間章1 虐殺者
壊れた家具や瓦礫のバリケードを前に、騎士達は一片の乱れもなく整列する。彼らは虐殺開始の号令を待っているのだ。
「全く、この世界は本当にどうなってんだが……忌み子が多すぎて危なすぎるだろ」
「だからこその掃討作戦、いやもはや絶滅作戦と言った方がよいか。現実的にも精神的にも厳しいだろうよ」
綺麗な長方形から突出した二人は、この団を率いる長と副長だ。副団長であるジルハードはこれから先のことを考えて嫌そうに、蒼い髪の騎士は悲愴に満ちた顔で話し合う。
「幼子まで手にかけるのが辛いってのはわからんでもないけどな。ただ、こればかりはどうしようもない命の取捨選択ってやつだ」
「……そう、だな。忘れてくれ」
忌み子は老若男女問わず一人残らず皆殺し。それがこの世界の常であり、絶対であった。現に今も世界中で、騎士や駆り出された一般人が忌み子の絶滅作戦を実行している。かつてない規模の作戦だ。
世界の流れ。そうとわかっていても、割り切れない者もいる。
「団長の可愛いところを忘れるなんて、このグラジオラス騎士団員全員ができないこと……あいだだだだだ!任務前に怪我させんなってティアモ!」
「おまえこそ任務中に名前で呼ぶな!」
「いちゃつくのはこれが終わって昂った天幕でにしてくださいませんか?」
「いつものことなんですけども、ね」
「トーカ!?ロ、ロベリアまで!?」
金属製の小手で頭を殴ったティアモに、ジルハードが暴力反対と抗議。いつも通りのやり取りを見た騎士団員全員が、呆れ切ったため息を漏らす。
「トーカはいちいち硬えなおい。だから男がよりつか……ひゅう。すまねえ」
厳しい目鼻立ちの目立つ女騎士に叩いた彼の軽口は、地雷を見事に踏み抜いた。飛んで来た剣先を紙一重でかわして口笛を吹く。
「何か?」
「悪かった悪かった。剣を向けるなって……なんでうちの女団員は皆、冗談の通じない奴らばかりなんだ」
ティアモに睨まれ、真っ直ぐな金の長髪を揺らして剣を抜いたトーカに突かれ、彼は降参とばかりに手を挙げる。
「分かったなら、みんなの緊張ほぐしのための夫婦漫才もこれくらいにしましょうか?」
「いつまでも過保護ですからねぇ」
「別に夫婦なんかじゃない!」
「おまえらにもバレてた?」
「みんなに、です。グラジオラス騎士団員がわからないわけないです」
戦場に似合わない冗談を言った意図を見抜かれ、ジルハードは灰の髪を掻く。その言い方に動揺するティアモは全員が放置だ。どうせそのうち結婚するというのがこの団全員の見解である。今は、少し事情があるだけで。
「全くいい騎士団つーか、家族みたいなんもんだなおい」
「ああ、本当に手のかかる子供ばっかりで苦労する」
「何言ってるんですか。団長が一番年下でしょう」
「一番手のかかるのは副団長ですよ」
二人の感想をトーカとロベリアの鋭いツッコミが斬り裂いた。騎士団全員が爆笑の渦に包まれ、そして。
「ん。談笑はここまでだ。これより任務を遂行する」
「躊躇うな。躊躇ったら死ぬ。例え幼子だろうと老人だろうと、世界のためを免罪符にして斬り捨てろ」
「行くぞ。絶滅作戦、開始っ!」
ジルハードの言葉とティアモの号令を得て、騎士達は一斉に動き出した。目の前の街に住む、黒い人々を殺しきるその為に。
「第五列、掃射」
威力に優れた炎魔法を、第五列の先頭10人が同時に放ち、日本人がせっせと築いていた魔物対策のバリケードを吹き飛ばしたのが、開戦の合図だった。
「第5列以外突撃!街に入ったら列ごとに散開して忌み子を殺せ!単独行動と深追いはするな!街の中から追い出せば、あとは魔物が食い殺す!」
騎士達は駆け出し、街に入った途端に10人一組で散開していく。その動きに迷いはなく、顔に躊躇いはなく、戦場の空気に馴染んでいた。
