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幻想現実世界の勇者  作者: ペサ
幻想現実世界の勇者
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第13話 空と引き金

 


「ノックしてから来るってのが礼儀じゃないのさ本当!」


 突然で、予想外すぎる出会いのパニックから抜け出した仁の頭がどうするかの思考を開始。


 旅の中で一度も戦わなかった魔物。巨体ゆえに警戒していれば遠くからでも気づき、近づかれる前に逃げることができた。だがここまで近づかれたら、もう逃げられない。


 真後ろは崖。正面にはオーガ。横から抜けさせてくれるなんてこと、目の前の巨鬼は許してくれるだろうか。


「龍やあの兵士どもに比べればマシだけど、それでも相手が悪すぎる」


 仁はオーガには一度勝っている。しかしあの時は運と作戦と地形と支援があってのことで、真正面からの戦闘となると全くの未知数だ。


「アホみたいな再生能力と馬鹿げた力。というより単純に考えてこんなでかいのと正面戦闘って……」


 眼球を突き破っても一分と経たずに治り始め、全身にガソリン撒いて火をつけてたとしても、しばらくは息があったほどの再生能力。そして鉄でできた門を一撃無傷でぺしゃんこに押し潰す力。そんな化け物に人間が挑んだとして、


「勝ち目はあるのか……?」


「分かんないけど、来るよっ!」


 仁の身長ほどもある掌が天へと振り上げられる。あんなのを食らえば一瞬でミンチで、それがもう目の前。悩む暇はない。


「ああくそ!賭けだ!」


 攻撃の予兆を見た仁は側に置いていた槍を拾い、ジグザグにオーガの足元へ走り出した。巨大な眼が仁を追って、細かく狙いを修正していく。


「当たらないと分かってる攻撃するほど馬鹿じゃねえよな!」


 その間だ。オーガが狙いを定めている間が、仁のセーフタイム。振り下ろされなければ、当たりはしないのだから。


「鉄の門ぶっ壊す威力で地面に叩きつけてなんも起こらないわけがないよな」


 しかし、それでもいつかは振り下ろされる。例え避けれたとしても、どんな影響が出るのか。最悪、足元が崩れて崖下へ一直線だってあり得る。振り下ろされれば、一気に不利。


「僕っ!度胸見せんぞ!目瞑るなよ!」


 だがいくら大きいとはいえ、オーガだって人型の魔物。人体の構造上、掌を振り下ろせない部分も存在する。


「あいさー!」


 肉薄した仁に当てれると思ったのか、オーガが溜めていた掌を振り下ろした。上方から迫る濃厚な死のイメージに、怯える心を抑えつけて、


「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」


 一切止まることなく、目を閉ざすこともなく、真っ直ぐ加速してオーガの股下を潜り抜け、回避。


「うおっ……」


 叩きつけられた衝撃で大地が掌の形に凹み、地面の破片が破壊の余韻として辺りに飛散する。直撃は避けても、こればかりはどうにもならない。


 飛び散った破片のいくつかが背中に青アザを作り、全身を痛みが駆け巡る。痛みで光が弾けた世界で仁が取った行動は、


「……悪い。任せる」


「あいっ…よっ!」


 身体の支配権の一部、つまり痛覚だけを僕にぶん投げるというものだった。


 二つの人格で一つの身体の支配権を分け合っている仁は、右半身だけを俺の人格が動かし、左半身だけを僕の人格が支配することが可能だ。もちろんこれは一例であり、もっと細かく部位を分割することもできる。


