第110話 残酷ゲシュタルト
いくら宥めてもトーカの側から離れようとしない子供達を諦め、堅は環菜に別室で事のあらすじを説明した。たった一つだけを残して、全て。
「……やっぱり納得出来ないわ」
「いやしかし、彼女は自分がやった事を後悔して!」
堅がトーカを助けてしまったのは、彼女に罪の意識があったから。焦点の合わない目でどこかを見て、うわごとのように本音を呟いていたから。その内容が、忌み子達に向けられたものだったから。
「後悔するくらいなら、最初からやらなければいいだけの話よ」
「だが、彼女はそうせざるを得ない状況にあった。でも今はもう……!」
しかし、それは到底環菜にとって、助ける理由には及ばず。堅が次に取ったのは、忌み子達が危険だと思われていて仕方がなかったと、
「まだバリバリ戦えるわよ。シオンちゃんや仁を見なさいな。手足のどこか欠けてたって魔法で動けるの……それになに?あんたは私達がこんな目にあってる事が、間違っていなかったとでも?」
「……そ、それは……」
日本人が虐殺される事が正しいという、環菜の怒りにガソリンをぶちまけるような、悪手だった。もちろん咄嗟の言い訳で出ただけで、堅も本気でそう思っているわけではない。だから環菜は、彼を殴っていない。
「やたら肩を持つわね。仇なのに。情が移った通り越して惚れてんの?顔はいいもんね」
「違う!そういう意味で助けたんじゃない!本当だ!」
「……どーだか。男ってのは下半身でものを考える時があるからね」
「…………たまに出るその、おまえの経験豊富そうなのは……ああ!もういい!話が逸れた!それだけはない!」
神に誓ってもいいと身の潔白を叫ぶ堅を、環菜は白い目で睨む。頑として譲らない彼の態度にはぁと深いため息を吐き、ジト目を閉じた環菜は、
「堅はきっと、あの女の人間性を見てるんだろうね。利用する為だったかもしれないけど、子供達はよく懐いてる。親の仇だって事、知らないんだろうけど」
「…………」
ほんの僅か、殺気を向けただけでしかない女の内面を、良いと判断した。性格の悪い人間なら、こうも子供達は懐かない。それに彼女は復讐を正当な理由だと認め、自ら無防備を晒した。殺そうと思えば、環菜も堅も子供達も一瞬で殺せたろうに。
「言いたい事は分かる。私達から見て、あの女がした事は絶対に許される事じゃない。でも、逆の視点から見ればあの女の行いは、自ら血を被って誰かを助けようとする英雄的行為だ」
故に、トーカは自らの手を汚して世界の為に戦った。性格が良いからこそ、誰もが嫌がる殺人で人を守る事が出来た。それは環菜にも理解出来る。
「でも、ダメ。私達は私達で、異世界人じゃない。ちゃんと見てる?あの女の危険性。柊司令やシオンちゃんに仁、マリーさんのようなこの街の核を殺されるかもしれないんだよ?」
「それは、分かっている。首輪も着けた」
「あんなハッタリが本当に通用してるか、怪しいわよ。信じてるフリって方がまだ信じられるわ……やるなら本当に埋め込みなさい」
しかし、例え性格が良かろうと騎士は騎士。むしろ性格が良いからこそ、使命感に駆られた彼女は、この街の最大の戦力や知力である仁達を暗殺するかもしれない。そしてそれはおそらく、彼女がその気になれば今すぐにでも出来る事だ。
「情報、何も吐かないんでしょ?」
「……多少、彼女が無益と判断した、こっちにとって有益なのはいくつかある。例えば、帰還用の魔方陣は一定階級以上の役職の者が持っているとか」
この情報に関しては、大いに有益である。何せ集中して襲う相手をある程度狭められた。他にも情報はあるがその中でたった一つだけ、環菜に言えなかった事がある。それは、仁がこの街全部を欺いている可能性についてだ。
「なんか隠したわね。それも吐きなさい」
「!?」
「それなりに長い付き合いなんだから、それくらい分かるわよ。舐めないで」
でも、言えなかった情報がある事はすぐに見抜かれてしまい、堅は呼吸に詰まってしまう。確かに隠したが、隠すという事は隠すに足る理由があるという意味であって。
「……まだ、真偽が定かじゃないし、これは、知らない方がいい」
「どんな小さな情報でも、そこから思いもよらない結果を招くかもしれないでしょ」
「その通りだ。だから、これは知らない方がいい。知る人が増えてしまったら、それこそこの街が終わる。真偽を確かめるには彼女が必要なんだ」
ただの機密情報として見るなら、環菜に教えても構わないだろう。安易に口を割る事もないはずだ。しかし堅が躊躇っているのは、嘘か本当か分からないのに教え、仁やシオンとの関係が悪化する事にある。
「……言えないなら、信じられない。現状だとやっぱり、あの女は殺すべきだと思う。性格上寝返りはありえないし、生かす理由が子供達が悲しむくらいしかないからね」
「……分かってくれ。これは、知らない方がいい事で!少なくとも真偽を確かめる必要がある!」