絶滅作戦とは言っても、騎士達が直接手を下す数は全体の半分にも届かない。そもそもグラジオラス騎士団全体ならともかく、精鋭とはいえたった52人で、街の人間全てを殺しきるのは無理があるというものだ。
それに魔物達が食べてくれた方が、直接手を下すより騎士達の精神的にはマシである。死ぬ方からすればさらなる苦痛であっても、見なければ、知らなければ、痛みにはならない。
「それじゃ、俺も第四列にちょっくらついていくわ」
「暴れてこい。おまえの好きな戦場だ。死ぬなよ?」
「こんなところで死ぬかよ。最近はハリがなくて物足んねぇくらいだ……じゃ皆にご武運を」
非常時に備えて待機する五列目に手を振り、虚空庫から抜いた剣をその手に握り締め、走り出したジルハードは廃墟の立ち並ぶ市街地へ。
「マジで文化ちげえなこれ……ひゃー、すごいぜ」
ジルハードの世界にはない建物たちが壊れ、崩れ、その意味を放棄した町。身体を回して、360°ぐるりと見渡して忌み子を探す。
「早速か」
「ひ、ひぃぃぃ!」
建物の陰に隠れていた中年の男性を発見。見つかったことに慌てふためき逃げる背中に、狙いを定めて炎の槍を撃ち込む。
「何かおかしいと思った時点で、逃げとけばよかったんだ」
焼けた穂先が皮膚を突き破り、腹を貫通。身体の内側から燃やし尽くされた男性は、何が起こったのかわからないまま、死んだ。
「はぁ.魔力が見えねえから討ち漏らしはどうしても出るわな……」
体内の魔力を見て探すという従来の捜索方法では、日本人は見つけられない。だから一人ずつ、しらみつぶしに探さねばならないのだ。強さはまるでないが探すのには苦労する。そんな面倒くさい獲物がジルハードにとっての日本人だった。
「ああああああああああああ!?」
少なくともこの時までは。
「どうした!」
轟音が建物に反響した瞬間、騎士の一人が急に腹を抑えて蹲った。すぐさま他の第四列の騎士が傷を負った者を守るように円を組み、彼を守る陣形に。
「おい、大丈夫か?」
その速さと判断に頼もしいものを感じつつ、ジルハードは円を飛んで潜り抜け、中心の腹を抑えている男へと駆け寄っていく。
「なに……か。音ともに……飛んできて……」
「鎧に穴が空いてやがる。こいつはまさか……伏せろっ!」
また鳴り響いた轟音にジルハードが叫び、全員がその指示通り身体を強化する魔法を使用し、人外の速度で体勢を低く。どうやら弾丸は外れたらしく、誰も新しい血を流していない。
「障壁を張れ!物理の方だ!おい、カーネス!『伝令』で全隊に飛ばせ!奴らは銃を使う。間違っても魔法障壁を張るなとな!」
「了解っす副団長!最速で飛ばしますよ!」
彼らにとって最強の盾である障壁。条件付きで近くの人間に思考を伝える『伝令』という、限られた人間もしくは貴重な魔法陣で使用可能な特殊能力。即座に日本人の武装を見抜いたジルハードは、的確な指示を騎士団全員に伝播させる。
「誰か三人、こいつをティアモのところへ運んでやれ。俺が四人分働くから戦力的には問題なしだ」
「了解。ご武運を」
「おうよ。これ以上は誰にも怪我はさせねえ」
もう一つの指示で進み出た三人は、痛みと出血で気絶した騎士を抱えて姿勢を低くしたまま後方へと下がる。ここからは、ジルハードのお時間だ。
「今まではただの虐殺だったが、もう違うな」
それを見届けたジルハードはただ一人だけ立ち上がり、視界を遮る兜をあげて銃を撃った人間を探す。
「ああ、こっちから殺しにかかってる。やり返されても文句は言えねえ」
大まかな方向しか分からないままで、隠れている人間は視覚だけでは見つけるのは難しい。だからジルハードは違う方法へと切り替えた。
「戦場に立たない人間を殺すのは俺だってさすがにどうかと思うし、あんなこと言っといてなんだが、抵抗もある」
新たな銃声が辺りに鳴り響き、放たれた弾丸は真っ直ぐにジルハードの剥き出しの頭部へと迫る。例え人外の身体能力を持つ騎士達でも、頭部への銃弾は十分すぎる致命傷だ。