 これが分かったのは旅の中。不味い料理を嫌がる僕が右手でオークの肉を放り投げようとし、俺が左手で食事を粗末にするなと止めた時だった。


 そして二人は思いつく。身体の支配権を分け合えるなら、感覚だけ分け合えることはできないかと。


「そしたら出来たってもんだから驚きだ」


 片方の人格のみに全ての痛みを肩代わりさせる。これが仁の手にした唯一の異能。


「負担が大きすぎるし、動けるだけなんだよねえ」


 とても便利に聞こえるだろうし、実際ある程度は便利だ。しかし、痛みは無くとも傷を負ったことに変わりはなく、その状態で無理をすれば傷口は広がっていく。痛みはこれ以上動かしたら危険、という警告でもあるのだ。その警告に気付かぬまま動かし続ければ、


「いでっ!右足に力入れすぎ!筋肉破裂するよ!」


「すまないっ!」


 無茶な動きの反動として、身体の損傷が待ち構えている。度を過ぎれば動けなくなるそれと隣り合わせの、危険な異能。足の筋肉が千切れたりでもして、動けなくなればどうなるか。死ぬだけだ。


「つまり痛みを無視しての超パワーとかはできない」


「大きな怪我だったら片方の痛覚に収まりきらないってのも不便さ」


 大きすぎる怪我。つまり、片方の人格が抑え込める痛みの容量を越えてしまえば、溢れた痛みはもう片方の人格を襲う。それ以前に片方の人格は常に痛みに襲われて、耐えることを強いられる。


「要は痛みを先送りにしてるみたいなもんだ」


 副作用も作用も大きい劇薬を使い、オーガの攻撃の余波の痛みを一時的に無力化して戦う。とはいえ先述の通り、傷自体は負っている。もしこの戦いを生き延びても、後々苦しむことになるだろう。


 しかし、今死ぬよりはずっとマシだ。


「シッッッ!」


 鋭く息を吐いて反撃の横薙ぎ。痛みで鈍らないクリーンな動作で狙うのはアキレス腱。ここを切り込めれば、オーガの動きは大きく鈍るはずであるのだが、


「オーガも無理なのかい!?」


「この世界の奴らはみんな石でも食ってんのか!」


 やはり硬く刃は一切通らず。あの異常なオークほどではなくとも、石でも叩いたかのようなオーガの皮膚に槍は敗北。


「ちくしょう……どうすればいいんだ」


 虫けらみたいな存在の、虫刺され程度の攻撃を見た嘲笑が大気を震わせる。五月蝿い蝿でも叩き潰そうと、オーガは両手を振り上げて、


「命賭けの意味通りすぎて涙が出るよもう!」


 破壊の拳が、打楽器をふざけて叩くような気軽さで次から次へと振り下ろされる。仁はそれら全てを観察し、賭けと予測で避け続ける。


「ビビって止まってたら死ぬってのはこの世界に来て初めに教わったことだ……!」


 怯えて脚が竦めばそこで死ぬ。だから、怖くても動き続けることが大事なのだ。


「カッコつけてるけど、細かいの全然避けきれてないよっ!?」


 僕の言う通り、仁に相手の動き全てを読み切る技能なんてない。ましてや細かい破片までなど不可能だ。仁にできるのはただ一箇所に留まらず、サバイバル生活で鍛えた体力でちょこまかと逃げ回るのみ。


 右へ、左へ、真後ろへ。距離を取り、息を整えて。


 その表情に余裕はなく、額には冷や汗が伝っている。当たれば即死の攻撃が、空から雨のように降ってくるのだ。誰だって焦りはするだろう。


 そして、その元凶を倒す方法が全く思い浮かばないのだから。


「考えろ……何か思いつかないと、死ぬ」


 どうやったら勝てる?首を落とすのも不可。喉を貫くのも不可。脳を壊すのも不可。胸を穿つのも不可。


「大きすぎる!」


 どこの急所を狙おうにも、身長と筋肉が邪魔をする。9m近い巨人の上半身に、1.7mの小人はどう足掻いても届かない。槍の長さを足してジャンプしてもギリギリ上半身に掠れば上々。致命傷にはほど遠く、一撃では決めれない。


