第112話 内緒と盤上
あれから夕方まで狩りをし、たくさん汗を掻いた。仁とシオンが揃えば戦果もそらえらい数で、ここらのオークを狩り尽くしてやったくらい。飢える人を少しでも減らせるだろう。
「ねぇ仁お願い!私怖いの!」
汗と努力の結晶だ。となると当然、汗を流す為に風呂に入らねばならない。しかし例え風呂であろうとも、シオンは常に誰かと一緒にいろと言われている。そして、マリーは今日は忙しいと笑って逃げ、楓は結婚式の準備で非常に忙しい。仁の同伴相手だが、逃げるマリーにロロへとここに来てもらうよう伝言しておいた。
「さっきから環菜さんがこれ見よがしに手をわきわきさせて、すっごい目をしてるの!私怖いの!お父さんくらい怖いの!」
まぁこのように、仁は問題ではない。堅の孤児院を手伝う事を理由に、休暇を申請ついでに風呂に入りに来た環菜が、マリーに頼み込んでいるシオンを目撃したのだ。お楽しみだったのか、ひどいクマの彼女の目はそれはもう、爛々と狂喜していて仁も怖い。
「アキラメテー」
「悪いシオン」
しかしながら、仁は男でありシオンは女だ。ましてや、意中の相手と風呂なんて自分を抑えられる気がしない。それに環菜の目が怖い。人身御供にシオンを差し出しそうとするが、
「貧相かもしれないけど、見ていいから!それが嫌なら目隠ししていいから!」
「……アキラメテー」
「……揺らいでんじゃねえぞお前」
描いた光景に妙な間が空く僕と俺。目隠しでもいいならと思いかけた自分を必死に抓ったり、幻覚幻聴を見聞きしまくって必死に誘惑を振り切ろうとする。それに、ここは公衆の面前だ。頼むから自重して欲しい。
「ふふふ……シオンちゃんを私でしか満足出来ないように……」
「ほら!あんな事言ってるの!ねぇ怖い!暗殺者よりあの人が怖い!」
「あの人ただの耳年増の純情でしょ」
「おい聞こえてるみたいだぞすっげぇ睨まれてる……これ、昨日堅さんとなんかあったな」
凄まじい身体機能を活かしてひしっ!と涙目で離れようとしないシオンの体温と感触だけで、こっちの理性は蒸発しそうだ。幸い、環菜の目を見ると多少なりとも冷静になれる。今日は絶対、ダメなのだ。
「悪いなシオン。今日は用事があるんだ」
「アキラメテー」
「私もその用事についていく!」
「駄目だ。今日のはシオンに頼まれても絶対駄目だ」
「アキラメテー」
特にシオンと一緒は色々と不味い。今日はシオンがいない場所で会いたい人がいるのだ。
「……まさか色街?」
「そうじゃない。違うから!」
色街での騒動以降、僅かながら仁のファンが増えた。その事に危機感を覚えているシオンは嫉妬と絶望の色を浮かべて仁を見つめるが、それはないと否定。むしろ逆である。という事で、シオンを環菜に引き渡そうとするが、
「じゃ、そういう事で。環菜さん、お願いします」
「はぁい!……死ね」
「ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああ!」
「仁!?」
シオンを手渡す際油断した一瞬、身体強化で距離を詰めて手を伸ばした環菜の指が、仁の胸についた赤い左首を千切れんばかりに引っ張って捻ってこねくり回した。
「ぐっ……ああああああああああ……」
「はっはっはっはっ!油断したわね!」
痛い。凄まじく痛い。神経をダイレクトに掴まれて引きちぎられそうになった鋭い感触が心臓まで続き、仁の膝が砕け落ちる。瞬間的な痛みのピークは白目を剥きかけた程。しかし、脅威はその後も続く。
「と、取れたんじゃねえか……」
「痛い痛い痛い痛い!触らないで!」