「だがな?だがな?」
しかし弾丸は、ジルハードの頭の前で何かに遮られたかのようにピタリと止まり、決してそれ以上は進まなかった。致命傷だって当たらなければ無傷である。今のように。
「なっ……なんだありゃ!?」
「おまえら、俺らを傷つけようとしただろ?」
ジルハードが考えた新たな捜索方法。それは、自らが囮になり、撃たれることで相手の位置を割り出すというもの。高速で進む金属の弾丸が何もないところで止まるという馬鹿げた光景を見て、声を上げない日本人はいない。だがそれでも、それはしてはならない行為だった。
「それは戦場に立った、死ぬ覚悟のあるなしにしろ、戦場に立ったということだ」
「やめ……うわあああああああああああああああ!」
獲物ではなく完全に敵を認識し、殺意を込めた灰の目が、銃を握った男の目と交差した。
「なんで!さっきは効いたのに!」
その瞳に恐怖した日本人の自衛官は引き金に何度も何度も指をかけ、ただひたすらに弾丸を目の前の脅威へと撃ち込み続ける。
「つまりもう、これは」
その全てはジルハードの目の前の何もない空間で弾かれ、地面にコロロンと軽い音を立てて転がり落ちる。いくら銃を撃っても意味をなさない、ジルハードの姿は彼の目にどう映っているのだろうか。
「戦争だな?」
答えは数m先で剣を構えた、人の形の化物だった。勝てないと自衛官の男が確信した瞬間に、化け物は一瞬で目と鼻の先にいた。世界は丸ごと回転。男の視界は全てが真っ暗になった。
「と、投降する!」
「殲滅が目的の相手への投降は無意味だぞ?」
「いやだ……死にたく……」
一人目の首がまだ宙を舞っている中、隠れていた場所から出てきた二人目の投降を拒否。背を向けて逃げ出したところを、ジルハードも倍以上の速度で走って回りこみ、
「隠れときゃ、この戦いは助かったかもしれねえのにな」
天から落とした一振りで、男の身体を正面から真っ二つに斬り裂いた。ずるりと音を立ててずれた半身の断面は恐ろしいまでに綺麗に断ち切られていて、斬られたことに気づいていなかった。
「や、やつだ!あの男を轢き殺せ!」
「あ?」
瞬く間に二人を殺し、さて次はと顔を動かしたジルハードが見たものは、同乗者のドスの効いた声とともに突っ込んできた自動車。時速70kmの鉄の塊が騎士に迫る。
「魔力は、なし」
ジルハードは特に焦りもせず、まずは対象に魔力がないことを確認。彼の足元に散らばった死体の臓物が車に潰されてぶちゅりと弾け飛ぶ中、騎士はただ手をかざした。
「あいつバカだ!手で受け止められると……」
日本人にとっては狂気としか思えない行動も、騎士から見れば常識だった。
「う、嘘だろ!?」
「魔法でも使わねえと、俺らは倒せねえよ」
時速70kmで突っ込んだ1トン以上の鉄の塊が、かざされた掌の前で完全に停止した。日本人は驚愕と恐怖がミックスされた悲鳴をあげ、ジルハードは決してできないアドバイスを投げかける。
「あれ?開かないな」
人間の限界を超えた速度で側面へと回り込み、ドアの取っ手を軽く引っ張るも開けられず。信じられない光景のバーゲンに、放心している男たちをガラス越しに見つめた騎士は顎を撫でて、考えた結果。
「ああ、なるほど。力が足らねえのか。そいっと!」
「か、鍵はどうしたぁ!?」
「かけ忘れたんじゃねえか?」
力で強引にドアをこじ開け、まずは運転手に剣を突き立てる。赤々とした液体が点々と飛び散った車内に侵入し、死体から座席を奪い取り、
「ひ、ひっ!?ひぃいいいいいいいいいいい!」
「おいおい逃げるな逃げるな。おまえらの騎士団本部……違うんだった。あー、軍事組織の本部的な集まりはどこだ?」
助手席のまだ生きている忌み子に剣を向けて、敵の総本部を問うた。
「あ、あっちだ!あの角を曲がってずっと左に進んだら大きな建物とか滑走路が見える!そこだ!」
「滑走路ってのはなんだ?」
