第117話 本物と偽物
外から戦いの音がする。男の叫びも女の悲鳴もごっちゃごちゃ。内側だって例外じゃない。地下に開けられた穴に逃げ込んでいく人の群れ。逃げるのは後回しにして、戦況を確認したり作戦を練ろうとする者。泣く子供になだめる親。そして、
「行かねえと子供達が!」
「ちょっとバカ!今外に出て行くって死ぬ気!?」
「でも!」
親ではないが親代わりである男が、扉に手をかけて、女が後ろから羽交い締めにしていたりと。
「あんたの心配は分かる!けど、子供達に何かする程反乱軍も外道じゃないわ!」
「分かってない!俺らは軍人だ!軍人が経営していた孤児院なんざ、絶対に復讐で狙われる!そうじゃなくてもドサクサに紛れて泥棒だって入るだろう!そしたら!」
子供達が殺されるかもしれない。この状況だ。運送屋の四人も身動きが取れない。それに堅の心配はもう一つ、言外に隠されている。トーカの事だ。心をへし折ったが、それでもまだ彼女が立ち上がろうとするならば。この混乱は絶好の好機だ。逃げ出せるし、なんなら流れ弾を装って仁やシオン、マリーを殺すかもしれない。
「なんだ。てめえらの子供が外にいんのか?」
「ち、違う!孤児院だって言ってるだろ!」
「ま、子は子か……はぁ」
取っ組み合いを始めんばかりの勢いの二人の眼の前で扉が開き、入ってきたのは一匹の犬。脳に響く勘違いの声に怒鳴り返すと、彼はどこか遠いところを見つめるような目をして。
「特例だ。場所を教えな。地下道を伸ばして連れてってやる。ちょっと魔力と時間使うが、まぁ誤差の範囲だろ」
「……本当か?」
「ああ。本当だ。親ってのは子を守らなきゃならねえ。例えどんな事があっても、どれだけの時が経とうとも、俺はそう思ってる」
この大悪魔の事なんて、ほとんど知らない。だが堅と環菜は今日知った。彼に家族がいて、きっと最後まで守ろうと、命を賭して戦ったんだろうという事。
「それに不思議なもんでな?今も昔も、良い事ってのは大して変わらねえのよ」
そしてこの犬っころが、とても良い人間だも言う事も。
「少し、予想外の事があるかもしれない。だが話し合いは出来るはずだ」
「あ?」
目を合わせて二人は迷って、頷いて答えを出して口に出す。この悪魔ならば、トーカと会わせても問題はないだろうと。
「頼む。連れて行ってくれ」
「なんか隠してんだろうが、まぁ良いか」
「紅達!ここ、頼んだよ!」
頭を下げて五つ子亭の面々に後を任せて、地下へ避難している一団へと加わった。
「にしても柊の野郎。一体いつになったら約束の地下道に降りてくるんだ?」
トントンと脚を軽く地に付けて、動作確認。黒い皮膚が増えたが、亀裂は塞がっている。会話での時間稼ぎは成功だ。しかし、問題はこれからである。
(出来る限りの手は打った)
仁とマリーの戦いだけを考えるならば、長引けば長引く程、『限壊』の使用が必須である仁は不利となる。だがしかし、長引けば長引く程、五つ子亭内の避難は進む。その上、マリーが仁に釘付けともなれば、町全体の状況は変わってくるだろう。どっちに転ぼうとも、役割は果たせる。
(ここでマリーさんを引きつけているだけ上々)
そもそも練度や装備が圧倒的な軍が負けているのは、マリーの要因が大きい。彼女がたった一回、魔法ぽいっと投げるだけでその場が制圧されるのだから。
(戦況はこれで多少マシになる。少なくとも一方的な蹂躙にはならず、拮抗まではなんとか……!)
しかし、彼女がいないならば?いくら軍内に裏切り者がいようと、絶対の数の差を覆す程ではない。不意を打たれず逃げ出さずにまともに戦えば、士気の差はあれど軍が勝つ。
(ただ問題は、本当に着地点をどうすればいいのか分からないって事かな!)
問題なのは、軍が勝っても先が見えないという事である。勝ちすぎても負け。負けても負け。残る引き分けでも、果たして収まりがつくのだろうか?