先も述べたように、公衆の面前だろうが構わず胸を抑えてうずくまり、高笑いする環菜を片目で睨む。もう片方の目が痛みのあまり、閉じられているせいだ。先端が取れてないか触って確認しようするが、痛すぎて本当にあるのか定かでない。後触ると物凄く痛くて触りたくない。
「ち、血が出てるう!?」
「ち、治癒するから服脱いで!」
「あら!透けてるみたいね!」
ただ一つだけ確かなのには、出血しているという事。服の上に赤い血溜りができているのだから、そら分かる。一般人に分からないのは、何故男の乳首の上に血溜りが出来ているのかという事で。
「ゆ、許さねえ……」
「こんな事に痛覚分配使うなんて!絶対覚えてて!」
意中の少女に、乳首に治癒魔法をかけてもらうという凄まじい羞恥プレイ。シオンも心なしか顔を赤らめて、
「ねえシオン?ちょっと気のせいかまさぐってない?」
「……治療の為よ!……あ!やめて!仁!お願いだから!助けて!一緒にお風呂入って!」
「あらやだ情熱的。でも残念……私と一緒に入りましょうねぇ……」
「いやあああああああああああああああああああああああああああ!」
「あ、シオン。今日用事で遅れるかもしれないから、風呂上がったら環菜さんと一緒に待っといてくれ」
「どこか行くなら、風呂の係員辺りに伝言頼むよ」
「そ、そんなぁ!?」
この状況をフル活用していた。治癒もそこそこに抵抗するシオンを引き剥がし、殺乳首犯である環菜へと殺意混じりに引き渡す。じんじんじんと乳首は凄まじく痛んでいたが、泣いて謝って懇願するシオンを見ても、もう良心は痛まなかった。
「……服着替えてくるか」
「洗って落ちるかなぁ……その前にロロさんが来るのを待たないと……」
ドナドナされていくシオンを見送り、じんじんと痛む胸を抑えて治癒刻印を発動させながらロロを待つ。いつとより心臓が早いのはきっと、怪我をした箇所だけではないだろう。
「マリーに呼ばれてここに来たのだが、どうした?「風呂だけなら面白いから伝言忘れたフリをするつもりだったのだけれど、あの子の目が違ったから」とかほざいていたが」
「やっぱあの人鋭いな。風呂の他に今日は幾つか予定があって、ロロに手伝ってもらいたいんだ」
「暇そうだし」
「こう見えても、魔法の説明会を何度も開いているんだがな!?」
「でも今日暇だったじゃないか……シオンには内緒の案件もあるんだ。嘘吐けないらしいけど、なんとか隠し通してね」
街でこの案件を頼めるのは、おそらく三人だけ。その内の一人であるマリーは最近本当に忙しそうであるので除外。残る二人の内、魔法や歴史の説明をするしか能がなく、今日暇そうだったこの男に白羽の矢が立ったという訳だ。
「いっそ言ってやろうかと思うが、まぁ努力はする……胸から血が出ているが大丈夫か?」
「気にしないで。気にしたら殺すし書いたら殺す」
患部を手で覆っていたのに、見つかった。というより、手の範囲から血がはみ出ていた。どんだけ出血量これ大丈夫なのかとは思うが、こんなこと書かれてたまるかとロロを脅す。
「すまない。自分は殺されても死ねないし、英雄は毛の本数はともかく飯の好みまで書かねば気が済まないタチだ。書かせてもら……やめんか!お願いをきかんぞ!」
「嫌に決まってんでしょ!?乳首から血を流してる英雄なんて後世に伝えないでよ!」
しかしそんな脅し、ロロに何の意味もない。何せ死なない化け物で、記録する事だけが生きる意味の人外で、『魔女』を愛する人間なのだから。
「乳首から血……!?ぶはははははははははは!?ひぃ!そんな英雄!いやぁ!人気出るかもしれんぞ!一周回って!ははははははははははははははふごっ!?」
「ぶっころ」
