第105 互いの鼓動が聞こえる距離で
甘いです。書いてるうちに胸焼けがしました。
「本当に助かった。ありがとね」
「だから、いいですって」
「蓮さんなら、こうしただろうってだけさ」
店の中へと大男達を引きずり込み、机や椅子に虚空庫から出した縄でしっかりとくくりつける。目覚めても抵抗できないように、環菜と楓が銃を突きつけながらだ。その間、仁とシオンはずっと、月下に頭を下げられ続けていた。
「困ってる人を見捨てるなんて、出来ないから」
「悪評背負ってまでかい?」
「人を救える悪評ならいくらでも。僕らのお気に入りの店って看板かけていいよ?」
胸を張るシオンと、からかって笑う僕だが、英雄の買春などスキャンダルそのもの。しかし仁としては、民衆に悪く思われる方が気が楽だ。柊の頭が更に禿げ上がる事だけが心配だが、色街の治安を保って人を救えるのだから大目に見て欲しい。
「それに、こいつら気になる事を言っていましたし、銃も所持していました。元軍でもないのなら、前回の襲撃の時に拾ったと見るのが妥当ですけど」
「でも、妄言じゃないなら。拾った以外の入手方があるのなら、それはこの街の存亡に関わる事態だ」
何より、こいつらは貴重な生きた情報源だ。人間としての性質的に、程々の拷問でも一晩置いたアサリの砂抜き程度は喋ってくれるだろう。どう考えても下っ端なので、核心は期待出来ないが。
「今後、このような事態があれば、すぐに俺か軍に言ってください。ここまでの事態なら、軍も十分に介入できますし」
「私達の名前を使えば、軍も動いてくれると思うわ。とりあえず、この辺りの警備の増員も提案してみる。外聞気にしている場合じゃないもの」
色街は欲に塗れた、暗い街だ。もしかしたら、この街には軍が見落としているような巨大な闇が巣食っているのかもしれない。仁とシオンは牽制の意も込めて、軍として色街にメスを入れる事を本格的に考え始める。
「食料から何から何まで……感謝してもしたりないわ。さっきの看板、飾りじゃなくて本当にしてもいいけど?」
「「えっ」」
様々な想定を重ねる内、無意識で爪を噛んでいた仁を一気に覚醒させたのは、月下の熱が入った冗談一言。あまりにも驚き過ぎて、思わず爪を噛み切ってしまった。
「あら、蓮の代わりになってくれるんじゃなかったの?」
「だ、ダメッ!その、仁はえーと……まだ付き合ってない……けど……」
「冗談。人の物を奪う趣味はないし。代わりに、と言っちゃなんだけど、アドバイス」
冗談を冗談と受け取れなかったシオンは仁の身体に飛び付き、自信なさげに所有権を主張する。仁も目線で「こういうことなので」と言葉に出さず固辞すると、月下は笑ってシオンを手招き。
「えっ!?でも、そんな!私じゃ……」
「いいからいいから。きっと彼、喜ぶ。こんな汚い所に来といて収穫なしなんて、酷いデートもいい所。あ、そうだ。これもあげる」
耳にひそひそと話されていた為、聴き取れたのは後半部分のみ。最後に何か手渡されたようだが、それも背中で隠されて見えなくて、仁は不安になるばかりだ。
「それじゃ、さっさと行きな。ここは恋人がデートするのは少し、汚れてる」
「……そんなに卑下する事でもないと思いますが、時間がないのは確かなので。失礼します」
「ねえ」
もう数分と経たない内に、援軍が到着するはずだ。お言葉に甘えてデートに戻ろうと、仁とシオンは店から外に出て、呼び止める声に振り返って。
「出来たら名字じゃなくて、菊子って名前で呼んでくれない?」
それはきっと、生前彼が彼女をそう呼んでいた名だろう。
「それくらいなら。では、またその内来ますね。菊子さん」
「また、たくさんご飯持ってくるから!」
「む、むぅ。でも、菊子さん、ありがとう。頑張るね!」
チラッと隣のシオンを見れば、膨れっ面ではあるが仕方ないと頷いていて。それで彼女が喜ぶならと、仁は代替品として、彼女の名前を口にした。
「さ、次はどこに行く?」
