第114話 柊 末という男
「人間って、なんで争うの?仲良くした方が、みんな笑顔になれるのに」
柊 末は間違いなく天才であった。幼少の頃から落ち着きがある。というより、物事を見る事に長けすぎていた。いっそ、世の中とはつまらないと思うくらいに。
「ああそうか。笑顔になりたいから、争ってるんだ」
彼は小学校の時に見たいじめで、多くの人間は手を繋ぐよりも、踏み付けて笑いたい時がある事を悟った。そして彼は踏み付けられないような振る舞いを、人間の心理を知らず知らずの内に身につけていった。
「……時にはどうにもならないこともある」
そう悟ったのは大学の時。なぜか前髪が後退し始め、人はその事を笑った。名前が似てるからと『終末』などというあだ名を付けられて、からかわれた事もある。今でもそいつらの顔を覚えていて、いつか絶対に復讐してやると誓ったのも忘れていない。もう、全員復讐する前に死んだが。
「人を守る……その為の、組織」
たまたま旅行先で見た、自衛隊の募集の張り紙。一体どういう気持ちで人を守ろうと思うのか、興味を持った。大学を出てから志願し、教育を受けてから入隊。彼は人を守る為の道を歩んでいく。
「ようハゲ!」
「は?」
「え、えーと、蓮さん?さすがに失礼ですよ!」
「名前覚えちょらんのだから特徴で呼ぶしかないじゃろう。貴様こそ失礼と思う事が失礼だろ……誰じゃお前」
「酔馬ですよ!さっき自己紹介したばっかりじゃないですか鶏ですか!」
この時に頭のおかしなクマ、そして既にキャラが定着していた酔馬と出会った。歳も境遇も違ったが、妙に気が合った。幼少の頃に悟った法則の外、つまり、人を踏みつけるよりも手を繋いで笑おうとするタイプだったからだろうか。
「やはり、まだ分からんな。人の為に命を張る理由なんて」
「女や家族なら守って当然じゃろ」
「ですよねえ。まぁアレですよアレ。その人がこれから、すごい発明だとか偉業を達成するかもしれないですし、まぁそん時になったら身体は勝手に動くんじゃないですか?人救った事ないですけど」
しかし二人とは違い、人を守る為の理由なんて見つからないまま、柊の日々は過ぎていく。たまたまあった銃の才能を更に伸ばし、役に立つ知識、実戦的な技術や体力を身に付け、外側と役職だけが成長し続けた。実に空虚な日々だった。
「いざとなったら、か」
本当に来るのだろうか。この平和な国で。そんな空虚な日々を過ごす柊だったが、当時の彼を正しく見た者は、こう評していた。
「時代や国が違えば、英雄か大量虐殺者になっていた」
人をほぼ無価値に等価値とみなす価値観、先や隅々まで見透す慧眼、咄嗟の判断力、指揮能力。挙げればキリがないが、平和なこの国ではその才能も宝の持ち腐れ。そう思っていた。誰もがそう思っていたのだ。
「………………なんだこれは」
しかし、幸か不幸か。神様とやらは、彼に戦場を与えてしまった。恐らく、どの時代やどの国にもない程過酷な生存競争。言い換えるならば、人類絶滅の危機という、誰もが未体験の戦場を。
「一手間違えば、すぐに滅ぶ」
即座に理解できないこの状況を、柊は理解してみせた。原因も意図も不明。だがしかし、最悪なんて軽いものだと思わせる、状況だと。
「恐らく、前の世界と同じ生き方では生きていけない」
最初の数日はともかく、一週間もすれば自衛隊は形をなしていなかった。街の半分が消し飛び、電気もなく、水は川から汲むしかない。食料なんて平等に分ければすぐに底が見え始め、誰かが流した噂で略奪が多発。10日目以降からは、街の入り口から魔物が入り、人を喰らい始める始末。
「まずは武器と仲間、情報の確保」
そんな中、柊が取った一手目。信頼できる者達を集め、武器を回収し、情報を集めると言う基礎に徹した行動だった。そして、二手目。
「入ってくる魔物達の迎撃」
評判を聞き、安息を求めて人が集まった組織で彼は、魔物達の侵入を防ぐ為に戦い始めた。入り口に罠を仕掛け壁を築き、銃で仕留める。誰かに言われて始めたのではなく、単にこうしなければ街が滅ぶと思っての判断だった。
「実に、愚かだ」