「一撃で決めれなかったら、その隙突かれてこっちが一撃される」


 仁の攻撃がろくに通らず、また届かないことを分かっているのか、オーガもどこか遊んでいる節がある。ただの素人が攻撃を避け続けることに成功しているのは、このせいなのかもしれない。


 まるで飛び回る虫を追い詰めて、嬲り殺しにするように。猫が猫じゃらしを追い回して、遊ぶように。そんなオーガの遊びでさえ、仁の命は吹き飛びそうになっていた。


 動脈を断ち切るのは不可。動脈の位置がわからない。


「だめだ。どう考えても殺せない…!」


 銃弾を急所に撃ち込むのも不可。鉛玉を撃ち込もうにも、銃口を押し付ける範囲は決まっている。ましてや銃口を押し付けずに急所を撃ち抜ける自信は、仁の腕にはない。


「下手な鉄砲数撃ちゃ当たるって、数が3しかないんだよ!」


 残弾三発で運良く脳を貫いてくれることを祈って乱射するくらいしか、今の仁には思い浮かばなかった。


 人が乗れるほどの手の振り下ろし。鉄パイプを数十本まとめて振ったような薙ぎ払い。単調で遊びでオーバーキルの一撃は、ついに仁の髪の毛数本を捉えて引きちぎり、吹き飛ばす。


「はっ……はっ……はっ……」


 風圧で僅かに浮かされ、吹き飛ばされ、すれすれだったことに滝汗を流して焦る。あと数センチずれていれば、頭が髪の毛と同じ運命を辿っていた。


「こいつギリギリを狙う遊びを……」


 今の一撃はきっと、殺すか殺さないかギリギリを攻める遊びだったのだろう。にやにやにやにやと臭い息を撒き散らし、仁の気力を削ぐ笑顔が物語っている。


 この遊びは危険すぎる。僅かにオーガの手元が狂えば、仁はあっさり死ぬのだから。


「俺君、そう長くはもたないよ」


 例え直撃はせずとも、飛び散る破片と疲労が仁の体力を削っていく。仁の体力は一般人よりは多いが、それでもたかが知れているというものだ。


 オーガが遊びに飽き仁を本気で叩き潰すか。オーガが遊びに失敗して、うっかり仁を叩き潰すか。仁が傷と疲労で動けなくなるか。このままでは三択の死ぬ未来しか、見えない。


「攻略の糸口はどこだってんだ!」


 仁が死ぬ前に勝つ方法を見つけなければ、死ぬだけ。そのことを分かっているからこそ、死に物狂いになって血眼になって、オーガを殺す方法を探し続ける。


「いや、そもそもあるのか?」


 だが、考えてしまう。これはゲームじゃない。攻略法なんてものは最初からないのかもしれないと。ここが自分の詰みなのではと。


「ふざけるな」


 そんなの認めない。


「まだ……まだだ。こんなところで終わってたまるか……」


 仁がこの世界で生き抜いてきた原動力。死への恐怖が、彼を再び突き動かす。


「死にたくないなら、死ななければいい……待てよ」


 殺す方法が見つからないのなら、殺すことを勝利とせず、撤退するのを勝利とするなら?


 発送の転換。オーガを殺すことから、自分が死なないことをクリア条件に変更する。殺す答えは見つからなかった。しかし、どうすれば逃げれるかという答えは、まだ検討の余地がある。