仮に嘘だったなら、それでいい。でも、真実だったのなら。何故仁がこの街を騙しているのか。柊とシオンはグルなのか、問い詰める必要がある。その為に、魔力眼を持つトーカは不可欠な存在だ。
「……ねぇもしかしてだけど、仁に関係してる?しかも刻印関係」
「なっ!?」
「半分カマかけだったけど、当たりか。最近仁を避けてる事、あの女が必要だって理由考えたらそれしか見つからないからね」
隠そうとしたのに、環菜はほとんど自分で正解に辿り着いてしまった。とは言うものの、堅が仁を避けている事、異世界人のトーカにしか出来ない魔力眼、仁の身体に刻まれた印が自分達の刻印と酷似している事、異様なまでに己を追い込む仁、これらを総合すれば、答えは自ずと出るものだ。
「英雄像のメッキが剥がれたら、確かに暴動物だわ。信じてただけに、騙された時のダメージは大きいもの」
「……隠す理由があるのだろうが、それでも露見した時のデメリットが大き過ぎる。そうまでする理由はなんだ?」
「逆じゃない?バレたら終わるから、隠すしかないんじゃないの?私達は余計な詮索をするより、見分ける事が出来るトーカを始末するべきじゃない?」
「そ、それは……」
トーカの有用性を証明しようとしても、帰ってくる結論は最初と同じく彼女を始末すべきというもの。
「一つだけ、彼女の危険性を限りなく低くする方法があるけど」
だが、始末する以外に道がないわけではない。環菜はトーカを抑えつける方法を一つ、見つけている。
「そ、それは本当か!?」
「さっき私が言わなかった事を彼女に伝える。そしてそれを彼女が信じる。これだけよ」
「それは、なんだ?」
それは、環菜はシオンから転移魔法の存在と共に知らされた、堅もトーカもまだ知らない、この残酷な世界の残酷な真実を彼女に伝えるという方法。何とも、簡単だ。紙や画面に映る文字の話ならば。
「『魔神』は、心に闇を抱える者ならば、誰であろうと乗り移れる。そこに黒髪も黒眼も関係ない。そもそも『魔女』は味方だって話」
「…………ちょっと待ってくれ。理解が追いつかない……まるで、日本人が殺された理由が、ただの勘違いだったような……」
「最っっっっ高に笑えないギャグでしょ?世界救われる希望と、シオンちゃんと仁がお別れするのと同時に聞いてなかったら、私もどうなっていたか分からないもの」
数億、いや地球規模の被害で考えれば数十億の死者が出た今回の転移。転移自体には、幸か不幸か意味があった。しかし、その後は?その後、騎士に守られる事なく、むしろ騎士達が進んで虐殺を行った一億の日本人に関しては?
世界なんて、こんなものだ。
「何の意味もなく、ただの勘違いで私達は殺されてた。殺される事に意味なんて関係ないだろうって私は割り切ろうとしたけど、やっぱり本人を前にすると無理だった。ここまで、人を殺したいと思ったのは初めてだった」
「…………………」
堅は唖然とする他ない。聞いたあの場で割り切れて、他の事に集中できた環菜と楓が異常である。恋愛脳だったせいもあるのだろうが、それでもだ。
「このまま中途半端に宙ぶらりんってのは、私は認めない。認められない。だから堅、選んで」
「待て。そんな事、トーカに伝えたら……」
「このままあの女を騎士として幸せに死なせるか、それともやってきた殺人全てがただの勘違いで無駄だったと、人殺しとして生かすか」
残酷な世界は残酷な真実を見せて、残酷な選択を迫る。残酷が多すぎて笑ってしまうくらいに、この世界は酷い。
「……そ、そんなの!」
「普通なら、信じないとは思う。けど、ある程度日本人と触れ合った彼女なら、信じてくれるかもしれない。そしたら彼女に戦う理由はなくなるし……戦意も完全にへし折れる。なんなら懐柔できるかも知れない」
信じれるわけもない。自分達がしてきた事が、本当に何の意味もない虐殺だったなんて。例え嘘を言わぬ口を持つ男の口から出た言葉でも、受け入れられるはずもない。何かの間違いや、巧みな話術だと信じたくなる。だが、奇妙な信頼を築けたトーカと堅ならば、話は変わる。
「……ど、どっちも……」
「死んで地獄か生きて地獄か。そういう選択肢だよ。選べないって言うなら、私はあの女を殺す。そっちの方が危険は少ないからね」
「…………」
手が震えた。脚ももちろん、唇も。だってだって、逆の立場なら、自分は一体どんな気持ちでどっちを望むかと考えて、でも堅としての立場なら答えは真逆に変わって。
「あの女を助けてしまったのは、堅だ。だから、責任を持って選ばなきゃならない」
例えどれだけ辛くとも、引き金を引くか真実を語るのは、堅でなくてはならない。
「……お姉ちゃん、堅のおじちゃん。トーカさん殺すの?」
「悪いお前ら。少しだけ、あっちの部屋に行ってくれるか。環菜のお姉ちゃんが遊んでくれるから」
どちらの選択肢を選ぶにしろ、死体も人生が無駄だったと知って崩れ落ちる姿も、子供達に見せていい姿ではない。