当時の街の勢力図は、三色ほどに分けられていた。食べ物にありつけず、強盗や殺人犯に身を落とした者達を束ねて作られた犯罪を容認する集団が二色。街を守る為に戦っていた柊達で、一色。これが堅や環菜、五つ子亭や梨崎などが所属した、軍の前身となる組織である。
「ただでさえ人が少ない中、いたずらに殺し合うなど」
主に門付近だけの勢力で、魔物の侵入を防いでくれる柊達は基本的に無視されていたが、他の二色は常に民間人を巻き込んだ殺し合いを行っていた。
「だがその一方で、人とは本当に」
まさに人間の醜さを見せつけられるような、力こそが秩序の世界。しかし、その中で人を踏み付けず、踏み付けられて傷ついた人達を助けようとする者達が、ちらほらと。まるで酔馬が言っていた通り、いざという時が来たからだろうか。
「なぜそうするのかと聞いても、それが当たり前だろと返されてしまった」
ただでさえ少ない食料を分け合い、布団がないからと固まって暖を取り、怪我をした者には無償で手当てをする。そんな優しき者達。死と隣り合わせになってようやく見えたその光景は、柊の心を動かした。
「俺も、当たり前といつか言えるようになるのだろうか……いや、例え言えなくとも」
しかし彼は、優しいだけの行いでは、いずれ終わりが来る事を知っていた。優しさで銃を撃てなければ、撃たれるのみだ。奪えなければ、奪われるのみだ。その弱肉強食こそ正しいのが今の世界ならば、
「変えねばならない。力こそが秩序である世ならば、俺もまた力で秩序を勝ち取ろう」
ようやく見えた優しさを守る為。人間という種を守る為。誰かが、やらねばならなかった。誰かが、血を被らなければならなかった。
「このまま、滅ぼしてなるものか」
三手目が、打たれた。一切勢力争いに関わっていなかった柊達の色が行ったのは、電撃作戦。宣戦布告も警告も無く、ただひたすらに敵の首魁だけを撃ち殺した。ノーマークだった方向から飛んできた弾丸に、疲労しきっていた二色は成す術などなく。
「簡単なのはここまでで、問題はここからだ」
食料や水欲しさに従っていた者達は、配給制に変える事を理由に吸収。一度殺人を行った者達も、よほど目に余るものでもない限り、この日までの罪を免除した。特にこの、殺人さえも免罪とされた事に対する反発は凄まじかったが、それ以外に二色の残党を大人しくさせる方法はなかった。
「免罪にはしたが、これから先は許さない」
生きる為に仕方がなかった。だから、許す。しかし、これから先はその言い訳が通用しない。何せ従っていれば、生き残れるのだから。軽犯罪も例外無く、柊は人肉へと変えた。この時、自らの組織を『軍』と改めた。
「私一人で出来る事には限りがある。だから、他者に頼る」
いくら柊に才能があったとは言え、農業や建築、水路や通貨、医療などに関する知識は乏しい。だから彼は街中でその知識がある者を集め、食料と安全を対価に囲い、この街の脳とした。
「いくつもの備えを用意し、被害は最小限に」
彼らが議論を重ねて提出した第一案と予備案を柊が認可し、軍が実施。第一が失敗した場合、成功するまで予備案への変更と修正を重ね、安定させていく。取り返しのつく失敗は仕方ないと受け入れ、取り返しがつかなくなる前に切り捨てる方針で、何とか街を繋ぐ。
「私は優しくない。独裁者にして、残忍で、冷静な司令である」
脳の何人かと協力して、いくつもの禁忌を秘密裏に行った。人肉。配給の意図的な操作。事故を装って反乱の種を蒔く者達の殺害。色街の仕切りなど、挙げればキリがない。まともな人間には出来ない事を、彼はいくつもこなしてみせた。
守る為に嘘と闇を重ね、道徳や倫理を踏み潰し、重いと思うからこそ命を軽く選別する。毒を以て毒を制し、悪を行う善なる独裁者はこうして生まれた。
道徳や倫理を踏み潰し、禁忌を重ね、嘘と闇と血に塗れた、冷酷なる独裁者は血も涙もない化け物である。しかし、忘れることなかれ。本人も気づいていないだろうが、彼は人間だからこそ、化け物を演じている。人間だからこそ人間には出来ぬと悟り、化け物のフリをしている。彼もまた、人間なのである。
仁とロロが部屋を出てから、色々と書類や身の回りを片付けている間にもう、0時を回ってしまった。昼から何も食べていない事もあるが、それ以上に今日は。
「いらっしゃーいませー!でも今日はもう閉店……あれ柊さん!?」