「飛行機が飛び立つための、お、大きな道だ!」
「ひこうき……?空飛ぶ魔道具的なやつか?あ、ありがとよ」
情報提供の礼に、痛みも苦しみもないように頭を斬り落として何もない場所へと送る。
「おうおう、もう並んでるな……頼もしい」
払って付着した血と脂を飛ばし、一旦役目を終えた相棒を鞘へと収める。忌み子たちを殺し終え、整列している部下たちの元へと向かう。
「……さて、これはもう戦争だ。心置きなく殺せ。ただ物理障壁を張ったからと油断はするな。何が起こるかわからん。カーネス、こう伝令しろ」
「そう言うと思って、もう副団長の音声ごと伝令してますよ。俺の声よりそっちのが効き目がありますからね」
ジルハードが言ったことは、既ににやっとした笑いのカーネスにより全隊へと伝えられていた。これも長年の信頼によるものだろう。
「本当に不器用でお世話焼きなお方です。さっき気遣いは不要と言ったばかりでしょう。まぁ他の騎士達は笑ってましたから、効果は覿面でしたけど」
「んだトーカ。おまえ待機列じゃなかったのか?」
「団長がここの人数が減ったからと派遣しました。マークを護送した三人と共に第四列に加わります。そんな心配そうな顔しないでください。マークは生きてます」
伝令の本当の意味を読み取った後輩は、ため息をついて睨んでくる。彼女を適当にいなそうとするが、むしろ心の奥を見透かされてしまい、更に面倒なことに。
「してねぇよ。俺が心配なのはまーた団長の髪が短くなってそろそろ禿げるんじゃねえかってことだけだ」
「そろそろ照れ隠しに団長を使うのは卒業なさってはどうです?」
「あいつこういう時に便利なんだけどなぁ……もう無理っぽいな」
今までは優秀な囮であったのに、そろそろ見破られてきている。ただ、ジルハードとしては、本当にティアモが禿げないかということを心配しているのだが。
騎士達は死人が残した案内に従い、敵の基地へと忌み子を殺しながら向かう。ただし逃げた獲物は深追いせず、速度優先でできる限り一直線に移動していた。障害物も何もかもを斬り倒し、魔法で壊し、文字通り本当に一直線に。
「さーて、敵の基地はあれか。確かに大きな道だ」
強化された視界の先に見える滑走路が基地の目印らしい。距離としてはそこまで遠くはないが、特段近いというわけでもない。
「カーネス。敵の基地がわかった。位置を伝令で団長に送ってくれ。思ったより面倒くさい戦いになりそうだともな」
「了解!」
「時間との戦いだ……あと一時間もしたら魔力切れが出てくるぞ」
指で剣の柄を一定のリズムで叩きながら、ティアモの指示を待つ。一列単位の指示ならその列の階級の高い者がある程度指示を出しても構わないが、全列を巻き込むなら話は別だ。
「副団長!作戦来ました!待機及び負傷者、魔力の危ない者以外で合流の後、敵基地を押し潰せとのことです!」
「さっすが団長。決断早くて助かるぜ。合流地点までの案内は頼んだぞカーネス。さ、行くぞ野郎共!」
今現在の最高司令官から送られてきた命令と、ジルハードの掛け声に騎士全員が頷いた。ただ一人を除いて。
「野郎じゃないです」
「はいはい。淑女の皆さんもご一緒に」
彼女なりの茶目っ気であることを理解している全員が苦笑いで受け入れて、いつもの準備を終えたと剣の柄に手を添える。
「行くぞ」
ジルハードのもう一度の掛け声に頷いた彼らの顔には、笑顔はなかった。
それから数時間後、団長と副団長は夜の闇で赤々と輝く街を近くの丘から眺めていた。他の面々は次の街へ旅立つための準備をしていることだろう。
「……今日も終わったな」
「ああ、肉体的には緩い殲滅戦だったからありがたいぜ。まだ吐く奴はいたが、あれはしょうがない」
最初は面倒くさいかと思ったが、蓋を開けてみれば実に簡単だった。驚異的な身体能力の差と魔法で日本人の基地内の武装勢力を圧倒し、殲滅し、街に火を放った。