「僕。作戦変更だ」


「大人しくお迎え待つって作戦は勘弁しておくれよ」


「死んでもそれだけはしない……足を狙う」


 実行するなら早い方がいい。仁の右手はすでに槍で満席。空いている左手でグリップを握り、拳銃をホルスターから引き抜く。


「致命傷となる上半身には銃口を押し付けられない」


「じゃあ、致命傷とならない下半身を崩して身動きを封じればどうだろうか?か、考えたね!」


 肺いっぱいに空気を大きく吸い込み、心を落ち着かせてから、足元へと突撃する。そんな少年の視界半分を埋め尽くす蹴りで、オーガはお出迎えと嘲笑う。


「蹴りっ!?」


「俺君、反対に走って!」


 予想では拳での歓迎であったが、現実では蹴りが来た。こんな馬鹿げた威力の蹴りに照準を合わせる技術は仁になく、反対側の足へと狙いを変更し、走る方向をずらす。


「ビビるな……俺っ!」


 手を捻らないか。首を折らないか。避け切れるのか。不安が前から後ろから、仁を包み込む。


「ファイトぉ!」


 でももう、今更どうしようもない。不安を全て声と諦めで吹き飛ばした彼が取った行動は、地面へ向けての思いっきりの飛び前転。


 体育の時間のマットとは違い、仁が飛び込んだのはざらっざらの地面だ。ついた掌に小石が食い込み痛い。予想通り手首を少し捻って痛い。地面が背中の素肌を削って痛い。


「よしっ!」


 オーガの脚が削り取った大地の欠片が仁を襲い、全身に幾筋もの赤い線が走る。追加の痛みに僕の顔が歪み、呻き声が俺の脳内でも反響した。だがそれでも、避け切った。


「あと少し…!」


 彼我の距離は5mと離れていない。走って詰めれば瞬く間に距離は消える。ターゲットは先と変わらず、アキレス腱。ここを撃ち抜けば、少なくとも動きは止まる。


「油断が仇で大火事だね!俺君、今だっ!」


 銃口を凸凹とした足首にがっちり押し付け、僕の声と共に重い重い引き金を引いた。弾丸はいつも通り、どんな遮蔽物も関係なく、一切合切壊して前へと進む。オーガの皮膚だって例外じゃない。大音量の苦痛の叫びが、銃声さえ掻き消した。


「まだまだぁ!」


 しかし相手は大木のような脚を持つオーガだ。銃弾で撃ち抜いたとはいえ、人間で例えれば細い針が刺さった程度。それでもかなりの重傷だが、敵の再生能力を考えれば、まだ足りない。


 だから仁は、鉄の槍を大きく振り被った。


「もうっ!一本んんんんんんんっ!」


 叫びをあげて小さな穴に狙いを定め、旅の中で鍛えた技術を思い出して、蠢めく肉に穂先を突き入れた。皮膚の硬さに歯が立たなかった先ほどとは違い、今回は露出した柔らかい肉をあっさり斬り裂いていく。


「仕上げ、だよっ!」


「おらぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあ!」


 奥深くまで突き刺し、オーガの肉と筋肉をズタズタにしたのを確認。絡みつく肉から槍を少し回し、強引に引き抜いた。


 相手がこれでも動けた場合に備えて、結果を見るのは後回しだ。全力疾走で距離を取って、


「……」


 振り返った彼が見た、賭けの結果は?


「やってやったぜ!」


「イェーイ!ハイタッチさ!」


 ズシンと音を立てながら膝をつき、その場で蹲った巨鬼の姿だった。空いた傷口からは血がどぽりどぽりと溢れ出しており、オーガは憎々しげに仁のことを睨みつけている。


「本当に、この世界油断できねえや」


 仁はまた、この世界で生き残ることに成功したのだ。


「油断したもん負けってことだな」


「でもこっちも勝てる気しないから、僕らはこれにて御免!ってね!」


 喚き、叫び、咆哮し。ありったけの怒りをオーガは様々な方法で表現する。しかし、仁は無理に戦うことはないと既に撤退を決めており。


「うおっと……すっごい声。できたら大人しくしてて欲しいなぁ」


「髪の毛が声で震えるなんて初めて……っ!?」


 20m近く歩いて、崖の近くに落ちていた鞄を拾った瞬間だった。ヒュッとなにか振り払わられるような音が、脇腹へ飛び込んできたのだ。


「ぐほっ……おえっ……?」


 恐ろしい速さで飛んできた石ころ(・・・)に当たった仁は、衝撃で崖から落ちる寸前まで吹っ飛ばされた。


「かはっ……なんだ、これ?」


 起き上がろうと何度も足掻くが、胸の中で灼熱が暴れ回っていてろくに動くことさえできない。肋骨が数本折れたのは確定で、オプションとして内臓に何本か突き刺さっているかもしれない。