(一応、暫定として作ってそこを目指してる)
仁が思い描く唯一の光は、ここでマリーを誇りで味方として縛り、彼女の系統外で反乱軍を制圧する事である。完全に味方となってくれるならば、再発さえ防止できるだろう。何せ念じるだけで、マリーは自分がつけた傷口を開けるのだから。
(でも、これは僕らのだ。反乱を予期していたなら、柊さんは絶対に着地点を作っていたはずだ)
しかし、これは余りにも不確かで、犠牲も爪痕も多すぎる着地点。間違いなく、後世に良くない影響を残す。ならば、柊はどこを見ていた?それはきっと、手記に残されているのかもしれない。
(見たいけど、全体の指示がないのはおかしい。やっぱり、イレギュラーもあったと見た方がいい)
何かがあった。柊でさえ読み違えたどこか。それがきっと、彼が今指示を出せない理由だろう。
(一体、何が?)
「俺君!全力回避!」
「っ!?」
そこまで考えたところで僕の声に呼び戻されて、決闘が開幕。ニッと凄味のある笑みを浮かべたマリーの身体から、金色が溢れ出す。
「開幕から……!?」
「読めなかったでしょ?」
読めるわけがない。開幕一番、切り札をぶっ放してくるなんて。範囲最大数十m。触れた瞬間に不治にて致死の傷を与える、金色の炎。その強さ故インターバルを要し、ここぞという時にこそ使うべき魔法なのに、彼女は何の躊躇いもなく。
(だが合理的!もう少し距離をとって開戦すべきだった!)
前は論外。しかし、後ろに下がるのも動作的に難しい。横には建物。それでも、頭を覆うのは後悔ではなく、前に進むための思考。
「飛っべえええええええええええええええ!」
前後左右がダメならば。上下を考えるしかないだろう。ようやく癒えた左脚に再び二重を発動。迫り来る炎を、脚に仕込んだ魔法の氷で防ぎつつ、建物に手をかけて身体をもう一段階上へ。だが、追い付かれる。
「これでも足りない、なら!」
氷の刻印を三重で展開。炎だけなら、マリーの剣がないこの高さなら、仁はこれで耐えられると踏んだ。
「へげ」
「耐え、ましたよ……!マリーさん……!」
そして勝った。全てとまではいかなかったが、金色の炎は、仁の身体を少し舐めた程度に収まった。今もジリジリと皮膚が焦げているが、このくらいの痛みなんてもう慣れている。
「君の実力は聞いていたし、斬り合って分かってたつもりだったわ。あれで、決まったとも思った」
「でも現実は違う。俺は軽傷だし、マリーさんは切り札を使ってしまった。インターバル長いですよね?」
「……そうねぇ。確かに、もうこれは使えない想定で戦った方が良さそう。でも、私はそれでも強いわよ?」
建物の上に着地した仁は今、マリーを見下ろす形だ。だが実際は違う。見下しているのは、マリーだ。確固たる自信と実績と冷静な分析で、仁を格下と断じている。
「足元すくってやる」
仁からすれば、それは好機だ。いくら自分が格上であろうとも、勝てる自信があろうとも、慢心だけはしてはならない。勝てると思ったその瞬間こそ、一番心が無防備なのだ。現に今、この会話の間に仁は傷ついた脚の治癒を進めている。マリーはこの時、追撃するべきだったのに。
「貴方の動きは速い。剣も速いし、重い」
建物の上から氷の刻印の刃を降らせ、マリーの障壁を魔法と確認。飛び降りて壁を蹴って空中を弾丸のように裂いて進んで、マリーへと剣先を向ける。いずれも『限壊』によって行われた動作で、速さは圧倒的。しかし、
「でも、複雑でも鋭くもないわ」
受け流される。動作を見切られ、当たれば軽く身体を切断出来る一撃の力は、あらぬ方向へと無駄に消費され、仁の隙となる。ジルハードの時と同じ、繰り返し。
「縦横斜め。剣の道に入った年月にしては、この直線的な剣は鍛えられてる」