たったこれだけで、この街は落ちた。
「本当に嫌な戦だ。おまえはああ言ってみんなの罪の意識を和らげようとでもしたのだろうがな。実際はただの虐殺で、したことは何も変わらない」
「したことは変わらなくても、気持ちの持ちようで罪の意識は減らせるさ。うちの連中は優しいのはいいが、ちと優しすぎるからなぁ。そうでもしねえと耐えきれねえ奴が出てきちまう」
そっちのが幸せかもな、とジルハードは付け加え、人も死体も想いも生きた証も、何もかもが燃え尽きていく街の終わりを、目を反らすことなく見続ける。
「……まだ、人を殺すのは好きか?」
「分かる癖に、使わないところだけは律儀なんだからよ……まぁ俺にも分からねえや」
燃え尽きた暖炉の中の灰のようなその眼は、ティアモの方を見ていない。だからティアモは、横から彼の瞳に映る炎を見る。灰の瞳の中で燃え行く街の炎はゆらゆらと揺れ、彼の心の形を表しているかのようだった。
「人を笑いながら斬ってるっていう報告があるもんだからな。それにいいんだよ。好きな方がまだ、嫌いなことを進んでやるのは辛いからな」
「……そう、か。私は嫌いなことを好きと思い込んでいる方も辛いと思うが」
「よせや。そう言われるには人を斬り過ぎてる。まぁ、いいさ。俺が殺した分、味方の被害が減るんだから」
長い付き合いのティアモにばれている、ジルハードの口癖だ。彼が「まぁ、いいさ」と言った時は、この話は終わりにしたいということ。
「それに俺が頑張れば団長が禿げなくて済むからな……そろそろ危ねえぞ?」
「私だって女の端くれだ!そう簡単に禿げはしない!」
力を使いたくなる衝動をぐっと抑えて、ティアモはジルハードの狙いに乗った。決して、髪のことを気にしているわけではないと言い訳をしながら。
「どうだかねえ。今日もまた、髪が短くなってるぞ?」
「……しょうが、ないだろう」
「そうやって味方が死ぬ度幼子を手にかける度に切ってると、本当になくなっちまうぜ?」
つい先ほど切られた髪が、ティアモの足元に横たわっていた。いつもいつも、この責任感の強い団長は、戦いの後にこうやって死者へと祈りを贈る。
「これが私なりの手向けで自己満足だからな。いつか思う存分、髪が伸ばせる日を祈って待つさ」
そうしていつもいつも、自己満足だと悲しそうに笑うのだ。
「自罰的というか真面目というか。だからみんなついていくんだけどよ」
真面目で危うい人間は、自然と人に信頼されるとジルハードはそう思う。
この団長のカリスマ性は、家柄でも肩書きでも強さでもなく、彼女の性格に大きく由来している。カリスマ性というよりも危なかっしくて見てられない、というのもあるのかもしれないが。
「髪伸ばしたけりゃ伸ばしてもいいんだぜ?もしくは切る量を減らすとかしてもな。それに俺は、そういうのも見てみたくなくもない」
ジルハードとしては、そんな真面目団長を思いっきりからかった一言のつもりだった。この団長はこの手の冗談を言うと面白いくらいに動揺し、剣を向けてくるのだ。姉とは大違いである。
「ん?おかしいな。剣が来ない」
いつ剣が飛んできても大丈夫なよう、ティアモの方を向いて彼女の様子を伺っていたのだが。
「ならおまえに頼むかな。もしも見たいなら、私が思う存分、髪を伸ばせる日が来るのを手伝ってくれ」
「あらら」
しかし予想に反して、向けられたのは剣ではなくて微笑みだった。
「言われなくても仰せのままに。最初からそのつもりでしたよ我が剣の主人っと」
世界を救うという微笑みの奥に宿り、燃え盛る荒唐無稽な意味にジルハードは口では茶化して、心から首を垂れた。
「んー、おかしいなぁ……いつもは顔を真っ赤にして何言ってるんだ!って突っかかってくるところなのに」
「ふっ、私ももう子供ではないということだ。大人になったんだぞ!」
「そうやって誇るように言う内はまだガキだな。安心したよ」