「……っ!痛覚、任せた」


「んっ、りよーかい。けど、なんで石ころで、こんなに痛いの……」


 僕に痛覚を任せ、俺の人格はやっとまともな思考へ移ることができた。とはいえ、いつもの相方は痛みに襲われすぎてまともに話すこともできず、ただ心理世界で悲鳴を上げ続けるのみ。


「動け、ないよ」


 その上あまりにも大きすぎる怪我で、身体自体がろくに動かない。痛みは薄れても、傷は薄れない。


「ははっ……冗談よしてくれ……」


 仁は確かに勝利したはずだった。脚を銃で撃ち抜き、動けないのを見た。でも今の彼の眼に映るのは、オーガの何もない皮膚だった。


「いくら再生するったって限度があるだろうよ……」


 涙で霞む視界に、完全無傷のオーガが映る。血が溢れていたはずの脚は淀みない足取りで、しっかりと大地を踏みしめている。


「ふざけてやがる……!」


 勝ったと勘違いしたことにより産まれたわずかで、致命的すぎる油断が仁を追い詰めていた。


「最悪を超えた最悪を想像しろってか?想像もしないことまで想像しろってか……?」


 だがしかし、これは油断とは言えるのか?誰が思う?銃で撃った傷に槍で刺した傷が、ものの10秒で治るなど。しかも相手は中ボスでも魔王でもない。ただのオーガだ。


 身体は痛みと怪我で思うように動かない。オーガが迫ってくる音を地面と空気から感じる。50cmも下がれば崖、目の前にはオーガ。正に崖っ淵すぎる状況だ。


「嫌だ……」


 その現実から逃げるため、這うように後ろへと下がっていく。その分だけ、怒り心頭のオーガが距離を詰める。


「頼む……やめてくれよなぁ!俺の勝ちでいいだろっ!?」


 惨めに泣いて、命乞いをする。意味がないと理解していてもせずにはいられない。運命を恨まずにはいられない。この世を呪わずにはいられない。生きたくて生きたくて生きたくて、たまらない。


 香花も、みんなもこんな気持ちだったのだろうか。


 いつか殺し捨てた弱さが、そう呟く。そんな思考が泡のように浮かび、すぐに消えた。


「助けて……」


 代わりに浮かぶ言葉は、誰かへ助けを求める言葉。他者への同情より、自身の保身。なんとも浅ましい。ここまで絶望的な状況ですら、生にしがみつくことを諦めない、汚い生きた肉塊。


「ヒーローなら、勇者なら、こんな時に力に目覚めるんだろ……?いや、そういう奴がいるなら、助けてくれるんだろ?なぁ……誰か……助けてくれよ……」


 仁はヒーローでも勇者でもない。追い詰められて、何かの力に目覚めたりしない。仁にできるのはただ考え、手の届く範囲で実行するだけ。届かない範囲?届かないんだろう。


「誰か……」


 仁に助けは来ない。助けてくれそうな人物は皆、仁が殺したのだから。彼の作った作戦や、彼自らの手で。


「怖いよ……」


 無様な少年の思考を埋め尽くしているのは、死から少しでも遠ざかろうと這うことと、死への恐怖だけ。


「あっ」


 先ほどまで地面に触れていた指先が、空を切った。崖の端まで来てしまったのだ。逃げ場はもう存在しない。


「来るなよ!こっちは行き止まりなんだよ!くそっ!」


 仁に逃げ場はなくとも、オーガが進む場所はある。ゆっくり、ゆっくりと少しずつ距離を詰めてくる。


「そ、そうだ!俺は運がいいんだ!」


 腰のホルスターから銃を抜き、オーガ目掛けて発砲した。運良く頭を鉄の塊が貫いてくれれば、まだ勝機はある!と愚かにも縋って。旅の間、押し付けて撃つスタイルばっかりにかまけろくに練習もしていない人間の銃弾が、当たるとでも思ったのだろうか。


 ズダァァン!