「ちょっ!?鼻に氷の栓は洒落にならん!痛い!やめんか!やめんか!ああああああああああああああああああああああ!!」
ならもう、殺さずに痛めつける方法を取るしかあるまい。どうせ死なないのだからと、恨みと絶対阻止の意思を込めて鼻を凍てつかせてやった。
「……で、何かね頼みとは?」
「えーと、ロロ。ちょっと欲しい物があるんだけど……」
「対価は支払うよ。君の虚空庫の中に転がってないかい?」
もうロロが書かないと約束するまで痛めつけた後、改めて本題へ。とあるもの、というよりとあるものの為の素材を譲って欲しいというお願いだ。お金が意味を成さないこの世界だが、もちろんタダとは言わない。
「いや、自分の虚空庫の中狭いって前言ってたはずだが、んなもんないぞ。第一自分基本的に無一文だし、無駄遣いしないようにクロユリが管理してたし」
「虚空庫狭いなんて事あるのか?」
「容量無限じゃないの?てか尻に敷かれすぎでしょ」
「再生と記録に特化しているせいで、他の魔法が使えない、もしくは劣化しているのだ……なんだその顔?まるで使えねえとでも言っているような。ん?」
しかし、ゴキブリが土下座する程の生命力の代償に虚空庫を縮小されたロロは、仁が望む物を持っていなかった。勘違いを正さなかったりこいつ本当にと、仁の内心はまさに彼の言うとおりだった。
「心当たりはある。あいつの虚空庫なら、研究の為のサンプルとかで持っているのではないか?」
「ドヤ顔しているのにごめんだけど、最初から候補に入れてたよ。少し遠いし行くのが手間だからロロにしただけで」
「なんだその手軽な女みたいな扱いは。あと、イヌマキがあの部屋直通の新しい道を作ってあるから、行くのはそこまで苦ではないぞ」
「なにそれ初耳。たまには良い事するね!」
「貴様本当に乳首の事書くぞ」
マリーもダメ、ロロもダメと来たら、残された最後の候補に頼るしかない。若干膨れた彼を引き連れつつ、仁達はこの街の地下へと向かった。
時は過ぎ去り約二時間後。シオンがどんな目にあったか、あっているのか気になるところだが、この用事は済まさなくてはならない。
「柊さん、昨日に引き続き時間取ってもらってありがとね」
「いや、いい。緊急の報告なのだろう?人払いは済んでいる」
「はい……端的に言うと、自分が偽物だと露見した可能性があります」
「それ、やばいのではないか?」
地下で目的の物を頼めた仁は、ロロを引き連れて司令室のドアをノック。仕事中の柊に無理を言って時間を作ってもらい、今日の件の報告に来ていた。
「続けろ」
「今日の狩りの最中、陰口と言いますか……「所詮偽物だしな」と言ったような声が軍人から聞こえました。その場での追求や捕縛は帰って信憑性を高めるだけで、広まった噂自体を止める事は出来ないだろうと、その二人は放置しています」
「……間違ってはいない。良い判断だ」
露見している可能性は大いに問題ではあるが、対応は間違っていないと柊は悩ましげに頷く。おそらく、彼の頭には仁と同じように、様々な予想が巡っている事だろう。
「兵士達に刻んだ刻印は仁と同型のものだ。いくら多重発動で特別に見せかけたとしても、似ていると思う事は避けられなかっただろう。そこから尾ひれがついて広まったのではないか?」
「恐らくは、そうかと。見分けるには魔力眼を持つ者が必要です。うっかり漏らしてしまいそうな人物には二人程心当たりはありますが……」
「なぜそこで自分を見る……言ってないぞ!ほら!これで死なないのだから自分ではない!」
魔力眼を持つ者でなければ、断言は出来ない。おそらく、反軍派の誰かがつけたイチャモンがたまたま真実を射抜いていて、それが広まったと見るのが一般的だろう。