「悪い。整理整頓するものが多すぎてな。我儘だが、入れてくれないか?」
酔い潰れていた客を優しく追い出し、自分の彼氏に輸送させている店員、元気いっぱいの菜花に、柊は頼み込む。
「……?珍しいですね。別に構いませんよ!言われなくてもオッケーです!はい!」
「助かる。ありがとうな菜花」
いつもの柊なら、入れてくれとは言わない。そもそも、閉店ギリギリに来て閉店時間を多少過ぎるまで食べている事はあるが、閉店してから来る事自体珍しい。
「なんか久しぶりに名前を呼ばれた気がしますね。でも残念です!私には一葉がいますし、柊さんには紅姉さんがいますから!」
「あんたまたバカを言っ……うわっ!?ちょっと待って!」
また司令関係でいじられたことを聞きつけた紅が駆けつけるが、店の前に立っていた本物を前に顔を赤らめてすぐさま引っ込む。化粧でもしに行ったのだろう。
「そうだな」
「あー、怖かった……今なんて言いました?」
「何も言っていない」
「………むむ。これは私達お邪魔な雰囲気ですね。では空気を読みます」
いつもなら、デコピンの一つや二つはされて柊は黙るというのに、彼はあろう事か肯定した。目を丸くし、閉店後に来た意味をふふーんと察した菜花は紅以外の姉妹に声をかけ、
「久しぶりの、飲み……」
「あの四兄弟も誘おうか」
飲み会という名のクワトロデートに店の外へ。いくら即席の化粧とは言え、欲を言えばもっと欲しいが最低でも五分は欲しい。
「ちょっとあんた達!?何で出て行くの!?」
「あらあら。化粧途中で出てこれるんですかぁ?」
まだ終わってないが故、化粧室から出てこれず、声をかける以外に妹達を止める方法はなく。そして声だけで止まる妹でもなく。
「では、ごゆっくり〜〜後片付けしてくれたら、店内はご自由にどうぞ!」
「お、覚えてなさい!ねぇ!お願いやっぱり出て行かな」
「やっと最後の一人がはけたはけた。柊さん……いや、お義兄さん!ちゃんと責任とってね!」
「菜花あああああああああああああああああああ!」
とてつもない殺意が込められた叫びも、バタンと閉まったドアに阻まれる。結果、店内は柊と紅の二人きりになってしまった。
「……」
ようやく柊の前へと姿を現した紅の格好は、抜群に決まったものでない。先の妹達とのやり取りも合わさり、彼女の羞恥心は限界に達していた。
「飯を食べに来た」
「……そ、そうよね!ちょっと待って!作るから!」
しばしの沈黙。ようやく柊が口にした言葉が静寂を打ち破り、紅に厨房へと逃げる口実を与えた。店内に響く、動揺しているがいつもより力の入った料理の音を聞きながら、彼は席に着いて店内を見渡す。
「ど、どうぞ」
「ん。ありがとう。いただきます」
柊の好きな野菜炒めだ。人ではないオークの肉を口の中へと箸で運び、食べる。相も変わらず、美味しかった。
「そんなにじろじろと見るな。心配しなくても美味い」
「み、見てない!でも、ありがとう」
その様子を前の席からじっと見つめられれば、柊だって気恥ずかしさが先立って、集中出来ない。咎めた訳ではないが、彼女は怯えてしまう。でも、味の感想には笑顔を浮かべていた。
「……ごちそうさま」
「お粗末様でした」
こんなに、ぎこちなくはなかった。軍の前身である組織で出会い、少ない食材で魔法のような料理を作っていた彼女達とは、もう少し砕けた関係だったはずだ。そう思いながら彼は、野菜も肉も残っていない空っぽの皿に箸を置く。
「白米が欲しくなる」
「いっつも言ってる」
「欲しいのだから、しょうがない」
でもそれも、いつものやり取りで会話が滑り出せば、また昔に戻って行く。
「聞いたよ。なんか、街を救う目処がたったんだって。すごいじゃん」
「まぁな。確かに自分でも、よくここまでやれたと思う」
言われて、思う。よくもまぁ、人を救う動機に興味はあれど、人を救う事に興味が無かった男が、ここまで成し遂げたものだと。
「だが、俺だけがすごいわけじゃない。多くの人の協力あってこそだ」
「でも、あなたがいなきゃ、その協力は多分なかった。それはきっと、すごい事」
どちらも真実だった。柊は自分一人で出来る事の限界を知っていてからこそ、協力を求めた。彼だけでは成し得なかったに違いない。しかし、その協力を求め、まとめ上げた柊がいなければ、この街は一ヶ月と保たなかっただろう。