「時間取っちゃってごめんね!どこか行きたい所はない?」
思った以上に時間がかかった上に、戦闘が起こるなど、全くデートらしくないスタートを切ってしまった。その事を謝りつつ、シオンに行きたい場所はないかと尋ねると、
「なら私、最近話題のケバブを食べに行ってみたい!」
「……肉回ってるアレか?」
「じゃ、じゃ行こっか!」
馴染みのない料理で困惑する仁だが、噂になっているという事はあるのだろう。このご時世に逞しいと思いながら、仁はまだ慣れないとゆっくりシオンに手を伸ばす。
「……よしっ!」
「ん?おわっ!?」
「ひっ!?ちょっ、ちょっとシオンさん?近くないですか!」
「…………遠いの、嫌」
繋ぐ為に伸ばした手だったのに、シオンはぎゅっと飛び付いて、仁に身体を密着させた。押し付けられた、決して無いわけではない感触と腕に巻きつく暖かさに、仁は驚いて震えて飛び上がる。抗議するようにシオンを見れば、真っ赤な顔で彼女も震えている。でも、別れを怖がるかのように離してはくれなかった。
「……OK」
「行こうか」
「…………う、うん」
落ち着いて、意識を逸らす為にわざと日本語ではないOKを吐いた。それでも全然全く落ち着けてないけど、焦りまくっているけれど平静を装って、一歩前に踏み出して。
「思ったより、歩き辛いもんだな」
歩幅を合わすのが、手を繋いだ時よりも難しい。少女がぎゅっとくっついてくるから、尚更歩き辛い。
「……やっぱり、離す?」
「いや、いい」
「このままが、いいよ」
でも、それは嬉しい歩き辛さだ。彼らはゆっくりと、コツを掴むまでゆっくりと、デートを再開した。シオンへの菊子からのアドバイスは、非常に効果を発揮していた。
「本当にあったよ……人力で回してるのすごい」
あの機械をまさか手作りで?と思ったらそんなことはなく、汗だくになった男達が人力で肉をぐるぐる回していた。人件費は?と思うかもしれないが、行列も行列。お昼時なのも相まってか、絶対に黒字だと確信できる程、仁とシオンは待たされた。
「……ぐう。いい匂いがここまで来るよ」
「お、美味しそう……」
「シオン。涎が垂れそうってか俺の服につきそう」
味付けされた肉を炭火でぐるぐる回して焼き、削ぎ落とした外側をピタと呼ばれるパンに野菜と一緒に挟む。待っている間の暇潰しとして、トルコ人の男性が行列に向かって話してくれていた。
「パンなんていつぶりだろうか。いや本当」
「……まぁ、食えるのは一時的だろうが、感謝しよう」
そもそもこのご時世にパンとは一体と尋ねると、どうやら軍が保管していた小麦粉の賞味期限が迫っており、大量に放出しているとの事。賞味期限なら大丈夫?と思うかもしれないが、これ以上置いておくと未開封でも袋を食い破ってダニが入り、食べてしまえばアレルギーを引き起こす可能性があるらしい。
「ヨーグルトがあれば、もっと良かったんですけどね……手に入るありったけの食材で、出来る限り味を再現してみましたが、やはり足りない……」
野菜は野草で、肉はオークの肉でなんとか代用出来たらしいが、そもそも牛がいなくて作る事が出来ないヨーグルトだけはそうもいかず。
「いや、でもこれすっごく美味しいよ!」
「初めて食べたが、これはいい」
「美味しい!こういう、調味料の味もあるんだ」
周囲の人の食欲を減らさないようにと、気を使ってほんの少しだけマスクを下ろして、食べる。針を舌の上でちょんとされるような独特の辛さと、旨味を持つアツアツの肉は、癖になるの一言。野菜が辛さの痛みを癒してくれて、ピタが絶妙にその二つを包み込んでくれる。
「ありがとね。お客さん……そう言ってもらえると嬉しいよ。数日だけの限定屋台だけど、またおいで」
「うん!また来る!」
屋台の側での一口を終え、味の感想を述べると店主は料理人冥利に尽きると幸せそうに笑う。また、ここに来る事を彼に約束しつつ、仁達は列から離れて近くの瓦礫の上に腰を下ろして、身を寄せ合って食べ始める。