「ほら、私についておいで!安心して。きっと、堅は殺さないから」
「……ほんと?」
「ほんとほんと。お姉ちゃんの事あんまり信じられないかも知れないけど……」
先ほどトーカに銃と剣を向けていた環菜だ。堅の彼女だと思われていたとしても、トーカに懐いている子供達にとっては悪い印象しかない。嫌そうな顔で仕方なくついて来る子供達に、環菜は寂しそうに笑って否定。
「じゃ、頑張って」
「……悪い。本当に」
堅が優柔不断だったから、環菜は子供達に嫌われてしまった。ああ見えて傷つきやすい彼女の事だ。相当堪えているはずなのに、堅の背中を押してくれた。彼に出来るのは、責任を果たす事だけだ。
「とても強く、仲間に優しい女性です。伴侶になるなら、ああいう人がいいと思います」
「ああ。本当に、そう思う」
それは、何度も何度も殺さないでと言う子供達に、手を振っているトーカにも分かっている事だ。大切な誰かを助ける為に、その人に嫌われるというのは思った以上に難しい。
「私の処分は決まりましたか?」
「……二つ、道がある。一つは、このままお前を殺す道だ」
「妥当ですね。しかし、もう片方は?」
「真実を知って、生きる道だ。ただ、この道ははっきり言って、死んだ方がマシな地獄だと思う」
堅は責任を持って考えた上で、トーカに委ねる事に決めた。責任の放棄と取られるかもしれない。だがそれでも、堅には選べなかったのだ。例え堅がトーカの立場になって考えようとも、それは堅の価値観でしかない。どちらも地獄で彼女がこの街にとって無害となるなら、彼女が選ぶべきだ。
「はっきり、なのに思う……いまいち要領を得ませんね……それが、さっき彼女が知らない方がいいと言って銃口を向けてきた真実ですか」
「ああ」
「それを知れば、生きていいと?」
「……俺は、そう考える。さっきも言ったように、そっちは本当に死んだ方が良いと俺は思うからだ」
そう言われたトーカはふぅと深く息を吐き、呼吸と精神を整える。よく、分からない。死んだ方がいいと思える真実なんて彼女に心当たりはないし、はっきり言って、今の彼女にとって生きようが死のうが然程違いはなかった。
「その真実とやらを、教えてください。それから、死ぬか生きるかを決めます」
ただ、それだけ重い真実ならば、生きようが死のうが知らなければならないと思った。
「知らずに死んだ方が幸せかもしれないぞ」
「例え幸せであろうとも、それは逃げです。私の行動が招いた事なら、向かい合わなくてはならない」
「……逃げるのは、悪い事じゃないと俺は考えている」
「勝てない相手に撤退は良い判断ですが、真実から目を背けても良い事はありません」
殺せば、子供達は堅を二度と信用しなくなるだろう。それも嫌だが、復讐は果たせるという点では、堅にも殺害のメリットがある。だが、だが、この真実を伝えるのは、例え復讐の念を抱いた相手でも、躊躇ってしまった。
「早く言ってください。心臓に悪いです」
「……言うぞ」
しかし、トーカは真実を望んでいる。己の行動の果てを知りたがっている。ならば、この口は責任を持って告げるのみだ。
「……『魔神』は、黒髪や黒眼関係なく、人の身体に憑依出来る。『魔女』は元より憑依能力なんか持っていないし、世界を救った英雄だ」
「…………すみません。到底、真実とは思えないのですが」
責任をもって口にしても、トーカは信じてはくれなかった。ああ、その通りだ。それが正しい反応だ。幼少より『記録者』の記録を聞いて育った彼女に、それら全てを覆すような事を言っても信じる訳がない。そしてなにより、仮に真実だとしても信じたくない。
「本当だ。少なくとも、環菜はこの情報の出所を『記録者』という男だと言っている」
「なにを、言っているのですか?私達の、世界の『記録者』の本には、忌み子についてちゃんと記述されています……!その本が『記録者』の本だというのも、欠片を燃やして確認済みです……」
しかしだ。しかし、あれだけ勿体ぶって告げられた言葉だ。仮に、真実ならと想定すれば、手足も身体も心も震える。
「燃やして確認済み?」
「そうです。『記録者』の本や文字は、どれだけ傷付けても元通りになります。そうやって、彼の著書かどうか判断してきました」
「……?」
おかしい。『記録者』の本というのが真実しか書けないのなら、忌み子に関する記述はないはずだ。なのに、トーカはあると言った。
「…………嘘、ですよね?すいません。さっきは真実を知りたいと言っておきながら、こんな……こんな……」
「いや、真実の筈だ」
揺れる。どちらの情報の出所も『記録者』。嘘は決して書けないはずなのに、何故こうも食い違う。わからない。分からないが、それてもトーカは怯えていた。
「だって私、それじゃあ……私の人生、ただの人殺しばかりで、何の意味が……!?」
ベットの上で片腕で頭を抱えて、自分の人生全てが無駄にして殺人だった可能性に、怯えていた。