褒めるように、嘲笑わられる。言う通りだと仁は歯が欠けるくらいに噛み締めて、剣を振るう。小さな火球や炎の壁は刻印の氷で打ち消して、道を切り開いて剣で首を狙う。
「自分の実力は自分でも分かっていますよっ!」
「なら、私に挑まないんじゃない?」
もっと複雑な軌道で、自信を持って振るえれば。いつか憧れた銀剣の少女のような、直前の動作だけでは先の読めない剣が振るえたなら。ほぼ直線だけの剣技なんて、受け流しやすすぎる。
「ほら、立ち回りがまだ弱い」
受け流された後の仁は隙ができるが、『限壊』の速さはその隙を埋める。だが、時に例外が発生してしまう。
「んなっ……!?」
「驚いたわね。咄嗟の出来事に対応出来ていない」
受け流され、隙を『限壊』で埋めたその瞬間、マリーのリーチが変わった。突如伸びた刀身に想定のズレが生じ、隙に隙が重なった。
「でも分かるわ。昔、これをグラジオラスのジジイに初めてされた時はイラついたもの」
「虚空庫……!?」
剣の刀身が伸びたのではない。刀身の長い別の剣へと入れ替えたのだ。達人同士の剣ならば意表を突く以外に意味はなく、むしろ剣が消えたその一瞬に鋭い一撃を叩き込まれて自滅となるだろう。だが、戦闘経験の少ない仁の単調な剣技ならば、十分に驚き、実に有効的である。
さくり。
「ぐうっ…………!」
(ああああああああああああああああああああああああ!!)
刺身にすうっと包丁が入るような柔らかさで、仁の脇腹に刀身が突き刺さる。即座に後ろに飛び退いて引き抜くが、『残傷』持ちのマリーに深手を負わされた。
「終わりね。内臓に達したかどうかは分からないけれど、そこが塞がらないなら間違いなく出血多量で死ぬわ」
それが意味するのは、敗北。距離を取り、血が服を汚し始めた傷口を見る。僕が痛みを肩代わりしてくれていて痛みをほとんど感じないが、なるほど。これは、かなり深い。マリーの系統外で傷を塞いてもらえないなら、確かに死ぬだろう。剣をだらんと、腕の力を抜いて、
「でも、まだ死ぬまでに時間はありますよね」
「っ!?…………ええ。そうね」
肉薄した仁の剣をギリギリで受け止めたマリーの表情が、驚愕のものへと変わる。騙し討ちに近い形とは言え、受け流す事が出来なかった。なんとか剣を打ち合わせる事が出来たが、『限壊』を前に今にも押し切られそうだった。
「普通、致命傷を負ったら多少は動揺するものなのだけれど……!」
だが、驚いたのはそこじゃない。そうじゃない。仁の異常性に、マリーは驚いていた。
刺された時の仁の心境は、この程度ならまだ戦えると言った非常に穏やかなもの。むしろ終わったという様子のマリーを見て、油断を誘う演技に使えるんじゃないかと閃いて、内心で笑っていた。
「今の、ジルハードだったら余裕で防いで反撃してましたよ」
「……言うじゃない。でも私とジルハードは違うわよ」
更に力の込められた仁の脇腹から、血が噴き出るのが見えた。なのに強まり続ける力にこれはいけないと、マリーは自らを巻き込む形で炎の壁を展開し、距離を強制的に離す。触れれば身体を焼き切られる炎には、流石の仁も進めなかった。
「それにこんなの、別に治せます」
「治させないのが私の系統外なの……ちょっと貴方、本当に正気?」
傷に一番近い刻印から氷の刃が飛び出して、血と肉の中に飛び込んで、更に傷を深める。ほんの僅か、ほんの僅かだが、内臓に達した可能性のある傷口を自ら、深めた。
「……見くびってた。侮ってた。貴方がジルハードと競えたのは、その『限壊』とやらのせいじゃない」
マリーがつけた傷口は治ることはなく、血が流れ続けていずれ死に至る。しかし、しかしだ。それ以上深く自らでつけた傷口ならば、治癒魔法で皮膚を作って止血する事は可能である。もちろん、マリーが削った分の肉は戻らず、仁の脇腹は剣先の形で凹んだままだ。
「貴方には、覚悟があった。私の思っていた以上の覚悟が。覚悟なき実力者との差を埋めてしまう、恐ろしいまでの覚悟が」