 外れ。どこに飛んで行ったかすらわからない。残り一発。


「さっきは片手で構えて撃ったから外れたんだ。きっとそうに違い無いよな?映画とかだと片手で撃ってるけど、普通はあんなの当たらない」


 意味のない、無駄で、惨めで、理解のできない言い訳を並べる。この時点で既に正気ではなかった。しかし、それでも仁は生きることを諦めようとはしない。槍を横に捨て、両手持ちに切り替える。


「あと一発、あと一発、あと一発」


 ズダァァン!


 ありったけの祈りを込めて引いた引き金は、当然のごとく外れ。運にさえ見放された。残弾0。今、手の中にある鉄の塊はもはや武器ではない。弾の入っていない銃など脅しにしか使えない。


 そして、そんな脅しなんて目の前の敵に意味はない。


「なんで……!」


 カチャン。


 半狂乱になりながら引いた、空の引き金。弾など至極当然、天地がひっくり返っても出るわけもなく、外れ。残弾0。銃弾が出ないという事実から、オーガから後ずさろうとして、もう場所がないことを思い出して。


「なんで……!なんでだよ!」


 カチャン。カチャン。カチャン。カチャン。


 無意味に無様に無謀に、引き金を引き続ける。弾が入っていない、そんな現実を認めないと引き金に指をかけ、指をかけ。


「使えない……!ああ、ならこっちだ!」


 そしてようやく、意味が無いことに気がついた。弾の出ない銃より、届かない槍の方がまだマシだと。銃を投げ捨て、鉄の槍を手に取って構えて。


「もしかしたらなんとか。なんとか倒せるかもしれない……!」


 なんとか。具体的なことも何も考えず、ただの理想と偶然と運と期待に縋って、何をどうなんとかできるのか?虚しい願いが叶うわけもなく、仁がこの世界に敵うわけもなく。オーガは怒りのまま、冷静に手を振り上げ、


「ひぃ……あ」


 怯えた少年は思わず後ろに下がった。下がってしまった。もう後ろに場所など無いというのに。


「うわああああああああああああああああああああああああああああああ!?!?!!」


 今度、空を切ったのはオーガの手だった。狙った獲物は愚かにも、自ら崖から落ちていった。


 一瞬の停止。そして始まる自由落下。居場所のなくなった身体が、落ちていくのを全身で感じる。めぐるましく崖の表面の岩の模様が変わり、崖の上が遠ざかっていく。見える空が大きく広がっていき、眩しすぎる太陽が目に焼き付けられる。


「死にたくない死にたくない死にたくな」


 流れ星にさえ届かない場所で願いは断ち切られ、仁の意識はプツリと切れた。










 空から降ってきた何かが滝壺に大きな水飛沫を天へと伸ばしたのを、剣を持った黒髪の少女が一人、川辺で眺めていた。


『木と混じり合った家』


 仁が旅の最中に見つけた異様な光景。その正体は世界が混ざり合った際に、同座標に木と家が重なった結果の産物である。消えた他の部分はどうなったのか、明らかになってはいない。


 壁の中に埋まった家や、地面から突き出たビルなど、似たような光景は数多く存在する。




『異様に綺麗な形のクレーター』


 上記の『木と混じり合った家と』と同現象と間違われやすいが、全くの別物。重なるのではなく、削り取られている。また、隕石の落下の衝撃でできたものでもない。世界中に点在しており、もし詳しい人が知ったならば、その全てが原子力発電所および軍事施設などであったことに気づくことだろう。


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