仲のいい兄弟か、そんな風に見える二人の掛け合い。もし赤の他人がここだけを見たならば、ジルハードのことを殺人狂だなんて欠片も思うまい。それほどまでに、今のジルハードは優しい目でティアモを見ていた。
「はぁ……とは言ったものの、前までは人を一人見つけて封印されて動けない『魔女』と『魔神』を狩れば終わる、そんな簡単な仕事だったはずなのになぁ……忌み子のせいで更に遠くなりやがった」
「言っても仕方のないことだ。過去は決して変わらないんだから。姉上も言っていたろ?今によって未来は変わる、しかし何をどうこうしても過去は変わらず、とな」
「マジであいつにしか言えねえ言葉だった」
ここにはいない女性の口癖と、その姿を思い出す。運命を欺き、世界を騙して救って、死んだ聖女。ティアモの姉にしてジルハードの最愛だった人。未だ広がり続ける炎に照らされた互いの顔に映るのは、無理に笑おうとして失敗した表情だった。
「それにこうでもしないと、魔女と魔神と滅ぼし合う以前に舞台である世界そのものが吹っ飛んでた。犠牲は多すぎたが、全てを失うよりはまだ良い。そう言って笑ってやらないと、姉上が報われない」
「あいつの夢、嫌な形になるかもだけど叶えてやらねえとな……ん?どうしたよ頰真っ赤にして」
「なんでもない!なんでもないぞジルハード!炎に照らされた光の加減だ」
「やっぱガキか」
真面目な話であるはずなのに、ティアモはいきなり頰から湯気を出し始めた。わけのわからない豹変ぶりと、言い訳に改めてガキだということを再確認して、
「さて、呪われた歴史に終止符を打って、世界を救うぞ。ついてきてくれるんだろう?」
「何度も言わせんな」
そんなガキがどれだけのものを背負っているのだろうか、と思うと心に重りがついたようだった。
「今度こそ地の果て地獄の底までついて行ってやるよ」
だからこそ、守らねばと、支えてやらねばと思うのだ。例えどれだけの人間を地獄に落としても、守りたいものだけは守りたかった。
悲しい夜はまだ明けず、人を殺す炎は消えず、人を救う誓いは変わらず。
これは日本人を虐殺する男と女のお話。
『ジルハード・ローダンセ』
騎士。灰色の髪と瞳、野獣のような鋭い顔つきが特徴の男性。貧民街の生まれ。口調も態度も凄まじく軽いが、圧倒的剣技と面倒見の良さから、部下の信頼は厚い。しかし、世間における彼の評判はあまりよくはない。本人はお世話になっている人たちにそのことで迷惑をかけないか、密かに気にしている。
幼少期、暗殺された商人の身ぐるみを剥いでいるところを大人に見つかり、戦闘に。偶然、商人の腰の剣にて大人を殺害。これが初めての殺人だった。彼は以降、人を殺して物を奪い、生計を立てるようになる。
ある時、その腕を見込まれ、暗殺を生業とする集団に誘われる。金も食料も貰えるとあって特に断る理由もなく、入団。まだ子供でありながらも、才能と訓練によって鍛えられた剣の腕にて、数々の暗殺を成功させていく。当時、他の団員からは『灰狼』の名前で呼ばれていた。
しかしながら、初の貴族暗殺という大役にて、彼は失敗する。いや、失敗ところの騒ぎではなかった。何せ、対象の屋敷に潜り込んだ途端、いきなり自分より歳下の子供に存在を気付かれた挙句、斬りかかられた。戸惑った次の瞬間には、子供の父親に剣を叩き折られていた。命からがら逃げ出してたどり着いた部屋、そこで彼は彼女と出会う。
その日から『灰狼』は消え、代わりにグラジオラス家に一人、護衛見習いが増えた。あることないこと噂され、風当たりの強い中、騎士の名前を得る。その後、実力とコネにてグラジオラス騎士団副団長に就任。現在に至る。
過去のせいで他人を殺すことに躊躇いはほぼなく、むしろ殺し合いを楽しんでいる節がある。
ティアモとは腐れ縁でもあり、幼馴染でもあり、主従でもあり、義理の兄妹でもあり、恋人でもありと、複雑な関係。