出血多量で死ぬ事はない。だが、内臓に傷が達していたなら、どんな後遺症が残るか分からない。マリーと戦った者の中で、未だかつてこんな狂気的な塞ぎ方をした者はいなかった。
「桜義 仁。貴方は偽物なんかじゃない」
マリーの目が変わる。油断していた者の目から、まるで兎を狩るのに全力を尽くす獅子の眼へと。そしてその眼は何故か、成長した後輩を見るような優しい眼でもあり。
「でも、俺は日本人です」
「貴方はそう、日本人よ。その上で本物の勇気を持っている」
否定を肯定されて、仁そのものが認められた。小さな休戦中に進めていた治癒を止めてしまう程、彼はその言葉に心を打たれた。
「私の思い描く『勇者』像とは違う。でも、貴方のその覚悟だけは、偽物とは到底呼べない」
彼女の『勇者』像は、仁の目指す者とは違う。しかし、例え価値観が違おうとも、時に認め合えるものはある。
「私に勝ってこの街を救えたなら、名前をあげる。『記録者』に認められたものでもない、ただ受け継がれ、呼ばれるだけの称号」
マリーは多大な実力差を埋める覚悟に、可能性を見た。試練を突破する事で得られるものでも、技能を極める事で貰えるものでもない、ただの名前を受け継げる可能性を。
「『勇者』とは実力と覚悟、そして実績が備わってようやく名乗れるもの。示してみなさい」
「……はい」
仕切り直し。マリーは元の剣に戻し、治癒を終えた仁は、互いに構えを取る。そして、斬り合う。
炎が氷を焦がす。氷が炎を冷まして受け止める。炎の壁に遮られて飛び退いて、火球は剣で叩き落とされ。恐ろしい力で振るわれた剣が、遅く確実な剣に流される。遅い技術を持った剣が、倍近い速さの剣で弾かれる。斬られた箇所は増え、血は流れ。そうでなくとも、『限壊』の反動で筋肉や皮膚は徐々に崩壊していく。
「素晴らしい。本当に」
だが、マリーも無傷なんて言えやしない。受け流し損ね、剣から手に伝わった衝撃に腕が止まって押し切られ、肩口から大きく血が出ている。
「貴方こそ……!」
彼女はジルハードより、剣は弱い。だが、魔法の使い方と危険性は彼よりずっと上。剣の傷は増える事はなくとも、火傷は少しずつ仁の身体を侵食している。
互角ではない。互いにつけあった傷ならいい勝負だが、仁には『限壊』のハンデがある上に、治癒が傷を更に深めての止血しかできない。天秤は少しずつ、マリーへと傾いていく。
(……僕、頑張ろうな)
(うん。そろそろだね)
そろそろ限界のライン。これ以上の傷は動きに影響が出る。それに、最大範囲のインターバルも気になってくる頃。仕込みは、ここまでだ。
「があっ!」
咆哮して、左脚にまた二重『限壊』。脚が悲鳴を上げて、距離は消えて、近づいて。予想外の速さで受け流す事は出来なかったけれど、マリーの剣はなんとか受け止める。すぐさま炎の壁が展開されて、仁はまた距離を取る事を余儀なくされ、
「嘘!?」
だが、それは今までのお話。距離を詰められ不利になると、マリーは炎の壁を展開して切り抜けようとする癖がある。仁はその癖を戦いの中で観察して、見抜いていた。そしてその上で、あえて彼女の思惑通り距離をとった。その行動は絶対に正解ですと、マリーに刷り込ませる為に。
「ぐっううううううう!」
今回は距離を取らずに、炎の壁へと突っ込んだ。この行動が正解だと思うのは当然だと、仁は炎の中で思う。いつぞやの、シオンを背負った炎なんかよりずっと熱い。何せ目玉の中の水分が熱くなりすぎたのか、視界が蒸発しちまっている。手足の感覚だってない。胴体のどこかが消えた感覚がある。
だが、だが、だが、この先にマリーはいる。ない感覚の中体を動かし、最短距離を最速で突っ切り、マリーに剣を振り下ろし、
「やっぱりね」
しかし、剣は空を切り裂いた。




