り?」
喉が焼き切られ、声も思うように出ない。真っ白なのか真っ黒なのか分からない視界は、何も映らない。限界を迎えた身体は重力に抗う力もなく、地面に倒れ込む。
「貴方と似たような戦い方を、ジルハードがしてきたわ。彼は両腕を焼き切られるその瞬間を待って、土の腕で油断した私の首を刎ねた」
耳だけがマリーの系統外によって治され、彼女の声が痛みでグジョグジョになった思考の中で虚ろに響く。そんなの初耳だった。まさか自分と同じような戦い方を、しかももう治らない実戦でする馬鹿がいたなんて。
「特攻する兵士は何人もいたけれど、わざと油断を誘って勝ちを確信させてから、何かを犠牲にして取りに来る人は稀。でも、貴方ならそうするだろうと私は信じたの」
身体に穴開けて止血して、その上で戦いに来る仁の姿を見て、マリーは勝利以前に確信していた。この男はきっと、捨て身の作戦で来るだろうと。そういう性格の男だと。
「さ、これで終わりで私の勝ち。降伏した者の安全は保障する。手伝ってもらうわよ」
「ま、で」
「ちょっ……!うそ……」
そう言ったマリーの首筋をひんやりとした刃がかすって、熱い血が流れ出す。気付くのに後少しでも遅れていたのなら、取られていた。もう勝ちだと思って、魔法障壁を解除していたのが悪かった。いいや、予想出来なかった。
「ねぇ貴方、本当に死ぬわよ?」
「じ、なねえよ……まだ、な」
全身に酷い火傷を負い、目も見えず、筋肉だってボロボロだというのに、彼が立ち上がるなど。
治療を拒絶したのは、まだ戦いの途中だから。目が見えないのなら、辺り一面に氷の刃を伸ばせばいい。僕の意識は痛みに落ちて、俺が今全て味わっている。吹かれた風に今にも倒れそうだ。右の氷の義足はもう溶け始めていて、体が斜めに傾いている。
だが、それでも立っている。
「がはっ……はっ……はっ……はあああああああああああああ!」
なんとか息をかき集めて、壊れた声でよたよたと歩き出して、最早持ち上がりもしない剣を引きずって、それでもまだ戦おうとするその姿は、醜い。諦めないかっこよさなんてなく、ただ惨めに無様に完全なる敗北から逃げようと、決闘という枠にしがみ付いているだけ。
「あっ……うがああああああああああああああ!?」
「……」
何もないところですっ転んで、地面に触れた火傷に転げ回ろうとして回れなくて、痛みに痙攣するように飛び跳ねる。なんともまぁまぁ、敗者の極みと言ったところで。マリーは何も言わず、冷ややかな目で見つめて、
「馬鹿なのかしら?」
仁の頭が足りないと、蔑んだ。そんなの百も承知だと、見えない目で声のする方角だけを睨み返す少年から距離を取りつつ、魔法を展開。
「自己犠牲の権化。到底『勇者』として認められるはずもない過去を持つからこそ、『勇者』であろうとした者。諦めて、失うのが怖いから戦う人」
これだけ諦めないのは、自分の負けが軍の負けで、その先にある未来がないと仁が思っているから。負けちゃいけないと思っているから、残り一秒10点差のサッカーの試合のような今でも諦めない。その理由は分かる。理解できる。
「貴方に勝ち目はない。これ以上の戦いは、貴方が傷つくだけの無意味、いいえ。有害なもの。負けたなら、ダメな未来を良いものに変える為に無駄な傷は負わないべき」
だが、もう負けなのだ。どれだけ足掻こうと天地がひっくり返ろうと、一秒で10点は入らない。奇跡でも無理な事はある。そうなったなら、負けを認めて次に繋げる努力をするべきだ。仁の場合、少しでも身体を大事にして次の戦いに備えるなど。
「あっ……」
「傷はもう治したわ。もちろん、貴方が自分の魔法で負った傷は治らない。治癒は手伝ってあげるけど」
視界が回復し、痛みの皮が水につけたように消えていく。残っているのは、度重なる『限壊』の使用で回復の間に合わなかった箇所のみ。それさえも、マリーは治癒魔法で癒してくれている。