「他の誰にもできなかったことを、末はしたんだよ」
「……そうか」
確かに、自分以外には出来なかっただろう。純粋な紅の賞賛なのに、柊は幾つもの禁忌に当てはめて、捻った受け取り方をしてしまう。
「なんで、今日来たの?」
「飯が食べたかったからだ」
「……菜花達が言った意味じゃ、ない?」
「ああ、違う」
「だよね!ごめんごめん!」
紅は今、勇気を振り絞った。そして自分はその勇気をあっさりと、まるで人間じゃないような冷静さで無視した。今の紅の心理なんて、街全ての心理を操って来た柊には手に取るように分かるのに。
「……バーカ」
「なっ!?いきなり何を……それに馬鹿ではな……」
ハゲと言われた事は多々あるが、馬鹿と言われた事は少ない。驚いた後、否定しようとするが、途中で声は搔き消える。彼女の目を見れば、否定しきれなかったから。
「何をする気なの?」
見抜かれている。柊の計画の全容など、彼女は知る由もないだろう。だが、その計画がもたらす結果の一部はきっと、見抜かれた。だから、柊はここに来たのだから。来なかったら、彼女は知らないままだった。
「またいつもの賭けだ。街を丸ごと、そこに住まう人々の同意なしに勝手に。明日は誰も外に出るな。おそらく、ここが一番安全な場所になる」
「いっつもそう。末は全部教えてくれない。仮面の下に隠しちゃう」
嘘ではない。柊の計画は一歩間違えれば、どこか彼の想定と違えば、この街が終わるものだ。リターンもリスクも、そして払わねばならない代償も絶大な賭け。
「でも、たまにね。少しだけ素顔が見える時がある。ご飯食べてる時とか、白米欲しいとか言う時とか、ハゲって言われた時とか。そういう時、私は嬉しい」
「……最後のは凄まじく複雑だ」
確かに、どれも素顔を見せていると自覚がある。最後に関して嬉しいというのは、かなり文句が言いたいが。
「今日も、見えたよ」
でも、今日見えたというのに、彼女は全く嬉しそうなんかでもなくて。いや、目の前に意中の相手がいるというのに、彼女の表情は悲しそうだった。
「…………だから、バーカって言った」
「来なかった方が、良かったと思っている」
自分がこんなに人間らしかったなんて、驚きだった。論理的に考えれば来るべきではなかったのに、感情が来てしまった。
「最近はおかしい。前、嘘を吐いた少年に本気で怒りを抱いて、暴力まで振るった」
「それだけ聞くと末が完全に悪だけど」
仁に告白された時も、自分があんなに感情的になるとはと、後で驚いた。以前は何人死のうが大して心は揺れなかったというのに、仮面を被ってからというもの心が脆く、否、人間らしくなってしまった。
「そうしないと、この街は救えないの?」
「分からない。だが、そうした方がより確実性が高まる」
「……そんな理由で?」
「俺には十分過ぎる」
今は少しだけ、あの馬鹿な熊の気持ちが分かる。こういう女が、いい女というのか。全てを知りながら、嫌だと叫ぶのを我慢しながら、最低限の引き止め以前、確認しかしない。
「やっぱり、バカだ」
「ああ、そうだな……今日は、来て悪かった。他の四人と、その彼氏共によろしく頼む。繰り返すが、何があろうと外には出るな。指示を待て」
席を立ち、申し訳程度のここに来た今を言いながら、謝る。彼女に余計なものを背負わせてしまった。
「ああ、それとだ。これを、仁に渡してくれ」
これも、ここに来た意味。梨崎に任せれば良かったのにわざわざ建前に使われた、一冊の手帳。託された紙の束を、紅は大事そうに手で抱え込む。
「……すまない」
「えっ?ちょっと!?」
そして最後に、本当にここに来た意味。柔らかい身体を抱き締めて、確かめて、首に贈り物のネックレスを。
「……じゃあな」
だがそれも、数秒だけ。すぐに離れて背を向けて、店の扉を開け放つ。顔は見せないまま声だけで別れを告げて、外へ。
「……最低」
床に点々と続くのは、彼が通った後に落ちた雫。
「わざわざ別れを言いにくるなんて」
そして彼女の頬に流れるのは、それと同じ液体。
「本当に、酷い男」
柊は、「またな」とは言わなかった。