「どうしたシオン?」
「喉に詰まったのかい?」
しかし、半分以上食べたところでシオンの口がいきなり止まり、じっと自分のケバブを見つめ、それから仁のどんどん減っていくケバブを見つめてを繰り返す。少年のケバブが、後二口三口の大きさになった時、
「……じ、仁!そ、そっちのケバブも、食べたい」
「いや、同じ味……」
「…………はい、どうぞ」
勇気を出したシオンの言葉に、最初俺は意味がわからなくて、分かった後には言葉に詰まるら、僕がシオンの意図を読んで俺から引き継いで、残り少ない自分のケバブをシオンの口元に近づけた。
「………………い、いただきます」
そう言った後、意を決したように小さく、仁の半口くらいの一口が齧る。恥ずかしかったのだろう。仁の口が触れたところは半分だけ、もう半分は手付かずのところを、はむりと。
「……………おいしい」
耐えきれなかったのか、なるべく早く咀嚼しようとしたり、何やら惜しいのか途端にゆっくりになったりするシオンの口。
「……よ、よかったです」
好きな女性との所謂間接キスというものを間近で見ていた仁は、はっきり言おう。生まれてから一番、顔が真っ赤になっていて、照れて湯気が出ていたと。
「……ん!」
しかしながら、物事は等価交換。ケバブも恥も間接キスも、例には漏れず。残った半分を口元へと背伸びで差し出すシオンを前に、少年は数秒固まった。
(俺君、これマズイよ!色んな意味で美味しいけど、マズイよ!)
(ああ、分かってる。見られてる。頼むから通報しないでくれ。シオンの方がむしろ歳上……でも分からないよなぁ……!)
今ようやく気がついた。周りの目線が生暖かったり殺意だったり、わざと逸らされていたりチラチラ見られている。まぁ有り体に言えば、ものすごい注目を浴びていた。幼女と間接キスをしている大人がいる、軍を呼べという声まで聞こえてきた。
「……嫌?」
「い、嫌じゃない」
「け、けど……」
見られる中、食べることに関してはとんでもなく恥ずかしい。その上、食べる際にマスクを僅かでも下ろせば、仁の醜い顔がこの場の全員に見られてしまう。
「「………………いただきます」」
「は、はい!……いただかれます」
ならばと仁が取った行動は、氷魔法で壁を創成してギャラリーの目から自分達だけを隔絶するというもの。後になって考えれば、単にこの場から離れればよかったと頭を抱える無駄な魔法の発動。
けれど、魔法にどよめくギャラリーの目を遮っても、恥ずかしさは残っていた。数秒どころか10秒経ったんじゃないかってくらいの体感時間で、仁はようやく、
「「………………美味しい」」
「…………お粗末様でした」
自分なりの一口で、シオンの分をいただいた。味が分からないなんてことはなく、むしろ味に集中して気を逸らそうとしていた。
「は、早く次に行こう」
「人目すごいってか小さな騒ぎになってる……柊さんごめん!」
「う、うん!」
ないと信じたいが、万が一軍に通報された時の事を考えて先に謝って、さっきよりは少し慣れた腕組みの速度で三人はその場を後にした。
それから仁とシオンは、この街の色々な名所を回った。それは環菜と楓が必死に探した、デートスポットであって、人々が崩壊して0になった場所から努力した証でもある。
「わぁ!こんなの、見たことない!」
「なんていうか、和む」
「本当だよ」
一つ目は日本庭園。趣味の人が多数集まって、空き地だった場所に半年間かけて造ったもの。鹿おどしの音が静かな空間に響き、街に流れる川から引いたという小川が太陽の光を反射している。その空間は、シオンに新しい美を教え、仁に懐かしさをもたらした。
二つ目は、着物体験。さすがの軍も高級な着物を糸に解す事は出来なかったらしく、ポイントと引き換えに一般人に体験してもらうというビジネスに利用していた。
「……ど、どう?似合う?」
「綺麗だ」
「天女みっけ」