「この反乱はもう、柊にも止められないのは分かっているでしょう。私達は軍が倒れるまで戦いを続ける。軍は身を守る為に戦い続ける。どちらかが倒れるしかない」
軍の特権にしがみついてきた者は、自分達が恨まれていることを知っている。軍を信じて戦ってきた者は、軍がなくなればまた街が無秩序になると知っている。反乱軍は、軍がなくならない限り自分達の暮らしが良くならないと思っている。
「軍が縋り付いている希望の貴方が負けたなら、武器を手放す者は多いはず。降伏した者には、ちゃんと相応の扱いをする。さすがに、中核の人物は難しいかもだけど」
どちらもすでに引けない。しかし、それでは共倒れになってしまう。出来る限り穏便に済ませるには、主力や旗印である存在をへし折って、抵抗する気力を失せさせて、安全という餌で釣るしかない。
「手伝って。これが犠牲の少ない反乱の終結方法だわ」
「軍が無くなったら、この街はどうなるんですか……!あと数十日で、終わったのに!なんでこのタイミングで!」
この反乱は終われるだろう。だが、その先には何がある?前と同じく、力が支配する街か?
「民主的に運営する組織が軍に取って代わるわ。少なくとも配給に偏りはないし、特権階級もない。そんな街になる。今より絶対、餓死者の少ない街に」
「……理想過ぎる。その方法じゃきっと、食料なんて保たない」
それとも、理想を実現しようとして現実に打ち負かされる未来か?軍は食料が少ないからこそ、配給を操作して口減しを行っていた。人間として許せないだろう。だが、それを行わねば、これほど長くの配給は行えなかった。
「兵士はどうするんですか?まさか餌もなく、有志で募ると?果たして内乱を抑制して、騎士と戦えるだけの数が用意できますかね」
「今回の反乱のように、人は必要に迫られれば立ち上がれる。内乱が起きないような街にすればいい」
現実的な視点から見るなら、軍のシステムは非常に完成されていた。マリーの口から語られる新しい街のシステムはいささか、人情とやらを信じすぎている。現実として、それでやっていけるのだろうか。
「それとも、この街に生きる人間の事が信じられない?」
「……それ、は……」
言われてハッと気づいて、仁の知る何人かの顔が頭に浮かぶ。彼らなら、そのシステムでも生きていけるかもしれない。だけど、その思い描いた彼らは今、変革に抗い、銃弾にその身を晒していて。
「今ならまだ間に合う。私達としても、軍の戦闘経験を積んだ兵士達は欲しいの」
「……」
悩む。本当に軍なしでもやっていけるのか?少数を切り捨てずに、この世界を生き延びる事ができるのか?この反乱の残した爪痕は、また新たな反乱や虐殺を呼ばないだろうか。
「決闘の契約に、従います」
分からない。分からないけれど、仁は負けてしまった。なら、マリーの言う通りこの先の犠牲が少なくなるように行動するべきだろう。ここで不意打ちしてマリーを殺しても、未来は無いのだから。
「ありがとう。じゃ、まずはシオンちゃんから止めに行きましょう。シオンちゃんは絶対に殺さないようにと指示が出ているけれど、万が一はあり得るわ」
「……はい」
選べる選択肢はなかった。迷いを抱えたまま、敗北者は勝者に従って、情けなく守ろうとした場所へと帰還する。
「じゃ、手脚を一旦切り落すわね」
誰もが、二の足を踏んでいた。自分達が対峙する存在が、余りにも強すぎたから。
「あ、あの女がシオン……」
銃火器は障壁によって意味はない。それだけでも恐ろしいのに、強さの次元が違う。裏切ってこちら側ついた、もしくはマリーによって刻印の刻まれた兵士が何人同時に戦いを挑んでも、軽くあしらわれてしまった。
「無理はしないでね。あの子をここに引きつけておくだけで良いから」
「は、はい!桃田さん!」