「……もしくは、誰かが裏切ったかだ」
「自分でもない!ほら!」
「シオンも無理だ。あの子は嘘をつけないし、そもそも裏切る理由がない。イヌマキさんに至っては地下から出れないし」
「他の人達も意味も理由もないぞ」
重苦しく、仁が仮定したもう一つの漏洩の経路。一つ一つ、確実に無い経路を潰していけば、残るのは目の前の柊、梨崎、そしてマリーの三人だけ。しかし、この三人にも裏切る理由が見当たらない。
それにもちろん、仮定なんてガバガバなもの。秘密を知る者は堅や環菜、トーカなどもっと多い。
「漏れた経路も、その噂が真実だという事も大事だが、最大の問題は広まってしまっているという事だな。いや、広められたというべきか」
「信じてしまえば、それはその者の中で真実となる……反乱が起きるやもしれんぞ」
「そうなれば、この街は本当に終わります。どうにか、しなくては……」
だが、この際最も問題視すべきは、経路よりも噂が既に広まっているという事である。前回の騎士襲撃の折、軍人の逃走などで軍の信頼は大きく低下した。反軍派の動きも活発となり、軍の中枢部に辻斬り被害者まで出ている。ここに、『勇者』であった仁がただのメッキだったと広まれば、今度こそ反乱になり兼ねない。
「ごめんなさい……俺が、こんな嘘を吐かなければ」
「ああ。全くもってその通りだ。しかし、分かっているだろう?」
「自分を責めるのならば、過去を悔やむのならば、今と未来でその責任を果たすべきだ」
柊が問いかけ、ロロが答える。時の長さは違えど、激動を生き抜いてきた大人だから言える、重みがあって正しく、行動に移すべき言葉。仁がもう、分かっている言葉。
「そんな事言ってたら、自分なんてどれだけ責任を果たさねばならん事か」
「貴様も働いて貰うからな。と、言う訳だ桜義 仁。君がこれから取るべき行動は、何かね?」
「「……公表する、です」」
責任だ。例えそれが仁にとってどれだけ辛くとも、果たさねばならない。反乱を起こさせない事が、第一なのだから。
「「嘘を隠す為に、更なる嘘を」」
まるで子供みたいだ。嘘を隠す為にまた嘘を吐く。信じてくれている人達をまた、騙す。人として最低な行為。仁だっていっそ本当の事をぶちまけて、石を投げられた方が楽だと思っている。
「それが、俺達の役割で」
「嘘をついた僕達の果たす責任さ」
でも、許されない。それで喜ぶのは仁だけだ。この街は終わる。だったら、騙されている人々を騙したまま幸せなまま仁を信じたままにして、仁が痛みを背負ってこの街と嘘を続けよう。
「その通り。偶然にも、君達がこの街に来た時の門番は全員戦死している。残るは環菜と堅の二人だけだ」
「……あの二人には、自分の口から説明でもよろしいですか?」
「もちろん。それで済み、彼等が了承したのなら」
その為には、環菜と堅に仁の口から真実を告げて、嘘に協力してもらう必要があった。もしその協力が得られなければ、その先は考えたくはなかった。例えそうなっても、仁のせいで、自分が背負わなければならないから。
「明日、彼等に説明、明後日に公表でいいですか?」
「ああ、それで構わない」
仁のメッキが剥がれた事を責めてくるなら、先に更にもう一枚メッキを貼って、醜いこの素肌を隠そう。そうすれば、反乱の時間は多少なり稼げるはず。その間に、魔法陣を手に入れて全てを終わらせるのだ。
「では、これで」
「ああ、頼む」
部屋を出た仁とロロを見送り、一人となった柊の目は、
「全て、計画通りだな」
まるで盤上を見るような冷ややかな色をしていて、でも、その奥には何よりも熱い炎が燃え盛っていた。