赤というよりは紅と表現すべき着物に身を包み、慣れない下駄に苦戦しながらくるりと回ったシオンに、仁は思考のフィルターを通し損ねた素直な感想をブチまけて、後で三人して照れて目を背けた。
「仁、なんか!かっこいい!」
「これ違わない?ねぇ?」
「てか、なんでこんな服が?」
一方の仁はというと、やはり醜い火傷を晒すわけにはいかないと通常の着物が着れず、結果店員が勧めたのがまさかのSINOBI。確かに、これなら顔を隠す事が出来るが、
「忍法!氷手裏剣!」
「……割といいなこれ」
魔法で氷の手裏剣を作ってみれば、それはもうまるで忍術そのもの。何故知っていたのかはにっこりと教えてもらえなかったが、手裏剣の投げ方を教わり、本物の鉄製も投げさせてもらった。想像以上の重さと初めての形に仁が苦戦する一方、シオンは初回で全弾中心に命中させて、喝采を掻っ攫っていった。
色んなところを回って、もうすっかり日も暮れて夕食の時間。何を食べたい?とシオンに聞いてみたが、すでにある店を予約しているのだとか。
「こういう店、あるんだねえ」
「本当、人間ってすごい」
そこは、普通の高校生であった仁なんかに縁がなかった、夜景の綺麗な、まるでカップルの為の高級料理店。何せ建っている場所が壁の中腹で、街が全て見渡せるのだ。
「蓮さんが作ったんだっけ?この店」
「企画者だそうよ。『ブルースター』って名前付けたのも」
世界が滅びそうだろうがなんだろうが、いやむしろそうだからこそなのか。こういう店は非常に需要があった。柊も最初は突っ撥ねていたが、熊が強引に自分も行きたい!と企画を練ってプレゼン。利益が見込めるとの事で作られたのだそうだ。
「……それにしても、カップルばかりね」
「僕らも、そう見えてるだろうね」
結果は連日連夜満員御礼。世界が危ないってのになんでこいつらと柊は頭を抱えていたが、高い値段も合わさって恐ろしくポイントを吸い上げている。
「……とっても、綺麗で、いい街ね」
「本当に。よく、ここまで持ち堪えたよ」
「人間、案外しぶといもんさ」
シオンはワインを、仁は水を飲みながら、窓の外の灯りを眺める。ほとんどが軍の工場の灯りか焚き火で、民家のものではない。それでも、暗い街に浮かぶ光は、まるで星空を地面に印刷したように綺麗だった。そしてその光は、日本人がまだ滅んでいない証でもある。
「……絶対に、守らないと」
「ああ、この光だけは、消させやしない。むしろ増やしてみせるさ」
「うん。そう、ね」
仁は、かつての日本の夜景を知っている。環境を壊す光ではあったけれど、それは人の営みを表す光でもあった。そこに生きている者がいるという、灯りだった。宇宙から見てもはっきりと見えるくらいの、明るさだった。
「いつか、シオンにも見せたい。この街全部が、光ってる。空や月よりも、明るい街を」
「あれは綺麗さ!なにせとんでもないお値段の名前がついてる!」
「……そんなに、すごいんだ」
「そりゃ、宇宙からでも見えるんだから」
シオンの世界の魔法の光は、そこまでの灯りではなかったらしい。彼女は知らない日本を見てみたいと、叶わない願いに寂しく、しかし、強く微笑む。
「ねぇ、仁」
「ん?なんだい?」
呼びかけに応えて、夜景から目を離して彼女を見る。仁にとっては夜景なんかよりずっと綺麗な彼女の目には、街の灯り以上に強い光が宿っていて。
「私、諦めないわ。この世界を救う事、そして、救って、離れ離れになっても、もう一度仁に会う事」
「……」
そして、シオンは訂正した。叶わないではなく、叶えるのが困難なだけの願いだと。叶わないような確率に見えるだけで、諦めずにその確率を超えると。
「その時は、仁。その綺麗な夜景を、見せて。一緒に」
「復興の進み具合だけど、約束するよ」
「復興を急ぐ理由ができたな」
約束する。今はただの妄想にすぎない、願いを超えた先の夜景デートを。
「……そして、私と一緒に、生きてくれませんか?」
彼女は仁に問う。全てが終わった後の、幸せを。