裏切り者そんなは死者なき蹂躙を、予想通りだなぁと困った顔で指揮を取っていた。どう足掻いても自分達の敵う相手ではない。しかし敵わなくとも、シオンの後ろの店を人質に釘付けには出来た。
「こちらとしても、あの店の人材と貯蔵してある食料は残しておきたいから、くれぐれも壊さないように。絶品なんだよね。食べた事ある?あそこの野菜炒め」
「い、いえ、ありません」
反乱軍における桃田の立場はかなり高い。何せほぼ初期からメンバーに属しており、軍の情報を何度も横流しするスパイであった。柊に近づいてもなお、裏切っていた事を気取らせなかった脅威の男だと上も下も一目置いている。
「これ終わったら一緒に食べに行こうか。出してもらえるか分からないけど」
「は、はぁ」
かつて仲間だった者達に反旗を翻した時、彼が何を言うかと思えば、まさかの食に関するもの。しかも、自分達が裏切った人間が作る料理の事だ。会話を振られた男は、その狂気ともいえる口振りにまともな返事をする事もできない。
「桃田さん!?本当に……!」
「シオンちゃん。あの後、デートどうなった?」
後方に控えていた裏切り者を発見したシオンの顔が苦しげなものに変わり、気の抜けた声に怒りに歪む。
「なんで、裏切ったの!あんなに柊さんの事をすごい人だって言ってたのに!」
「言ったろシオンちゃん。俺は少数派を切り捨てるなんてまっぴらごめんだってね。褒めたのはまぁ、そうしてれば疑わないでしょ?」
「……!」
が、桃田のへらへらとした言葉にショックを受けた表情に。人と接した事が少ないと聞いている。裏切られた経験なんて、もしかしたら初めてなのかもしれない。
「楓さん、は!」
「一昨日に全部打ち明けたよ。最初は反対したり戸惑ってたりしたけれど、現状を知って最後は納得してくれた。司令を捕縛する役目で今は動いてる」
「うそ……」
人質に取られたと思っていた楓も、グルだった。その事実にシオンの目が大きく見開いて、潤み始める。数日前に恋愛についての会議をしたばかりだったのに、自分は裏切られた。
「降伏するなら、悪いようにはしない。特に君と仁はとても貴重な戦力だから、それなりの待遇で迎い入れるよ」
「仁が頑張ってるのに、私が諦めるわけないでしょ!」
取り囲もうとする兵士達を殺さないように、土魔法の棘のない杭で一掃。やっぱり無理かと頭を掻きながら、彼女に降伏を呼びかける。
「そうじゃない。君の意思の話をしよう。軍に拘る必要は、あるのかい?」
「だって、軍のおかげでこの街は今まで存続出来たって……」
「ああ。そうだとも。転移黎明期の街の惨状は、見るに耐えないものだった。無理矢理力でねじ伏せるしかなかった。なにせ、奪わないと奪われて死ぬのみだったからね」
あの時は酷かった。人間とは流されやすい生き物である。一部が生きる為の略奪と暴力に染まれば、それはすぐさま街全体に広がって行った。その色に染まる事を拒否するのは、ただ奪われるだけの存在になり、死ぬ事を意味していた。
「だが、今は違う。もう街に暴力の色は軍しか残っていない。奪うのは軍だけだ。今回立ち上がったのも、これ以上奪われない為だ」
「……」
シオンの心が揺れているのが、分かる。彼女は優しい。だからこそ、大義はどちらにあるのかと悩んでしまう。
「俺らはもう、軍なしでも生きていける。シオンだって嫌だったろ?軍人にならなければ、餓死するような街を見るのは」
「それは、そうだけど……」
犠牲を出してでも確実に生き延びようとした軍と、犠牲を許さずに生き延びようとする反乱軍。シオンの好みは間違いなく後者だろう。
「軍に守りたい人がいるのなら、その人達もまとめて降伏すればいい。どうかな?」
「っ!?」
「悪い事じゃない。君が降伏すれば仁も続くだろうし、新しい組織でも守る為に戦う事は出来る」
でも戦い続けるのは、シオンの守りたい人達が軍の中にたくさんいて、彼らが処刑されたりしないか心配しているからだ。だが桃田はその辺もしっかり分かっていて、少女を甘い声で誘惑する。
「どう、かな?」
桃田 和希。スパイにして裏切り者。誰もが裏切っていた事に気付かず、仲間の面をして平然と情報を流し続けていた男。そんな彼が並べた条件に、シオンは戦う意味を見失いそうになる。
「私、どう、したら……」
街を守れれば、それでいいと思っていた。軍がなくなっても守れるなら、降伏した方がいいだろう。でも、確証はない。
「仁だったら、この時どうするの……?」
この場にいない彼の思考に頼れど、答えは返ってこない。仁ほど深く軍に踏み込んでいない彼女には、自分の答えが出せなかった。
「和希!柊司令、見なかった!?」
「ん?あ、楓……どうしてここに?」
「司令に、逃げられて……!もしかしたらここに逃げ込んだんじゃないかって……!」
悩むシオンの耳に入ってきたのは、聞き覚えのある女性の声。それもここ数日、何度も聞いた。時に激しく激励し、時には甘く惚気たり、時には優しく慰めたりしてくれた、もう一人の裏切り者。
「可能性はあるけど、まだ見てないよ。ここを張るのはとてもいいアイディアだと思うけど」
「楓さん……!」
「そう、見てないの」
シオンの睨むような、信じたくないものを見るような目を向けられた楓は、罪悪感があるのか俯いてしまう。
「うそ……!?」
だが、シオンにとって真に信じられない光景はまだあった。それは。
「仁?」
「……ごめん。負けた。僕はちょっと、容量オーバーで気を失ってる」
ボロボロになって手脚を失って、反乱軍に拘束されるように連れてこられた少年の姿だった。
「……どういうこと?」
「待ってシオンちゃん。仁の手脚が全部ないのは、一時的な私の系統外の処置だから大丈夫。この戦いが終わったら、ちゃんと元通りにするから」
戦う理由が再び見つかったと剣を構えたシオンを、必死になってマリーが引き止める。普段は優しい彼女が覗かせた本気の怒りは、先の仁の醜悪なまでの諦めの悪さ以上に、マリーの背筋を震え上がらせた。
「……絶対?」
「約束する。必ずだ」
「…………そう」
剣を収めたシオンに、その場にいた全員が思わず息を吐いた。
五つ子亭から避難した軍人達の間で、地下道を使って柊を捜索する案が可決されて実行に移される中、二人の男女は柊ではない人物の為に走っていた。
「急いで!地図だとここ!」
「んーと。あの店がここで……よしできた。これで後はもう直通だな。んじゃ、俺は柊捜索の方に戻るぜ」
辿り着いた行き止まりで息を整えつつ、店の地下に保存されていた地図を取り出す。指を差して位置を教えれば、後はイヌマキの馬鹿げた土魔法でトンネル開通だ。
「……来ないの?」
「柊が隠れそうな場所に幾つか心当たりがあるそうだが、その中に道が繋がっていない所が結構あってな。悪りぃがそっち掘らなきゃならねえ」
「そうなんだ。柊さんの事、お願いね!」
イヌマキがトーカと会う展開も覚悟していたが、どうやら今は避けられたらしい。まぁこれだけの騒ぎだ。終わった後に彼女を隠す事はもう無理かもしれない。
「まぁ任せな。そっちこそ、何隠してるかしんねえが、気ぃつけろよ」
「ありがとう。感謝する」
だが、今露見して更に軍の不利になるのは避けたいし、万が一にでもトーカが脱走していないか確かめねばならなかった。ここまで送ってくれた犬に別れを告げ、孤児院がちょうど真上にある位置に止まって、確認を。
「子供達とトーカがまだ部屋にいたのなら、とりあえず地下に逃げる。いいね?」
「いなかったら外に出て捜索開始……行くぞ」
親代わりの二人は、土の扉を押し上げて孤児院の中へと入る。
「何これ」
そして彼らは、血を流して倒れている見知らぬ男を見て、顔を青ざめさせた。




